新聞うずみ火 最新号

2021年11月号(No.193)

  • 1面~5面 高次脳機能障害を考える「先見えぬ不幸と生きる」(矢野宏)

    交通事故や脳卒中、脳炎など脳が傷つくことで発症する「高次脳機能障害」。全国に推計50万~60万人の患者がいるとされ、記憶力や集中力の低下、倦怠感、感情のコントロールが難しくなるなど、症状は多岐にわたる。その一つ、頭にモヤがかかって思考力が働かない「ブレインフォグ」(脳の霧)が新型コロナウイルスの後遺症にあてはまるとされ、注目されている。いつ、誰でも起こりうる脳障害、先の見えない不安の中で懸命に生きている人がいる。
     
    「夫の右脳は豆腐をつぶしたような状態でした。怒る部分も欠落したのか、大きな赤ちゃんになってしまいました。もう37年です」
     
    高次脳機能障害の夫を介護する村山眞子さん(73)はそう言ってほほ笑んだ。その隣で、車いすに座った曻(しょう)さん(74)がニコニコしている。
     
    2人を大阪府富田林市の自宅に訪ねたのは14年ぶり。創刊間もない新聞うずみ火で「ホワイトカラー・エグゼンプション」、いわゆる「残業代ゼロ制度」を取り上げるため、曻さんが過労死寸前まで追い詰められ、命と引き換えに重度の障害を背負うことになった経緯を聞いた。
     
    ホワイトカラー・エグゼンプション推進論者が「経営者は『過労死するまで働け』なんて言いません。過労死を含めて自己管理です」と発言したことに、眞子さんは「私も同じような言葉を夫が倒れて2日目に社長から聞きました」と切り出し、こう警鐘を鳴らした。「過労死するのも悲劇ですが、私たちのように、夫が社会復帰できない状態になって人生を過ごすこともあるのです。本人はもちろん、家族の人生も変えてしまいます」
    ……

  • 6面~7面 大阪の市立高校 府に無償譲渡「『市民に損害』市長を提訴」(栗原佳子)

    いわゆる「大阪都構想」が昨年11月1日の住民投票で否決されてまもなく1年。大阪市廃止・分割に市民は再びノーを突き付けたが、4月には政令市・大阪市が持つ広域行政の権限を府に移管する府市一元化条例が施行された。来年4月には大阪市立の高校が府に移管され、土地建物全てが無償譲渡されることに。これに対し、卒業生ら市民5人が大阪市長を相手取り住民訴訟を起こした。「高校移管で大阪市民は大損害を被る」と訴える。

    大阪市立の高校を府に移管させる条例案は昨年12月、府・市議会で可決。市立の高校21校が廃止され、2022年度から府立に移管されることが決まった。政令市から都道府県への移管は全国でも例がないが、大阪維新の会が「府市一元化」、「二重行政」を解消するなどとして「大阪都構想」=大阪市廃止・分割を前提に推進してきた。
     
    そもそも大阪の高校教育は府立が普通教育、市立は商業や工業などの実業教育が中心と役割分担されてきた歴史がある。そんな中、大阪維新の会代表で大阪市長だった橋下徹氏が11年、移管を打ち出した。市議会の反発でいったんは立ち消えたが、府知事・市長を入れ替える19年4月のクロス選挙で維新が大勝すると息を吹き返す。2度目の住民投票実施が現実味を増す中、同年9月、府教委と市教委が移管で合意した。大阪には堺市、東大阪市、岸和田市にも市立高があるが、「二重行政」としてやり玉に上げられたのは大阪市のそれだけだ。
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  • 8面~9面 滋賀県警、えん罪女性を犯人視「無罪否定の嫌がらせ」(粟野仁雄)

    滋賀県の湖東記念病院で男性患者を殺害したという濡れ衣で満期服役し、昨年3月に再審無罪となった元看護助手、西山美香さん(41)が県と国を相手に損害賠償を求めていた訴訟で、県警側が大津地裁に出した準備書面で西山さんの無罪判決を否定した問題。県警の滝澤依子本部長が10月16日に記者会見した。
     
    書面の提出過程について「決済し、随時報告を受けていたが(県警側の)主張を正確に表現できていなかった。申し訳なく思う」と釈明した。 「今後は関係者の心情に留意し、丁寧に対応することを内部で徹底する」などと話したが、真意は何だったのか。
     
    問題を振り返る。2003年に湖東記念病院で死亡した男性患者について「人工呼吸器のチューブを外して殺した」との殺人罪で懲役12年を服役した西山さんは昨年12月に国と県に計約4300万円の損害賠償を求めた。
     
    ところが9月15日、県警は「心肺停止状態に陥らせたのは原告である」との準備書面を地裁に出した。確定判決まで否定された西山さんは「書面の内容は嘘で怒り心頭です」と記者会見した。代理人の井戸謙一弁護士は「再審無罪が確定した今も西山さんが殺人犯であるとの姿勢を崩しておらず、強い憤りを覚える」と話した。
     
    判決では西山さんが取調刑事(山本誠)に恋慕したことを利用し、刑事が虚偽自白へ誘導したことが指摘されている。だが、書面では「取調担当官に好意を寄せて虚偽の殺害行為を自白するなどありえない」と否定していた。山本刑事に会いたかった西山さんが呼ばれてもいないのに警察署に出向いたことを「原告の捜査攪乱を図る生来的ないし戦術的意図から生じた奇異な行動に過ぎない」とした。
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  • 10面~11面 やまけんのどないなっとんねん「アベノミクス決別せよ」(山本健治)

    自民党総裁選・衆院解散・総選挙、公約発表・首相記者会見と、日々時々刻々状況変化すると、継続して追及しなければならない問題が忘れ去られてしまうので、復習になるが、この間の流れを整理し、問題点を記しておきたい。
     
    その前に今回の総選挙について、安倍元首相が1年数カ月前に政権を投げ出しておきながら、いまはキングメーカー気取りで「コロナ脱却V字型回復選挙」などと言うのはおこがましい限りであり、こんなことを言わせておく限り、岸田首相がいくら「未来選択選挙」と言ったところで、安倍・麻生・甘利の操り人形でしかない。
     
    また、「新しい資本主義」を掲げ、成長と分配の好循環をつくりだすと、150年前の「日本資本主義の父・渋沢栄一」の玄孫を引きずり出して「新しい資本主義実現会議」を発足させたところで、アベノミクスを進めた結果、格差が拡大、貧困が深刻になったことを総括・反省しない限り、何も始まらない。こんな安っぽい会議で日本経済は回復しない。私は以前から「日本はすでに衰退国」と言ってきたが、一からやり直さない限り未来はない。いつまでたっても国産ワクチンも内服薬もできないことが示すように生産も研究もダメになっている。まずは「アベノミクス」と決別することである。
     
