自民党の高市早苗総裁が10月21日開幕した臨時国会で新たな首相に選出され、自民と日本維新の会による連立政権がスタートした。公明党の連立離脱で単独少数与党となった自民と、国政選挙で振るわず埋没する危機感を持った維新の利害が一致した。少数与党の不安定さが続く中、タカ派色の強い高市氏が自身の支持層である「岩盤保守層」への求心力を維持するため、右傾化、排外主義を強めていくのではないか。
両党が結んだ連立政権合意は、維新側が「副首都構想」など12項目の政策実現を要求し、高市氏はほぼ丸のみした。維新の吉村洋文代表(大阪府知事)が高市総裁との会談で「国家観、日本を強くしたいという思いを一にしている」と語ったように、合意文書の内容は保守色の強い内容となっている。
その一つが現代の治安維持法といわれる「スパイ防止法」制定。合意書には「2025年に検討を開始し、速やかに法案を策定し成立させる」と明記している。この法案には、国民民主や参政党も前のめりで、自民・維新と合わせれば多数派だ。法案可決の可能性は高い。
「皇室・改憲」の項目では、9条改正や緊急事態条項の創設、皇室典範改正、日本国国章損壊罪制定まで盛り込まれている。
「外交・安保」では、27年度に防衛費を国内総生産比2%へ増額するとした安全保障関連3文書の前倒し改定を明記。防衛装備品の輸出を規制する「5類型」(救難・輸送・警戒・監視・掃討)の撤廃、原子力潜水艦を念頭に置いた潜水艦保有なども記されるなど、これまでブレーキ役となってきた公明党が連立を離脱してタガが外れたかのようだ。
一方で、肝心の企業・団体献金の扱いはうやむやだ。夏の参院選で自民に突きつけた民意は「裏金NO」だったはず。金権腐敗の温床である企業・団体献金の廃止を、維新は強く訴えていたのに、「政党の資金調達のあり方を議論する協議体を臨時国会中に設置し、第三者委員会で検討し、高市総裁の任期の27年9月までに結論を出す」との内容で合意し、先送りを容認した。
代わりに維新が「絶対条件」に掲げた政治改革が衆院議員定数(465議席)の削減。合意書は、1割削減(50議席程度)の目標を明記し、「臨時国会に議員立法案を提出し、成立を目指す」とした。小選挙区での削減は難しいので、比例代表を念頭に置いているようだ。
これに対し、読売新聞は21日付の社説で次のように批判している。
「維新の掲げる『身を切る改革』をアピールするためのようだが、定数や選挙制度の改革は、民主主義の土俵作りの話だ。本来、国会で議論すべき課題を、政権を担っている党だけで進めようという考え方は、適切とは言えない」
「そもそも国会議員は少なければ少ないほど良い、という発想は、政治家は無駄な存在だ、と決めつけているから出てくるのだろう。維新は、国会議員が国民の代表であるという認識を欠いている」
自民、維新双方で歩み寄りが困難な企業・団体献金の廃止を棚上げにした論点のすり替えにほかならないと、関西学院大教授の冨田宏治さんも指摘する。
「連立協議で企業団体献金禁止を棚上げし、その目くらましに議員定数削減をねじ込んだ維新だが、この定数削減が『身を切る改革』どころか、中小政党に託されるべき民意を切り捨て、大政党による独裁を招くことは、大阪府議会や大阪市議会を見れば火を見るより明らかだ。これは、議会制民主主義への許しがたい挑戦である」
さらに、排外主義に対しても警鐘を鳴らす。
「連立合意では、『ルールや法律を守れない外国人に対しては厳しく対応する』ことが重要と、排外主義をにおわす項目が挙げられているが、大阪で特区民泊の95%を無秩序に受け入れ、外国人への不安や敵意をあおったのは、維新市政だ。言いたいことはヤマほどあるが、この2点だけでも維新のめちゃくちゃぶりは目にあまる。大阪の轍を全国に踏ませてはならない」
合意文書には、維新がかねてから主張している「社会保障改革」も盛り込まれている。維新が大阪で何をやったのか。「二重行政の解消」と称して市立住吉病院を閉鎖し、保健所を次々と統合。結果、新型コロナウイルスの感染拡大時に大阪の死亡率は日本最悪になった。
大阪府関係職員労働組合の執行委員長、小松康則さんは「身を切る改革」の弊害を訴える。
「議員定数の削減とあわせて、『身を切る改革』が大阪で強行されました。職員削減をはじめ、府民の命や健康、安全・安心にかかわる施策や制度は次々に削られました。その一つの結果が全国トップのコロナ死者でした。今回も同じような主張を繰り返し政権与党入りすることに危惧を覚えています。大阪で起きた医療崩壊を全国でも広げるのではないか」
問題の根本はどこにあるのか、小松さんはこう指摘する。
「地方自治体のトップが連立与党の代表であることも地方自治の観点から問題があるとも思います」
数台の工事車両が徐行し、ヘルメットをかぶった作業員やパビリオンのスタッフらしき人たちと時折すれ違う。大屋根リングに上がるエスカレーターには立ち入り禁止のテープ。閉幕から1週間が経った10月20日、2025年大阪・関西万博の会場内では、パビリオンの解体作業が始まっていた。
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに158の国・地域が参加した大阪・関西万博は10月13日、184日間の会期を終えて閉幕した。一般来場者数の累計は2557万8986人。2005年の愛知万博を上回ったが、日本国際博覧会協会が想定していた2820万人には届かなかった。入場券の販売枚数は2206万枚(10月3日現在)で、運営収支は約230億円から約280億円の黒字となる見込み。万博協会の副会長でもある大阪府の吉村洋文知事は「万博は成功裏に終わった」とし、大阪府議会も20日、同様の決議をした。
万博の成功とは何だろうか。
閉幕を1週間後に控えた10月7日、万博協会の十倉雅和会長と石毛博行事務総長が記者会見を開いた。筆者は「万博の最大の目標は何か。それは達成できたのか。達成できたとすれば、それは大阪・関西あるいは日本にどういういい影響を与えるのか」という趣旨の質問をした。
筆者が質問できたのは十倉会長の退席後。石毛事務総長が「最大の目標一つとか、そういうことはない」と答え、成功の必要条件としていた「大きな事故を起こさない」「赤字を出さない」「できるだけ多くの人に来てもらう」の三つをクリアしたこと、厳しい世界情勢・経済環境の中で「大きなイベントをやり終えたこと」を挙げた。
しかし、それは石毛事務総長自身が言うように必要条件であり、十分条件ではない。
筆者が上記の質問をしたのは、国家事業である万博の成功は、計画段階で設定した目標や指標をどの程度達成できたか、無駄遣いせずに効率的に達成できたか、成果を国民や住民に還元できたかで評価すべきではないかと考えてのことだ。
