◆2026年8月号(NO.250)の目次
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1面~3面 改正皇室典範「女性天皇封じ込め」 総意なき男系固執(矢野宏)
7月17日、改正皇室典範が成立した。皇族数確保のため女性皇族が結婚後も皇室に残ることや、旧宮家の男系男子を養子として皇族とすることなどが柱。一方で、女性皇族の夫と子は皇族とせず、養子に男子が生まれれば皇位継承資格を与えるなど、男系男子による皇位継承を重視する高市首相の意向を反映する内容となった。「天皇制と部落差別」(解放出版社)や「日本会議とは何か」(合同出版)などの著書がある元大阪市立大教授の上杉聰さん(78)は「万世一系の幻想をより所とした右翼団体にあおられて『オウンゴール』を決めたようなもの」と冷ややかだ。
政府案提出に先立ち、衆参両院の正副議長が取りまとめた「立法府の総意」は①女性皇族の婚姻後の身分保持②旧宮家の養子縁組を容認すること。皇位継承において男系を維持するのか、女性・女系天皇を容認するのかとの論点には触れず、総意をまとめた。
ところが、政府案では、「立法府の総意」に明記されていなかった「養子の子に皇位継承資格を与える」ことが盛り込まれ、女性・女系天皇を封印し、男系男子による皇位継承を続ける内容となった。
憲法1条は天皇を国民統合の象徴と位置づけ、その地位は「国民の総意に基づく」と定められている。にもかかわらず、高市政権は「数の力」を背景にして、世論の賛否が割れる皇室典範の改正を押し切った。
「男系男子による継承は女性差別そのもの。それを女性である高市首相がやることでカモフラージュしようとしたのかもしれませんが、国民の理解が得られるとは思えません。将来への禍根を残したと言っていいでしょう」と上杉さんは批判する。
改正皇室典範が成立した翌18日、全国紙5紙は1面トップでこのニュースを伝え、産経新聞を除く4紙が社説で反対の論陣を張っている。
朝日新聞は「時代錯誤の『物語』賛同できぬ」と、「2600年の歴史」と「男系男子の伝統」について「時代錯誤ともいえる二つの『物語』だ」と断じている。
「約2600年前に即位したとされる初代の神武天皇は学術的に実在が確認されていない。建国神話を歴史的事実として教え、神国思想のもと国民を軍国主義に動員した戦前の過ちが繰り返されないか」と懸念を表明。男系男子については「明治期、旧皇室典範を定める際に確立された考え方で、『男性尊重の国民感情・慣習』が有力な論拠だった。当時の男尊女卑的価値観を反映したと言える」と指摘している。
毎日新聞は「象徴天皇の土台揺るがす」との見出しで、「特に問題なのは、約80年前に皇室を離れた旧宮家出身の男系男子を皇族の養子に迎える規定だ。旧宮家の男子だけが皇族になれる特別な身分となり、憲法14条が禁じる『門地による差別』にあたるとの懸念が消えない。養子に男子が生まれれば皇位継承権を持つ内容の条文まで盛り込まれた。男系男子による継承が将来にわたって固定化される」と警鐘を鳴らす。
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4面~5面 「都構想」法定協で議論 「大阪市廃止」避け続け(木下功)
大阪市を廃止し、特別区を設置する「大阪都構想」を巡り、本紙7月号の記事を出稿した6月19日からさまざまな動きがあった。24日には、憲法違反の可能性を指摘した、住民投票の大阪府全域への拡大が見送られた。都構想の制度案をつくる法定協議会では、特別区を4区、8区、24区とする3案で議論が続けられている。吉村洋文・大阪府知事(日本維新の会代表)がこだわる来年4月の統一地方選と住民投票の同日実施に対しては7月15日、国民民主党と公明党が共同で「同日実施禁止法案」を参院に提出。「副首都」関連法案は17日の国会会期末までに成立せず、国会は25日まで延長された。吉村氏と横山英幸・大阪市長が都構想について「大阪市廃止ではない」「府市合併」と繰り返すことへの質疑が市議会で行われた。さまざまな動きが錯綜しており、一つ一つの動きに注視が必要だ。
法定協の第3回会合が7月17日、大阪府庁で開かれた。自民党と公明党は都構想に反対のため不参加で、大阪維新の会のみで議論された。
大阪府・市の副首都推進局が大阪市を4区、8区、24区の特別区に分割した際の財政見通しについて2種類の推計を提示。単年度収支がともに黒字になるのは4区案のみで、8区案は1種類で赤字。24区案は2種類とも赤字で、最大約283億円の収支不足と試算された。
委員からは24区案の財政的な厳しさを指摘する意見があった一方で、都と区の財政調整で24区案も成り立つという意見もあり、3案とも検討が継続されることになった。
横山市長は、保育料の無償化や塾代助成など市の独自サービスについて、「特別区でやった方が望ましい。府全体でやると非常に高額になる」との認識を示した。
次回31日の法定協では、大阪府・市から区数に応じた事務分担のシミュレーションを、維新の委員から区割り案を提示することを確認している。
首都機能のバックアップが大きな役割である副首都に対し、吉村知事や横山市長は「大阪では特別区の設置が必要」と主張しているが、これまでの議論では防災の視点が抜け落ちている。
6月にスタートした法定協だが、同日実施を想定しているため、12月上旬には特別区設置協定書案をとりまとめる予定で、法定協のために計上された予算は10回分。過去2回の住民投票では1度目は23回、2度目は37回実施しており、今回は審議も周知も大幅に時間が削られる。
同日実施になると公職選挙法が適用されるため、知事選告示から投票までの17日間、知事候補を擁立している陣営が活動できる中、候補を擁立していない市民は賛成派も反対派も活動できない可能性が高い。
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6面~7面 那覇軍港移設と首里戦線 基地返還で進む強化(栗原佳子)
「沖縄慰霊の日」の6月23日午後、元沖縄タイムス記者で琉球大学准教授の謝花直美さんの案内でうずみ火読者とフィールドワークをした。今年のテーマは「那覇軍港移設と首里戦線」。那覇軍港移設予定地の浦添市、第32軍の南部撤退直前の首里戦線を伝える場所を回った。
6月23日午後、各地から集合した25人が沖縄県庁前からマイクロバスに乗車した。左手に那覇軍港を見ながら、海沿いの道を北上していく。
「那覇軍港(那覇港湾施設)は那覇市にある『静かな米軍施設』。約56ヘクタールあり、主に米軍の貨物や物資の積み下ろし、船舶の修理場、倉庫として使われています。ここにはかつて垣花という集落がありました。1944年10月10日の『十・十空襲』で大きな被害を受けました」
米軍は沖縄戦中から一帯を浚渫(しゅんせつ)して軍港化。垣花は浚渫で海に沈み、人々は那覇市内に離散して暮らしているという。
ほどなく浦添市の西海岸道路に入った。米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の海沿いに2018年に開通した2・5㌔の直線道路。19年には大型商業施設サンエー浦添西海岸パルコシティが開業した。市民は「浦添にこんなに美しい海があったのか」と衝撃を受けたという。それまで浦添の海岸線はほとんどが基地の中にあり、市民は近づくことも制限されていた。
パルコ前の護岸を歩く。ウミガメも泳ぐ豊かな海を、地元の人たちは「里海」として大切に守ってきた。しかし、この海は那覇軍港の移転先として49ヘクタール埋め立てられる予定で、いま、アセスも行われているという。
日米が代替施設への移設を条件に那覇軍港の「全面返還」で合意したのは1974年。約20年後の95年、両政府間で同じ那覇港内の「浦添ふ頭地区」を移設先と決めた。2023年、県と那覇、浦添両市が代替施設の位置や「T字形」の形状などに合意。謝花さんは浦添沖への移設問題が浮上した90年代半ば、浦添担当の記者として取材に奔走した。
