新聞うずみ火 最新号

2023年2月号(NO.208)

  • 1面~5面 白梅学徒隊 中山きくさん逝く 元学徒「沖縄は開戦前夜」(矢野宏、栗原佳子)

    沖縄戦に「白梅学徒隊」として戦場に駆り出され、戦後、戦争体験を語り継いできた中山きくさん=那覇市=が1月12日、病気のため亡くなった。94歳だった。同日、中山さんが共同代表を務める「元全学徒の会」は「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」を発表。南西諸島で軍備増強が加速する状況を戦前と重ね、危機感をあらわにした。戦争の愚かしさを訴え続けた中山さんの「遺言」と、平和への思いを同じくする元学徒たちの言葉に耳を傾けた。      

    告別式は1月17日、那覇市内のセレモニーホールで営まれた。母校、沖縄県立第二高等女学校(第二高女)の校歌のメロディーが流れる中、450人が次々に焼香し、微笑みを浮かべる琉装の中山さんの遺影に手を合わせた。平和学習で学んだ高校生、同世代の元学徒、幅広い世代の友人たちが感謝を伝えていた。
     
    白梅同窓会の会長と副会長として支え合ってきた元「白梅学徒隊」の武村豊さん(94)は「戦争に対する考え方や、いろいろなことを教えてもらいました」と気丈に言葉をつないだ。第二高女の4年生56人で編成された学徒看護隊は、校章の白梅の花から戦後、「白梅学徒隊」と呼ばれるようになった。
     
    中山さんは1928年、沖縄本島南部の佐敷村(現南城市)生まれ。41年4月、那覇市の第二高女に入学した。同年12月、日米が開戦。44年3月には沖縄に南西諸島防衛を担う第32軍が編成された。同年10月10日の「十・十空襲」では第二高女の校舎も全焼した。
     
    45年3月、4年生は補助看護婦要員として教育を受けるため、陸軍第24師団戦病院看護教育隊に入隊。「お国のために働ける」と意気込んだ。
    ……

  • 6面~7面 沖縄 もう一つの「8・6」(栗原佳子)

    沖縄戦終結から3年後の48年6月、本土爆撃用の爆弾が野積みされた弾薬貯蔵場で、大火災が発生した。米軍は海洋投棄に着手。その矢先に爆発事件は起きた。8月6日午後5時過ぎ、波止場(伊江港)で、停泊中のLCTに積み上げた125㌧分のロケット弾が荷崩れを起こし、大爆発を起こした。潮が引いたため海洋投棄に出航できず停泊中。桟橋には本部港とを結ぶ定期船が入港したばかり。旧盆を控え、出迎えの村民ら多数がいたという。住民ら107人が死亡、100人以上が重軽傷を負った。
     
     
    「8・6の会」顧問で元伊江村長の島袋清徳さんはその時の体験を語った。当時11歳。定期船で父と二人、港に着いたところだった。
     
    「喉が渇き、定期船が波止場に接岸すると同時に飛び降り、近くの集落の水飲み場に走りました。ひしゃくを手にした瞬間、耳が引き裂かれるような爆音がして目の前が真っ暗になりました」。誰かが、「また戦争が起きた」と叫んでいたという。父親は奇跡的に無事だったが、半狂乱の母らと一緒に、散乱する死体の中を歩いた記憶はいまも鮮明だという。
     
    戦前の伊江島の人口は約7000人。45年2月に沖縄県が指導した北部立ち退き(疎開)により老幼婦女子ら約3000人が本部半島の今帰仁村の山中へ。戦後も米軍の基地建設計画に伴い、大浦崎など数カ所の移動を余儀なくされた。一方、島に残った人々は45年4月、6日間の激戦に巻き込まれ約1500人が死亡。生き延びた住民は、米軍が飛行場を拡張するため翌月、島を追われ、慶良間諸島に強制移動させられた。島への帰還がかなったのは47年だった。
     
    「村民は苦労を耐え忍び、喜びと期待を抱いて戻った。しかし我が島は目を疑うありさまでした。家は押しつぶされ、その土地の上を米軍が砂利を敷きならし、帰還の喜びは無念の涙に変わったのです。それでも掘っ立て小屋同様の住みかを建て、衣食住ままならない中、村民は開墾を始めました。やっと希望の芽も出てきて笑顔が少しずつ戻ってきたその時、事件が発生しました。村民が受けた精神的経済的な打撃は計り知れないものがあります」

     
    主和津(シュワルツ)ジミー(幸地達夫)さん=は当時7歳。米軍通訳だった父・良一さんを亡くした。友だちと海水浴をしていると、大きな爆発音がした。波止場に駆けつけると良一さんはリヤカーに乗せられていた。「首もなく、一つの手がなくなっていた。足もなかった……」。主和津さんは声を詰まらせた。
    ……

  • 8面~9面 韓国記者が明石歩道橋事故取材 梨泰院事故と共通点探る(粟野仁雄)

    昨年10月にソウル市の梨泰院(イテウォン)で起きた群衆事故で158人が死亡した。1月初め、韓国の取材班が来日し、2001年の兵庫県明石市の歩道橋事故の遺族らを取材した。 
     
