新聞うずみ火 最新号

2020年12月号(NO.182)

  • 1面~4面 大阪市廃止 2度目の否決 広域・総合区また火種(栗原佳子、矢野宏)

    民意は再び「ノー」だった。11月1日に投開票された大阪市廃止・4特別区分割、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票。前回2015年の住民投票と同様、わずかな差で反対が賛成を上回り、政令指定都市・大阪市の存続が決まった。市民を2度も分断・対立させた不毛な論争は一定の決着を見たが、火種はくすぶり続けている。

    「松井市長 否決の民意を守って!」「全力尽くせ コロナ対策」「職員のみなさん頑張って」ーー。11月17日午前8時過ぎ、大阪市北区中之島。大阪市庁舎までの道々に横断幕やボードを手にした市民が並んだ。足早に出勤する市職員に「おはようございます」「お疲れ様です」と声をかける。市民団体「大阪市をよくする会」などが呼びかけた緊急行動。早朝にもかかわらず120人以上が参加したという。

    賛成67万5829票(前回69万4844票)、反対69万2996票(同70万5585票)。住民投票は前回に続いて大接戦となり、1万7167票と僅差で反対が上回った。投票率は62・35%(前回は66・83%)。

    大阪維新の会は看板政策で2連敗。否決直後の記者会見で、代表の松井一郎氏は大阪市長職の任期満了(2023年4月)で政治家を引退すると言明した。

    しかしその5日後、松井市長は定例会見で「広域行政の一元化条例案」、さらに「総合区設置案」をぶち上げた。「広域一元化」を巡っては大阪市廃止・特別区設置の制度案で、府に移管するとしていた成長戦略、水道、消防など約430の事務、財源約2000億円を府に移管する条例案をつくり、来年2月議会に提案するという。
    ……    

  • 5面 寄稿 住民投票後を憂える「制度いじりはやめよ」(山田明・名古屋市立大名誉教授)

    コロナ禍の11・1住民投票で、「大阪市廃止」案が否決され、大阪市民が「大阪市存続」を選択したことを心から喜びたい。ただし、開票後の記者会見で、松井一郎市長が「みなさんが悩みに悩むような問題提起をできたことは、政治家冥利に尽きる」と語った時には腹が立った。「大阪市存続」の5文字は、きわめて重いものがあるが、舌の根も乾かないうちに骨抜きにする動きがみられる。松井市長は住民投票から数日後に、大阪市の「広域行政一元化条例案」「8総合区案」を来年2月議会に提案すると発言した。前者は地方自治法に違反し、後者は公明党が撤回した過去のものである。現在の24区を8区に「合区」することに、大阪市存続を選択した市民が「合意」するとは思えない。

    これ以上、不毛な制度いじりはやめ、コロナ対策など喫緊の政策課題に集中してもらいたい。「広域行政一元化・総合区」案は、住民投票での市民の判断をゆがめ、大阪維新の会存続のための党利党略の提案だ。政令指定都市・大阪の権限と財源を大阪府に差し出すもので、大阪府による大阪市乗っ取り、「都構想」簡易版だ。松井市長が任期末の2年半後まで市長をつとめ、「政治家冥利」でぬけぬけと、こんな提案をするところに維新の本性があらわれている。

    住民投票後に腹立たしく思うことが、もう一つある。大阪市財政局と毎日新聞へのバッシングである。11日の大都市・税財政制度特別委員会を傍聴した。昨年6月から毎回、大阪市廃止・特別区設置「法定協議会」を傍聴して、一方的な議事運営に怒りを膨張させてきた。初めて委員会を「生」で傍聴して、またもや怒りが膨張して声を上げそうになった。維新委員が70分間にわたり、財政局が地方交付税「試算」をマスコミに示したことについて詰問した。財務課長がマスコミに「試算」を示したのは、重大な過失でないかと繰り返した。毎日新聞の記事などが資料として配布され、誤った情報が流されて住民投票に悪影響があったと指摘。維新委員としては、住民投票で大阪市廃止「反対」多数となったのは、財政局とマスコミに責任を負わせたかったようだ。
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  • 6面~7面 外国籍住民にアンケート 「私も大阪市民 投票権を」9割(栗原佳子)

    大阪市の存続が決まった11月1日の住民投票。賛否をめぐる論戦が交わされるなか、投票権のない外国籍住民への街頭アンケートに取り組んだ市民グループ「みんなで住民投票!」(みんじゅう)が9日、市役所で記者会見し、結果を公表した。大阪市内に暮らす873人(40カ国・地域)のうち、9割が外国籍住民が投票できるようにすべきと回答。出身国・地域にかかわりなく権利義務に対する意識を強く持ち、地域住民としての積極的な参加意識を有していることが浮き彫りになった。   

