新聞うずみ火 最新号

2024年11月号(NO.229)

  • 1面~4面 能登半島「二重被災」の悲劇 泥かき復旧 人手次第(矢野宏、栗原佳子)

    元日の大地震に続いて9月21日、記録的な大雨が襲った能登半島北部。とりわけ大きな被害を出した石川県輪島市町野町(まちのまち)では広範囲にわたって浸水し、大量の土砂や流木が流れ込んだ。「心が折れそうだが、それでも生きていかなければ……」。豪雨から3週間、懸命に立ち上がろうとする住民を支えようと、ボランティア活動が本格化していた。

    町野町は輪島市東部の農村地区。日本海に面した棚田が国の名勝「白米(しろよね)千枚田」の先にある。
     
    地元住民によるボランティアセンター「まちなじボラセン」の募集に応じて町の中心部を目指すも、レンタカーのカーナビはほとんど役に立たない。市役所から約40㌔。目的地まであと2、3㌔のところで崩落のため通行止め。山を迂回しなければならなかった。
     
    地震による被害も甚大で、死者17人、家屋の8割近くが全半壊した。一時孤立し、救援物資も来なかった。今回の豪雨でも相次ぐ土砂崩れで道路が寸断され、約1800人の住民が2日間、孤立した。
     
    山々は豪雨による土砂崩れで、赤茶色の山肌がくっきりと浮かぶ。崩れ落ちた土砂は、ふもとの住宅や道路をのみ込んでいた。
     
    2時間かけて町の中心部に入ると、倒壊家屋のほとんどが手つかずのまま。そこに大量の土砂が流れ込み、流木が散在していた。
     地震後、地域では若手とされる50代以下が「町野復興プロジェクト実行委員会」を設立。「娯楽のない町だが、1日でも笑える日をつくろう」と4月に花見を楽しむ「桜フェス」、炊き出しをバーベキューに変えた「肉フェス」などのイベントを企画した。
     
    今回の豪雨を受け、実行委が設立したボランティア団体が「まちなじボラセン」だ。事務所は市立東陽中学校の体育館に置いた。
     
    私たちが訪れた10月11日は全国各地から15人のボランティアが集まり、スコップやデッキブラシで校舎の床にたまった泥をかき出した。その一人、金沢市の田中摂子さん(55)は地元出身。実家には兄夫婦が暮らしている。「故郷に少しでも恩返しができれば」との思いで参加したという。
    ……

  • 5面~7面 袴田巌さん無罪確定 「完全に全部勝った」(粟野仁雄)

    9月26日、歴史的判決の一部始終を筆者は法廷で見守った。静岡地裁に申請したわずかな「報道特別席」が与えられたのだ。それまで神戸から13回通ったが、傍聴抽選に当たったのは3回だった。
     
    午後2時。91歳の袴田ひで子さんを証言席へ促した国井恒志裁判長は「主文。被告人は無罪」と宣告した。深くお辞儀したひで子さんは涙目で弁護団席に戻り、小川秀世事務局長、角替清美さんと握手し、着席後も何度もハンカチで涙をぬぐった。角替弁護士は、10月の再審初公判でひで子さんの意見陳述に泣いていたが、後に聞くと「今回はジーンとは来たけど泣かなかった。判決内容ばかりが気になっていたので」
     
    朗読が終わった午後4時前、国井裁判長は説明のため、再び証言席へ呼んで説明する。「この裁判でひで子さんは『弟に真の自由を』と話されていましたが、扉を開きました」と話し、検察控訴の可能性も説明、長くかかったことを詫びた。5点の衣類、実家から見つかったとしたズボンの端切れ、さらには一審で唯一証拠採用された吉村英三検事調書も捏造と断じる、驚くほど踏み込んだ判決だった。
     
    静岡市民会館での記者会見。「世界一の姉」の笑顔がはじけた。
     
    「裁判長が『主文、被告人は無罪』と言った時、神々しく見えました。それを聞いて感激するやら、うれしいやらで涙が止まらなかった」。会見では「(主文以下は)聞いておりませんの」と笑わせたが、聞いていないのではなく少し耳が遠かった。
     
    日本中がビートルズの来日に沸いていた1966年6月、静岡県清水市(現静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された事件で犯人とされ、「死刑囚」となった弟の巖さん(88)を半世紀以上も支え続けた。ひで子さんのこんな笑顔を見たのは、昨年3月の東京高裁による再審開始決定以来だ。雪冤は逮捕から58年、第1次の再審請求(1981年)からでも43年経っていた。
     