「もやもやを抱える市民たちもいますが。最終合意によって、移設問題は行政的には終わったかたちです。辺野古と同様、これは新しい基地建設、米軍基地の強化です。30年、40年かけて基地をつくり、長い時間をかけて戦争の準備をする。沖縄の人々の労力を奪いながら。81年前の沖縄戦とも確実につながっています」
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8面~9面 沖縄戦の激戦地・浦添市 市道下に今も戦没者(下地毅)
沖縄・浦添村(現浦添市)の銘苅太郎さんは、沖縄戦が終わってから今までの81年間、道路の下に埋もれたままになっている。1945年から2013年までの軍用道路時代は米軍車両に踏みつけられ、米国から日本に返還されて浦添市道になってからも、渋滞の車列下に放置されたままになっている。人間の尊厳を踏みにじって終わることのない沖縄戦の一例を報告する。
「ここにあることは分かっている。どうして取り出せないのか」。太郎さんの甥の全郎さん(83)は怒りと嘆きが入り交じる声で言った。
太郎さんの遺骨は、沖縄島を縦断する国道58号線と、島の西岸を走る西海岸道路とをむすぶ市道牧港港川線の下にある。開発が進む地域だから車やバイクがひっきりなしに通り過ぎていく。市道の西端は米海兵隊の牧港補給地区(キャンプ・キンザー)だ(「キンザー」は米兵の名前に由来する。他者の土地を改名する米国政府の支配者意識、それをゆるす日本政府の奴隷根性を私は憎む)。
現場は、全郎さんの自宅前の筋道を抜けるだけで着く。「ここは太郎さんの屋敷の敷地だったところです。豚小屋と牛小屋の糞尿を流す溝がここにありました」といった説明を受けながら歩いて1分もかからないところだ。
太郎さんの家族は出稼ぎや疎開で、沖縄戦時は多くが不在だった。戦後に疎開先から帰郷したときは3歳だった全郎さんが、地域の古老らから聞いたことをまとめると、経緯は以下のようなものだった。
日本陸軍は1944年、浦添村の仲西と城間あたりの土地を奪い、住民を酷使して南飛行場を建設した。太郎さんは当時、浦添村長から任命されて区長をしていた。「日本陸軍はこの地域に高射砲陣地をつくりました。戦時行政下の区長の仕事は、日本兵の食事を手配したり、中飛行場(現嘉手納基地)建設のために住民を徴用したり、疎開させたりすることでした」
太郎さんが亡くなった時期もはっきりしない。「今の国道58号沿いにあるヤマダデンキ浦添店あたりで地雷を踏んで爆死しました。1944年末のことだとすると、米軍上陸前に日本軍が敷設したものでしょう。45年4月1日の米軍上陸後ならば、日本軍が撤退するときにまいた地雷によるものです」
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10面~11面 「湖東記念病院事件」国賠控訴審 冤罪の根本無視した高裁(粟野仁雄)
「主文、本控訴を棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」
6月25日の大阪高裁。長谷部幸弥裁判長はそれだけ読み上げるとさっと踵を返し、法廷から去った。
湖東記念病院事件の冤罪被害者である元看護助手の西山美香さん(46)が「検察官の捜査が違法だった」として控訴審で国に損害賠償を求めていた。長谷部裁判長は「検察の捜査が違法とは認められない」とした一審判決を支持し、西山さんの控訴を棄却した。
国賠訴訟では昨年7月、一審の大津地裁は「嘘の自白を強く誘導する違法捜査があった」「西山さんが自発的に話したかのように供述調書を作った」と、滋賀県に約3100万円の支払いを命じた。県警は控訴を断念した。だが、大津地検は「自白は信用できると認めたことは当時の捜査資料から合理性があった」と違法性を否定したため、西山さんが控訴していた。
判決後、西山さんは記者会見で「少しは違法性を認めるかと期待していましたが、負けてしまって悔しい。判決の要旨くらいは読んでほしかったのに、そそくさと出て行ってしまって腹が立っています」などと話した。
2003年5月、同病院で高齢の末期患者が亡くなった。翌年、県警は看護助手だった西山さんが、呼吸器を外したとして殺人罪で逮捕した。起訴され懲役12年が確定。満期服役し、17年8月に出所した。動機は病院の待遇への不満のうっぷん晴らしとされた。
県警は当初、正看護師が深夜のたんの吸引を怠ったため患者が死亡したと見て正看護師を追及していた。ところが一緒に当直していた西山さんが「呼吸器のチューブを抜いて殺しました」と「自白」。シングルマザーの正看護師を守るためだったが、虚偽の自白で自身がどうなるかが想像できなかった。
西山さんには軽度の知的障害がある。山本刑事は「美香さんにも賢いところあるで」などと優しい言葉をかけてゆく。西山さんは恋愛感情まで抱いてしまう。
呼吸器は外れるとブザーがけたたましく鳴り、ナースステーションの職員が飛んでくる。当初、山本刑事は西山さんから強引に「鳴っていた」という嘘の供述を引き出したが、当日夜、音を聞いた人はいなかった。
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12面~13面 沖縄戦「集団自決」 軍の「強制」削除 教科書執筆者 抱き続けた悔恨(森本大貴)
沖縄戦「集団自決」をめぐる軍の強制記述が削除された2007年の教科書検定問題から来年で20年となる。その当事者の元教員のことを記事にしようと取材を重ねてきた。しかし、「追悼記事」を書くことになるとは、考えもしなかった。
朝日新聞の6月30日教育面(7月2日ネット配信記事『日本史の授業で先生は泣いていた 教科書執筆で負った「罪」と信念』)。高校の歴史教科書を長く執筆した元都立高校教諭の坂本昇さん(昨秋死去、享年69)が大切にしてきたものと、教科書検定で沖縄戦の記述を修正したことへの悔恨を取り上げた。
訃報を知り、家族の「あなたは書くべきだ」との一言で、この20年間、先生に約15回会っては書きためた2冊の取材ノートを開いていった。
私は06年、都立駒場高校2年生の時、先生に出会い、日本史を学んだ。仏頂面で気むずかしそうというのが最初の印象だった。歴史的事実を淡々と伝える授業は、非常に原則的だったように思うが、ときに授業で繰り出すダジャレでみんなを笑わせてくれた。「参加型の授業手法は、歴史教育の本流と違う。歴史認識を豊かにすることが先」と話していた。
そんな先生が直面したのが「集団自決」をめぐる文科省の教科書検定問題だった。
第1次安倍政権下、08年度から生徒が学ぶ高校日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」をめぐる記述に対し、「沖縄戦の実態について誤解する恐れのある表現である」として軍の強制記述の修正を求める意見がついた。応じなければ検定は通らず、「集団で『自決』を強いられた」という記述を「『集団自決』においこまれた」と修正した。
沖縄では党派を超えて抗議が広がり、07年9月29日、検定意見の撤回を求める県民大会が開かれた。先生も会場にいた。主催者発表で11万人という参加者が、戦争体験者や高校生らの言葉に耳を傾ける様子に、県民の怒りの大きさと歴史の重みを感じた。
県民大会の後、すぐにあった授業。先生は日に焼けていた。私たち生徒はこの時、笑った。教科書検定問題の当事者として沖縄の県民大会に参加していたことを知らなかったからだ。先生は教室の笑いがおさまったところで、両手を教卓について泣き出した。「沖縄の人々に申し訳ないことをした」。先生の言葉に、物音を立てる同級生は一人もいなかった。