    来日したのは韓国の週刊誌『時事イン』記者のジョン・ヘウォンさんと写真記者のシン・ソンヨンさん。2日に関西空港から直行した明石市のJR朝霧駅から大蔵海岸へ向かう歩道橋の印象をジョン記者は「駅に降りて平和な風景に驚きました。『想(おもい)の像』の前で、通る人が手を合わせて祈ったり、子供たちがじっと見つめる姿に感動しました。20年以上たっても事故を覚えているなんて」と振り返る。想の像とは歩道橋上に遺族有志が犠牲者の名を刻んで建立した像である。
     
    3日午前は、2歳だった二男智仁ちゃんを失った下村誠治さん(64)、二女の優衣菜ちゃん(当時8歳)を亡くした三木清さん(53)を現場で紹介した。下村さんは、橋の上から自分だけでも110番に7回も通報したのに、警察は「21件しか通報がなかった」と主張したこと、警察は暴走族対策ばかりで雑踏警備要員をほとんど置かなかったこと、通りかかった警官に助けを求めても素通りされたことなどを説明した。三木さんは優衣菜ちゃんを守ろうとした場所を示し、「最初、橋の上の若者があおったなんて言われたが違っていた」などと経緯を説明。「遺族は何であんな所に連れて行くのや、という中傷に苦しんだ」などと話した。
     
    ジョン記者は「韓国では午後6時34分から通報が入ったのになぜ対応できなかったかが議論になっています。似過ぎていてびっくりしました」と振り返る。
     
    下村さんは「韓国で雑踏警備より麻薬取り締まりに力を入れていたなど、警察の状況もそっくり。ソウルの遺族らと交流し、二つの悲劇を関係改善につなげられれば」と語る。三木さんも「二人の記者が亡くなった娘の姉の名前まで知っていて驚いた。日本の新聞記者たちは『亡くなった子供さんの名前を教えてください』なんて聞いたりするのに」と感心しきりだった。
    ……

  • 10面~11面 ヤマケンのどないなっとんねん 説明責任果たさぬ政権(山本健治)

    岸田首相は支持率降下以降、テレビ露出を増やすようになった。しかし、新年記者会見での「異次元の少子化対策」が典型だが、言葉だけで中身がなかったり、意味不明だったりと、小池知事の5000円に負けている。言葉より具体性だ。何もかもが後手後手である。
     
    いま国民の最大の関心事は生活、物価対策だが、これも口先だけ。日本はGDPや人口などさまざまな面で完全な衰退に入り、産業は空洞化、経済は長期低迷から脱出できないでいる。当然、国民の収入は増えず、国の借金もさらに増えて1200兆円、国民一人あたり1000万円を超えた。国も地方も財政はどうしようもなく、高齢者の負担を増やして若い世代に回してごまかそうとしている。
     
    30年間賃金は上がらず、格差は当たり前、貧困もより深刻になっている。岸田首相は賃上げを最大の課題と言い、財界に協力を迫るが、非正規雇用労働者を含めてすべての労働者、一人親方、中小零細企業経営者や労働者の収入が増え、生活がよくなるという見通しはない。支持率を上げたければ、みんなの収入を上げ、物価を下げることだ。でなければ支持率は上昇しない。
     
    こんな中で岸田首相は、もう一つの支持率上昇策を取っている。安倍元首相と同様に外国訪問だ。すでに11回もしている。大統領や首相と会談し、何人もの記者が同行するから報道しないわけにはいかない。だから首相はいかにも何かしているように見える。

    それで支持率を上げようとするのだが、そう簡単にはだまされない。税金の無駄遣いという以外にない。
     
    首相の外国訪問の問題点はそれだけではなく、絶対に認められないことが事もなく進められてしまうことだ。今回のアメリカのバイデン大統領との首脳会談で、岸田首相は国会で議論されたわけでもなければ、国民が賛同しているわけでもないのに、敵基地攻撃能力を保持し、防衛力強化と防衛費をGDP比2%に引き上げると伝えたところ、大統領はこれを高く評価してくれたとして得意満面である。
     
    昨年秋の国会で審議しようと思えばできたのに、それをせずに12月16日、安全保障3文書の改定を閣議決定した。それにもとづいて「敵基地攻撃能力」を保持し、ミサイル「トマホーク」をアメリカから購入することや「スタンド・オフ・ミサイル」部隊を5年間で編制し、経費として5兆円を計上するとし、これまでの射程距離数百㌔のミサイルではなく、1000㌔、2000㌔のものを開発・保有し、その専門部隊を編成することやイージス艦を増やしたり、新たな戦闘機を購入したりなど強化を進め、そのため防衛費をGDP比2%にするとしたのである。これが報道され、防衛費引き上げは当たり前のようにしてしまった。
    ……

  • 12面~13面 フクシマ後の原子力 売れない牛を育てる(高橋宏)

    双葉町を後にした私たちは、浪江町の「希望の牧場」(吉沢牧場)を訪ねた。牧場入り口の「除染・解除してもサヨナラ浪江町」という看板に迎えられて場内に入ると、一面に広がる放牧地で牛たちがのんびりと草を食んでいる。事務所前で主の吉沢正巳さんが、牛たちのエサを運び入れていた。まず目に飛び込んできたのが「受難の命・受忍の壁」と書かれた壁と牛の頭蓋骨を頂いた真っ黒い十字架だった。
     
