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◆2021年1月号(NO.184)の目次

  • 1面~3面 コロナ禍の医療現場 大阪 止まらぬコロナ死(矢野宏、栗原佳子)

    新型コロナウイルス感染の急拡大で緊急事態宣言が発令された大阪府では、死者数が東京を上回る水準で推移。医療体制もひっ迫している。全国初のコロナ専門病院になり、これまで700人の患者を受け入れてきた大阪市立十三(じゅうそう)市民病院(淀川区)も綱渡りの運営が続き、医師や看護師の疲れはピークに達している。

    「医療現場は必死で、余裕もありません」

    十三市民病院の三田村将光事務部長はそう話す。

    「看護師の中には家族への感染リスクを減らすため、月決めマンションやホテルなどで暮らしている人もいます」

    十三市民病院は地方独立法人「大阪市民病院機構」が運営。18の診療科を持ち、263床ある結核の指定医療機関で、地域医療の拠点だった。緊急事態宣言下の昨年4月14日、松井一郎市長が中等症のコロナ専門病院にすると表明。外来診療や手術などを順次止め、約200人いた入院患者を転退院させた。一方、コロナ患者受け入れのため、結核病棟に加え一般病棟も改修してコロナ専用の病床を90床確保した。

    それから約9カ月。現在の受け入れ可能病床は70床。三田村さんは、現状では限界だという。

    「理由の一つが大量離職です。昨年4月からこれまでに医師10人、看護師・看護助手ら22人が病院を去りました。『専門分野で自分の腕を磨きたい』という医師、高齢の両親や夫の介護などで退職された看護師もいました。コロナが長引けば職員は減っていきます」

  • 4面~5面 コロナ禍の保健所 「救える命救えない」(矢野宏)

    新型コロナウイルス感染の急拡大で、首都圏に続いて大阪・京都・兵庫、愛知、福岡など7府県にも緊急事態宣言が出された。崩壊の危機にあるのは医療現場だけではない。コロナ対応の最前線に立つ保健所も業務がひっ迫している。特に人口10万人あたりの職員数が全国最少の大阪府はより深刻で、「大阪府関係職員労働組合」(大阪府職労)委員長の小松康則さん(49)のもとには現場から悲痛な訴えが寄せられている。  

    大阪府職労では「保健師、保健所職員を増やしてほしい」というオンライン署名を呼びかけてきた。小松さんは保健師らの声をツイッターで発信しており、年末年始にも切実な声が寄せられたという。

    〈大みそかも出勤。出勤者全員で頑張ったけど、夕方に陽性者が一気に増え、電話対応で不安に応え、入院調整、宿泊療養の説明などの対応が続き、帰路についたのは新年を迎えてから。元日も朝から出勤。年末年始関係なく陽性者の発生、症状の悪化などは続く。限られた人数で対応し、翌日への引き継ぎ事項を整理し終えた時には深夜3時を過ぎていました〉

    〈大みそかに出勤し、帰宅したのは深夜0時過ぎ。ようやく眠りについた深夜3時にコールセンター経由で在宅療養中に症状急変と連絡あり対応。そして2日も出勤。確実に土日勤務よりもきつい年末年始〉

    首都圏の4人の知事が首相官邸を訪れ、緊急事態宣言の発令を要請した1月4日、大阪府の吉村洋文知事は「府は感染拡大が抑えられている」と言い切った。だが、6日に560人、7日に607人の新規感染者が確認され、緊急事態宣言を要請すると言い出した。

    「現場の意見を聞かずに進めるからだ」と小松さんは指摘する。「維新府政になってから何事もトップダウンで、現場の声を聞こうとしません。スピード感はあるかもしれませんが、府民の声を聞いているのは現場の職員たちです。その声を聞かずに政策を決めても対策は不十分です」



     

  • 6面~7面 阪神・淡路大震災26年 神戸市長田区の再開発(粟野仁雄)

    「住民と話し合いをしていない、決定までの時間が短いとの意見はその通りだ。しかし延長して意見がまとまるだろうか。絶対にないと断言できる。復興は一日でも急ぐ」

    これは1995年3月14日、当時、兵庫労働総合研究所の常任理事だった出口俊一さん(現、兵庫県震災復興研究センター事務局長)が神戸市の都市計画審議会で意見陳述した際に引用した神戸市都市計画局の近藤義和部長の言葉だ。

    「市民の声を聞く耳は持ちません」と公言しているのと同じだった。当時46歳だった出口さんは「これでは本当の復興はあり得ません」と、計画に強い反対意見を述べた。だが、審議会も形だけだった。市役所前には怒った市民が押しかけ騒然となったが、計画案は強引に決められる。

    「そもそも審議会の会長が市の小川(卓海)助役だったこともおかしかった」と振り返る。「震災発生からたった2カ月後に市は突如、JR新長田駅南に高層ビルを並べる巨大な再開発を打ち出しました。多くの人が避難所生活で仮設住宅もできていない時期でした」

    長田区では火災で多数が焼死した中、小川助役は「幸か不幸か燃えた」と失言して批判を浴びた(小川氏は後に焼身自殺する)。

    「西日本一の再開発」とする再開発計画は震災以前からあったが、長屋などが立ち並び、着手できなかったからだ。

  • 8面~9面 阪神・淡路大震災26年 NPO「よろず相談室」牧さん出版(矢野宏)

    阪神・淡路大震災の発生から1月17日で26年。被災者支援を続けてきたNPO法人「よろず相談室」理事長の牧秀一さん(70)が活動の集大成として、震災で障害を負った「震災障害者」らの体験をまとめた証言集「希望を握りしめて」(能美舎)を出版した。神戸市内で17日に開かれたトークイベントで、牧さんは「災害に遭った人たちはもちろん、これから起こりうる災害で被災者となる人たち、支援者や行政に阪神・淡路大震災の経験を知ってもらいたい」と語った。  

    定時制高校教師だった牧さんは、震災直後に自宅近くの神戸市立御影北小学校に開かれた避難所でボランティア活動を始めた。リーダーから「先生だから人の話を聞けるでしょ」とお願いされたのがきっかけで、被災者と向き合うことになる。

    ボランティア仲間と「よろず相談室」を設立。避難所に通い、被災者の声に耳を傾けた。震災翌年からは自殺や孤独死を防ぐため、仮設住宅を回り、復興住宅の高齢者を訪問して声をかけてきた。その数は130世帯に上る。

    「やっぱり、ほっとかれへんかった。被災者にとって必要なのは『自分一人ではない』『訪ねてくれる人がおり、気にかけてくれる人がいる』と感じてもらうこと」という牧さん。「3人の被災者から1日で7時間以上も話を聞いた時は、乗ってきた自転車をふらつきながら押して帰るのが精いっぱいやった」と振り返る。それでも孤独死を防げなかった時は自分を責めたという。