    巖さんは長年、死刑執行の恐怖におびえた拘禁症の影響で通常の意思疎通ができない。弁護団は「法廷で自己防衛ができない」と主張して出廷免除を求めていた。昨年夏に国井裁判長が直接面会し年齢を問うた。巖さんは「23歳」と答え、免除が決まった。 
    ……

  • 8面~9面 北海道・朱鞠内「笹の墓標」博物館 豪雪地でのタコ部屋労働(栗原佳子)

    戦時中の強制労働の歴史を伝える北海道幌加内(ほろかない)町朱鞠内(しゅまりない)の「笹の墓標展示館」が再建された。4年前、豪雪で倒壊。支援の呼びかけに国内外から6000万円超の寄付が集まり、跡地近くで建設工事が進められていた。新たな施設の名称は「笹の墓標強制労働博物館」。9月28日、記念式典が行われた。 
     
    朱鞠内は北海道でも有数の豪雪地帯。特に朱鞠内湖周辺は1970年代、マイナス41・2度を記録した日本最寒の地でもある。朱鞠内湖は日本最大の人工湖で周囲40㌔。発電を目的に、日中戦争開戦翌年の1938年から43年まで雨竜川最上流にダムが建設された。木材を運ぶための「名雨線」鉄道工事と合わせ、日本人の「タコ部屋労働者」、強制連行された朝鮮人数千人が働き、わかっているだけでも200人以上が死亡した。うち約50人が朝鮮人。「タコ部屋」は北海道開拓の中で編み出された拘禁労働で、だまされ、県外から連れてこられた人たちが多かった。
     
    1976年、朱鞠内を訪れていた深川市の住職、殿平善彦さん(79)は、地元の高齢女性に呼び止められた。案内されたのは地元の檀家が管理する光顕寺。段ボールに入った80基余りの位牌を見せられた。死亡年は38~43年。若い男性ばかりで、朝鮮人の名前もあった。
     
    殿平さんは地域の歴史を掘り起こす「空知民衆史講座」の仲間と調査。犠牲者はダム、鉄道工事の労働者だとわかった。光顕寺に運び込まれた後、笹のやぶに埋められたのだという。80年、講座のメンバーと地元住民で遺骨を発掘。共同墓地の裏手、生い茂ったクマザサの下から16柱を掘り出した。
    ……

  • 10面~11面 「長生炭鉱」市民団体が掘削 坑口発見 遺骨収集に一歩(栗原佳子)

    山口県宇部市の旧長生炭鉱で82年前に起きた落盤・水没事故で、朝鮮半島出身者136人を含む183人が犠牲になった。いまも海底に眠る遺骨を収集しようと、宇部市の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は重機で地中に埋もれた炭鉱の出入り口(坑口)を掘削、10月8日、公開した。今後、坑口からの潜水調査が行われる。
     
    瀬戸内海に面した床波海岸の沖合に、コンクリートの円筒が2本突き出している。海底炭坑の換気・排水塔で、地元では「ピーヤ」と呼ばれている。海底に沈んだままの183人の墓標のようだ。
     
    山口県側の周防灘の海底に広がる宇部炭田。長生炭鉱は1914年に開坑し、最盛期には炭鉱内外で1000人超が働き、年間16万㌧の石炭を産出したという。
     
    事故は戦時中の1942年2月3日の朝に長生炭鉱で発生した。海岸の坑口から1㌔以上沖の坑道で落盤が発生、海水が一気に流れ込んだ。助かったほとんどは坑口近くにいた人たちだけだった。
     
    「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」共同代表、井上洋子さんは「事故は法律で禁止された浅い層を掘ったために海水が流入した『人災』でした。事故当時の経営者だった頼尊(らいそん)渕之助氏は戦後、『自分が法律違反をした』と証言しています」と説明する。「水非常」とは水没事故を意味する炭鉱用語だ。
    ……

  • 12面~13面 ヤマケンのどないなっとんねん 安倍一強の堕落問う選挙(山本健治)

    第50回総選挙が10月15日公示、27日投開票の日程で行われていて、各政党、各立候補者が叫んでいる。本号が読者に届く頃には結果が出ているだろうが、お互いしっかり考えて対応したい。
     
    我々有権者にとって、今回の総選挙は、2009年8月第45回総選挙で民主党が大勝し政権交代したものの、沖縄基地問題をはじめことごとく公約を反故にし、東日本大震災で右往左往し、その激震と津波で東京電力福島原発が破壊され炉心溶融を起こした。にもかかわらず、ごまかしたことなどから、12年12月第46回総選挙で大敗、自民・公明連立の第2次安倍政権が発足。以降、自公が連戦連勝、安倍一強体制となり、その間に政治は混迷・腐敗・堕落、菅、岸田政権でさらにひどくなったことを問う選挙であることは誰もが同意するだろう。
     
