新聞うずみ火 最新号

2020年1月号(NO.183)

  • 1面~3面 コロナ後手 外国人直撃(矢野宏、栗原佳子)

    新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。「医療非常事態宣言」が出た大阪府では重症病床の運用率が8割を超え、救急の受け入れ制限やがん病棟などの閉鎖を余儀なくされる病院も続出している。一方、府は11月27日から大阪市北区と中央区の接待を伴う飲食店や酒類を提供する飲食店などに午後9時までの営業時間短縮を要請。12月16日からはそのエリアを市全域に拡大した。とりわけ、西日本最大の歓楽街である「ミナミ」は3度目の時短要請。年の瀬に悲鳴と落胆のため息が上がる。

    人影もまばらな昼のネオン街。立ち話をする人たちの脇を通り過ぎると中国語やスペイン語などの外国語が聞こえてくる。大阪市中央区島之内。ミナミの繁華街に隣接するこの地区は住民の約3割が外国籍だ。

    その一角、雑居ビル内の一室ではロの字型に並べた長テーブルにパンや米、肉、卵、缶詰などが積み上げられていた。クリスマスを控えた12月20日の日曜日、島之内で外国にルーツを持つ子どもたちの支援団体「Minamiこども教室」と子ども食堂「しまルーム」が行った食材配布だ。

    新型コロナによる不況は、非正規労働の比率が高い外国人の家庭により厳しく押し寄せている。こども教室に通う子どもたちの保護者の多くがミナミの飲食店で働いており、母子家庭も少なくない。

    「3月以降、まともに営業を続けられない状態が続き、保護者たちの収入は激減しました。6月に入り、コロナの第1波が弱まって営業を再開したお店も増えましたが、第2波の8月に再びミナミでは営業自粛要請がありました」

    そこからようやく回復できそうだと思った矢先のこの第3波だった。

    「ひっ迫した状況で迎えるクリスマスです。特にフィリピン人とっては特別な日。少しでも心温まるクリスマスになればいいのですが」と在日コリアン3世で、こども教室実行委員長の金光敏(キム・グァンミン)さん(48)。

    市民から寄せられたカンパで、食材100セットを用意したという。この日はフィリピンやベトナム、ブラジルなど様々な国籍の105家族が訪れた。ボランティアらと「メリークリスマス」と笑顔であいさつを交わし、袋いっぱいに食材を持ち帰っていく。

    フィリピン国籍のチェリルさん(35)は、4歳の息子との2人暮らし。10年前に来日、日本人男性と結婚したが離婚。早朝、息子を保育所にあずけ、電車で20分かけて介護施設へ向かう。認知症の入居者の食事や排せつなどの世話をし、夜はミナミの飲食店でホステスとして働いてきた。だが、コロナの影響で閉店。現在は介護職のみで、月収は8万円ほど。家賃を払えば手元に残らず、児童手当や友人からの借金などで補う。「家賃の安い家に引っ越したい」という。

    ベトナム人女性2人が「ここに来れば食べるものをもらえると友達から聞いた」と言ってやってきた。技能実習生として来日。一部屋に4人で暮らしているという。「仕事もなくなり、帰る飛行機もありません」。食材を手にした彼女たちは何度もお礼を言って帰っていった。 

    金さんは「外国人は日本語の読み書きが自由でないこともあり、公的支援からもこぼれ落ちやすい」と指摘する。

    「3度目の自粛要請で夜のミナミは壊滅状態。日々の生活費にもこと欠く状況になっています。この間にかろうじてつながった家賃支援や無利子貸付も期限満了となり、困窮は一層深刻化しています。こども教室の保護者たちは非正規で、休業支援金が出る対象ではありません。母親たちは『給料』と呼んでいますが、形態は日雇い労働に近い。仕事がなければお店に出ることすらできず、収入は途絶えるだけです」
    ……

  • 4面~5面 大阪維新が広域行政一元化 「都構想」損日条例画策(栗原佳子)

    いわゆる「大阪都構想」は11月1日の住民投票で否決され、政令指定都市・大阪市は存続した。しかし、新型コロナ感染が深刻さを増す中でも、二度もノーを突き付けられた「都構想」への執着の動きは止まらない。

    大阪市議会は12月9日、大阪市立の高校21校を府へ移管させる条例案を大阪維新の会と公明の賛成多数で可決した。維新が「府市一元化」「二重行政解消」などとして、「都構想」=大阪市廃止・分割を前提に推進してきた。

    市議会(定数83)の第1党は維新で40議席を有するが過半数には届かない。「財産売却の場合は府市が協議する」などの付帯決議を付して公明が賛成に回った。

    関連の条例案は21日、維新が単独過半数を占める府議会(定数88)でも可決した。維新、公明に加え、こちらは自民も賛成した。大阪市廃止・分割を巡っても自民市議団と府議団は賛否が分かれた。

    両議会の議決により、市立高21校は2022年度から府立に移管されることになった。公立高を設置する自治体は全国にあるが、21校は最多。政令市から都道府県への移管は初めてだという。

    市議会では採決に先立つ討論で、賛成、反対の立場から維新、自民、共産が意見を述べた。自民の太田晶也市議は「大阪市の特色ある教育内容やサービスが失われる」と懸念を示し、具体例を挙げた。「市立高は商業、工業など専門学科を中心に、卒業後は社会の即戦力となるよう人材育成に取り組んできた特色がある。商業系は府立にないばかりか、淀商業の福祉学科についても府には何のノウハウもない。工芸高のような美術やデザインに特化した高校、泉尾工業のようにファッションやセラミックが学べる学校もあるが、条例案は、各校で育まれてきた特色を乱暴に無視している」
    ……


     大阪の高等教育は、府立は普通教育、市立は商業や工業などの実業教育が中心という役割分担がなされてきた歴史がある。そんな中で11年、移管を打ち出したのが大阪市長で大阪維新の会代表だった橋下徹氏。市議会の反発もあり、いったんは立ち消えたが、昨年4月、府知事・市長ダブルクロス選で維新が大勝すると息を吹き返す。2度目の住民投票実施が現実味を増す中、同年9月、府教委と市教委が移管で合意した。大阪には堺市、東大阪市、岸和田市にも市立高が設置されているが「二重行政」として俎上に上げられたのは大阪市のそれだけだ。
    ……

