思わず、「給料はいりませんから」

記者:矢野宏

 黒田さんと初めて会ったのは20年前のこと。

私たち若い新聞記者にとって黒田さんは雲の上の人だった。 読売新聞大阪本社の「鬼の社会部長」として知られ、民主主義を考える「われわれは一体なにをしておるのか」、愛国心をテーマにした「日本に生まれてよかったか」などの大型連載で思い切った社会面を作る一方、賭博ゲーム機にからむ警官汚職事件をスクープするなど、事件にはめっぽう強かった。

また、武器輸出事件のように調査報道によるキャンペーンで国会を動かし、三菱銀行事件で自分たちの記者活動を書いた『ドキュメント新聞記者』や『誘拐報道』、『捜索報道』、『武器輸出』、さらには1984年度の日本ノンフィクション賞を受賞した『警官汚職』などを出版、新しいノンフィクションの分野を開拓するなど、黒田さん率いる読売新聞大阪本社の社会部は、「黒田軍団」と呼ばれるようになっていた。
そんな中でも特に印象的だったのは、社会面の片隅に連載したコラム「窓」である。

28歳の女性が結婚を前提に付き合っていた恋人から被差別部落の出身であることを突きつけられて破局。自殺未遂を図ったという手紙をはじめ、民族差別で苦しむ人たちなどの心の叫びを一つ一つくみ取り、ともに泣き、怒り、時には一緒に笑いもする記事、しかも大阪弁のやわらかさに心引かれた。

その黒田さんが読売を退社し、「窓」の延長とも言うべきミニコミ紙「窓友新聞」を毎月一回出すということを知る。しかも、一方的な情報を伝えるのではなく、「読者の顔が見える新聞を作りたい」という。送った履歴書を追いかけるように、私は四国から文字通り、海を渡った。
初めて会った黒田さんは怖い目をしていた。尋ねられることに答えるだけで、あとの沈黙が重たかった。ただ、断られるにしても、黒田さんの下で記者として修業したいという思いだけは伝えておきたかった。

「給料はいりませんから、働かせて下さい」

見上げると、黒田さんの怖い目とぶつかった。

「じゃあ、どうやって食っていくんや」

「月曜日から土曜日まで働かせていただいて、日曜日にアルバイトをして稼ぎます」

長い沈黙が続いたあと、黒田さんの目が少しだけ笑ったのを、今でも覚えている。

その黒田さんが亡くなり、各紙に「反戦・反差別・反権力」という形容詞が並んだ。だが、黒田さんは大上段に構え、それらを声高に訴えてきたのではない。あくまでも、ジャーナリスト活動の原点は、「一つ一つの家庭にある幸せを大事にしようやないか」という思いだった。だからこそ、その幸せを壊す戦争や差別を憎み、闘おうとしたのである。

事件や事故がマスコミの記者の現場なら、「黒田ジャーナル」の記者にとしての現場は、市井の人たちの日常だった。

障害児を抱えた人、夫に先立たれた人、リストラされた人、結婚差別を受けた被差別部落の人など…。大新聞の記事にならない一般の人たちの生活の中にもこそ、私たちが訴えていかなければならない大事なものがあった。

だからこそ、私たちは「新聞うずみ火」を発行しているのである。

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