08年3月の卒業式で、私は答辞を読むことになった。最後を「民主主義と人権尊重を重んじ、国家権力に屈することなく、教育者としての信念を貫いていらっしゃる先生。私たちは誇りに思います」と締めくくった。先生の涙を前に笑ってしまった申し訳なさがあった。
先生は会場の体育館2階から聞いていたという。式が終わって、「『国家権力に屈することなく』は違う。私は一度屈した」と、正確な現状把握を求められた。
万感の思いを答辞に込めたが、一方で思ったこともある。
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14面~15面 ヤマケンのどないなっとんねん 物価無策で「輝く人」か(山本健治)
高市首相は、国会に出ない、予算委員会に出ない、党首討論に応じようとしないので、国会審議が進まないと言われ、土壇場の7月15日になってようやく党首討論に応じ、そんなことはないと開き直った。 この開き直りをどう評価するかはおくとして、メディアが派手に取り上げる国際会議、外国首脳との会談、イベントなどにはよく出て行って、いかにも働いていますかのように振る舞うパフォーマンスをしていることは誰もが知るところである。
こうした批判が飛び交っている最中の7月4日、こともあろうに、東京ビッグサイトで開催された「第37回日本ジュエリーショー」の「ベストドレッサー賞」授賞式に高市首相は出席していた。主催者は、高市首相が日本初の女性首相としての品格・存在感からジュエリー業界の投票で「宝石が似合う人」「最も輝いていた人」ということで「特別賞」としたとしている。
それで、約180万円するとされる白蝶真珠とダイヤモンドのイヤリング、約800万円するとされる白蝶真珠とダイヤモンドのネックレスを着用して登壇したそうで、「母の形見です」と言い、国内外の公務で常に真珠のアクセサリーを着用し、日本の真珠を発信していることが今回受賞した理由ではないかと語ったそうである。
だが、いま安倍首相以来の間違った経済政策で、日本経済衰退と物価高に国民が生活に苦しみ、自ら物価高に対する政策を一番に掲げながら、いっこうに物価を下げることができていないことを恥ずべきであり、貧困と格差がますます拡大している中で、こんな賞は拒否し、出席しないのが基本ではないのか。高市首相の感覚は完全にずれている。
そして、安倍内閣以来、国民の中でくすぶり続けている自民党の政治資金パーティーをはじめとする「カネ」をめぐる疑惑は、高市首相が支持率が高いうちに、と強引に行った解散・総選挙で歴史的圧勝をしたことで疑惑にケジメをつけ、議員は「みそぎは済んだ」と開き直った。だが、国民の多くは許したわけではないし、国会審議が行き詰まると、多数を背景にして委員長職権で決めてしまうことを認めているわけではないし、自民党のカネをめぐる疑惑については根深い不信感を持っている。
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16面~17面 世界で平和を考える イスラエルのスパイウェア(西谷文和)
2004年4月4日、私は通訳ハリルとともにイラクのバグダッドを目指していた。ヨルダンとイラクを結ぶ国道は通称「アリババ通り」と呼ばれていた。フセイン政権が倒され、無政府状態のイラク、武器があふれ、急速に貧困化した社会。金を持っていそうなジャーナリストや人道支援団体の車が、この道で武装した盗賊団に襲われる事件が相次いでいたので、「アリババ通り」と呼ばれていたわけだ。
ヨルダン国境を超えてイラクに入る。数時間のドライブで、砂漠の黄色い大地が徐々に緑に変わり始める。ユーフラテス川に近づくにつれ、熱波が涼風に、大地が緑になっていく。突然、戦車と米兵が現れた。国道をカットして立ち入り禁止にしている。戦車の背後には手錠をかけられて座り込む数名のイラク人。ここがファルージャの入り口だった。アパッチヘリが低空で飛び回り、ヘリから民家に銃弾が撃ち込まれている。戦争映画みたいやな。思わずつぶやく。映画ではなく本物の戦争なのだが、あまり実感が湧かない。
現地をよく知るハリルは、ファルージャ市内の抜け道を通り、チグリス川沿いのデコボコ道を通って夕方には無事バグダッドに到着することができた。
この3日後、日本人3名が武装勢力に拘束され、「自衛隊を撤退させよ、さもなくばこの3名を焼き殺す」という声明が出る。日本は大騒動になった。
戦争被害を取材した後、またまた抜け道を通ってヨルダンを目指す。国境を無事通過したら、私だけヨルダンの入国管理事務所に連れて行かれ、そこに日本大使館から電話が入る。「西谷さんですか?」「はい」「無事にヨルダンへ?」「はい」。後でわかったが、この時NHKは「西谷は無事イラクを通過した模様」と速報テロップを流したそうだ。
04年4月17日、日本での大騒動を尻目にヨルダンから陸路でイスラエルに入国。初めてエルサレムの地を踏む。イスラエル政府が分離壁を作り始めていた。
壁にはところどころ「裂け目」があって、そこが検問所。アラブ人たちが長蛇の列を作っていた。数人のイスラエル兵士が通行人の顔とIDカードの写真を見比べている。車内の荷物を点検し、人々の身体を金属探知機で入念に点検する。長蛇の列になるのは当然だ。救急車がやってくる、兵士は救急車も通さない。この当時から病院に担ぎ込まれた妊婦が手遅れで母子ともに死亡、心臓発作を起こした高齢者が救急車内で死亡、などの事件が多発していた。
写真の中央に中学生らしき男子生徒と、リュックを担いだ女子小学生の姿が見えるが、彼らはもうすでに20年以上、このような不便な生活を強いられている。
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18面~19面 フクシマ後の原子力 改ざん中電はレッドカード(高橋宏)
日本社会の崩壊が始まった、と言ったら大げさであろうか。国政では高市早苗首相の暴走が止まらない。中傷動画作成疑惑、サナエトークン疑惑、経歴詐称疑惑について否定するのみで一切の説明責任を拒み続ける一方で、国旗の損壊等の処罰に関する法律案、国家情報会議設置法案、防諜に関する施策の推進に関する法案、個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法案等々、問題だらけの法案を提出し、数の力で成立させようとしている。
暴走は悪法の提出だけにとどまらない。武器輸出の5類型の撤廃、非核三原則の見直しや原子力潜水艦保有の検討、自衛隊の階級呼称変更、防衛装備の「国営工廠」設置の検討等々、戦前の反省を踏まえたタガを次々と取り払おうとしている。とどのつまりは憲法改正だ。現憲法が個人を最大限に尊重して国家権力をしばるものであることに対して、2012年に公表された自民党の改憲草案では、個人よりも国家を優先する姿勢が示されている。「国旗損壊罪」の提案は、まさにその地ならしの一端だ。
高市首相は中傷動画疑惑について、秘書が作る陳述書と証拠書類を提出することで答弁に変えさせてほしいと発言するなど、国会軽視の姿勢も露わにしている。「大義なき解散」で空前の議席獲得を実現した際、公約だったはずの「物価高対策」もどこかに行ってしまったかのようだ。
外交でも抱きついたり、踊ったりと大はしゃぎで恥をさらし、政治家の資質が問われる高市首相であるが、相変わらず支持率が不支持率を上回っている。高い支持率と圧倒的な議席を背景に、暴走を続ける高市政権の特徴は「ルールの無視」と「モラルの崩壊」であろう。
それが何と、一足早く原子力産業で起こっていたのだ。原子力規制委員会(規制委)は1日、浜岡原発の地震動データを中部電力が不正操作していた問題で、委員会による調査が始まった25年5月以降もデータ改ざんを続けていたことを明らかにした。
福島第一原発事故直後、当時の菅直人首相は「南海トラフ巨大地震の想定震源域の真上にある」として、浜岡原発の運転停止を中電に要請した。中電は運転中だった4号機と5号機を停止し、定期検査中だった3号機の再開も見送ることを決定した。
