夢でもいいから…

記者:柏 節子

 先日のお花見集いの席上、「黒田さんのことなら何でも聞いて」と言ったが、どれだけ黒田さんのことを知っているんだろうと、ふと考えた。そんな矢先、近所の古本屋さんで太田雅夫さんが書かれた『評伝桐生悠々』を見つけた。

黒田さんも何度か記事にしていた桐生悠々。どんな人なんだろうと、それから2晩で『黒田清 記者魂は死なず』(有須和也著)とともに読みふけった。取りつかれたように、テレビもつけずに。

桐生悠々は、金沢の旧制四高で学ぶ(黒田さんも)。小説家にあこがれ、徳田秋声や尾崎紅葉らと出会うが、後に断念してジャーナリストの道へ。名古屋の新聞『新愛知』でコラム「緩急車」を担当し、この欄を読者に開放した。その後、抵抗のジャーナリストとして数社を転々とし、自由主義を主張する個人雑誌『他山の石』を発行、「言論の自由の再実現」を書いて時の軍部と対峙する。
悠々の生涯の一部を取り上げても「差別と戦争反対」を掲げ、大新聞の本流に逆らい、窓際に追いやられても「窓」のコラムを通じてつながっていた黒田さんと通じるところがある。

「ペン一本あれば」という悠々の反骨精神に、黒田さんも学んでいたのではと、今頃になって少し解ったような気がした。大新聞社を退社して『窓友新聞』を立ち上げ、読者との絆をつないだこと。大阪発のミニコミで世の中を変えていこうとしたが、志半ばの69歳で帰らぬ人となった。奇しくも桐生悠々も同じ年でこの世を去っている。黒田さんは、ジャーナリストとしての大先輩を尊敬し、その生き方をなぞっていったのではなかったかと推察する。

コテコテの大阪弁で「はっきり言うてやな……」が口癖で、「ボクは小説家になりたかったんや」と話していた顔を思い出す。「文章は呼吸するように書け」とも。太融寺での集いで、「せっかく来たんや、何ぞしゃべっていけ」と声をかけてくれた人が、こんなにすごい人だったんだと今にして思う。

夢でもいいから、もう一度会いたい。

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