    「活動している意味がないから、やめようと思った。その時に、亡くなった人の隣に住んでいる人が声をかけてくれたんや。『また来たらええやんか』と」

    東京から毎月1000円ずつ送り続けてくれる支援者らの存在にも励まされたという。

    震災で負ったけがの後遺症に苦しむ「震災障害者」の支援活動も続けてきた。毎月1回の「震災障害者と家族の集い」もその一つ。きっかけは、震災前に通った喫茶店のマスター岡田一男さん(80)との再会だった。岡田さんは震災で18時間、がれきの下敷きになり、クラッシュ症候群で右足に障害を残していた。「震災後、重い荷物を背負ってきました。薄紙をはぐようにしていきたい。同じ悩みを持つ人たちが気楽に集まれる場があれば……」

    牧さんは、孤独死や自殺といった悲惨な出来事に目を奪われていたことに気づかされたという。

    「死者の陰に隠れて、障害を残した人の情報すらなかった。障害を負ったとはいえ、『生きているだけましなのでは……』との思いもあった」

    集いに参加した人たちは「ここは泣ける場や」と言って一緒に泣き、「これで、あと1カ月頑張れるわ」と帰っていった。

    参加者の一人、城戸洋子さん(40)は倒れてきたピアノの下敷きになり、脳に障害が残った。当時中学3年生。運ばれた病院で「生存率3%」と告げられた。奇跡的に意識は戻ったが、震災から6年後に「高次脳機能障害」と診断された。知的、身体、精神の三つの障害を持ち、障害者作業所に通っている。

    洋子さんは集いの場で、同じ境遇の大川恵梨さん(26)と出会った。恵梨さんは生後2カ月半で震災に遭い、倒れてきたタンスで脳を強打し、知的障害と歩行障害が残った。

    その話を、恵梨さんの父親から聞いた洋子さんは号泣する。「震災後、感受性が弱くなっていた洋子さんが感情表現を取り戻した瞬間だった」と、牧さんは振り返る。

    「行政に相談できる窓口もなく、支援もなかった。1・17が来るたびに、私たちのことは語られなかった」。洋子さんの母美智子さん(68)の言葉だ。

    牧さんらの訴えもあり、兵庫県と神戸市は2010年度に震災障害者の実態調査に乗り出し、349人の存在を把握。県は13年に相談窓口を設置し、復興支援専門員らが相談に応じている。

    さらに国も動かした。17年には身体障害者手帳の申請書類の原因欄に「自然災害」の項目が追加されたのだ。

  • 10面~11面 ヤマケンさんのどないなっとんねん 後手続き 政府感染対策(山本健治)

    菅首相は「感染を食い止めると同時に、経済も両立させ、国民の生活を守る」と言ってきたが、感染対策も経済対策も中途半端、的外れ、後手で批判が高まり、支持率が下がると、あわてて動き出すという行動パターンの優柔不断で、心が届かない内閣である。

    昨年10月末で国内感染者数が10万人を超え、12月初頭から感染急拡大の気配があり、21日には20万人を超えたのだから、危機感を持っていいはずだったが、動かなかった。いよいよどうしようもないという状態になった1月8日に、東京・埼玉・千葉・神奈川の1都3県に「非常事態宣言」を出した。しかし、14日には30万人を超えたことは周知の通りである。

    このままでは首都圏だけではなく、他の大都市でも感染が急拡大し、医療体制も崩壊して大変なことになることが明らかになり、首都圏に隣接した栃木でも、大阪など近畿圏でも、いや愛知などでもと、知事たちから「非常事態宣言」の対象を拡大すべきだという声が出てくると、要望が出ていなかった福岡もつけ加え、11都府県に拡大して、期間は2月7日までとしたことは周知の通りであるが、決めた途端に広島も含めるべきだという声が出て、準ずる対応をするようになった。

    この間、人の流れを大きくする「Go to トラベル」や「Go to イート」を止めた方がいいのではないかという声も出ていたが、文字通り漫然と続け、ようやく12月14日に中止を決めたが、それもただちにではなく年末の28日から新年の11日までという期間設定で、とにかく決断ができず、中途半端で、後手に回った。

    後手に回ったのは菅首相だけではない。感染急拡大した東京で、小池知事はテレビ受けする言葉遊びをしていただけであった。また、首相とのギクシャクした関係もあって、対策らしい対策はとられず、一気に拡大してしまったと言っていいのではないか。

    大阪の吉村知事も、大阪は東京とは違って、感染拡大抑止対策はうまくいっているとタカをくくっていた。松井大阪市長は、営業時間をフルタイムに戻すということはできないかもしれないが、今よりは短縮をゆるめてもいいかのように言っていた。しかし、感染者が500人、600人ということになってあわて、コロナ感染で亡くなった人は、大阪が最多になった。ちょっとしたゆるみが感染を拡大してしまうことを教えている。

    問題なのは、政府も都道府県も、肝心要の対策を行っていないことである。飲食店などに営業の時短を求め、国民には外出を自粛してくれ、多人数で集まっていわいがやがやするのをやめてくれなどというだけで、肝心な感染者と無症状だが感染している人を把握し、その人たちが動くことによる感染拡大を防止するため、隔離したり、医療対応するなりの対策をしていないことである。火事で言えば火元を消す努力をしなければならないのに、それが不十分だということだ。

    あいかわらずPCR検査や抗体検査数は世界で下から数えた方が早い状態で、世界で一番病床数が多いと言われながら医療崩壊寸前だというのだから、国内で最初の感染が確認されて1年がたつのに何をしてきたのかということになる。前号で、大阪で国立・公立の病院、大学病院、民間の大病院があるのに、なぜ医療崩壊寸前だと言って、自衛隊の出動を要請するのか、情けないと書いたが、日にちが過ぎると帰っていった。

    頼りにされている自衛隊だが、自衛隊阪神病院では、大阪に応援に行ったからではないが、別の感染ルートから集団感染が起きたと言うのだから笑えない。また、いまもって感染防護のマスクや衣服が国産でまかなえない、ICUも人工肺も足りない、専門医師・技師・看護師らも足りないと言っているのだから情けないとしか言いようがない。また、休業要請や営業時間短縮などに応じても、雀の涙のような補償ではどうしようもない。倒産・廃業・失業が増えるだけだ。このままでは1カ月たって宣言解除はできないだろう。

  • 12面~13面 世界で平和を考える 原発は「各発電所」なのに…(西谷文和)

    先月号ではアフガンルポを劣化ウラン弾被害で締めくくった。ここではウランという物質と原発、核兵器のつながりについて述べてみたい。以下は、小出裕章さん(元京大原子炉実験所助教)に教えていただいた事実、そしてモンゴルで学んだことである。