    また、200年ほど前のイギリス産業革命当時に提起され、それを30~40年前に大平元首相が焼き直した「田園都市国家構想」に、岸田首相が政調会長時に「デジタル」をかぶせて作文したものを地方再生の決め手のように言っているのだが、こんな言葉遊びで地方は元気づかない。もっと厳しい。それすらわからないようでは首相など辞めた方がいい。

    自民党が選挙公約と同時に発表した「政策BANK」に「子育て対策」として「こどもどまんなか基本法」制定と「こどもどまんなか支援事業」の推進を記しているが、こんなネーミングで国民がだまされると思ったら大間違い。今頃「子ども食堂」を視察し、支援すると言ったが遅すぎる。
     
    コロナ感染予防で家で過ごすことが多くなり、不登校、DV、児童虐待などが増えている。大阪では男児が同居の男に虐待で殺される事件が起きた。児童相談所・子どもセンターなどの体制強化、対応人員の増員・育成など子どもを守る体制の強化が喫緊の課題だと叫ばれてきたにもかかわらず対応できていない。亡くなると、しっかり検証すると言い、報告書が出されると、それで終わっている。
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  • 12面~13面 フクシマ後の原子力「広島出身の首相に注視」(高橋宏)

    新型コロナウイルス感染拡大の第5波が猛威をふるう中、自民党の総裁選が行われ、岸田文雄新総裁が誕生した。そして、野党が再三にわたって召集を求めてきた臨時国会が、10月4日にようやく開かれ、首相指名選挙が行われた結果、岸田氏が選出された。そして岸田新内閣の下で衆議院が解散され、4年ぶりの総選挙が実施されることになった。
     
    新内閣発足後の世論調査では、歴代の政権発足時と比較しても低めの数字が並んだ。総裁選での公約が次々とトーンダウンし、森友・加計問題をはじめとした安倍・菅政権の過ちを正そうとしない岸田首相の姿勢が、早くも失望を招いた結果であろう。総選挙において、政権与党は相当数の議席を失うかもしれない。それでも何とか難局を乗り切り、首相の座を死守した場合、私は一点だけ岸田首相に期待していることがある。
     
    それは彼が広島県選出の国会議員で、4人目の広島出身の首相であることによる。そして岸田首相は、昨年10月『核兵器のない世界へ』という著書を出版し、そのまえがきで「核全廃」という松明を「この手にしっかりと引き継ぎたい」と心に誓ったと述べているのだ。所信表明演説でも、同様の趣旨を力説していた。核兵器禁止条約の成立に尽力したサーロー節子さんと遠い縁戚関係にあるという、岸田首相の核全廃への誓いに嘘がないならば、ぜひ批准に向けて舵を切ってもらいたい。
     
    2017年、加盟国の3分の2にあたる122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約に、日本はアメリカをはじめとした核保有国と歩調を合わせてボイコットした。採択後、安倍元首相や菅前首相は、広島・長崎の原爆忌におけるスピーチにおいて、同条約について全く触れない姿勢を貫いてきた。批准国が50カ国に達し、今年1月に発効した後、広島・長崎での記者会見で菅前首相は「現状では核兵器国や多くの非核兵器保有国からも支持を得られていない」として「署名することは考えていない」と言い切っている。
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  • 14面~15面 世界で平和を考える「アフガニスタンの悲劇」(西谷文和)

    8月15日午後3時ごろ、「東京でコロナ感染爆発。医療崩壊寸前」というニュースが流れ、テレビに向かって「オリンピックを強行したからや!」と、「菅政治」への怒りを募らせていた時、「ニシ、大変だ。タリバンがカブール郊外10㌔まで迫ってきた」。アフガニスタンの通訳アブドラから緊急メールが入る。「えっ、そんなに近くまで!アフガン政府軍が街を守っているやろ?」「いや、政府軍は逃げた。みんなパニックになって空港に向かう者、陸路でパキスタンへ逃げ出す者で国道が大渋滞だ」
     
    アブドラによれば、カブールの公園や病院、学校の中庭には野宿をする避難民であふれかえり、地方都市では米軍に協力した人々が殺され、その遺体が街に捨てられている、という。
     
    16日、空港の実態が明らかになった。人々は空港に殺到し、飛行機に乗せろ、乗せないで、大きな騒動になり、暴徒と化した人々を米兵が撃ち殺してしまうという悲劇もあった。アブドラが送ってきた中に、捨てられた赤ちゃんの写真があった。ちょうど前夜にNHKのBSで「大地の子」を放送していたので、これは現代の中国残留孤児だと感じた。なお、この赤ちゃんは今、無事に保護されている。
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  • 16面 大阪大空襲の証言DVD完成 「平和学習に役立てて」(矢野宏)

    完成したDVD「語り継ぐ大阪大空襲」は約30分。小学校高学年でも集中力が途切れることなく視聴できる時間内に収め、45分の授業内に感想文を書いたり、意見を出し合ったりできるようにした。
     
    映像に登場するのは、空襲時に12歳以下の子どもだった女性3人。
     
    大阪市東住吉区の藤原まり子さん(76)が生まれたのは1945年3月13日。2時間後に第1次大阪大空襲に遭い、左足に大やけどを負った。膝の関節から下が内側に曲がり、中学2年の時、ひざ上10㌢のところで切断した。「空襲の記憶はないが、私の身に降りかかった戦争の苦しみは、一日も忘れたことはありません」と訴える。
     
    大阪府田尻町の吉田栄子さん(87)は淡輪村(現・岬町)に疎開中、第1次大阪大空襲で大阪市浪速区の自宅と軍艦などを磨く布バフをつくる工場が全焼。両親と2人の姉、弟、同居していた叔父家族ら9人を亡くし、10歳で孤児になった。戦後、親戚宅を転々とし、「気に入られなければと顔色をうかがい、言われるよりも先に動いた」という。
     
    滋賀県野洲市に住む在日朝鮮人2世の鄭末鮮(チョン・マルソン)さん(88)は45年6月7日の第3次大阪大空襲で被災。当時、大阪市東淀川区で暮らしていた母と兄、妹、弟が1㌧爆弾の直撃を受けて亡くなった。鄭さんは朝鮮人であることを隠し、戦後を生きた。戦争と貧困によって日本語の読み書きを学ぶ機会を奪われた。70歳の時に中学校教師から読み書きを習い、空襲体験を語るようになった。「子どもたちによく言うんです。戦争は絶対にあかん。差別したらあかん。人をいじめたらいつか自分に返ってくると」
     