    大阪市内で暮らす外国籍住民は2019年末時点で143カ国・地域の約14万6000人。市民の5%に相当し、人数・比率とも20政令指定都市で最多。永住資格を有する人も8万人近い。しかし外国籍市民は投票できなかった。

    住民投票では200以上の自治体で永住外国人の投票権が認められている。しかし、大阪市の住民投票は根拠とする「大都市地域特別区設置法(大都市法)」と同法施行令(大都市令)が投票権について公職選挙法を準用。有権者は18歳以上の日本国籍を持つ223万人に限られた。

    みんじゅうは昨年10月結成。在日コリアンをはじめとする「特別永住者」および「永住者」など一定の条件を満たす外国籍住民に投票権を認めるよう求め、3万筆超の署名を集めて市議会や国会に法令改正を求める請願や陳情を続けた。しかしかなわぬまま、2度目の住民投票実施が決まった。アンケートは、住民投票や大阪市の今後についての外国籍住民の意見を明らかにする試みだった。

    制度案や住民投票について説明するチラシとアンケート用紙を英語、中国語、ベトナム語、韓国語、日本語、「やさしい日本語」の5言語6種類用意。9月26日から住民投票の11月1日まで、街頭に立ったり、外国人コミュニティやモスク・教会、日本語教室などに出向いたり、各国料理のレストランに飛び込んだりしながら18歳以上の外国籍住民に協力を求めた。在留資格や期間は問わなかった。

    みんじゅうは外国籍住民の参加拡大を目指すグループ。結果に偏りが出ないよう、街頭でも、大阪市廃止の賛否を示す活動の近くを避けるなど、細心の注意を払ったという。

    回答を寄せたのは市内在住の873人。出身国・地域は40。韓国693人▽中国43人▽フィリピン34人▽ベトナム、アメリカ各20人などだった。年代は10代から70代以上まで全世代を網羅した。

    大阪市廃止・特別区設置の賛否は「賛成」143人(16%)▽「反対」399人(46%)▽「分からない」が328人(38%)。回答なしが3人だった。制度案や住民投票について、行政による多言語の情報発信がなかったため、あえて「分からない」という選択肢に入れた。

    今回の住民投票で投票できないことについても尋ねた。「外国人も投票できるようすべき」786人(90%)▽「投票できなくてもいい」66人(8%)。回答なし21人だった。投票できるようにすべきと答えた人は「納税の義務を果たしている」「住民として当然の権利」「生活に直結する問題に参加したい」などの意見を付記した。なお、日本語で回答した人は96%が「投票できるようにすべき」だった。
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  • 8面~9面 ヤマケンのどないなっとんねん「往生際の悪い男たち」(山本健治)

    いざとなると、こずるい本性をあらわす政治家が多いのに嫌気がさす。

    周知の通り、11月1日、「大阪市を廃止し、4特別区に再編する(いわゆる大阪都構想)」の是非を問う住民投票が行われ、賛成67万5829票、反対69万2996票で再び否決され、大阪市は存続することとなった。

    この結果を受け、推進してきた大阪維新代表・大阪市長の松井一郎氏は政治家としてのケジメとして、残る任期を務めた後、政界引退すると記者会見し、三たび「都構想」を提起するようなことはしないと述べたが、前回、橋下徹氏がラストチャンスだと言って住民投票し否決されたにもかかわらず、形を少し変え、また住民投票したことを考えると、この言葉をまともに受けた人は少なかった。

    案の定、それこそ舌の根も乾かないうちに、大阪市を残しながらも、大阪市の財源と権限を大阪府に吸い上げる「府市一元化条例」をつくると言い出し、また公明党が「都構想」に反対していた頃に対案として出した「総合区」に乗り換え、現在の24区を合区して8区にする、藤井聡・京大大学院教授に言わせると「疑似特別区」を言い出した。条例議決なら議会で多数さえ握っていればできる。いま大阪市議会は維新と公明を加えると過半数を超えるので、いつでもできるというわけである。正々堂々と「一本勝負」と言っておきながら、負けたら今度は多数を背景に闇討ちするようなものである。よくもまあこんなこずるいことを考えるものだとあきれ返る。

    5年前に否決されたとき、政界引退を宣言した橋下氏と同じである。橋下氏は前回の住民投票にあたって、これはラストチャンスだから、しっかり判断して投票してほしいと叫んだ。結果は今回と同様否決され、橋下氏は政界引退を表明し、賛成であれ、反対であろうが、恨みつらみを言わない「ノーサイド」だと宣言、そして政治に関わらないと記者会見した。

