福島・伊達市ルポ

地域分断した避難勧奨地点指定

 東京電力福島第一原発の事故からまもなく2年。政府が放射線量の局地的に高い地点として指定した「特定避難勧奨地点」という線引きが、古くからの地域社会を切り裂いている。面ではなく点による区分けにより隣同士で指定の有無が分かれ、さらに賠償金が事態を複雑にした。わずかな放射線量の違いが地域を分断した伊達市霊山町(りょうぜんまち)小国(おぐに)地区に入った。(矢野 宏、栗原佳子)

 JR福島駅から車で約30分。緩やかな山道に入り、伊達市との境界線を超えると同時に、ブルーシートの塊がいくつも目に飛び込んできた。除染したあとの汚染土を詰めた袋が住宅の駐車場や庭先に積まれている。ピッピッと音がすると思えば、ガイガーカウンターがアラーム(毎時0・30マイクロシーベルト以上)を発していた。窓を閉め切った車内だというのに。

 伊達市は福島県の北部、宮城県と県境を接している。このうち小国地区は人口1300人あまり。山間に広がる集落で、大きく上小国、下小国に分かれる。近年は兼業が増えたが、古くからの農村地帯で「農協」の発祥の地でもある。福島第一原発からは直線距離で50㌔離れているが、西隣には福島市内で最も放射線量が高い渡利(わたり)地区があり、全村避難した飯舘村は山一つ隔てて南東側に隣接している。

 「SPEEDIで測定した放射能は北西に流れていた。その先端に位置するのがここだった。震災直後は何も知らされていなかったから、子どもたちも外で遊んでいたんですよ」

 上小国地区の大波栄之助さん(78)はそう振り返る。

 政府が伊達市内に「特定避難勧奨地点」を指定したのは震災から3カ月後の2011年6月だった。

 特定避難勧奨地点とは、年間の積算放射線量が20㍉シーベルトを超えると推定される場所を世帯単位で指定する。強制ではなく、あくまでも避難を勧めるというもので、伊達市では128世帯が指定され、その7割の90世帯が小国地区に集中していた。

 指定の方法はずさんだった。線量測定は1回だけ。それも測定するのは玄関と庭先の2カ所で、いずれも住居の中でも空間線量が低いところだ。しかも、測定するのは10電力会社によって構成されている「電気事業連合会」の職員。両隣が分かれるケースが続出。大波さん宅も指定を外れたが、道向かいの家は指定された。

混乱に拍車

 小国地区の住民たちが、バス3台を連ねて国に乗り込んだのは7月下旬。点ではなく面での指定、そして、子どもたちの避難を訴えた。小国小学校の児童らも「お外で遊びたい」などの手描きのプラカードを掲げた。

 しかし、どちらの願いも聞き届けられなかった。

 それどころかさらなる軋轢が生まれていく。指定された世帯には、他の避難区域の住民と同じように、精神的な損害賠償として東電から1人月10万円が支払われることになった。医療費の一部免除や、国民年金保険料の減免もある。

 一方、未指定の世帯は1人一括8万円(妊婦と18歳以下の子どもは40万円から60万円)の賠償金のみ。指定世帯が受けた税の減免もない。

 下小国地区で工務店を営む秋葉良典さん(40)が小国地区の放射線量が高いことを知ったのは原発事故から2カ月後。家の中を計測すると、毎時1マイクロシーベルト。自然界の放射線量の10倍以上の数値だった。それでも秋葉さん宅は指定を外れた。

 「すぐにでも子どもたちを避難させたい」という妻と話し合いを重ね、昨年4月から妻と中学1年の長男、小学4年の長女を愛知県に自主避難させた。前年の夏休み、愛知のボランティアグループが小国小の子どもたちを受け入れてくれたのがきっかけだった。

 「小国小は福島県内で2番目に除染し、汚染残土はグラウンドに穴を掘って埋めています。鉄筋コンクリートの教室内で毎時0・2マイクロシーベルト。学校側は安心だと言いますが、通学路などは手つかずですから」