  • 6面~7面 森友問題改ざんで赤木雅子さん 「夫の死に向き合って」(矢野宏)

    森友学園への国有地売却をめぐって公文書の改ざんを強いられ、命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(享年54)。妻の雅子さん(49)は真実を求めて裁判を続けている。私がパーソナリティを務めるMBSラジオ「ニュースなラヂオ」年末特番の収録で、亡き夫への思いや国に対して訴えたいことなど、胸の内を語っていただいた。12月28日(月)の放送日を前に了解を得て、その一端を紹介させていただく。  

    この一年、雅子さんは「激動の年でした」と振り返った。

    現在、二つの裁判を抱えている。一つは、国と改ざんを指示した佐川宣寿元理財局長に対する損害賠償訴訟。二つ目は、夫の公務災害を認めながら、その理由を示す文書を開示しない近畿財務局に対する個人情報開示訴訟。いずれも夫の自殺の原因と経緯を明らかにするためだが、国は争う方針だ。一人の女性が国を相手に裁判を起こすことにためらいはなかったのか。

    「まったくなかったです。相手が誰であろうが、何のちゅうちょもありません。自分の言いたいことを訴えるだけです」
     毅然と答える雅子さんの表情が和らいだのは、俊夫さんのことを尋ねた時だ。

    「多趣味な人でした。高校から始めた書道は趣味の域を超えており、建築家の安藤忠雄さん設計の建物を見に出かけたり、坂本龍一さんのコンサートやひいきの落語家さんの独演会に行ったり、そのほとんどに同行しました。私は夫が好きなことを見るのが好きで、食事を作るのが好きになったのも喜んで食べてくれる夫を見るのが好きだったからです」
    ……

  • 8面~9面 ヤマケンのどないなっとんねん 危機感なし スガ改めスカ(山本健治)

    菅首相が少し前のニコニコテレビで「ガースーです」と自己紹介し、ひんしゅくを買っていたが、あんなことを言えば国民が親近感を持ってくれ、急落した支持率が回復するとでも思ったのだろうか。

    支持率急落の原因は、ものの言い方などではなく、コロナ感染がこれまで以上に拡大していて、このままでは欧米のような事態を招くのではないかと国民は心配している。にもかかわらず、国民には会食自粛を要請しておきながら、安倍前首相以上に会食三昧で、Go Toトラベルやイーツを止めようとはせず、批判が高まってくると、突然、12月28日から1月11日まで停止すると言い出し、関係業界から猛烈な批判を浴びているように、的確な状況分析と決断ができないからだ。

    「首相の1日」によると、12月1日から15日だけでも33回も会食し、多い日は1日に4回もしている。

    ちなみに14日は早朝散歩後、いつものザ・キャピトルホテル東急の「オリガミ」で秘書官らと朝食、午後7時41分からはホテルニューオータニで青木拡憲AOKIホールディングス会長、出雲充ユーグレナ社長らと会食、8時50分からは銀座のステーキ店「銀座ひらやま」で自民党二階幹事長、林幹雄幹事長代理、ソフトバンク・ホークスの王貞治会長、俳優の杉良太郎、タレントのみのもんた、政治評論家の森田実氏らと会食している。

    連日こんな感じで税金を使っているのだから、国民がいい加減にしろと批判するのは当たり前である。

    こんな会食三昧やアホなパーフォーマンスが国民のひんしゅくを買うことは、安倍前首相の「アベノマスク」や「うちで踊ろう」で立証済みだし、太鼓持ちが持ち上げ、IOCが表彰するものだから、すっかり大ウケしたと勘違いしているが、オリンピック招致の際のマリオ・コスプレも、国民は、税金を使ってブラジルまで出かけ、首相があんなことをする必要があるのか、冷ややかに見ていたのだ。

    さらに、アベノミクスが成功したなどと安倍前首相が言うならともかく、菅首相が言うのだから、どうしようもない。景気回復の実感など誰もないし、地方はますますさびれ、貧困と格差はさらに拡大し、非正規雇用労働者やシングルで子育て、進学などを抱えている人たちは冷ややかにみているし、コロナ感染で雇い止めや失業で収入を絶たれた人たちは、Go Toトラベルもイーツも、何が経済対策だ、恩恵は恵まれたものだけではないかと思っているのだ。

    感染が世界に蔓延し、経済状況はまさしくコロナ世界恐慌で、みんなの生活はいっそうひどいことになり、よくなる見通しはない。日銀短観では中国経済が復活してきたことから自動車や鉄鋼が動き始め、景況感が回復したようだが、いくらイギリスやアメリカでワクチン接種が始まったところで、簡単に終息しないだろう。先行きは不安のほうが多いことは誰もが知っている。
    ……

  • 10面~11面 「余命2年」がん告知された医師 「楽に長生きしましょう」(粟野仁雄)

    『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(宝島社)を8月に出版した関本剛医師(44)の講演が11月12日、三宮で開かれた。「これが私の脳のMRI写真です。がんがはっきり転移しています」と脳の一部が黒ずんだ断層写真をスクリーンに映した。

    だがこの日は医療の専門的な内容ではなく、残り少ない人生を記録していることやその写真などを紹介していた。「私の葬儀で妻に挨拶させるのは忍びない」と自ら参列者にお礼を述べる様子を録画撮りした映像を用意していることを明かした。子供たちのために残した映像や音声もあるとか。「何十年も劣化しないんですよ」。タイムカプセルに何かを入れた子供のようにうれしそうだ。

    介護士、ケアマネジャー、医師ら参加者から質問が相次いだ。「絶望した患者さんに『自殺したい』と言われたらどうすればいいんですか」にも「あなたにだけそれを打ち明けたのなら、一番信頼してくれているということです。大丈夫ですよ」などと答えていた。その語りは、余命2年という「死の宣告」を受けたはずの悲壮感を感じさせない。

