「移設」反対 名護市民の選択 国への「反旗」 保守層も

米軍普天間基地の「移設」問題が最大の争点となった沖縄県名護市長選は、移設に反対する現職の稲嶺進氏(68)が、移設推進を掲げた新人の末松文信氏(65)を破り、大勝した。「移設」問題が浮上して5回目となる市長選で、初めてその是非が正面から問われた今回。末松氏を推薦した自民党の支持者でも、3割超が稲嶺氏に投票したという。民意の行方は――。(栗原佳子)

辺野古

奥はキャンプシュワブ。平和への祈りを込めフェンスに結ばれたサン

名護市長選が告示された1月12日朝。辺野古の集落の目抜き通りで、背広姿の男性が「稲嶺ススム」と書かれたのぼりを傍らに、一人、マイクを握った。

「基地は戦争につながるもの。戦争を体験したものとして、あの哀り(あわり)を、二度と子孫(くわんまが)に味わわせたくないのです。その気持ちに、保守も革新もありません」

「アメとムチ」をふりかざす国への批判。年末に辺野古埋め立ての承認をした仲井真知事への失望。米軍再編交付金や沖縄振興策のからくりなどを詳細に説明しているうちに、辻立ちは30分を優に超えていた。

男性は仲里利信さん(76)。元沖縄県議会議長。つい先日まで、自民党県連の顧問を務めていた沖縄県政界の重鎮だ。2年前の総選挙では西銘恒三郎議員(自民・沖縄4区)の後援会長も務めたが、議員が「県外移設」の公約を撤回したことに抗議して後援会長を辞任。さらに昨年、自民党の国会議員全員、県連もドミノ倒しのように公約を翻すと、県連顧問を辞任、自民党も離党した。

戦争体験が動機

名護市長選では稲嶺候補支援を表明、年末から連日、「やんばる」通いをはじめた。南風原町の自宅から片道1時間。農作業用の自家用車にスピーカーを据付けた宣伝カー。のぼりを立てるポールは自宅の物干し台を利用した。BGMは屋嘉節。沖縄戦の後、捕虜収容所で生まれた唄だ。

仲里さんは、国が沖縄戦「集団自決」の軍の強制について削除させた2007年の教科書問題のときは県議会議長だった。検定意見撤回を求める超党派の県民大会の実行委員長にもなり、歴史の事実を歪める国を強く批判した。 自身も、幼い弟が栄養失調で命を落とした。宜野座のガマ(自然壕)では妹といとこが泣き止まず、日本兵は「これを食わせろ」と母に毒入りのおにぎりを突きつけた。

辺野古に続いて仲里さんは豊原、久志でも演説をした。この3区は久辺3区といわれ、「移設」問題の当事者=地元にあたる。背後にある久志岳は地元では「聖なる山」だが、米軍の実弾射撃によって痛々しい地肌をさらしていた。毎日のように砲弾の音が鳴り止まず、上空はオスプレイが低空で飛び交っている。

仲里さんは戦中、南風原から金武、宜野座、久志へと避難生活を送った経験を持つ。特に戦後一時期過ごした久志では戦争体験が口をついた。サトウキビがゆれる人気のない集落。ふと見れば近くの家の門前や、車を止めて、じっと聞き入る人がいた。

県大手経営者も

稲嶺氏の告示前の総決起大会で、仲里さんとともに発言が注目された人がいる。沖縄県内のホテル大手「かりゆしグループ」CEOの平良朝敏氏だ。かつては「移設」も容認の立場だった。知事選でも仲井真知事を支援した。

その平良氏は総決起大会で、「キャンプシュワブと普天間基地の軍雇用員は合わせて438人。ホテルは1000部屋あると2000人の雇用を生む」などと具体的な数字を提示。さらに、基地ではなくホテルなどリゾート地とすれば2万人の雇用を生むこともできる、と訴えた。

米軍基地がないと、あたかも沖縄はなりたたないかのような「神話」めいたものはいくつもある。だが、沖縄の基地関連収入は復帰直後の15・5%から2010年には5・2%と大幅に低下している。今回の選挙でも問われた再編交付金。「移設」反対の稲嶺市政で、国は再編交付金をストップする兵糧攻めに出た。4年間で42億円。しかし、稲嶺市政は「基地に頼らない」町づくりを目指し、逆に財政は健全化した。

金で騙されない

名護市長選挙演説

辺野古で辻立ちをする仲里さん

辺野古や久志などを歩くなかで、必ずといっていいほど耳にしたのは仲井真知事への批判だった。「沖縄は金で転ぶかのような誤ったメッセージ」を送ったという憤りだ。昨年12月27日に知事が埋め立て承認。その後、沖縄県議会は「承認したことは、県外移設の公約に違反する」として、知事に辞任を求める決議を賛成多数で可決した。沖縄県政史上初のこと。名護市長選は仲井真知事の存在そのものを問う選挙でもあった。

「名護の市民は政府と闘って勝ちました。選挙戦終盤に自民党の石破幹事長が名護入りし、500億円の基金創設をぶちあげました。そんなことに騙されるほど、市民は馬鹿ではない」

辺野古に暮らす西川征夫さん(69)は移設反対の住民でつくる「命を守る会」代表。辺野古に設けられた稲嶺氏の選対にも入った。長年の自民党支持者でもある。

今回、「稲嶺=移設反対」支持は保守層にも浸透、自民党支持者の35%が稲嶺氏に投票したというメディアの出口調査もあった。

また、自民県連とは逆に、県本部が「県外移設」を貫く公明は自主投票。その多くも稲嶺氏の票に流れたとされている。

強化された「新基地」

1996年4月、日米両政府は「普天間基地全面返還」を発表した。95年の少女暴行事件を契機に「基地の整理縮小」の声が高まる中、日米が合意した。しかしそれは、沖縄に「代替基地」を作る条件付き。狙われたのが辺野古だった。97年12月、名護市で基地受け入れの賛否を問う住民投票が行われ「反対」が過半数を占めた。しかし当時の比嘉哲也市長は辞任と引き換えに、民意に反した「基地受け入れ」を表明してしまう。

当時の計画は、住民らの地道な運動で2005年9月、潰えた。しかし翌月にはキャンプシュワブをまたぐ「沿岸案」が浮上、同年5月には14年までに「代替施設」を完成させるという米軍再編のロードマップに日米が合意した。日本政府は違法な環境現況調査を強行。第1次安倍政権時代の07年には、海上自衛隊の掃海母艦まで差し向けた。そして政権交代――。県外移設への期待が高まったが、紆余曲折の末に、辺野古に戻っている。

なぜか。いまのV字案は米軍がベトナム戦争下の60年代に描いた青写真が重なる。滑走路、軍港、戦闘機の「装弾場」。隣接する辺野古弾薬庫からすぐに弾薬を装着できる。

国は、普天間の危険性除去のための「移設」というが、実際は最新の機能を兼ね備えた要塞のような新基地が、私たちの税金で作られるということ。耐用年数は200年ともされる。

一方の国は「粛々と進める」と恥じる気配もない。「これからが本当の戦(いくさ)だよ」。仲里さんはそう気を引き締め直しているという。自宅にはこの間、「よくやった」など激励の電話がたくさんあった。ガソリン代をカンパしてくれる人もいた。批判の電話は、一本もなかったという。

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