軍歌がなかったカラオケリスト

私の手元に、恩師である黒田清さんがカラオケで歌った曲目のリストがある。

黒田さんが行きつけのスナックで、「300曲は歌えると思うで」と言い出し、「ほな、やってみよか」とマイクを握って歌い出したものだから、店のママさんが曲名を書き留めてくれたのだ。

リストは、A4サイズの用紙で3枚。黒田さんは森進一が好きでよく歌っていた。『昭和流れ歌』や『襟裳岬』、『港町ブルース』……。『うさぎ』という曲は10分近くもある長い曲で、私は他の客の顔色を伺ったりしたものだ。

ほかに新井英一の『清河(チョンハー)への道』も黒田さんのお気に入りの1つ、そして宴の締めくくりはたいていの場合、喜納昌吉の『花』だった。
すい臓ガンが見つかり、300曲には届かなかったが、曲名を見ているだけで生前の黒田さんの歌声や熱唱する姿、店内の情景までもがよみがえってくるから、歌というのは不思議なものだ。

そのリストを見ていて気づくことがある。軍歌が一曲も含まれていないのだ。私が「黒田ジャーナル」記者として過ごした13年余り、黒田さんが軍歌を歌うのを一度も聴いたことがない。そればかりか、たまたま居合わせた酔客が軍歌を歌い出そうものなら、トイレへ駆け込むか、外へ飛び出していたほど嫌悪しているように見えた。

確かに、反戦・反差別を2本柱にしたジャーナリスト活動を繰り広げていた黒田さんゆえ、別段、不思議ではない。だが、あの黒田さんもかつてカラオケで軍歌を歌っていた時期があった。その事実を私が知ったのは黒田さんが亡くなったあとのことだ。

黒田さんが読売新聞で「新聞記者が語り継ぐ戦争」の長期連載を始めた社会部デスク時代のこと。記事の中にこんな場面が出てくる。

<ある日、S記者が「戦争」デスクの黒田清に言った。

「いろいろな人が戦争反対、戦争反対と言ってるけど、ぼくにはもう一つ信用できませんなあ。たとえば酔っ払うときまって軍歌を歌う人が、平常は反戦反戦と言っている。あれはおかしいですね」

そのとき、黒田はなにも答えなかった。彼自身、酔えばしばしば軍歌を歌うからである。>(角川文庫『戦場になった島』読売新聞大阪社会部)

よほど、その一言が気になったのか、黒田さんはその中でこう反論している。

<たしかに、ボクの歌っているのは軍歌だ。だけど、もちろんのこと、なにも戦意昂揚のために歌っているのではないし、戦争をなつかしんでいるのでもない。戦争中に生きた自分をなつかしみ、いつくしんで歌っている。自分としては、それが自分なりの反戦の意志だと思っている。それがいけないということなら、ボクには歌う歌がないじゃないか。国民学校から中学校へ、カーキ色、配給、空襲…… ちいさいけれど自分にとって一ばん大事な歴史を、ほかのどの歌で思い起こし、その悲しみや憤りを表現できるというのか。……>

黒田さんが軍歌を歌わなくなったのはいつごろだったのか、きっかけは何だったのか。やはりS記者の言葉がずっと心に引っかかっていたのだろうか。今となっては確かめようもないが、満州事変が勃発した1931(昭和6)年生まれの黒田さんにとって、この当時、軍歌は一番大事な歴史を思い出させてくれる歌だったのだろう。

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