    昨春からのコロナ禍で、小中高校で空襲体験者の話を聞く平和学習が相次いで取りやめになった。体験者の記憶を記録に残すため、クラウドファンディングで制作費を募り、コロナ感染が収まるのを待ち、7月からインタビューを開始。ABCリブラディレクターの尾川浩二さんが撮影・編集を担当してくれ、9月上旬に完成にこぎつけた。
     
    完成したDVDはクラウドファンディングに協力してくれた支援者に送るとともに、大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)に寄贈し、小中高校の平和学習に無料で貸し出してもらうことにしている。

  • 17面 大阪にもあった中国人強制連行 犠牲者追悼 史実継承を問う(栗原佳子)

    アジア太平洋戦争末期、大阪に強制連行され過酷な労働を強いられた中国人犠牲者の追悼会が10月16日、大阪市港区の追悼記念碑前で行われた。市民らでつくる「大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会(冠木克彦代表)」が毎年この時期に開催しているもので、今年で24回目。参加者は追悼慰霊碑に手を合わせ、両国の友好平和と強制連行の史実継承を誓いあった。

    中国人強制連行は戦時中の労働力不足を補うため、産業界の要請に応えて実行された。1942年、日本政府は「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定。外務省の「華人労務者就労事情調査報告書」によれば、43年から敗戦までに戦闘の捕虜、拉致した民間人など3万8935人を監禁状態で日本に連行し、全国の炭鉱やダム建設現場など135事業所で酷使した。死者は全体の17%、6830人に及んだ。
     
    大阪は当時、陸軍造兵廠や軍事物資輸送の港を有する一大軍事都市。1000人超が連行され、築港(大阪港)、安治川河口、造船所など5カ所の事業所で港湾の荷役労働などに就かされた。不十分な食糧、劣悪な生活環境、監督によるリンチや暴行などによって1年足らずで86人が亡くなった。戦後のBC級戦犯裁判では、「花岡事件」で知られる秋田の鹿島組花岡事業所とともに、大阪築港の事業所について有罪判決が出されている。
     
    大阪で中国人強制連行の掘り起こしが始まったのは90年代。戦犯裁判の資料や当時の名簿などを元に、実行委のメンバーらが中国での現地調査を重ねてきた。生存者や遺族の消息を尋ね歩き、拉致現場を確認。証言を聞き取るとともに、何度も大阪に招いた。98年には生存者同席のもとで初の追悼の集いを実施した。2005年には大阪港の水際にある天保山公園に日中友好の追悼記念碑を建立、以来この場所で追悼会を行ってきた。
     
    追悼記念碑には「彰往察来」の4文字が刻まれている。中国の易経の言葉で「過去をあきらかにし、未来を察する」という意味。実行委の有元幹明事務局長が繰り返し現地調査に足を運ぶ中、中国の研究者から「この言葉を日本に持って帰ってほしい」と頼まれたという。「あったことはあったこと。きちんと受け止めなければ」と有元さん。
     
    この日の参加者は20人。追悼記念碑に花を手向け、プレートに位牌のように刻まれた犠牲者名に黙礼した。実行委の冠木代表は「ささやかな活動だが、戦争へと向かう世論に対し平和を訴える力を持っていると信じている」とあいさつ。実行委が長く取り組んできた日弁連への人権救済申し立ての準備が最終段階だと報告した。日本政府と企業に対し真相究明、謝罪、金銭補償も含めた被害回復のための適切な措置を求める方針だ。
     
    実行委のHPでは申し立ての基礎内容となる中国人145人の個々の被害事実などを公開している。「大阪にあった中国人強制連行」で検索を。

  • 18面 水俣病65年 関西訴訟17年 いまも続く患者の苦悩(栗原佳子)

    関西水俣病訴訟の元原告や支援者らでつくる「チッソ水俣病『知ろっと』の会」(大阪市)が10月17日、「最高裁判決17周年のつどい」をオンライン開催した。元原告らが思いを語り、水俣病公式確認65年となるいまも続く健康被害や救済策の不十分さを浮き彫りにした。

    公害の原点ともいわれる水俣病は、熊本県水俣市のチッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀によってもたらされた。当初は劇症型と呼ばれる重症患者が数多く出たが、いまは頭痛や手足のしびれ、耳鳴りなど慢性的な症状に苦しむ人たちが大半だ。
     
    関西訴訟は1982年、ふるさとを離れた未認定患者が損害賠償を求めて国や熊本県、原因企業のチッソを訴えた裁判。係争中の95年、国は自らの責任を認めないまま、見舞金で政治決着をはかったが、関西訴訟の原告団は受け入れを拒絶、裁判を続行した。

    2004年の最高裁判決はチッソだけでなく、初めて国と県の行政責任を認めた。水俣病患者かどうかの認定基準についても、複数症状を必要とする国の基準(いわゆる「77年基準」)に対し、一定条件を満たせば感覚障害だけで認定できるとした。
     
    しかし行政責任が明確に認められたにもかかわらず、国は基準を改めなかった。09年、特措法で幕引きをはかったが、年齢や地域の線引きで申請6万人に対し、救済されたのは3000人。症状を訴える人は不知火海沿岸に広がるが、国は健康調査すらしていない。未認定患者は約7万人。全国で1500人が裁判を続ける。
     
    「つどい」ではまず元原告の小笹恵さん(68)=松原市=らが体験と実情を語った。
     
    小笹さんは水俣市対岸の獅子島(鹿児島県)で生まれた。17歳の時、父・岩本夏義さんの出稼ぎ先・大阪に一家で転居。夏義さんは初代原告団長を務めたが1994年に71歳で死去。遺志を継ぎ、原告に加わった。
     
    最高裁勝訴も束の間、両親の県への認定申請は失効。門前払いされた。「自分が認定されて両親の無念を晴らそう」と県に申請したが、体調悪化で、特措法による和解に応じ認定を取り下げた。共にたたかってきた人たちに誰にもずっと言えなかった。
     
    幼少期から転びやすいなどの症状があったが、原告になるまで「それが普通」だと思っていた。最近は症状が顕著になり、頭痛も悪化。「先日、怒りに満ちた父の日記を改めて見る機会がありました。このままで終われない。水俣病は終わっていないのです」
     