    失われた20年を取り戻すと言って「アベノミクス」と自らの名を冠した超低金利どころかマイナス金利という異常な経済政策を進めたが、経済と産業は空洞化するばかり、そこに地球規模のコロナ感染が襲い、日本国内でも多数の患者を出し、経済・社会活動などすべてが混乱・低迷、ここでも自らの名を冠した「アベノマスク」をはじめとする対策を打ち出したが、すべて失敗、20年9月に政権を投げ出すに至るまで8年も続いた。
     
    誤りを認めようとせず、菅・岸田政権が漫然と引き継ぎ、経済・産業はさらに空洞化した上に12年にわたって政治を私物化し、政権に対する忖度政治が行われた結果、すでに明らかになっていた安倍元首相の森友・加計・桜を見る会などの疑惑がくすぶり、安倍元首相だけではなく安倍派全体、さらに自民党全体に蔓延して腐敗退廃は極みにまで堕ちた。
    ……

  • 14面~15面 世界で平和を考える やりたい放題のユダヤ兵(西谷文和)

    シャバット(安息日)明けのデモを取材した翌々日、ヨルダン川西岸に向かう。巨大な壁で囲われた監獄のようなパレスチナ。西岸に入るためには新しい通訳兼ドライバーを探さないといけない。ユダヤ人通訳のメイルはアラブの土地には入れない。無事に西岸に行けるのか、エルサレムに帰ってこられるのか……。

    3月18日、タクシードライバーのモハンマドがホテルにやって来た。彼はエルサレムに住んでいるアラブ人。青のIDカードを持っているので、西岸に入った後にエルサレムに戻って来ることができる。
     
    「3層に分かれたパレスチナ人」について整理しておく。
    ①東エルサレムに住むパレスチナ人は青のIDカードを取得できる。不自由だがイスラエル国内をビザなしで移動することができ、隣国ヨルダンに抜ければ世界に旅立てる。イスラエル総選挙にも参加できるが、普段はユダヤ人に迫害され、西岸とガザのアラブ人からは「ユダヤに魂を売った卑怯者」と見なされる。
    ②西岸に住むパレスチナ人は緑のIDカードを持っている。エルサレムに行こうとすれば、イスラエル政府のビザが必要。しかし実質上ビザは出ないので、「すぐそこの聖地エルサレム」に行くことはできない。ただ、隣国ヨルダンが国境を開いているので、ヨルダンまで抜ければ世界各国へと旅立つことができる。
    ③問題なのがガザに住むパレスチナ人。分離壁に囲まれ、隣国エジプトが国境を閉ざしているので、どこにも行けない。ハマスの前身は「ムスリム同胞団ガザ支部」。ムスリム同胞団はエジプトで結成され、今もエジプト政府と対立している。エジプトはハマスを入国させない。ガザの人々をハマスの支持者と疑い、出入国を制限しているのでガザが「天井のない監獄」となる。
    ……

  • 16面~17面 フクシマ後の原子力 「小さな物語」に耳寄せる(高橋宏)

    10月11日、全国の被爆者などで作る日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に、ノーベル平和賞が授与されることが発表された。ノーベル平和賞については様々な意見があるが、まずは素直に被団協の受賞を喜びたい。ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ地区への執拗な攻撃をめぐり、核兵器の使用がほのめかされるなど、核不使用のタガが緩み始めている。この時期に、「核なき世界の実現」に向けて長年にわたって努力し続けてきた被団協が受賞する意義は大きい。
     
    ノーベル賞委員会によると「ヒバクシャ(被爆者)としても知られる広島、長崎の原爆生存者による草の根運動であり、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきたこと」が授賞理由だという。受賞を契機に、来年の被爆80周年に向けて、国内外の核廃絶に向けた動きを一層強めていかねばなるまい。それとともに、日本政府が核兵器禁止条約に批准することを、声を大にして訴えていく必要があろう。
     
    被団協とその活動については、マスメディアの報道が落ち着いた頃、改めて伝えたい。今回は、ノーベル平和賞受賞の意義を、報道とは別の視点から考えてみたい。そのために、話を前号で触れた「第63回社会教育研究全国集会」に戻す。
     
    NPO法人・富岡町3・11を語る会代表の青木淑子さんに続いて、立命館大学教授の丹波史紀さんが「震災から13年をへて、これからの地域を考える」という演題で講演した。
     
    丹波さんは3回にわたって行った双葉郡実態調査(住民アンケート)について「自由記述が本当にたくさんあった。原発震災の理不尽さを少しでも聞いてもらいたいという回答者の思いがあふれていた」と述べ、内容を紹介した。第2回(2017年)調査で、双葉町の住民は次のように述べている。
    ……