その後、中電は再稼働を目指して14年以降、3、4号機について規制委に「新規制基準」に基づく適合性審査を申請した。ところが15年、規制委に外部から情報提供があり、耐震データ不正の疑いが発覚した。
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20面 長生炭鉱「刻む会」 「陸の遺骨」発掘検討(栗原佳子) ※全文紹介
戦時中の水没事故で朝鮮半島出身者ら183人が犠牲になった山口県宇部市の「長生炭鉱」をめぐり、市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が6月30日、国会内で関係省庁と意見交換した。警察庁の担当者は「日韓両政府がDNA鑑定に着手した」と説明。刻む会は、事故直後に一部の犠牲者が陸地に埋められた可能性があるとして発掘する方針を表明、政府への協力を求めた。
刻む会は2月のダイバーの不慮の事故を踏まえ、来年2月の追悼式まで喪に服し、潜水調査実施の議論を凍結。残された犠牲者の遺骨収容について、「より安全な方法」を政府に要請することを決めた。
昨年8月と今年2月の潜水調査で2体が収容された。日韓両政府は6月17日、山口県警に保管された遺骨から検体を採取し、DNA共同鑑定に着手した。警察庁は「日本側と韓国側がそれぞれ鑑定し、結果を共有する」という。
犠牲者の7割が朝鮮半島出身。刻む会に加え、韓国政府も遺族の検体採取を進めてきた。北朝鮮在住の遺族の存在も明らかになり、朝鮮人強制連行真相調査団を通じ採取用キットが送られるという。
5月30日、韓国の遺族、全錫虎(チョン・ソッコ)さんが死去した。94歳。日本人遺族の池田ちひろさん(仮名)は意見交換後の記者会見で「事故4カ月後に生まれた母は先日、84歳になった。残された時間はそう長くない。一日も早く鑑定が進み、母に報告できたらと思う」と述べた。
遺骨収容について刻む会は「政府が安全性を確保して引き継いでほしい」と要請。1月30日に初めて現地で行なわれた専門家チームとの意見交換を再び行うよう求めた。
遺骨収容をめぐっては、韓国で与野党が「長生炭鉱の遺骨収容」のための法案を提出。成立すれば、収容は国の責務となる。記者会見で刻む会の井上代表は「日本に協力を求た場合、日本はどうするのか。大きな圧力になる」と話した。
一方、刻む会は「陸の遺骨」調査への協力も要請した。事故直後、会社は炭鉱再開のためポンプ車で坑道内の水も抜こうとしたという。しかし再び出水し、断念。その過程で一部の犠牲者が収容された可能性がある。当時の会社の資料には「朴サンドル外二十名」の埋葬料が村から支給された記録が残っている。
井上代表はこう説明した。「会社は朝鮮人遺族に慰謝料をほとんど払っていない。補償問題にもなるうえ、他の遺族も『探してくれ』となる。秘密裏に敷地内に埋葬された可能性がある。調査・発掘の方法を検討したい。結果ゼロでもやらなければならない」 -
21面 映画「原爆資料館」 見た者の義務として(栗原佳子) ※全文紹介
原爆被害の実相と核兵器廃絶の願いを伝える広島平和記念資料館(原爆資料館)の歩みをたどるドキュメンタリー映画「原爆資料館 語り継ぐものたち」が8月1日から大阪・第七藝術劇場で上映される。監督は地元・広島ホームテレビの立川直樹さんと斉藤俊幸さん。貴重なアーカイブ映像に新たな取材映像を加え、資料館がつないできた思いを歴代館長の姿を軸に描いた。
広島平和記念資料館は1955年、平和記念公園の中心施設として開館。遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を展示するとともに、2万2000点以上の被爆資料を保管する。これまで8000万人が足を運び、その4割は海外から。要人も多数訪れた。核兵器による危機が高まる中、世界的に存在感を増している。
資料館の前身は私設の「原爆資料参考陳列室」。後に初代館長になった地質学者の長岡省吾さんが、溶けた石や瓦など瓦礫を拾い集めたのがはじまりだ。現在の石田芳文さんは14代。高橋昭博さん(7代)、川本義隆さん(8代)をはじめ、被爆者として壮絶な体験を語り続けた館長たちもいた。映像は、歴代館長が「責任とプライド」のバトンをつないできた歴史も伝える。
「原爆資料館は単なる資料館ではありません。70年間、ここを中心に平和を発信してきた、とてもレアで大事な場所」と監督の一人、立川直樹さんは指摘する。長く原爆報道に携わる中、「資料館の軌跡をいつか作品にしたい」と構想を温めていたという。
23年、G7広島サミットで、核保有国3カ国を含む各国首脳が資料館を視察した。しかし、ガラス張りの建物は目張りされ、視察も十数点に限られた。立川さんは、共同監督の斉藤俊介さんと検証のドキュメンタリー番組を制作した。
開局55年の昨年、映画の企画が具体化。折しも戦後80年、開館70年の節目だ。若手の斉藤さんは100時間超の関連映像を一から見直し、貴重な未公開映像を掘り起こした。
立川さんは09年、元館長の高橋昭博さん(11年に80歳で死去)を初めて取材した。14歳で被爆。核廃絶の願いを込め、大やけどを負った右手で、オバマ大統領に手紙を書き続けていた。立川さんは「高橋さんの証言を〝聞いてしまったものの義務感〟で、この作品を作った」という。
いつかは被爆者不在の時代が訪れる。高橋さんは、資料館を〝見てしまったものの義務感〟で、未来へ伝える人は存在し続けると期待を込める。「映画が、そんな人を一人でも増やすことにつながれば」
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22面 経済ニュースの裏側 「株高の背景」(羽世田鉱四郎) ※全文紹介
日本経済の変化(失われた30年) 経済財政白書(内閣府)の統計データから、日本経済の変化を見ます。まず、円建ての国民総生産(GNP)。1992年から2022年は、505・8兆円から567・1兆円に(24年は617・0兆円)。名目雇用者報酬は253・5兆円から296・6兆円とほぼ横ばい(24年は313・5兆円)。国際経済では、貿易収支が1998年をピークに減少、2011年から輸入額が輸出額を上回っています。円相場(対ドル)は、09年から13年までは100円を下回る円高。国債発行額は、1991~93年は赤字国債の発行がゼロです。アベノミクスの始まった頃(2013年)から、国債発行額が急増したことは周知のとおりです。
産業構造の変化 貿易収支が黒字から赤字に転じた大きな要因は、製造業の海外移転です。主力産業だった繊維製品、鉄鋼、造船、家電、自動車などは、中・後進国の技術が向上し、国際競争力が衰退しました。現在は輸入大国に変化し、円の価値も減少しています。
通貨の実効為替レート 「他の通貨と比べた総合的な評価」である実効為替レートを見ると、「現在の円安水準は、1㌦360円の固定相場(1970年)のレベルで、今はさらに落ちています」「円は、2025年8月までの10年間では、先進国の中で最も下げ幅が大きく、アルゼンチンやトルコに次ぐ下落です」(野村証券)。反面、年間4000万人近くの訪日客急増の大きな要因の一つになりました。日本の製造業は、海外移転が進んで海外事業の収益は増えましたが、輸入増により価格競争力が低下。ちなみに、米ドルに換算した、我が国の国内総生産(GDP)は、12年をピークに減少しています。ただし、「大企業の輸出製造業は、輸出売上への消費税率がゼロなので、下請けや協力会社が負担した、仕入れや経費にかかる消費税額を還付」され、「24年度では上位30社で消費税収の約1割、2・7兆円を数える」(全国商工新聞)との指摘も。自動車、医薬品、食品、重工業などが中心です。