    米軍は弾の先にウランを詰めた兵器「劣化ウラン弾」を1991年の湾岸戦争から約30年間も使い続けている。ウランが天然に存在する金属の中で最も重くて堅いからだ。劣化ウラン弾はイラク・フセインの戦車を「チーズにナイフを突き刺すように」撃ち抜いた。爆発したウランはエアロゾルとなり、現地に残る。イラクやアフガンの人々はそれを吸い込み、内部被ばくしていると考えられている。

    9年前、モンゴルのウラン鉱山を取材した。首都ウランバートルから東へ4輪駆動車で1日半、道無き道を駆け抜けてようやくたどり着いた大草原。中国との国境近くに存在した。ここはノモンハン事件の現場近くで、拠点都市チョイバルサン市には「ノモンハン戦争勝利記念碑」が建っていた。当時の関東軍は約2万人もの兵士を戦死させ、モンゴルと旧ソ連軍の前にもろくも崩れ去ったのだ。

    ウラン鉱山では地下400㍍の竪穴を掘り、その地底に数㌔もの横穴を掘り進んでウランを採掘していたという。つまり、「400㍍も掘らないとウランにたどり着かない」わけで、眠っていたウランを、儲かるからと言ってわざわざ掘り出してしまった人間の罪深さを感じる。

    天然ウランの構成は核分裂するウラン235が0・7%。残りは燃えないウラン238である。これでは原発で使えないので、天然ウランは米国やロシアに送られ、濃縮工場でウラン濃縮作業をして235の比率を3~5%まで高める。これが日本にやって来て、3・11の時も福島原発で燃えていたのだ。天然ウランを米国の工場で90%まで濃縮したとすると、何になるのか。答えは広島型原爆である。

    簡単に言えば、約4%の濃縮ウランがじわじわ燃えているのが原発で、90%が一瞬にして燃えるのが原爆である。

    「眠っていた天然ウラン」を掘り出した結果、人類はウラン最終処分に悩むことになる。濃縮工場ではウランの搾りかすであるウラン238が溜まり続ける。この核のゴミをリサイクルして弾に詰めたのが劣化ウラン弾。つまり、原発がなければ劣化ウラン弾はなかったことになる。

    次にウランと原子炉、核兵器の関係についてみてみよう。

    米国はナチスドイツよりも先に原爆を作るため、マンハッタン計画を実行。1943年、オークリッジにウラン濃縮工場を建設した。翌44年にはハンフォードにプルトニウム生産炉を建設した。天然に存在するのはウランまで。プルトニウムは人工的に作るしかない。大きな圧力釜を作り、そこにウランをおいて中性子を当ててプルトニウムに転換する。何のために? 長崎型原爆を作るためだ。そう、世界最初の原子炉は長崎型原爆を作るために建設されたのだ。

  • 14面~15面 フクシマ後の原子力 核兵器禁止の先頭に(高橋宏)

    核兵器禁止の国際条約である核兵器禁止条約が1月22日、発効する。2017年7月7日に国連総会で採択されたこの条約が「核兵器のない世界」を求める人々の願いの実現に向けて、いよいよ効力を発揮するわけだ。だが、それを手放しに喜べない現実がある。条約発効に向けた署名国・批准国の中に、日本は含まれていない。

    核兵器廃絶に向けた取り組みは1945年に広島・長崎に人類初の原爆が投下された直後から始まっていた。46年の国連総会第1号決議は「核及びその他の大量破壊兵器の廃絶」を国際社会の最優先目標に掲げた。それ以来、様々な国連文書や決議において、この目標は再三にわたり確認されてきた。しかし世界は、廃絶に向かうどころか、アメリカ、ソ連(当時)、イギリス、フランス、中国が核実験を繰り返しつつ保有量を増やし、インド、パキスタン、イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が新たな保有国となり、今日では1万3400もの核兵器が存在する。

    一方、63年、核兵器の不拡散に関する条約(NPT)が国連で採択(70年発効)されたが、結果的に米ソ英仏中の5カ国に核兵器保有をとどめることができなかった。遅々として進まない核廃絶に大きな変化をもたらしたのが、96年に核兵器の使用または威嚇の合法性に国際司法裁判所が出した勧告的意見だった。NPTの第6条では締約国が核軍縮交渉を誠実に行うことが「約束」されたのみだが、「それを完結させる義務を有する」という判断を下したのだ。

    これを機会に、核兵器禁止条約を国連で議論しようと国際的な動きが活発化する。同年4月、核兵器の廃絶を求める法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する三つの国際NGOによって、「モデル核兵器禁止条約(NWC)」が起草された。マレーシアとコスタリカが国連文書として各国に提示する。マレーシアは以後、毎年NWCの早期交渉開始を求める決議案を提出していくが、なかなか具体的な動きには結びつかなかった。

    2009年、アメリカのオバマ大統領(当時)がチェコ共和国の首都プラハで、核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任があるとしてアメリカが先頭に立ち、核兵器のない世界平和と安全を追求する決意を明言した。この「核なき世界」演説でオバマ大統領は同年のノーベル平和賞を受賞している。日本はこの演説を受け、衆参両議院が全会一致で「核兵器廃絶に向けた取り組みの強化を求める決議」を可決した。ちなみに、当時の麻生太郎首相も、オバマ大統領の演説に肯定的な評価を述べている。

    そして15年、国連総会は、核兵器禁止条約の実質的な協議を行う公開作業部会(OEWG)の設置に合意。17年に条約交渉会議が国連本部で開催された。まさに「核兵器廃絶に向けた取り組みの強化を求める決議」に沿った具体的な動きが始まったわけだが、何と日本政府は会議の初日こそ出席したものの「会議には核兵器国の出席が一国もなく、わが国の主張である核兵器、軍縮・不拡散における原則を満たすものではないことが明らかになった」として、その後の会議への不参加を表明したのである。

    広島市や長崎市をはじめとした多くの関係者が参加を要請したが、結局、安倍晋三首相・麻生副首相を擁する日本政府は、核兵器禁止条約に関わる議論に加わることはなかった。核兵器禁止条約は採決の結果、賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数で可決されたが、日本は不参加だった。その後、18年の国連総会にオーストリアなどが「核兵器禁止条約の署名・批准促進を訴える決議案」を提出(賛成多数で可決)した際には、日本は反対を投じている。

    これまでに何度も訴えてきたが、「唯一の戦争被爆国」を自認する日本は、本来この条約成立の先頭に立つべき存在であった。あまり知られていないが、日本は国連に毎年、「核兵器廃絶決議案」を提出している。常に賛成多数で採択されてきたが、昨年の賛成は150カ国で前年より10カ国減少、決議案に強く賛同する共同提案国も半減した。核兵器禁止条約への対応の不満が、非核保有国の間で高まったことが要因と考えられる。核廃絶を願う国々は、今の日本に失望している。