    阪急神戸線六甲駅近くの「関本クリニック」の関本院長は東灘区で育ち、中高一貫教育の六甲学院に進んだ。「高校のブラスバンド部でトロンボーンを吹いていました」。阪神・淡路大震災が起きたのは大学受験の直前だ。自宅で寝ていたが家族ともども無事だった。関本さんはブルーシートを屋根に張るなどのボランティア活動をした。関西医科大に進み消化器内科を勉強、大学院で博士号を取得、卒業後は六甲病院の緩和ケアの勤務医となった。「中高も6年、医学部も6年ですから同級生の絆が強いんです」。結婚して2児に恵まれた。

    だが2019年秋、「順風満帆」な人生が一変する。夏から咳がしつこくなったが子供の頃、喘息を患っており空気の悪い場所にいるとたまにぶり返すので気にしなかった。10月3日は六甲病院で胃カメラの仕事をしていたが、妻に「一度診てもらうほうがいい」と言われていたので、同病院の知人の医師に胸部CTを撮影してもらった。だが、医師仲間と一緒に写真を見た瞬間、血の気が引いた。

    「肺がんだ」。がん患者の写真を見てきた関本さんはすぐにわかった。黒い影は胸膜に達し、肺門リンパ節が膨れていた。「これ本当に僕の写真ですか」。だが写真の隅に間違いなく関本剛という字がある。全身が凍り付いた。気を取り直し母雅子さん(71)に電話した。雅子さんは緩和ケア医として専門書なども著している有名な医師だ。だが多くの人を看取ったはずの母も我が息子のまさかの報告に「ええ、どうして……」と涙声で取り乱した。

    後日、妻の運転で神戸市中央病院へ行き、MRIを撮ってもらうが放射線技師のカルテには「大脳、小脳、脳幹への多発転移」とあった。「ステージ4や。手術どころではない。肺がんの脳転移は2、3カ月で死んでもおかしくない」。抗がん剤治療で「余命2年」と知った。妻と2人で泣いた。不治の病が判明してまず考えたのは経済面だった。「将来、子供たちが『お金がないので大学に行けなかった』にはしたくなかった」。任意保険もかけていたが、高額な医療費を出すには可能な限り働くしかなかった。
    ……

  • 12面~13面 世界で平和を考える 続・アフガン取材最新報告(西谷文和)

    10月22日から11月3日まで、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ経由でアフガニスタンに入った。医師でペシャワール会現地代表の中村哲さんが殺害されて1年。中村さんの造られた用水路については前号で紹介した。今月は、なぜアフガニスタンの戦争は終わらないのか、繰り返される戦火の中で人々はどんな暮らしをしているのか……。首都カブールで取材した現実をご紹介したい。

    10月29日、カブール郊外の「チャライカンバーレ避難民キャンプ」を訪問する。ここには約4千人の避難民が土塀とビニールテントで暮らしている。特徴は「昨日、今日逃げてきた人」であふれていること。アフガン南部のへルマンド州ではタリバンとアフガン軍の激しい戦闘が続いている。家を焼かれ、故郷を破壊されて逃げてきた人々が泥をこねて「家」を作っている。土壁はできたが屋根はない。もうすぐ冬がくる。1月には気温が氷点下20度まで下がり、キャンプは凍りつく。人々は着の身着のまま逃げてきているので暖房設備はもちろん、火をおこすマキも石炭もない。子どもたちは裸同然だ。アフガニスタンでは6人に1人が1歳の誕生日を迎えられない。そんな状態の中でコロナ禍が襲いかかる。国連や支援団体が引き揚げていて、支援物資が届かない。「せめて食料を」。キャンプ責任者の求めに応じて30家族分の食料を購入して配布した。大変喜ばれたが、食べたら終わり。私の支援は根本的解決になっていない。乾いた大地に水を引き込んで農業で生活できるようにする。中村さんの用水路は人々を自立させ、希望を与えてくれる。改めて偉大な事業だと思う。

    10月31日、カブール市内中心部の米国大使館から車で5分、インディラガンジー子ども病院を訪問した。特別に許可をもらって乳児病棟へ。栄養失調の子どもが多数ベッドに横たわっている。双子で生まれてきたウスマン君は生後8カ月。痩せた母親の胸にしがみつくのだが乳が出ない。なぜこんな状態まで放っておいたのか。広いアフガニスタンで子ども病院はここだけ。飢えた母親はカブールまでのバス代を調達することができなかったのだ。

    やけど病棟へ。2歳のマルディヤちゃんはパン焼き釜に頭から落ちた。落下した時に両手で踏ん張ったのだろう、両手の指は溶けてくっついたのちに切断された。なぜパン焼き釜に? それは台所の構造。アフガンの貧困家庭はガス調理器もなく、地面に穴を掘って薪で煮炊きする。夜は寒いので、乳幼児が暖を求めて釜に近づいてくる。忙しい母親はその危機を気付かない。悲鳴に気がついた時はすでに子どもは炎の中。そんな悲劇が後を絶たない。

    12歳のラズッラー君はその日、自宅で身を隠していた。銃声が聞こえる。タリバンとアフガン軍の戦闘が始まったのだ。家族と一緒に震えながら戦闘が終わるのを祈っていたその時、爆音とともにロケット弾が飛び込んできた。意識を失い、気が付いた時はこの病院のベッドの上だった。両親と兄弟を失い、5回の手術を受けた。全身大火傷を負ったが生命力が上回った。「もう峠は越えた。大丈夫だ」。医師の説明を聞きながら、彼の目から大粒の涙がこぼれた。

    10歳のアシナちゃんもロケット弾の流れ弾による大やけど。彼女の頭部にロケット弾の破片が突き刺さっていて、頭蓋骨を開けて破片を取り出したばかり。「一晩寝ないで手術したんだ。見ろよ、こんな状態だった」。ポケットからスマホを取り出した医師が頭部切開と脳の中から破片を取り出す様子を見せてくれる。この娘は言葉を喋れるのだろうか。両手両足は動くのか。変わり果てた自身の姿に絶望して自ら死を選ばないだろうか。
    ……

  • 14面~15面 フクシマ後の原子力 地域振興 餌に「ババ抜き」(高橋宏)

