仮設住宅 宮城の冬

記者: 栗原佳子

再建に立ちはだかる寒さ
立ち遅れる工事

東日本大震災から9カ月が過ぎた。津波の傷跡も癒えぬまま、沿岸部の町も冬に突入した。

▲本格的な冬を迎え、防寒対策が急ピッチで進む 風除室の設置工事

愛しい人を突然奪われ、住み慣れた我が家を失い、迎える初めての年の瀬。 仮設住宅で生活再建の足がかりをつかもうとする人たちに、東北の寒さは容赦ない。
午後4時ともなると、冬の東北はもう夕方の様相を呈してくる。12月半ば、宮城県東松島市牛網の小野駅前仮設住宅。JR仙石線の陸前小野駅は、あの日以来時間が止まったまま。周辺には更地が広がり、西陽が差す中、職人さん3、4人が一心不乱にノコギリをひいていた。

聞けば風除室(ふうじょしつ)を作っているのだという。玄関廻りを覆う小部屋のことだ。ほとんどの仮設住宅には玄関の「たたき」がなく、扉を開けた途端、雨風が吹き込んでしまう。寒冷地には必須の設備である。

宮城県、岩手県、福島県の仮設住宅はあわせて5万戸を超す。床は板張りに薄いカーペッ

▲窓の隙間を埋める工事

ト。秋以降、各県で断熱材の補強やガラス窓の二重化、そして風除室の設置など仮設住宅の寒さ対策が取り組まれてきた。しかし、戸数の多い宮城県は、特に工事が大幅にずれ込んでいるという。

外気にしばらく触れていると手がかじかみ、メモを取るのもおぼつかなくなるほど。翌朝から、この冬一番の大寒波が到来すると、天気予報が伝えている。

再建に立ちはだかる寒さ
私だけ助かって…

武田文子さん(61)は娘と孫2人の4人で入居した。同市野蒜の自宅は跡形もない。5カ月余りの避難所生活を経て、8月半ば、ここに引っ越した。6畳2間と4畳半の3K。市内はもちろん、石巻市からの入居者もいる。全80戸。武田さんはこの仮設住宅の自治会長だ。

ここに暮らして4ヵ月、人々が段々、すさんできたように思え、気になっている。

「お酒の量が増えている人も多い。仕事がない人もたくさんいます。雇用する会社もない。若い人もそうなのだから年齢のいっている人はなおさらです」

震災から9カ月が過ぎ、避難所の人々も仮設に移り、被災地は一定落ち着いたと思われがちだ。しかし、武田さんは「来年のほうが大変。2年後はもっと大変になるはず」という。環境が激変し、忙しさに追われているうちはむしろ安心。「これからどんどん寂しくなる。だから、ここに住むのに慣れてきたときが怖いんです」と懸念する。

武田さん自身、自らを苛み、9カ月を過ごしてきた。

あの日、近所に住む親戚のおばあちゃんを車の後部座席に乗せ、指定避難所を目指した。しかし、津波に巻き込まれてしまう。ハンドルは空しく空を切り、「おばあちゃん、もうダメかもしれないね」と諦めを口にしたその直後、車は民家の庭に押し流された。脱出できると思ったのも束の間、ドアが開かない。胸まで水位が上がり、今度こそ終りと思った時、巨木が後部ガラスに突っ込んだ。

しかし、おばあちゃんは助からなかった。

▲スクールバスが到着、仮設の我が家に走り出す園児たち=東松島市

「いまだに後悔しますよ。私だけ助かってしまって……。助けに行ったのに、助けられんかった。もっと早く、5分でも、3分でも早く逃げればよかったって」

あの時のおばあちゃん、あちこちから聞こえた「助けて」という叫び。武田さんの胸に突き刺さったままだ。「ようやく話せるようになったんですよ」と、武田さんは複雑な表情を浮かべた。

仮設住宅に併設された集会所。入り口にささやかなクリスマスツリーが飾ってあった。薄いカーペットを敷き詰めたフロアに直に座っていると、例えエアコンが効いていても、お尻や足がジンジン冷えてくる。仮設の部屋も全てこのタイプだ。クリスマス明けの26日、この仮設にも、ようやく畳が入るのだという。

電信柱より高い波
自治会組織なく

東松島市内の別の仮設に入居する渡会正美さん(72)は浜市地区に住んでいた。浜市は鳴瀬川を挟んで野蒜の対岸にあり、海と川からの波にのまれ、壊滅状態になった。

一人暮らしの渡会さんの仮設は1DK。4畳半の部屋は、こたつに入ったまま、なんでも手が

▲心配なのは火災。各棟の隅に水の入ったバケツが=気仙沼市

届いてしまうほど。お風呂も狭く、足の悪い度会さんには苦行そのものだ。

あの日、目撃した津波は「電信柱より高かった」。黒い波が壁のように正面に立ちはだかり、「家や車をガラガラ巻き込みながら」迫ってきたという。急いで車をUターンさせた。渋滞に巻き込まれなかったのは幸いだった。あの時、目の前を横切った自転車の男性はどうななっただろうかと、いまも気になる。

浜市は災害危険区域になり、家を建てることはままならない。集団移転の話もあるが、渡会さんは、早く公営住宅を建設してもらいたいという。

地元の小さな工場で働く人たちを車で送迎していた。しかし人々は震災後、ちりじりになった。結果的に渡会さんは仕事も失くした。先のことを考えると不安は尽きない。

「家もない、金もない、仕事もない。いっそ、あの津波で死んでしまったらよかったと思う」

渡会さんはそうつぶやいた。

東松島市に隣接する石巻市。この震災で最大の被害を出し、市内には約130カ所、8000戸の仮設住宅がある。その中でも最大規模の仮設団地が開成仮設だ。市街地から車で10分。低山に囲まれた広い敷地は、企業誘致のために開発された「石巻トゥモロービジネスタウン」。第1仮設から第14仮設まで計1100戸。まさに大規模な「街」だ。

この開成仮設は6月から入居が始まった。9月には60代の一人暮らしの男性が死後1週間の遺体で発見されている。自殺だったという。それだけに、人と人とを結びつける自治組織づくりが急がれるが、まだどこも発足していない。石巻市全体でもまだ数は少なく、つい最近、複数の仮設の自治会役員が「連合会」を立ち上げたばかりだ。

開成仮設のある集会所をのぞくと、中央の長机に、凧や模型飛行機のキットを広げた男性がいた。佐藤實さん、75歳。「暇な人がいたら一緒に作ってもらえたらと思って」。

2Kの部屋に妻と2人で暮らす。自宅は津波、そして火災にのみこまれた門脇町にあった。娘夫婦と2世帯用に建て替え、わずか7カ月。ローンだけが残った。

家を再建するにも、年齢がネック。娘夫婦は横浜で再出発をしたという。人一倍寒がりの佐藤さんには、仮設住宅の寒さが身にしみる。

寒風吹きすさぶ中、プレハブの合間を、菊田つね子さん(86)が手押し車を頼りに歩いていた。石巻市の雄勝町出身。250人以上が死亡、「壊滅」と伝えられた地域だ。

長女夫婦と暮らしていた。地域の基幹病院「雄勝病院」で働いていた娘婿はいまも行方不明。病院には3階の屋上まで波が押し寄せ、入院患者・職員70人のうち生き残ったのはわずか数人だという。

石巻市渡波に住む次女も津波で命を落とした。「私より先に行くなんてね」。菊田さんのため息が白く、細く、冷たい空気に溶けていった

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