    「この11年余り、命の扱いが極限にひどかったわけですよ。浪江町では関連死が450人ぐらいになっています。命の扱いのひどさの象徴として、牛の頭蓋骨を置きました」と吉沢さんが説明してくれた。
     
    目が釘付けになったのが「カウ・ゴジラ」と表示されたトレーラーに積まれた牛のモニュメントだった。これは、九州大准教授の知足美加子さんが原発事故で多くの牛が餓死や殺処分で命を落とし、もう戻って牛を飼えないという農家の人々の気持ちを表して制作した「望郷の牛」という作品だ。それを寄贈してもらったという。
     
    「カウ・ゴジラ」という名前について、吉沢さんは「ゴジラのスタートはビキニの水爆実験。人間が核兵器を使うようになって核開発、核実験を繰り返すことへの怒りとしてゴジラの物語は始まっています。私は映画『シン・ゴジラ』を見てものすごく刺激を受けました。最後に、ゴジラの体内に血液凝固剤を注入して動きを止めましたが、あれは爆発した建屋への放水作業のシーンですよ。だからゴジラだ。牛なんだけど、これはゴジラなんです。見上げると、ゴジラっぽいでしょ」と説明する。吉沢さんは全国各地の講演などに、必ず「カウ・ゴジラ」を連れていく。そこには「棄畜!棄民!忘れんぞ!」の札がかけられている。「原発事故の時の恨みつらみの気持ちなんです」と吉沢さんは言葉に力を込めた。
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  • 14面~15面 世界で平和を考える 防衛費43兆円増の裏側(西谷文和)

    5年で43兆円に膨らむ防衛費という名の戦争予算が閣議で決定された。巨額の予算で購入するのがトマホークミサイル500発。これは明らかに相手国を爆撃するためのもので、このまま行けば日本は専守防衛国家から、アメリカと共に先制攻撃する「侵略国家」になってしまう。平和憲法に真っ向から矛盾するこの防衛予算、今号ではこれが「いかに馬鹿らしい43兆円なのか」について述べたい。
     
    すべては2017年の安倍晋三とトランプのゴルフで決まった。アメリカファーストのトランプは米国製武器のセールスマンだった。一方、苦労知らずでボンボンの安倍は、私たちの血税をトランプに捧げることで自身の延命を図った。お腹の痛くなった安倍が退陣する際に「敵基地攻撃能力を持つように」と指示し、その意を組んだ高市早苗が自民党総裁選挙で声高に主張した。では一連の防衛力増強とは一体なんだったのか、順に振り返ってみることにしよう。
     
    17年のゴルフの後、山口県と秋田県にイージスアショアが配備されることになった。なぜ秋田と山口か? それは北朝鮮がハワイを狙えば秋田上空を、グァムを狙えば山口上空を飛ぶからだ。つまりこれは日本ではなくアメリカを守るためのイージスだ。防衛ジャーナリストの半田滋氏によれば、このイージスアショアは陸上用なのでかなり大きなもの。これを艦船に乗せて海上に配備する場合、乗らないのだという。そもそも波で揺れるので、陸上イージスのレーダーが正確に働くのか? という疑問もある。もともと自衛隊の現場では、こんな兵器を求めているわけではなかった。安倍が勝手にゴルフして決めたのである。
     
    14年にグローバルホークという無人偵察機を3機510億円で購入すると防衛省が発表した。その後、アメリカは追加部品が枯渇したと629億円に、23%分を釣り上げた。防衛省には価格が25%上昇したら購入中止を検討するというルールがある。見事に「寸止め」で値上げしている。このグローバルホーク、高度2万㍍上空から相手を偵察する飛行機だが、日本が買うのは「ブロック30」というバージョン。アメリカが使用しているのが最新の「ブロック40」で、米軍は「旧式では中国の脅威に対抗できない」としてブロック30を退役させている。ドイツも購入をキャンセルしたという代物だ。困った自衛隊は尖閣諸島で、侵入する中国公船の監視に使おうとしたが、これは「陸上用偵察機」なので海上の尖閣では使えない。
     かなりの頻度で墜落してしまうオスプレイは陸自に17機配備されるのだが、これはエンジンに構造的な不具合があるのと、オートローテーション機能、つまりプロペラを回して墜落を回避する機能がないので「未亡人製造機」と言われている。自衛隊は輸送機CH47大型ヘリを持っていて、現場は「オスプレイなんかいらない」のだが、自民党国防族が購入を決めてしまった。あのイスラエルも購入をキャンセルしたオスプレイが千葉県木更津に配備されるが、これが群馬や山梨の演習場まで飛ぶことになる。首都圏上空を「未亡人製造機」が飛び回る。墜落したら大惨事だ。

    時代遅れのトマホークを500発も買う。03年から4年、私はイラクでトマホークの威力を目の当たりにした。内務省、航空省、サダムタワー…。フセインの建物がことごとく空爆されていた。空爆していないのは石油省だけだった。
    ……

  • 16面~17面 寄稿 デニスさん支える会福島さん 入管法改正案再び提出へ(福島尚文)