    青森県六ケ所村に核燃料サイクル施設を建設している日本原燃は16日、施設の一つであるMOX燃料工場の完成が2年遅れることを発表した。当初の完成予定は2012年だったが、延期は今回で7回目となる。MOX燃料とは混合酸化物燃料の略称で、ウランとプルトニウムを混ぜた軽水炉用の核燃料のことだ。隣接して建設中の再処理工場で取り出されたプルトニウムを原料に、製造が計画されている。

    これまでに何度も触れてきたように、日本は原発から出る使用済み核燃料を再処理し、燃え残りのウランとプルトニウムを取り出して再利用する核燃料サイクルを、原子力政策の要に据えてきた。そして、プルトニウムを「燃やした以上の燃料を生み出す」という高速増殖炉で利用し、日本の電力需要をまかなっていくはずであった。しかし、高速増殖炉開発はとん挫し、原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)は16年に廃炉が決定している。

    いわゆる「高速炉サイクル」が破綻したことで、大きな問題が残された。プルトニウムが消費されることなく、蓄積されるのである。

    日本は既に、イギリスとフランスに再処理を委託して生産したプルトニウムを中心に46㌧弱になっており、非核兵器保有国の中では断トツだ。プルトニウムは容易に核兵器に転用できる物質であるため、海外からは厳しい批判の目が向けられている。仮に、建設中の再処理工場が稼働すれば、その量はさらに増え続けていく。何としてもプルトニウムを発電で消費していかねばならない中で、実用化が図られたのがMOX燃料を使ったプルサーマルだった。

    当初の構想だった核燃料サイクルは完全に破綻している。だが、国はあくまでも核燃料サイクルに固執し、関連施設の建設を進めてきた。要となる再処理工場は、完成時期が何と25回も延期されており、未だに稼働していない。しかも、建設費は当初の7500億円から膨れ上がり、今では3兆円に迫っている。再処理の総費用は、実に13兆9400億円が見込まれているのだ。それだけの巨費を投じて、得られる電力はプルサーマルでは多くは見込めない。

    再処理で生み出される高レベル放射性廃棄物(液体)は、人が近づけば20秒で死に至る史上最悪のゴミだ。NUMO(原子力発電環境整備機構)が担うのは、これの処理・処分なのである。先月号で紹介した和歌山県海南市での「対話型全国説明会」では、改めて廃液をガラスで固めた後、地中深くに埋める「地層処分」の詳細が説明された。

    「対話型」の質疑応答では、担当者が丁寧に回答していたものの、地層処分を納得させるものとは言えなかった。例えば「地層処分以外の処分法について、陸上(つまり人間の目が届く範囲)での長期管理の方が良いのではないか」という問いに対しては「数万年以上も、地上で保管し続けるのは、リスク管理上現実的ではない」という回答だ。また「そもそも再処理をしないで使用済み燃料のまま保管した方が安全ではないのか」という問いには「燃料のままだとガラス固化体に比べるとはるかに巨大になってしまう」という回答だった。明らかに、再処理ありき、地層処分ありきが出発点なのである。

    私は「国の核燃料サイクル政策が将来変更された場合はどうなるのか」と問いかけたのだが、明確な答えは得られなかった。

    そもそも、この説明会の意図は何だったのだろうか。NUMOが言うように「受入地域に対する経緯や感謝の念が広く全国の皆様に共有されることが重要」であるための説明会なのだろうか。実は、処分方法の説明以外に強調されたのが、交付金や様々な支援制度による「地域の課題に貢献する取組」だったのである。
    ……

  • 16面~17面 スーパーシティ構想 個人情報 企業に提供(矢野宏)

    大阪市廃止を問う住民投票が否決されたにもかかわらず、大阪維新の会は府への「広域行政一元化」と「総合区制度」を進める条例案を来年の2月議会に提案するという。さらに、水面下で進められているのが「スーパーシティ構想」だ。2020年最後となる「うずみ火講座」は11月28日に大阪市中央区で開講。奈良女子大教授の中山徹さんが「スーパーシティの危険性」について語った。 

    スーパーシティとは、情報技術とビッグデータなど先端技術を活用して実現を目指す未来都市のこと。政府や自治体、企業、医療機関などが別々に持っているデータを「国家戦略特区データ連携基盤整備事業」で集約し、事業主体となった民間企業が運用する。

    具体的には、キャッシュレス化やマイナンバーカードへの決済機能のひもづけ、ネットを通じた遠隔医療、ドローンによる配送、地域交通の自動走行化、習熟度に応じた遠隔教育の本格的導入などが内閣府の取り組み案として上がっている。

    狙いについて、中山さんは「情報技術とビッグデータを組み合わせることで、大手企業の新たなビジネスモデルを作り出すことだ」と指摘する。「情報産業では米中が覇権争いをしている。日本企業は国際的には太刀打ちできないので、小さな地域単位で新たなプラットフォーム(物事の基礎となる土台)を作り出すことで、ビジネスチャンスを狙っている」

    誰もがサービスを受けることができるのか。

    中山さんは「スーパーシティで提供されるサービスは情報技術を活用したものであり、情報技術が利用できなければ、サービスも利用できない」と語り、「スーパーシティは企業主導で進めるものであり、企業が求める対価が払えない層はサービスから排除されるなど、格差が出てくる」と警鐘を鳴らす。

    コロナ禍の5月に成立したスーパーシティ法には、基盤整備事業の実施主体となった企業は、国や自治体に保有データの提供を求めることができるとの規定が盛り込まれている。個人情報は守られるのか。

    「あらゆるデータが一元的に収集されること自体が問題。どのように運用されているのか、個人情報を提供した市民は確認しようがない。提供され個人情報を削除してほしいと言っても、デジタルデータは一度拡散すれば削除できない」

    情報流失の危険性もあるという。

    「政府は事業者に対して、『サイバーセキュリティ対策等の安全管理基準を規定し、その順守、適合を内閣府が確認する』と言っているが、個人データの流出は過去に何度も起きている。デジタル情報なので一度流失したら取り返せない。顔認証データが流失したら、その人の行動が監視カメラで一生、追跡される」