  • 16面 寄稿 大阪市、財政局長ら処分(名古屋市立大名誉教授 山田明)

    「大阪市を4分割すると218億円のコスト増になる」との市財政局の試算を毎日新聞が報じた問題で、財政局長らが懲戒処分された。市人事室に疑問点を問いただした名古屋市立大名誉教授の山田明さんに寄稿していただいた。

    大阪市は12月24日、財政局における「不祥事案」について、財政局長、財務部長、財務課長の3人を懲戒処分とした。処分内容は減給6月から3月、根拠法令は地方公務員法第29条第1項各号。各号とは法律や条例等、職務上の義務に違反、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合などだ。

    市人事室に疑問点を問いただすと、3人は信用失墜行為など、地方公務員法第29条第1項の各号に当てはまる。処分事由は次の通り。

    複数の報道機関の求めに応じ、地方交付税制度における基準財政需要額について、大阪市人口を4等分した場合の理論上の数値(試算)を提供した。試算の情報提供自体は問題ないが、住民投票が差し迫った時期で慎重に判断すべきで、結果として市民に誤解と混乱を生じさせた。毎日新聞社から記事草稿の確認依頼があり、草稿を局内で共有していたが、その一部を公文書と認識しながら廃棄した。

    人事室の高井俊一次長は24日の記者会見で「試算の数値は間違っていないし、説明を尽くした上で提供した。捏造には当たらないし、情報提供すること自体は否定していない」と説明した(12月25日付日本経済新聞)。人事室に確認すると、記事に間違いはないと述べた。結局、財政局の試算は理論上の数値で、内容に問題はないが、情報提供の時期と「公文書」廃棄で処分に至ったことになる。捏造でもない情報を提供したことで、担当部局の職員が懲戒処分を受けるのは納得できない。

    財政局の試算が報道されたあと、松井一郎市長は「試算は捏造だ」と決めつけ、財政局を一方的に攻撃した。財政局長は当初「機械的な試算」などと釈明していたが、市長から恫喝され、試算を撤回する羽目に。住民投票直前に、市民に誤解と混乱をもたらしたのは、パワハラまがいの言動をした松井市長ではないのか。記事の草稿が「公文書」なのかも疑問だ。草稿の一部廃棄は、市会での維新議員の執拗な恫喝めいた質問攻めに背景があったのではないか。

    人事室には処分は不当という声が多数寄せられた。一方、橋下徹市長時代につくられた「職員基本条例」により、処分を重くすべきという声も同程度あったという。地方交付税の基準財政需要額の試算は「大阪市廃止・特別区設置住民投票」に際し、市民にきちんと情報提供すべきものだ。法定協議会で自民委員が再三要求したが、維新委員は「ちゃぶ台返し」などと応じなかった。副首都推進局も情報提供に否定的で、それこそ職務上の責任が問われるべきだ。

    財政局の処分問題は、市役所だけでなく、メディアにとっても重要な問題を投げかける。試算を大きく報じた毎日新聞に対して、国会でも維新議員が「誤報」と発言し、松井市長も誹謗中傷を繰り返した。12月27日付の大阪日日新聞は「試算は捏造でも誤報でもないことが明らかになったが、自治体の幹部が報道機関に出した情報を首長が撤回させ、情報に基づく記事を誤報にできるのなら、首長の意に反する報道は成り立たなくなる」と鋭く指摘する。メディアのあり方も問われている。

  • 17面 大阪朝高「花園」ベスト4 逆境とも堂々闘う(矢野宏)

    新型コロナウイルス感染拡大防止のため無観客で開催された「第100回全国高校ラグビー大会」。大阪朝鮮高級学校は、連覇を果たした桐蔭学園(神奈川)に決勝進出を阻まれたものの、10大会ぶりに4強入りした。大阪市東成区の東成朝鮮会館でパブリックビューイングが行われ、学校関係者らと一緒に観戦した。  

    2大会ぶり11回目の出場を果たした大阪朝高。花園では過去ベスト4が最高で、2回とも準決勝で桐蔭学園に敗れている。雪辱を期して臨んだ1月5日の準決勝。フォワードの平均体重で100㌔対91㌔という差がありながら、前半は互角の展開だった。

    16分、先制トライを許した大阪朝高は敵陣に深く攻め入り、ラインアウトからのモールを押し込む。スクラムハーフの李錦寿(リ・クンス)選手(3年)が右に持ち出し、トライを決めた。「やったー!」「いいぞ!」。ゴールキックも決めて7対5と逆転すると、会場は歓声に包まれた。

    さらに前半終了間際、ラックから持ち出した李選手からパスを受け取ったスタンドオフの金侑悟(キム・ユオ)選手(3年)が右隅に同点トライ。「よっしゃ、いける」。「中大阪朝鮮初級学校とともに歩む会」の中山茂さん(68)は両手を突き上げた。

    「『魂のタックル』に多彩な攻撃が加わった。権晶秀(コン・ジョンス)監督が『単調な試合運びでは上は望めない』と語っていたが、1試合ごと成長しています」

    桐蔭学園ラグビー部員102人に対し、大阪朝高は39人。私が初めて大阪朝高を取材した1990年には1000人を超えていた生徒数は今年度210人。5分の1にまで減っていた。背景には、保護者の負担増がある。

    大阪府・市が朝鮮学校を運営する大阪朝鮮学園への補助金が2012年、当時の松井一郎・大阪府知事と橋下徹・大阪市長によってカットされた。朝鮮学校は学校教育法第1条で定める「正規の学校」ではなく「各種学校」扱いのため、国庫からの補助はない。

    さらに追い打ちをかけたのが高校無償化からの排除だ。大阪朝高が取り消しを求めた裁判は、大阪地裁では原告の請求が認められたが、高裁で逆転敗訴。19年8月に最高裁で敗訴が確定した。

    中山さんは「私の知り合いにも中学校までは朝鮮学校に通わせ、高校からは日本の学校に通わせた人が数人います」と話す。

    試合は後半に入り、大阪朝高はたて続けに4連続トライを奪われ、12対40でノーサイド。雪辱はならなかった。

    会場にもれたため息は、ねぎらいの拍手に変わった。「よくやった」「胸を張れ」。

    在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)東成支部の任宗孝(イム・ジョンヒョ)委員長(59)は「選手たちには『ご苦労さん』と言ってやりたい。この10年の逆境の中で学校や後輩のことを考えて決めたスローガン『使命』を十分に果たした。正々堂々と闘ってくれた。立派です」と語った。

  • 18面 リバティおおさか解体 壁面のかけら分かち合う(栗原佳子)