    だが、その後も維新の法律顧問として関わり、維新内部で講演活動などを行い、決して政界からは引退せず、メディア出演して直接にはあれこれ言わないものの、維新の宣伝塔、後見役を果たしてきた。それだけではなく、松井氏とともに安倍前首相や菅首相らと会食してきたことは自ら明らかにしている通りで、松井氏・吉村氏らは再び「都構想」を言い出し、一事不再議批判を避けるため、「5特別区」を「4特別区」に、また「副首都」を付け加えて再提案した。こずるいと言う他ないが、市民はまた「ノー」を示し、松井氏も橋下氏にならって引退すると言ったがこれである。

    公明党は、最初は「都構想に賛成に転じた段階で、総合区構想は白紙にしたから応じることはできない」と言っていたが、維新から今回否決された最大の原因は公明支持票がすべて賛成に回らなかったからだとネチネチ責められ、前回のように公明党国会議員の選挙区に刺客を送ると言われるのが恐ろしくて、結局は「総合区導入」議論に応じると言い出している。こうした維新・公明の動きは、住民投票の結果は民意だから尊重すると言ってきた自らの主張を否定するものである。

    往生際が悪い、引き際を知らないのは、アメリカにもいる。11月3日に実施された大統領選の結果確定が遅れに遅れ、13日になってトランプ大統領が獲得した選挙人は232人、バイデン氏は306人、ようやくバイデン氏の勝利が確実になったと報じられた。これまでなら、敗者が敗北宣言し、権力移行が紳士的に進むのが「アメリカ民主主義」だと言われてきたが、トランプ大統領は不正があったと言い続け、いくつもの訴訟を提起して見苦しいまでの悪あがきを続けている。

    日本では「アメリカ民主主義」を好意的に見る人が多いが、ホピをはじめとする原住民(アメリカの西部劇映画では「インディアン」として悪者扱いされている)にとっては、ヨーロッパから突然入ってきて、武力で蹴散らし殺害し、みんなのものである豊かな大地と自然の恵みを奪った連中が勝手に独立宣言し、「アメリカ合衆国」を名乗っただけであり、その末裔がつくりあげた政治制度が「アメリカ民主主義」で、それを素晴らしいなどと礼賛することを苦々しく思っている歴史を我々は忘れてはならない。
    ……

  • 10面~11面 「袴田事件」元裁判官 熊本さん死去 誠実に生きた勇気の男(粟野仁雄)

    静岡県の旧清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された「袴田事件」で、強盗殺人犯とされた袴田巌さん(84)に1968年、静岡地裁で死刑を言い渡した裁判官の一人で後年、「袴田さんは無実だった」と告白して支援活動をした熊本典道さんが11月12日、福岡市の施設で死去した。83歳だった。
     熊本さんの晩年をともにした島内和子さんは「ここ3カ月くらいは何も食べられず、水も飲めなかったようです。前の奥さんとの長男が来てくださり、彼が帰った15分後に笑ったような顔で亡くなりましたよ」と話してくれた。 
     熊本さんは佐賀県出身。九州大法学部在籍中、父親が詐欺にあい、退職金をすべて奪われたことから法律家を目指す。司法試験をトップで合格し、裁判官となる。静岡地裁に赴任し、第2回公判から左陪席として袴田事件を担当した。入念に証拠記録を調べ、法廷で袴田さんと検事や裁判官、弁護士とのやり取りを見ていて「真犯人ではない」との心証を持っていた。しかし静岡地裁の3人の合議体の評議では「死刑になるのに自白するはずがない」と有罪を主張する裁判長と右陪席裁判官を説得できず、裁判長に死刑の判決文を書かされた。悩みぬいて書き上げたが、せめてもの思いから末尾に捜査批判を加えた。
     裁判長が死刑宣告すると袴田被告はがっくりうなだれた。熊本さんはその姿が忘れられず「人の命を左右する仕事はできない」と悩む。「末は最高裁判事間違いなし」と期待されていた逸材だったが、ショックは大きく退官してしまう。
     その後、弁護士に転じて大企業の顧問などで1億円近く稼ぎ、銀座で豪遊する日々もあったが、袴田さんのことを忘れることはなかった。逆転無罪を祈った東京高裁の控訴審も棄却される。そして80年11月に最高裁で袴田さんの死刑が確定した。
     大きな衝撃を受けた熊本さんは「自分が死刑宣告した袴田さんが殺される前に死のう」とストックホルムから船に乗り北海で氷の海に飛び込もうとした。ところが偶然、直前に同じ船の甲板からある青年が飛び込み自殺した。熊本さんは目撃者として警察の聴取を受けた。その時、青年の母親が泣き叫ぶ姿を見て「親からもらった命を粗末にできない」と生きることを決心した。

  • 12面~13面 世界で平和を考える「アフガン取材最新報告」(西谷文和)