しかし、主催者側に合意目標がなければ、達成状況を評価することはできないし、巨額の税金をつぎ込んだ事業が開催地の住民や国民、世界の人たちにどう還元されたのかも印象論でしか語ることができない。多くの異なる国・地域の人々が出会い、多くの来場者が万博を楽しんだことは事実だが、万博全体の収支も出ておらず、レガシーの継承や跡地活用も議論の段階。工事費の未払いで倒産の危機にある企業がある中、来場者ならばともかく、推進側が「成功」をうたうのは早計ではないか。
万博全体の総括には上記の議論が必要だと考えるが、現時点で分かる範囲で、収支面と安全面から万博の検証すべき点を指摘する。
冒頭に記した収支見込み230億円から280億円の黒字は、スタッフの人件費など会場運営費1160億円を、入場券や公式ライセンス商品の売り上げなどが上回った数字であり、巨額の上振れが問題となった会場建設費は含まれていない。本来、会場運営費に計上する要人警護などの警備費250億円も国が負担したため除かれている。
……
9月末、未払い工事費をめぐる訴訟で上京していた京都の工務店のA社長(40)に話を伺った。「昨年、突然、マルタ館建設になんとか協力してほしいと日本万博協会から頼み込まれ、建築許可が下りるのが最も遅かったマルタ館を昨年12月に着工しました。儲けはなくても、大きなイベントに関われるのはうれしいという気持ちもありました」
契約相手はフランスのリヨンに本社があるイベント会社「GLイベンツ」の日本法人「GLイベンツジャパン」。契約は解体まで含めて2億3000万円だった。
当時、マスコミは盛んに「開幕に間に合わない」と報じ、反発した吉村知事は「絶対に間に合わせる」と豪語。このため協会や大阪府がプレッシャーをかけてきた。
「一番寒い時期。夢洲はアクセスが悪くて家にも帰れず連日泊まり込みで、社員も職人も地獄でした」。最後の1カ月で7㌔痩せたという。
2月末からGLから数回に分けて1億4900万円が振り込まれたが、支払いはそれきりだった。請求書を送っても、「完成したら払う」と返事されるだけ。必死に工期に間に合わせパビリオンが完成しても払わない。それどころか、5月に「遅延損害1億5千万円を負担したから、差し引き3千万円を払え」と逆に請求してきた。
「GLは次々とデザインなど仕様を変更し、達成していないと難癖をつけ、こちらが出す契約書にサインしない。残金が振り込まれなければできないといっても支払わなかった」(Aさん)。
Aさんは6月5日、GL社に1億2000万円を求める裁判を東京地裁に起こした。「9月の口頭弁論でも『完成していないので支払わない』の一点張りでした」。会社は窮地に陥り7人が辞め、資産や車を売却した。会社が危ないと見られてしまい、銀行は融資してくれず、仕事を大幅に縮小している。
「1億2000万円のすべてでなくても、協会や大阪府には当座の融資を5000万円でもお願いしたい」とA社長は訴える。「マルタ館に入った人が喜んでくれたならうれしい。でも正直万博のことはテレビでも見たくないですね」と寂しそう。最後に「来年愛知県で開かれるアジア大会もGLが受注している。同じことが繰り返されるのでは」と懸念した。
未払い問題はマルタ館以外にルーマニア館、ドイツ館、前述のセルビア館で起き、すべて元請けはGLイベンツ ジャパンだ。
2016年に設立された日本法人はアジアでの事業展開を重視。19年の愛知国際展示場の運営、20年の東京オリンピック、今年の大阪・関西万博、26年のアジア大会を獲得した。Aさんの会社の下請けとしてマルタ館の看板工事を請け負った建設会社JOK株式会社(神戸市)の高関千尋社長(56)は「GL担当者から看板のイメージ図を見せられ、こう作ってほしいと言われた。交渉の結果、引き受けたが内容変更が多く難航した」。
相手は英語だが、高関さんには米国留学の経験があり壁はなかった。
「現場での仕事の段取りはめちゃくちゃでした。GL社の職人はヘルメットもかぶらず酒を飲んで、朝礼にも出ない。前夜に決まった、と当日に工事をストップさせたりで、A社長も疲労困憊していました」
高関氏が強調するのは維新との関係だ。
「16年に来年9月の愛知県のアジア大会が決まりました。18年にはフランスで大阪万博が決まる。翌年に愛知県にできた国際展示場の建設はGLと前田建設工業が共同出資している。展示場もフランスの株式会社が運営し、その後、すべてのイベントはGLが主催しているのです」と高関さん。
維新は人気があっても金がない。組みたかった大企業はほぼ自民に取られている。そのためスポンサー企業を外資に求めた。それがフランスだったという。
「最初に外資と接触したのは愛知県。国はスタートアップエコシステムを提唱し、各都道府県でのIT企業の育成などを奨励したが、愛知県と大阪府は全く同じことする。知事が維新系ですから。フランスから企業を呼ぶと、必ずGLがかんでいて、日本での万博の開催やオリンピックをGLはがっちり握ったのです」
大村秀章知事とも近く、万博誘致で国際博覧会協会(BIE)を訪れていた松井一郎大阪市長(当時)や吉村知事は、GLとの関係を深めていたようだ。
GLは世界的なイベントに絡み急成長した。「中国や香港で、イベントに使う家具類の会社などを買収する。資産はなくても買収した会社で、フランスで評価されている。成長を支えるのはドバイでは」と高関氏。
日本のイベントでこれだけ未払い問題が発生したことはない。愛知県は大丈夫なのか。「大村知事は先に金をもらっているから断れない」と高関氏。なぜか。
「アジア大会(パラ大会含む)のため、先にGLが22億円をスポンサー料として投資し、630億円の仕事を受注した。先に大きな金を入れて入札をなくすのです」
スポンサーになります、と金を払っておいて巨大事業を受注できるのなら、入札など意味がなくなる。GL社は贈賄ではないのか。愛知県は収賄ではないのか。愛知県は「特定随意契約」などとしているが。
東京五輪での汚職問題で、電通が1年間受注停止になった。高関氏は電通が万博に入れなかったことが未払い問題に影響したと見る。
「建築現場でも電通や博報堂はスケジュール、予算から工程などから完璧なシミュレーションをして現場管理をする。今回不在で、ど素人集団の万博協会は機能しない。だからGLがつけ込めた」
未払い問題をメディアは、海外企業の商習慣や契約の仕方の違い、大手はリスクを知っていたが中小企業は無知だったかのように報じたが、高関氏は「全く見当違いだ」とする。
