新聞うずみ火 最新号

2020年9月号(NO.179)

  • 1面~3面 コロナ禍での戦後75年 救われぬ空襲被害者(矢野宏)

    「おじいさんの生まれ変わりや」。1945年3月13日、大阪市阿倍野区昭和町。家族や親せきの喜びもつかの間、その2時間後に警報が鳴り響いた。「空襲や!」。生まれたばかりの藤原さんは母親とともに布団ごと、前年に亡くなった祖父が自宅の庭に作った防空壕へ運び込まれた。

    そこへ1発の焼夷弾が直撃し、防空壕の中に炎を振りまいた。「誰か助けて、中に赤ちゃんがいるの」。母は動けない身体で、懸命に助けを求めた。炎は藤原さんをくるんでいた産着に燃え移り、左足を焼いた。

    父親は消火活動のため不在。たまたま、通りかかった男性が母親の叫び声を聞きつけ、防空壕に入って二人を救い出してくれた。

    空襲警報が解除され、戻ってきた父親は藤原さんを抱きかかえて焼け残った病院を探し、駆け込んだ。十分な薬はない。医師が藤原さんの左足に赤チンをポンポンとつけると、5本の指がポロポロ落ちたという。

    左足はケロイドとなり、膝と足首が曲がった。成長とともに左右の足の長さに差が出てきたため、物心ついた頃から左足を支える補装具をつけた。それを隠すため、藤原さんはいつも長ズボンをはいていた。

  • 4面~5面 コロナ禍での戦後75年 両親は子らの盾となり(矢野宏)

    JR明石駅から車で北へ6分ほど。兵庫県立明石公園の北側を切り開いて造成した墓地「玉津南墓園」がある。

    「うちの防空壕があったのはこの辺りやわ」

    小林さんの視線の先には丘陵の斜面があるだけだが、父親がここに横穴を掘って頑丈な防空壕をつくっていたという。

    75年前の1945年6月26日朝、明石郡玉津村(現・神戸市西区玉津町)に空襲警報が鳴り響いた。当時、小林さんは2歳。両親と兄、姉、妹、それに母方の祖父母との8人家族。父の正一さんは呉服商を営んでいた。

    村人の多くが小学校へ避難するなか、両親は子どもたちを連れ、足の不自由な祖母をリヤカーに乗せて大谷川を越え、山の防空壕へ避難した。

    防空壕の中には小林さんと兄と姉、祖父母が入っていた。母は生後4カ月の妹を抱き、父と戸板と布団をかぶり、防空壕の壁にもたれていた。近くでB29爆撃機から投下された爆弾がさく裂した……。
    ……

  • 6面~7面 コロナ禍での戦後75年 「紫電改」謎の墜落 隠された列車転覆原因(粟野仁雄)

    1945年3月31日午後4時頃だった。兵庫県加西郡北条町(現加西市)の旧国鉄北条線(現北条鉄道)の網引駅近くの麦畑を東へ走っていた満員の列車が突然、脱線転覆した。

    運転士は無事だったが、2歳の幼児を含む乗客ら11人が死亡、車掌が腕を切断するなど重軽傷者多数の大惨事となった。しかしこの事故、運転士ら鉄道関係者の責任が警察・検察などから厳しく問われることはなかった。 

    実は単なる列車事故ではなかった。近くに旧帝国海軍の鶉野(うずらの)飛行場があった。ここでテスト飛行していた戦闘機「紫電改」が列車事故現場のすぐ近くの麦畑で大破しパイロットは死亡していた。墜落しかけ立て直そうとした際に機体の後輪がレールをひっかけてレールが大きく歪んだ。そこを列車が通過したため車輪はレールを外れて大事故になったのだ。

    名戦闘機といわれた紫電改は第2次大戦末期、海軍が起死回生を期して誕生させた、ゼロ戦に代わる戦闘機だった。川西航空機(現新明和工業)が手がけた紫電の改良型で44機が製造された。エンジン出力はゼロ戦の倍、米国のグラマン戦闘機並みの2000馬力で上昇能力や旋回能力に高い性能を誇った。

    紫電改は「局地型戦闘機」として米軍を迎え撃つ新兵器のため、南洋まで飛んで「散華」する特攻には使われなかった。
    45年3月、松山沖にグラマン300機以上が押し寄せた時は迎え撃った数十機の紫電と紫電改が米機58機を撃墜したことが語り草になった。この部隊を構想・指導した源田実大佐は英雄となり戦後、自民党の参院議員に。紫電改は60年代、ちばてつやの漫画『紫電改のタカ』としても少年たちに人気があった。

    ではなぜ、この紫電改が北条町で落ちたのか。運命のいたずらがあった。海軍ではまず、川西航空機から納入された紫電改を空技廠の「第1001海軍航空隊」の精鋭パイロットがテスト飛行する。この日、テスト飛行を終えた紫電改はすでに車輪を出して着陸態勢に入っていた。その時だ。幼い女の子が滑走路を横切った。「うわっ、危ない」。パイロットは操縦棹を引き必死に機体を持ち上げた。だが数十㍍上がった直後、ぱたりとプロぺラが止まり落下してしまった。操縦ミスか、整備ミスか……。原因はうやむやにされていたが実は「ガス欠」だったのである。 貴重なガソリンを実戦に残すため、テスト飛行ではぎりぎりの燃料しか積まない。燃料分のテストを終えたパイロットが着陸直前に少女をかわそうと舞い上がった途端にガソリンが切れたのだ。少しの余裕分もなかった。

    もう一つ不運が重なった。列車は北条駅発栗生駅行きの上り610号。しかし法華口駅で列車の切り離しに手間取り、定刻を3分遅れて発車した。定時運行ならば飛行機事故に巻き込まれることはなかった。

    ガス欠による墜落。だが当時、そこまで日本の軍事物資がひっ迫していることが米国に知られてはまずい。軍は緘口令を敷いた。事故直後(といっても3日後)の新聞には列車事故のことは出ているが、紫電改の墜落もパイロットの死亡も全く出ていない。

    ベールに隠された事故に関心を持ったのは高砂市在住の戦史研究家上谷昭夫さん(81)だ。上谷さんは北条鉄道に勤め、法華口駅の駅長もしていた。鉄道関係者などから聞いていたが「一体だれが墜落して亡くなったのだろうか」と調べ始めた。自衛隊を訪ねて旧海軍の名簿を借りて45年3月31日に亡くなっている人を調べた。するとその日の殉職者として「五田栄」との名があった。地位は「上飛曹」で第1001海軍航空隊に属していた。「間違いない」とたどってゆく。「石川県の輪島の近くの出身と判明しましたが、母一人、息子一人の家庭だったようで肉親はいなかった。殉職時は20歳でした」

    「列車で亡くなった人の遺族たちは遺体を引き取りに来たりしているから、薄々、紫電改が原因だったことはわかっていたはず。しかし厳しい軍の緘口令で他言できなかったのです」と上谷さん。結局、戦後も長くこの列車事故の真相は明らかにされなかったのだ。
    ……