    10月22日から11月3日まで、11回目となるアフガン取材を敢行した。アフガンに入るのは6年ぶり。今年は絶対にこの国を訪れたかった。それは中村哲さん。医師で「ペシャワール会」現地代表の中村さんが何者かによる凶弾に倒れてもうすぐ1年。砂漠を緑に変えてきたあの偉業は今どうなっているのか、現地の人々は今どんな暮らしをしているのか、以下リポートする。

    10月27日、首都カブールを出てアフガン東部のジャララバードを目指す。テロが頻発し、武器があふれるジャララバードでは強盗事件も多発。なるべく現地の人々の中に溶け込まないと危険だ。アフガン民族衣装に着替えて、くたびれた中古タクシーをチャーター。洋服を着ていると目立つし、快適だからといって四駆のランドクルーザーなどを選ぶと「金を持っているヤツら」と誤解され、標的になりかねない。約4時間でジャララバードに到着。ここはカブール川とクナール川の合流点に栄えた歴史ある古都で、ここから三蔵法師も通ったといわれるカイバル峠を越えれば、もうそこはパキスタンだ。

    ジャララバードを南北に貫くクナール川を遡る。はるか彼方にヒンズークシュの山々が見える。この大河はヒンズークシュを水源として下流のパキスタンでインダス川に合流する。淀川くらいの川幅に満々とした水量をたたえ、1年中枯れることはない。

    1時間後、川沿いの国道を外れ、石ころだらけの土漠を行く。ガンベリー砂漠と呼ばれる不毛の地。その小高い丘を喘ぎながらオンボロタクシーが駆け上がる。「あれがナカムラパークだよ」。通訳が指差す方向に細長い森が見える。広大な砂漠の中でそこだけが緑。「そうか、あの森は用水路に沿って伸びているのか」。中村哲さんが7年の歳月をかけて建設したマルワリード用水路(現地語で真珠の意味)は全長25㌔超。クナール川の水をガンベリー砂漠に引き込んで、約1万6千㌶(東京ドーム3500個分)の黄色い大地を緑に変えて、65万人の人々を飢えと渇きから救ってきた。アフガニスタンの人々はその最大の功労者である日本人を「カカ・ナカムラ」(中村おじさん)と呼んだ。

    昨年12月4日、凶弾に倒れた中村さん。人々はその死を悼み、感謝と敬愛の念を込めて「中村公園」の中心に記念塔を建てた。塔には中村さんの肖像画。その柔らかで優しそうな眼差し。「中村さん、ここから用水路と人々の暮らしを見守っているんですね」。心の中で両手を合わせて記念塔を撮影。あぁ、もうこの人には会えないのだ。涙でファインダーがにじむ。
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  • 14面~15面 フクシマ後の原子力 「背に腹は…」再稼働の動き(高橋宏)

    アメリカの大統領選挙や新型コロナウイルスの感染拡大などのニュースが大きく取り上げられる中、原発をめぐって重大な動きがあった。一つは、高レベル放射性廃棄物の最終処分について、北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村が調査受け入れに名乗りを上げたこと。 二つ目は、宮城県の東北電力女川原発の再稼働をめぐって、宮城県、女川町、石巻市の三首長が同意を表明したことだ。

    11月14日現在、国内で稼働している原発は、九州電力玄海原発4号機のみである。福島第一原発事故以降に再稼働された原発のうち、玄海原発3号機、関西電力大飯原発3号機、四国電力伊方原発3号機は定期検査で停止中。そして大飯原発4号機と関西電力高浜原発3・4号機、九州電力川内原発1・2号機は、テロ対策で原発に義務付けられた「特定重大事故等対処施設」の建設遅れで停止している。

    女川原発の再稼働は、これまでとは意味合いが大きく異なる。東日本大地震・大津波の被災原発であるだけではなく、事故を起こした福島第一原発事故と同型の沸騰水型軽水炉(これまで再稼働した原発はいずれも加圧水型軽水炉)だからだ。

    東京電力をはじめとした東日本の電力会社が保有する原発のほとんどは沸騰水型軽水炉である。もし女川原発が再稼働すれば、世界最大規模である新潟県の東電柏崎刈羽原発(1~7号機を有し、合計出力は821万2千kW)の再稼働にも道筋をつけることになるだろう。

    再稼働への同意は、原子力規制委員会の審査終了から9カ月のスピード判断だった。県内の市町村長から意見を聞く場は、同意表明の2日前にあったきりで、事故時の避難計画が義務付けられている原発30㌔圏内にある美里町長が「県民に新たな不安を背負わせる」と反対を表明したが、少数意見として受け入れられなかったという。万が一の時の避難計画の実効性も、置き去りにされたままでの同意であった。

