新聞うずみ火 最新号

2019年12月号

  • 1面~3面 台風19号1カ月 福島県いわき市 見えぬ先行き 疲労増す(矢野宏)

    東日本各地で記録的な大雨をもたらした台風19号が上陸して1カ月がたった。堤防の決壊は7県の71河川に及び、浸水範囲は昨年の西日本豪雨を超えたほか、土砂災害も20都県で935カ所確認され、一つの台風による被害としては最多を記録、住宅被害は8万棟を超えた。被害が広い範囲に及んでいることから支援の手が足りず、冬の到来を控えて被災者は疲労の色を濃くしている。報道も減り、忘れられつつある被災地の一つ、福島県いわき市を訪ねた。    

  • 4面~5面 沖縄。首里城火災 「当たり前」を失うこと(沖縄タイムス・謝花直美)

    10月31日未明、首里城正殿を含む7棟が全焼した。携帯には記者やデスクらが号外対応のため連絡を取り合うメールがいくつも入っていた。早朝のテレビで炎上する首里城が映し出される。愕然とした。ふだん、首里城を意識することはないにもかかわらず、動揺していた。このまま出勤しても仕事が手につかないだろうと、自宅から3㌔ほどの距離の首里に走った。坂下から約1㌔ほど続く坂を上る。標高120㍍の高さにある首里は風の街だ。首里城に近づくにつれ、吹き付ける風に焼け焦げた匂いが時折混じっていた。龍潭(池)、朱色の首里城が木々に美しく映えていた場所からは、真っ黒に焼け落ちた首里城が見えた。
    首里城は消火のために近づけない。多くの人が、龍潭から首里城を茫然と見つめていた。見知らぬ同士が互いの気持ちを落ち着けようと、言葉をかけ合っている。最も現場に近かった沖縄県立芸術大学では、石垣に腰をおろし、灰となり崩れていく首里城を見詰める人たちがいた。首里城を前に動けなくなっていた人々に共通していたのは、喪失感だった。…

  • 6面~7面 種子島で「離島奪還」訓練 風光明媚な海で進む「軍事化」(栗原佳子)

  • 8面~9面 東京五輪マラソン・札幌開催 真夏五輪でマネー死守(粟野仁雄)

    11月1日の最終日はメディアにも開放。四つの「決定事項」が配られ、IOCのコーツ調整委員長が形だけ是非を問うたが実によくできている。
    ①決定権はIOCにある
    ②札幌移転にかかる費用は東京都に負担させない
    ③既に使った費用は別の目的に使えないものは東京都には負担させない
    ④マラソンと競歩以外の移転はしない
    ①は「何を騒いでるんだ」と言わんばかり。②③は小池百合子都知事の「都民の税金を他都市へ使いません」発言を意識したが巧みだ。費用をIOCが持つとは言ってない。③など「パラリンピックでコースを使うではないか」で相殺できる。小池知事は「合意なき決定」とEU問題をもじった表現をした。山下泰裕JOC会長も決定事項を支持したが、東京を選んでもらったJOCが物申せるはずもない。橋本聖子五輪担当相も「決まったことに従う」とするだけ。これは1980年のモスクワ五輪ボイコットの反省から日本体育協会がJOCとして再出発し、政府は原則介入しないとの立場があるからだ。
    初日、挨拶で小池知事は英語で話し自分で訳す「通訳無視」。森喜朗東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員長は長々とラグビーの話をした。皮肉っぽく「ワンチーム」を強調した小池知事が札幌案を知ったのはIOC発表前日の10月15日だった。8日に突然、2次抽選のチケット販売を延期したことなどから、森氏は7日に知っていたとみられる。
    政治家としては「犬猿の仲」。IOCの決定を森氏が先に知っていたことが小池氏は不快だった。「小池知事に早く教えればマスコミを使って猛反対されて札幌が難しくなる」と森氏がIOC側に示唆しコーツ委員長、橋本五輪相と3人で共有し、小池知事を蚊帳の外にした。…

  • 10面~11面 「ヤマケンのどないなっとんねん」稚拙な対応 まさに国難(山本健治)

    1952(昭和27)年4月、吉田茂首相主催で「桜を見る会」が開催され、招待者は約千人、前年9月、サンフランシスコ講和会議が開催され、連合国との戦争と占領の終結が確認され、主権回復に関わった人々の努力を労うものだったとされる。が、同会議と条約、日米安保条約について国論は二分され、吉田首相が再軍備を進めようとしていたこともあって反対運動が起き、それらを弾圧する「破防法」を強行成立させようとしていたところに、日航機「もく星号」墜落事件が起きた。とても祝う状況ではなかったが、「ワンマン宰相」吉田首相は開催したらしい。当時の新聞の縮刷版を読んでみたが、記事は発見できなかった。一部に喜色満面の吉田首相の写真を掲げた資料はあったのだが、確認することはできなかった。これ以降、歴代首相が桜にかこつけ、権勢をひけらかし、なびく人たちを集める会を開催するようになったのだ。
    政権交代したはずの民主党が、鳩山由紀夫首相のもとでこれを開催し、自民党と同じように議員枠を設けて招待者を集めた結果、今回、安倍首相の責任を追及するにおいて、どっちもどっちだと言われてしまっているのだが、私が高槻市議の頃、当時の田中角栄首相が「桜を見る会」の招待者に地元後援会関係者らを加えて5千人、8000人の規模にし、自らの集票活動の一環としたことを知った。ロッキード事件とともに「角栄的なもの」はなくなったはずだったが、小泉首相時代にこの会を劇場政治の舞台の一つにするようになって8000人から1万人規模になり、第2次安倍政権になってからは1万8000人にもなった。それも招待状は1万4000人なのに入場者は1万8000人、招待にあたって功労・功績の確認はもとより、入場に際して本人確認もしていなかったのだから呆れる。費用も予算など関係なく5000万円を超えた。…