    「第2世代訴訟」は小笹さん世代の未認定患者が国、熊本県、チッソに補償を求め、最高裁で係争中だ。熊本、鹿児島両県に患者認定を求める行政訴訟は11月26日に熊本地裁で結審する。
     
    原告側意見書を書いた阪南病院(松原市)の村田三郎医師は「私たちは少なくとも感覚障害があれば水俣病と認めるべきだと主張しているが、国やチッソ側は御用学者を動員。代理人も原告を『ニセ患者』扱いする」と憤った。
     
    昨年11月、関西訴訟2代目の原告団長、川上敏行さんが95歳で死去。思い出を語り合うとともに、川上さんの十八番だった相撲甚句で偲んだ。

  • 19面 映画「屋根の上に吹く風は」授業、テストのない「学校」(栗原佳子)

    「新田サドベリースクール」は2014年、智頭町の父母らが開いた学び舎だ。学校教育法上の「一条校」ではなく、子どもたちは地元の小中学校に籍を置いている。
     
    モデルは米国の「サドベリー・バレー・スクール」。日本では新田サドベリーなど9校がネットワークに加盟、部分的に取り入れた学び舎を含めると約20カ所あるという。
     
    子どもの主体性を尊重した教育が特徴で、クラス分けもなく、何をして遊ぶか、何を学ぶかも全て自分で決め、自分のペースで学ぶ。話し合いを大切にし、ルール作りから運営、予算、先生に相当する「スタッフ」の雇用なども全員で決める。「デモクラティックスクール(民主主義の学校)」とも称されるゆえんだ。
     
    テレビドキュメンタリーなどを数多く手がけてきた浅田さんは17年、夫の故郷、鳥取に帰省中、新田サドベリーの存在を知り、義務教育とは全く違う学びに衝撃を受けたという。18年2月から1年4か月にわたり、四季折々の自然に囲まれた「学校」を記録。この作品が映画第1作となる。「昭和の教育が正しいという価値観とは全く逆。最初はついていけないところもありましたが、徐々に固定観念がなくなっていきました」と振り返る。
     
    悪戦苦闘しながら考え、自分で決める子どもたち。しっかり見守りながらも、口出ししない基本を貫く難しさに葛藤する大人たちスタッフ。ここに通わせながらも、将来の不安を口にする母親。ここの教育になじめずに離れていった親子も。地域の人たちも「義務教育なのに大丈夫なの?」と戸惑う。そんなありのままを淡々と描いた。「サドベリー教育とは何かを説くのではなく、人間ドラマを描きたかった」と浅田さん。
     
    不登校の小中学生は20年度に19万人を超えた(文部科学省調査)。浅田さんは「学校教育を否定するつもりはありませんが、従来とは別の教育スタイルも社会に受け入れられていいのでは」と提起する。
     
    タイトルは学び舎の三角屋根に上って遊ぶ光景から。「その場所に新しい教育の風が吹いている気がしました」
     
    東京・ポレポレ東中野、京都シネマで上映中。愛知シネマスコーレで10月23日から。

  • 20面 読者近況(矢野宏)

    ■ハンセン病取材20年
     
    ハンセン病問題の取材を続ける三重テレビ放送の報道制作局長、小川秀幸さん(55)が「虹の向こうには 為さん・大作さんの言葉」を皓星社から出版した。副題に「ハンセン病取材20年の記録」とあるように、2001年の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の判決を機に取材を始め、ハンセン病を題材にした9本のドキュメンタリーを制作した。
     
    本書の舞台は二つの国立ハンセン病療養所がある長島(岡山県瀬戸内市)。三重県出身の入所者「為さん」(享年86)と「大作さん」らの証言や帰郷の現状、元患者家族の被害など、番組で伝え切れなかった話も盛り込んでいる。
     
    また、コロナ禍で元患者や家族が偏見や差別にさらされている実情に触れ、こう訴える。「ハンセン病問題は過去のこと、他人事ではない。偏見や差別と決別できずにいるなら、それが自分や家族に跳ね返ってくることも覚悟しなければならない」
     
    ドキュメンタリー番組でナレーションをつとめた俳優の常盤貴子さんの寄稿も収録。1980円。 

    ■絵手紙集を出版

    大阪府茨木市の絵手紙講師、浜野絹子さん(82)が「絵手紙いろいろ」を出版した。市内の公民館などで絵手紙や水彩画を指導していたが、コロナ感染の影響で1年半ほど休講続き。10月から再開したが、三つの教室を閉じた。
     
    浜野さんは6歳の時、堺大空襲で母と弟を亡くした。寝たきりの母親に家から出されて一命をとりとめた体験を題材に、作家の早乙女勝元さんが絵本「おかあちゃん、ごめんね」を制作。浜野さんは絵手紙を教える傍ら、戦争の語り部として小中学校で自らの体験を語ってきたが、コロナ禍で平和学習の機会も奪われた。
     
    絵手紙集はハガキ大の大きさで、2011年から10年間に描いた64点が収められている。「みんなで肩を寄せれば」は「空襲のあと、見ず知らずのおばさんらと寝た時の温かさが忘れられなくて」。800円。浜野さん(072・624・3130)まで。

    ■中西和久さん朗読教室
     
    俳優の中西和久さんが指導する朗読教室が10月1、2の両日、大阪府茨木市の茨木クリエイトセンターで開かれ、市民20人が受講した。
     
    茨木ゆかりの作家、川端康成の作品をテキストに選んでおり、7年目の今回は「雪国」。
     
    「語ることはその人の人生そのものです。美しく正しい日本語を学ぶことは大事ですが、表現はそれから向こうにあるもの。一緒に言葉の旅をしましょう」と語りかけ、声を出すためのストレッチ体操からスタート。これまでと趣向を変えてラジオドラマのような朗読を心掛けた。
     
    次回は12月17、18の両日、午後2~4時で受講料は2000円(2回通し)。市文化振興財団(072・625・3055)まで。 

  • 21面 経済ニュースの裏側「イスラム」神ゆだね、穏やかに(羽世田鉱四郎)

    起源 570年、アラビア半島のメッカでムハマンド(マホメット)が生誕。40歳の時、大天使ガブリエルから神の啓示を受け、以降、預言者(神の言葉を預かる者)として活動。「イスラム」とは「神様にすべてを委ねる」という意味です。