    同意を急いだ背景には、地元の商工会や漁協の要請も影響したとされる。経済へのテコ入れとして、原発への期待が大きいことが理由だ。危険性を知りつつも「背に腹は代えられない」と原発を受け入れていく構図は、これまで原発や核関連施設の誘致、立地、増設などで繰り返されてきたことだが、福島第一原発事故を経験した今でも変わっていない。
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  • 16面~17面 寄稿 日本学術会議問題 貫けるか軍事非協力(野田隆三郎・岡山大名誉教授)

    菅首相は日本学術会議が推薦した次期会員候補105名のうち6名の任命を拒否した。さらに、党内に学術会議のあり方を検討するプロジェクト・チームを立ち上げ、学術会議見直しを目論んでいる。これらの背景には日本学術会議が軍事研究に積極的でないことに対する政府与党の強い不満がある。

    日本学術会議は先の大戦で科学者が戦争に全面的に協力したことに対する痛切な反省に立って1949年に、日本の科学者を代表する機関として、設立された。日本学術会議法3条で、政府からの独立が保障されている。

    学術会議は1950年と67年の2回にわたって「戦争を目的とする研究には、今後絶対に従わない」とする固い決意声明を発表。このこともあって日本の大学は戦後、軍事研究とは一線を画してきたが、2015年、防衛省の軍事研究の公募制度が開始され、大学での軍事研究が公然と始まることになる。衝撃的だったのは、この年、当時、学術会議会長であった大西隆・豊橋技術科学大学長が防衛省公募に応募、採択されたことだ。これは戦後70年を経て、学術会議の変質ぶりを示す象徴的な事件であった。

    大西氏は今、学者代表の仮面を被ってマスコミでしゃべりまくっているが、当時、「1950年声明、67年声明が自衛のための軍事研究まで禁止しているとは思わない」と語った。会長は会員の互選で選ばれるが、こういう人物が会長に選ばれることからも学術会議の現状がうかがい知れる。
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  • 18面 主基田抜穂(すきでんぬきほ)の儀 違憲訴訟(栗原佳子)

    昨年11月に行われた天皇即位に伴う宮中祭祀「大嘗祭」の諸儀式に、京都府の西脇隆俊知事らが公務として参加したのは憲法の政教分離の原則に違反するとして、府民12人が11月4日、知事に公金約39万円の返還を求めて京都地裁に提訴した。14日、原告や弁護団が京都市内で集会を開き、「大嘗祭は国家神道の宗教儀式。私人として宗教儀式を行うのは勝手だが、それに公費を支出するのはおかしい」と訴えた。    
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  • 19面 敵基地攻撃能力「敵国つくらぬ知恵を」(矢野宏)

    市民団体「とめよう改憲!おおさかネットワーク」主催の講演会が11月14日、大阪市北区で開かれ、歴史・政治学者で明治大特任教授の纐纈(こうけつ)厚さんが「敵基地攻撃能力とは何か」と題して講演。「自衛隊が米軍とともに相手国に攻め込む軍事力を保有することは憲法9条を全面否定する暴挙だ」と警鐘を鳴らした。

    敵基地攻撃能力とは、弾道ミサイルの発射基地など、敵の基地を直接破壊できる能力のこと。政府見解では「ほかに手段がない」場合に限り、ミサイル基地を攻撃するのは「法理的には自衛の範囲に含まれ可能」としている(1956年の鳩山一郎内閣)。憲法違反ではないといいながら、歴代の内閣は敵基地攻撃につながる装備を持たない方針を堅持してきた。
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  • 20面 空襲被害者 浜田さん逝く 国の謝罪聞けぬまま(矢野宏)

    大阪大空襲の被害者で、国に謝罪と損害賠償を求めて集団提訴した「大阪空襲訴訟」の原告の一人、大阪狭山市の浜田栄次郎さんが11月4日、肺炎のため亡くなった。91歳だった。

    浜田さんは1945年3月13日深夜、大阪を襲った最初の大空襲で被災した。当時、旧制中学3年。大阪市大正区南加島町の自宅前で真っ赤に燃える空を眺めていた時、一発の焼夷弾が頭上に落ちてきた。とっさに防空壕に飛び込んで直撃は免れたものの、破裂した焼夷弾の炎を全身に浴びて火だるまとなった。

    戦後、顔や両手足にケロイドが残り、特に右手の指は曲がったままだった。家業だった麻袋の回収・修理業は廃業。トラックを購入して運送業を始めたり、自宅を売ってパン屋を開業したりするなど、職を転々とした。当時のことを、浜田さんはこう語っていた。

