「慰安婦」「住民虐殺」 沖縄県が削除

 32軍司令部壕説明版

記者:栗原佳子

 住民を巻き込んだ地上戦が展開された沖縄で、この春、県が那覇市の首里城公園内に沖縄守備軍=第32軍の司令部壕説明板を新設した。しかし外部の検討委員会が作った文案から「慰安婦」「住民虐殺」の文言を一方的に削除。県当局が沖縄戦の史実を歪めるという異例の事態に波紋が広がっている。

 那覇市郊外の高台にある首里城公園。琉球王国時代の王宮、首里城が絢爛な姿で復元され、沖縄の歴史・文化を象徴する一大名所だ。

設置された説明版。奥には当時の構築物が残る=首里城公園

 一方、その地中には、網の目のようにいまも壕が張り巡らされている。太平洋戦争末期に構築された沖縄守備軍=第32軍の司令部壕だ。南北400㍍、総延長1㌔超。米軍上陸後、首里城は2カ月に及ぶ日米の攻防戦の焦点となり、結果、米軍の攻撃で灰燼に帰した。
 守礼門から正殿へと向かう観光のメインルートを外れ、龍譚池へと向かう石段を降りる。この辺りは司令部壕の坑口6カ所のうち第1坑口があった場所。トーチカの跡などが当時を伝える。しかし、樹木や雑草が生い茂って〝負の遺産〟を覆い隠しており、案内板などがなければそのまま通り過ぎても不思議はない。
 今年3月23日、沖縄県はこの場所に司令部壕の説明板を設置した。第32軍の創設から司令部壕の構築、南部撤退への経過、内部の様子などが日本語、英語、中国語、韓国語で表記されている。問題となったのは以下の「壕内のようす」の記述だ。
 《司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属などが雑居していました。戦闘指揮に必要な施設・設備が完備され、通路の両側には兵隊の2、3段ベッドが並べられました。壕生活は立ち込める熱気と、湿気や異様な臭いとの闘いでもありました》
 原文には「軍属・学徒、女性軍属」に続き「慰安婦」と書かれていた。そして末尾はこの一文で締め括られていた。「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」

 原文を作成したのは県が設置した検討委員会(委員長=池田榮史・琉球大教授)の4人。検討委員の一人、沖縄平和ネットワーク代表世話人の村上有慶さんは怒りをこめる。
 「県からは説明板を設置する目的を『沖縄戦の実相を伝えるため』と聞いた。なのに、その根幹になる『慰安婦』や『住民虐殺』を削除し、翻訳文からは『捨て石』や『南部撤退が住民の戦没者を増加させた』ことまで消し去った。住民の証言や沖縄戦研究の成果を県が踏みにじるのか」
 検討委が設置されたのは昨年10月。表記できる文字数は600字。腐心して文面を作成した。ところが今年2月、県側から記述削除の一方的な通告。委員が抗議し、担当部局部長と面談する約束の日の前日、突然、説明板は設置されてしまったという。
 削除の背景には一部の勢力からの抗議があるとされる。検討委設置が報じられた昨年秋以降、県にはファクスやメール、電話が相次いだのだという。きっかけの一つは保守系のネットTV「チャンネル桜」の番組。さらに相前後して自衛隊OBが県に意見書を提出。「設置した場合は器物損壊する」とまで伝えていたという。
 この自衛隊OBは4月、那覇市で開かれた司令部壕問題を考えるシンポで会場から発言、「慰安婦や住民虐殺の記述は日本軍を貶める」などと持論を展開している。

 沖縄県内には戦時中、130ヵ所の慰安所が設置されていたことがわかっている。司令部壕内に「慰安婦」とされた女性がいたこと、壕周辺で住民虐殺があったことの証言や資料も数多く残されている。 「私の記憶を削除するということは、私の過去に空白が出来るのと同じです。色々都合の悪いことを隠すのは、政府がままやることですが、それを県がやるとは……」
 当時、鉄血勤皇師範隊員として司令部壕にいた渡久山朝章(とくやま・ちょうしょう)さん(83)=読谷村=は「慰安婦」と一緒に壕掘りもした。