    一神教 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ神様(唯一神)に帰依します。時の流れから、唯一神は①ユダヤ人のモーゼに②次にイエス、最後に③ムハマンドにも託しました。モーゼは民を連れ、カナンの地(イスラエル)に到着する寸前に息絶えたとか。キリスト教はユダヤ教から分かれ、キリスト本人は、ユダヤ人のユダヤ教徒。キリストは、ギリシャ語で「救世主」を意味します。  

    スンニ派とシーア派 イスラムの教えや慣習を重視するのがスンニ派。イスラム教徒の85%を占めます。シーア派はムハマンドの血統を重視し、15%程度。イランはシーア派で、隣国イラクも大半がシーア派です。教義に大きな違いはなく、時の政治権力の都合で仲違いしているだけです。ムスリム(イスラム教徒)は、唯一神アッラーに全てを委ねています。シャリーア(イスラム法)は、ムスリムが従うべき規範であり、厳格に対応するか(ワッハーブ派)どうかで大きな違いが出ます。このワッハーブ派を保護したのが、アラビア半島の豪族サウド家で、サウジアラビアを建国。同時多発テロの首謀者の一人、オサマ・ビンラディンも同国の出身で、ワッハーブ派です。女性は保護の対象で、「慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、(中略)美しいところは人に見せぬよう」「必ず長衣で体を包み込んで……」とコーラン(ムハマンドの言葉)の記述を厳守しています。アフガニスタンのスンニ派のデオバンド派も同じ流れです。
     
    中東混乱の要因 最後のイスラム王朝、オスマン帝国は中東を支配していましたが、第一次大戦で英仏が中心の西欧列強に敗れ、サイクス・ピコ協定(1916年)で解体、領土が分割されました。その後、イスラム復興運動が勃発、シオニズム運動(ユダヤ人の祖国復興運動)への反発、石油利権を巡る欧米の中東政策、米国寄りのペルシア湾岸諸国(イラン、イラクを除く)、内乱と混乱が続き、湾岸戦争、アフガニスタン紛争、同時多発テロが勃発し、今日に至っています。イスラム過激派も混乱に乗じ、活動を激化させています。
     
    アフガニスタン紛争 旧ソ連邦には、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスなどのイスラム諸国が含まれています。1973年にソ連は傀儡政権を擁立しましたが、思惑が外れ、79年にアフガンに侵攻、これに抗したムジャヒディン(イスラム聖戦士)を米国が隣国パキスタン経由で支援、パキスタンも、対立していたインドへの戦略から、難民キャンプでデオバンド派の神学校を設立し、タリバン(神学生)を育成しました。ソ連が敗退・撤退しましたが、次は米国と敵対関係になった経緯があります。
     
    イスラムの教えは、全てを神にゆだね、富の分配で不公平や不平等をなくし、穏やかに暮らすことです。

  • 22面 会えてよかった 辻あきらさん③ 入所者聞き取り調査に参加

    辻さんが邑久光明園で入所者と出
    会ったことは人生の大きな出来事だ
    ったが、沖縄への進学という選択が、
    さらなる道と結びついていた。
     沖縄の大学に進学
     1997年、琉球大学に入学。大
    学近くのアパートに住むことになっ
    た。なんで沖縄にと聞くと違う文化
    にひかれたとのこと。
     実は、95年、高2のときの修学旅
    行が沖縄だった。1週間の旅行。元
    ひめゆり学徒隊の宮良ルリさんや、
    伊江島のわびあいの里で阿波根昌鴻
    さんのお話を聞き、読谷村の知花昌
    一さんにチビチリガマを案内しても
    らった。海のきれいさや自然の豊か
    さも心に残ったが、ガマで聞いた知
    花さんの話が特に印象に残ったとい
    う。学校にはマイノリティに寄り添
    う姿勢があり、いろんな人と出会う
    環境づくりをしていた。
     そしてびっくりしたことはーーー
     辻さんは6月の修学旅行の後、夏
    に再び沖縄に来ている。2週間の一
    人旅。福岡から自転車で鹿児島へ。
    お寺に泊めてもらった
    こともあった。父の知
    人宅に自転車を預け、
    船(1日半)で那覇港
    へ。沖縄では海に行っ
    たり、ちょうど旧盆で
    エイサーを見たり…。
    帰りはまた自転車で鹿
    児島から福岡へ。
     関係をつくりたいと
      思ったが
     琉大に入学して、沖縄のハンセン
    病療養所、愛楽園と関係つくりたい
    と愛楽園内の祈りの家(プロテスタ
    ント系の教会)の日曜礼拝に出かけ
    た。しかし、ここでは関係性をきず
    くことができなかった。
     大学在学中の98年に「らい予防法」
    違憲国家賠償請求訴訟が始まり、2
    001年、同訴訟の勝訴が確定。社
    会的にも大きな出来事であったはず
    だが、どのようにかかわればいいの
    かわからなかった。
     琉大での専攻は文化人類学。違う
    文化をフィールドワークして記述、
    学んでいく学問とのことである。
     入所者聞き取り調査に参加決める
     01年の国賠訴訟勝訴後のことであ
    る。大学の掲示板に、退所している
    回復者のお話を聞く会の開催と参加
    をよびかける張り紙があった。
     それで会に参加し、退所者の方の
    お話を聞き、会を主催した森川恭剛
    法文学部助教授(当時)ともつなが
    ったのである。彼は翌年始まる聞き
    取り調査を主導する人物の一人で、
    後日、愛楽園入所者の聞き取り調査
    に参加しないかと誘いがあった。
     入所者のお話を聞きたい。調査の
    なかで関係性がつくれるのではない
    か。大学でやっていたフィールドワ
    ークも役に立つのではと調査への参
    加を決めたという。
     この調査実施の経緯
     国賠訴訟判決で、米軍統治下の沖
    縄のハンセン病隔離政策や差別被害
    について、よくわからないとされ、
    実態を明らかにしようと実施される
    ことになったのである。(つづく)

  • 23面 落語でラララ「かわりめ」 噺を支える浦の顔(さとう裕)

    コロナのお陰で、随分飲み屋にはご無沙汰だ。以前、「千ベロ」という語が流行った。千円でベロベロになるまで呑める店という意味。なにもベロベロになるまで呑まなくてもよさそうなものだが、酒飲みというのは仕方のないもので……
     
    ベロベロに酔った男、後ろから来た俥屋に呼び止められて車に乗る。どこまでと言われ、お前の好きなとこまで行け。それでは困ると言うと、お前が乗れといったから乗ったんだ、どこでもいいからと、手に負えない。よく聞くと、乗った場所の目の前が自宅だった。だから酔っぱらいは嫌われるわけだ。女房が俥屋に詫び、男を家に。すぐ寝るかと思ったらもう少し呑むという。酒を出せアテを出せ。アテはないというと、何でもいいとグズグズ。仕方がないので、近所の屋台へおでんを買いに行く。女房が出かけたと見た男、
     
