黒田さんに叱られたA

大阪の表玄関、JR大阪駅や阪急梅田駅から歩いて5分足らず、雑居ビルが建ち並ぶ一角に「うずみ火」の事務所があります。

エレベーターもない古びたビルの3階の一室で毎月一回、『新聞うずみ火』という名のミニコミ紙を発行しています。週刊誌と同じサイズのB5版で32ページですが、読者は800人を超え、北は北海道から南は沖縄の西表島(いりおもてじま)にまで届けられる“小さな全国紙”なのです。

新聞を作る編集委員は6人と、小さな事務所ですが、普通のオフィスと違っていろいろな人が出入りするので賑やかです。その多くが『新聞うずみ火』の読者なのです。

「先日、地元の小学校へ行って戦争体験を語ってきました」という高齢者や「裁判所での取材の帰りですねん」という中年フリーライター、なかには「来月、落語会を開くので、次の新聞を出すときに案内のチラシを入れてくれまへんか」という落語作家もいます。

保守系の元大阪府議もいれば、イラクへ派遣された航空自衛隊が現地で何をしていたのかを追究している市民運動家もいます。それに、在日コリアンや被差別部落の人、障がい者など、生きていく上で自分の力ではどうしようもないことで不当に“遠回り”を強いられている人たちも少なくありません。

そんな皆さんに共通するのは「戦争はいやや」ということと、「やっぱり差別はあかん」という思いです。
その日は一人の女子大生が、私の帰りを待っていてくれました。

「希望する新聞社に内定をもらいました。先生に真っ先にお知らせしたくて」

彼女が先生と呼ぶのには理由があります。私は関西大学の非常勤講師として週一回、「ジャーナリスト実習(文章講座)」の講義を担当しており、彼女は2年前の教え子なのです。

授業の一環で大阪大空襲の体験者に取材をさせたとき、ノートを取る手が止まり、懸命に涙をこらえながら話に聴き入っていた姿が今も心に浮かびます。
もちろん、『新聞うずみ火』の読者であり、私たちが毎年秋に開催している「ジャーナリスト入門講座」の受講生でした。

将来、テレビ局でドキュメンタリー番組を作りたいと言っていましたが、「先生のおかげで文章を書くことが好きになりました」と新聞記者を志していたのです。

「そうか、よかった。本当によかったなあ」

早速、事務所を見守ってくれている私の恩師の写真に向かって報告しました。

「黒田さん、あなたの“孫弟子”が育っていますよ」

Comments Closed