渡久山さん

 「4、5人の女性が半そで半ズボン姿で泥にまみれて一生懸命掘っていました。色が白く、兵隊たちは色々と、卑猥なことを言っていました」
 さらにある晩、壕の外で異様な叫び声を聞いた。「師範学校の実習田の真ん中に電柱があり、そこにみすぼらしい女性が後ろ手に括られていました。それを数人の女性たちが順番に『えい、えい』とナイフを突き立てていました」
 最後に将校が歩み出て日本刀を抜いた。「このスパイめ」。後に、殺されたのは民間人とわかった。精神を病み、住民が隠れている壕を覗き込んでは、方言で叫んでいたという。「何かあればこうなるという見せしめだったのでしょう。県当局は、亡くなった人たちの前に臆することなく説明板を建てられるのでしょうか」

 第32軍司令官、牛島満中将は1944年8月31日、各部隊に対し「防諜に厳に注意すべし」と訓示。米軍上陸まもない4月9日には司令部として「軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以って談話しあるものは間諜とみなし処分す」と通達している。当時の年配者は標準語を喋れない人が大多数。「軍隊は住民を守らない」どころか、沖縄戦では800人以上の住民が「スパイ」とみなされ日本軍に殺された。
 那覇市に住む譜久山ハルさん(84)にはいまも目に焼きついてはなれない場面がある。
 「あのおじいさんたちがスパイであるわけないのに」
 当時、南部の東風平町にあった野戦病院の正看護婦。病院といっても自然壕を利用したもので、ある日、そこに行商人が2人やってきた。それぞれのかごに黒砂糖と芋。方言しか喋れない高齢男性だった。
 譜久山さんは芋を買い、2人は壕を後にした。それを軍医が引きとめた。「怪しい。処分しなさい」。後ろ手に縛られた2人は兵隊に次々と刺され、絶命した。

譜久山さん

 第32軍は米軍上陸から2カ月後、首里城の司令部壕を放棄、南部に撤退を開始する。時間稼ぎの「捨て石」作戦だ。譜久山さんの病院も解散、青酸カリによる重症患者の「処置」命令が下された。譜久山さんが重い事実を語れるようになったのはまだ10年前。「なんで県は、あったことをないことにするのか」と憤る。

 沖縄本島に上陸した米軍は南北を分断するかたちで進軍した。北部方面の守備にあたったのが独立混成第44旅団第2歩兵隊=国頭支隊だった。トップ宇土武彦大佐の名から通称・宇土部隊。県立三中生で鉄血勤皇隊員だった大城晃さん(83)=西原町=は通信隊に所属した。「隊長自身が遊郭の女性を連れていたそうです。北部にも慰安所ができましたし、住民だってみんな知っていること。それをひっくり返そうだなんて話になりません」
 北部には避難民が疎開、軍民が雑居していた。国頭支隊の方針は秘密戦であり、「防諜」を徹底した。大城さんの同級生は国民学校校長がスパイの嫌疑をかけられ連行される場面に遭遇、後に瀕死の姿を見た。大城さん自身、殺害された避難民2人の遺体を目撃している。「親子だったと聞きました。本当にかわいそうでならない」

大城さん

 北部では組織的な戦闘が終わった6月23日以降もゲリラ戦が続いた。その中で、敗残兵による住民虐殺も続出。大宜味村渡野喜屋で日本兵が民間人を襲った「渡野喜屋事件」では35人が殺され、15人が重軽傷を負っている。

 沖縄戦をめぐっては、史実を改ざんする動きが繰り返されてきた。2007年の「集団自決」をめぐる教科書検定問題、昨年来の八重山教科書問題。1999年には保守県政の稲嶺知事時代、新平和祈念資料館の展示改ざん問題が起きている。このときも展示担当の監修委員は寝耳に水。指示したのは稲嶺知事で、当時「国のやったこと、国策を批判するようなことはいかがなものか」と語ったという。

 今回の説明板の削除を最終決断をしたのは仲井真知事。会見では「相反するいろんな意見があり、確認されていない」と理由を説明している。
 脅迫も交えて沖縄戦を美化しようとする輩は卑劣極まりない。しかし、なぜこうもあっさり屈してしまうのか。その経緯は未だ明らかにされていない。検討委員会の再三の抗議と「文言復活」要求を、県はいまも拒否している

Comments Closed