  • 18面~19面 大坂・渡辺村の歴史 経済力と社会秩序(矢野宏)

    江戸時代、全国最大の被差別部落だった大坂(江戸時代は「阪」ではなく「坂」とした)の渡辺村。皮革の扱いは年間10万枚、近世部落の中で圧倒的な経済力を誇った。最盛期の人口は5000人を超え、全国一となったこの村だが、厳しい差別の「重し」があった。刑を執行する刑吏である。大阪市内の木津川や道頓堀を船で進み、かつての刑場跡などをめぐるフィールドワークが10月13日に行われ、大阪府内の教員や研究者ら50人が参加した。

    市民のための人権大学院「じんけんSCHOLA(スコラ)」と「刑場研究会」の共催。
     フィールドワークに先立ち、大阪市浪速区で事前学習会があり、スコラ共同代表の上杉聰さんが渡辺村の歴史について解説した。
     
    戦国時代から、渡辺村は皮革を通じて西日本や東南アジアと交易した形跡がある。その名を世にとどろかせたのが1570年から約10年間続いた大坂本願寺と織田信長が戦った石山合戦だった。
     
    「木津川口の戦いの主戦場となった『エタガサキ砦』に立てこもり、船と火薬を操って信長軍を打ち破ったことが『信長公記』にあります」
     
    その渡辺村はどこにあったのか。上杉さんは、現在の本願寺津村別院(北御堂)と真宗大谷派難波別院(南御堂)との間に位置する船場にあったという。
     
    「この地は、堀川を通って外洋へ抜ける出発点でした。南御堂が最近建て替えられたときには、牛馬を解体した後の骨なども出土しています」
     
    その後、豊臣方の大坂城築城にあたり、渡辺村は信長を継いだ秀吉によって市内各地6、7カ所に分かれて住むことを強いられた。「船場という新たな経済の中心となる地域から排除されたのです」
    ……

  • 20面 映画「五香宮の猫」 猫を通した人間模様(栗原佳子)

    瀬戸内の風光明媚な港町・岡山県瀬戸内市牛窓の古い社「五香宮(ごこうぐう)」を根城にする野良猫たちと、住民たちを追いかけたドキュメンタリー映画「五香宮の猫」(想田和弘監督)が大阪市淀川区の第七藝術劇場などで公開されている。主役の猫たちを通じて見えてくるのは人間社会のありようだ。
     
    牛窓は過疎化が進み、人口6000人弱。古くは万葉集にも詠まれ、風待ち、潮待ちの港として栄えた。朝鮮通信使も繰り返し宿泊地として寄港したという。
     
    その牛窓に、想田監督はコロナ禍の2021年、それまで27年間住んだニューヨークから移住。妻で、本作のプロデューサー柏木規与子さんとともに、自然豊かな牛窓で暮らし始めた。牛窓は柏木さんの母の故郷で、想田監督の作品「牡蠣工場」(2015年)、「港町」(18年)の舞台にもなった。
     
    「五香宮」は牛窓の地元の人たちに親しまれてきた鎮守の社。いつからか野良猫が増え、「猫神社」とも呼ばれるほどに。そんな中、2人は路頭に迷った野良猫の兄弟を保護したことをきっかけに、地域で保護猫活動に携わる住民たちと出会った。
    ……

  • 21面 投稿・死刑執行の菊池事件 違憲裁判の再審求める(太田明夫)

    「菊池事件」をご存知ですか。ハンセン病差別が生んだ冤罪事件です。

    1951年、熊本県で発生したダイナマイト殺人未遂事件、翌52年に起きた殺人事件で逮捕されたFさんはハンセン病患者とされ、取り調べから裁判にいたるまで憲法違反の扱いを受けました。そして、再審請求が退けられた翌日の62年9月14日に死刑執行されたのです。
     
    当初、凶器とされた草刈り鎌が途中で短刀に変わり、それも被害者の傷と一致しない。短刀の発見過程も極めて不自然で、血液反応もないなど、狭山事件同様、あり得ない証拠など、不自然なことばかりです。しかも、公開で行われるべき裁判が、ハンセン病療養所や医療刑務所内部の「特別法廷」で秘密裡に行われたことは、裁判所も憲法違反を認める判決を出しています。
     
    再審制度の大きな問題点があります。再審を求めることができるのは配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹、そして検察となっています。私は実名を出さずにFさんと書きました。このことがこの事件のもう一つの難しさなのです。本来ならば、再審請求できる親族がいます。しかし、「殺人犯の家族」というレッテル、ハンセン病元患者家族に対する厳しい差別ゆえ、社会に顔を出し、名前を出して訴えることができなかったのです。
     