「大手はGLと仕事をしたことなんてない。中小零細はクライアントのOKがなければ物事を進めない。マルタ館では、建設が間に合わない責任をだれに押しつけようかと、GLがわざと厳しい契約書を作成してサインさせようとする。A社長は拒否するが、GLはサインできないのなら先に払った金を返せと脅す。A社長は投げ出して万博が開かれなければ日本人の恥だと思い、投げられなかった」と同情する。
GLは建設途中で何度も設計変更し、それをまとめた契約書にサインしない。3月以降、1回も振り込まなかった。決まり文句のように「オープンに間に合ったら精算する」ばかり。信用していたら今度は、そっちが遅延したから払えと言い、フランスから呼んだ関係者の渡航費や宿泊代もすべて入れてきたと怒る。
「計画的でしょうね。半分振り込んでいることや、納期が迫っていることで、プレッシャーをかけてきた」
高関氏は経産省にも掛け合ったが、担当者は「関係会社全部が払ってもらっていないわけではない」などと逃げるだけだった。
9月30日にマルタ館やセルビア館などに並ぶ人たちに尋ねたが、未払い問題を知る人はほとんどいなかった。万博会場の夢洲駅から1駅、コスモスクエア駅の近くにあるATCビルの5階にあったGLジャパンの大阪事務所を訪れると、「東京に移転しました」という張り紙が貼られていた。
未払い問題について吉村知事は窮地に陥った業者に「寄り添う」としながらも「民と民のことで税金投入での救済は難しい」と突っぱねてきた。吉村知事は万博協会の副会長でもある。
10月3日の知事会見で筆者が「未払い問題をどう思いますか?」と問うと吉村知事は「マルタ館にしても、そもそも債権があるのか、ないのか、の争いになっている。そもそも未払いがあるのかが争われているので」と答え、博覧会協会の管理責任については「当事者同士の契約トラブルで、そこまでちゃんと見るのは難しい」と、責任は認めなかった。
しかし前述のA社長は「だれもが間に合わせるのは無理だと思ったのを、国家プロジェクトだと必死に頑張って間に合わせたのに。協会にも大きな責任があるはずです。まったく監督できていないから無許可の業者が入っていました」と話す。協会の人や市や府の職員が建設中の現場に来たことは一度もなかったという。これまで大イベントは電通などに丸投げしてきたからだ。
さらに「パビリオン建設に大手が手を挙げずピンチの中、中小の会社が頑張ってくれたはず。政治家として人道的に彼らを救済できないのですか?」と聞くと「いろいろ考えましたが、突き詰めるとやはり民と民の契約の問題です」だった。
高関氏は、200㍍が保存されることになった大屋根リングについても「東京の梓設計が受注した経緯も不明。選考委員に会社の関係者が入っていたとも言われる」と話す。成功裏に終わったとする万博の闇はまだまだ深い。
太平洋に面した三重県熊野市木本(きのもと)町で99年前、武装した住民たちが朝鮮人労働者2人を斬殺する事件が起きた。「木本事件」と呼ばれる。同じ熊野の紀州鉱山では1940年代、過酷な労働を強いられた朝鮮人が多数、命を落とした。10月18、19日、現地で追悼集会が開かれた。
NPO法人猪飼野セッパラム文庫(大阪市)主催のバスツアーで初めて現地を訪れた。追悼集会は同文庫と「熊野・朝鮮から歴史をつむぐ会」の共催。木本はかつて漁師町で、集落には街道の面影が残る。
1925年1月、山を貫く「木本トンネル」の工事が始まった。峠越えや海路で往来した人々には待望のトンネル。朝鮮半島から渡ってきた労働者約200人が主に工事に従事したという。
事件の概要はこうだ。工事も終盤の26年1月2日、町の映画館で朝鮮人労働者が住民に日本刀で切り付けられ、重傷を負った。翌日、大勢の朝鮮人が神社に集まった。「朝鮮人がダイナマイトを持って復讐しにくる」などのデマが広がり、一部の住民たちが朝鮮人の飯場を襲撃した。朝鮮日報(1926年2月4日)は「自警団、在郷軍人会、消防組、青年団などが軍事教育用の銃剣や猟銃、短刀、消防用の鉄かぎと竹槍などをもって朝鮮人を襲撃した」と報じた。李基允(イ・ギユン)さん(25)と裵相度(ぺ・サンド)さん(29)が虐殺された。
しかし事件は双方の暴力と処理され、町の有力者らが自警団の裁判支援や減刑請願に動いたという。
94年10月、事件の現場でもあったトンネルの脇に、市民団体「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会」が2人の名を刻んだ追悼碑を建てた。追悼集会はここで開かれた。
「関東大震災の2年半後に熊野の地で同じ悲劇が繰り返された、二人の虐殺は、住民に武装を要請した行政に重大な責任がある。来年は木本事件から100年。史実の究明と二人の遺族への公式な謝罪を求めていきたい」と「つむぐ会」の斉藤日出治さん。
19日は紀州鉱山へ。戦時中、貴重な銅を産出し、朝鮮半島から多くの労働者が強制的に連れてこられた。いまも坑口からは鉱毒を含んだ水が流れ出し、浄化施設が稼働している。そのすぐ横に連合国軍捕虜16人の墓が整備されていた。
一方、朝鮮人労働者は1300人以上が連行されたが、正確な犠牲者数もわからない。追悼集会は国道脇に2010年、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」が設けた追悼広場で行われた。判明した35人の犠牲者の名をペンキで記した石が並ぶ。行政の案内板もある連合国軍捕虜のそれとは対照的な「墓所」だった。
長射程ミサイルの量産に伴う弾薬庫の増設が進められる中、各地で市民らが立ち上がり、防衛省に住民説明会の要請や署名活動などを広げている。全国に先駆けて造成工事が始まった陸上自衛隊祝園分屯地を抱える京都府精華町で10月19日、軍拡に反対する全国集会が開かれ、約2700人が参加した。ミサイル要塞化が進む沖縄や九州、愛知などの市民団体からは、各地の実態と軍拡に抗う決意が報告された。
政府は2022年12月に閣議決定した安保3文書に基づき、自衛隊の継戦能力確保のため、32年度までに弾薬庫を全国に130棟整備する方針を示した。うち70棟は27年度までに整備する。23~25年度の弾薬庫整備費は計616億円で、その半分の304億円を祝園分屯地が占めている。
祝園分屯地は、精華町と京田辺市に広がる本州最大規模の施設で、面積は470㌶(東京ドーム100個分)。周辺は京都、大阪、奈良にまたがる「けいはんな学研都市」(関西文化学術研究都市)。1980年代から文化・学術・研究の新たな拠点として開発され、分屯地に隣接して大学や企業の研究所、住宅街が広がる。半径10㌔圏内には奈良市、生駒市、大阪府枚方市、交野市、寝屋川市がある。