株高の背景 通貨価値の低減は、資源価格の高騰(金、銀、希少資源など)や不動産バブルを招きます。昨今は戦争や資源価格の高騰など、地政学リスクが急増。世界にあふれるマネーは、途上国から引き揚げられ、先進国、特に米国や日本などの株式市場へ大量に流入、半導体やAI関連といった情報分野に人気が集中して、活況を呈しています。日本の法人業績ですが、昨今はインフレと円安が寄与。実質的な成長がなくても、貨幣価値が下落して名目値が膨らんでおり、円建て換算で、名目上の売上や利益が膨れ上がり、増収増益です。株式市場の高騰は、パラレルな動きをしています。
お金とモノ 通貨(以下「お金」と表記)は「モノやサービス(以下、「モノ」と省略)」と「モノ」を「交換する手段」です。お金の価値が下がると、モノの価格上昇につながります。かつてお金は、金や銀で造られ、兌換(交換)することで価値を維持してきました(金本位制など)。その裏付けとなる「金」の保有が特定の国に偏り、今は不換(金と交換しない)となっています。不況対策で、各国の財政金融政策により、お金の量が増えすぎ、逆にお金の価値が下っているのが現実です。
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23面 会えてよかった 知花昌太郎⑦(上田康平) ※全文紹介
自分ごととして考えて
もらえるように
戦争を知らない世代として、自分
の言葉で次の世代に平和の大切さを
伝えたいと平和ガイドを続ける知花
昌太朗さん。
見えてきた課題を解決するために、
今、考えていることがある。
それはガイド(見学)と学習会を
パッケージで提供すること。
ガイドだけではどうしても一方通
行になり、自分ごとにしてもらえな
い。そこで、ガイドして見学しても
らってから、みんな座って意見を出
してもらう学習会を持つのである。
小学生にこういうことがあったん
だよと話しても歴史だけだとふーん
となってしまう。なかなか自分ごと
にはならない。昌太朗さん自身も小
学校、中学校の平和学習は覚えてい
ない。聞いただけだった。
だから見学の後、学習会で意見を
出し合うことで平和の大切さを自分
ごととして考えてもらえるようにし
たい。
大切な平和ガイド
昌太朗さんはチビチ
リガマのガイドに取り
組んでいる。
彼は参加される皆さ
んを現地に案内し、そ
の場でガマでの出来事
を証言などにもとづい
て話す。ホームページ
にこう書いている。現
地に立ちながら、その
場所が持つ重みや平和の大切さを皆
さんと一緒に感じ取る時間にしたい。
私は取材の前にもう何年振りかで
チビチリガマを訪ねた。ガマは谷の
ようになったところにあり、見上げ
ると木がうっそうと茂っていた。彼
はここでガイドをしている。ここで
あったことを伝え、命の大切さを伝
えている。それは大切なことだ。 平和ガイドを続けられるように
歴史を伝え、平和の大切さを伝え
る平和ガイド。そのガイド料金につ
いて、現状を昌太朗さんは憂えてい
る。平和ガイドを続けていきたいし、
自分のガイドの質も上げていきたい
と思う。だから平和ガイドを続けら
れるようにと思っている。
取材を終えて
父(昌一さん)から平和ガイドの
バトンを継いで、今、自分の言葉で
ガイドを続け、平和の大切さを伝え
ている昌太朗さん。チビチリガマの
証言音声などの資料を下嶋哲朗さん
が保管されているのを知り、活用さ
せてほしいと東京の下嶋さんを訪ね
たのである。その熱意に私は彼のガ
イドにかける強い思いを知った。
その彼の熱意に応えて読谷村に来
られ、資料の保存や活用に向けた話
し合いに参加された下嶋さん、東京
で泊まるところを決めてなかった彼
を自宅に泊めてくださった下嶋さん
に心打たれました。
昌太朗さん、証言音声を聞いてど
うだったかやガイドと学習会をパッ
ケージにする取り組みなど、また聞
かせてください。
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24面 日本映画興亡史 プロパガンダ「支那の夜」(三谷俊之)
1940(昭和15)年2月2日、衆議院本会議で民政党の斎藤隆夫議員は舌鋒鋭く、「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却し……」と内閣の政策を批判し、軍部に対して、「支那事変からはじまってからすでに2年半になるが、10万の英霊を出しても解決していない。どう解決するのか処理案を示せ!」と日中戦争終結の手だてを持たないまま、戦争を継続・拡大させている軍部と政府が、もっとも触れられたくないところに切り込んだ。
演説直後から軍部は怒り心頭。逆に「聖戦の目的を批判した」といい、斉藤への厳しい処分を求めた。斉藤が「文句があるなら除名せよ」と啖呵を切ると、軍部に迎合して勢力を伸ばそうとする政党も巻き込んで、議員除名処分となってしまった。
「昭和の語り部」と称される半藤一利は、自著『昭和史』の中で「これが議会の〝最後の抵抗〟だったのではないでしょうか。つまり政党が有効性を失った、象徴的な出来事だったと思います」と評した。
同年6月に封切られ、大ヒットした映画があった。東宝の大スター・長谷川一夫と満州映画協会(満映)の看板女優・李香蘭が共演した『支那の夜』だ。小国英雄脚本、伏水修監督によるこの映画は、日中戦争が拡大するなかで、日本の中国侵略を正当化することを目的に作られたプロパガンダ作品である。
舞台は上海だ。抗日意識に燃えていた美しい中国娘が、やさしくて頼りになる美男の日本人と出会い、愛が芽生え、抗日意識を捨てるというラブストーリーで、日本男子が中国娘に愛される、甘い幻想を振りまく典型的な通俗メロドラマだ。映画評論家佐藤忠男の評。「この映画は傑作でもなんでもないが、戦争宣伝映画の一例として、日本人のいい気さ加減の反省の材料としては非常に貴重である」(『日本映画300』より)。 李香蘭は日本人、山口淑子だ。そのことは戦争が終わるまで秘密にされた。仕組んだのは、満映理事長の甘粕正彦だったのか、満映製作部長兼理事の根岸寛一、あるいは根岸の腹心マキノ光雄であったのか。ともかく、日本語はもちろん、北京語も満州語も達者な李香蘭を抜擢し、満映最大のスターにしたのはマキノであったことは間違いない。
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25面 坂崎優子がつぶやく 使われ放題 個人情報
個人情報保護法が改正されました。もともと日本の個人情報保護法は企業寄りで、規制も甘めでした。今回の改正では、さらにデータの利活用に舵を切っています。
最も問題なのは、統計作成やAI開発のためであれば、本人の同意なしに病歴なども含んだ個人データを第三者に提供できる特例です。医療情報についての国の検討会議では、京都大学の黒田知宏教授(医療情報学)が、「最悪の案だ」と指摘していました。 「これまで国は、医療データの安全性をしっかり守るので使わせてくださいと、患者が納得できる制度づくりに注力してきたが、今回は乱暴な形で例外をつくることになる」と懸念を示しています。
また野党側からも、病歴や犯罪歴といった情報が、氏名とともに企業などに提供されることで、情報流出や悪用のリスクが高まるという指摘が出ていましたが、結局原案のまま可決されました。
この改正で「提供元・提供先の企業名や統計作成の内容公表」など一定の条件を満たせば、外国の事業者であってもデータを利用することが可能になります。ウェブ上で内容が公表されたとしても、同意を求められていない自分のデータが、そこで使われているかどうかなど知る由もありません。改正法はこのあと個人情報保護委員会の作る規則に委ねられ、一定の「歯止め」は設けられるでしょうが、それが実効性をもつとはとても思えません。