 実際、小国小の校門近くでガイガーカウンターで計測すると、毎時0・83マイクロシーベルト、側溝に近づけると、毎時2・05マイクロシーベルトにまで上昇した。

 秋葉さんは仕事の都合で母親と自宅に残り、家族離ればなれの「二重生活」を強いられている。まもなく1年。毎月1回、多い月には3回ほど、自家用車で愛知へ向かう。片道650㌔、車で10時間。高速道路代が片道1万3000円。愛知での家賃、生活費などを合わせると毎月10万円が消えていくという。妻は「家を建てて毎月10万円のローンを支払っていると思ったらいい」と言ってくれるが、経済的負担はかさむ一方だ。

 「指定された人は被災者として認定され、アパート代も高速道路代もタダ。子どもたちの健康を心配して避難しても援助されません。仮に病気になっても自己負担なんです。これでは一度壊れた地域の溝は埋まらないと思いますよ」

疑心暗鬼

 指定された家々も自ら望んだわけではない。だが「新車を買った」「スーパーで贅沢なものを買った」。夏休みに日焼けすると「家族でハワイへ行ってきたらしい」。地区内に噂が飛び交い、疑心暗鬼を生んだ。地区の住民が集う盆踊りは震災後から開かれておらず、収穫祭が中止になったままの集落もあるという。

 「同じ住民同士なのに差がつけば、溝が生まれるのは当然。差別はあってはならない。まずは、集落が一つになることが大切です」

 大波さんは「小国地区復興委員会」の委員長として、指定されなかった地区の住民たちと1年かけて準備を進め、2月5日、政府の原子力損害賠償紛争センターに裁判外紛争手続きを申し立てた。放射線によって従来の生活を送れなくなり、精神的苦痛を受けたとして、東電に対し2011年3月11日から和解成立まで指定世帯と同じ1人当たり月10万円の慰謝料を支払うよう求めている。小国地区のほか、同じ霊山町の坂ノ上・八木平地区などで指定世帯がある4地区の住民たち323世帯991人が名を連ねた。

 「金が欲しいだけではないのか、という批判もあるでしょう。でも、他にどういう方法があるのですか。何もやらないでこのまま過ごしてしまうと、ますます溝は深まっていくばかりです」

 大波さんは息子と2人で1・3㌶の田畑を耕し、農業を営んできた。おいしい米が口コミで広がり、顧客との特約契約もどんどん増えていたが、原発事故によってすべて失った。子や孫に自慢の米を送ってやる生きがいさえも。

 「米の作付けの場合は地区全体という『面』で禁止され、特定避難勧奨地点は『点』で捉えている。放射線量の高いところだけを選ぶ指定の仕方は、住民が地域を生活圏としている実態を考えれば無理がある。せめて子どもがいる家庭は同じ条件にすべきだったのではないでしょうか」   一方、伊達市の特別勧奨避難地点の指定は昨年12月14日付で解除になった(3月末まで猶予期間)。生活圏の除染も行き届かない中での打ち切り。住民への説明会もない一方的な言い渡しだった。

 避難した住民たちは戻ってくるのか。「このままでは戻りませんわ」と、大波さんは少し寂しそうにつぶやいた。

自信奪われ

 小国地区に定員15人の小さな宿を守り続けて40年になるユースホステルがある。野菜農家の清野(せいの)秀明さん(63)と母のトクさん(86)が経営する「みさとユースホステル」。秀明さんが広島県上下町(現・府中市)のMG(モダンガイド)ユースホステルを訪ね、ペアレントの森岡まさ子さんとの出会いがきっかけで、1973年、都会の若者に田舎暮らしの素晴らしさを味わわせたいとユースホステルを開業した。