    そこで、九州大の内田博文名誉教授の「憲法違反の裁判は、国民が『不断の努力』によって守らなければならないのだから、私たち国民(市民)が『憲法を守るために、憲法によって』再審を求める」という考え方に基づいて再審を請求することになりました。それが「国民的再審請求人団」(1205名)で、私もその一人です(なお、今は弁護団の丁寧な働きかけで、親族が再審請求に立ち上がっておられます)。
    ……

  • 22面 会えてよかった 小林武④(上田康平)

    先生は著書(沖縄憲法史考)に、
    字(あざ)の人々は字民のひとりと
    して迎え容れてくださったと書いて
    おられる。字の人々とのつながりが
    どのようにできたんですか−−−−
     移住してすぐに自治会の門を叩い
    たんです。自治会に入りたいと。そ
    して公民館行事には必ず参加した。
    地方自治法も専攻しているのだから。
     沖縄の自治会については−−−−
     著書(75頁)で、本土における一
    般的な自治会・町内会とはそもそも
    異質なものであって、それ自体の独
    自性に評価を加えるべきではないか、
    という思いである。3月の講演では
    行政の末端を担いつつ、住民自治の
    拠点となっていると話された。
     無料の
     「身近な憲法・法律学習会」
     学問の人々への還元として、20
    16年からこの学習会を隔週土曜に
    公民館で実施している。字の方とつ
    ながりができ、その中の一人の方が
    自治会に話してくださって実現した。
     学問は民衆のためのものというこ
    とが身についたのは、大学時代。当
    時、土曜日は半ドンで、仕事が休み
    になる午後、大学が市民講座を開い
    ていたことから。ドンは時を知らせ
    る空砲の音。実際に聞いたこと、あ
    りますよ。

  • 23面 日本映画興亡史 あえぐ宝塚シネマ(三谷俊之)

    1923(大正12)年の関東大震災以降、日活はあえいでいた。東京・丸の内のビル建設目的で集めた社債が再建費用にまわり、高利金融から借金を重ねた。トーキー映画への転換にも莫大な費用がかさみ、経営に窮していた。社長の横田永之助は人員整理で乗り越えようとした。
     
    俳優、監督からスタッフ、門衛にいたるまで約150人を手紙1本で解雇するというのだ。マキノ省三と親しく、社員の信望も高い常務兼所長の池永浩久も、身に覚えのない使い込みなどを理由にクビを言い渡された。従業員は「馘首絶対反対同盟期成会」を結成。逆に撮影所幹部を追い出した。追い出された側は旅館を対策本部にして両者はにらみ合った。京都府や当時日活と提携していた片岡千恵蔵が仲介役になった。
     
    池永は末三郎の長兄である笹井静一を訪ねた。静一が束ねる千本組は、ロケ地での人よけやエキストラ集めはもとより、太秦撮影所建設の功労者でもあった。静一は池永を信頼し、依頼されない限り、経営や人事に口を出すことは一切なかった。池永は静一に、「自分がいなくなっても、横田を怒らせて、残った従業員を路頭に迷わないために争議には関わらないでほしい」と頼んだ。
     
    日活の亀裂に、ここ幸いとうごめく人たちがいた。省三の娘婿である高村正次がその一人だ。右太プロで失敗し、東亜等持院撮影所所長をやっていたが、経営はうまくいかず、昭和6年には撮影所をそのまま使って東活なる会社を興した。これも経営不振で、極道まがいの劇場主やゴロッキ興行師に乗っ取りを図られた。対抗して九州の俠客を引き入れたが、逆に追い払われてしまう。
    ……

  • 24面 坂崎優子がつぶやく 親知らずを抜く

    長年抱えていた親知らずを抜きました。私の親知らずは下の左右に生えていました。正確には歯茎の中に横向きに埋まっていたので生えているといいがたいものです。
     
    正確なデータはありませんが、一般的に親知らずがきれいに生えている人の割合は約30%、全く生えていない人は約25%といわれています。ですから残り50%近くが何らか歪んだ形で生えているようです。親知らずのことを話題にすると、「私も横向きに生えている」とか「抜きたくない」などという話に発展することが多いので、50%という数字にも納得します。
     
    埋もれた親知らずの存在を知ったのは15年ほど前でした。引っ越しが多くそれまで歯医者にじっくり通うことができなかったのですが、神戸に定住し、引っ越すことがなくなったため、近所の歯科医院で本格的に歯のメンテナンスを始めることにしました。その初回に撮ったレントゲンで、親知らずの存在を知ったのです。
     
