政治が地域支えた 街の酒屋を追い詰める

歪む日本 格差社会 

 記者名 : 矢野 宏

  
8畳ほどの店内に所狭しと並ぶ酒。なかでも全国各地の蔵元から仕入れた地酒が目につく。京都市山科区の「京や酒店」。住宅に囲まれた街の酒屋さんである。
 店主の上原安治さん(61)は、地酒に関心のある客には試飲を勧める。大型の冷蔵庫から取り出した地酒をぐい飲みに注ぐと、ほのかな日本酒独特の香りが店内に漂う。
「花の酵母を使った島根県松江市にある蔵元の酒です。どうです、さわやかな味でしょう」
 規制緩和によって酒類販売が自由化され、街の酒屋が次々に廃業に追い込まれるなか、上原さんは地酒に特化することで生き残りを懸けた。だが、厳しい状況に変わりはない。
 「いち早く日本酒に特化した先輩から10年すれば結果が出ると言われましたが、もう14年。まだ先が見えません」  
 

▲上原さん夫妻

 サラリーマンだった上原さんが脱サラして酒屋に再就職したのは「自分で何かしたい。地域社会と関わっていたい」という思いから。1年間の・丁稚奉公・のあと独立したのは、大阪万博が開かれた1970年2月のこと。店の主人がいずれ甥に、と思って取得していた免許と店舗を譲り受けた。店名は、京都市内で一番の店にしたいという思いから「京」、自分の名前と結婚したばかりの妻、ヤエ子さんの「や」を取った。
 当時は高度経済成長の真っ只中、山科区内でも田畑がどんどん住宅に変わっていた。開店したものの、電話の敷設工事が間に合わず、注文が取れない。酒も1日に1本売れればいい方で、店で売っていたインスタントラーメンで空腹を凌いだこともあった。
 店が軌道に乗るのは開店から2年後。その後も順調に売り上げが伸びていき、年間で1億円近い売り上げを記録した年もあったという。
 ところが、右肩上がりだった商売に陰りが出てくる。89年の消費税導入以降、毎年1割ずつ売り上げが落ちていった。不思議に思っていた矢先、92年の「級別廃止」で清酒の特級、1級、2級の区別がなくなり、酒税の税率が一本化された時、上原さんは国の思惑が透けて見えたという。「消費税の導入で、酒税は間接税の柱ではなくなった」と。
 酒税は年間1兆7000億円。その徴収に末端で協力してきたのが街の酒屋だったはずなのに、「酒屋は見放されたのだ、と思いました」。

 98年に閣議決定された「規制緩和推進3カ年計画」によって、戦前からの規制で守られてきた酒屋の免許枠は段階的に緩められていく。店同士の距離が100メートル以上離れる必要があった「距離基準」は2001年に廃止され、大都市部では人口1500人あたり1店だった「人口基準」も特例区を除いて03年にはなくなり、事実上自由化された。
 年々、酒を扱うスーパーやディスカウント店、コンビニも増え、価格戦争でも街の酒屋は厳しい闘いを強いられるようになる。大量に仕入れると、メーカーや卸売業者から量に応じた「販売奨励金」が返ってくる。大口で仕入れるほど奨励金が増えるので、大型店ほど小売価格を安くできるのだ。小さな店は独自性を出さねば生き残れない。「日本酒のことに関してはオンリーワンの店にしよう」。上原さんは地酒に関する本を手当たり次第に読み漁る。味だけではなく、「耳からもお客さんを満足させたい」と、全国の蔵元を訪ね、商品はもとより、情報も集めた。「ラベルやレッテルで売るのやない」という信念で仕入れた地酒も、知られていないこともあって売れるものは限られた。在庫が増え、妻と言い争いになることもある。そのたびに「売れないからといって商品を置かなくなったら、尻すぼみになって店が弱体する」と押し切った。
 5、6年前には、店から歩いて5分の所に酒のディスカウントショップがオープンした。上原さんは、店の裏に購入していた古家を解体し、更地にして転売する。バブルの時に2000万円を超えた物件だったが、売値は半分ほど。借金を返すと、手元にはほとんど残らなかった。
 お中元とお歳暮の時期には宅配便のアルバイトも始めた。それでも、昨年の収入は100万円を切っていた。
 「俺は地酒屋なんや、という意地だけですよ」

▲店内に並ぶ全国の地酒に、上原さんの誇りが見える


 消費者にとっては、酒を買える場所が増え、価格も安くなったが、その一方で、街の酒屋が消えている。「全国小売酒販組合中央会」の調べによると、98年から6年間で転廃業・倒産した酒屋は2万5322軒。自殺者も76人を数え、失踪者数は2690人に上る。
 街から酒屋が姿を消すことで地域社会も変わってきたと、上原さんは指摘する。
 「酒屋はPTAや子ども会の世話役、商店街や町内会の役員と、子どもの犯罪防止、地域の治安を担ってきました。昔は夜の9時過ぎても配達していましたから、不審者を見たら警察に通報するし、非行少年も叱り付けたことも何度もあります。今ではもう目に留める機会もありません」
 規制緩和という美名のもと、私たちの「地域力」も奪われてきたのである。

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