  • 8面~9面 寄稿 コロナ差別とハンセン病 同じ過ち繰り返さぬよう(三重テレビ報道制作局長 小川秀幸)

    「令和の時代になっても感染症に対する間違った認識、そして偏見は変わらないようです」

    こう話すのは、三重県名張市で病院の理事長を務める寺田紀彦さん。亡き兄とともにハンセン病回復者の帰郷支援などに取り組んできた寺田さんは、新型コロナ感染者への差別に触れ、「細菌やウイルスの恐ろしさ以上に人の心が怖い」と感じました。

    三重県では「患者の方とかご家族の家に石が投げ込まれてガラスが割られたり、壁に落書きをされたり、嫌がらせを受けたり……。そんなことが実際に起こっています」(4月20日、三重県の鈴木英敬知事の記者会見)

    またインターネット上の差別問題に取り組む反差別・人権研究所みえの松村元樹事務局長によれば「投石・落書きは当然の制裁」「人権などあるものか」「見せしめが必要」といった書き込みが多数見つかったといいます。

    これらは、三重県だけの出来事ではないでしょう。

    新型コロナとハンセン病。急性疾患か慢性疾患か、治療法が確立されているか否かなど異なる面はあるものの、感染した人が差別を受ける構図は同じ。

    私は2001年から細々とではありますが、ハンセン病の問題を取材してきました。その中で感じた教訓や関係者の思いを記しておきたいと思います。

    まず、ハンセン病について簡単に説明しておきましょう。

    ハンセン病は感染症の一つですがその感染力は弱く、日本での新規感染者数は年間ゼロ~数人。治療法も確立されています。しかし、治療法がなかった時代に発病した人の中には顔などに後遺症が残ることもあったため、偏見と差別の対象になりました。

    法律で患者の隔離が定められ、全国で展開された「無らい県運動」では、市民も患者の収容に協力しました。

    昨年は「家族訴訟」で原告が勝訴。国の隔離政策が患者の家族への差別につながったことが認定されています。

    ハンセン病と新型コロナへの差別を見ていると、いくつかの共通点が浮かびあがってきます。

    一つは、感染者の家族や関係者が忌避・迫害の対象になるということ。SNS上では「コロナ一家いい加減にしろ」「親族一同ゴミクズ」「住所や勤務先の公開を」という書き込みが見られたほか、医療従事者の子どもが保育園への登園を断られるケースもありました。

    かつてハンセン病患者の出た家が村八分にされ引っ越しを余儀なくされたり、患者の家族が就学、就職、結婚という節目で差別を受けたりした歴史と重なります。

    そもそも、新型コロナ感染者に対する極端な反応はどこから来るのか? 「未知の病気への不安」「少しでも自分から遠ざけておきたい」といった側面はあるでしょうが、反差別・人権研究所の松村さんはこんな見方を示してくれました。

    「(感染者は)ウイルスを持ち込んで市民の生命や健康を脅かしたり、休業・自粛をもたらすなど生活を圧迫する『加害者』だと位置づけてしまっているのではないでしょうか」

    そして、感染症への対応を見ていて感じるのは、自分の身に何らかの支障が及ぶ可能性があれば差別する側に身を置いてしまうということ。

    新型コロナについては前述のような状況があり、ハンセン病に関しては、こんなデータを紹介したいと思います。
    三重県伊賀市が15年に市民を対象に行った意識調査で「子どもの結婚相手がハンセン病回復者の家族だったら?」と尋ねたところ、「問題にしない」という趣旨の回答が半数近くあった一方、「考え直すように言う」との答えが44%に上りました。

    頭では「差別はいけない」とわかっていても、自分の身に及ぶと違う対応をとってしまう……。これが現実なのかもしれません。

    非常時に差別が露呈するということも見えてきました。

    新型コロナの感染者が増え緊急事態宣言が出される中で、差別事象が増加しました。

    一方、ハンセン病患者も「お国の一大事」には社会の隅に追いやられました。戦争に向かっていった時代です。お国のために戦えない=役に立たないとみなされた人たちは、無らい県運動の中で、療養所へ収容されていったのです。
    ハンセン病回復者は、感染症への差別について、どう感じているのでしょうか。

    私が長年取材でお世話になっている国立療養所「長島愛生園」入園者の吉田大作さん(86)は、こう話します。

    「人間は差別をしてしまうもの。理解してくれる人が理解してくれたら、それでええ」

    一方、同園で暮らす三重県出身の女性(82)は「差別された人が受けた傷はすぐには癒えないのではないでしょうか」とコロナ感染者を気づかいます。自らの経験から出た言葉でした。

    感染症差別に向き合っていくにあたり、こんな考え方があります。鈴木知事が記者会見などで述べた言葉です。
    ……

  • 10面~11面 ヤマケンのどないなっとんねん 敵基地攻撃提言は9条潰し(山本健治)

    敗戦から75年が過ぎ、戦争体験者が国民の10数%になり、戦争の悲惨さ、残酷さ、無意味さを直接語る者が少なくなり、歴史教育の不十分さや歪曲もあいまって、二度と戦争を繰り返してはならないという意識は薄れている。

    私は1943年生まれ、敗戦時は2歳4カ月、家の近くが空襲された際、隣のおばちゃんがおんぶして逃げてくれたお陰で助かったのだが、焼夷弾が落とされ、家の近くが炎に包まれたという記憶はない。

    しかし、空襲で焼けた家の跡は覚えているし、高校通学時には空襲で徹底的に破壊された大阪砲兵工廠の残骸を毎日見ていた。敗戦後の闇市も覚えている。傷痍軍人の姿も目に焼き付いている。空襲のヤケドが残っていた同級生もいた。そんな経験を若い世代に話し、見聞した戦争の実相、加害と被害の実態を伝え、二度と戦争・侵略をさせてはならない、してはならないことを叫んでいかねばならないと思っている。

    しかし、尖閣諸島をめぐって日中の緊張が高まり、竹島が何十年も前から韓国に実効支配されている現実、いくら安倍首相がプーチン大統領との仲を強調しても経済協力させられるだけで、北方領土は2島すらも返ってこない事態の中で、戦争で取り返すしかないでしょと言う国会議員もいたように、戦争を軽々しく口にする国民も増えてきた。

    北朝鮮が横田めぐみさんをはじめ拉致した人たちを返さないどころか、一度は認め調査を約束したにもかかわらず、いまでは事実すら認めようとしない。安倍首相は、最重要の課題として取り組むと言い、一切の条件を付けずに話し合う用意があると言ってきたが、トランプ大統領に頼っていただけだった。トランプ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトン氏が書いた本には、大統領は金委員長に拉致問題を提起していたと書いているが、金委員長はただの一度もまともに応えようとしなかったとも書いているから、トランプ大統領に戦闘機の爆買いなどを約束して仲介を依頼してもダメで、やはり自らが前に出て、核開発・ミサイル発射について、また、戦前の植民地支配からの問題もあわせて率直に話し合い、最終的には国交を確立することまで考えないと解決しないことは明らかになった。