    「収入が安定していなかったために、高校生だった次女を進学させてやることができませんでした。自分の身体の障害のせいで、子どもたちに迷惑はかけられないとの思いから働きづくめの毎日でしたが、それでも親として十分なことができませんでした。私にとって痛恨の極みであり、今も悔いが残ります」

    その後、タクシー運転手となった浜田さんは、72歳まで働き続けた。
    ……

  • 21面 経済ニュースの裏側「内需の低迷」(羽世田鉱四郎)

    新政権が発足。アベスガ政権と嘲笑され、期待は持てそうもありません。

    負の遺産 鳴り物入りだった前政権。終わってみれば、人心の荒廃と多大な財政赤字を残したのみ。「公的マネー 1830社の大株主」「株高 実態と乖離」(10月23日付朝日新聞)。公的マネーとは日銀と年金積立金運用独立行政法人。懲りない日銀総裁は「物価上昇2%を目指す」とか。ブラック・ジョークそのもの。私見ですが、前任の白川方明氏に戻ってきてほしい。

    デフレの原因 端的に言えば「内需の低迷」です。前政権では、内需不足を大幅な金融緩和で刺激し、途中から外需(訪日観光客の大幅増と購買活動)で補おうと試みました。これに東京五輪、カジノ(IR)、大阪万博などの誘致というゼネコン的な発想も加わりました。ただ残念ながら、それらの意図は水泡に帰す可能性が大です。
    内需低迷の要因 シャッター通りと称される地元商店街の衰退、百貨店の減少、コンビニ売上高の頭打ちなど、小売業の不振は深刻、若者の自動車離れ、洗濯機・冷蔵庫・テレビなど白物家電からの国内電機メーカーの撤退などの事実が、内需低迷を明白に物語っています。

    その要因ですが、大きく二つ考えられます。賃金の伸び悩みと人口構造の変化です。賃金の伸び悩みは再三触れていますので割愛します。

    働き盛りの減少・高齢者の激増 私も含めた高齢者は物欲も乏しく、将来の不安に備えてモノを買い控える傾向にあります。そのうえ、非正規雇用の導入など、我が国の雇用制度を破壊した竹中平蔵氏が新政権の成長戦略会議に加わり、「ベーシック・インカム論」を唱えるなど怪しい動きを見せています。憶測ですが、医療・教育・年金も含め社会保障などを縮小させ、財政赤字の解消などを視野に入れているのではと思われます。
    ……

  • 22面 会えてよかった 屋宜光徳さん(上田康平)

    勤務状態に不満

    1956年5月に入社した頃、定休日がなく、先輩たちは適当に週1の割合で休んでいた。また勤務時間の定めもなく、「彼女と会う時間もない」。超過勤務手当などもない。

    不満は社内に鬱積していた。

    そのため若い人たちの多い社会部の部会で労働組合結成の決議をしたが、経営陣から管理者が一緒にやるとは何事かと言われた。

    新人たちが動く

    そこで屋宜さんたち社会部の若い新人たち4人が中心になって極秘裏に準備を進めることにしたという。
    ……

  • 23面 落語でラララ「一文笛」(さとう裕)

    泥棒の噺が続いて恐縮だが……、泥棒は手口が鮮やかなほど、人気が高まったとか。が、手口の鮮やかさといえばスリ。

    マリリン・モンローが夫の大リーガー、ジョー・ディマジオと来日したのが1954(昭29)年2月1日。滞在中にスリが腕を競い合った。優勝者は財布や時計をスリ取った男たちを尻目に、腰を振って歩くモンローのパンティをずりおろしてスリ取った男だという。ウソかホントか当時、そんな話が巷間をにぎわせた。

    少し後になるが、昭和30年代テレビのバラエティ番組に世界一のスリが海外から招かれた。舞台に登場した男、司会の高橋圭三と握手した瞬間、高橋の腕時計をスリ取っていた。テレビの生放送で見ていたが、実に鮮やかだった。

    スリのことを昔は大阪弁でチボといった。巾着切りともいった。どちらも今や死語。『上方語源辞典』(前田勇・著)では「チボッとした物を引っ張り取るから」チボというと。「チボッと」とは、ちょびっと、ほんの少しの意味だというが、いささか苦しい説明だ。『浪花文書』には「智謀歟(ちぼうか)」とあるが、こちらの方がまだ分かる。スリの智謀ぶりを落語にみると……。

  • 24面 最終回 100年の歌びと「歌舞伎町の嬢王」(三谷俊之)

    女に成ったあたしが売るのは自分だけで/同情を欲した時に全てを失うだろう/JR新宿駅の東口を出たら/其処はあたしの庭 大遊技場歌舞伎町/今夜からは此の街で娘のあたしが女王