    完全埋もれているとはいえ、親知らずが影響して奥歯の歯周ポケットが深くなりつつあったので、抜く方が良いといわれました。ただ、私の場合は親知らずが深く潜っていて神経に近いところにあるため、リスクもあるとのこと。「抜歯は大きい病院でないと難しい」「口に麻痺が残る可能性もある」という診断を聞き、抜くことを断念しました。
    ……

  • 25面~30面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)

    政治を左右するのに
    気になる投票率低下

      熊本県 横林政美
     
    総選挙の投開票日は10月27日、新聞うずみ火11月号が手元に届く時には、結果が判明していると思います。投票率が気になっています。1958年に行われた総選挙では過去最高の76・99%を記録しています。ところが、2021年の総選挙の投票率は53・68%。全国で4913万人が棄権したことになります。政府は、若い人たちの政治離れだけが原因のように言うだけで、本気で投票率を上げようとは考えていないようです。
     
    私は棄権した人の何割かは投票したくてもできなかったのではと思っています。十数年前、独立行政法人が運営する病院に入院していた時は病院内に投票所が開設されました。すべての病院や介護施設などで、入所者のための投票所が開設されているのか疑問です。在宅で障害がある人の投票を保障するため、郵便での在宅投票の範囲を広げるよう、これからも訴えていきたいと思います。
     
    60歳の時の医療過誤で歩行が不自由になってから、選挙のたびに車椅子を車に積み込み、妻の運転で投票所へ行っていました。今回の総選挙も棄権せず投票しようと思っていますが、妻が7月に骨折、車椅子の積み下ろしができなくなりました。妻の代わりに友人に介助をお願いしようと思います。
     
    私たちが国の政治を左右できる唯一の権利が投票です。私は義務だとも思っています。
     (棄権する理由として「不満はあるけど1票では変わらない」との意見をよく聞きます。でも、政治はこの国で暮らす人たちのためのものであり、投票こそが政治に参加する大きな手段。投票権のない人たちのためにも棄権することなく、まずは1票を)
    ……

  • 26面 車イスから思う事 店員の親身に感謝(佐藤京 車イスから思う事 店員の親身に感謝(佐藤京子)

    修理をお願いしている車が6週間過ぎても戻ってこないのに、また困ったことが起きた。「プツン」という音とともにパソコン画面が真っ暗になったのだ。昭和のテレビと違ってたたいても直りそうもない。さて、としばらく考えてみたが、考えてもどうなるものでもないので買い替えることにした。まあ10年も使っていたのでいつ故障しても仕方がないとは思っていた。が、なぜ、この原稿を書いている最中だったのか。タイミングが悪過ぎる。
     
    手軽に買えるのは中古品だが、当たり外れがある。とはいえ、早く手に入れなければならないし、新品を買うのは気が引ける。店の展示品を見ていたら「最終価格」とポップに書いてある1台を発見した。店員に声をかけると、何だか歯切れが悪い。本音は勧めたくなさそうだ。いつ発売されたのか聞くと、「4年前です」。それも展示品となれば、なおさら状態は悪い。
     
    安くて良い物を探すには忍耐が必要だ。ましてや、自分の「パソコン脳」は10年前から進歩がない。頭が整理しきれないので、最低必要な機能とスペックを伝えて、探してもらうことにした。
    ……

  • 27面 東から西から(三重テレビ・小川秀幸)

    【三重】三重テレビ放送で20年以上にわたってハンセン病の取材を続けてきた小川秀幸さんが、国立ハンセン病療養所・長島愛生園の入所者の証言をまとめた冊子「島の記憶 生きた記録」増補版を発刊した。
     
    同園で暮らす三重県出身者10人と、自治会長・中尾伸治さん、それに三重で長年ボランティアに関わった男性の体験談が収録されている。
     
    発刊にあたっては、新聞うずみ火をはじめ様々な団体や個人の協力があったという。
     
    小川さんは「愛生園入所者の平均年齢は88・6歳と高齢化が進んでいる。一方、まだまだハンセン病に対する差別はある。怒りや苦しさ……彼らの生の声を知ってほしい」と話している。
     
    小川さんはこの冊子を配布している。希望する方は、215円分の切手を同封し、以下まで申し込みください。
    〒514ー0063 津市渋見町693の1 三重テレビ報道制作局 小川秀幸 宛
     
    ひとり1冊でお願いします。ゆうメールで発送します。
     
    発行部(冊)数がなくなり次第終了します。

  • 29面 絵本の扉「スマイルショップ」(遠田博美)

    「笑顔のお店」−−−−なんて素敵なタイトルでしょう。表紙にはショーウィンドーをのぞく笑顔の男の子。ページを開くと、赤いマフラーと紺のセーター姿でお洒落な街の中へ。ガス灯があって、ヨーロッパの伝統的な街みたいです。
     