    しかし、理不尽な状況が何十年も続き、拉致された人たちも年齢を重ね、日本で待ちわびている両親や肉親も高齢化し、会えないままこの世を去ってしまう、悲しくも情けない現実を見るたび、みんなの怒りは募る。こういう状況では、かつての冷戦時代と同じように「北の脅威」などさまざまな危機があおられ、そうした脅威に備えるため軍備増強の必要性が語られ、その前提として9条改憲論が出てくる。ここ最近もそうである。

    最近の防衛白書は画像やイラストが増え、ネットにつなげば動画まで見られ、視覚・聴覚に訴える戦争宣伝映画を見るような感じになっている。「令和2年版」もそうで、河野防衛大臣は、中国の力による領土・領海の一方的な現状変更の試み、北朝鮮の弾道ミサイル発射・核開発は依然として行われ、緊張は増しており、ぜひ見てほしいと強調する。

    見ると、最初に自衛隊がコロナ感染や災害で出動している姿が、これでもかこれでもかと出て、安倍首相が機会ある度に強調する、憲法9条を変え、自衛隊を憲法上の存在にするという主張を浸透させるための宣伝本のようになっている。 こうした流れの中で、自民党政務調査会は8月4日、安全保障や外交部会での議論を踏まえ、「国民を守るための抑止力向上に関する提言」を発表した。これまでのような迎撃からさらに進んで、敵基地攻撃をしようという、とんでもない提言である。憲法9条を完全にないがしろにし、日本を完全に戦争する国家にしようというものである。

    「今般、北朝鮮の弾道ミサイル等の脅威の一層の増大を踏まえれば、国民を守るためにわが国の抑止力を向上させることは喫緊の課題である。政府においては防衛戦略における位置づけを明確にした上で、具体的な結論を早急に得ることを求める」とし、「相手領域内でも弾道ミサイルを阻止する能力の保有を含め、抑止力向上のための新たな取組が必要」とし、一言であらわせば、敵基地を攻撃できるようにしろとの提言である。

    憲法9条に反することはもとより、これまで政府が言ってきた「専守防衛」の範囲をも越えるものであることは言うまでもないが、他に手段がないと認められる限り、法理上は自衛の範囲内であり、国際法を遵守しつつ、必要最小限度で相手国を壊滅的に破壊するものでなければ、専守防衛の範囲内であり、憲法9条の範囲内であるなど、とんでもない屁理屈を付け、9条を完全にないがしろにする実質改憲である。

    これまでも自民党は、憲法解釈や運用を歪めて実質改憲を進め、既成事実を積み重ねることによって明文改憲を進めようとしてきたが、今回の「敵基地攻撃合憲論」「敵基地攻撃能力保有合憲論」はその総仕上げとも言うべき暴論で断じて許してはいけない。
    ……

  • 12面~13面 世界で平和を考える ベイルート爆発事故の背景 武器と石油取引の巨大利権(西谷文和)

    8月4日、レバノンの首都ベイルートで大爆発が起きて5000人以上が殺傷された。爆発の原因はいまだに特定されていないので、ここでは「爆発の背景」について私なりの解釈を提示したい。

    ベイルートから車で約1時間ほど北上すると、キリスト教徒の街ビブロスである。私は2012年、13年に2回この地を訪れて数日間宿泊した。レバノンはモザイク国家で、大雑把に分けると人口の約3分の1がキリスト教マロン派、3分の1がイスラム教スンニ派、残りがシーア派である(他にトルコマン人やイスラム教ドルーズ派、アラウィー派など)。そしてキリスト教の街だけ、おおっぴらに酒が飲めて、ラマダンもない。

    さてこのビブロス、語源は紙の原料になったパピルス。古代、フェニキア人がレバノン杉を伐採して船を作り、地中海に乗り出して行く。そこでエジプトのパピルスを持ち帰り、ここで紙を製造。その紙にユダヤ、キリストの教えを書き込んだのがバイブル。ビブロスは聖書バイブルの語源になった街なのだ。中東の地図を見るとレバノン・ベイルートが地中海の東の玄関口であることがわかる。海を制したフェニキア人たちはその勢力を北アフリカ・リビアのトリポリ、チュニジアのチュニスあたりまで拡大させた。

    時代は下って、中世から近代。レバノンを含む中東はオスマントルコの版図にあった。オスマントルコはドイツと組んで第1次世界大戦に突入。大敗して、その国土を切り刻まれる。戦勝国のイギリスとフランスが「サイクス・ピコ秘密協定」によって、勝手に国境線を引き、イギリスはイラク、ヨルダン、パレスチナを、フランスはシリアとレバノンを手に入れた。

    ここでフランスはシリアの中にあえてレバノンを分割して国家にする。なぜか? それがキリスト教マロン派の存在だった。そう、欧州列強は同じキリスト教徒を優遇し、イスラムを少し下に見る傾向があったので、岐阜県くらいしか面積のない国家レバノンをあえて創設したのだ。何よりも港に面したベイルートが欲しかった。因みにシリアの首都ダマスカスは世界で最も古くから栄えた都市として有名であるが、このダマスカスに物資を運び入れるための港として作られたのがベイルートだ。ダマスカスからベイルートまで車で数時間ほど。だが、それは昔の話。その道中はシリア内戦で廃墟となり、国道には何か所も検問があり、「旅行者は絶対に通ってはならない」ルートになっている。

    そんな地政学的にも、宗派的、民族的にも重要視されたレバノンだったので、ベイルートは「中東のパリ」として栄えた。しかしすぐ南にはイスラエルがある。ここでPLO(パレスチナ解放機構)が武装闘争を始め、ベイルートは「武器庫」になる。やがてイスラエルを支持するキリスト教マロン派とシリアから支援を受けてPLOを支援するイスラム教徒の間で内戦が勃発。ベイルートは主戦場となり廃墟と化す。PLOは敗走したが、代わりにヒズボラが台頭。対イスラエルとの戦闘はイスラム教シーア派のヒズボラに受け継がれる。06年にはイスラエルとヒズボラの間で激しい戦闘が発生、ベイルートは再び廃墟となる。そしてアラブの春を経て11年からシリア内戦が勃発。レバノンは大量のシリア難民を受け入れつつ、ヒズボラがアサド政権軍に戦闘員を、反アサド軍にはスンニ派から戦闘員と武器が流れ込むようになった。このシリア内戦に刺激されるようにリビアでも内戦が勃発。カダフィー軍、反カダフィー軍に欧州から大量の武器が流れ込んでいく。このリビア内戦でも欧州の武器は、レバノンやギリシャを経由してリビアに流れ込んだ。つまりベイルートは港であり、地政学的要衝であり、対イスラエル、対シリア、対リビア戦争での武器の最終流入経路地だった。

    今回のベイルート大爆発は港に保管されていた硝酸アンモニウムが原因とされている。レバノン政府は汚職と腐敗にまみれ、その危険物の保管がずさんで、倉庫の工事中に出た火花が燃え移ったのかもしれないとされている。