    なんという饒舌だろう。椎名林檎の歌には、聖と俗、猥雑さと繊細さ、イノセント性が混じり合う。例えば『本能』の冒頭「どうして 歴史の上に 言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう」。1stアルバム『無罪モラトリアム』(1999年)以来、21年間に及ぶおびただしい楽曲の軌跡を聴いた。彼女の曲はどれも激しいが、美しく、官能的で、そしてどこか悲しい。

    曲は基本的にオルタナティブロックである。それにジャズ、シャンソン、ラテン、極めて歌謡曲的な歌メロが乗る。彼女の音楽的ルーツが多様性を生み出している。クラシックやジャズ、ポピュラー好きな父親と、バレエを経験し、歌謡曲が好きな母親の間に生まれた。幼い時からバレエやピアノを習う。小学生になると歌謡曲と、渡辺貞夫や女性ジャズ・ボーカリストを愛好した。中学では、兄の影響でモータウンやソウル・ミュージック、R&Bなどのブラック・ミュージックに傾倒。高校になるとロック、レディオヘッドやビョークを聴き、幅広い音楽体験が極めて多彩な音楽世界を形成した。

    なかでも彼女に欠かせないのはエレキギターだ。「私がエレキギターに担ってほしい役割というのは、当時からはっきりしていました。『いらだち』とか『怒り』『憎しみ』……。『やり場のない悲しみ』とか、そんな『負の感情』の表現をするときに登場するのがエレキギター。ひずんだ音色、ノイズが必須です」(2018年5月14日付朝日新聞)。感情の発露といえるエレキギターの音色に共振するように、彼女のボイスも「エレキ声」になり、「負の感情」を奏でて、熱量がすべて音になっていく。
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  • 25面 坂崎優子がつぶやく「乳がん検診の上限とは」

    89歳の義父は介護認定を受けてはいますが、家の中では自分で動けるし、認知機能の衰えもなく元気です。ただ、外では転倒することも増え、病院に通うのも大変になってきたので、今は訪問診療をお願いしています。
     定期的な診察で、持病以外の検査を勧められることも多く、そのたびに「しんどい検査はごめん」と断っているといいます。84歳の義母も「ここまでは健康で好きに生きられたので、この先はどんな病気になっても受け入れるつもりだけど、検査をしてまで病気を見つけようとは思わない」と。年齢と検査、考えさせられます。
     10月に乳がん学会が開催され、私も参加しました。予定が集中していた時期で、生では見られませんでしたが、10月いっぱい動画が配信されたおかげで、見逃したシンポジウムや講座を見ることができました。
     注目したのは、がん検診についてのシンポジウムです。乳がん検診のあり方についてさまざまな視点から話し合われ、検診の上限についても触れていました。
     乳がん検診で推奨されている年齢は40歳から74歳までです。あまり知られていませんが、上限が示されています。2018年のガイドラインから74歳が上限とされました。

  • 26面~27面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    日本再生へ
    女性起用を

       名古屋市 落合静香
     毎月、有意義な記事を届けていただき、ありがとうございます。

     「大阪都構想」の住民投票で、大阪市に住んでいる公明党支持の友人は「自主投票なので、期日前投票で反対と書いてきた」と言っていました。「大阪維新の会を支持する人の気持ちがわからない」とも。私は以前、大阪で公立中学校の教師をしていた時、「大阪の人は、公務員には厳しい」と感じていました。

     「新聞うずみ火」の記事は、記者たちの取材に基づいたものなので、社会の様子がよくわかります。特に広告もないので、信条に従っていると考えています。

     福島第一原発事故で故郷に戻れない人たちがいるというのに、原発を再稼働し、命よりもお金を大事にする政治家を選んでいる日本人が情けないです。未来に「負の遺産」を押し付けている大人が少子化を嘆くことに納得できません。お笑いジャーナリストのたかまつななさんがこう言っています。「親や祖父母が自分の子どもや孫のお金を使って、自分のお給料以上のものを買うという絶対にしないはずのことをやっているのが今の日本」

     自分たちの世代の享受したことで生じたツケは、自分たちで処理すべきです。原発など再稼働すべきではありません。そのためにも、社会のリーダーに女性を使うべきです。特に政治家。自民党はもっと女性議員を増やし、大臣の半数を女性が占めるような社会にしてもらいたい。私たちの世代は大卒女子がほとんどの企業が門前払いで、片や男子学生は引く手あまたの時代でした。その企業がどうなっているか。

     日本を再生するには女性の地位を上げ、女に生まれてきたことを悔やまない社会を目指してほしいです。

     (各国の女性議員の割合を見ると、日本は1割足らずで、世界ランキングは167位。米国では史上初の女性副大統領になるカマラ・ハリス上院議員が「私が最初の女性の副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません」とあいさつ。そんな日が来るのはいつのことでしょうか)

