「人命軽視」 この国の司法

記者:矢野宏

太平洋戦争末期、1万5千人が亡くなったとされる大阪大空襲などの被災者や遺族ら23人が

▲横断幕を持って入廷する原告ら

国に謝罪と賠償を求めた「大阪空襲訴訟」の判決が12月7日、大阪地裁であった。黒野功久裁判長は「補償を受けた者と原告との差異は不合理とは言えない」として請求を棄却した。

原告の年齢は66歳から82歳。爆弾の破片で足を失った人、焼夷弾で全身に大やけどを負った人、かけがえのない肉親を失って孤児になった人とその遺族である。
国は、旧軍人・軍属とその遺族に年間1兆円もの恩給や年金を支給しているが、民間の空襲被害者には補償していない。戦争という国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民は等しく耐えねばならないという「戦争損害受忍論」の立場を取ってきたからだ。

戦時中には、民間の戦災被害者を救済する「戦時災害保護法」があった。当時の政府は、厳しい罰則を盾に国民を戦争へ総動員していた。それに呼応するために制定された法律で、保護の対象は戦時災害で危害を受けた本人と家族、遺族。しかも軍人と区別することなく、すべての空襲被害者を援護する内容だったが、敗戦翌年の1946年9月、「軍事扶助法」や「軍人恩給法」とともに廃止された。

日本が占領体制から脱した52年、旧軍人・軍属を対象にした「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定され、翌年には「軍人恩給法」も復活した。援護の対象は、「未帰還者」や「引揚者」へと広がり、原爆被曝者や中国残留邦人に対する援護立法も制定されていったが、民間の空襲被害者だけが置き去りにされてきた。

原告側は「戦争損害受忍論を空襲被害者だけに押しつけるのは、法の下の平等を定めた憲法14条に違反している」「戦争終結を遅らせたことで甚大な空襲被害を招き、その後も被害者を救済せず放置した『不作為の責任』がある」などと主張、2008年12月8日に集団提訴した。

封印の思いぶつけ

翌09年3月4日の第1回口頭弁論以来、原告らは証言台に立ち、自らの空襲体験やその後の苦難を訴えてきた。原告団代表世話人の安野輝子さん(72)は、終戦1カ月前の45年7月、米軍機が投下した爆弾の破片の直撃を受け、左足のひざから下を奪われた。当時6歳だった。弁論で松葉杖と義足での生活を余儀なくされた戦後の生活を振り返り、安野さんは「私の人生は、生きることへの闘いと我慢とあきらめの繰り返しでした」と切り出した。

「小学校では松葉杖を隠されるなどのいじめにも遭いました。中学の卒業を待たずに母の故郷の大阪に移り住み、洋裁を習って生計を立ててきました。人目を避けながら、生活できるからです。若いときは、ハイヒールを履きたいと何度思ったことでしょう。そんな思いは誰にもわかってもらえない、口にすればみじめになるだけと、心に封印してきました。今でも毎朝、目覚めるとまずベッドの上で義足をつけないと、トイレにもいけません。どんなに歳月がたとうと、義足を付けるたびに、あの血の海の記憶がよみがえります」

さらに、提訴に踏み切った理由について、安野さんはこう訴えた。

「このまま空襲戦災者が沈黙すればどうなるのでしょうか。命が尽きた瞬間、戦争によって無茶苦茶にされた人生は何事もなかったかのように消えてしまい、戦争を起こした国の責任は、未来永劫うやむやになります。生き残った私は、空襲で亡くなった人たちに代わって、声を上げ続ける責任がある、将来、子や孫たちが戦争の危険に脅かされ、同じ苦しみを繰り返させないために、立ち上がらなければならないと思いました」

今回の裁判で注目されたのが、空襲の最中であっても市民に逃げることを禁じ、消火活動を義務付けた「防空法」の存在だった。

制定されたのは37年。4年後に改正され、「空襲時の退去禁止」が規定され、空襲のとき、建物の管理者・所有者・居住者などに応急の消火活動が義務付けられていた。違反者には、6月以下の懲役または500円以下の罰則が科せられていた。教員の初任給が55円だった時代に、だ。

「空襲被害は避けられなかった偶然の災害ではなく、国が選んだ政策の結果として生じた」という弁護団の主張はどうなるのか。

「受忍論」触れず

「原告の請求をすべて棄却する」――。大阪地裁202号法廷は静まり返った。主文に続いて、黒野裁判長は判決要旨を読み上げた。

「軍人・軍属は国の意思を実現するために戦地に赴くなどの職務を行い、そのために被害を受けた者には補償をすべきだという見解が成り立つ。原告との差異は、明らかに不合理とは言えない」

さらに、補償されている沖縄戦被害者や原爆被曝者、引き揚げ者とも比較した上で、こう結論付けた。

「原告が空襲被害により多大な苦痛や労苦を受けてきたことは認められ、他の戦後補償を受けた者と同様に救済措置を講じるべきだとの意見もあり得る。しかし平等原則違反やその他、憲法違反があるとは言えず、国に憲法上の立法義務は認められない」

判決では、戦争損害受忍論は一言も触れなかった。防空法についても事実を認定されたが、判決に生かされることはなかった。

裁判長らが退廷したあとも、原告らはしばらく立ち上がれなかった。原告代表世話人の安野輝子さん(72)がハンカチを取り出し、目頭をぬぐった。

「司法に正義はないのか。この国はなんと人の命を大切にしないのだろう……」

時間とも闘い

ちなみに欧米諸国では、第2次世界大戦の戦勝国、敗戦国を問わず、軍人・軍属と民間人とを区別することなく補償を行っており(国民平等主義)、さらに自国民と外国人を区別することなく、戦争被害者に対する補償を行っている(内外人平等主義)。

判決後、原告らは控訴した。闘いの場は大阪高裁へと移ることになる。だが、原告の平均年齢78歳。先月も原告の永井佳子さん(享年79)が亡くなったばかり。まさに時間との闘いである。国が進めた戦争によって被害を受けたにもかかわらず、民間の空襲被害者だけが放置されてきたことは明らかな差別である。「このままでは死ねない」という原告の心からの叫びを、一人ひとりが受け止めてくれることを祈らずにはいられない。

Comments Closed