    しかし、真相は闇の中に隠されていく可能性が高い。なぜそれほど大量の硝酸アンモニウムが蓄蔵されていたのか?巨大な爆発が本当に硝酸アンモニウムだけの原因だったのか? つまり他の武器も一緒に爆発したからではなかったか?なぜ政府が腐敗にまみれていたのか? 犯罪を犯したカルロス・ゴーンを匿うほどに。その腐敗の背後に「武器ビジネス」があったのではないか?この爆発の背景に武器ビジネスがあったなら、真相は明らかにならない、と想像する。

    欧米の武器が大量に中東に流れ込んでくるから、中東で戦争が続くのだ。戦争が継続する理由がバレると、世界の人々はその原因を止めようと立ち上がる。だから真相は闇の中にままにしなければならない。そしてメディアから流れるのは何となくのイメージだ。「イスラム教徒は戦争が好きなのかな?」「中東で戦争が続くのは宗派対立のせい?」などなど。戦争が継続する真の理由は「武器と石油の取引こそが巨大な利権になっているから」。この真相にたどり着く人が増えれば、平和運動が活性化する。だから戦争の記憶を風化させ、テロの脅威をあおり、宗教や領土の争いのように見せかけておく。五輪などのお祭り騒ぎ、芸能ニュースやスポーツニュースなどで人々を煙に巻いておけば、そろそろまた次の戦争で儲けることができる……。だからレバノンが武器の給油地であることを隠す必要がある。以上が私の推察である。

  • 14面~15面 フクシマ後の原子力 「寄り添う」伴わぬ首相(高橋宏)

    日本の敗戦から、75回目の夏がやってきた。無謀な戦争は、大都市や軍事関連施設への空襲、沖縄における壮絶な地上戦、広島・長崎への原爆投下により、多くの市井の人々を含む310万人以上の犠牲を生んだ。あれから75年が経ち、日本の総人口に戦後生まれが占める割合はついに85%となった。多くの日本人が「平和な時代」しか経験していないという状況で、既に戦争は「昔話」になりつつある。しかし、愚かな戦争がもたらした被害は、まだまだ終わっていない。

    その典型的なものが、広島・長崎の原爆被害であろう。膨大な核エネルギーの放出でもたらされた爆発は、両市を合わせて21万人余りの命を一瞬にして奪ったとされる。犠牲者の多くは一般市民であった。原爆の恐ろしさは、最初の爆発だけではなかった。まき散らされた放射能を浴びた人々は「原爆病」を患い、次々と命を落としていった。原爆忌に奉納される原爆死没者名簿に記載された人数は今年、広島市で32万4129人、長崎市で18万5982人に及んだ。そして、被爆者健康手帳を所持する人々が、全国に14万5844人もいるのである。

    だが、これらの数字はあくまでも「公式」のものであり、原爆投下直後の死者数は推計に過ぎない。実際に原爆の被害に遭いながら、「被爆者」と認定されずに補償も受けられずに75年間を過ごしてきた人々もいた。そのことを改めて突きつけたのが、いわゆる「黒い雨訴訟」である。

    広島への原爆投下直後、上空に巻き上げられた放射性物質を含む「黒い雨」が降った。それを浴びたり、汚染した飲食物を取ったりしたことによって、多くの人々が被ばくしたのである。国は1976年、爆心地の北西部に大雨が降ったとする気象台の調査を基に「健康診断特例区域」(援護対象区域)を指定した。この区域内にいた人々は、被爆者に準じた無料の健康診断を受けられ、一定の病気になれば被爆者健康手帳に切り替えられるようになった。

    しかし、国が定めた区域を少しでも外れれば、援護対象にはならなかった。そのため、住民や地元自治体が区域拡大を求めてきたが、国は頑なに拒み続けてきた。今回の訴訟の原告は、爆心地から約8~29㌔地点にいた男女84人で、広島県と広島市に被爆者健康手帳の交付などを求めていた。その判決が7月29日にあり、広島地裁(高島義行裁判長)は全員を被爆者と認め、県と市に手帳の交付を命じたのである。

    県と市は、国からの法定受託事務で手帳の交付審査を担っているため被告となり、国は「補助的立場」で訴訟に参加していた。だが、県や市はかねてから援護対象区域を広げるように要望しており、実質的な被告は国であった。そして被告側は「原告が実際に黒い雨を浴びるなどした証拠はない」と反論していた。判決では、黒い雨を浴びたという原告の証言に「不自然で不合理な点はない」とし、「内部被ばく」の可能性にまで言及した。判決を受けて、その翌日に県と市は、国に控訴の断念を要望している。

    控訴するか否か、国の判断が注目される中で8月6日、広島市で平和記念式典が行われた。今年も式典には安倍晋三首相が出席し、あいさつをしたが、例年通りのひどい内容であった。あいさつに増してひどかったのは、「黒い雨訴訟」の控訴をめぐる判断を全く示さなかったことだ。昨年6月のハンセン病家族訴訟判決の際には、安倍首相の強い意向(?)で控訴を見送っていたにもかかわらず、だ。今回は厚生労働省に判断を委ね、自らは静観を決め込んだのであった。

    そして8月12日、国と県、市は広島高裁に控訴する。地裁判決は「科学的根拠が不足している」というのが主な理由であった。高裁に舞台を移した裁判の長期化は必至で、平均年齢が82歳を超える原告にとっては、まさに「時間との闘い」になってしまった。控訴断念を要望していた県と市が最終的に応じたのは、国が援護区域の拡大を再検討する方針を示したためだった。

    安倍首相は平和記念式典で「我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります」「高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります」と述べた。「どの口が!」と言いたい。

    長崎に何度も足を運び、被爆者から強く求められていたにもかかわらず、一度も原爆資料館を訪ねない人間が、被爆の実相をどこまで理解しているのか。今回の控訴には「寄り添う」姿勢などみじんもない。

    「黒い雨訴訟」の原告をはじめとした被爆者たちは、75年間にわたって放射線の影響や、いわれのない差別に苦しみ続けてきた。さらに原告の場合は、国にとって都合の良い「科学的根拠」のみに基づいて行われた「線引き」によって、さらなる差別を強いられてきたわけだ。この構図は、福島第一原発事故後の避難区域の線引きにそのまま当てはまる。

    国が控訴にこだわる最大の理由は「原爆投下後の放射性下降物の人体への影響はない」というアメリカ政府見解にあるとされる。しかし最近になって、米原爆傷害調査委員会(ABCC)内で1950年代、それに異を唱えた報告書の存在が確認された。当時のアメリカ政府はそれを認めず、ABCCも詳細な調査は行わなかったそうだ。

    為政者の、為政者による、為政者のための戦争が行われ、その被害は為政者の都合によって「実相」が左右される。75年を節目と表現する報道が相次いだが、今こそ、戦前から続く誤った政治のあり方を変えるときではないだろうか。