デジタル分野の進歩はあまりに早く、法整備は追いついていません。そんな中で、「規制」面で世界をリードしてきたのがEUです。データ保護に関してもGDPR(一般データ保護規則)で厳しく規定し、それらがEU域内のみならず世界標準として進んできました。これはIT企業の大手がほぼ米国企業だったこともあります。
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26面 絵本の扉 「あさえとちいさいいもうと」(遠田博美) ※全文紹介
今回紹介するのは、筒井頼子・作、林明子・絵のコンビによる人気絵本です。二人はともに1945年東京生まれ。以前、この欄で取り上げた、ぬいぐるみのこんと女の子あきの冒険物語『こんとあき』の作者である林さんが絵を描いています。
表紙に描かれているのは、幼い姉妹の姿。姉のあさえに靴を履かせてもらっているのは妹のあやちゃんで、その右手がお姉ちゃんの左腕をしっかりつかんでいるのが見えますか。あさえは4~5歳、あやちゃんは2歳くらいでしょうか。
ある日、家の前で遊んでいるあさえに、お母さんが「銀行へ行ってくるから」と声をかけます。「あやちゃんは?」「寝たばかりなので、起きる前に帰って来るわ」。あさえが見上げる視線の先には、つっかけで手提げバッグを持った母の姿。「早く用事をすませて帰らなくちゃ」という気持ちが伝わってきます。林さんの絵は、映画のカメラワークのように、誰の視線からの絵なのか読み手に伝わるように描かれています。
突然、玄関のドアの向こうで泣き声がしました。あやちゃんがお昼寝から起きてしまったようです。あさえは、二人で電車遊びをしようと、チョークで線路を描き始めます。その上を、あやちゃんは「ちゅっぽ ちゅっぽ!」と歩いてきます。
ようやく完成して顔を上げると、あれ、あやちゃんがいません。あさえの手からチョークがポロリと落ち、次の瞬間、「キキ―」と大通りから自転車のブレーキ音がしました。「どうしよう!」と不安を抱えながらあさえは駆け出しました。疾走する絵からは胸の鼓動が伝わってきます。
大通りまで走ると、自転車とぶつかったのはあやちゃんではありませんでした。ほっとしつつ、「あやちゃんはどこだろう?」「そうだ公園だ!」とまた走り出しました。
このページは、俯瞰で描かれています。読み手は絵の中に公園までの道を探ります。あさえが遠くに小さな女の子を見つけました。「あやちゃん!」と呼びかけましたが、女の子は進んでいきます。あさえが駆け寄ると、それは知らない女の子でした。
妹の名を呼び続けながら再び走り出したあさえは、お母さんと一緒に遊びに行く公園にたどり着きます。あさえの視線の先には、砂場で遊んでいるあやちゃんの姿が。あさえと一緒に妹を探してきた読者の緊張が解き放たれる瞬間です。木漏れ日の中で妹のもとに駆け寄るあさえと、手を上げるあやちゃんの笑顔をぜひ絵本で確かめてください。
林さんの描く子どもたちの姿は、仕草の一つひとつが愛らしく、発する声までも聞こえてくるようです。
たくさんの子どもたちを生き生きと描き続けた林さんですが、7月1日、肺炎のため亡くなりました。。81歳でした。残念でたまりません。 -
27面~29面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)
苦難の満鉄時代
語らなかった父
埼玉県狭山市 根橋敬子
戦前、父は南満州鉄道(満鉄)に勤めていました。当時、祖母と父の姉の子どもたち3人の計5人で暮らしていたそうです。
戦後、父は満鉄時代のことはあまり語りませんでした。ただ、暗い顔をして突然、5分ほど語るときがありました。子どもながら何か大事な話なのだろうと、いつも正座して聞いていたのを覚えています。
「満鉄では測量の仕事をしていたが、何年かで兵隊にとられた。愚図だからすぐにロスケ(ソ連兵)に捕まり、収容所に連れていかれたが、日本人の女の人たちが助けてくれた」と、最後はいつも「女の人たちに助けられた」との言葉で終わるのです。
子どもだった私は、その女性たちが金網を切るなどして助けてくれたのかと、軽く考えていました。でも、本当は悲惨な目にあっていたようです。「板の上に寝かされて一日に何人ものロシア兵の相手をさせられていた」ことを知ったのは、50歳くらいになってから。言葉が出ませんでした。でも、そういう女性たちがいたから、自分たちは助かったのだと、父は言いたかったのだと思います。
祖母の話も悲惨でした。「息子はもう死んだ」と思った祖母は引き揚げの準備をしていたら、突然、玄関に真っ黒になった父が立っており、腰を抜かしたそうです。
満鉄職員は引き揚げの時、特別な計らいをしてもらったという話も聞きましたが、実際はどうだったのかわかりません。引き揚げ後、北海道で落ち着いたようです。北海道には親戚がたくさんいて、安心できる場だったのかもしれません。
晩年、父が入退院を繰り返すようになってから、一度だけ「満州に行きたい」と言ったのを聞いたことがあります。その願いは叶うことなく、1996年7月に息を引き取りました。80歳でした。
私が満州を訪ねたのは、父が亡くなって11年後のこと。「あれが満鉄の本社です」と言われたとき、驚くとともに、じわっとこみ上げるものがありました。
(お父さんはよく生き延びて日本に戻られましたね。お父さんが無事に引き揚げてきたから根橋さんが生まれたのですから。「日本人の女の人が助けてくれた」。とても重く、悲しい言葉です)
最高裁敗訴12件
変われJR東海
さいたま市緑区 淵上利和
JR東海が労働組合の団体交渉の申し入れに応じなかったことを巡る訴訟で、最高裁は6月12日、国(中央労働委員会)側の上告を棄却した。これにより、JR東海の団体交渉拒否を不当労働行為と認めた東京高裁判決が確定した。
私は当事者である労働組合の組合員である。労使で締結した基本協約に関する認識について団体交渉を申し入れたが、JR東海は「団体交渉事項に該当しない」として交渉を拒否した。2017年に東京都労働委員会へ救済を申し立てたあと、東京地裁、東京高裁を経て最高裁で判断が確定し、ようやくJR東海は団体交渉を拒否できないことになった。
団体交渉は労使関係の基本である。当たり前のことを確認するために約10年もの歳月を費やしたことは、労働組合にとっても会社にとっても大きな損失である。都労働委員会が救済命令を出した段階で解決していれば、時間も費用も節約できたはずである。新幹線利用者から得た収益が長期の裁判費用に充てられたことも、利用者の理解を得られない。
今回の最高裁決定により、JR東海に対する不当労働行為認定は11件目となり、名誉毀損訴訟を含めれば最高裁で確定した敗訴案件は12件となる。法令順守とコンプライアンスが重視される時代、この件数は企業として重く受け止めるべきではないか。
労働組合との対話を軽視するJR東海の企業体質は、リニア中央新幹線建設において地域住民への対応に共通するものを感じる。JR東海は約3兆円の財政投融資による支援を受けながら事業を進めているが、開業時期は2035年以降となり、完成時期は見通せないままである。
一方で、建設工事沿線では地盤沈下や隆起、水枯れなどの問題が発生しているが、会社は「因果関係が確認されていない」と責任を認めていない。住民説明会でも「法律に基づいて進めている」との説明に終始し、住民の不安や疑問に向き合っているとは言い難い。
法令を守るだけでなく、社員や地域住民の声に真摯に耳を傾け、信頼を築く姿勢こそ求められている。
JR発足から来年4月で40年を迎える。今回の最高裁決定を機に、対話を重視する企業へと変わることを期待したい。
(団体交渉は労働者の権利です。そんな当たり前のことすら認めようとしない企業は傲慢不遜。ブレーキ役をなくすと、今の高市政権のように暴走を繰り返すことになり、犠牲になるのは私たち市民なのです)
改憲に前のめり
まさに怖い世代
熊本県八代市 横林政美
