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京都・馬町空襲の石碑除幕 「肉親の名前が知りたい」

式典であいさつをする酒谷さん

式典であいさつをする酒谷さん

太平洋戦争末期、京都市東山区馬町の白河総合支援学校東山分校に「馬町空襲の地」と刻した石碑が完成、馬町空襲から69年目の1月16日に除幕式が行われた。

1945年1月16日午後11時23分、米軍のB29爆撃機1機が京都市東山区馬町上空に侵入し、寝静まった市民の頭上に約20発の爆弾を投下。死者41人、負傷者48人、家屋破壊141戸を数えた。地名から馬町空襲と戦後呼ばれるようになった。

京都に空襲があったことで人心の動揺と戦意低下を恐れる当局が緘口令を引いたこともあり、戦後、「京都は文化財があったから空襲から守られた」という噂が広がった。だが、京都市への空襲は馬町空襲を含めて5回ある。6月26日には西陣が標的になり、50人もの犠牲者を出している。

それでも大阪や東京などと比べて空襲被害が少ないのは京都市が原爆投下の候補地だったからだ。

2年前、地元住民らが被害の実相や資料を残したいと「馬町爆撃を語り継ぐ会」を結成。情報を集めるとともに、石碑建立の浄財を募ってきた。

白河総合支援学校東山分校に設置された石碑は二つでいずれも自然石。高さ1㍍の石に「馬町空襲の地」と刻まれており、高さ60㌢の石には空襲の概要が刻まれている。

式典で、「馬町爆撃を語り継ぐ会」の発起人、酒谷義郎さんが「きょう除幕式が行われるという新聞記事を見て、昨晩、私のところに『馬町空襲で戦災孤児になりました』という方から連絡が入りました」と語り、橋本芳枝さんを紹介した。

「私が1歳のときに空襲に遭い、親が死亡したと養父から聞かされました。両親がどこでどう暮らしていたのか、名前すらわかりません。血のつながりのない養父からは『三十三間堂近くの交番に行けばわかる』と言われたのですが、怖くて行けませんでした。私も70歳を超え、最後のチャンスかもしれないとやってきました。せめて、両親の名前さえわかれば……」

この日、手がかりは得られなかったが、馬町空襲の石碑を涙ぐみながら見つめる橋本さんの姿が印象的だった。(矢野宏)