  • 16面 松本創さん講演「維新と報道」 つくられたリーダー(矢野宏)

    大阪維新の会が誕生して10年。維新がいう改革が大阪に何をもたらしたのか、何を切り捨てたのか、松本さんはいくつかの現場を回った。

    まず、万博やIR予定地の夢洲。松本さんは「茫洋たる更地にプレハブ小屋が建っているだけ」と説明し、カジノ業者の現状について触れた。


    「新型コロナウイルスの影響で最大手のラスベガス・サンズは日本進出を断念。大阪はMGM・オリックス連合に決まっているが、オリックスが計画見直しを示唆する中、夢洲へ地下鉄を通すのにカジノ業者が200億円を負担するのか。いずれ市民にツケが回るのではないか」

    大阪はホテルの建設ラッシュ。この10年でホテルの客室数は2倍に増えたが、コロナの影響で外国人の姿が消えた。「インバウンドが絶好調だったのは中国などの経済成長のお陰で、維新の功績ではない。しかもインバウンド頼りだったことが露呈してしまった」

    大阪城公園には、クールジャパンパーク大阪が運営する劇場が三つある。いずれも吉本興業の劇場で「吉本興業のために大阪城公園を明け渡した」と指摘する。「クールジャパンパーク大阪には関西の民放5局が出資している。吉本とテレビメディアを束ねているのが電通。維新が進める『公園の土地活用』をテレビメディアも応援する。これでは批判もできないのではないか」

    一方、市立住吉市民病院は解体中だった。老朽化して建て替えることになっていたが、近くに府立病院があるので二重行政のムダの象徴として切り捨てられた。跡地に民間病院を誘致すると言いながら失敗。市立十三市民病院がコロナ専門病院となり、入院患者らが転院しなければならなくなったとき、住吉市民病院を残していたらという批判の声が上がった。

    松本さんは、維新の「改革」は「カジノや万博誘致の湾岸開発に代表される大規模開発と、大阪城公園や天王寺公園の民間委託など「公共の財産」を市場化する経済成長の演出だ」と指摘する。

    コロナ対策で名を上げた吉村知事だが、最初に注目を集めたのは3月下旬、読売テレビの番組で兵庫県と大阪府との往来自粛を要請したこと。「先行き不安の中、強いリーダーを求める傾向にあった」と松本さん。3月8回、4月23回、5月には31回もテレビに出ているという。往来自粛要請の後、休業要請の判断基準「大阪モデル」、大学とのワクチン開発など、トップダウンの速さ、強くわかりやすいメッセージは好意的に受け止められた。だが、松本さんは「トップダウンは調整軽視、思い付きでやるので現場が混乱する。空振りしても、メディアには話題になるので取り上げられ、強いリーダーのイメージが作られていく」

    といって、関西のメディアがすべて礼賛しているわけではないと松本さんはいう。

    「この10年のメディアの責任は大きい。一方で、疑問を持つ記者もいる。政治家が圧倒的な人気を誇るときほど、政策や言動を一つ一つ検証していくことに尽きるのではないか。ワクチンにしても7月に治験を始めると言うなど、吉村氏はその場のノリで発言するところがある。その後どうなっているのか、批判的視点を持って取材すべきだろう」

  • 17面 寄稿 野田・岡山大名誉教授 筑波大軍事研究「待った」(軍学共同反対連絡会共同代表・野田隆三郎)

    前の戦争で科学者が戦争に全面的に協力した結果、人類に想像を絶する惨禍をもたらしたことへの痛切な反省に立って、戦後、日本の科学者は「戦争を目的とする科学の研究には今後、絶対に従わない」(日本学術会議声明1950年)と固く誓って再出発した。

    それを受けて、戦後、日本の大学は軍事研究とは一線を画してきたが、2015年、防衛省の軍事研究の公募制度が始まり、大学の軍事研究が公然と開始されるに至った。 これに危機感を抱いたわれわれの反対運動の成果もあって、同制度への大学からの応募は、初年度の58件から年々減少の一途をたどり、19年には8件にまで激減した。

    ところが同じ年、とんでもないことが起こった。国立大学協会の永田恭介会長が学長を務める筑波大が防衛省の大型軍事研究(5年間で20億円の予算)の公募に、全国の大学で初めて応募・採択されたのだ。国立大学協会会長が率先して防衛省の大規模軍事研究に手を染めるなど到底許されることではない。

    筑波大をはじめ、防衛省公募に応募する大学のすべてが、応募した研究は民生用の基礎研究であって、軍事研究ではないと主張する。しかし、防衛省公募要領には「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な民生技術についての基礎研究を公募・委託する」と書かれている。したがって「民生用の基礎研究であって、軍事研究ではない」などという主張は応募を正当化する理由には全くなりえないのだ。最高学府がこのような欺瞞を振り撒いて国民を欺き、軍事研究に手を染めることは断じて許されることではない。    筑波大の大規模軍事研究は軍産複合体への学の一体化に拍車をかけるものだ。私たちは現在、筑波大の軍事研究の中止を求めるネット署名に取り組んでいる。市民の力で筑波大の「暴走」にストップをかけるため、ぜひ署名にご協力をお願いします(スマホではQRコードから、パソコンでは「軍学共同反対連絡会」で検索)。

    署名画面には、われわれと筑波大また国立大学協会との折衝の詳細を掲載しているので、ご覧いただければ幸いである。

     

  • 18面 天理・柳本飛行場跡を歩く 説明板巡り「攻防」(栗原佳子)

    「柳本飛行場」の正式名称は「大和海軍航空隊大和基地」。本土決戦の重要拠点として、いまのJR桜井線長柄駅ー柳本駅間の西方に建設された。広さ300㌶。長さ1500㍍の滑走路などを備えていた。参加者は二手に分かれ、点在する戦跡をたどった。

    水田の脇に説明板が建っている。日本語とハングルの併記。昨年4月、考える会が市民のカンパで設置した。

    飛行場建設は1943年秋ごろ始まり、大林組が請け負った。〈児童・生徒・学生などの勤労奉仕や在日朝鮮人労働者も加わって工事が進められた∨∧労働者不足から朝鮮半島から朝鮮人を強制連行して工事を進めた。飛行場建設にかかわる朝鮮人の数は2000人とも3000人ともいわれている〉〈証言では約20人の朝鮮人女性が慶尚南道から強制連行され海軍施設部内の「慰安所」に送られている〉。

    「天理市史には、ここに朝鮮人が働いていたことが一切書かれていない。あった歴史をなかったことにする動きに抵抗し、後世にきちんと伝えていきたい」と「考える会」共同代表の稲葉耕一さん。

    説明板には45年10月に米軍が撮影した柳本飛行場の写真もある。米公文書館から発見されたもので、ゼロ戦が並ぶ。本土決戦に備え、敗戦時には100機以上の軍用機が配備されていた。周辺の山に地下トンネルを掘り、天皇の御座所や大本営を移転する計画などもあったという。