    中山さんは、「スーパーシティは新たに企業の収益をつくるのが目的だが、国家権力とつながると国民が国から監視される危険性が当然出てくる」と危惧する。

    世界中のスーパーシティのモデルになると宣伝されたカナダのトロントでは、米グーグルと連携し、監視カメラで得た市民の行動記録を都市運営などに活用する計画に「監視社会につながる」と批判の声が広がり、事業撤退に追い込まれた。
    ……

  • 18面 「桜を見る会」前夜祭疑惑 虚偽答弁 次の争点(矢野宏)

    安倍前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の捜査が大詰めを迎えている。毎日新聞が12月19日に朝刊1面で〈安倍前首相 不起訴へ〉と報じ、ツイッター上では安倍氏の刑事責任を求める投稿が広がっている。再燃した「桜」疑惑の本質は何か。安倍氏の起訴はあるのか。政治資金規正法違反などの容疑で安倍氏を告発した一人、神戸学院大教授の上脇博之さんに話を聞いた。

    疑惑の核心とされる前夜祭は2013年から東京都内のホテルで開催。毎日新聞によると、〈安倍氏側がホテル側に支払った開催費用は15~19年の5年間で約2300万円だったが、1人5000円だった会費の総額は約1400万円で、その差額分の約900万円を安倍氏側が補てんしていた〉と報じている。

    後援会が差額分を補てんしていたなら公職選挙法が禁じる寄付にあたり、収支は後援会の政治資金収支報告書に記載されていない。

    東京地検特捜部は、補てんに関わった公設第1秘書らについて、政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴する方針だという。

    安倍氏は不起訴となるのか。上脇さんは「秘書ら2人の罰金刑で終わらせるようなら、東京地検特捜部の存在価値はなきに等しい」と批判する。

    「この問題は、後援会だけでやれることではない。安倍氏は『秘書任せだった』と逃げるつもりなのでしょうが、桜を見る会と前夜祭は安倍氏の日程と調整しないと決まらない。しかも、後援会のメンバーは山口と東京の往復の飛行機代、ホテルの宿泊代、東京観光など、お金がかかるわけです。前夜祭に1万1000円払うとなると参加者が減る可能性もある。安くして参加できるようにしたい。となると、安倍氏に相談するのが当たり前。秘書が勝手に、というストーリーは成り立たない。いわば、安倍氏抜きでは進まない話なのです」
    ……

  • 19面 幼保無償化も朝鮮学校外し(矢野宏)

    大阪市旭区の城北朝鮮初級を応援する市民団体「城北ハッキョ(学校)を支える会」による毎学期に1回の「支える会給食」が11月25日、ほぼ1年ぶりに復活した。園児を含む児童53人は温かいカレーを口に運び、「マシッソヨ(おいしい)!」。その笑顔を奪うような朝鮮学校への「兵糧攻め」が厳しさを増している。 

    朝鮮学校に通う子どもたちには給食がない。「たまには温かいものを食べさせてあげたい」と、支える会では2014年11月から毎学期に1回、給食を提供している。今年は新型コロナウイルスの感染拡大で長期間の中断を強いられたが、「子どもたちの笑顔が見たい」と再開することにした。

    この日のメニューはカレーライスとマカロニサラダ、デザート。米と無農薬ミカンは支援者からの差し入れ。午前中、学校の調理室に集合したメンバーは大村和子さん(76)を中心に、いつも以上に衛生面に気を配りながら手際よく調理していった。

    朝鮮学校を取り巻く環境はますます厳しい。各自治体の補助金は打ち切られ、高校無償化・就学支援金制度も対象外とされ、19年10月から始まった幼保無償化制度からも除外されている。対象は3~5歳児と低所得世帯の0~2歳児で、財源の半分は同じく10月1日に実施された消費増税による税収によってまかなわれる。だが、等しく恩恵を受けるべき各種学校の認可を受けた外国人学校に付属する幼稚園や保育所は除外された。

    現在、各種学校の認可を受けた外国人幼保施設は88校あり、うち半数近い40校が朝鮮学校の幼稚園だ。
    ……

  • 20面 映画「香港画」公開 民主化デモ追う(栗原佳子)

    逃亡犯条例改正をきっかけに激化した香港民主化デモ。その渦中で2人の日本人が取材した短編ドキュメンタリー「香港画」が全国公開される。

    監督の堀井威久麿さん(39)は2019年10月、仕事で香港滞在中、メインストリートでバリケードを築くデモ隊に遭遇した。参加者の若さに驚かされた。高校生やあどけなさの残る中学生までもいた。

    香港政府は同年2月、逃亡犯条例改正案を発表。同改正案の完全撤回、普通選挙の実現など民主化五大要求を求める大規模デモが始まり、デモ隊と機動隊との衝突が激しさを増していた。

    堀井さんが発信する映像に心動かされたのがプロデューサーの前田穂高さん(29)だった。在日香港人の民主派団体などを訪ねるなど国内で準備を重ね、2人は同年11月、香港へ渡った。20年の元旦までの1カ月半、デモの最前線で催涙ガスや唐辛子のスプレーや放水を浴びながら撮影を敢行。拘束されたこともあった。

    香港には共助の精神が息づいているという。しかし、民主派と親中派、警察とデモ隊などと、同じ香港人が分断される現実も突き付けられた。作中、異色の経歴の人物の貴重な声も収めている。キャシー・ヤウさん(36)。デモに対する過剰な暴力などを疑問視し、警察を退職した区議会議員だ。

    撮影からちょうど1年。香港を取り巻く情勢はさらに深刻化している。20年6月、中国政府は反政府活動への統制を強める「香港国家安全維持法」を施行した。最高刑は無期。警察は国安法違反と思われる事柄を通報させる市民ホットラインも設置した。実質的な密告奨励を意味する。

    同年12月には中国に批判的な香港大手紙創業者、黎智英氏が国安法違反罪で起訴。無許可集会扇動罪などに問われた周庭氏には10カ月の禁固刑が言い渡された。登場人物の中にも連絡が取れない若者がおり、案じているという。