    「この飲んだくれを世話してくれるのは三千世界を探しても、あの女房以外にないんだよ。世の中に女房ぐら有り難いものはないね。それで、器量だって悪くはないし、近所の人は『貴方の奥さんは、本当に美人ですね。貴方には勿体ないですよ』なんて、ふふふ、俺もそう思う。イイ女だな、と思うけれどそんなこと言ったらダメなんだ。脅かしたりするが、心の中では『すまないな』と思っているよ。どうしてこんな美人がもらえたのかと思うけれど、口では反対のことを言ってしまう。おかみさん、スイマセン、貴方のような美人をもらえて、陰で侘びてますよ。許して下さい。貴方みたいなイイ女を女房にもらえて勿体ないくらいだ。ん?……まだ行かないのか」
     
    のろけの様な独り言をみな聞かれてしまう。古今亭志ん生の十八番の一つだ。 戦時中満州に行けば酒が飲めると三遊亭圓生と大陸に渡ったが向こうで敗戦。なにしろ関東大震災で揺れる家を飛び出し、東京中の酒がなくなると酒を買いに酒屋へ飛び込んだぐらいの酒好き。満州で散々苦労して帰ってきたのが1947(昭和22)年1月、すぐに新宿末広亭の高座に上がり、復帰初日に演じたのがこの「替(かわ)り目」。また、61(昭和36)年暮れ脳出血で倒れ、1年近い闘病の末62年11月新宿末広亭での復帰第一声もこの「替り目」だった。客は酔った亭主を案じる古女房と甘えて駄々をこねる亭主のやり取りに、志ん生夫婦の日常の姿を重ねて喝采を送ったのだった。
     
    落語界ではニンということを言う。その噺家の人柄や醸す雰囲気、印象をいう。豪放で売った6代目松鶴など、豪快な印象や無頼なイメージの人物が登場する噺がよく似合った。米朝などは船場の大旦那や学者風の人物がいい。
     
    ただ、そのイメージと実生活がぴったりかというとそうでもない。6代目は外では豪快に飲んだが、家ではほぼ飲まなかったらしい。笑福亭伯鶴は、酒豪を演じてはったんですという。噺を支える裏の顔は様々である。(落語作家)

  • 24面 極私的日本映画興亡史 第2章マキノ省三伝④ 芸好き 台本も宣伝も(三谷俊之)

    弥奈は義太夫の人気が出て、京都市内の寄席や地方巡業もするようになった。夫・藤野斎は故郷に妻と3人の子供がいて再々の迎えがあり、省三が生まれた明治11年に離別、故郷に戻った。長男・雅弘は著『映画渡世』で、「『山国隊』がその東征隊、京都留守隊などの、軍資金を含めての費用がでなく、褒賞も受けられず、ほとんどを自弁でまかなったため明治5年段階で3400両の借金があったほど。その重圧ゆえに妻とその子供にはせめて自分の借金を背負わせまいとの心遣いで、あえて離婚したのではないだろうかーー。そんな風に私には思えてならないし、そう思いたいのである」と推し量る。
     
    尊皇の志深く、国の維新にかかわった藤野にとって、西南戦争で西郷隆盛たちを切り捨て、変貌する明治国家に対する絶望も抱いた故ではなかったろうか。郷里に戻った藤野は山国神社の宮司となり、維新で亡くなった隊士たちの霊を慰めながら、明治36年にその生涯を終えた。
     
    離別した弥奈は、上七軒で置屋、千本通りで大野屋という小さな寄席を買い、経営者と出演を兼ねて義太夫を演じ、西陣の旦那衆へ義太夫の出稽古もしながら、省三ら3人の子供を育てた。省三は母の影響を色濃く受け、芸事好きで、昼間には空いている小屋の舞台で、近隣の子供たちを集めて振り付けや、大道具を作って芝居を演じたという。明治22(1898)年、米騒動が起こり、不況の風が吹き荒れ、大野屋も火の車となった。省三17歳の時、西陣織物の仲買商をする叔父の家に修行に出された。商売を覚えさせ、いずれはその家の一人娘と一緒にという親同士の算段だった。
     
    しかし、省三はお茶屋遊びを覚え、祇園の人気芸妓お雪と懇意になった。そのお雪がモルガンなる外人に惚れられ、身請けの話が出た。世界の大富豪モルガン財閥の一族だった。困り果てたお雪は省三に相談した。省三は冗談めかして「おもしろい。しこたまふっかけてやれ。4万円や。城の一つも買えるほどの金をふっかけてみい」といった。4万円といえば今なら1億円以上。その金額ならばあきらめるだろうという思いだった。しかし、相手は世界のモルガンである。そのまま4万円で身請けされ、新聞に「4万円の貞操」という見出しで書き立てられた。
     
    後日談だが、お雪と別れた省三は、自らの恋物語を切なく台本に書き、『モルガンお雪』という題で千本座の舞台にかけ、大評判になった。
     
    省三は弥奈に呼び戻され、責任ある仕事を与えられた。大野屋を芝居小屋に改造した千本座の経営だった。水があったというべきか、省三は座主として企画・構成、出演交渉から台本書き、宣伝まで八面六臂の活躍で小屋は繁盛した。 ちなみに、省三は18歳で結婚している。相手は、平安女学校に在籍中の15歳の女学生・千世子だ。彼女は新撰組で有名な壬生界隈を地盤とする、禁裏御用まで勤めた材木問屋石橋屋利兵衛という旧家の孫娘だった。

  • 25面 坂崎優子さんがつぶやく 政治報道がすべきこと

    ネットの世界では「フィルターバブル」という現象があります。バブルの中に包まれたように一定の情報しか見なくなる状態のことを指します。自民党の総裁選や閣僚人事の報道を見ていて、メディアの政治部もフィルターバブル状態なのでは、と思えてきます。
     
    その昔、知り合いが東京の政治部に異動になりました。数年後に会って話をした時、複雑な思いになったことを思い出します。
     
    「仕事はどうですか」「政治家のいろんな情報を知るよね」「で、その知った情報はどうなるんですか?」 「ほとんど報道できないね」
     
    聞けば聞くほど疑問がふくらみ思わず言いました。「その仕事ってどこが楽しいんですか」と。「まあ、みんなの知らないことを知っているよということだけかな」と彼は答えました。
     