    飛行場の説明板はもう一つ、別の場所にもあった。95年に天理市、市教委が設置した。地元の教師らが数々の証言を掘り起こし、国や県の資料を精査し、積み重ねた調査をもとに設置された。「寝ているときに急に人が入ってきて連れていかれた」など具体的な証言も列挙、「歴史の事実を明らかにし、二度と繰り返してはならないこととして正しく後世に伝えるため」設置したと明記した。

    しかし2014年、「強制連行」や「慰安婦」の記述を批判し、撤去を求める電話やメールが相次いだことをきっかけに市は説明板を撤去した。教師らは「考える会」を結成、再設置を市に求めてきたが、市は拒否。このため昨年、所有者の許可を得て、独自の説明板を設置したのだった。

    水田を一直線に貫く長い農道。戦闘指揮所だったという建造物。滑走路の排水のための暗きょ。あちこちに痕跡が残る。「慰安所」に連れてこられた女性一人は遺骨で帰郷した。男性3人が死亡、地元の寺に埋葬された。一人は赤ちゃんと妻を残し強制的に連れてこられた若者。一昨年、考える会の招きでその遺児が来日、父を追悼したという。

    考える会は今後も市民対象のフィールドワークを続けながら、説明板再設置を市に働きかけていく。

  • 19面 朝鮮人の空襲犠牲者 「祖父を民族名に戻して」(栗原佳子)

    太平洋戦争末期の1945年6月、大阪大空襲で死亡した朝鮮人男性の孫が8月4日、犠牲者の名を刻んだモニュメントがある「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」=大阪市中央区=を訪れ、「通名(日本名)ではなく本名(民族名)で記録し直してほしい」と申し入れた。ピースおおさかは申請を受け入れる方針だ。 

  • 20面 「はりぼて」「僕は猟師になった」(栗原佳子)

    保守王国・富山を舞台にした市議会議員の辞職ドミノとその後を描いた『はりぼて』、京都郊外の里山で猟をしながら暮らす男性に密着した『僕は猟師になった』。ともにテレビドキュメンタリー番組をもとにした異色の映画がこの夏、全国で公開される。

  • 21面 経済ニュースの裏側「地震」(羽世田鉱四郎)

    コロナ禍で忘れられがちなリスクがあります。地震です。不安をあおるつもりありませんが、再認識しましょう。

    日本列島の成り立ち 

    地球の誕生は45・6億年前。3000万年前、陸地のユーラシア・プレート(以下「プレート」をPと表記)が、その下に潜り込んだ太平洋Pに引きちぎられ、観音開きのように二つに分離しました。そこに1500万年前、フィリピン海Pに乗っかった海底火山弧(伊豆諸島)が衝突し、現在の日本列島が形成されました(2018年5月号当コラム30「地震発生の仕組み」)。日本列島は、北米P、ユーラシアPの陸地Pの上にあり、その下に、東から太平洋P、南からフィリピン海Pが潜り込む複雑な構造になっており、世界一の地震多発国です。

    プレート

    地球の表面を覆う岩板。十数枚あり、厚さは数十㌔です。太陽系の惑星では、地球だけにあり、水の存在が作用しているとか。太平洋Pが最も古く、2億年前に誕生。冷たくて重く、今でも年8㌢の速度で陸側Pに潜りこみ、東日本を圧縮しています。フィリピン海Pは1500万年前に形成された新しいPで、温かくて軽いために、簡単に沈み込めず、反作用として、西南日本を年6㌢圧縮しています。これが南海トラフ地震の大きな要因です。
    ……

  • 22面 会えてよかった 屋宜光徳さん(上田康平)

    米軍占領支配がいやになって

    1952年1月、私費でも本土の大学進学が認められるようになり、米軍支配の息苦しさから逃れるため上京し、日本大学に進んだ。  

    屋宜さんが留学中、沖縄では  52年4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約発効。沖縄は日本から分離され、引き続き米軍事占領下に置かれることに。戦後の冷戦、アジア情勢を踏まえ、米国が沖縄に東アジア最強の軍事基地、核、毒ガスも貯蔵し、自由出撃できる基地をつくろうとしたからである。

    そして占領下の沖縄住民を治める統治機構もつくられた。それは実質的に軍政府である琉球列島米国民政府(民政府)の下に琉球政府、行政主席(米軍の任命制)、立法院、裁判所を置き、しかも米軍の布告、布令、指令、書簡を最高の法律として、住民を支配するものであった。

    55年3月、伊江島で、7月には伊佐浜で、米軍は土地取り上げに反対する農民に対して、武装兵を送りこ み土地接収。ブルドー ザーで家屋を倒し、伊江島では農地を作物ごと敷きならし、伊佐浜では田んぼに海底からドレッジャーですいあげた砂を海水とともに流し込んだという。

    後にわかったことであるが、米軍は伊江島には核の投下訓練基地をつくるのが目的だった。
    ……

  • 23面 落語でラララ「次の御用日」(さとう裕)

    いつの間にか晩夏である。それでなくても近年、季節の移ろいが感じ難いのに、今年はコロナ騒ぎで季節どころではなかった。春先、花見は自粛と言われ。初夏になって、ぼちぼち外出してもいいのかなと言ってたら、今度は第2波だという。東京の感染者100人だ200人だ。それでもGO TO トラベルだという。で、気が付くと東京450人で大阪も250人超え。いつになれば収まるのか。そんなこんなで、季節を味わったり楽しんだりする暇もあらばこそ。

    落語には季節感たっぷりの作品も多い。暑い夏の午後のやり切れない感じが肌感覚で感じられるのが「次の御用日」だ。これは船場のとうやん(=いとさん・お嬢さん)が借家人に街中で脅かされて、健忘症(記憶喪失症)になってしまうという、ストーリー的にはたわいのない噺だが、中で、とうやんが東横堀あたりに来かかると、物売りの声がのーんびりと聞こえてくる。 「よーし(葭)や、すだれは要りまへんか」「ござや、寝ござー」。夏の物憂い昼下がりの風情がなんとも言えん雰囲気を醸し出す。「すいとう、ところてん」「京都烏丸本家(からすまるほんけ)、枇杷葉湯―(びわようとう)」。金魚売りが、「きんぎょーえ、きんぎょー」。私らは子どもの頃、昼寝しながら聞いたもの売りの声が、ひたすら懐かしい。昼寝の夢を破るのが氷のかち割り屋。腰きりのハッピ一枚で、岡持ちをぶら下げて威勢よく「ウォーイ、かち割りや、割った割った割った」。風呂上がりのかき氷の蜜の甘かったこと。夏の甲子園名物のかち割り。その高校野球、春も夏も今年は中止になった。
    ……

  • 24面 100年の歌びと「Don't wanna cry」(三谷俊之)

    1990年、数多くのヒット曲を生んだ安室奈美恵が引退して2年。アムラーやコギャルなどの社会現象を引き起こした彼女も9月で43歳。引退時に各報道機関に対し彼女の専属弁護士から「一般人となるため取材は完全NG、もしそれを行えば訴えます」という厳しい規制があり、引退後の報道は週刊誌を含めてほとんどない。大学生の息子と京都で暮らしているとか、ロンドン在住とかいう都市伝説めいた噂が漏れてくるのみだ。