    一昨年、スリランカ人女性が名古屋入管で亡くなった事件は入管の実態をあぶり出し、国会審議中だった入管法改正案を廃案に追い込んだ。しかし政府は再びこの改正案提出をもくろむ。「クルド難民デニスさんとあゆむ会」共同代表の福島尚文さんに寄稿してもらった。(うずみ火編集部)

    通常国会に「出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案」の再上程が予定されています。スリランカ出身のウィシュマさんが名古屋入管で死亡した事件で、今も遺族の怒りと闘いが続いているさなかに「難民申請中でも3回以上の申請者は強制送還可能」「収容の上限なし」という骨格をそのまま維持した再提出。問題だらけの現行入管体制をさらに悪化させる暴挙です。
     
    日本人は「入管問題は自分に関係ない」と見過ごしがちで、社会でも見えにくいのですが、実は入管問題の本質・諸課題を解決して前進できるか否か。これから築くべき「共生の時代」に日本社会がどう向き合うか、「子や孫たちに、まともな社会を渡せるか?」の極めて重要な課題に直結していることを、ぜひ理解していただきたいです。
     
    今年は関東大震災から100年。朝鮮人・中国人の虐殺事実と記憶を決して忘れてはならない。外国人であろうと少数者であろうと、民族や意見が異なろうと、誰かが差別され人権が無視される社会は、次は間違いなくあなた、あるいは僕がひどい目に遭う社会です。戦争に突き進む時代、ナチスドイツや軍国主義日本が人々に何をやったか想起するだけで自明です。
     
    僕は約3年前から東京出入国在留管理局(東京入管)に時々、面会に行くようになり、最近は週に1回は行きたいと努めています。被収容者たちは「職員に頼んでも、いじめなのか、許可してくれない」「胆石が見つかり、痛みを訴えても検査してくれない」「医者は入管当局を忖度して、薬をくれない」……ろくな評価を聞けません。在留資格を失ったイタリア人男性、ジャンルカ・スタフィッソさんが昨年11月に自殺した件では詳しい情報が報じられず、当局の被収容者処遇が改善されたのか、見えない。
     
    先日もウズベキスタン出身男性が自殺を図ったが発見が早く、大事に至らなかった。別の被収容者、Tさんは「仮放免じゃなく、在留許可が必要。自殺では入管が悪かったとはされず、本人のせいにされてしまう」と、食事を自ら制限し、収容中に自然死?病死する道を選んでいると話す。
     
    入管施設での自殺、病死、餓死など死亡事件は2007年以降、スタフィッソさんのケースを除いても17件に上っています。精神的に苦しみ、素人目にも治療が必要だと思える人が多すぎます。
     
    昨年の入管情勢を振り返ると、日本政府はウクライナ避難民を約2000人受け入れ、アフガニスタン難民98人を難民認定したほか、トルコ国籍のクルド人としては初めて男性1人を認定しました。牛久入管(茨城県)で死亡したカメルーン人男性の母親が起こした賠償訴訟では裁判所が入管の注意義務違反を認め、国に165万円の支払いを命じました。
     
    入管法改正案はなぜ再び提出なのか。岸田政権は国会軽視を続け、戦争放棄、専守防衛など日本が長年守って来た根本政策を閣議決定で大転換させ大軍拡・戦争準備を進めています。国会は「戦争国会」と呼ばれるほど危険な法案が目白押し。僕たちの日常生活で懸案の論議が後回しにされ、政府は米軍と台湾で、あるいは朝鮮半島での戦争を準備。社会インフラや民間企業すらも戦争に動員できるよう、体制を整備しつつあります。戦端が開かれれば、やがては中国本土に侵略戦争が広がり、南西諸島や沖縄のミサイル基地、戦闘機基地、港湾が攻撃され、双方に甚大な被害が及ぶのは当然です。
     
    日本の入管体制は、明治時代に台湾・朝鮮を植民地にしてアジア侵略戦争を進めた時代の清算が出来ないまま70年以上も差別排外的なシステムが温存されてきた。外国人や非正規労働者という、いつでも切り捨てられる低賃金労働力を確保し、軍需物資生産や戦争準備態勢を進めるやり方が、露骨に労働者・家族を苦しめています。
    ……

  • 18面~19面 阪神・淡路大震災28年 亡き姉暮らした街学ぶ(矢野宏)

    阪神・淡路大震災の発生から1月17日で28年。神戸市では震災後生まれが全体の4分の1ほどと、経験していない世代が増えている。東灘区森南町の大学4年、加賀亮(たすく)君(22)もその一人。会ったことのない姉の桜子ちゃん(当時6歳)を震災で亡くした5年後に生まれた。「悲しい思い出が詰まった街だけど、もっと知りたい」と、卒業論文の研究テーマに選び、書き上げた。
                         
    地震発生時刻の午前5時46分、亮君は今年も日本舞踊師範の母・翠(みどり)さんと一緒に東灘区の森公園で開かれた追悼式に参列した。「鎮魂」の文字とともに「あの日あの時を忘れたい でも 忘れてはいけない いつまでも」と刻まれた慰霊碑。森南町を含む森地区での犠牲者107人の名が記されている。そこに「加賀桜子」の名前を確認し、手を合わせた。
     
    JR甲南山手駅から南西、住宅が整然と並ぶ森南町。震災で7割近い建物が全半壊した。桜子ちゃんが家族と一緒に暮らしていた木造2階建ての自宅も倒壊、1階で祖父母と一緒に寝ていた桜子ちゃんはその下敷きになった。「じいちゃん、苦しい……」と訴えたその言葉が最後となった。
     