新聞うずみ火5月号の「読者からの手紙」で、大阪府の松本圭司さんの投稿「『戦争はダメだ』通じない時代に」に、編集部は田中角栄元首相の言葉「戦争を知らない世代がこの国の中核になった時が怖い」を紹介しています。まさに現政権が田中元首相の言葉に当てはまるのではないでしょうか。
高市首相は憲法改正、時に9条改憲を目指しています。与党が過半数に届かない参院での野党の動向がポイントだとは思いますが、近い将来、国民投票が実施されるのではないかと思います。
私は60歳の時、医療過誤で障害が残る身体になりました。障害者、高齢者にとって投票行動は容易ではありませんが、投票所のバリアフリーを訴え、期日前投票は介助を頼む人の日程に合わせて投票しています。2月の衆院選では約4400万人が棄権しています。障害のある人、高齢で外出が困難な人、入院中の人などの投票行動を、政権与党は把握しているのでしょうか。
近い将来、改憲のための国民投票はあるでしょう。制度上、解決すべき問題点は多いと思いますが、すべての有権者が自分の考えで投票できる環境にして、実施すべきだと思います。
私は戦争につながる改憲には反対します。祖母の生前の言葉が思い出されます。「戦争しても何も生まれん。若者が負傷、死ぬだけ」
(「時は来た」と改憲に向けて邁進する高市政権。権力の暴走を縛る憲法を、権力者側が変えようなんておかしい。「国民投票には勝てない」と思わせる民意の可視化が求められています)
続いて、お知らせです。うずみ火Tシャツ残りあとわずか、です。
新聞うずみ火創刊20周年を記念し、昨年制作した「うずみ火Tシャツ」が残りわずかとなりました。
Tシャツは黒一色。表には新聞うずみ火がローマ字で表記され、「消さない 命尊ぶ反戦の火」と題した創刊準備号がプリントされています。
サイズはMが16枚、Lが1枚、XLが1枚です。
1枚2000円。ご希望の方は、うずみ火編集部までお申し込みください。郵送料(510円)はうずみ火が負担させていただきます。
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28面 車いすから思う事 熱バリアをどう防ぐか(佐藤京子) ※全文紹介
アスファルトの上に湯気が立つ暑さになってきた。気象予報士が「過去最高の暑さだ」と口にする。地面に近い車イスドライバーは、一般の人が暑いと感じるよりもさらに深刻だ。単に気温が高いだけではなく、むせる暑さなのだ。頸椎を痛めてから体温調節がうまくできないので、汗の多くは頭から滴り落ちてくる。髪を切るときに短めにしてもらうのだが、どんどん短くなる。これ以上は切らない方が……というところで、美容師さんは手を止める。
ともあれ、この熱バリアを何とかしなければ。まず、凍らせた保冷剤を両手で包み込むようにして持つ。手のひらで持つのがミソで、割と早く涼しくなる。次に大きな血管の近くにあてる。首筋やわきの下もいい。
熱バリアを避けるには日影だ。昭和の時代には店舗に日よけシートがあり、店に日光が入るのを遮った。道路に屋根をつけられないものかと考えてみると、あるではないか。アーケード街だ。でも、最近は大型商業施設が数多くでき、近所の商店街は元気をなくしている。
照り返しの激しい暑さ対策に、これはどうだろう。オリンピックのために東京都が水はけのいい、照り返しの少ない舗装を設置した。遮熱性アスファルトだ。しかし、どれだけの場所に埋設されたのか。その後、広がっているとは聞かない。残念だ。
実際、最近の外出を振り返ると、スーパーへ片道30分で往復した時の疲労感がとても強かった。スーパー内は空調がよく効いていて汗一つかくこともなく快適だ。だが、帰りを思うとゾッとする。重い荷物は配送を頼んであるが、細かい物はエコバッグに入れて持ち帰るのだが、家に戻るとぐったりするほど。決して暑い時間帯に出ているわけではない。日が傾きかけてからの外出なのだが、身体の芯から疲労感が湧いてくる。
「寒ければ服を着て過ごせるが暑いからと服は脱ぐのに限界がある」と言われるが、車イスの素材もそうだ。骨組みは金属が多く、耐久性などとの兼ね合いもありシート面もラフにはできていない。熱がこもりやすい。ここで保冷剤入れるのも涼しいが、落としたりつぶれたりとリスクはある。
自分のライフスタイルに合わせた時間の過ごし方が必要なのだろう。 -
30面 8月2日(日)埼玉夏の集い ※全文紹介
埼玉県狭山市の根橋敬子さんからのご案内です。
8月2日(日)に読者交流会「埼玉夏の集い」を開催します。正午に西武新宿線「新所沢駅」改札に集合し、近くのイタリアンレストラン「デルフィーノ」で会食しながら交流会。食事後は「入間川七夕まつり」を見学します。江戸時代から伝わる関東三大七夕まつりの一つ。狭山市駅西口から七夕通りにかけての一帯が約100本の手作りの七夕飾りで彩られます。
会費は5000円。
参加ご希望の方は7月末までに根橋さん(090・9245・0531)にお申し込みください。
矢野編集長も参加予定です。
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30面 矢野編集長の8月講演 ※全文紹介
■平和学習・大阪市立南中学
・日時 6日(木)午前9時~
・演題 「大阪大空襲」
■人権啓発リーダー講座
・日時 7日(金)午後2時~
・会場 滋賀県栗東市立ひだまりの家
・演題 「戦後80年 戦争の記憶を記録として伝える」
・連絡先 栗東市人権擁護課(077・551・0108)
■「住まいと暮らしのぷらっとHOME西大寺」セミナー
・日時 22日(土)午後1時~
・会場 奈良市の住まいと暮らしのぷらっとHOME西大寺
・演題 「城が燃えた」
・参加費 500円 ※予約制
・連絡先 0120・901・735
■市民が主役!吹田の会学習会
・日時 23日(日)午後2時~
・会場 大阪市北区の本庄会館(地下鉄「天神橋筋六丁目駅」⑥出口から徒歩5分)
・演題 「進む戦争への道」
・参加費 1000円
・連絡先 090・5067・6760
■平和学習・枚方市立楠葉中学
・日時 28日(金)
・演題 「大阪大空襲」(1年)、「きくさんの沖縄戦」(2年)、「国際情勢」(3年)
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30面 編集後記(栗原佳子) ※全文紹介
沖縄戦初期の1945年3月下旬、米軍が上陸した慶良間諸島で住民の「集団自決」の悲劇が起きた。島々に配備された日本軍は住民が捕虜になることを許さず、かねてより「鬼畜米英」の恐怖を植え付け、上陸直前には手りゅう弾まで配って追いつめた。沖縄のメディアは、慶良間諸島をはじめ各地で相次いだ住民の「集団自決」を事実に照らし「強制集団死」と併記する▼しかし、一部の勢力にとっては、天皇の軍隊(皇軍)の名誉を汚す不都合な史実。教科書にまで介入し、ありえない検定意見をつけ、記述書き換えの踏み絵を踏ませた。2007年3月末に公表された教科書検定結果は沖縄を揺るがし、宮古・八重山をあわせ11万6000人が参加するという同年9月の「検定意見撤回を求める県民大会」に発展した▼この県民大会からまもなく、実行委員会のメンバーたちは決議文を携え東京に赴いた。実行委を迎えた集会を前に、会場近くの有楽町で街宣があった。マイクを握った一人が、教科書執筆者の坂本昇さんだった。現役の都立高校教員が公然と街宣車の上に立ち、検定で何が起きたか詳らかにしている。異例なことだ。「遅ればせながら立ち上がりました」。坂本さんは訂正申請の先陣を切った▼背中を押したのは県民大会の経験だったと聞いた。だが、授業で落涙したエピソードは、朝日新聞記者で坂本さんの教え子、森本大貴さんの記事を読むまで知らなかった。森本さんを紹介してくれたのは坂本さんだ。生徒が新聞記者になり、大阪に配属が決まったと、うれしそうな声で電話があった。私も坂本さんのことを知ってほしくて寄稿をお願いした。森本さんの原稿で、来年が、あの教科書検定問題から20年だと認識を新たにした。多くのものを蹴散らし、踏みにじり、転がり落ちるように進んできた20年だったことも。