    『Don't wanna cry』は96年、安室18歳時の楽曲。前年に小室哲哉と出会い、続いて『You're my sunshine』、『a walk in the park』と次々とミリオンセラーを飛ばした。7月リリースのセカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』は350万枚と当時の最高記録を達成。 安室の時代だった。彼女は小室と出会う前から「ジャネット・ジャクソンみたいなブラックミュージックをやりたい。コーデネーションはこのスタイルでいきたい」などと明確な自己イメージを持っていた。 私は安室のライブコンサートを体験している。約2時間、MCなしで、ぶっ続けで踊り歌う姿は圧倒的だった。音楽評論家の田家秀樹は、自著『読むJ-POP 1945-1999私的全史』(徳間書店刊)でこう書いた。
    ……

  • 25面 坂崎優子がつぶやく「医療情報『根拠』が基本」

    このコラムの下部に案内していますが、がんについてのブログを書いてきました。ここ1年ほどは更新を怠っていましたが、それでも訪問者が絶えないので、また少しずつ書いていこうと思っています。

    サイトは有料(もちろん自腹)で運営しています。無料サービスの多くは、記事に関連する広告が入ることが多く、自分のサイトを見に来てくれた方がそうした医療広告に誘導されては困ると考えたからです。

    難しいテーマを取り上げたこともありますが、そんな時は事前に主治医からレクチャーを受けました。また、間違っている記述があれば指摘してほしいと常にお願いもしています。自分の体験もすべてを書いているわけではありません。誤解を与え、間違った治療選択につながる可能性のあることは避けています。

    医療情報の発信は難しいものですが、先日の吉村大阪府知事の記者会見は悪い見本でした。効果がはっきりしない段階の研究結果を大々的に発表したからです。

    さらに「また吉村がおかしなことを言い出しているとネット上の大批判がありますが構いません。松山先生の研究成果を信じていただかなくても構いません」などとツイッターで発信。科学を信じる、信じないで語る愚かさも露呈させています。松井市長も「結果が出たのに黙っていろというのか」と発言していましたが、臨床研究にはさまざまなレベルがあることをご存じなかったようです。
    ……

  • 26面~30面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)

    アルコール刺激臭
    喘息の咳止まらず

       奈良県 大倉利予

    一昨年の春からタバコや線香の臭いをかぐと咳が止まらなくなり、病院で喘息(ぜんそく)と診断されました。今まで使っていた洗剤やシャンプー、柔軟剤、芳香剤、消臭スプレー、制汗剤、ハンドクリームなど、香り付きの物がすべて使えなくなりました。ドラッグストアや百貨店などでの買い物も随分と足が遠のいてしまいました。

    ここ1年ほどは、薬をうまく組み合わせてもらえたこと、自身の体調がわかるようになってきたこともあり、少しずつ喘息との生活に慣れてきたと思ったら、今回の新型コロナ騒動です。感染防止に除菌スプレーや消毒剤があふれ、アルコールスプレーや除菌ジェルが品薄状態を経て出回るようになりましたが、そんな中でアルコール過敏は理解されづらいものです。アルコールの刺激臭でたちまち咳が止まらなくなるのです。「ハーブエキス配合」などとうたう香料が入っていると、さらに体調は悪くなります。

    買い物先や病院などでアルコール消毒するように言われた場合は事情を説明し、手を石けんで洗うか、水で濡らしたハンカチで手をふくことにしています。しかし、他人に「私が体調を崩すのでアルコール消毒を使わないで」とは言えません。電車やバスの中で、乗客がアルコールで手の消毒を始めた途端に咳き込んでしましました。すると、私の隣の乗客は席を立ち、前でつり革を持って立っていた人もいなくなってしまいました。

    先週、博物館へ行った時、展示ケースのアルコール消毒の時間と重なり、咳が止まらなくなりました。吸入器を使いましたが、一度出始めた咳はなかなか止まりません。監視係の方が来てくれ、「体調がお悪いのなら救護室で休憩されてはいかがですか」と声をかけてくれました。アルコールの臭いで喘息を起こすこと、冷房も効いているのですぐには咳が止まらないことを説明すると、年配の係員がやってきました。周囲の目もあり、人気のないきれいな空気のところで休憩する方が早く落ち着くと考え、係員に案内されて博物館を後にしました。

    博物館の再開を心待ちにしていたので、最後まで観覧できなかった残念な気持ちと、展示室の消毒を想定していなかった自身の想像力不足と、咳が止まらなくなった自分が情けなくて涙が出ました。

    私たちはまだしばらく「新しい生活様式」に振り回されるでしょう。「みんなのため」の様々な施設が「新しい生活様式」の下で再開されたけれど、いろいろな事情があって取り残される人が出てこないか心配です。誰もが置いてきぼりにならない「withコロナ」の社会になってほしいと思います。
    (知らないうちに香りが周りの人に害を及ぼす「香害」。私自身、いかに無神経だったか教えられました。まず、柔軟剤の使用をやめました)
    ……

  • 28面 車イスから思う事(佐藤京子)

    8月15日をどう表現したら良いのか、毎年、この時期になると悩んでいる。小学生の頃、漫画「はだしのゲン」を読み、8月15日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日ではないのかと思うようになった。日本が戦争に敗れたことで、戦争をしない平和な国になったと教えられた。単に戦争が終わっただけなら、軍隊は存続していたかもしれない。敗戦だったから、新しい考えを取り入れた日本になったのではないだろうか。

    父は兵士として旧満州で戦った。母は旭化成のある町で度々の空襲に怯えていた。小学校へ入る頃からそれぞれの戦争体験を聞かされた。「はだしのゲン」を読んだことで自分なりの理屈を作り、「8月15日は敗戦記念日だ」と結論付けた。当時の先生たちの意見は記憶に残っていない。小・中学校の授業では歴史の授業は昭和を教えてくれなかった。いつも3学期の時間切れで、戦争の話といえば、広島と長崎への原爆投下と終戦の日だけだった。

    その原爆投下や終戦の話すら、最近のテレビでは激減している。NHKでさえ、お決まりの「黙とうの時間」を挟んでそそくさと中継を終える。これでは、これから先に正確な事実を伝えていけるのかと心配になる。戦争を語ることができる世代は確実に減っている。そう遠くない将来、戦争体験者はいなくなってしまう。そうなれば、正しい価値観を保つことが困難になる。

    敗戦の日と言っていた自分が呼び方を悩むようになったのは、随分と時間が過ぎてからだ。それは、当事者の気持ちが頭をよぎることが多くなったためだ。当事者にとって、当時の教育によって戦争に勝つこと、戦争というものが絶対悪ではなかったとしたら、75年も過ぎた今になって敗戦記念日などと言われることの気持ちがザワつくのではないかと考えるようになった。
    ……