    近所のガレージを借りての避難生活。祖父の幸夫さん(2009年に死去、享年75)は「自分が桜子を死なせてしまった」と自身を責め、酒量も増えていった。気丈に振る舞う翠さんも時折、「感情があふれ出す時があった」という。「自分や家族が少しでも前に進むことができれば」と、5年後の2000年5月、亮君を生んだ。
     
    誰にも優しく、「まちの太陽」と言われた桜子ちゃん。人気アニメ「セーラームーン」が大好きだった。亮君も自宅にたくさんあったセーラームーンの録画を見て育った。なぜ最終回まで録画されていないのか不思議だったが、ある日気づく。最後に録画されたテープの日付は震災前だった。
     
    家庭で、学校で学んだ震災だが、もっと知りたい、いや知らなければならないと思うようになったのは大学生になってから。在学する大阪芸術大学の2回生の時、また1月17日が近づいてきたなあと何気なくつぶやくと、友人はけげんな顔で尋ねてきた。「何かあったっけ?」。亮君は、震災に関する教育を受けてきた神戸との格差に驚く。
     
    このまま忘れ去られるのではないか……。
    ……

  • 20面 経済ニュースの裏側 クロダミクス(羽世田鉱四郎)

    延々と続く「クロダノミクス」の功罪が語られ始めました。その理解も含めて、日銀の「資金循環表」の検索をお勧めします。
     
    参考図表・2022年第3四半期の資金循環表 2㌻「部門別の金融資産・負債残高」の右側には「家計」の資産が記載されています。2005兆円(以下、22年9月末)。うち半分が現金・預金(1100兆円)。海外部門の「本邦対外資産」1370兆円から、「本邦対外負債」915兆円を差し引いた455兆円が、日本の対外純資産。世界一です。10㌻の「国債等の保有者内訳」で、国債等(国の借金)が1214兆円あり、中央銀行(日銀)が44・9%保有、海外(投機筋など)の保有は14・1%です。11㌻では、国債の「構成比の時系列データ」が記載されており、アベノミクスの始まる前、日銀の保有は11・94%でしたが、直近では50%を超えました。異常な動きがご理解いただけるかと。
     
    クロダノミクスの足跡 13年4月、異次元緩和が始まる。「2年で消費者物価2%上昇」の目標を掲げるも挫折。16年1月に目先を変えてマイナス金利政策を導入も効果なし。同年4月、長期金利の操作に切り替え、大量の国債購入へ(年間80兆円)。22年6月には過去最大の16兆円を買い入れ、さらに9月に12兆円を買い増し、国債保有が過半を超す。12月、耐え切れず長期金利を0・25%から0・5%に上げる。一方、アベノミクスの成果を演出するため、ETF(株の集合体)やREITO(不動産信託)を大量購入し、株高や不動産価格の上昇を図る。22年9月末でETFは36兆円、REITOは6000億円の残高。世界の中央銀行でリスク資産を持つのは日銀だけです。
     
    海外投機筋の動き 金利が上がる(債券価格が下落)と金利を下げるため、大あわてで日銀が国債を大量購入(債券価格が上昇)。投機筋にとってこんなに安心できる売買はありません。かなり儲けたことでしょう。ついには発行された国債を全部買っても追い付かず、10年の長期金利が0・25%から0・5%の引き上げに追い込まれる。
    ……

  • 21面 会えてよかった 島袋艶子さん⑧(上田康平)

    父の思い、そのまま出ている
     
    「艦砲ぬ喰ぇー残さー」はそんな
    すごい歌なんだ。五番の歌詞は推敲
    の末、「二度と戦争がないように、
    世界の人々を友にしよう」が、そん
    なんじゃないと「恨んでも悔やんで
    もまだ足りない、子孫末代まで遺言
    しよう」に書きかえられている。
     
    夜、自分たちが寝ているとき、父
    は戦争を思い出して悔しかったので
    しょう、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を
    三線で、一人つぶやくように歌って
    いた。前の家族を失って悲しい。け
    れど今は楽しい。子どもたちに癒さ
    れる。今の家族を失ったら大変と家
    族を思う。「じーんとくる」と艶子
    さんはいう。
     
    2012年には、対馬丸記念館で
    この歌を歌っている。同館の担当者
    が「でいご娘」の父方の親族が対馬
    丸の犠牲者だと知って、企画、実現
    したのである。
     
    歌碑、除幕
    ……

  • 22面 日本映画興亡史 第3章 傾向映画の時代(三谷俊之)

    1928(昭和3)年度のキネマ旬報ベストテンの第1位は省三の長男・マキノ雅弘監督による『浪人街第1話・美しき獲物』だった。第4位が『崇禅寺馬場』、第7位が『蹴合鶏』で、これらも雅弘と脚本の山上伊太郎、撮影の三木稔による作品だ。表彰式には病床にあった省三も出席した。弱った体に鞭打って出席した省三は、「今度一等にしてくれはった『浪人街』ってシャシン、どこがよろしおすねん? あんなんでホンマによろしいのか?あんなもんなら、あんさん達の方が、こいつらよりうまいこと撮れまっせ」といったが、内心、省三はうれしかった。自らが開拓した「映画」を、息子ら若き才能にバトンタッチしたのだ。その喜びの表現だった。
     
