読者のお便りから

●抱きしめて琵琶湖
大阪府枚方市 小林稔子

 私の人生で忘れられない一ページ、「窓友会」の会員だったからこそ、成し得た感動の一日。1987年11月8日正午に、人と人の愛の手で、あの琵琶湖を抱きしめた。

当時、私はガールスカウト大阪府第128団の団委員長をしていた。窓友会で、琵琶湖一周を手でつなぐ話を聞き、早速、スカウトたちを連れて行こうと思った。

子どもたちには、「なぜ?何のために?」などの意味は理解できなかったと思うが、リーダーに、黒田さんの思いを伝えた。子どもたちは「おもしろそう」と参加した。当日、リーダーともども近江舞子駅へ向かった。駅から浜まで、人でいっぱいだった。

11時半頃から砂浜に出て、ひもを握って横に進んだと思う。上空には取材のヘリコプターが舞っている。どこかのお寺の鐘の音が聞こえてきた。私とつないでいた子が手に力を入れる。子どもたちが緊張しているのが伝わる。

5・4・3・2…「ウォー」という歓声。つないでいた手を天に挙げる。

ラジオ大阪の原田年晴アナウンサーが興奮した声で「はっきりみえます。みなさんの手がつながっています。そのまま一分ほど手を上げてください」……。

20年前のあの日の感動は、今も私の胸に脈々と生きている。あの時のスカウトたちは社会人となり、また母親となっているだろう。そして今なら、「なぜ? 何のために」健常者も身障者も、悲しい人も嬉しい人も、共に手をつないだことが、わかってくれているだろう。

これも「黒田清」という人がいて、私が黒田さんにつながっていたからこそ、成し得たことと感謝している。

本当に誰にでも分け隔てなく優しかった人、黒田さん。ありがとうございました。

●高野山の集い
滋賀県大津市 吉岡英雄

 お風呂で一緒になってこれまではあいさつぐらいの会話しかしていなかったのですが、ゆっくり話ができました。

私「生まれは京都で、西陣のぼんぼんです。どこか上品な感じ、しませんか」
黒田さん「あんたはどう見ても京都育ちには見えへんなあ」
私「そら、どういう意味です?」と言ったあと、お互いの顔を見て、大笑いしました。
その夜、楽しい食事、お酒をいただきました。

●大きな人でびっくり
兵庫県高砂市 植村フク子

「窓」の読者(ファン)であった私。夫の入院中に送っていただいた資料がご縁です。その頃毎日「窓」を読んでの病院通いが、私の1日の始まりです。

「窓」から「泉」に変わり少しずつ伝わってくるものが変わっていたある日、一通の封筒が届きました。そして心待ちにした「窓友新聞」が届けられるようになり、夫の看護が落ちつくのを待って、私は事務所を訪れました。今から20年前の5月1日です(小尻記者の事件の2日前でした)。

「こんにちは」と言ってドアを開けた私ですが、中の雰囲気にびっくり。とても忙しそうなので「帰ろうかしら……」と思っている私の前の黒田さんはとても大きな人、それにもびっくり。「大谷くん、この人どなた」「会員さんです」と少しはなれた所から大谷さんの声。

「あっそう、どこから来はったん、よう来たね」。住所をいうと「あっ確か兄貴がそこの近くの施設で……又行ってあげて」と仰られました。

帰ろうとする私に「せっかく来たんやから大谷くんとお話して帰り」と黒田さん。

大谷さんに30分近く医療の現状と家族の気持ちを話したと思います。太融寺さんにお参りして帰りました。

記者:和気美恵子

殺伐とした世の中、新聞を通して何か心の安らぎを求めて隅々まで毎日目を通していました。そして「窓」黒田様にめぐりあえました。人情深く、温かく優しく、励ましや張りのある紙面にどれほど勇気づけられたことでしょう。
子供が生まれることも喜んでもらえず、主人の裏切りに何も信じることができず、幼い子とどん底に落とされました。厳しい現実を思い知り、過去を悔い、子供の将来を思い複雑な思いでした。頑張っても認めてもらえず、傷ついた心の深さに、生きる力を失いました。

そんな時、黒田様に思いのままを綴りました。すると「人間って辛いですね」「夫婦って辛いですね」「何もできないけどおっちゃんがついてるぞ」と。この胸の内を同情でもなく哀れみでもなく解かってもらい、心強い言葉をいただき、涙がとめどもなく流れ、「ありがとうございます」と何度もつぶやきました。そして子供のため、いや自分のために厳しい環境でも負けてられないと心に決めました。

それから、黒田様との手紙のやり取りに随分と励まされました。
そのお陰で主人と立ち上がり、黒田様の恩に報いようと必死で働き、厳しい環境の中でも、どんな仕打ちにも負けず子供を育て上げることができました。そして2人は関東の大学院を、2人は短大を卒業しました。家の後継ぎが残って頑張っています。4人とも明るく思いやりのある優しい成人となりました。今は孫も生まれ、楽しみも増しました。

太融寺で黒田様と最後のお別れをした後、毎日ただただ涙に浸っていました。こんなに悲しい別れは初めてでした。

悲しい思いの中、今度は「窓友新聞」も終わってしまいました。時々、窓友新聞や本を出して読んでいました。「うずみ火」新聞が届き、嬉しさで一杯でした。読んでいると窓友新聞に似ているので、余計嬉しくなりました。黒田様の後を継がれてられると思うとこれからが楽しみです。

 

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