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31面 うもれ火日誌(矢野宏)
6月16日(火)
矢野 午前、大阪市東住吉区の市立鷹合小学校で、6年生73人に平和学習。東住吉区田辺に投下されたパンプキン爆弾をテーマに制作した証言DVD「語りつぐ大阪大空襲Ⅲ」を上映、大阪大空襲について話す。
6月17日(水)
午後、金順玉(キム・スノク)さんが新聞うずみ火に折り込むチラシのセット作業。
6月19日(金)
午後、竹腰英樹さんがチラシのセット作業に。
6月21日(日)
沖縄戦跡フィールドワーク前にメドをつけねばと、新聞うずみ火7月号のゲラを印刷会社へ送る。印刷をお願いしていたあゆみ印刷ならゲラ出し翌日に納品してくれたが、3日かかるとのこと。栗原は最終便で那覇へ。
6月22日(月)
矢野 午後、神戸空港から沖縄へ。夜、フィールドワークのガイドを務める琉球大准教授の謝花直美さんと栄町で打ち合わせ。岩部始さん、谷口明さん、水田隆三さん、八重山毎日新聞に移籍した下地毅さんも駆けつける。
栗原 県庁前で「南部の土砂を辺野古埋め立てに使うな」とハンスト中のガマフヤー、具志堅隆松さん、小橋川共行さん、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」事務局長の上田慶司さんらを激励。
午前、石田冨美枝さんが残ったチラシのセット作業に。
6月23日(火)
矢野、早朝、金さん、謝花直美さんとともに栗原のレンタカーで糸満市摩文仁の「黎明之塔」へ。原付の下地毅さんとも合流。十数年前まで隊列を組んで慰霊に来ていた自衛隊員の姿はなく、日の丸と旭日旗を掲げた集団が訪れ、東に向かって拝礼。「海ゆかば」を合唱。午後、県庁前でフィールドワーク参加者と合流。謝花さん、牛島貞満さんの案内で「もう一つの基地移転問題」那覇軍港―浦添海岸―首里城を回る。夜、打ち上げ。参加者から「来年もぜひ!」
6月24日(水)
新聞うずみ火発送予定だったが、印刷会社のシステムに不慣れなため、版下の不具合の対応が遅れ、翌日に延期。矢野、栗原は夕方の便で帰阪。
6月25日(木)
昼過ぎに新聞うずみ火7月号が届き、金川正明さん、柳田充啓さん、多田一夫さん、康乗真一さん、大村和子さん、樋口元義さん、佐野哲郎さん、鈴木くみ子さんと発送作業。郵便局の回収より前に作業を終え、お土産の泡盛で乾杯。
6月26日(金)
台風7号と9号が関西上陸。矢野は枚方市立楠葉中学校で平和学習は中止(8月に順延)。
6月27日(土)
台風一過、矢野は午後、京阪枚方市駅近くの教職員組合書記局3階で、枚方市教職員OB・OG会による憲法カフェで「今こそ9条 崖っぷちの憲法!」と題して講演。
6月28日(日)
矢野 午後、いくのパークで開かれたコリアNGOセンター総会に出席。栗原も同行。
6月30日(火)
栗原 午後、参院議員会館で開かれた長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の政府交渉へ。
7月2日(木)
矢野 午後、大阪暁光高校看護専攻科4年生に「社会学」。
7月3日(金)
矢野 午後、大阪市立西中学校で平和学習。体育館に集合した全校生260人に「大阪大空襲を知っていますか」と題して30分、休憩をはさんで30分の計1時間の講話。
7月9日(木)
矢野 午後、大阪暁光高校看護専攻科の「社会学」。4時間目と思い込んでいたら昨年の授業予定表。あわてて学校に駆け込み、「差別用語について考える」と題して講義。
7月10日(金)
矢野 午前、大阪市立東我孫子中学校へ。1年生の平和学習は4年連続。証言DVDを上映し、大阪空襲について話す。夜は神戸へ。神戸学生センターの飛田雄一さん、読者の公庄直子さん、岡内克江さん、秋吉京子さん、山田隆司さん、栗原とウィグル料理。
栗原 夕方、十三のシアターセブンで、大阪民主新報の佐藤圭子編集長と一緒に映画「原爆資料館」の立川直樹さんにインタビュー。
7月13日(月)
矢野 午後、大阪暁光高校看護専攻科「社会学」の最終講義。学生たちの感想文の中にこんな一文が。「毎朝、駅前でうるさいなと思いながら通り過ぎていた改憲反対の人たちの演説に少し興味を持てるようになりました」
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32面 8月1日(土)黒田清さんを偲ぶライブ(矢野宏) ※全文紹介
黒田清さんが大好きだったコント集団「ザ・ニュースペーパー」の結成時メンバー松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」を8月1日(土)、大阪・豊中市立とよなか男女共同参画推進センター「すてっぷホール」で開催します。
菊さんの権力者を嗤う都都逸、チョッキさんが麻生副総裁と高市首相の二役も。大いに笑ってください。
会場は阪急宝塚線「豊中駅」南口改札から右手、エトレ豊中5階。
資料代は2200円(読者2000円)です。
なお、当日会場で配布するパンフレットの「一声広告」やカンパを募集しています(3000円以上は当日のライブにご招待)。無理のない範囲でお力添えをよろしくお願いします。
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32面 うずみ火講座(矢野宏) ※全文紹介
■8月15日(土)桂花団治さん「伝戦落語」
うずみ火講座は敗戦の日の8月15日(土)午後2時半~大阪市此花区のクレオ大阪西で開催します。次世代に戦争を伝える落語「伝戦落語」を手がける三代目桂花団治さんに新作「みがきにしん〜樺太真岡の記憶」を披露してもらいます。
みがきとは「身欠き」、ニシンの干物のこと。花団治さんの母親は樺太(現サハリン)真岡郡蘭泊村の生まれ。旧ソ連軍の襲撃を受けたのは敗戦の5日後のこと。真岡郵便電信局では電話交換手9人が集団自決に追い込まれました。
資料代2000円(当日2500円)。お早めにうずみ火事務所まで。
■8月29(土)幸田泉さん「何回やんねん都構想」
大阪市を廃止して特別区に分割する「大阪都構想」の3回目の住民投票に向けた府・市の制度案作りが進んでいます。うずみ火講座はジャーナリストの幸田泉さんを講師に招き、8月29日(土)に開講します。会場は、大阪市天王寺区のクレオ大阪中央(地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘駅」①出口)です。
8月1日(土)黒田清さんを偲ぶ会
いよいよ近づいてきました。コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いて…
8月15日(土)桂花団治さんが伝戦落語
うずみ火講座は敗戦の日の8月15日(土)午後2時半~大阪市此花区のクレオ大阪西で開催します。次世代に戦争を伝え…
【茶話会】8月26日(水)午後2時半~うずみ火事務所で
次回の「茶話会」は8月26日(水)午後2時半~うずみ火事務所で開催します。いつものように、新聞うずみ火の取材の…
【酒話会】8月28日(金)午後6時半~うずみ火事務所で
「酒話会」は8月28(金)午後6時半~うずみ火事務所で開催します。定岡由紀子弁護士を囲んで憲法のイロハについて…
【新刊本】「城が燃えた—太平洋戦争 西日本大空襲」
太平洋戦争末期、米軍による空襲で当時国宝だった六つの天守が焼失・倒壊した。城はどのような戦災を受けたのか。市民…
【講演予定】出番です!矢野編集長 8月の講演
■平和学習・大阪市立南中学・日時 6日(木)午前9時・演題 「大阪大空襲」 ■人権啓発リーダー講座・日時 7日…


