100号記念の集いを開催

「新聞うずみ火」100号記念の集いが2月22日、大阪・北区の大阪弥生会館で開かれました。2005年10月の創刊から足掛け9年――。60人を超える読者の皆さんと一緒に、心温まるひとときを過ごさせてもらいました。

挨拶をするヤマケンさん

挨拶をするヤマケンさん

会は編集長の矢野宏のお礼の挨拶でスタート。黒田清さん亡き後休刊した「窓友新聞」の読者に背中を押され発行を決意したことなどを説明、「黒田清さんがよく話していたような『戦争と対極にある、誰もが生まれてよかった人権社会』に近づけるよう、毎号毎号出していきたい」と決意を述べました。

続いて執筆者を代表して、連載「ヤマケンのどないなっとんねん!」のフリーライター山本健治さんがマイクを握りました。「デモや集会などにいくと、『マスコミがちゃんと伝えてくれないことが残念』という声をよく聞きます。日本人はマスコミこそが全てのように言うけど、それはアカンねん」とヤマケンさん。「いまこそ、口コミ、ミニコミの時代。自分たちで調べた真実が口づてで伝わるのは強い。本当の意味での真実を伝えていくのが、うずみ火の仕事ではないか。編集部の人達とこの場をつくり、編集部の人たちを支えていうことが、しっかりした言論を続けていく道ではないでしょうか」とエールを送ってくれました。

100号記念パーティの様子

100号記念パーティの様子

乾杯の音頭は歌謡曲の歴史を紐解く「100年の歌びと」を連載中のジャーナリスト三谷俊之さん。時代の空気を憂えつつ「矢野さんたちを見ていると、辛いけど、空井戸を掘り続けなくてはならないと思います。この時代を乗り切らねばなりません。200号に向けて頑張って」と激励の言葉を。そしてカンパーイ!

歓談の輪が広がる中、ジャーナリストの粟野仁雄さん、『会えてよかった』の小松尾直利さんたち執筆者らが挨拶。また、この日は「窓友新聞」時代から古いお付き合いの方々も多く参加、マイクリレーが続きました。87歳の鍵山千代子さんは「安倍さんにしてもNHK会長にしても暴言、暴言で、ややこしい時代です。うずみ火には『口を閉じないで』と言いたい。20年、30年と『モノを言える新聞』でいてください」と励ましてくれました。柏節子さんは古銭を詰めた竹筒でリズムを取る「銭太鼓」を披露、場を盛り上げてくれました。

濱田栄次郎さんは69年前の大阪大空襲で全身やけどという重傷。一般の空襲被害者に対する補償は戦後一切なく、濱田さんは国を相手に提訴した「大阪空襲訴訟」の原告にもなりました。うずみ火への激励の言葉とともに、「お金の問題ではなく、とにかく国に一言、謝ってほしいのです。国がやったことは間違っていたと。裁判は最高裁まで行っていますが、私たちが勝つと確信しています」と挨拶、大きな拍手に包まれました。

100号パーティで熱唱する矢野

100号パーティで熱唱する矢野

途中、「うずみ火」100号を振り返るスライドも上映されました。全ての表紙と折々のスナップを盛り込んだもので、読者の一人、水田隆三さんがボランティアで製作してくれたもの。またJR福知山線脱線事故の取材が縁で知り合ったJR西労の4人がバンドで登場、『戦争を知らない子供たち』『イムジンガン』の2曲に、会場も声を合わせました。矢野が飛び入り、愛唱するアリスの手による唯一の反戦歌だという『砂塵の彼方』を歌う「サプライズ」も。

情感たっぷりのシャンソンを披露してくれたのは井芹史見代さん。医療過誤で夫を亡くし、病院を提訴した井芹さんを、「窓友新聞」で紹介して以来のお付き合いです。『メマン』『愛の讃歌』を情感たっぷりに歌い上げ、大きな拍手に包まれました。

最後に編集委員の高橋宏がお礼の挨拶。「原発の問題は、実はあらゆる問題に関わっていると思います。例えば教育の問題、保育の問題。黒田清さんもおっしゃっていた『人権社会』、人権が守られる社会になれば原発は自然となくなるものだと思います。黒田さんの目指した反戦反差別をしっかり引き継ぎたい。来年10月は10周年の集いをぜひしたいと思います」

 

100号パーティの一場面

100号パーティの一場面

最後に矢野が「黒田さんがおっしゃったことを思い起こしていました。『いい新聞にはいい読者がつくんやで』と」と一言。3時間の宴を締めくくりました。

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