あれから1年災害弱者はいま

記者:栗原佳子

東日本大震災から1年。被災地の沿岸部にはいまも津波の爪あとが痛々しく残り、津波や原発事故によって34万もの人たちが避難生活を余儀なくされている。なかでも被災した障害者は厳しい環境に置かれ、より多くの困難に直面してきた。

昨年3月11日、鷲見俊雄さん(52)は仙台市若林区の自宅で地震に遭った。築約30年の鉄筋10階建てマンション2階。車いすに乗った状態で、激しい揺れに翻弄された。目の前で、壁に亀裂が走っていく。生きた心地がしなかった。

脳性まひの鷲見さんは起床と就寝時の身体介護と週4回の家事援助を受けながら一人暮らしをしている。大地震が襲ったのは、昼の家事援助が終わり、外出の準備をしている最中だった。

携帯電話はまもなく通じなくなった。電気もストップ。外はだんだん暗くなっていく。いつもなら就寝介助に来るヘルパーも、この日は音沙汰がなかった。情報に隔絶された部屋で、鷲見さんは一人、一夜を明かすことになる。 

「何度も余震がありましたし、もし建物のどこかで火災が発生して、燃え広がってきたら……とぞっとしました」

厳しい寒さ。加えて、雪まで降りはじめた。「玄関のドアが開かなくなって、車いすで何度か体当たりしてようやく開きました。寒いけれど、そのままドアを開けっ放しにしていたのです」

 

 

翌朝、ようやくヘルパーが安否確認に。鷲見さんは初めてマンションに倒壊の恐れがあり、避難命令が出ていることを知らされた。そして一人、取り残されていたことも。

ヘルパーにおんぶされ、近くの避難所へ。「避難所の介助態勢は? トイレは? 不安が次々と湧き、緊急時のケア態勢について全くといって無知だということを思い知らされました」。市内に住む妹と甥が捜しに来てくれ、その日のうちに妹の家に身を寄せた。マンションの安全が確認され、自宅に戻ったのは5月のことだった。

鷲見さんは県内の授産施設で作る「きょうされん宮城支部」事務局長。長年、障害者が安心して暮らせる社会をめざし運動してきた。しかし震災という極限状況は、社会の現実をあぶりだした。支援の手を広げるため被災障害者の実態把握に務めたが、行政に名簿開示を阻まれたことも。個人情報保護法が壁になった。

震災による障害者の犠牲は健常者の2倍超というデータがある。内閣府が岩手、宮城、福島3県の沿岸自治体の障害者関係の団体に調査した数字で、把握できている9000人の障害者のうち2・5%にあたる230人が死亡、または行方不明になっているという。住民全体に占める死者、行方不明者は1%弱。障害者がより危険な立場におかれている実態が浮かびあがる。

宮城県東松島市の石森祐介さん(26)は迫り来る津波が目に焼きついて離れない。

あの日、沿岸部の立沼の自宅で猛烈な揺れに見舞われた。「家に母と祖母がいました。外に出たら、塀くらいの高さの津波がすーっと迫っていました。すでに玄関まで水が入ってきていて、2階に駆け上がりました」

脳性まひの石森さんは電動車いすを利用しているが、家の中では自分の足で歩いて移動する。「歩けてよかった、が実感です」。1階はほぼ水没、車いすだったら助からなかったと思っている。

かろうじて自宅は流失せずに残った。2階に流れ着いた人たちを助け上げ、一緒に暗闇の中、不安な夜を過ごした。

市内の叔父の家で避難生活を送り自宅に戻ったのは5月。辛かったのは自力で移動ができなくなったことだ。いつも利用していたJR仙石線は津波でズタズタになっていた。

就職活動中だった石森さんだが、震災後、求人は激減した。「いっそ東松島を出ようか」。そんな思いにかられていた昨年夏、石巻市の阿部俊介さん(29)と再会した。車いすの阿部さんは震災後発足した「被災地障がい者センターみやぎ」の活動に参加していた。被災障害者の把握のため仮設住宅を回ったり、支援物資を届けたり。その姿に触発され、石森さんは、昨年10月開設された石巻支部のスタッフになった。

震災1年を前に待望のミニコミ紙『にょっきり!』の創刊にこぎつけた。A4判4ページ。障害児を抱える母親と石森さん、阿部さんの座談会がトップ記事だ。お勧めの店紹介など、地元に密着した内容で、石森さんらが車いすで取材に回った。そのなかで改めて気づいたのは「私たちのような車いすの人たちを見ることがあまりない」ということ。「これまではそれぞれ事情があるんだろうと思ったけど、やはりそれはおかしいと思うようになりました」

障害の有無にかかわらず生き方を選択できる住みよいまちであるように。石森さんは強くそう願っている。

福島県郡山市で3月10日、開かれた「障がいを持つ人の東日本大震災」と題したシンポジウム。報告者の一人に日本ALS協会福島県支部理事の安田智美さん(40)がいた。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、全身の運動神経がだんだん侵されていく難病だ。昨年11月に他界した安田さんの父親も患者の一人だった。報告は「難病者の3・11」と題し、実体験を織り交ぜた。

ALS患者は人工呼吸器など医療機器によって生命を維持する。たん吸引器、電動ベッド、電気毛布、「伝の心」という意思伝達装置。電気の必要なものに囲まれ在宅で24時間の介護を受け、「それらが一つでも欠けたら即、命に関わるような状況」にある。

あの日、郡山も激しい揺れに見舞われた。停電、断水。電話は不通。病院や保健所などへの連絡が不可能になったうえ、ガソリン不足で訪問看護もままならない。さらにいま、放射能という見えない凶器が暗い影を落としている。

福島県では、事業所の避難やヘルパーの自主避難が続出。「ALS患者は意思疎通にしても体位交換にしてもかなり微妙な調整が必要で、慣れるのに何カ月もかかる」(安田さん)ため、患者にとっては死活問題だという。

▲郡山で開かれたシンポジウム

「支援者も子どもの身を守らねばならない。でも患者の側は『見捨てていくのか』と。避難先から戻るヘルパーさんもいますが、既に信頼関係が壊れてしまって、以前のように関係を築けないという相談も受けます」。では、いったいどうしたらいいのかーー。いまも安田さんには答えが出ない。ただ、築き上げた信頼関係が壊れてしまうのが悔しい。この原発事故によって。

福島ではなおも、「災」は現在進行形だ。

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