祝園弾薬庫は海上自衛隊が共同使用することがわかり、住民の中から「弾薬庫は有事の際、真っ先に攻撃される」「爆発の危険性があるのでは」との不安の声が募った。近隣3府県の住民有志が昨年3月、「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」(ほうそのネット)を結成。防衛省に再三、住民説明会の開催を求めてきたが、「弾薬庫に保管する弾薬については自衛隊の力が明らかになる恐れがある」と拒否されている。
防衛省は住民説明会を一切開かないまま、単に工事の説明をしたのみで、8月18日に弾薬庫8棟の造成に着手した。
「ほうそのネット」共同代表の呉羽真弓さんは「1万4000筆の署名を提出して説明会を求めたが、工事開始日も事前に知らせずに着工したのは納得できません。弾薬庫に長射程ミサイルが保管されることがないよう、これからも注視していきたい」と話した。
けいはんな記念公園で行われた「祝園全国集会」には、各地で活動する市民団体が集まった。
……
自民党総裁選と大阪関西万博というお祭り騒ぎが終わった。書きたいことは山ほどあるが、後に回す。
いま私が一番気分が悪いと思っているのは、自己顕示と勘違い、思いつきの裸の王様に世界がおもねっていることである。イスラエルによるガザ攻撃と殺戮が一時的であれ停止され、人質が解放されたことは良いことには違いないが、この2年ほどの間にイスラエルはパレスチナの人々を皆殺しにしようとするような爆撃破壊で、7万人近い人々を殺している。
これを支援してきたのはアメリカの2人の大統領であり、とりわけトランプ大統領はひどく、就任直後から爆撃と破壊をあおり、その結果、瓦礫の山となったガザから人々を追い出して自分のものにし、世界から人を集めるリゾートとすると得意満面に語っていたのを誰もが憶えているだろう。不動産経営者トランプは今もそう考えているのではないか。こんなことを許すのか。こんな人物が停戦、和平と言ったところで何を信じることができるのか。
にもかかわらず、世界には「ありがとう。トランプ。あなたのおかげで平和がもどった」などとお世辞を言い、「ノーベル平和賞に推薦する」とごまする者もいる。何なんだ。ヨイショされるとうれしそうな顔をしている裸の王様を世界がはれ物に触るかのように持ち上げる。こんなアホなことでいいのか。これをまねる権力者が世界各国で出てきている。日本でも、だ。こんな気持ちの悪いものはない。
さて万博はオリンピックと同様、世界平和のイベントとされてきた。今回の大阪・関西万博もそうで、その最中にもウクライナ侵略、ガザ攻撃、ミャンマーをはじめ世界各地で紛争・混乱が続き、多くの人が故郷や国を追われ、飢えや病、戦火で命を落としている。トランプ大統領2期目就任以降、「自国第一主義」「自国民ファースト」の流れが一気に強まり、難民となっても受け入れられず、追い返され、殺されもしている。
そもそも日本は難民を受け入れないし、亡命も受け入れないどころか、労働者としてもまともに受け入れていない。江戸時代の鎖国レベル、まったく遅れた国である。そこに外国人排斥、「日本人ファースト」を叫ぶ連中が増える中で、世界から158カ国が参加、愛知万博の2205万人をこえる2558万人が訪れ、280億円の黒字になり、相互理解、友好・連帯を深め、世界平和に貢献、成功したかのように万博協会、国、大阪府・市、財界などは言うが、ちゃんちゃらおかしい。何に貢献しているのか。黒字になったと言うが、どれだけ税金をつぎ込んだのか。
維新の代表でもある吉村大阪府知事は自分たちが誘致しただけに万博は成功したと言い、感謝を9回繰り返し、それを不祥事続きの維新のイメージ回復につなげようとしているが、そんなことで維新のイメージはよくならない。あいかわらずあちこちで維新の首長や議員は問題を起こしているし、そもそも万博のテーマだった「いのち輝く未来社会のデザイン」はどうだったのか。一番身近なことで言わせてもらうが、いまみんながいのちと環境問題で一番関心を持ち、心配している汚染物質は、自然界でほぼ分解されず、血液中のコレステロール値を高くし、腎臓がん、精巣がん、甲状腺疾患など数々の健康被害を引き起こして心配されている「永遠の化学物質」と呼ばれている「PFAS」だろう。
……
私はここ数年、アフガニスタンの首都カブールに住むアブドラに定期的に支援金を送金している。彼はタリバン政権に気を遣いながらも、無事に女子孤児院や避難民キャンプの人々に、食糧や衣服を届けてくれている。今回は8月に4000㌦(約60万円)を送ったのだが、その直後にアフガン東部で地震が起きて死傷者続出、泥の家が崩壊して人々は野宿を余儀無くされている。「さらに支援金を送ってほしい」というリクエストがあり、年内にもう一度送金せねばと考えている。
アフガンは地震国でこの国を貫くヒンズークシュ山脈はヒマラヤ同様、古代にインド亜大陸が北上してユーラシア大陸にぶつかった結果、地面がせり上がってできた山脈である。ちなみにヒンズークシュは「インド人殺し」という意味。紀元前からこの地域を支配していたペルシャ帝国がインド人労働者を連れてくる際、この山脈を越えることができずに大量の労働者が亡くなったからだ。
「西遊記」の三蔵法師がタクラマカン砂漠を横切り、この山脈を超えて天竺に到着できたのは、当時でいえば「人類が火星に行った」くらいの奇跡であった。孫悟空や猪八戒のようなサポーターがいないと到底無理だと感じた人々があの物語を作ったのだと思う。ちなみに天竺はかつてのインド、今のパキスタンに存在していて、三蔵法師はヒンズークシュ山脈を降りてジャララバードに着き、そこからカイバル峠を越えてペシャワールへ、そしてブッダが瞑想していた場所にたどり着いたのだ。
今回の地震はまさにそのカイバル峠付近で起きた。この国がプレート境界に位置しているため、地震が多いのは日本と同じ宿命なのだが、 戦争がなく平和のうちに発展した日本ではM6でもビルは倒壊しないが、ずっと戦争が続き貧困のアフガンでは致命傷だ。地震で圧死した人々は「戦争と地震のダブルパンチ」で殺されてしまったと言える。
……
石破茂首相の退陣表明以降、自民党総裁選、公明党の連立政権離脱などで、中央政界には激震が走った。新聞やテレビなども、連日その動きを伝えて大騒ぎしている。この私の連載が読者の皆さんに届く頃には、新しい首相が決まっていることだろう。
総裁選を制した高市早苗衆院議員だが、「初の女性総裁」などともてはやされてから10日も経たずに、党の役員人事などを巡って、早くも党内からの批判にさらされることになってしまった。そして、衆参両院で与党が過半数割れを起こしている状況で、不信任決議案も出さなかった野党、特に立憲民主党が、公明党の離脱を機に「政権交代」を言い出した。そして、基本政策が全く異なる国民民主党や日本維新の会に秋波を送っている(14日現在)。