    時代は米騒動、日本統治下の朝鮮半島での三・一運動、関東大震災を経て、大恐慌、満州事変へと移っていく。映画の世界は、省三から雅弘に移り、そしてなにより、伊藤大輔であった。
     
    伊藤は1898(明治31)年愛媛県宇和島生まれ。『坊ちゃん』の松山中学で伊丹万作、中村草田男と同級。大正デモクラシーの花咲ける時代、文学や演劇に惹かれた。呉の海軍工廠勤務時代、演劇脚本を小山内薫に見てもらった縁で東京に。小山内の推薦で松竹蒲田撮影所脚本部に入社。野村芳亭監督『女と海賊』などの脚本で評価を得た。監督になる思い強く、1923(大正12)年に帝国キネマに移るが、関東大震災で帝キネ芦屋に。ここで名カメラマン唐沢弘光と出会う。翌24年、国木田独歩原作の『酒中日記』で監督デビュー。その帝キネが消滅して、直木三十五の聯合映画芸術家協会と組み、自ら脚本・監督した『京子と倭文子』(25年)が話題となったが資金難で解散。日活大将軍撮影所に入る。翌26(大正15)年9月、日本映画スター第1号で、日活の重役だった尾上松之助が逝去した年だ。
     
    伊藤は第2新国劇で、室町次郎という異形の相貌を持つ役者に注目した。のちの大河内傳次郎だ。美男で女にもてる月形半平太を裏返しにした『幕末剣史 長恨』(昭和元年)を書き、大河内を主演に据えた。同じ女性に恋した勤王の志士の兄弟。兄は倒幕の意欲を失い、酒に溺れる。同志からの糾弾や、芸妓の裏切りにあい、失意の果てに新選組との壮絶な乱闘になる。
    ……

  • 23面 坂崎優子がつぶやく ご機嫌に年を重ねる

    「家にトランプがいて大変」。友人が漏らした一言に思わず吹き出しました。トランプとは彼女のお父さんのことです。会社を一代で大きくした経営者です。80歳近くなった今も現役。そのワンマンぶりは家でも発揮され、同居する娘を悩ませています。
     
    実家が会社を経営している友人はもう1人いて、ここも父親の暴走に手を焼いています。意見をしても聞く耳をもたず、頑固さに磨きがかかっているといいます。聞けば聞くほど2人は似ていて、日本の中小企業の創業者あるあるなのかもと思えます。そのパワーで会社を大きくしてきた成功者ながら、年を重ねた姿はいただけません。
     
    昨年、義父が亡くなって、86歳の義母が1人暮らしになりました。足腰はしっかりしているし、頭もさえていて、まだ何の心配もないように思えますが、自分の今後を心配し嘆き続けています。
     
    自宅で倒れた時の心配も頻繁に口にするので、自治体の高齢者見守りサービスを提案しました。最近はどこの自治体も行っている電

    話と連動させた緊急通報システムです。申し込むと身につけるペンダント型のボタンも配られます。このシステムでは近所の家2軒に鍵を預けます。ただし預け先がない人のために、警備会社や電気・ガス会社などが鍵を預かるサービスも併用しています。
     
    義母は前向きに考えるものの「どこに鍵を預けるか」で悩み、決断できずにいます。繰り返し自分から話題にするのですが、いつも最後は「まだやらない」になります。他人に鍵を預けることに抵抗があるようです。
     
    先日は「家で倒れ救急車で運ばれたら、家の鍵は誰が締めるのか」と言い出しました。「倒れた時、どうやって助けを呼ぶか」ではなく、「どうやって鍵の閉まった家に入るか」でもなく、「家の鍵をどうやって……

  • 24面~27面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    岸田政権の大転換
    憤りで迎えた新年

      熊本県 横林政美
     
    我が家の正月は、十数年前には叔母たちや私の兄弟が昼ごろからやってきて、夜中まで語り合っていました。やがて、叔母たちも老衰、病気で他界し、私の両親も旅立ちました。今年は、姉夫婦が夫の病気で、他県で暮らす兄も「コロナの心配がなくなってから」と帰郷を見合わせ、私の子どもたちも里帰りできず、寂しい正月でした。
     
    さて、岸田政権が昨年暮れ、敵基地攻撃能力の保有と軍事費の増税に舵を切った背景に、アメリカの要求があることを「新聞うずみ火」1月号で半田滋さん、山本健治さんの記事から知り、憤りの2023年を迎えました。次のアメリカの要求は「兵士として自衛隊員」を出すことではないでしょうか。
     
    現在は、憲法18条で「何人も、犯罪に因る処罰の場合を除いて、その意に反する苦役に服させられない」とあり、憲法で兵役を義務化するのは違憲と解釈されています。しかし、岸田政権の流れをみると、「日本を守るのは、今を生きる我々の責任」と憲法を無視して、アメリカの要求があれば兵役を義務化する危険性があるのではと思っています。
     
    私には、数年後に成人する孫たちがいます。彼らの両親は戦地に送るために育てているのではありません。私の祖父母には2人の息子がいましたが、先の戦争で死傷、祖父母は子どもたちを戦争に参加させたことを悔やみ、「絶対に戦争をしてはいけない」と言い続けていました。
     
