青い山脈

 記者:三谷俊之

僕にとって、黒田清さんは彼方に、ゆるぎなく連なり見える、ひとつの巨きな山脈のような存在だった。

その山脈は、けっして峻厳で、他人(ひと)を寄せつけないといった風ではなく、青々と、あくまでもたおやかで、うちふところが深く、その裾野はゆったりと四方に根を広げている青く巨きな山脈。僕じしん、その裾野でどれほど、遊びながら学ばせてもらったことだったか。

そして、その青い尾根から吹き抜けてくる風は、たたずむ僕に向けて、たたずむ現在(いま)に向けて、限りないメッセージを送り届けて止まなかった。「青い山脈」というタイトルを持つ映画や小説が、戦後民主主義の初発の地点で生まれていたが、黒田さんは、その戦後民主主義の最良の部分を、痛苦な病いと闘うなかでも亡くなるまで、その全存在に抱えていたように思える。

それは、焼け跡のなかで仰ぎ見られた、蒼穹そのものであったし、彼方に連なり見える青い山脈そのものだったに違いない。どのような厳しい時代であっても、雲の間からかいま見られた青空であり、あたたかく吹き抜けてくる風そのもの……。
彼方にあった時代と人々について、そして現在起きている数々の出来事について、そこに流れていた時代と、当たっていた日差しについて、そしてさらにたくさんの大切な事柄について、静かに、しかし確かに、それを見て、語り継いでいくことの大事さ――。

黒田さん――時代はもっと混迷を深め、困難さは増すばかり。あなたという巨きな青い山脈が、この世から亡くなり、僕らは途方にくれることも多くなるようです。

そんなとき、あなたという山脈の、青い尾根から吹き抜けてくる風のメッセージを、耳元で受け止めて歩いていきたいと思っています。

さようなら。黒田清さん――

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