    昨年6月末で休館を余儀なくされたリバティおおさか(大阪人権博物館)=大阪市浪速区=。立ち退きに向け解体工事が進むなか、1月9日にはホールの巨大な壁画の取り壊しが始まり、職員や市民有志が見守った。壁画のかけらは後日、希望者におすそ分けするという。

    リバティおおさかは1985年、大阪市、大阪府などで出資した財団法人が開設。国内外の人権問題の資料3万点を収蔵し、国内唯一の人権問題に関する総合博物館として学習・啓発の場として活用されてきた。95年にはホールも整備。マイノリティが培ってきた芸能・文化の発表の場としても親しまれた。ホワイエには、大阪出身のイラストレーター黒田征太郎さんが「きずな」と題した壁画を描いた。

    しかし、2008年に橋下徹氏が府知事に就任して以来、同館は逆風にさらされてきた。徐々に補助金を減らされ、13年には全廃。市有地である敷地の無償貸与も撤回され、賃料などを要求された。拒否すると、「不法占拠」だとして、建物の撤去と敷地の返還を求める訴訟を起こされた。

    かつて全国水平社本部の置かれた解放運動の中心地で、差別撤廃と教育の向上を願い、地域の人々が土地と建物を市に寄贈した小学校の跡地に同館は建てられた。訴訟で財団側は歴史的経緯を訴えたが、市側は所有権を主張して譲らなかった。結局、昨年5月、建物を解体して立ち退く代わりに市側が賃料相当額の約1億9000万円を免除することで大阪地裁で和解が成立。昨年6月末に休館、解体工事が始まっている。

    壁画は高さ3㍍、幅20㍍。長いツタや花々に囲まれ、人物7人が手をつなぎダンスしているような絵柄だ。「黒田さんは2時間くらいじっと壁面をにらんで一気に描き上げたんです」と、制作に立ち会った元学芸員の太田恭治さん。保存も模索したが、技術的にも難しく断念。その代わり、壁画のかけらを分け合おうと、太田さんら「リバティ応援団」が発案した。運営資金にも事欠く同館を支えるため結成、敷地内の草むしりをしたり、企画展を開催したりしてきた市民有志だ。

    この日は、かけらを希望する多くの市民が取り壊し作業を見守る予定だったが、コロナ感染拡大防止のため中止。「応援団」がかけらを拾い集め、後日、希望者に渡すかたちに変更した。

    取り壊しは、絵の部分を丁寧に削る方法で行われ、市民や職員ら20人が見守った。「橋下氏は視察で『明るい差別を描け』、ホールも『贅沢三昧』と言いました。解体は本当に悔しい。でも黒田さんは『また描くよ』と言ってくれた。心寄せてくれた方たちと2年後のリニューアルを待ちたい」と太田さんは話した。

  • 19面 熊谷空襲フィールドワーク 語り継ぐ大切さ実感(根橋敬子)

    フィールドワークには7名が参加。コーディネーターと講師に「熊谷空襲を忘れない市民の会」の清水貴子さん、米田主美さんを迎えた。米田さんは終戦前日、空襲があったその日に生まれた。

    最初に訪れたのは熊谷女子高校。県内で唯一空襲により焼失した高校で、レンガ造りの北門には焼け焦げた跡が残っている。「年に1度は必ず仕事で訪れていたが、出入りしていた北門が空襲遺構とは知らなかった」と参加者の野沢栄一さん。

    本堂が焼失したという石上寺の境内には被災したケヤキの木があった。「この木も焼けて、もう枯れるだろうと思っていたが、翌年、芽が出て被災した市民に勇気を与えました」とご住職。再建された寺の観音像の中には、焼けて溶けた仏具が納められている。また、同寺には空襲をくぐり抜けた弘法大師像がある。空襲の最中、先代の住職がかろうじて運び出した。しかし、「おいたわしい姿なので、見せてはいけないという先代の遺言により、現在は見せることができません」。

    最後に向かったのは星川。空襲による火災を逃れて、大勢の市民が飛び込んだ。市の中心部を流れるその川で息絶えた市民も大勢いた。終戦を迎えた熊谷では、戸板に遺体を積み重ね焼くという凄惨な日々が続いたという。

    なぜ終戦間際の空襲だったのか。日本がポツダム宣言受諾を決めたのが8月14日正午。その後、御前会議があり発効したのは午後11時。中立国であるスイスに伝達したのが翌15日午前4時10分。スイスが連合国に通知したのが午前7時頃。ここで時間差が生じたという。

    戦後、熊谷空襲の任務にあたった米軍パイロット、ビブ・ロックさんと交流した故・新井賢二朗さんの資料によると、ロック氏は戦争終了の暗号「ユタ」を機中で待っていたが、ついにこの暗号が発せられることはなかったそうだ。ロック氏は「お詫びはしない。しかし無実の人々を殺し、傷つけ、破壊した後悔の念を持ち続けている」と語っていたという。

    参加した村松泰さんは「埼玉県に住んで70年近く経とうとしているのに熊谷空襲の実態については全く知らなかった。日本政府がもう少し早くポツダム宣言受諾を決めていたらあり得なかった空襲だ」。 千葉から参加した白井政幸さんは「県庁所在地ではない中小都市で起きた戦争被害ゆえに、その記憶は風化が早いのではないかと思った。しかし、フィールドワークで見たものは自らの生活と結び付けて戦争や自然を語り継ぐ人びとだった」と話していた。
     
    ずっと口を閉ざしてきた語り部たち。「聞いてくれる人たちがいる間は話したい」。私たちが、さらに語り継がなければならないと考えさせられた。

  • 20面 読者近況(矢野宏、栗原佳子)

    韓国政府から勲章授与

    【大阪】聖公会生野センター総主事の呉光現(オ・グワンヒョン)さん(63)=大阪市生野区=が昨年12月、韓国政府から「国民勲章冬栢(つばき)章」を授与された。

    呉さんは在日2世。高齢者や障がい者の地域生活支援を行うとともに在日本済州四・三犠牲者遺族会会長として1948年に済州島で起きた4・3事件の慰霊を続けてきた。在日独自の地域社会での活動が叙勲対象となるのは異例という。

    12月20日に市内で開かれた祝賀会で呉泰奎(オ・テギュ)駐大阪総領事は「大阪は済州出身の人が多く暮らすが、共有する辛い記憶を公に分かち合うのは容易でない時代があった。困難の中、呉さんはじめ多くの方々が追悼活動を続けて来られた」と祝辞を送った。呉さんは「同胞の次世代、障がい者の友人たち、四・三で苦しみを受けてきた多くの人々がこの社会で可視化されたという意味だと思うと喜びもひとしお」と語った。(栗原)