    「ああ、わくわくする。ためていたおこづかいできょうかいものをするんだ。ぼくのはじめてのかいもの! なにをかおうかなあ」。この言葉で物語は始まります。左手にお小遣いを握りしめて街中へ。街行く人々の表情はさまざまで、いろいろな服装の人たちであふれています。お店屋さんもたくさんあり、男の子は果物屋、カレー屋、ベーカリーにも立ち寄ります。さて、何を買おうかな。時計屋さん、おもちゃ屋さん、本屋さん、楽器屋さん、それに骨董品屋さん……。時には品物を触らせてもらい、そろそろ決めようと思った時です。
     
    あっ! 男の子は石畳の歩道でスケボーに乗った少年とぶつかり、握りしめていた硬貨が1枚を残してすべて排水溝の穴に……。この一瞬で男の子の気持ちと相まって背景の画面が灰色に変化します。何も買えないと落胆する彼の目に「スマイルショップ」という看板が飛び込んできます。 「スマイルって笑うことだっけ。笑うって気分じゃないけど……」といいつつ店に入ります。店の壁には笑顔の人々の写真がありました。黄色いスーツのいかつい顔立ちの店員さんに、「これだけのお金で買えるスマイル下さい」と。しかし店員は、男の子をじっと見つめて、「スマイルはお金では買えません。スマイルというものは交換するものです」とにっこり笑いました。思わず男の子も笑顔を返します。店員のおじさんはその笑顔を写真で撮ってくれました。 

     おじさんと笑顔の交換をした男の子は笑顔のままで店を出ます。帰り道に気がつきます。通りではみんなが笑っていることに……。最後のページの男の子の笑顔は、思わずスマイルを交換したくなる満点の笑顔です。
    ……

  • 30面 編集後記(矢野宏・栗原佳子)

    震に続き、記録的な大雨に見舞われた石川県輪島市の中でも大きな被害を出した町野町。町唯一のスーパーマーケットに流れ込んだ泥をかき出すのに延べ300人を超すボランティアの人海戦術で、1カ月近くかかった。泥だけではなく、町には無数の流木も流れ込んでおり、これらをすべて撤去するのはボランティアだけでは難しい

    今回の取材で復旧作業に当たる自衛隊員の姿を一人も見かけなかった。石川県は派遣要請もしていないのだという。その理由などを県庁にメールで問い合わせているが、まだ返答はない

    数年前から日本の防衛を想定した大規模な日米共同統合演習が2年に1度行われている。今年は日米合わせて4万5000人が参加して、10月23日から10日間の日程で実施される。被災者の一人がこう漏らしていた。「自衛隊は完全に闘う部隊になった」と。(矢) 

    先月号で石垣市「住民投票を求める会」の最高裁要請行動を記事にした。一、二審と敗訴した訴訟で最高裁に望みを託したが、要請20日後の9月26日付で棄却された。住民投票が求めた平得大俣への陸自配備の賛否。民意が問われぬまま駐屯地が開設され、ミサイル部隊配備、島外避難と、事ありきの既成事実が積み重ねられている。「日本の民主主義、地方自治の問題」という訴えが胸の中を渦巻いている。  (栗)

  • 31面 うもれ火日誌((文責・矢野宏)