    膨大な映像を28分に凝縮した作品。堀井さん、前田さんとも「この現実を、特に同世代を生きる日本の若者に見てほしい」と願う。12月25日から渋谷・吉祥寺アップリンク、21年1月9日から大阪・第七芸術劇場で公開。

  • 21面 経済ニュースの裏側 トランプ後(羽世田鉱四郎)

    米大統領の選挙が終了。希代のペテン師が敗北。ただし、
    敗北したトランプ氏の得票数は7300万票と前回より約1000万票増えているとか。経済の分野から、その背景、今後の動向を考えてみます。

    ■貿易赤字 JETRO(日本貿易振興機構)の資料では、
    ▲7993億㌦(2017年)、▲8803億㌦(18年)、▲8643億㌦(19年)。仮に、1㌦105円で換算すると、19年は90兆円余りの巨額赤字です。国別(19年)では、中国▲3455億㌦、メキシコ▲1017億㌦、日本▲689億㌦、ドイツ▲672億㌦。中国や日本、ドイツになどに、為替圧力を含め、貿易赤字の削減を迫る背景となっています。 

    ■雇用の現状 それに関連し、20年5月の雇用者の割合は、民間が84・1%、政府(軍人含む)は15・9%です。民間のうち製造業は8・8%に過ぎず、サービス業が69・5%を占めています。増えているのは、低賃金のヘルスケア・教育、小売り、派遣(総務・清掃)、娯楽・宿泊など。製造業の海外移転と国内産業の空洞化です。男性の労働参加率(25~54歳)は、日独仏など先進国5カ国で最低の88%。1990年は93%でした。 

    「人口の0・1%の最富裕層(トランプ・ファミリーも含め)が、下位層90%に相当する富を独占」しています。医療分野のセーフティ・ネット(公的医療保険メディケイドなど)も貧弱。コロナ禍での貧困層の感染・死亡が群を抜いており、プワーホワイト(低所得の白人層)の薬物などの絶望死も増大。横道に。製造業で活況なのは軍需産業。日本など同盟国に、軍用機やミサイルを押し付け。そこに多用されるチタン、ニッケル合金のメーカーは、ラストベルトに拠点が集中。原潜の動力源なども、オハイオ州、インディアナ州の中西部に製造拠点があり、大統領選の票が拮抗。 
    ……

  • 22面 会えてよかった 屋宜光徳さん⑫(上田康平)

    1959年6月19日。沖縄の米軍基地で核弾頭を搭載したナイキ・ハーキュリーズが誤って発射され、海に突っ込むという事故が起きた。現在の那覇空港の場所にあったナイキ発射基地で起こったもので、大惨事につながりかねない事故だった。

    しかし核ミサイルの事故であることや核弾頭の搭載有無などは2017年のNHK番組『沖縄と核』で明らかにされるまで住民から隠されていた。

    石川・宮森ジェット機墜落事故

    この頃、住民を巻き込んだ米軍がらみの悲惨な事故が相次いでいる。

    59年6月30日。嘉手納基地を飛び立った米空軍のジェット戦闘機が本島中部・石川市(現在のうるま市)の住宅街に墜落し、付近の家屋を引きずりながら宮森小学校の校舎に激突。エンジンの一部が教室に突っ込み、学校は大量のジェット燃料で激しく炎上した。

    この事故で児童11人、住宅地で6人が亡くなった。(2年生の児童1人が火傷の後遺症でその後、亡くなっている)。重軽傷者は児童156人、 住宅地で54人だった。

    このとき屋宜さんは社会部から通信部(支局の取りまとめ)に移っていた。事故の第一報はコザ支局からすぐ入ってきたという。
    ……

  • 23面 落語でラララ 発想力抜群の奇才(さとう裕)

    それはホンワカした衝撃だった。朝日新聞の「明るい悩み相談室」。明るい悩み、そんな悩みある? テレビで見た相談室長の中島らもは、コピーライターと名乗った。建物の骨格を作る会社のCMコピーを担当して、「家は焼けても骨組み残る」の案を提示、クライアントをア然とさせた。 常識を破る発想の彼が落語を創った。タイトルも「明るい悩み相談室」。演じるのは桂雀三郎。故・桂枝雀の二番弟子で、古典も新作も器用にこなす実力派。マクラで、らもの奇才ぶりを紹介。らもが自作の落語を演じると高座へ。10~15分長々とマクラをやり、こんにちは。こんにちは。誰もおれへんのかいな。こんにちは。勝手に上がったろ。ガラッと開けると、「あ、死んでる」。

    その落語は、定年になって手持無沙汰のチャーリー浜口、人生相談でもやろうと自宅に「チャーリー浜口悩み相談室」の看板を上げる。と、玄関の戸を叩く人、トントントン「ワシ戸叩いてるワシ戸叩いてる」「どうぞお入り」戸を開けると、「戸開いた戸開いた。ワシ中入るワシ中入る」。男が入って来る。「先生いてはる先生いてはる。ワシ先生に挨拶する。先生に挨拶する。こんにちは」。この男、自分の考えや行動が勝手に口から洩れてしまうという性癖があり、困っているという。見ると頭に大きなこぶ。聞くとパチンコ屋で、玉出て来た出て来た、外れた入った、チューリップ開いた……と大声でやってたら、隣の男に「うるさい!」と頭を殴られたと言う。

    聞いたチャーリー浜口、これは自分一人の手には負えん。あんたの家族の理解と協力が必要や、今度家族連れて来てくれと言うと、女房を連れて来てると妻を呼ぶ。声をかけると、「あんた私呼んだあんた私呼んだ私呼んだから私部屋入る」男とそっくりな妻が現れ大騒ぎ。びっくり仰天のチャーリー、1週間後に来てくれと夫婦を返す。ああ、えらい夫婦がいたもんや。ワシ頭痛なってきた。ワシバッファリン呑む。ああ、うつってしもた。
    ……

  • 24面 新連載 極私的日本映画興亡史(三谷俊之)