    今の私にできることは、祖父母、父、叔母たちから聞いた、戦争の悲惨な実態を今後も書き続けることです。
     
    (医療過誤のため、なかなか外へ出ることができない横林さんにとって寂しいお正月でしたね。岸田政権による安保政策の大転換で、経済格差の余波を受けた若者たちを自衛隊に志願させる「経済的徴兵制」が進行していきそうです)
    ……

  • 25面 車イスからを整える 生活リズムを整える(佐藤京子)

    喪中につき、新年を迎える準備は特もせず、年末年始はのんびりと過ごした。ひと昔前と違い、元日に休む店も多くなってきた。年末30日に買い物へ行った時、スーパーでお客さんのかごに長ネギが入っていた。家族そろって鍋料理だろうか。少しうらやましくもあった。だが、うかつだったのは空いている時間帯を選んで行くはずのスーパーに、午後の混んでいるときに行ったこと。出直す気にもならなかったので、そのまま買い物を続行すると、冷や汗で頭から湯気が出るという感じだった。
     
    お客さんもせかせかとしながら売り場を歩いている。混んでいる時は車イスで人の足を踏んだら危ないので、できるだけ距離を置いている。そのすき間を取れずに人の波におぼれていた。露骨に邪魔にされないが混んでいるので、車イスをまたぐという荒技がだんだんと増えてきて、冷凍食品や精肉や鮮魚の前はなかなかたどり着けない。これには困った。だが、何も急いでいるわけでもないので、前の人が去るのを待ってジワリジワリと前に出ていった。結局は、手の届く範囲でしか商品を見ることができなかった。必要な物は最少限買うことはでき、年明けにまた買い物に行けばいいと思い直して自分をなぐさめた。
     
    少しモヤモヤしながら帰宅すると、玄関に宅配便の荷物が届いていた。しかし、困ったことが起きた。荷物が重いので家の中に引き込めない。さて、どうしようか、と考えていたら、自転車で別の配達をしていた青年が気に留めてくれて荷物を引き込んでくれた。実にありがたいことだ。これで今日のモヤモヤとした外出と帰宅をしてからの宅配便のスッキリで、気分はプラスマイナスゼロとなった。
    ……

  • 27面 絵本の扉 オオカミと石のスープ(遠田博美)

    ポルトガルに「石のスープ」という民話があります。
     
    食べ物をもらえなかった旅人が「石のスープを作るから」と村人に鍋と水を要求します。鍋で石を煮ていた旅人が「塩を加えるともっと美味しい」と言うと、住民たちは小麦や野菜、肉などを持ってきて最後は見事なスープになるという、協力を集めるための呼び水の比喩にも使われる話です。
     
    この民話をもとに『せかいいちおいしいスープ』や『石ころのスープ』という絵本ができました。今回紹介する『オオカミと石のスープ』はベースは変わりませんが、主人公のオオカミを中心にした少し不思議なお話です。
     
    冬のある日、空腹な年老いたオオカミがめんどりの家を訪ね、こう切り出します。「自分は老いて歯もないので暖炉で暖まらせてくれれば石のスープを作ってあげよう」。めんどりは石のスープに興味を示し、家へ招き入れ、鍋に石を入れてスープ作りが始まる。そこに心配した豚が様子を見に来る。めんどりは「スープにセロリを入れたら美味しくなる」と言い、豚は「ズッキーニを入れたら」と提案。さらに、動物たちが次々と訪ねて来る。アヒルと馬はネギ、ヤギと羊と犬はカブやキャベツを持ってくる。めんどりの家に集まった動物たちは、次第に暖炉を囲んで楽しそうにワインを片手に話し出す。そしてオオカミにも何か楽しい話をと催促するが、オオカミは「スープができたようだ」とだけ話し、他の動物たちが、スープを平らげる中、「この石はまだ煮えてない」と石を取り出して家を出て行く。
    ……

  • 28面~29面 年賀状から(文責・矢野宏)

    年賀状をありがとうございます。添えていただいた一言をご紹介させていただきます。

    大阪市東淀川区 山本健治
     高槻での憲法と近現代史の勉強会も続けていきます。毎月24日のロシア領事館前抗議行動もロシア撤退まで続けます。仕事場前の新大阪駅東口広場の清掃は29年目、さらに続け、税金のムダ遣い、維新人気取りの「万博」、大阪をバクチ都市にする「IR」に反対していきます。

      兵庫県芦屋市 千葉孝子
     コロナは一体いつになったら収まるのやら。ますますキナ臭い世の中になりつつあります。被爆者として語り続けます。

       岡山市北区 鈴木洋行
     小さな街の古い路面電車に揺られているとふと世界のことやこの国の行く末を考えてしまいます。戦争の微かな匂いを記憶する身には、ことのほか平和が渇望されます。先の見えない混沌としたこの国には、再び「復元力」が蘇ることを願っています。
     健筆に期待しています。

       東大阪市 丸尾幸登代
     ロシアのウクライナ侵略が世界経済の物価高騰とコロナ第7波、さらに日本は軍拡の予算も目覚ましい。軍拡には徴兵がセット。愛する孫、子に人を殺し殺されに行かされません。平和外交こそが政治をあずかるべき、命をあずかる議員の仕事と思います。

