橋下氏「慰安婦」発言 人間の尊厳を冒涜している

「証拠」はこの私です

日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長の「日本軍慰安婦」をめぐる発言が波紋を呼んでいる。発言に修正を加えながらも、「慰安婦制度は必要だった」「強制連行はなかった」などの根本は変えていない。被害女性の支援者や戦争体験者も、批判の声を強めている。(栗原佳子)

「必要と誰だってわかる」

発端となった発言について、まずは記しておきたい。

5月13日、月曜日の朝の定例会見で、橋下氏は日本軍「慰安婦」問題について、概ねこのように話した。

「なぜ日本だけが取り上げられなければならないのか。慰安婦制度は世界各国の軍が活用した。銃弾が飛び交う中で命をかけて走って行く時に、精神的に高ぶっている集団に休息させてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」

午後の会見では、午前の発言に関連して「意に反して慰安婦になったかどうかは別にして、軍の規律維持のために、慰安婦制度は必要だった」と強調。さらにその論を強調するようにこう話した。

「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要。普天間飛行場に行ったとき、『もっと風俗業を活用してほしい』と海兵隊司令官に提言した。凍りついたような態度でその話題を避ける司令官に、『そういうものを真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはコントロールできない』と話した」

これに対し、大阪市の市民団体「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」共同代表の方清子(パン・チョンジャ)さんは「これが公的な立場にある人の発言なのか。慰安婦制度が必要だというのは女性の人権を無視した発言で、女性を戦争遂行のための道具としてみている」と批判する。同ネットでは「戦時下で女性の性を活用するのは当然といわんばかりの女性蔑視の発想は、かつて戦場に慰安所を生み出した日本軍の男たちと同じもの」などとする抗議声明を市長宛に提出。5月17日には市民に呼びかけ、大阪市役所を抗議の「人間の鎖」で囲んだ。

高校生だってわかる

橋下氏が会見で「慰安婦」問題について言及したのは昨年8月以来のこと。この8月の会見で橋下氏は、「慰安婦という人たちが軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」として「証拠があるなら出してほしい」と言い放った。橋下氏は「慰安婦」募集や移送などに強制性があったことを認めた1993年の「河野談話」も批判、見直しを求める立場だ。

しかし、もともと「慰安婦」の存在がクローズアップされたのは1991年に韓国の故・金学順(キムハクスン)さんが実名で名乗り出たのがきっかけである。「民間業者がやったこと」だだとシラをきる日本政府の答弁に憤り、「私が生き証人」だと半世紀もの沈黙を破ったのだ。その勇気に続き、韓国国内はもとよりアジア各地の被害女性が声を上げ、ついに日本政府も河野談話を発表するにいたったのだ。今回も狭義の「強制連行」に矮小化して河野談話そのものまで否定するような論調を展開している日本のメディアもあるが、曲解もはなはだしい。

多摩市の保田千世さん(66)は長く交流を続けてきた黄錦周(ファンクムジュ)さん=今年1月、90歳で死去=を主人公にした韓国の児童図書を昨年、翻訳・出版した。黄さんは金学順さんに続いて実名で名乗り出た被害者女性だ。

保田さんは今回の橋下氏の一連の発言は「女性はもちろん、男性も馬鹿にしている」と憤る。元高校教師の保田さんは90年代半ば、黄さんの半生を聞き書きした新聞記事を使って授業をした。そのときのある男子生徒の感想文を思い出したという。「自分は女性を見ると性欲が湧く年頃だが、記事を読んで、だからといってなんでもしていいわけではないとわかった」という内容。「高校生だってわかる。なのに橋下市長は、男は性欲、レイプを抑えられない、そういう頭になっているのでは」