  • 31面 うれも火日誌(矢野宏)

    7月2日(木)
     栗原 午後、大阪地裁堺支部へ。傍聴席でヘイトハラスメント訴訟の判決を聞く。
    7月3日(金)
     栗原 午後、大阪市内でドキュメンタリー映画「ちむぐりさ」監督の平良いずみさんを取材。
    7月4日(土)
     大阪市を廃止し四つの特別区に分割する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が11月1日に予定されているのを受け、午後、「『都構想』を考える連続講座」を中央区谷町で開講。立命館大教授の森裕之さんが「『都構想』と二重行政のゴマカシ」と題して講演。
    7月6日(月)
     矢野 午前、新型コロナウイルス患者の専門病院となった大阪市立十三市民病で西口幸雄病院長と三田村将光事務部長から現状を聞く。「コロナ専用の病床を維持し、27日から一般外来の診察を再開します」。夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」で報告。
    7月10日(金)
     矢野 夕方、一夜にして1860人が犠牲になった堺大空襲から75年、堺市堺区の「市戦災殉難之地」碑の前で行われた空襲犠牲者殉難地追悼会を取材。堺市在住の増栄康子さん(88)が「真っ黒こげになった遊女たちの死体の山が土居川を埋め尽くし、地獄絵図さながらの光景が今も脳裏に焼き付いて忘れることができません」と振り返る。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    7月14日(火)
     矢野 夜、「大阪都構想」の住民投票阻止を目指す「大阪・市民交流会」の結成集会に出席。
     西谷 「路上のラジオ」で元大阪市長の平松邦夫さんに「都構想・カジノ・万博」について話を聞く。
    7月15日(水)
     学校法人「森友学園」を巡る公文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員の妻が国と当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求めた訴訟が大阪地裁で始まるのを受け、矢野と栗原は傍聴整理券を求めたが外れる。
    7月16日(木)
     栗原 大阪市中央区のエルおおさかで開かれた関西共同行動例会で南西諸島の自衛隊配備問題について報告。
    7月17日(金)
     矢野 午前、来社したMBSラジオ「ニュースなラヂオ」の新川ディレクターが来社。YouTube動画班の収録。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    7月19日(日)
     矢野 午前、特別養護老人ホームで働く大阪市西淀川区の交田真結さんに「コロナと介護現場」について話を聞く。
    7月22日(水)
     明日が祝日のため、1日早く発送。夕方、新聞うずみ火8月号が届き、工藤孝志さん、澤田和也さん、多田一夫さん、小泉雄一さん、友井健二さん、樋口元義さんの手を借りて発送作業。郵便局員が回収に来る前に作業を終える。「ビールがおいしい!」
     西谷 正午、ラジオ関西「ばんばんひろふみ・ラジオ・DEしょー」に出演。
    7月23日(祝・木)
     矢野 昼、ラジオ大阪「里見まさとの早起き情報スタジオ」収録(26日放送)を終え、動楽亭での「第5回うずみ火寄席」へ。露の新幸さんが「狼講釈」、愉かい亭びわここと、水野晶子さんが「りんきのこま」、笑福亭智丸さんが「鼓が滝」を。水野さんと矢野がこの日命日の黒田清さんの思い出を語り、露の新治さんが「竜田川」を披露。新型コロナで定員の半分という制限付きながら満席に。森山眞千子さんの尽力に感謝。
    7月26日(日)
     矢野 大阪市東住吉区田辺の恩楽寺で行われた「模擬原爆」の犠牲者を悼む追悼式を取材。新型コロナ感染拡大防止のため、オンライン形式で地元の中学校も参加。当時、国民学校の教員だった龍野繁子さん(95)が「戦争はむごく、惨めなもの。二度と逆戻りしてほしくない」と訴える。
    7月30日(木)
     栗原 午後、京都地裁で開かれた琉球人遺骨返還訴訟を傍聴。
    7月31日(金)
     夜、大阪市立東淀川区民会館で「都構想」を考える連続講座2回目。ノンフィクションライターの松本創さんが「維新とメディアを検証する」と題して講演。
     矢野 午前、箕面第二中学の平和学習で、新型コロナ感染防止のため事前収録。小型カメラに向かって「空襲と人権」について話す。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

  • 32面 うずみ火講座「住民投票までに知るべき嘘と真」

    大阪市を廃止し四つの特別区に再編する「大阪都構想」が実施された場合、新型コロナの影響はどれぐらいなのか。驚いたことに、国の補正予算でカバーされるので収支不足はないと結論付けた。コロナ後の不況は世界恐慌を上回ると言われているのに。

    新聞うずみ火主催の「『大阪都構想』を考える講座」の第三弾は8月28日(金)、大阪市中央区谷町2丁目の「ターネンビルNo.2」で開講します。講師は元大阪市会議員の柳本顕さん=写真。演題は「住民投票までに知るべき嘘と真」です。

    柳本さんは、2015年住民投票の際には自民大阪市議団幹事長として、当時の橋下徹市長とテレビ討論などで対峙。一貫して大阪市を廃止分割して特別区を設置する「大阪都構想」についての議論に関わり、今回の特別区設置協定書についても反対の意向を示しています。

    都構想の虚構を知り尽くした柳本さんにわかりやすく解説していただきます。

    【日時】8月28日(金)午後6時半~
    【会場】大阪市中央区谷町2丁目のターネンビルNo.2の2階会議室(地下鉄谷町線「谷町4丁目」から北へ徒歩2分、「天満橋駅」から南へ徒歩6分、1階が喫茶店「カフェベローチェ」です)
    【資料代】500円、学生・障害者300円

  • 32面 編集後記(矢野宏)

    吉村知事の化けの皮がはがれた。発端は「イソジン発言」。8月4日の記者会見で、「嘘みたいなホントの話」と切り出し、「ポピドンヨードを含むうがい薬を使うとコロナの陽性者が減っていく」と述べた。さらに「コロナにある意味打ち勝てるんじゃないかとすら思っている」。会見後、イソジンが店頭から消え、ネットでは高値で売り出された。日本医師会などからと批判されると、翌日には「予防効果があるわけではないし、治療薬ではない」と言い逃れ会見。ついにはメディアに責任転嫁。14日の会見では、大阪でコロナの重症者が急増していることに対し、「人工呼吸器を早めにつけているからだ」。厳格にガイドラインが決まっている医療行為で、大阪だけ人工呼吸器を早くつけるわけがないではないか。「やってる感」を演出する吉村氏をもてはやしたのが在阪メディア。3月~7月までのテレビ出演は83本に上る。今年はコロナ禍で迎えた戦後75年。私たちが培ってきた戦後民主主義がいかにもろいものであったかを突き付けられた。社会に不安が高まれば、強権的な政治を安易に受け入れ、力強いリーダーを求める構図は戦前と変わっていないのではないか。歴史に学ばなければ未来はない。

    さて、黒田清さんを追悼し、平和を考える集いにご協力いただき、ありがとうございました。あらためて出会いと再会に感謝申し上げます。 

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