    大手メディアの政治部記者にはそれぞれ担当する政治家がいて、その政治家が偉くなると自身も内部で出世する構図があると聞きます。安倍首相時代にNHKの女性記者が頻繁に登場し「首相のスポークスマンか?」
    と思うような発言を繰り返していました。
     
    もちろん、取材相手に食い込むためには懐に入り、信頼されることも必要でしょう。ここまで一人の政治家に食い込めば、部としての評価にもつながり重用もされるのだと思います。けれど「何のために懐に入るのか」を忘れてしまうと、記者は担当政治家の応援隊長に、そして報道は広報に成り下がってしまいます。
     
    閣僚が決まるたびに速報を流す。必要でしょうか。政局ばかり追いかける。知りたいことはもっと他にあります。今の政治報道は、もはや受け手の思いと大きくかけ離れています。
     
    おもしろい本を読みました。『時給はいつも最低賃金、これって私のせい? 国会議員に聞いてみた』(左右社)という本です。著者は相撲・音楽ライターの和田静香さん。聞いてみた相手は立憲民主党の衆議院議員、小川淳也さんです。話題になったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の小川議員です。
     
    和田さんは近年、ライター業だけでは食べられず、バイトをしながら仕事を続けてきたといいます。政治の知識はゼロ、かつノープランで臨む和田さんに、丁寧に相手をする小川さん。基本的なことから一つ一つ勉強し、驚き、納得し、時に反省する和田さん。軽快な文章はスラスラと読めて、それでいて思いはしっかり伝わってきます。生活者、それもフリーで独身女性という今の日本で生き辛い立場からの、叫びのような言葉が心に響くのです。
     
    政策命の小川さんに教えを乞うことがベースながら、「住宅政策」に関しては、「借りられない」「高い」という現実から、「住宅扶養」を訴える和田さんに、小川さんが自説を考え直す場面も出てきます。和田さんが政治家と対話することの意味を実感する場面です。この本は「政治とは生活そのものなのだ」ということを教えてくれます。
     
    今の政治報道のプロがすべきことは何なのか。まずはバブルから出て、一生活者になることからではと思います。
    (フリーアナウンサー・消費生活アドバイザー)

  • 26面~29面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    空襲体験者の証言 若い世代にもぜひ
      大阪府 稲葉暁子
     
    新聞うずみ火が制作した空襲体験者の証言DVDの試写会をオンラインで拝見しました。上映前に矢野さんがお話しした「平和学習」大阪大空襲の解説も拝聴しました。
     
    空襲を体験された3人の女性が語られる内容が生々しく、戦後76年たった今も鮮明に記憶されたすさまじい体験だったのでしょう。今も戦争は終わっていない、長年、つらかったことだろうと思います。どなたも「戦争をしても何一つ良いことはない」と語っていたことが印象に残りました。
     
    以前、仕事でお目にかかった認知症の女性は、子ども時代を過ごした大阪・新世界あたりが賑やかで楽しかったことを繰り返し話してくださり、最後は必ず「焼夷弾が降ってきて何もかもなくなってしまった」と話されたことも思い出されました。
     
    「縁故疎開から戻った時には、家はなくなっていたの」と話していた母も亡くなりました。戦争体験を聞かせてくださる方が年々少なくなる中、空襲体験を記録に残されたことは貴重だと思います。たくさんの方に、時に若い世代に見てもらいたいです。
     
    (オンラインで見ていただき、感想までお寄せくださってありがとうございます。初投稿ですね。新聞各紙、NHKも報道してくれ、平和学習を担当している先生から問い合わせが数件入っています)

    ……

  • 28面 車イスから思う事 地震どこに避難(佐藤京子)

    10月7日午後10時41分、千葉県を震源とする震度5強の地震が起きた。東京でも激しい揺れで、東日本大震災以来だという。この時間はたいてい、テレビ朝日「報道ステーション」を見ており、介助犬のニコル君はハウスで寝息をたてている。カタカタと細かい揺れが起きたと思った次の瞬間、スマートフォンの地震アラームが鳴り、揺れが大きくなった。とっさに、ニコル君の体を押さえた。タンスの上の人形ケースがガタガタと音を立てている。「大きいなぁ」と思ったところで揺れは収まった。テレビは地震速報に変わっていた。地震情報を見ながら、揺れに動じないニコル君を頼もしく思った。
     
    とっさの時、車イスユーザーの動きは遅い。というか、天災が起きれば諦めている。寝室は2階にある。地震が起きた時、ベッドに上がっていれば家具の下敷きにはならないだろうが、停電していれば玄関に行く術がない。それなら、ニコル君の安全を確保してじっと動かない方が安全だ。今回は自宅からほど近い場所で冠水があったが、影響はなかった。テレビで刻々と伝えられる地震の被害情報を確認。11時半過ぎ、問題はないと判断した。
     
    翌日、目を覚ましてニコル君を見つめながら考えた。揺れがもっとひどくなって自宅に被害が出たら、例えば水が出なくなったり、夜に停電したらどうするのか。思いを巡らしたが、無力だと思った。自分には自分を守ることもニコル君を守ることもできそうもない。そう考えると、情けなくなってきた。
     
    車イスもバッテリーの残量に左右される。スマホの充電だって心もとない。冷静に考えるほど、何に備えたら良いのかわからなくなった。ひどい地震で被害が出れば避難所という選択肢もあるだろう。基本的に介助犬は避難所に同行可であるが、車イスの自分がニコル君を連れて入ることを受け入れてくれるだろうか。
     
    近所の小学校には夏のラジオ体操で通ったことがあるが、体育館は段差があった。やすやすとは入れそうにない。仕事で江東区の避難所のバリアフリーを調べたことがあるが、耐震工事の終わっている学校はバリアフリー対応をしていた。肝心の自分の避難所になる小学校の情報を持っていない。今回の地震をきっかけに調べようと思った。
    (アテネパラリンピック銀メダリスト・佐藤京子)

  • 30面 うずみ火掲示板(矢野宏)

    この夏、大阪・豊中市で開催した「黒田清さんを追悼し、平和を考える集い2021」がDVDになりました。
     
    コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー、松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての風刺&コントライブも7年目。今回も菊也さんの都々逸による「政界めった切り」で溜飲を下げ、直樹さん演じる「不愛想タロウ」で大笑いの2時間でした。「忙しくて参加できなかった」「もう一度見たい」という方、ぜひご購入下さい。
     