ヒモでつながれて

京都府長岡京市の小北英子さん(90)は、戦争を知らない世代の橋下氏の発言に怒り心頭だ。「ひどすぎる。私が出て行って証言したいくらいです」

小北さんは1941年、再婚した母親が暮らす南洋パラオに渡った。太平洋戦争が起きた年だ。強烈なパラオでの体験の中でも、とりわけ忘れることができないのが「慰安婦」とされた女性たちのことだという。

「当時、慰問なのか、サーカスがパラオに回ってきていたんです。そこに陸軍がやってきて、サーカスはすぐ閉鎖になりました。そのテントをカーテンで仕切っていくんです。慰安所ができたんです」

小北さんは女性たちが10人前後、腰にひもで結ばれていたのを目撃した。「憲兵か軍属のような男性が、刑務所で散歩させるような感じで引っ張っていくんです。自分から女性たちが来ますか? 強制ですよ」

父は小北さんに陸軍の「慰安所」ができた町には絶対行くなと厳命した。「とっつかまえられて、連れていかれるかもしれない、というふうな話でした」

家は郊外で農園を経営していた。そこには時々、「慰安婦」の女性たちが4、5人連れ立ってパパイヤやバナナなどを買いに来たという。

「父から聞いた話ですが、女性たちは仕切られた部屋の中で寝たままなのだそうです。兵隊が行列しているのを班長みたいな人がタイムスイッチを持って。ひどいときには30人も40人も相手をさせられるのだと。身体が大変で、栄養分をとるために、果物を買いに来ていたということです」

小北さんは那覇市出身。オスプレイ配備反対の県民大会に参加するなど、古里、そして平和への願いは人一倍強い。「いつも犠牲になるのは沖縄の人なんですよね」

一時逃れ重ねても

米兵に生身の沖縄の女性たちをあてがえばいいといわんばかりの橋下氏の暴言。しかもその後、あたかも、沖縄の人権向上のための発言であるかのように軌道修正、現地の怒りに炎に油を注いでいる。

「一時逃れのウソでしょう。いくら弁解しても、最初に出てきた言葉が、その人の人格ですよ」と那覇市の宮里洋子さん(72)。宮里さんは、橋下市長の発言を聞き、すぐに大阪市役所に抗議の電話をした。3カ所くらい部署を回され、電話口の担当者に思いをぶつけたが、その男性も当惑気味だったという。

この5月19日、本土復帰41年にあわせた集会が宜野湾市の海浜公園屋外劇場で開かれた。壇上には、元日本軍「慰安婦」だった金福童(キム・ポットン)さん(87)が上がった。市民団体の招きで来日、17日から各地で体験を語る証言集会に参加している。

金さんは日本統治下の朝鮮半島に生まれ、14歳のとき、軍服工場に行くとだまされ中国やインドネシアなどの戦場に送られた。「私が証拠です」。

宮里さんはこの日の大会に参加、「聞きながら切なくてたまらなかった」という。金さんの話を聞きながら、脳裏をよぎったのは、幼い頃に見た光景だった。当時住んでいた家の近くには女性たちがよく立っていた。ジープの米兵が乗りつけるのも見たという。

「小さかったので意味はわからなかったけれど、沖縄戦のあとの苦しい暮らしの中、家族を養うため、食べるために、米兵を相手にして生活を支えた女性たちがいたんです」

にもかかわらず、その女性たちは、必ずしも周囲から温かい目で見られていたとは限らないという。「家族の生活を支えてきたのも女性、辛い思いをしてきたのも女性です、だから橋下発言にはすごく腹が立っています。女性の人権をなんだと思っているのか。性の道具なのか、と」

集会で、金さんが発言を終えた瞬間、宮里さんは壇上にかけあがり、金さんを抱きしめたという。「アイラブユー」。金さんはちょっと驚きながらも笑顔で返した。「アベはダメよ」。日本軍の被害者がどんなにか日本のいまを案じているかを言い表していた。

なお、金さんは24日、もう一人の被害女性、吉元玉(キル・ウォノク)さん(84)とともに、大阪市役所で橋下氏と面会する予定だ。

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