    吹田で2月戦跡巡り

    【大阪】吹田市の市民団体「世代をこえて考える戦争と平和展実行委員会」は平和ガイドブック「吹田の戦争遺跡をめぐる」の発行を記念し、2月20日に戦跡巡りを行う。ガイドは執筆者で関西大非常勤講師の塚崎昌之さん。

    ガイドブックは、吹田市制80周年の市民提案事業として発行。市平和祈念資料館が発行していた「平和記念資料室だより」に掲載された塚崎さんの連載をまとめた。

    フィールドワーク「理想的田園都市・千里山と朝鮮人、そして戦争」は午後1時に阪急「関大前駅」南口集合。関大図書館~千里寺~糸田川河川改修跡などを回り4時半ごろ豊津駅で解散する予定。

    「吹田の戦争遺跡をめぐる」持参のこと(お持ちでない方は当日300円で配布)。参加費500円。定員20人。申し込みは実行委の越智清光さん(090・9709・4676)まで。 

  • 21面 経済ニュースの裏側 財政赤字(羽世田鉱四郎)

    ■世界の現状 世界に広がるコロナ禍。各国は大慌て。経済の立て直しにジャブジャブとお金を供給。米国は「国債を月額800億㌦、住宅ローン担保証券(MBS)400億㌦の継続購入」という量的緩和を継続し続けると宣言。新興国も国債発行を倍増し、2020年には、前年の倍3兆㌦(約320兆円)を発行しました。借り換え1・5兆㌦を併せ5兆㌦に。新興国の債務(借金)残高は、18年時点で55兆㌦(約6000兆円)に増大。GDP(国内総生産)
    対比で168%です。世界銀行は「過去50年で最も深刻」とコメント。

    その中心が中国です。GDP対比で、実に255%と借金まみれ。リーマン・ショック対策で4兆元(56兆円)の財政支出も災いしました。弊害も目立ちます。中国では社債の不履行(借金が返せない)が、昨年は1570億元(2兆5000億円)となり、国有企業が4割を占めます。米国市場に上場する企業の不正会計疑惑も相次ぎ、売上高の偽装が目立つとのこと。先進国、新興国を問わず、国の財政赤字を中央銀行が穴埋めする「財政ファイナンス」が定着しました。

    少し横道に。財政ファイナンスの典型として、日本の例を挙げます。旧大蔵省の資料によれば、太平洋戦争の軍事費は、GDP228億円の33倍、7600億円で、国債の日銀引き受けで賄いました。その反省もあり、日銀は「財政ファイナンス」を固く禁じています(財政法第5条)。

    ■日本の現状 今年度の国家予算は、過去最大の106兆円です。財政投融資も過去最大の40兆円となり、前年の3倍に。コロナ対策のどさくさに紛れ、財政規律のタガが外れました。借金も4割(新規国債43兆円)。国債残高も1026兆円。

    国債の保有者は日銀が47・7%を占め、銀行、生損保、公的年金など大半が国内で、海外は7・4%(7兆6000億円)に過ぎません(20年6月末現在)。外国の金融機関の保有が多く、財政危機で大騒ぎとなったキプロスやギリシャ、イタリアなどとの大きな違いです。

    ■実質の財政ファイナンス 13年4月に始まった異次元緩和。その中心となった日銀の貸借対照表の推移を見てみます。12年9月と20年9月を比較。総資産149兆円→690兆円。うち国債102兆円→529兆円、ETF(上場投資信託)1・3兆円→34兆円。残念ながら何度も断言していた「物価上昇2%」はできませんでした。株高が行き過ぎて、年末には2万7000円台に。マスコミも経済の実態からかけ離れていると報道。仮想通貨まで急上昇。海外のハゲタカファンドがニンマリ。

    国債の国内消化の多さに目をつけ、先月号で紹介した怪しげな暴論(MMT)を借り、財政赤字に懸念はないと言い張る、いい加減な学者なども増えました。それに近い見識を持つのが、現日銀総裁を中心とするリフレ派。デフレから脱却するのに、ジャブジャブとお金を供給すれば解決できると勘違い。金融は、経済活動の大切な根幹ですが、金融だけの狭い視野だけでなく、生身の人間を見つめる視点が大切です。
          

  • 22面 会えてよかった 屋宜光徳さん(上田康平)

    1960年4月28日、沖縄県祖国復帰協議会が結成された

    「米軍占領から抜けようとの思いが強かった」と屋宜さん。結成大会が行われたのは沖縄タイムスホール。青年会、教職員会、労働組合などの大衆団体と人民、社会、社大3党が参加して結成された。

    高圧的な軍政に住民は自治を要求

    60年代に入って、復帰運動が発展し、自治を要求する住民の世論と運動も盛り上がってきた。

    この事態に米軍の占領政策は再び強圧的なものになり、61年に就任したキャラウェー高等弁務官(64年交代)は布令を乱発、住民の自治を圧迫するなどした。63年には〈現在の沖縄では、自治権は神話である〉と発言している。

    屋宜さんは「高等弁務官は何でもできた。〈おれが憲法だ〉と。一番ひどかったのがキャラウェー。高等弁務官(国防長官直属の現地責任者で58年5月から置かれている)は布告、布令、指令、書簡(手紙)を出す。みんな同じ効力。書簡は琉球政府主席あてに出されるが、住民にわからないので、特に性質が悪い」

    この高圧的な軍政に対して住民は自治要求運動を続けた。主席公選要求も発展し、68年になって主席公選が実現した。

  • 23面 落語でラララ 鳴き声今昔(さとう裕)

    落語にはいろんな動物が出てくる。で、イヌもネコも狼も猿も狸も人間の言葉をしゃべる。結果、鳴く動物は少数。小咄二題。

    捕まえたネズミを前に、大きい、小さいと争っていると、当のネズミが「チュウ(中)」。お百姓さんが1日の畑仕事を終えて帰りかけると、カラスがクワークワー。「ああ、もうちょっとで大事な鍬を忘れるとこやった」。鍬を担ぎ帰って来ると、庭のニワトリたちがクークークーと餌をついばんでいる。見たお百姓、お前らは年がら年中食う食うと食い気ばっかりや。カラスは偉いぞ、ワシが忘れ物したらクワークワーと教えてくれたわ。聞いたニワトリ「取ってこーか!」。

    「取ってこーか」はコケコッコーの洒落だと思っていたが、山口仲美氏の『ちんちん千鳥のなく声は』を読むと、ニワトリは江戸時代「とってこう」と鳴いていたとある。単なるコケコッコーの洒落ではなかった。

    言葉をしゃべって鳴くのは「猫の忠信」ぐらいか。人間に化けていた猫が正体を暴かれて、手習いの師匠宅の三味線が自分の母親(の皮で作られた)と白状する。そのオチ。手習い師匠のお静さんが、美女の静御前になぞらえられると、「わてみたいなお多福、なんの静かに似合うかいな」と、猫が顔を上げて「ニアウ(似合う)」。

