川に魅せられ、裏切られ

記者:矢野宏

 昨年9月の台風12号による水害から4カ月が過ぎた1月8日、被災地の一つ、和歌山県新宮市熊野川町に読者の辛嶋彰さん(70)を訪ねた。定年退職後に夫婦で移り住んだ家は床上浸水となり、西敷屋地区の集落は水没して一時孤立した。今なお災害の爪あとが残る被災地を、辛嶋さんに案内してもらった。

「まさかの水位上昇で孤立」

昨年8月25日にマリアナ諸島近くで発生した台風12号は、9月3日に高知県に上陸し、四国・

▲台風12号水害で熊野川町の家が床上浸水した辛嶋さん夫妻

中国地方を縦断して4日未明に日本海へ進んだ。西日本から北日本にかけて広い範囲で記録的な大雨を降らせ、死者・行方不明者94人、全・半壊家屋が3200棟を超える甚大な被害をもたらした。

被災地の読者に安否確認をしていく中で、新宮市熊野川町の2人になかなかつながらなかった。連絡が取れたのは1カ月以上たってから。森朗さんは熊野川から離れた山間部に住んでいて無事だったが、辛嶋さん宅は床上浸水していた。妻の千恵子さん(69)も右手首を骨折して新宮市内の病院に40日ほど入院していたという。

台風惨禍から4カ月、辛嶋さんからの年賀メールにはこう記されていた。

<昨年は台風による増水で悲惨な状況となりましたが、旧年中に家の中はほぼ復旧し、今年は物置の整備や畑の修復にかかろうかと思います。まだまだ先は長いのですが、ぼちぼち歩んでいきます>

▲熊野川から道路を隔てて石垣の高台にある辛嶋さんの家

被災地の現状はどうなっているのか。辛嶋さん夫妻への見舞いも兼ねてJR紀伊田辺駅へ向かった。

改札口で辛嶋さんが待っていてくれた。台風12号の影響で運休していた紀伊本線は、昨年12月3日に紀伊勝浦―新宮間の運転再開で全線復旧したが、新宮へ向かう便が少なくて時間もかかるため、60㌔離れた自宅から車で迎えに来てくれたのだ。

千恵子さんの容態を尋ねると、「新宮市内の病院で週3回リハビリを行っています。片道30㌔で、ほぼ1日おきの送迎はなかなか大変です」。

「勉強不足の市議視察」

熊野川町は和歌山県の東南端、熊野川流域に位置し、面積の95%を山林が占めている。人口2000人あまりの過疎の町で、2005年10月に新宮市と合併した。台風12号による水害で5人が亡くなっている。

▲普段はゆったりとした流れを見せる熊野川(辛嶋さん撮影)

「新宮市の市街地は一部で冠水はあったものの、合併後に市に編入された熊野川町との間では被災の捉え方に大きな差があるようです」

新宮市議会の災害復興対策特別委員会の議員団が熊野川町を視察したのは災害から2カ月近くたってから。西敷屋地区を訪れたとき、ここで2人亡くなったということさえ知らない市議もおり、「ここでも亡くなったのですか」と驚いていたという。

「合併すべきではなかったのかもしれません。職員も減らされ、その後の対応も十分とは言えませんから」

▲台風で増水すると、「湖」と化す(辛嶋さん撮影)

辛嶋さん夫妻は田舎暮らしに憧れ、2001年に大阪・松原市から熊野川町西敷屋に転居した。千恵子さんが家の中から望める熊野川の風景に心惹かれ、一軒家を500万円で購入、さらに500万円かけてリフォームして第二の人生を歩み始めたのだ。

「川に魅せられ、川に裏切られました」

千恵子さんは少し恨めしそうに呟いた。

道路を挟んで熊野川と向かい合っているが、川面から道路までの高さは5㍍ほどあり、自宅はさらに10㍍近い高台にある。ここ10年で熊野川が増水したことは何度かあったが、冠水したのは道路まで。いくら水位が上昇しても自宅に迫ってくることはなかった。

熊野川町では台風12号が接近する2、3日前から強い雨に見舞われ、9月2日からは土砂降り状態になった。3日には停電となり、テレビやパソコンを見ることができなくなった。市の防災用スピーカーも故障していた。台風情報もわからないまま、自分たちの判断で避難しなければならなかった。

3日午後8時、熊野川の増水はいったん小康状態になった。このまま収まるのではと思ったが、2時間後に再び水位が増してきた。辛嶋さん夫妻が高台にある寺へ避難したのは11時ごろ。「まさか水が家に来ることはないだろう」と、家財道具はそのままにしていた。

翌朝、熊野川は湖と化していた。地区内30軒あまりのうち、浸水しなかったのはわずか数軒。辛嶋さん宅も床から1㍍ほど水に浸かっていた。
交通・通信も寸断され、集落は孤立した。水害で2人亡くなったが、警察と連絡がついたのは2日以上たってから。市から派遣されていた職員でさえ、市や行政局(旧熊野川町役場)と電話もできなかったという。