 もともと農家で、米や野菜を作っていた。農作業を体験できるユースホステルとしても注目されたことがある。最盛期には年間2000人もの客が来たという。ここ数年、ユースホステル自体の客離れが加速、年々利用客が減ってきたところに原発事故が拍車をかけた。「なかなか胸を張って来てくださいとは言えない」と、秀明さんは本音を漏らす。

 ホステラーから「おかあちゃん」と慕われるトクさんは「今までは自信を持って食べてもらっていたのに検査して食べさせるんだよ。張り合いがなくなったよ」と寂しそう。

 放射性物質の影響で農作物の生産も思うようにできないばかりか、自分たちが日常食べるものを含め、すべて町の測定機で計って安全なものを食べている。川を隔て仮置き場が広がるが、「みさとYH」も指定はされなかった。

同情から一転

 一方、指定された側の住民の傷も深い。下小国区の佐藤好孝さん(75)は下小国地区の行政区を束ねる区民会の会長。事前の計測で、玄関先が毎時1・80マイクロシーベルト、庭先が毎時2・00マイクロシーベルトと、いずれも高い数値を記録した。

 指定された直後は「線量が高くて大変ですね」と同情的に見られていたが、2カ月後、賠償金の話が広がると、こんな嫌がらせの電話も受けた。「区民会長という立場を利用して指定されたのではないかとか、テレビに出演したことについて出演料をいくらもらったのかとまで聞かれました」。 それでも佐藤さんは区民同士が話し合う場をつくろうと、研修旅行を計画した。道中は何事もなく和気あいあいの雰囲気だったが、夜の宴席でお酒が入ると決まって本音が出たという。

 「指定が解除されても金をもらった事実は消えない。地区全体で賠償金をもらわないと、しこりは消えないのでは」。佐藤さんは、集団申し立ての動きをこう評価した。

 佐藤さんの妻と娘、小学1年の孫娘の3人は10㌔離れた伊達市梁川町へ避難している。佐藤さんは区民会長という責任もあり、ここを離れるわけにはいかないという。

 「これは外(県外)で作っているものです。いっぱい食べてくなんしょ」

 お昼時。避難先から一時的に戻っていた妻のナオ子さん(73)が、お手製のおにぎりと白菜の漬物を出してくれた。

 佐藤さん宅も農家。これまで米や野菜は自分たちで作ってきたのに他の産地の物を買わねばならない。「いちいち説明して食べてもらわなければいけないのです」。佐藤さんも寂しそうに言い添えた。

行政が悪い

 住民間にあつれきが広がる中で放射能に汚染された暮らしを打開する取り組みをしている人がいる。NPO法人「再生可能エネルギー推進協会」の霊山プロジェクト代表の大沼豊さん(69)。自宅敷地内に作ったバイオガス製造実証実験室に案内してくれた。屋根には手作りの太陽光パネルも設置されている。

 地元の公民館長でもある大沼さんは、NPO法人「再生可能エネルギー推進協会」の協力を得て、放射能で汚染された稲わらや雑草、食品廃棄物、出荷できない農作物などの有機資源をメタン発酵技術によりバイオガス化し、回収したバイオガスを熱や電気などに有効活用するプロジェクトを進めている。

 一昨年3月下旬、自分で買った線量計で玄関を測ると、毎時10マイクロシーベルト。安全だと思っていた家の中でも毎時8マイクロシーベルトを超えた。勧奨地点に指定された大沼さんは、県や市、東電による説明会で「私ら夫婦は年寄りだからいい。若い母親に権利を譲りたい」と訴えたが、相手にされなかった。

 「昭和の人間として、私自身も暗黙の了解で原発を推進してきた責任があります」という大沼さん。指定を受けたことで手にした賠償金をこのようなバイオガスの研究費に投じている。

 指定解除は新聞報道で知った。住民同士を引き裂きながら解除を前に説明会すら開かない。「もうこの地域で、国、県、市を信用しているものは誰一人もいないでしょう」

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