術後にもかかわらず

記者:大森珠美

私の部屋の壁に大きな写真が飾ってある。浴衣姿の黒田さんと奥様と私が実に愉しそうにピースサインをしている。もう一枚は合掌造りの縁側に黒田さんと並んで座り、にこやかに笑っている。「飛騨高山の集い」でのスナップだ。

約20年前、黒田さんの本を読み、反戦と差別反対が信念のジャーナリストにどうしても逢いたくなって大阪へ通い始めた。初対面の時、とても優しい眼差しで「遠いところからよう来たね」と労ってくださって嬉しかった。

数多くの思い出の中でも忘れがたいのは「高山の集い」を望んだ私の直訴(?)を聞き届けてくださったことだ。各地から数十名の会員さんが参加して集いは大いに盛り上がった。寄せ書きに“おかげさんで愉しいよ”と書いてくださった黒田さん。こんなにお元気だったのに、翌年秋にはガンで倒れ、大手術をされるとは誰が想像しただろう。

この頃から私も体調を崩して仕事を辞め、入退院を繰り返すようになった。1999年12月13日の日付で“大森さんへ 生きていたらいいことがおまっせ”と書いた色紙が届いた。術後の黒田さんに私は逆に励まされていたのだ。

7ヵ月後、黒田さんは亡くなられた。連絡を受けたときは信じられなかった……。

入院中で葬儀には行けず、病室のテレビでその模様を見ながら、涙が溢れて止まらなかった。ようやく退院し、お参りできなかったお詫びの手紙を奥様に書いた。すぐに返信があり、“寝たきりになってもよいから生きていてほしかった”と記されていた。ご家族にこれほど愛され、スタッフや窓友会の大勢の会員さんに信頼され慕われていたことをしみじみと感じたのだった。

黒田さんは人生の道標として私の心の中にいつまでも生き続けている。

 

 

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