大阪空襲訴訟結審

「他の戦争被害者と同等に」

記者:矢野宏

太平洋戦争末期、1万5000人の犠牲者を出した大阪大空襲の被害者や遺族が国に謝罪と損害賠償を求めた「大阪空襲訴訟」の控訴審が9月24日、大阪高裁で結審した。判決は来年1月16日に言い渡される。

国は、1952年に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を制定。翌年には「軍人恩給」を復活させるなど、旧軍人・軍属とその遺族にはこれまで50兆円を超える恩給や年金を支給している。援護の対象は引揚者や沖縄戦被害者(一部)へと広がり、被爆者や中国残留邦人に対する援護法も成立したが、民間の空襲被害者だけ何ら補償されていない。

昨年12月7日の一審判決では、「補償を受けた者と原告との差異は不合理とは言えない」として請求を棄却。これでは納得できないと、原告23人が控訴し、空襲被害者を救済せずに放置してきた国の責任を追及しようとしたが、第2回口頭弁論で結審となった。

この日、空襲被害者5人が最後の意見陳述を行った。

45年7月10日の第6次大阪大空襲(堺大空襲)で母と姉2人を亡くし、自身も大けがをした堺市堺区の奴井利一郎さん(70)が「(一審判決の)『補償を受けた者と原告との差異は不合理とは言えない』とはどういうことですか。旧軍人・軍属にはこれまで50兆円の補償があるのに、民間の空襲被害者はゼロ。情けない国です。原告は身体に傷を負っている。(裁判長)それが自分の親やったらどうですか」と怒りをぶつけた。

続いて、爆弾の破片で左足に大けがを負った兵庫県西宮市の森岡惇さん(79)が「戦後67年という長きにわたり、人権蹂躙されてきました。国家の卑劣ないじめに耐え忍んできました。あまりにも悲惨です。いちるの望みを司法に託しましたが、人の痛みをわが身に置き換えて考えてはくれませんでした。国民でありながら国家から救済されないなんていいのでしょうか。悲しいです。残念です。空襲犠牲者の人権を尊重した判決をください」と訴えた。

大阪府田尻町の吉田栄子さん(77)は45年3月13日深夜の第1次大阪大空襲で両親、姉2人、弟、同居していた叔父一家の計9人を亡くして戦災孤児になった。 当時10歳。「両親たちはなぜ死ななければならなかったのか。悔しい思いをした家族のことを思うとき、訴えていかねばならないと裁判に参加しました。私もあと何年生きられるか、両親たちに嬉しい報告をさせて下さい」

45年6月1日の大空襲で母と弟を亡くした大阪府吹田市の渡辺美智子さん(81)は「23人の原告のうち、すでに3人が亡くなっています。戦争を二度と起こさないためにも、よりよい判決をいただけたらと思います。ただそれを願うのみです」と切実な願いを述べた。

最後に意見陳述を行った大阪市住吉区の田中正枝さん(72)は「原告側の証人申請を取り下げられました。一審で提出した資料と訴えを見て、私たちの立場を十分理解してくれたということでしょうか」と問いかけ、こう締めくくった。

「空襲被害者は戦後67年間、国から援助も一切なく、無視され、放置され続けてきました。特別な扱いをしてくれと言っているのではないのです。(補償を受けている)他の戦争被害者である旧軍人・軍属、引揚者らと同等に扱ってほしいと訴えているのです」

5人が意見陳述を行うたびに、傍聴席からは拍手が沸き起こった。

第1回口頭弁論で「裁判長、ご自身の身に置き換えて考えてください」と涙ながらに訴えた原告団代表世話人の安野輝子さん(73)は、裁判のあとの報告集会で、「たくさんの命を犠牲にした後始末がこれで終わろうとするのか思うと力が抜けました。でも最後まで力を振り絞り、国の答えを聞きたいと思います」と決意を語っていた。

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