    1897(明治30)年1月9日、神戸港に到着したフランス郵船ナタル号に中に一人の若き企業家がいた。京都モスリン紡績監査役の稲畑勝太郎だ。

    稲畑は国産のモスリン工場設立の命を受けて渡欧し、1年後に帰国した。62(文久2)年京都生まれの32歳。生家は老舗の菓子舗で、秀才の誉れが高かった。京都府は西洋文化の輸入、特に伝統産業の染織業の発展のため、学生8人を海外留学させた。その1人が師範学校生で16歳の稲畑だった。欧州の絹織物中心地、リヨンに派遣された彼は、アルチニエール工業高校で染織技術の基礎知識を学んだ。ここで後に「映画」を発明するリュミーエールと同窓になった。 稲畑はリヨン大学に進み、85(明治18)年に帰国。京都織物やモスリン紡績の設立に参画、京都織物界の中心的存在となっていった。

    96年3月、モスリンを京都で生産するため再度渡仏する。日清戦争の翌年のこと。新興日本は「坂の上の雲」(司馬遼太郎)を駆け上がろうとしていた時代だった。

    ところで、映画の誕生を、エジソンのキネトスコープとするか、リュミーエール兄弟によるシネマトグラフにするかは説が分かれる。93年に公開されたキネトグラフは、一人でしか見られない覗き眼鏡式の映写機だ。95年12月、パリのカフェで公開されたシネマトグラフはスクリーンによる映写で、現在の映画そのものだ。私はこちらを「映画の誕生」とする説を取りたい。

    稲畑はリヨンで同級生だったリュミエールと再会。彼は稲畑に自らの画期的発明を紹介した。この「動く写真」装置に感動した稲畑は、「欧米の文化を日本に知らしめるには、この新奇なる映画機械に依るが、もっとも適当であることを痛感した」(「稲畑勝太郎君伝」より)として、シネマトグラフ装置2台とフィルムと興行権を購入。リュミエール社の映写技師兼撮影技術者を伴って帰国した。稲畑はモスリン紡績整備とともに、早速試写実験を行う。京都は比較的早く電灯が整備されたとはいえ、電力事情は悪い。
    ……

  • 25面 坂崎優子がつぶやく コロナ禍での出産守ろう

    今年出産した人が何人かいます。報告を受けるたび「このコロナ禍で無事に生まれてくれた」とうれしい気持ちがあふれます。中でも11月に生まれてきた姪の赤ちゃんにはその思いがひとしおでした。1582㌘の小さな体で生まれてきたからです。

    かつては未熟児といわれましたが、小さいからといって未熟とは限りません。そのため今は生まれた時の体重によって、2500㌘未満を「低出生体重児」、1500㌘未満を「極低出生体重児」、1000㌘未満は「超低出生体重児」と称されます。

    予定日よりも2カ月以上早い29週で出産の兆候が表れ、通っていたクリニックに入院。その後数日で破水してしまいます。胎児の大きさは1200㌘。対応できるNICU(新生児集中治療管理室)のある大きな病院に急きょ移されました。

    「今はまだ肺が未熟なので、できるだけお腹で持たせましょう」と治療が始まります。肺の機能を高める薬の注射や陣痛を抑える点滴などが続き、姪は頭痛や腹痛などの副作用に耐える毎日でした。病室には誰も立ち入れません。担当医師から説明を聞けるのも夫一人だけ。母である姉もただ着替えを届けに行くだけでした。

    孤独な姪の不安を和らげようと、私もLINEでメッセージを送り励ましていました。「陸上の山縣選手も2カ月早く生まれたのよ」「今の医療ならしっかり育つからね」「我慢しすぎずしんどさは訴えるようにね」

    治療のおかげで何とか持ち堪え「このまま34週まで頑張ろう」と担当医に言われた矢先に陣痛がきて、33週で生まれました。「小さく産んで大きく育てる」といいますが、小さく産むと母体への負担は軽くなります。姪も出産後しばらくは分娩室で休んだものの、その後は歩いて病室に戻ったというのです。しんどい治療が続いていたので、出産が楽だったのは救いでした。

    赤ちゃんが2300㌘に成長するまでは病院で管理してもらいます。姪は通常通りに退院したため、病院通いが続きます。とはいえコロナで週3回しか我が子に会えません。母乳を絞って限られた日に運び、ひと時ともに過ごして帰ります。

    面会日に撮ったビデオを見ていると、日々成長していることがわかります。初めての母乳は注射器ででした。「まだ無理だろうなあ」と言われながらもしっかり飲んで、病室が沸いていました。いろいろな管につながれている姿は痛々しいですが、たくましく母乳を飲む姿は生命力にあふれ、なんとも言えない幸福感を与えてくれます。
    ……

  • 26面~29面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    体力、気力限界
    農業をやめます

       熊本県 横林政美

    180年以上続いた農業に今年度で区切りをつけます。農作業は身体が資本なので、仕方がありません。米価を支えてきた国による買い入れもなく、貿易自由化で農業の先も見えません。子どもたちに農業を託す状況にはありませんでした。

    1910(明治43)年に16歳で嫁いできた祖母から聞いた話です。

    当時、私の曾祖父母は50歳前後、米や麦、大根、粟などを栽培して暮らしていました。曾祖父は心優しく、祖母は「つらい農作業も義父の優しさに救われた」と話していました。私の祖父は研究熱心で行動力があり、村の稲穂が悪天候で実らなかった年でも我が家の稲穂は黄金色に実ったそうです。以前から田に骨粉を蒔き、「土作りが米作りでは重要だ」と言うのが口癖だったとか。24(大正13)年には、当時としては珍しかったミカンの苗木を植えました。村の人は「何を考えているのか」と笑ったそうですが、先を見る目があったのです。

    私の両親はミカン栽培で私たちを育てました。父は戦争で不自由な身体になりましたが、戦争について語ることは少なく、母と農作業に追われる毎日でした。

    跡を継いだ私は農薬被害の経験から、40年ほど前から熊本県内の農民や婦人団体と農産物の直売運動を始めました。今では、直配はメジャーになっていますが、始めた当時は異端でした。

