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東北の被災者に 思い重ねて

記者:矢野 宏・栗原佳子

 2つの被災地 合わせ鏡

6434人が犠牲になった阪神大震災は1月17日、発生から17年を迎えた。昨年3月11日の東

▲地震発生時刻に合わせ黙祷する人たち

日本大震災、9月の台風12号による水害から迎える初めての1・17。命の尊さ、支えあう大切さを改めてかみしめる一日になった。鎮魂の祈りに包まれた神戸を歩いた。

神戸市中央区の東遊園地では市や市民団体などによる「1・17の集い」が開かれた。ろうそくを入れた竹灯篭を「1・17」の文字に並べて点灯、地震発生時刻の午前5時46分に合わせて市民らが黙祷をささげた。

東日本大震災の被災者も各地から参加。宮城県気仙沼市で仮設住宅を見回る一般社団法人「気仙沼復興協会」の3人も手を合わせた。

22人が3班に分かれ、市内93カ所の仮設住宅4000人の見回りをしている。塚本卓さん(45)は「気仙沼は平地が少なく、建てられる所から仮設を建てたので、入居は公平性を重んじてクジによる抽選でした。そのため、かつての神戸のように地域コミュニティーがバラバラになり、周りが知らない人なので、住民が孤立しがちです」と実情を語る。

一人暮らしの高齢者が多く、男性が引きこもりがち。仕事をなくした人も少なくない。「パチン

▲塚本卓さん

コに熱中し、蓄えを使い果たして生活保護を求める人や、昼間から酒びたりの生活を送っている人もいます」

神戸を回り、震災の傷痕を感じられない街並みに驚く一方で、「震災はまだ終わっていないことを実感した」という。東部新都心として開発された「HAT神戸」(中央区)を回った時「高層の災害復興住宅で暮らす高齢者が『鉄の扉』に遮られ、つながりを感じられなかった」という。

「気仙沼は一戸建てが多かった。仮設住宅のあと、高い建物に入居するとなると、精神的にも孤立を深めてしまうでしょう」と危ぶむ。

神戸は東北の被災地の「明日」を映す鏡でもある。
「終の住処」退去迫られ

17年を迎えたいま、被災地が直面する課題を問う集会もあちこちで開かれた。安田秋成さん(86)は三宮で開かれた「17年メモリアル集会」(復興県民会議主催)で「民間借り上げ公営住宅追い出し問題」について訴えた。「10年かけてようやく住民同士の絆ができた。それを絶ち切られたら生きていけない人たちがいる。この問題は、生死に関わる問題だと考えています」

災害復興住宅には、自治体が設けた公営住宅と、URや民間マンションを自治体が借り上げた「民間借り上げ住宅」がある。後者は貸主との契約期間が20年。2015年から順次契約が切れるため、県や市は昨年から退去・転居の案内を入居者に送付している。

もちろん突然届いた知らせに住民は仰天する。「入居時に20年の期限について説明を受けている人はほとんどいません」。安田さん自身が兵庫区の「民間借り上げ住宅」(21世帯)で暮らす。

「民間借り上げ住宅」は県内265カ所、入居者数は3万8千人。うち5割が65歳以上の高齢者だ。安田さんの住宅では8割を超すという。県の昨年の調査では、入居者の3割が「住み替え困難」と答えた。高齢、病気、資金難など、その理由は切実だ。

避難所、仮設住宅、そして恒久住宅へ。ようやく得た「終の住処」が根底から揺らぐ。東日本大震災の被災地では、被災者が自力で探した民間住宅を「仮設住宅」と認め補助金を出す「みなし仮設」が多数ある。しかし、ここでも、支援の手が届かないなど様々な問題が浮上している。神戸の「暮らし」を、東北の被災地が真っすぐに見つめる。

福島の母たちの思い
寂しさいまもつのる

「HAT神戸」のなぎさ公園では防災をテーマにした「ひょうご安全の日のつどい」が開かれ

▲「べこっこロール」を販売する藤峰さん(右から2人目)

た。東日本大震災の被災地支援のブースも目立つ。神戸に避難している福島の母親グループ「べこっこMAMA」のロールケーキとコーヒーセットは約100食を完売するほどの人気ぶりだった。

神戸の子育て支援グループが開いた集いなどで出会った7人が、昨年7月結成した。ロールケーキは名づけて「べこっこロール」。自立への一歩として、地元洋菓子店の協力で生まれた。生地にフランボワーズ(木いちご)を練りこみ、福島の郷土玩具「赤べこ」をイメージしている。

藤峰智子さん(36)は昨年3月16日、双子の男の子(3つ)を連れて郡山市から自主避難した。夫は仕事で地元に留まり二重生活が続く。先月、3週間余り郡山に一時帰宅したが、日に焼けていない福島の子どもの姿に胸が痛んだ。

藤峰さんは神戸出身。阪神大震災のときは大学1年生だった。須磨区の自宅は無事だったが、当時の惨状は目に焼きついている。二つの震災を追悼する今年の1・17には、特別な思いがあった。

この日、会場で、神戸の復興を願う歌『幸せ運べるように』を合唱しているうちに悲しみが胸を突き上げ、涙がこぼれた。「いろんなことがありすぎて心も身体もいっぱいだったのかもしれません」

花柳流師範の加賀翠さん(56)は東灘区の森公園で午前5時46分を迎えた。森地区の犠牲者は107人。慰霊碑には翠さんの一人娘、桜子ちゃん=当時6歳=の名が刻まれている。震災から12年後に授かった亮君(11)も、面差しの似た姉の冥福を祈った。

去年が十七回忌。歳月は心に落ち着きを取り戻させてきたが、やはりこの日は平常心でいられない。寂しさが募る。

森南地区は震災直後、さらなる「災」に襲われた。市の区画整理事業。17㍍の幹線道路が、娘と暮らした家の上を貫く計画だった。住民の先頭に立った父、幸夫さんも3年前の大晦日、この世を去った。

3・11後初めて迎える鎮魂の日。辛い思いをしてきた自分たちだからわかる。「本当に長いですから」。翠さんはそう東北の被災者を慮った。