あえて言おう。国政の舞台で政党同士の駆け引きによって生まれた首相は、たとえ誰であっても私たちにとって百害あって一利なしだと。そして、多くの人々が「石破首相の方がまだマシだった」と後悔することになるだろう。立憲民主党の野田佳彦代表に特に言いたい。院内の数合わせによって与党の座につくことを「政権交代」とは言わない。それを口にするのなら、私たちに自身の政策を掲げ、選挙で第一党になってからにしていただきたい、と。
今回の与野党が演じている茶番劇を見ていると、少なくとも政党の代表者やその側近たちの多くが、私たち主権者、すなわち有権者を、自分たちの権力を守るための単なる「票」としか見ていないことがよくわかる。送られた秋波に対して、安全保障や原発政策などの見直しを迫る国民民主党の玉木雄一郎代表は、立憲民主党を支持する有権者のことなど頭にないのだろう。
そもそも、核兵器や原発の問題について、名前が上がっている政党の指導者たちは、本気でお互いの政策について議論したことがあるのだろうか。広島、長崎、ビキニの被爆者や、福島第一原発事故の被害者たちと、きちんと対話したことがあるのだろうか。そして私たちは、福島第一原発事故後に、わずか9カ月で「収束宣言」を出し、大飯原発3、4号機の再稼働を認めて、今日の「原発回帰」の道筋を開いたのは、当時首相だった野田代表であったことを、忘れてはいまいか。
……
戦前・戦中の思想弾圧に強権を振るった治安維持法が戦後廃止されて80年。同じ過ちを二度繰り返さないように歴史から学ぶ記念のつどいが10月18日、大阪府吹田市内であり、元教員の柏木功さん(76)が「父は思想を理由に大阪刑務所に囚われた」と題して講演した。
「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」吹田・摂津支部の主催(松本洋一郎支部長)。
柏木さんの父茂弥さんは「吹田基督教会」で牧師になる修行を積む傍ら、「生協の父」賀川豊彦が創立した大阪労働学校で学ぶ。「昭和恐慌」で未曾有の経済危機に見舞われ、街に失業者があふれた1930年頃だったという。
「社会科学に目覚めた父は、信仰でなく、社会変革でこそ貧しい人々は救われると思うようになり、教会で出会った母操と、貧しい人のための診療所の創立に関わるのです」と柏木さんは切り出した。
当時、健康保険制度には大きい事業者の労働者は加入できたが、保険が使えるのは本人のみで家族は無保険。社会の圧倒的多数を占めていた農民は加入できず、診察は全額実費だった。医師にかかるのは死亡診断書を書いてもらう時だけという時代だった。
31年8月、大阪府三島郡吹田町(現吹田市)に「三島無産者診療所」が開業した。無産者とは「財産がある有産者と違い、自分で働いて稼がないと食べられない人のこと」。
柏木さんは開所時の記念写真を示し、「所長の加藤虎之介医師が24歳、二人の看護師は21歳、父が一番年上で27歳、母が最年少の19歳と、若者によってつくられた診療所だったのです」と説明した。翌年には歯科部、産婆部もできた。
柏木さんの資料には、33年5月に吹田町ではしかが大流行したときのことが記されていた。
〈子どもの健康、体力向上が町役場の大きな課題となった。貧しくて医者にかかれない家庭には医療券を発行。町長は町医師会に協力を求めるも政治的思惑が絡み、協力の返事をしない。町長はついに三島無産者診療所の加藤医師に「町医」を委嘱。医療券を持つ子どもには三島無産者診療所で、無料で診てもらえるようになった〉
各地の無産者診療所は、思想統制を敷く国の標的にされた。医師や看護師らを捕まえ、閉鎖に追い込んだ。三島無産者診療所も助産師や歯科医が検挙された。多忙を極めた加藤医師は盲腸炎が悪化し、34年1月に死去する。
「父は薬剤師とともに、診療所を所管していた吹田警察署に医師の変更を届けるのですが、受理されませんでした。加藤医師が町医であるため特高警察は手を出さなかったが、亡くなるのを待っていたかのように、『閉鎖せよ。さもなくば全員検束する』と命令し、午後から休診となり、二度と再開されることはありませんでした」
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公人である市議にネット上でヘイトスピーチを受けたとして、大阪在住の在日コリアン3世が市議に対し、損害賠償と投稿の削除を求めた訴訟の判決が10月24日、大阪地裁(山本拓裁判長)で言い渡される。判決を前に4日、原告を支える集いが開かれた。
原告は、大阪市のイベント制作会社「TryHard Japan」役員、李香代(イ・ヒャンデ)さん(59)。
大阪府泉南市の添田詩織市議(36)=自民=を相手取り、昨年5月、550万円の損害賠償と投稿削除を求める訴えを起こした。
添田市議は昨年2月、X(旧ツイッター)上に、朝鮮学校の補助金復活を求め街頭活動する李さんの写真を複数載せたり、「いとこは在日留学生捏造スパイ事件で死刑判決を受けた」と書き込んだりした。李さんは朝鮮学校のオモニ会元役員。いとこは韓国の軍事独裁政権に「北のスパイ」とでっち上げられ、長い獄中生活を強いられた李哲(イ・チョル)さん。再審で無罪が確定している。
差別的投稿が始まったのは、李さんの会社が添田市議を提訴したその日。添田市議は週刊誌などで「中国系企業」「公金がダダ洩れ」などとコメント。同社は「事実無根のヘイトスピーチで名誉を傷つけられた」として、添田市議と市に対し各1100万円の損害賠償と投稿削除を求め提訴した。標的になったのは同社の役員の中で在日コリアンの李さんだけ。「犬笛」にあおられた支持者らによって、李さんに対する差別的な投稿はさらに拡散された。
添田市議は7月の本人尋問で、投稿について「公金問題に関心がある市民に情報提供した」「ネット上の情報を貼り付けただけ」などと、差別的な意図を否定した。
李さんは「『政治家として情報を提供しただけ』などというが、在日コリアンへの差別を正当化する侮辱的な発言」と批判。大阪地裁で朝鮮学校無償化裁判が勝訴した際、「私はここにいていいと認められた、と思った」という三女の言葉を紹介、「『ここにいていい』という言葉は排他的な風潮への根源的な問いかけ」だとして、裁判が持つ社会的意義を強調した。府に罰則付きヘイトスピーチ規制条例の早期制定を求める陳情も府議会に提出するとした。
ヘイトスピーチに詳しい龍谷大学法学部教授の金尚均(キム・サンギュン)さんは基調講演で「朝鮮人で女性。李さんの被害は属性が重なりあうことでより深刻になった。『交差差別』『複合差別』という視点が必要」と指摘。弁護団は「判決がいずれの結果でも控訴審で争うことが予想される。勝利を信じて闘い続ける」と強調した。
●伝統工芸「広瀬絣」