    ……

  • 30面 「大阪IR・カジノを止めるための一手」連続講座がブックレットに(矢野宏)

    新聞うずみ火が昨年開いた「大阪カジノを考える連続講座」をベースにしたブックレット「大阪IR・カジノ誘致を止める次の一手」=写真=が、せせらぎ出版から出版された。
     
    講師は3人。阪南大教授で「カジノ問題を考える大阪ネットワーク」代表の桜田照雄さんが「夢洲カジノ問われる誘致の是非」と題して「大阪カジノは日本最大のパチンコ屋になる」と訴え、立命館大教授で地方財政学が専門の森裕之さんは「カジノ・夢洲整備で大阪は破たんする」として「まるでハゲタカファンドと契約するようなもの」と指摘。反カジノの論客で前堺市議の野村友昭さんは「大阪カジノ・IR計画を止める次の一手」について、4月の統一地方選を争点にと力説した。その後の情況の変化に応じ、加筆・修正した。
     
    3人の講演録に加え、ギャンブル依存症を身近で体験した堺市の山口美和子さんの話を紹介したほか、「IR・カジノ年表」も添えた。
     
    大阪カジノをめぐっては、府が昨年4月に申請した「区域整備計画」を国の有識者委員会が審査中。府と市は当初、昨年秋には認定されると想定していたが、結論は越年。理由は夢洲の地盤への懸念だ。
     
    カジノを許せば地盤が、大阪の経済が、私たちの暮らしが沈む。この問題をおさらいする一冊だ。定価660円。

  • 30面 編集後記(矢野宏)

    新年早々、思いもよらぬ訃報が飛び込んできた。16歳で沖縄戦に動員された白梅学徒隊の中山きくさんが亡くなった。94歳だった。昨年6月23日の「白梅之塔慰霊祭」にうずみ火読者と一緒に参列し、お話したのが最後となった。きくさんは何かを予期していたのか、こんな言葉で挨拶を締めくくった。「来年の沖縄慰霊の日、白梅之塔慰霊祭に平和を求める多くの人が集うことを念じています」▼告別式で最後の別れを惜しんだ後、中山さんも共同代表を務めた「元全学徒の会」の3人の元学徒を訪ねた。沖縄戦の教訓を聞くためである。3人とも1928年生まれの94歳。戦争がいかに残酷なものかを身をもって体験した方々だ。「戦前に戻るかのような政府の動きを元学徒として見過ごすことはできない」と書き上げた「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」にこう記している。「戦争する国は美しい大義名分を掲げるが、戦争には悪しかない。爆弾で人間の命を奪うだけである。戦争は始まってしまったら手がつけられない。犠牲になるのは一般の人々だ。命を何よりも大切にすること、平和が一番大切だという沖縄戦の教訓を守ってもらいたい」▼さらにこんな苦言も。「今、日本政府がすべきことは、侵略戦争への反省と教訓を踏まえ、非戦の日本国憲法を前面に、近隣の国々や地域と直接対話し、外交で平和を築く努力である。戦争を回避する方策をとることであり、いかに戦争するかの準備ではない」▼戦争を知る者がいなくなったとき次の戦争が始まると言われる。元学徒たちは「戦前の空気感と今とがよく似ている」と語っていた。きくさんの遺志をしっかりと受け止めたい。6月23日の白梅之塔慰霊祭では、どのような報告ができるだろうか。 

  • 31面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    12月11日(日)
     矢野、午後、元読売新聞記者の武部好伸さんの妻はつ子さんの告別式に参列。
     栗原 夕方、大阪市生野区で開かれた「11・22事件47周年 スパイと島の少女上映会と5人の再審無罪獲得祝賀会」へ。
    12月12日(月)
     矢野 夜、大阪府吹田市の西谷文和さんの事務所で「路上のラジオ」出演。2人で今年を振り返る。ロシアのウクライナ侵攻、安倍元首相銃殺事件、敵基地攻撃能力保持……怒りとぼやきの1時間。
    ……

  • 32面 うずみ火講座(矢野宏)

    2023年のスタートを飾る「うずみ火講座」は1月28日(土)午後2時から大阪市北区のPLP会館4階で開講します。

    講師は、ウクライナ南部の都市オデーサに1カ月滞在して現地の人々を取材した映像ジャーナリストの玉本英子さん。ロシア軍まで4㌔の前線の様子や東部から命がけで脱出した少女など、最新の取材映像を紹介しながら語ってもらいます。
     
    会場はJR環状線「天満駅」から徒歩5分。
     
    資料代は一般1200円(読者1000円)、オンライン600円。オンラインで視聴をご希望される方は「うずみ火商店」からどうぞ。振り込みを確認次第、URLをお伝えします。https://uzumibi.thebase.in/ 
     

    東京電力福島第一原発事故からまもなく12年。福島の現状はどうなっているのか。廃炉作業はどこまで進んでいるのか。2月のうずみ火講座は原子力の安全性を問い続けた「熊取6人組」の一人で、京大複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを講師に招き、2月25日(土)午後2時からPLP会館で開講します。タイトルは「あれから12年、福島の現状と原発回帰政策」です。

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