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金武・辺野古ルポ 繰り返される米兵の犯罪

沖縄の米軍に「風俗業活用」を勧めた橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)。米軍と米国民には発言を撤回・謝罪したが、沖縄県議会が決議した県民への謝罪要求は「筋が違う」などと拒んでいる。そもそも風俗は犯罪抑止となるのか。基地のまちを歩いた。(栗原)

沖縄自動車道を金武(きん)インターで降り、国道をしばらく走ると、左手にフェンスが見えてくる。キャンプ・ハンセン。米海兵隊の基地である。メーンゲートの正面に国道を挟んで「金武社交街」が広がる。

星条旗と日の丸を掲げたアーチをくぐるとメーンストリート「フレンドシップ通り」がのびる。コンクリート壁に直接書かれた薄れた横文字の看板。壁に描かれたウォールアート。異国のような独特の町並みが続く。梅雨の中休みの日曜午後。連れ立って歩く米兵たち。タコライスの有名店に並ぶ観光客も少なくない。社交街の中心部には広場があり、地元の子どもたちが噴水で水遊びに興じていた。

「この広場は、かつて閉店した店舗などが密集する一角でした」

前金武町長の吉田勝廣さん(68)=現・県議はそう振り返る。沖縄本島中部にある金武町は面積の6割がキャンプ・ハンセンという基地の町。社交街はベトナム戦争当時、活況を呈したという。いまもプールバーなど米兵を相手にした飲食店が多い。昨年10月の米兵による集団強姦事件により、米軍は夜間外出禁止令を発令。閉店を余儀なくされた店もあるという。いまは開放的な雰囲気が漂う「社交街」だが、ここもまた米兵を対象にした「特殊飲食街」としての歴史を刻んできた。「かつてはこの裏手にも『女給部屋』があり、買売春が行われていた」という。

風俗で解決しない

日本本土で1956年に施行された売春防止法も、沖縄では72年の復帰まで適用されなかった。その間、米軍が北爆を開始、ベトナム戦争が激しさを増すと、出撃基地の沖縄は米兵による犯罪の嵐にさらされた。

金武では復帰以降、米兵によって6人の住民が殺害される事件が起きた。うち5人が女性だった。「ベトナム戦争の頃は、女性が平気で殺されました。金で買っているという差別意識だと思います。殴っても殺してもどうでもいい、という潜在意識がないとできないのではないでしょうか」と吉田さんは怒りを込める。

暴行・傷害事件は数知れず。強姦事件も、表面化するのは氷山の一角だという。癒えることない心の傷に苦しむ被害者や家族を数多く吉田さんは見てきた。「米兵の犯罪が風俗で解決したためしはありません」

吉田さんは町長在任中、新兵たちが着任するたび基地内でレクチャーし、綱紀粛正を呼びかけてきた。日常的に発生する基地被害、米兵による事件事故、その度に抗議を続けてきた。それだけに橋下市長の発言は言語道断だという。「米軍だって綱紀粛正を呼びかけているのに……。話になりません。いままで何の努力もしたことのない男が、余計なことを言うな、と思う」

戦場帰り 抑え効かず

金武から東海岸を北上し、名護市辺野古を訪ねた。米海兵隊キャンプ・シュワブに隣接し、形成された辺野古社交街(通称・アップルタウン)もベトナム戦争の頃は相当賑わったという。

だが、やはり米兵による事件も続発した。傷害事件はしょっちゅう。殺人事件もこれまで5件起き「4件はホステスさんら女性が被害者でした」と、地元で金物店を営む西川征夫さん(69)はいう。

「戦場から帰ってきた兵士は抑えが効きません。彼らは戦争の道具ですから。平常心ではできないわけです。戦争が人を殺人鬼にし、だからこそ事件事故が起こるのです」

西川さんは22歳のとき、米兵に割れたビール瓶で殴られ大怪我をした。二の腕に傷がいまも残っている。米兵とケンカになっても、「こちらに落ち度がなくても、最初に縛られるのは我々です」。西川さんも、そうやって、有無をいわさず警察に手錠をかけられたことがあった。

基地がある限り

ほとんど人影のない辺野古の浜が、この日はお祭り会場に様変わりしていた。ハーリーだった。沖縄の各地の漁港でこの時期、サバニという伝統の小船を使って競漕が展開される。豊漁や航海の無事を祈る伝統行事で、別名「海神祭」。辺野古でも地域が班ごとに分かれレースに臨む。いつもは浜を分断するフェンスの向こうの米兵たちも、何組にも分かれて参加していた。

「『隣人』としての、オブザーバー参加です。それより、船を漕ぐときが辛いのです。前は『賛成派』、後は『反対派』などと入り乱れているのですから」

普天間「移設先」に挙げられる辺野古は反対派、賛成派住民が混在。感情的なしこりを生んだまま20年近くが経過している。西川さんは反対派でつくる「命を守る会」の代表でもある。

以前、西川さんから、反対派の一人に米兵に母親を殺された遺族がいると聞いていた。しかし体調が悪いということで、今回も直接取材は遠慮せざるをえなかった。母親は米兵にブロックで殴り殺された。当時高校生だった遺族はその直後、逃げていく犯人を目撃、第一発見者になった。今もトラウマを抱えているという。

「米軍の『綱紀粛正』は機能していない。基地がある限り、事件事故はなくならない。そこを橋下さんは理解していませんね」