島根県安来市の工芸に焦点をあてる企画展「絣の美 広瀬絣の今」が加納美術館で開かれている。12月22日まで。
広瀬絣は、約200年前の江戸時代後期から広瀬町(現安来市)で織り続けられてきた伝統工芸品で、県の無形文化財に指定されている。広瀬絣伝習所では今も技術継承の活動が行われている。
企画展では、明治時代に最盛期を迎えた広瀬絣の古布や、県無形文化財保持者の永田佳子さんの作品など96点が展示されている。
加納美術館は、安来市出身の洋画家である加納莞蕾(かんらん)の長男溥基さんが地域文化の発展と、文化活動や生涯学習の拠点を目的として1996年に開館。莞蕾は戦後、フィリピンの日本人戦犯の助命嘆願活動を起こし、当時のフィリピン大統領はじめ世界の要人へ向けて300通に及ぶ嘆願書を送り続けた。莞蕾がどのような考えで平和を目指す活動を行ったのか、その人間像に迫る「加納莞蕾展」も同時開催中。
莞蕾の孫で館長の千葉潮さんは「地元の作家、地元の手仕事を掘り起こして展示していますが、その土地の歴史、風土、産業とどれも無縁ではありません。明治20~30年代にピークを迎えた広瀬絣は、朝ドラ『ばけばけ』の主人公トキさんのように、若い女性たちが織り手として働いていました。その技や思いを引き継いで、今の広瀬絣も織られています。藍の紺と木綿の白だけで作り出す、手仕事の世界をどうぞお楽しみください。11月15日には、着付け体験もありますよ」
入館料は一般1100円、高校生・大学生550円、小中学生は無料。
問い合わせは加納美術館(0854・36・0880)まで。
●生活保護受給テーマ
生活保護受給をテーマにした映画「スノードロップ」が11月1日から大阪・第七藝術劇場、神戸・元町映画館で上映される。実際の無理心中事件を下敷きにしたフィクション。1978年生まれの吉田浩太さんが監督を務めた。
事件は10年前に起きた。老親は死亡、助かった40代の娘は、母親への殺人罪と父親への自殺ほう助の罪に問われ、懲役4年の実刑判決を受けた。娘は認知症の母親を介護、ぎりぎりの生活を支えた父親は病で倒れ、仕事を続けるのが困難に。一家が車ごと川に入水したのは生活保護の申請後で、受給はほぼ確定していた−−−−。
吉田さん自身、大病を患い生活保護を受給した一人。「制度がなければ映画監督としての再起はなかった」という。しかし、一家は心中を選択。「なぜ」という強い思いにとらわれた。悲劇の背景には何があったのか。吉田さんは自身の経験も踏まえ、日本社会に根強い貧困への差別意識を丁寧に描き出した。
主演は娘役を演じた西原亜希さん。関西では京都シネマでも上映中。詳しくは公式サイトで。
1937年に始まった日中戦争で、南京攻略戦などに参加した兵士らの戦場での日記を通し、軍隊の本質に迫るドキュメンタリー映画「豹変と沈黙 日記でたどる沖縄戦への道」が公開された。那覇市在住の原義和監督に、作品に込めた思いを聞いた。
原監督はフリーのテレビディレクター。沖縄戦をテーマに数多くのテレビドキュメンタリーを手がける中、「日中戦争と沖縄戦は地続き」だと感じてきた。沖縄戦の主力部隊は中国からの転戦組が多い。第32軍の牛島司令官、ナンバー2の長勇参謀長も中国からやって来た。「沖縄戦前史としての日中戦争を見つめてみたいというところからスタートした」と振り返る。
だが、元兵士の肉声を聞くことは難しくなっている。原監督が着目したのが戦中日記。4人の日記にスポットを当て戦場の現実を浮かび上がらせた。「戦地で書かれた日記は、一兵卒のものであっても貴重な一次資料であり一級の資料。日常を描いただけなのかもしれないが、その中に日本軍の加害性が見えてくる。これらの日記を社会の記憶として刻みたかった」という。
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米軍対応に憤り
私は、米軍が、自軍の消防隊員には放射能検査をしたが共に消火活動に当たった宜野湾市の消防隊員には検査をしなかったことに、また共に消火活動に当たることがあるのに、ヘリに放射性物質があることを市や県に知らせてなかったことに憤りを覚える。市の消防隊員は健康診断で異常がなかったとのことである。
パネルディスカッションでの訴え
2024年のパネルディスカッションで、米軍ヘリ墜落事件当時、宜野湾市基地政策部長だった比嘉さんは二つのことを参加者に訴えられた。
一つは地位協定の改定
米軍ヘリが墜落した04年8月13日から地位協定改定は実現していない。みなさんもあきらめずに改定を求めてほしい。日本弁護士連合会の「日米地位協定の改定を求めて―日弁連からの提言(新版)」(24年3月)がインターネットで見ることができるので見てほしいとのことであった。提言の16頁、米軍航空機墜落事故への対応を見ると――
地位協定の規定にもかかわらず合意議事録や合同委員会合意があり、米軍が承認なく沖国大に立ち入り、日本側に捜索・差押えをさせなかったことがわかった。日本の主権を回復するには日弁連提言のように地位協定改定や地位協定17条10項(a)(b)に関する合意議事録2項の廃止などが必要であるとわかる。
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1932(昭和7)年1月、日本軍の謀略による上海事変が勃発。2月22日、上海郊外で中国陣地の鉄条網を爆破するため、点火した爆弾を抱いて3人の兵士が飛び込んだ。世にいう「爆弾三勇士」である。朝日新聞は「肉弾三勇士」と報じ、西部毎日新聞は「忠烈まさに粉骨砕身」とし、壮烈無比の勇士という美談記事にした。軍国熱は高まり、映画や歌になった。映画は日活や新興キネマほか群小の映画会社など、なんと7社競合、愛国の美談として封切られた。
同時期、無名の新人監督の映画がひっそりと封切られた。『磯の源太・抱寝の長脇差』。22歳の山中貞雄監督デビュー作である。B級娯楽映画として、批評家たちの期待は皆無に近かった。たまたま、浅草で夜遊びして、一休みのために映画館に入った映画批評家の岸松雄は、この映画を見て目が醒める衝撃を受けた。彼はその衝撃を映画雑誌で絶賛の文とした。
「われわれは此の映画によって、山中貞雄という一人の傑ぐれたる監督をば新しく発見し得た」(『キネマ旬報』誌)
山中は09(明治42)年11月京都下京区生まれ。京都市立第一商業学校進学。1年上にマキノ正博(後に雅弘)がいた。映画熱が嵩じて5年生で映画監督になることを決意し、正博に手紙を書き、マキノプロ入社。助監督になったが、「ノロマ」といわれ、評価は低かった。シナリオばかりを書いていたが、マキノの勧めで独立間もない嵐寛寿郎プロダクション(寛プロ)に入社。脚本家として「鞍馬天狗」や「右門捕物帖」シリーズを書いて評価を得た。
