アモルファス

記者:野沢栄一

 私が初めて黒田清さんと黒田ジャーナル、窓友会の存在を知ったのは『開け心が窓ならば―差別反対大合唱』を読んでからだったと思う。改訂第7刷で日付が1992年1月10日となっているからその年のことか。この頃から「窓友新聞」を購読し始めただろうか。

当時、私はJR総連の書記、傘下のJR東労組本部では定期的に「政経フォーラム」を催していて、大病から復帰したての黒田清さんが上京して、その講師として講演することを知った。94年ごろのことだったと思う。それまで写真でしか知らなかった黒田さん、やや、やつれて見えたのは予後のせいだったのかもしれない。その講演後の講師を囲んだ懇談の場で「黒田先生、私も窓友会の会員なんですよ」と会員カードを取り出して、黒田さんに提示すると、最初は怪訝な面持ちだったが、すぐに顔をゆるませておられた。

アモルファスについてが話の導入部であったのは憶えているが、本題が何であったのか、もはや思い出せない。この講演を契機に何人かのJR東労組の組合員が窓友会に入った旨、その後の窓友新聞に載って、なんだかうれしくなった。

あれから10余年、私にとってはたった一度の、最初で最後の黒田先生との出会いでした。

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