    9月13日(金)
     矢野 栗原 夜、大阪・九条の「モモブックス」での「大阪・関西万博『失敗』の本質」刊行記念、ノンフィクション作家松本創さんとジャーナリスト木下功さんのトークイベントを取材。
    9月14日(土)
     午後、大阪市北区のPLP会館で「うずみ火講座」。袴田事件や大川原化工機事件などを取材しているジャーナリストの粟野仁雄さんを講師に招き、「冤罪のつくられ方」について話してもらう。
     栗原 朝、群馬県藤岡市へ。関東大震災時、朝鮮人17人が殺された「藤岡事件」の市民慰霊祭を取材。
    9月15日(日)
     矢野 午後、神戸市西区文化センターで開かれた「西神ニュータウン9条の会」9月のつどいで「能登半島地震から見えてくるもの」と題して講演。被災地の現状を話す。
    9月19日(木)
     兵庫県の斎藤元彦知事が失職。矢野は関係者に取材。
    9月20日(金)
     矢野、栗原 朝の特急サンダーバードでJR敦賀駅、北陸新幹線に乗り継いで金沢駅へ。石川県輪島市から金沢の「みなし仮設」に避難している綿野すみえさんらに話を聞く。帰阪した翌21日に被災地は豪雨に見舞われる。
     午後、石田冨美枝さん、友井健二さん、仲嶌一仁さん、澤田和也さんがチラシのセット作業に。ありがたい。
    9月22日(日)
     矢野 午後、大阪市立西区民センターで開かれた「第40回戦争はいやや西区平和展」で「今を戦前にしないために」と題して講演。南西諸島で進む自衛隊の要塞化、京都・精華町の祝園ミサイル弾薬庫問題などを解説。
    9月24日(火)
     矢野 夕方、ジャーナリストの西谷文和さんが主宰する「路上のラジオ」の収録。「万博と斎藤問題で維新大失速」についてトーク。ラジオはええね。
    9月25日(水)
     新聞うずみ火10月号の発送日となり、茶話会は延期。夕方、残りのチラシのセット作業を終えたところに新聞が届く。柳田充啓さん、長谷川伸治さん、大村和子さん、金川正明さん、康乗真一さん、多田一夫さん、澤田さんがお手伝いに。郵便局の回収に何とか間に合った!
    9月26日(木)
     栗原 大阪・十三のシアターセブンで「五香宮の猫」の想田和弘監督に話を聞く。
    9月27日(金)
     栗原 朝、関空から新千歳空港で北海道入り。電車とバスを乗り継ぎ、国内外からの寄付で再建された「笹の墓標強制労働博物館」へ。フィールドワークに参加、開設イベントなどを取材。二風谷コタンなどを回り、10月1日帰阪。
    9月29日(日)
     矢野 午前、大阪市平野区の平野小学校で6年生120人に平和学習講演。この日は参観日で保護者も聴講。空襲被害者の思いの一端を伝える。午後、新幹線で上京。西武鉄道に乗り継いで秩父へ。夜は埼玉読者会。
    10月3日(木)
     矢野 夕方、来社した滋賀県人権センターの疋田俊さん、松浦広明さんと来年2月15日の「部落解放研究第32回滋賀県集会分科会」での「平和・人権」講演の打ち合わせ。
    10月4日(金)
     夜、定岡由紀子弁護士を囲んでの憲法BAR。袴田事件をきっかけに死刑制度について学び、乾杯。
    10月5日(土)
     矢野、栗原 午後、大阪市浪速区の難波地区歴史展示室で開かれた「刑場研究会」主催の「近代医学の形成と被差別部落研究会」で、「じんけんSCHOLA」共同代表の上杉聰さんと浅居明彦さんとの対談を取材。
    10月7日(月)
     正午、堀越ゆみこさんが差し入れてくれたお弁当を食べながら、11月16日に与那国島の山田和幸さんを迎えての「うずみ火講座」の打ち合わせ。午後、9条連近畿事務局長の高田博光さんが事務所に。夜、来社したジャーナリストの木下さんに大阪万博の問題点などついて聞く。

  • 32面 うずみ火講座(矢野宏)

    ■11月16日(土)南西シフト・与那国島のリアル

    日本最西端に位置する与那国島。約100㌔西にある台湾とは長くて深い交易をしてきました。その国境の島に2016年、防衛省は「南西シフト」政策の皮切りとして陸上自衛隊駐屯地を開設。その後、日米共同演習が繰り返され、ミサイル部隊の新設や弾薬庫の建設、軍港としての港整備などの軍事要塞化が進められようとしています。
     
    次回のうずみ火講座は11月16日(土)午後2時半~与那国町在住で元高校教師の山田和幸さんをお招きして大阪市北区のPLP会館で開講、「与那国島のリアル」もついて報告していただきます。

    【日時】11月16日(土)午後2時半~4時半
    【会場】大阪市北区天神橋3丁目のPLP会館4階
    【交通】JR環状線「天満駅」から南へ徒歩5分、地下鉄堺筋線「扇町駅」から徒歩3分)
    【資料代】1000円


    ■12月14日(土)告発文書問題の真相と課題

    2024年を締めくくる12月のうずみ火講座は14日(土)午後2時半~兵庫県議の丸尾牧さんを講師に迎え、大阪市淀川区の新大阪駅前和光ビル3階で開講します。
     
    内部告発問題で県議会から不信任案を可決され、失職した斎藤元知事。県知事選は10月31日告示、11月17日投開票されます。誰が知事になろうと、疑惑が晴れた訳ではありません。特に信用金庫への補助金を増額しプロ野球阪神・オリックスの優勝パレードの寄付として不正に還流させたとする疑惑は公費の違法支出に問われかねません。百条委員会で疑惑を追及している丸尾さんに「告発文書問題の真相と今後の課題」について語っていただきます。
     
    講座のあと、淀川区の韓国料理店「セント」で忘年会を開きます。詳細は次号でお知らせします。

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