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昨年、家電量販店からメールが届きました。私が持っているワイヤレスイヤホンがリコールになったことを知らせる内容でした。充電中に煙が出る事例があったといいます。
購入したのは4年も前。最近はあまり使っていなかったので、引き出しにしまったままでした。ともかくメールに案内されていたメーカーのサイトに飛ぶと、代替品と返送用キットを送るとのこと。指示に従い購入品にチェックを入れ、住所などの情報も入力し送信しました。
数日後、代替品とキットが送られてきました。代替品は新発売の品。かつ、私が持っていたものよりもグレードが高いものでした。正直ここでテンションは上がりました。返送用キットには、レターパックと耐火袋、そして送り方を示す画像付きの説明書が入っていました。
ノンストレスで返品して代替品も手にすることができ、このメーカーのイメージは逆に良くなりました。リコールとなっても、そのあとの対処の仕方によって、消費者へのダメージは大きく変わります。 今回はメーカーの誠実さを強く感じました。この一連の手続きを終えた後、購入した家電量販店からリコールのお知らせが郵送でも届きました、メールだけでは見落とす人もいるからでしょう。こちらの対応も行き届いていました。
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余命宣告から2年
小泉雄一さん逝く
埼玉県 根橋敬子
新聞うずみ火読者の小泉雄一さんが10月11日、亡くなりました。すい臓がんが全身に転移していたのです。
がんが発見されたのは2023年10月、ステージ4で余命告知も受けていました。私もその年の5月に乳がんが見つかり、手術を受けていたので、メールで互いに励まし合った2年間でした。
昨年4月の茶話会に「早くお会いしておいた方がいい」と久しぶりに参加され、震える声で「お世話になりました」とご挨拶されました。5月のメールには「私らしく生きたい」とあり、7月には「それでもしっかり生き抜きます」との決意が記されていましたが、8月には体重が46キロに。12月のメールには「私の場合は、来年は迎えられても次の年は確実にありません」とあり、今年1月には「抗がん剤治療を中断して、少し生活の質を向上させた期間を作りたいと思っています」と書かれていました。
今年7月26日の「黒田清さんを偲ぶ会」を前に、「私も菊也さん、直樹さんと会える最後の機会と考え、体調を整えて参加したいと思っています」とのメールが届き、当日、その言葉通り、元気に参加され、菊也さんたちとの記念写真も撮ることができました。楽屋を後にする際、小泉さんの頬を涙が伝っていたのを忘れることができません。
8月に入り、「自分の選択肢から歩行できないことは受け入れられないので、抗がん剤治療の断念を決めました」とあり、覚悟を決められたようでした。
茶話会に参加されていた竹島恭子さんにお会いしたがっていると知り、矢野さんに相談し、小さな茶話会を計画しました。9月3日、短い時間でしたが、3人でお会いすることができ、小泉さんの姿を見たのはこの日が最後となりました。
9月22日に腹水がたまり、急遽入院。メールで「長い入院になりそうです」。10月2日には「うずみ火20周年の集いでお会いする約束を果たせないのが心残りです」とつづり、4日には「これまで乗り越えてきた、どの孤独より深い感じがします。しかし生命が耐え抜く日までこの孤独を受け入れる覚悟でおります」と悲痛な文面が届き、これが最後のメールとなりました。
常に前を向き、それでもちょっと後退し、を繰り返した闘病の日々だったと思います。
最期は耐え難い痛みが襲ってきていたらしく、「小泉さんが亡くなった」と知らせを受けた時は、もう苦しまなくていいのだと、少しだけほっとしたのを覚えています。
まっすぐな方でした。温かい方でした。小泉さんのような方にはもう会えないような気がします。
(新聞発送のお手伝いに始まり、茶話会、酒話会、うずみ火講座、黒田さんを偲ぶ会と、いつも小泉さんの姿がありました。9月3日、「次回はうずみ火20周年でお会いしましょう」と言って握手して後ろ姿を見送ったのが最後となりました。力強く握り返してくれた手のぬくもりは今も私の手のひらに残っています。小泉さん、お疲れさまでした)
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10月12日、札幌市で開かれた厚生労働省主催の身体障害者補助犬啓発イベントへ行ってきた。介助犬イムア君も一緒だ。飛行機に乗る際、ペットは貨物室へあずけねばならないが、補助犬は客室に同伴できる。細い通路を通り、座席にたどり着くと、イムア君は足元で待機している。離陸時に少し驚いたようだったが、1時間30分ほどで新千歳空港に到着。JRで札幌駅に移動すると、きれいな地下街が目の前に広がった。2011年にオープンした「札幌駅前通地下歩行空間」だ。
札幌から大通り、すすき野方面へ向かう道すがら、エレベーターも階段の近くにあり、分かりやすく配置されている。エレベーターに乗って驚いたのは「車イスの方、ベビーカーの方を優先してください」とのアナウンス。扉にも同じことが書かれたステッカーが貼ってある。着いたエレベーターが満杯近いので次にしようとしたら、中の人がわざわざ出てきて譲ってくれた。車イスとイムア君と訓練士の3人分を、だ。この初体験に驚き過ぎて言葉が出なかった。
ところが、地上へ出ると、歩道の状態が非常に悪い。地下街をきれいに造ったので、歩道にまでは手が回らないという感じがした。路面電車の車道を渡るのは車輪がガタついて怖かった。
車イスの往来が激しいと地下街を行き来している人々を見ていて感じた。何かのイベントや近くに障害者施設でもあるのかなと思うほど。都内では階段で困ることが多い。エスカレーターが動線として造られているような駅ビルさえある。
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表紙の絵は、ウサギとカメです。タイトルを見たら、何が一番速いのかを考える話かなと思い、ページをめくることでしょう。最初のページには「ウサギとイヌとウマとダチョウとネコとカモシカと人間が100㍍競走したら、だれが一番速いか?」と問いかけています。この中で一番速いのはカモシカです。
次のページをめくると、カモシカより速いチーターが、水中ではチーターよりもバショウカジキが速いと紹介され、鳥の中ではハリオアマツバメと話は続きます。次に、人間は走るのは遅いが、チーターよりも速く走る新幹線を作り出したと、話は進みます。人間が発明したレース用の自動車は新幹線にも負けないし、ジェット機は新幹線の3倍の速さで飛ぶと説明します。このあたりで、読み手は「人間って走るのは遅いけど、速く走る物を次々と作り出すんだ」と考えていきます。