  • 24面 極私的日本映画興亡史 機材、興行権 横田兄弟に(三谷俊之)

    稲畑勝太郎が輸入したシネマトグラフは「自動幻画」と名付けられた。1897(明治30)年2月、大阪・戎橋通りの南地演舞場で成功し、京都の東向日座で興行を続けた。輸入した別の映写機は道頓堀の角座をはじめ、大阪各所でかけられ、東京でも評判を呼んだ。

    わが国に映写機は相前後して三つのルートから輸入されている。大阪の貿易商・荒木和一がエジソンからヴァイタスコープを購入。大阪・新町演舞場で同2月に上映。次に東京の新井商会も米国からヴァイタスコープを輸入、神田・錦輝館で公開する。シネマトグラフを吉沢商会がイタリア人から購入。3月9日に横浜の港座で公開した。新井商会などのヴァイタスコープは「活動写真」と名付けられ、興行はどこも盛況だった。

    稲畑はシネマトグラフを素晴らしい発明品と考えたが、興行そのものは忌み嫌った。江戸時代から興行を行う場所には縄張りがあった。ヤクザやテキ屋に仕切られ、慣習と取り決めがあり、ゆすりやたかりまがいもあった。稲畑は裕福な名家の出身で、幼時から頭脳明瞭、16歳でフランス留学した超エリートの実業家である。ヤクザらの不合理なしきたりにはなじめなかった。

    後に大阪商工会議所会頭にもなった実業家であり、なにより自らの事業が大事だった。彼はシネマトグラフに関するいっさいの興行権、機械、フィルムを横田満寿之助、永之助という兄弟に譲り渡した。

    満寿之助は稲畑とともに留学で渡仏し、日本最初の製麻業を起こした実業家だ。満寿之助にとっても、興行の世界は素人で不得意な世界である。彼は、弟の永之助に全てまかせることにした。永之助は「日本映画の父」と呼ばれたマキノ省三を発掘し、後に日活を経営し、映画界に君臨することになる。活動的で、商魂たくましく、資本主義前期によく見られたワンマンで独占的な経営者であったようだ。

    生まれは72(明治5)年4月、京都の華頂宮家(後の伏見宮)の家職(執事長)横田摂津之守豊成の三男として育つ。やんちゃで京都市立第一商業を退学。父の薦めで東京高等商業(現・一橋大学)予科に入り、卒業後に渡米した。出航前夜、なんと父や兄からもらった支度金200円を吉原で使い果たし、船の罐焚きをしながら航海する。切ったはったの興行界には、うってつけの人物だったようだ。

    さて、明治政府は若き稲畑たちを欧米に留学させるなど、積極的に西欧文明を取り入れた。日本が選びとった遮二無二の近代化は明の側面とともに、この国で生きる人々を収奪し、共同体の破壊を増大するなど、多くの暗部もあった。

    同時代に起きた足尾銅山鉱毒事件で代議士の田中正造は「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と訴え、「この地上に我々の国はない」とまで述べた。あるいは世に澎湃と盛り上がった自由民権運動の圧殺で、「革命にあらず、移動なり」と北村透谷がうめいた如き近代の奈落があったことも忘れてはならない。

  • 25面 坂崎優子がつぶやく 淘汰されよ 悪しき慣習

    コロナ禍、人と人が会って話すことの大切さを再認識します。とはいえ会ってどんなコミュニケーションをするかはもっと重要です。

    先日、テレワークを1年続けている知人に様子を聞いてみました。「初めは、自宅で仕事をするリズムを作るのに四苦八苦したけど、自分なりのやり方を見つけてからは快適だよ」と彼。「顔を合わせずにできるもの?」「これまで、肩書きや威圧感のある人に気後れして、言いたいことを抑えていたことに気づいた。オンライン、それも文字だけのやり取りが主流になると、相手の矛盾がより鮮明になる。変な圧力を感じることもなくなって、遠慮なく問題点を指摘できるので断然仕事がやりやすい」。彼はその後、長年当たり前とされてきた業務の改善に取組み、社内で表彰されました。

    私もさまざまな活動の場で話し合う機会がありますが、自分が仕切り役をする時は心がけていることがあります。それは発言力のある数人の意見でまとめてしまわないことです。

    かつて、普段ほとんど発言しない人に意見を求めた時、斬新な内容が出てきたことがありました。「いつも黙っているけどこんなにいろいろ考えている人だったのか」と驚きました。

    頭の回転が速く、話す力もある人がいると物事がスムーズに決まります。けれど、主張があるのにのみ込む人、時間をかけて考える人など、さまざまな人の多様な考えを引き出し議論すると、新たな課題が見つかるなど収穫も大きいのです。

    「年配」「男性」が牛耳る日本の劣化ぶりが見えてきました。旧態依然で危機管理能力が低く、変化に対応できない国の姿がコロナであぶり出されています。首都圏に2回目の緊急事態宣言を出し、国民には制限をかけながらも、自分たち政治家は特別かのように振る舞い続けています。次々に出てくる会食情報。4人以下という新たな甘いルールを否定されると、今度は「政治家は人と会うのが仕事」と開き直る始末です。

    ジャーナリストの浜田敬子さんが「国会議員の会食問題はもちろん、感染対策の視点からも重要。でももっと本質的なことは、はしご会食しないと大事な話ができないと思い込んでいることだと思う」とツイートしていて、まさにその通りだと思いました。

    普通の生活をしていない「年配」「男性」政治家は、昭和的政治から脱却できない、まさに化石のような軍団です。今の体たらくぶりは必然です。浜田さんはさらに「ビジネスでも同じ。夜の飲み会で大事な人事などが決まっていたりする」と重ねていました。

    冒頭のテレワークの彼が相手にしている企業は古い体質が残る業種で、属しているのは日本の中では進んでいるとされる企業です。その狭間で生産性高く仕事をするには、今のテレワークは都合がいいというのはとてもよくわかります。

    中身の伴わない「圧」や密室での飲み会が幅をきかせている日本の政治もビジネスも、テレワークと会食禁止で一度淘汰されてくれればと思います。
    (フリーアナウンサー・消費生活アドバイザー)

  • 26面~30面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    ごり押し大阪維新は
    菅政権と重なる強権

        千葉県 小出賢治
    関東に住んでいると、「大阪都構想」についての実感が乏しくなりますが、新聞うずみ火1月号の「都構想ゾンビ条例画策」を読み、「大阪維新の会」がすでに2回も否決された「都構想」を大阪市民に手を替え、品を替え、自分たちの考えをごり押ししている事実に驚きました。