その後、熊野川上流にできた土砂ダムが決壊する恐れもあるので避難勧告が出され、辛嶋さん夫妻は松原市から迎えに来た息子の家に避難した。
10日後、「荒れたままで捨てられない」と帰宅したとき、水は引いていたが、どの部屋も泥だらけで悪臭を放っていた。床の下から水が吹き上げ、畳はすべて押し上げられていた。タンスから飛び出した引き出しや押入れの中のファンシーケースにまで泥水が入っており、洗濯機や風呂の浴槽の中も泥がたまっていた。冷蔵庫やテレビ、パソコンなどの電気製品、さらには10数万円かけて買ったばかりの電気温水器も水につかって駄目になっていた。

「40年間、こつこつと買いためてきたものがすべて駄目になりました」

家財道具のほか、水没した車2台も入れると、損害額は500万円を下らないという。

「私の息子たちに母が編んでくれたセーターや、私が3歳のときに戦死した父の形見の羽織もすべて捨てました。残念でした」

水に浸かっていた室内の壁は崩れ落ち、畳もすべて使えない。床板も張り替えねばならず、知り合いの大工に見てもらうと、家の修繕だけで240万円はかかると言われた。

「帰ってきてや」と町の人 発電用ダム 放流せず

ここに再び住めるようになるのだろうか――。2人の気持ちは揺れた。

▲床上浸水して部屋はどこも泥だらけだった(撮影・辛嶋さん)

息子たちは「大阪に帰って来たらいい」と言ってくれたが、西敷屋地区に戻ろうと決意したのは、地元の人たちの「帰ってきてや」という一言だった。

「ここの人たちに優しくしてもらいましたから。みなさん高齢者で、私たちが頼りにされている、必要とされているという気がしたのです」と千恵子さんは振り返る。

40年前の辛嶋さんの同僚をはじめ、定年まで住んでいた松原市の友人たちの物心両面にわたる支援も大きかった。衣服や食器、家財道具も送ってくれただけでなく、自宅の片付けも手伝ってくれた。

「この服も友達のお下がりなんです。友達と一緒にいるような気がして心強いんです」

▲国道168号沿いを走ると家屋が全壊していた

それに対して、行政の対応は冷たいものだった。県と市からの見舞金・義援金は10万円。大規模半壊(23万5000円)ではなく、床上浸水と認定されたためだ。

「建築家は『大規模半壊』だと診てくれたのですが、市側の調査員は窓が割れていたら半壊というように目視での認定なのです。しかも、調査に来たのは修理しているときでしたから」

辛嶋さんは再調査を申し込んだが、市からの回答は再び「床上浸水」と書かれた通知書1枚のみだった。

「東日本大震災の人たちも私たちのような嫌な思いをずっとしているんだなあと思いましたね。カンパだけでなく、顔を見せて声をかけてあげたいですね」

深く険しい山々、その山間を流れる熊野川に沿って新宮市内に向かう。台風直後、崖崩れで、国道168号は17カ所にわたって決壊した。通行可能になったのは40日後で、今も随所で片側通行を強いられている。元通りに回復するには2、3年かかるという。

「今はだいぶましですが、車が通ると土ぼこりが巻き上がっていました」

冠水した国道から水が引いたあとに残った泥が乾いたためだ。熊野川沿いには木や竹などがなぎ倒されている。

熊野川町志古に入ると、鉄骨だけになった建物が視界に飛び込んできた。熊野交通(新宮市)が運行している熊野川の「瀞峡(どろきょう)ウオータージェット船」の乗船場と事務所だったところで、台風による水害で壊滅的な被害を受けた。ウオータージェット船は和歌山、三重、奈良との県境を流れる国の特別名勝「瀞峡」を巡る観光遊覧船。事務所にはレストランや土産店も入っており、2カ月前に改装したばかりだったという。

さらに、コンクリートの基礎部分だけを残した建物跡も。「居酒屋 和幸」という看板が横倒しになっていた。周りの土の中には湯飲みや茶碗、一升瓶などが埋もれていた。津波で流された東日本大震災の被災地と重なって見えた。

日足地区にある行政局(旧熊野川役場)。隣の開発センターには「がんばろう熊野川町」と書かれた垂れ幕が掲げられている。台風で50人に近い住民がここに避難していた。水位が上昇してきたため、ボートで裏山へ行き、熊野川小学校に逃れたという。

川沿いのAコープは全壊していた。移転を伝える張り紙があり、中を覗くと天井や壁が剥がれ落ちるなど、水害のすさまじさを物語っていた。

熊野川町田長の国道沿いにあった「道の駅瀞峡街道 熊野川」は整地された土地と駐車場跡が広がっている。隣接した熊野川町森林組合の事務所も跡形もなくなっていた。

随所に崩落の跡が残っている。そのいくつかは熊野川に流れ込み、形状を変えているところもあった。

熊野川上流にある11ダムのうち6つのダムを電源開発が利水運用している。
「田辺市の市議が『台風の雨量が増す前にダムから放流していれば災害が軽減できたのではないか』と指摘したら、『利水ダムには放流する義務はない』と答えたそうです。一級河川でも民間会社が自分たちの都合によって思うように管理しているのですね」

エネルギー政策という「錦の御旗」のもと、儲け優先の大企業は何か事があれば、「地域弱者」を平気で切り捨てる。その構造は、東京電力福島第一原発事故と似ている。

Comments Closed