話は進み、乗り物より速いものは音。その音は空気の波となってジェット機より速く耳に届くと説明されます。話はページをめくるたびに、より速いものへと進みます。音より速いのは地球の自転の速さで、それより速いのは人間が作り出した人工衛星や宇宙船です。人間が作った物でこれ以上速いものは現在ではないことがわかります。
ウサギとカメから始まったこの話は、ついに宇宙へ飛び出します。宇宙船より速いのは地球の公転の速さ。さらに、それより速いのが光の速さであり、この宇宙の中には光より速いものはないと結論にいたります。
あべ弘士さんの絵は動物たちから広大な宇宙や、見えない音や光を、想像力豊かに描いています。しかし、この話はここで終わりではありません。「光よりもっと速いものがある」と書き手はエンディングに読み手を導きます。
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新聞うずみ火創刊20周年を記念した「うずみ火Tシャツ」ができました。読者には1着2000円でお分けします。記念に一枚、いかがですか。
Tシャツは黒一色。表にはローマ字で「新聞うずみ火」と表記され、20年前に購読希望者を募るために作成した「消さない 命尊ぶ反戦の火/人権社会へ願い込め発行」と題した創刊準備号がプリントされています。
「SINCE2005」の文字の横には、QRコードも印刷されており、新聞うずみ火のホームページにたどり着くことができるはずです。デザインを担当したのは読者の角家年治さんです。
サイズはSを3枚、MとLを41枚ずつ作ったほか、大きめのXLを12枚、さらに大きいXXLを2枚の5種類を用意しています。これから寒い日を迎えますが、長袖アイテムと合わせれば、冬場でも着こなせます。
ご希望の方は、うずみ火編集部までお申し込みください。メールやファックスでも注文の場合には、希望サイズも明記してください。振込用紙を同封しておきます。
また、クリアファイルも制作しました。1枚200円で販売しています。こちらも申し込みはうずみ火まで。
「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が10月21日に実施した厚労省、外務省、警察庁との政府交渉。リアルで傍聴したかったが、翌日が今月号の入稿日。残念ながら断念した。終了後の報告会見をオンラインで視聴して驚いた。遺骨が収容されて2カ月近いのに、DNA鑑定は手つかず。遺骨は山口県警科捜研の冷蔵庫の中だという。「あのご遺骨に申し訳ない。83年待って、やっと日の目を見たのに。ご遺骨の立場に立つという、熱意のかけらもない」。井上洋子共同代表が声を詰まらせていた▼DNA鑑定だけでなく、ほとんど何も動いていない現状。政府交渉に同席した国会議員の一人は、民主党政権時の官僚たちのサボタージュを重ね、振り返っていた。まさにこの日、そのほんの数百㍍先で高市政権が発足した。首相交代で、進展どころか「塩漬け」「後退」なのか。それでも刻む会の上田慶司事務局長は「高市政権がどんな態度でこようが、前進していく」と言い切った。パソコンの前で思わず拍手した。めげずに前進あるのみ。自分もかくありたい▼刻む会はこの日、保有する29人分のDNA型のデータを警察庁に提供した。12月19日までに進展がなければ、民間団体などに依頼して独自に鑑定を行うという。11月には犠牲者が5人いる沖縄で会見、遺族探しのキャンペーンも開始する。来年2月には世界屈指のダイバーたちを招く遺骨収容プロジェクトが始まる。同時期に実施する追悼集会には韓国政府関係者が来日する。「現地に来て悲しみを共有してほしい」という井上共同代表の訴えを、日本政府はいつまで無視し続けるのか。なお、この追悼集会には、文在寅(ムン・ジェイン)元大統領の参列もささやかれている。 (栗)
9月13日(土)
新聞うずみ火が制作していた「語り継ぐ大阪大空襲」の第3弾「パンプキン爆弾を知っていますか」がようやく完成し、午後、大阪市北区のPLP会館で上映会。矢野が「空襲とパンプキン」と題して講演。
栗原 群馬県藤岡市の成道寺で関東大震災102年、17人の朝鮮人が虐殺された「藤岡事件」の慰霊祭に参列。
9月16日(火)
新聞うずみ火が10月に創刊20周年を迎えることで、矢野は午後、インターネットテレビ「ポリタスTV」にゲスト出演し、収録。MCは元朝日新聞社記者の宮崎園子さん。番組タイトルは「不屈・抵抗『うずみ火』創刊20周年の軌跡とこの先」(10月6日配信)。
9月17日(水)
午後、石田富美枝さん、金川正明さん、竹腰英樹さんが新聞折込チラシのセット作業。ありがたい。
……
おかげさまで、新聞うずみ火は10月、創刊20周年を迎えました。読者の皆さんから「苦言・提言・応援歌」をいただき、新たな門出を祝う集いを11月1日(土)午後1時半から大阪市北区のPLP会館4階で開きます。参加費は無料。この20年の歩みをスライドで振り返るとともに、執筆者を囲んで楽しいひとときを一緒に過ごしませんか。
当日は「ヤマケンのどないなっとんねん」の山本健治さん、「日本映画興亡史」の三谷俊之さん、フリーアナウンサーで消費生活アドバイザーの坂崎優子さん、「会えてよかった」の上田康平さん、「経済ニュースの裏側」の羽世田鉱四郎さんのほか、「憲法BAR」主宰者の定岡由紀子弁護士も参加します。
当日、うずみ火Tシャツやファイルなども販売します。
【交通】JR環状線「天満駅」から南へ徒歩5分、地下鉄「扇町公園駅」から南東へ徒歩4分
●「釜ヶ崎フィールドワーク」
創刊20周年記念のコラボイベント「釜ケ崎街歩き&懇親会」は11月15日(土)午後1時~です。案内人は居酒屋「グランマ号」店主の新井信芳さん。少々の雨であれば決行します。
午後1時、JR環状線「新今宮駅」東出口に集合。定員は15人(要予約)で、定員になり次第、締め切ります。参加費は街歩き1000円、グランマ号での懇親会2500円程度。
参加希望の方は、新井さん(090・6735・6096)まで。メールche.1967.109@ezweb.ne.jp
少し早いのですが、忘年会のお知らせです。大阪は12月6日(土)午後5時半~淀川区宮原の韓国料理店「セント」(地下鉄御堂筋線「東三国駅」から徒歩3分)で会費は5000円(予定)。
東京忘年会は13日(土)午後5時半から新宿2丁目の中華料理店「隨園別館・新宿店」(都営線「新宿3丁目駅」C4出口から徒歩3分)。二次会も近くで開く予定です。