    市立高校の移管と統廃合、それに伴う土地までも府に移管するなどの考えは、明らかに「都構想」に包含される事業のように思えます。「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」という橋下徹氏の言葉は独裁者の考えではないでしょうか。そこに大阪市民は存在しないのではないでしょうか。この考えが、この政党の基盤にあるのであれば大変危険なことだと思います。

    この強権政治手法は、「自分のいうことを聞かない奴は飛ばす」菅政権と同じではないかと思います。しかしながら、この政党を選んだのは大部分の大阪市民・府民であるのは事実であり、やはり選挙は大切な我々の権利であり、間違った選択をすると、大きなツケが我々にめぐってくる危険があると、つくづく思った次第です。

    (「たたき上げの苦労人」などと、菅首相誕生直後のマスコミはほめたたえましたが、維新に対する関西のテレビと相通じるものがあります。連日、争うように吉村知事を出演させ、批判することなく、言い分を垂れ流す。無節操ぶりが目につきます)

  • 28面 車イスから思う事 なんのための分科会(佐藤京子)

    昨年秋ごろ、テレビ画面から悲痛な声を聞いた。新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長だ。「このまま思い切った対策を講じないと、1カ月後には東京の新規感染者数が2000人を超えてしまう」。その頃はGo to 真っ只中。東京都の新規感染者が500人を超えてビックリしていた。人との会食が良くないから、「密」を避けようと声高に言っていた頃だ。それでも、この国の偉い人たちは毎晩のように会食を繰り返していた。

    そして、なし崩し的に東京もGo toイートを始めた。すると、あれよあれよという間に都内だけでなく、全国各地で新規感染者がどんどんと過去最高を更新するようになった。それでも、屁理屈としか感じられない言い回しを使い、「5人以下なら良い」と言い出す始末。何のために分科会を開いているのか。経済活動が滞ると聞けば、たいていの人は「それは大変だ」と見えない不安におびえることだろう。

    病気は病院へ行けば治してくれる、エクモという最新機器もあると聞くからと、他人事だと心の底にありませんでしたか。自分は大丈夫と根拠のない自信がありませんでしたか。とうとう、都市部を中心に、入院どころか療養先でさえ、自宅かホテルかを選ぶどころではなくなっている。

    こうして治療先を探しているうちに亡くなってしまったという信じがたい出来事も多発している。東京をはじめ、中核都市さえも医療は崩壊をし始めている。情報にアンテナを張っていないと、気が付いたら自分が病院難民に陥っているということになりはしないだろうか。

    昔、区職員として高齢者医療保険の仕事をしていた時、窓口にきた高齢者に対し、「病人を道端に放るようなことはないから」と説明をしていたことが今になっては恥ずかしくなる。さすがに道端に倒れている人はいないと思っていたら、コロナウイルスを発症して路上で倒れて亡くなっていた方がいたと知り、愕然とした。

    いろいろな情報が飛び交う。こんな時ほど、何が本質なのか。今、自分のできることは何なのかを見直さなくてはならないと強く感じている。 
    (アテネパラリンピック銀メダリスト・佐藤京子)

  • 30面 編集後記(矢野宏、栗原佳子)

    寒中お見舞い申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いします。長いトンネルに入ってしまったかのようなコロナ禍ですが、確かな出口が早く見えることを祈るばかり。できれば、大阪の「災厄」もろとも退散願えればと。今月号で山田明先生に「218億円」をめぐり寄稿していただきました。住民投票の最終盤、毎日新聞の特報を発端にしたメディア攻撃、パワハラ……。いまの大阪の異常性を象徴していると思います。先日、府市が4月から「広域一元化条例」を施行するとも報じられたばかり。2月議会はまだ先なのに。今年も大阪は波乱含みのスタートです。(栗)

    ▼空襲体験者の証言DVD制作にご協力くださり、ありがとうございます。ご支援とともに励ましのお手紙も届いています。大阪大空襲研究の第一人者で関西大名誉教授だった小山仁示さんの教え子「小山ゼミ有志の会」からは「あの大空襲の火の粉の中、大やけどを負いながら大阪の街を走り、生き延びた小山先生の平和学習への思いも込めての参加です」。そして、こんな言葉で締めくくられていました。「一人でも多くの人に正しい歴史が語り継がれますように。亡くなった方も生き延びた方もかけがえのない尊厳を、自由を、平和を、私たち、次の世代へと継いでくれますよう託します」。体験者の「記憶」を「記録」に残すことの責任の重さを痛感しています。さて、年明け早々から取材準備を進めていたところに緊急事態宣言が出されました。誰やねん、「大阪は感染拡大が抑えられている」と言ったのは。3月完成予定を目指していましたが、少し遅れそうです。ご了承ください。クラウドファンディングの返品で、「新聞うずみ火」を今月からお届けします。読者の方は購読期間に上乗せさせていただきます。末筆ながらくれぐれもお身体に気を付けてください。(矢)

  • 31面 年賀状から一言(文責・矢野宏)

    大阪府 塚田幸子
     
    趣味のコーラスも演奏会は次々と中止になるし、練習も5カ月ほどできませんでした。ボランティアの赤ちゃん保育は自粛。家事支援は消毒液持参でマスクをしての作業で、メガネは曇るし、倍は疲れます。それでも帰り際、「ありがとう」の一言で吹き飛んでしまうんです。

  • 32面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    12月3日(木)
     矢野 午前、事務所でMBSラジオ「ニュースなラヂオ」のYouTube「動画班」の撮影。
    12月4日(金)
     矢野 午後、読売新聞の水谷弘樹記者から空襲体験者の証言DVDの取材を受ける。
     栗原 午後、3度目の時短営業要請が出された大阪ミナミへ。飲食店などの相談を受ける「キュア相談所」を取材。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    12月5日(土)
     矢野、栗原 夕方、大阪ミナミ・戎橋でのキュア相談所主催の街宣を取材。
    12月7日(月)
     矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」に出演。菅首相の就任後初の臨時国会閉幕を受け、「国会パブリックビューイング」代表の上西充子さんに電話で話を聞く。
    12月9日(水)
     栗原 午後、大阪市議会本会議を傍聴・取材。
     西谷 午後、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DE・しょ!」出演。
    12月10日(木)
     矢野 午前、大阪府下の保健師の増員を求めている「大阪府関係職員労働組合」の小松康則委員長に話を聞く。
    12月12日(土)
     午後から大阪忘年会。椎野昇次さんが支配人を務める「神崎川ダイドーボウル」でボウリング大会。優勝は岩部始さん(左から2人目)。夜、韓国料理店「セント」で読者20人と3密に気を付けて「乾杯」。

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2月の「茶話会」は中止します。3月31日(水)に再開する予定です

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