    ……

  • 28面 車イスから思う事 遠のく母との面会(佐藤京子)

    冬の寒さを朝晩に感じるようになり、新型コロナウイルスの感染者数が連日、過去最多を更新している。日本医師会会長は「第3波と考えてもよいのではないか」と発言。もはや感染再拡大期に入ったことは疑いようもない。にもかかわらず、車いすで人出の多い駅前などを通ると、マスクをしていない人を多々見かける。やはり、緊張感が緩んでいるからだろうか。
     外出する時はマスクをしている。ただ、自宅で訪問看護師さんを迎える時には外すのは、看護師さんとの会話がスムーズに取れることと、観察してもらいやすくするためだ。もちろん、看護師さんはマスクをしているので心配はない。マスクをしてもらうための理由付けとして、日本人らしい発想だと思ったことがある。「大切な人にうつさないために」という言葉だ。本来ならば「人からうつされないように」ではないだろうか。人の気持ちを巧みに操っているように感じた。
     新型コロナ感染が始まった2月頃から、特別養護老人ホームに入所している母に会えずにいた。当初は2週間ごとに「面会を中止してください」との手紙をいただいていたが、そのうち無期限で面会を見合わせるとの手紙が来た。そんなアホなことと思ったが、職員さんのシフトも変わったようで、人手が明らかに足りていない。

  • 30面 クラウドファンディングで制作費呼びかけ 空襲体験者の「証言DVD](矢野宏)

    先月号でもお知らせしましたが、「新聞うずみ火」では、クラウドファンディングを利用して空襲体験者の証言DVDを制作するプロジェクトを進めています。インターネットを介して広く支援を呼びかける仕組みですが、いよいよ締め切りの12月10日が迫ってきました。目標額は50万円。少しでも余力がある方は、私たちの趣旨にご賛同くださり、ご協力いただけると幸いです。

    今年は戦後75年目の節目の年でしたが、新型コロナの感染防止のため、小中高校で「平和学習」が見送られています。空襲体験の語り部から「若い世代に戦争の悲惨さを伝えたいのに、その機会を失うのは残念だ」と嘆く声を耳にします。空襲体験者の「記憶」を「記録」に残すことで平和学習に役立ててもらいたいと、「証言DVD」制作を企画。必要な資金を調達するため、クラウドファンディングで呼びかけています。

    募金は、3000円、5000円、1万円、3万円の四つのコースがあり、それぞれに還元させていただく商品を用意させていただきました。

    「ネットは苦手やねん」という方は、うずみ火事務所までお問い合わせください。ご協力をお願いします 

  • 31面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    10月1日(木)
     午後、上方芸能評論家の木津川計さんらが大阪市役所で記者会見を開き、文化人や教育関係者ら202人が賛同した「都構想」反対のアピールを発表。栗原が取材。
    10月2日(金)
     ABCテレビの早朝情報番組「おはようコール」が四半世紀の歴史に幕。2001年からニュースコーナーを担当してきた矢野、栗原も卒業。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    10月3日(土)
     矢野、西谷 午後、新聞うずみ火&路上のラジオ共催の学習講演会を開催。矢野が「嘘だらけの『大阪都構想』」。西谷が「安倍、菅、維新。8年間のウソを暴く」と題して講演。
     栗原 午後、大阪市阿倍野区で開かれた放送法研究会主催の学習会「都構想とコロナ」
    10月4日(日)
     矢野、栗原 午後、藤井聡・京都大大学院教授ら「『豊かな大阪をつくる』学者の会」主催のシンポジウムを取材。
    10月7日(水)
     西谷 昼、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DEしょ!」出演。
    10月9日(金)
     矢野、栗原 午後、中央区で開かれた「都構想」に関する住民向け勉強会を取材。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

  • 32面 うずみ火講座は11月28日(土)午後6時半~

    2020年最後の「うずみ火講座」は11月28日の夜、大阪市中央区で開講します。奈良女子大の中山徹教授(都市計画学)を講師に招き、「住民投票後の大阪が危ない―コロナ禍と超・監視社会」と題して、大阪維新の会が水面下で着々と進めている「スーパーシティ構想」についてわかりやすく解説していただきます。大阪市存続が決まったと安心していてはいけません。大阪は「プライバシーのないミニ独裁国家」の実験場となるかもしれないのです。
    【日時】11月28日(土)午後6時半~
    【会場】大阪市中央区谷町2丁目のターネンビルNO2の2階会議室(地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」から徒歩2分、「天満橋駅」から南へ徒歩6分、1階が喫茶「カフェベローチェ」)
    【資料代】500円、学生・障害者300円
     新型コロナ感染者数が急増しています。くれぐれも気をつけてください。

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