    毎回二人にいじられる矢野は今回も開演直前に一枚の歌詞を手渡され、「この広い野原いっぱい」の替え歌を披露することに……「河野太郎のひどい失敗 策尽きて ひとり残らず ワクチン打たす 甘い考え 白紙にして……」
     
    1枚1000円(送料、消費税込み)。
     
    申し込みは「うずみ火商店」

    https://uzumibi.thebase.in/items/52534935

    からもできます。
     
    なお、うずみ火商店は「新古本市」を開催中。編集部で取材のために購入しながら積読になってしまった本などを定価の半値ほどで販売していますので、この機会にどうぞ。クレジット決済ができない方は郵便振込で受け付けますので、ご連絡ください。

  • 30面 編集後記(矢野宏)

    コロナ対応や経済対策、広がる格差など、課題が山積する中で公示された衆院選は10月31日に投開票される。この春からの「第4波」、夏の「第5波」ではコロナに感染しても入院できず、自宅で亡くなる例が相次いだ。この国に住む人たちの命と健康、暮らしはないがしろにされ、大企業や「上級国民」を優遇する悪政を終わらすためにも政権交代を実現しなければならないと思うのだが、共同通信などが行った公示直後の序盤情勢によると、岸田政権に代わったことで自民支持は回復基調にある。新しく表紙が代わったとはいえ、安倍、麻生、甘利の3Aの傀儡政権。岸田首相は森友問題の再調査を否定するなど、都合の悪いことは説明しない、責任も取らない安倍・菅政治の「負の遺産」も引き継いでいる。その本質は変わっていないにもかかわらず、大幅減はなさそうだ。代わって議席数を伸ばしそうなのが維新だというから恐れ入る。大阪がコロナ死者数最多を記録したのは、維新政治が医療体制を崩壊したからではなかったか。保健所職員を増やしてほしいとの現場の声にも応えなかったからではなかったか。さらに教育への政治介入を強め、児童・生徒はもちろん、教職員、学校にまで「競争」を強いたのも維新政治だ。まさに、改革という名の破壊であるーーと、いくらわめこうが、ごまめの歯ぎしりにすぎないが、あきらめたらあかん。次の世代にどんな社会を手渡すのか、私たち大人の責任が問われている。

    さて、新聞うずみ火は毎月23日発行ですが、土日休日にあたる場合はその前日に発送してきました。郵便法改正で、10月から土曜日の配達がなくなり、来年1月からは翌日配達までもが廃止されます。これにより、新聞うずみ火が届くのが、これまでより遅くなりそうです。皆さまには大変ご不便をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。 

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    9月12日(日)
     矢野 午後、大阪市中央区の「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」で開館30周年の記念集会を取材。大阪空襲死没者を追悼する「刻(とき)の庭」に新たに判明した101人の名前を記した銘板が公開された。夕方、神戸市中央区の東遊園地で行われた在日ミャンマー人による国軍クーデター抗議集会へ。
    9月13日(月)
     コロナ禍で目の敵にされる酒。飲食店に酒を卸す酒屋、居酒屋を取材しようと、矢野は午後、京都市山科区の「京や酒店」へ。店主で読者でもある上原安治さんはコロナ禍で「来年には店を閉めようと思います」
    9月14日(火)
     矢野、栗原 夕方、大阪市立木川南小学校へ。大阪市長に提言書を送ったことで文書訓告の処分を受けた久保敬校長に再インタビュー。校長室の壁には提言書を出したことで処分されるのではないかと心配した児童の応援メッセージや保護者からの手紙が飾られていた。「校長先生、大阪市長さんに負けるな」
    9月16日(木)
     高橋 夜、和歌山市の県民文化会館で開催された「和歌山総がかり行動 シンポジウム~コロナ禍の経験から、社会のあり方を考えよう」でコーディネーターを務める。

  • 32面 うずみ火講座と忘年会のお知らせ(矢野宏)


    ■うずみ火講座11月6日(土)午後2時~

    大阪市立木川南小学校の久保敬校長を講師に招き、「競争」にさらされる公教育について考える「うずみ火講座」が11月6日(土)、PLP会館で開講します。演題は「今、教育を問い直す~『生き合う』社会をめざして」です。
     
    緊急事態宣言下で市が急きょ導入したオンライン学習を巡り、「学校現場が混乱した」と市長に提言した久保校長が市教委から処分を受けたことは10月号でお伝えしました。
     
    提言の真意は何だったのか。子どもたち一人ひとりがより良く生きるためには、学校はどうあればよいのか。学校の今の姿からより良い未来の姿を、一緒に考えてみませんか。
     
    オンライン視聴をご希望の方は、「うずみ火商店」(https://uzumibi.thebase.in/items/53964671)からお申し込みください。
    【日時】11月6日(土)午後2時~
    【会場】大阪市北区天神橋3丁目のPLP会館4階(JR天満駅から徒歩5分、地下鉄扇町駅から徒歩4分)
    【資料代】読者1000円、一般1200円、学生・障害者700円、オンライン500円

    ■大阪忘年会12月11日(土) 
    早いもので、忘年会のお知らせです。新型コロナ感染の「第6波」も予想されるため、今年も残念ですが、東京での忘年会は中止し、大阪で規模を縮小して行います。
     
    今年もボーリング大会との2部制で、ボーリングから参加される方は午後2時半、阪急神戸線「神崎川駅」改札に集合。うずみ火読者の椎野昇次さんが支配人を務める「神崎川ダイドーボウル」(06・6309・8771)で開催し、午後6時~淀川区宮原5丁目の新大阪第27松屋ビル1階の韓国料理店「セント」に移動して忘年会。セントは地下鉄御堂筋線「東三国駅」⑤出口から徒歩2分。参加ご希望の方は、新聞うずみ火まで。

  • 32面 購読継続とカンパのお願い(矢野宏)

    新聞うずみ火は購読料とカンパで成り立っています。

    ◆購読方法 うずみ火は月刊の新聞です。購読を希望される方は、お近くの郵便局から年間購読料として1部300円×12カ月分、計3600円を下記の口座にお振り込み下さい。
    毎月23日頃、お手元へ郵送します。
     郵便振替口座 00930-6-279053  加入者名 株式会社うずみ火
     
    ◆賛助会員募集 より充実した紙面をお届けするため、賛助会員として応援してくれる方を募集しています。購読料のほかに年会費(1万円~)を収めていただけると、特典として増刊号(不定期)と新聞うずみ火をもう1部贈呈します。

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