    祖先が築き、受け継がれてきた農業を絶やさず、農業と食料を守る立場で私と妻は働いていましたが、私が60歳の時に事故に遭遇。その後の医療過誤もあり、介護が必要な身体になってしまいました。以後、農業経営は妻が担っていましたが、年齢とともに薬を服用するようになり、体力、気力の限界を感じ、農業をやめる決断をしたのです。

    水田は「日本の農業、米を守り続けたい」との信念から、今後は仲間に栽培を依頼しました。妻は家の周りにある畑で自給自足の野菜を作りたいと考えているようです。

    2020年は我が家も激動の年になりました。

    (ご自身の代で、代々続けてきた農業を辞めなければならないとは、つらい決断でしたね。長年、お疲れさまでした。くれぐれも体調を崩されませんように)

    ……

  • 28面 車イスから思う事 気がつけば連載10年(佐藤京子)

    パソコンのハードディスクの容量が残り少なくなってきたので、保存ファイルや文章を削除したり、まとめたりと大掃除を始めた。すると、懐かしいメールのやり取りや写真などが次々と出てきた。その度に手が止まって、読み返してみたり、考えこんでみたりで先に進まない。

    仕方がないので1~2日は大掃除を諦めて、過去の自分を楽しむことにした。結局、なぜ保存しているのか、わからないファイルなどを削除して容量を半分ほどに減らした。これで一安心。その時に発掘したファイルの中に「車イスから思う事」の原稿もあった。2011年7月分から現在までの9割ほどが残っている。よくよく考えたら10年を迎えたようだ。

    新聞うずみ火が発行されたときには、郵送されてポストにコトリっと入るのが待ち遠しく何回もポストをのぞいたものだ。楽しくも厳しい視点の記事を読むことが楽しみだった。時々投稿を掲載してもらい、夢心地になった。そして、紙面にコーナーが持てる日が来たらいいなぁと、ぼんやりと思うことがあった。

    そんなある日、日常生活でつまずき、ウツっぽくなってしまった。その時に矢野さんに電話でぼやいた「なんもかんも嫌になった、死んだら楽になるやろか」。すると、携帯電話の向こうから「書いたらええねん、毎月書いておいで、スペース空けて待っているから」と。そして、タイトルも矢野さんのアイデアで「車イスから思う事」に決定した。約束は毎月10日までに原稿を送信すること。それがなかなか守れずに1日遅れ、2日遅れとなり、今では15日必着が暗黙の了解となっている。
    ……

  • 30面 うずみ火掲示板(矢野宏)

    「新聞うずみ火」恒例の忘年会は、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらないため、東京は中止。大阪は12月12日に規模を縮小して行った。

    この秋に創刊15年を迎えることで、お礼の会を計画していたが、コロナ感染拡大で延期。せめて、東京と大阪での忘年会ではお酒を飲めない読者との交流も考え、東京では茶話会、大阪ではボーリング大会を企画した。

    ところが、コロナの「第3波」が到来。師走に入ってから東京や大阪では感染者数や重症者数が連日のように過去最多を記録するようになった。コロナ感染防止を考え、東京での忘年会を急きょ取りやめ、大阪では三密を避けての開催となった。

    午後2時、うずみ火読者の椎野昇次さんが支配人を務める神崎川ダイドーボールで、ボーリングを3ゲーム楽しんだ後、大阪市淀川区の韓国料理店「セント」へ。乾杯の後、2種類の韓国鍋や総菜、キンパなどを食べ、バーカウンターに並べられた焼酎や日本酒、マッコリなどを自由に飲みながら交流を深めた。

    また、13日の埼玉読者の会は予定通り、熊谷空襲のフィールドワークを行い、松本直樹さんと神崎将慶さんら初参加を含め7人が参加した。詳細は来月号で。

  • 31面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    11月2日(月)
     矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。前日、大阪市を廃止し特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」が再び否決された。MBS報道局の柳瀬良太記者に住民投票について話を聞いたあと、ワシントンで取材中のジャーナリスト立岩陽一郎さんに電話をつなぎ、米大統領選の最新情報を伝えてもらう。
    11月3日(火・祝)
     矢野、栗原 午後、旭区の城北朝鮮学校の秋祭りへ。
    11月5日(木)
     矢野 夜、大阪・十三の第七芸術劇場で映画「アウステルリッツ」試写会。夜、松井寛子さんの「風まかせ」へ。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    11月9日(月)
     栗原 午後、大阪市役所で市民グループ「みんなで住民投票」が大阪市廃止の賛否を問う住民投票に際し、市内の外国籍住民にアンケートした結果を発表、取材。
    ……

  • 32面 空襲証言DVD制作へ 平和学習を支えるために(矢野宏)

    戦後75年を迎え、新聞うずみ火では空襲体験者の証言DVDを制作するため、インターネットを通じて支援を呼びかけるクラウドファンディングに挑戦しました。おかげさまで、期限までの3カ月で目標額の60万円に達することができました。コロナ禍で、何かと大変な時にご協力下さり、ありがとうございました。

    皆さまからの支援金で、年明けから体験者への取材に取りかかります。朝鮮半島から大阪にやってきて空襲に遭った体験者にも可能な限りインタビューを試みるため、インタビュー予定者が増えそうです。

    「ネットはわからないので、協力の仕方がわからなかった」というお便りもいただいております。もし、ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、今後ともお力添えいただけると幸いです。

    ご支援コースと、それぞれの返礼を紹介します。
    ①3000円コース(空襲ブックレット1)
    ②5000円コース(空襲ブックレット1、2と証言DVD)
    ③1万円コース(空襲ブックレット1、2と証言DVDと「新聞うずみ火」1年分)
    ④3万円コース(空襲ブックレット1、2と証言DVDと「新聞うずみ火」2年分)

    振込は郵便局からお願いします。
    平和学習を支える会
    ①ゆうちょ銀行
    店名(店番)四〇八
    普通 記号14030 番号22963181
    ②郵便振替 00920・9・173051
    振込用紙に、コース名、郵便番号、住所、氏名、電話番号をご記入の上、振り込んでください。

    無理のない範囲でよろしくお願いたします。

    完成予定は2021年3月。上映会を開くほか、学校での平和学習のため、無償で貸し出します。

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