沖縄「屈辱の日」 「主権回復」がってぃんならん

沖縄の日本復帰から5月15日で41年。1972年のこの日、沖縄の施政権は日本に返還された。しかし41年経ったいまも重い基地負担を強いられている。その沖縄で「屈辱の日」と呼ばれる4月28日、政府は「主権回復」を記念する式典を開催した。同日、沖縄で開かれた抗議集会は、政府と、日本社会への怒りと不信に満ちていた。(栗原)

同時刻に開催

沖縄での抗議集会は4月28日、政府が東京で開いた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」と同時刻に設定された。「政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」。県議会の中立・野党会派を中心とする実行委員会が主催した。

会場の宜野湾市・海浜公園屋外劇場は満杯。すり鉢状の客席は通路まで埋まり、入りきれない人が外にもあふれ留ほどだった。ゴールデンウイークにも関わらず1万人が参加したという。

集会はテーマ曲『沖縄に返せ』の合唱でスタートした。三線にあわせ腕を組み、声を合わせる。《沖縄を返せ 沖縄『に』返せ》――。沖縄返還運動の中、全国で歌われた『沖縄を返せ』が原曲だが、「を」から「に」へ、一字の違いで意味は全く変わってくる。Tシャツや鉢巻きなど、緑色の何かを身につけた人たちが多い。平和で緑豊かな島の実現を願うシンボルカラーだ。

米軍政の源流

84歳の中山きくさんも登壇した。県立第二高女時代、補助看護婦として沖縄戦に従軍。戦後は教職に就いた。

「この大会と同時刻に政府の式典が行われていることに憤りと無念を感じます。政府の式典は、61年間の沖縄の苦悩を全く省みない、歴史認識を欠いた心ない行為。まさに平成の沖縄切り捨てではありませんか」

本土防衛のための「捨て石」とされた沖縄戦。その大きな教訓が「軍隊は住民を守らない」というものだった。しかし沖縄は1952年の4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本から切り離され、米軍の施政下に置かれた。

「銃剣とブルドーザー」による強制的な土地接収、人権じゅうりん。過酷な米軍の圧政の源流となる「4・28」を沖縄では「屈辱の日」と位置づけるようになったが、それを政府は「完全な主権回復」の節目として実質、祝うのだという。沖縄の苦難の歴史と共に歩んできた中山さんは、物柔らかな声のトーンに怒気をはらませた。

「戦後68年、復帰後41年のこんにちも、61年前の4・28から背負わされた苦難の道が続いています。米兵による事件事故、協定違反で飛び回るオスプレイ、米軍戦闘訓練など、戦争を想起させる現状は戦争体験者の私には平和とは言い切れません。何事にも限度があります。これ以上の沖縄差別を許すことはできません」

沖縄に九つあった学徒看護隊有志でつくる「青春を語る会」の会長でもある。同会は県民大会などに積極的に参加してきたが、今回は高齢などの理由で参加を見送った。中山さん自身も膝を傷め参加は諦めていたが、強く請われ、急きょ登壇を決めたという。

真の復帰の壁

同じく過酷な戦中戦後を語った登壇者がいた。座間味村の村議会議長、中村秀克さん。戦後生まれの56歳だが、沖縄戦の「記憶」は分かち難くある。慶良間諸島の慶留間島の出身。沖縄戦で最初に米軍が上陸、住民の「集団自決(強制集団死)」が起きた島だ。犠牲者は住民の約半数に及ぶ。

「父が亡くなり、私が30歳を過ぎた頃、島の先輩に聞かされました。『あんたのお父さんは「集団自決」の被害者だ』と。ショックでした」

しかも、家族に手をかけたのは祖父。その祖父も、父も、生前、一切何も語らなかったという。「どんなに苦しんだかと思います」。

戦後、「これから豊かなヤマト世(ゆ)になる」と、祖父が「仲村渠(なかんだかり)」から「中村」に改姓した。しかし訪れたのは「アメリカ世」だった。1970年9月、糸満市内で同級生の母親が飲酒運転の米兵の暴走車にひき殺された。しかし米兵は軍事裁判で無罪となり本国に帰還。同年12月のコザ暴動の引き金となった事件だ。

「4・28で沖縄は本土と分断され、20年間植民地状態でした。沖縄は復帰しましたが、真の復帰じゃないですね。差別的な日米地位協定がある。それがある以上、日本は主権国家じゃありません」と中村さん。

少女暴行事件、教科書問題、オスプレイ配備反対……、幾度となく繰り返されてきた県民大会。「こうした大会が、怒りをあらわす必要のない平和の祭典になることを望みます」。万感の思いを込めた中村さんの言葉に拍手が鳴り止まなかった。

祝える日 いつ

集会の最後、全員が青い空に拳を突き上げ、「がってぃんならん!」と5回、力強く唱和した。納得できない、合点がいかないという沖縄の言葉だ。しかし、その翌日の防衛相会談で日米は、オスプレイ12機をこの夏、普天間基地に追加配備することを確認した。東京の政府式典で、とってつけたような「沖縄の辛苦に思いを寄せる努力」を口にした安倍総理の、舌の根も乾かぬうちに。

集会の前後、参加者に感想を聞いて回った。「安倍総理の美しい国づくり、憲法改正のための布石」だと警戒する声が多く聞かれた。沖縄を愚弄し続けてきた日本政府はもちろん、それを支える「ヤマト」に対する憤りを率直に口にする人も少なくなかった。ある人は「日本人が祝いたいなら勝手に祝えばいい」と言った。「私は4・28を祝えないし、それと同じで、5・15も祝えない。辺野古新基地計画や高江のヘリパッド建設を止めて、そのとき祝うことにしたいんだ」と。

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