秘密保護法成立 体験者と「過去」に学ぶ(上)

日を追って広がる反対の世論に強引に背を向け、特定秘密保護法が成立、公布された。安倍総理は「もっと丁寧に時間をとって説明すべきだった」などと反省の態度を見せたが、一方で、「共謀罪」の創設が取りざたされ、「国家安全保障戦略」には武器輸出三原則緩和の方針や「愛国心」までも盛り込まれた。逆回転を始めた歯車はもう戻らないのか。国の姿を変えるといわれる特定秘密保護法への不安。かつてを知る戦争体験者は何を思うのだろうか。(矢野 宏 栗原佳子)

滝本さん

関大で体験を語る滝本さん=撮影・鹿島理英子

臨時国会会期末の12月6日、私(矢野)が非常勤講師として担当する関西大学の授業に読者で元海軍兵の瀧本邦慶さん(92)=大阪市東淀川区=を招いた。隣の栗原クラスとの合同授業で、戦争体験を語ってもらうためだ。受講生はマスコミ専攻の2年生45人。メディア関係の仕事を目指す学生が大半である。

2日後の12月8日は太平洋戦争開戦の日。まさにその日、真珠湾攻撃に参加した瀧本さんを以前も講師に招いたことがあるが、今年は特定秘密保護法案の審議が重要な局面を迎える中でのこと。学生たちに、かつて同じ年頃で戦場に赴いた瀧本さんの思いを届けたかった。

私は講義で、「今週の気になるニュース」を学生に尋ねるようにしているが、1週間前、特定秘密保護法案を挙げる学生は二十数人中ゼロだった。「法案のことをよく知らない」「政治の話は難しそう」。なかには、「僕らの生活と関係ない話のような気がして」と話す学生もいた。無関心層は、いまの政権には有難い存在。瀧本さんはこの法案について、以前から「法律の怖さはすぐにはわからない。10年経ってはじめて一般の人たちも思い知らされる」と憂えていた。

「この法案が成立すれば、私のように反戦・平和のために講演する活動すら取り締まりの対象になることでしょう。私がこうして皆さんの前で話せるのは最後だと思うています。遺言だと思い、生涯忘れないようにしてください」

痩身をスーツに包んだ瀧本さんは、背筋をしゃんと伸ばし、教室を埋めた学生たちをぐるりと見渡して語り始めた。

国会前で抗議活動をする人たち

12月6日夜、国会前で抗議活動をする人たち

1921(大正10)年、香川県桑山村(現・三豊市)の農家の長男に生まれた。「教科書は国定教科書。大きくなったら軍人となり、天皇陛下のために戦って、戦死すれば靖国神社にまつられる。それが最高の名誉だと教えられ、そう信じ込まされていました。自分の意見などを言う余地もないほど、権力者の意のままに動くように教育され、徹底的に洗脳されていたのです」

17歳で海軍に志願、2年後、航空母艦「飛龍」の航空整備兵として真珠湾攻撃、翌年にはミッドウエー海戦に参加した。日本が劣勢に転じた緒戦だ。瀧本さんの乗った「飛龍」も被弾。艦長から総員退艦の命令が出され、生存者は駆逐艦に乗り移った。その駆逐艦は「飛龍」にめがけ、2発の魚雷を発射。大きな火柱を上げ「飛龍」は海に沈んだ。「放置すれば米軍に戦利品として曳航されていく。軍事機密であるため、自らの手で沈めたのでしょう。まだ生存者もいたはずなのに」

甲板で機銃弾を受けた瀧本さんは佐世保に帰港後、他の負傷者たちと一つの病棟に収容された。「食事や入浴、便所もすべて他の病棟とは別にされて、病棟からの外出も一切禁止されました」

秘密保護法2

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