  • 12面~13面 「世界で平和を考える」沖縄・与那国島ルポ(西谷文和)

    「自衛隊の南西シフト」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 大手メディアはほとんど報道していないが、自衛隊は沖縄県の宮古島、石垣島、与那国島、鹿児島県の奄美大島、種子島、馬毛島などに新基地を建設、または建設予定。いったいなぜ? 基地予定地の現状は?住民たちは賛成なのか、反対なのか?まずは日本最西端、与那国島へ飛んだ。
    2019年10月、沖縄・那覇空港を飛び立ったプロペラ機は約520㌔のフライトで与那国空港に着陸した。案内役は「南西諸島ピースネット」共同代表の猪股哲さん(42)。まずは島の西端、西崎灯台へ。本州最西端の地で「イリザキ」と読む。逆に東端は「東崎」と書いて「アガリザキ」。東の水平線から太陽が昇り西に沈む。東がアガリで西はイリ、わかりやすいなー。
    ここから台湾は見える。年間3、4日で、晴れた日ではなく、台風が海峡を通過する直前、特殊な気象条件で蜃気楼現象とともに台湾が現れる。
    「与那国に自衛隊の監視部隊がいて、石垣、宮古にミサイル部隊。もし中国が攻めてきたら、鹿児島から沖縄に至る南西諸島ラインで迎え撃て、ということです」
    米軍は2024年から沖縄に駐留する約9000名の海兵隊員をグアム、オーストラリアに移転させ、最終的に2000名に減らしていく。なぜか。
    沖縄は中国に近い。中国のミサイルは沖縄に届くので、海兵隊はグアムへ退く。その代わりに自衛隊が中国を封じ込めよ、ということだ。
    えっ、米軍が日本を守ってくれるから沖縄に基地があるのでは?
     違うのだ。結論から言えば「米軍はイラクやアフガンなど、紛争地に兵を送り込むために沖縄に基地を置いている」。
    1980年代まで、日本の脅威は仮想敵国の旧ソ連だ。
    もし米軍が本当に日本を守ってくれるのなら、基地は北海道に置くはずだ。しかし北海道には自衛隊が駐屯し、アメリカは青森県三沢に空軍、神奈川県座間に陸軍、横須賀に海軍を置いていた。
     旧ソ連が日本を攻めてきたら、まずは北海道の自衛隊が迎え撃つ。その間に米空軍は戦闘機で沖縄の基地に逃げ、態勢を整える。北海道が落ちて旧ソ連軍が南下してきたら、米陸軍と海軍は横須賀から船で沖縄に逃げ、態勢を整える。その頃は、旧ソ連軍はかなり疲弊しているはず。沖縄で迎え撃ち、叩きのめすことができるだろう……。これが米軍の「対ソ軍事戦略」だ。
    つまり「日本が金を出す代わりにアメリカが守る」というのは、限りなく嘘に近い。
    トランプ大統領は「世界の警察官をやめる」「イラクやシリアから兵を引く」と約束して当選した。米軍は中東から撤退していくが、中国には圧力をかけ続けねばならない。自衛隊を前線に置き、自分たちは後列に退くのだ。なんのことはない、日本は米軍にカネも人も差し出すのだ。
    基地建設前は、反対する島民の方が多かった。2011年8月の琉球新報の世論調査では賛成13・3% 反対77・3%と反対が圧倒し、多くの島民がデモや集会で反対の意思を表明していた。基地建設を止めるため、反対派は基地建設の是非を問う住民投票の実施を求めた。しかし町議会の反対でボツ。その後基地建設工事が強行され、15年には自衛隊員とその家族がやってきた。島の人口は1479名、そこに自衛隊員と家族250人が加わった。これで選挙の行方は「自衛隊票」が左右することになった。現在4期目の外間守吉(ほかましゅきち)町長は賛成派。そして町議会議員6名のうち、賛成派3名、反対派3名。そんな中で2度目の住民投票を求める動きがあり、この時は議会を通過して実施することになった。…

  • 14面~15面 「ゴジラと憲法」自衛隊の戦略(高橋宏)

    11月3日、ゴジラは生誕65周年を迎えた。東京では「ゴジラ・フェス2019」が盛大に開かれ、関西でも兵庫県西宮市でイベントが開催されて多くのファンが足を運んだ。この65年間、日本で制作された実写版の映画は29作品にのぼる。それ以外に、ハリウッド版とアニメ版それぞれ3作品が制作されており、国内外にその名をとどろかせてきた。
    ゴジラ映画は、その制作時期から大きく四つのシリーズに分類することができる。1954年の第1作『ゴジラ』から、75年の第15作『メカゴジラの逆襲』までは「昭和ゴジラシリーズ」。84年の第16作『ゴジラ』から、1995年の第22作『ゴジラVSデストロイア』までは「平成ゴジラシリーズ(VSシリーズ)」。99年の第23作『ゴジラ2000ミレニアム』から2004年の第28作『ゴジラFINAL WARS』までは「ミレニアムシリーズ」。そして16年の第29作『シン・ゴジラ』(この1作のみであるので、特にシリーズ名はない)だ。
    このうち、第1作を含む昭和ゴジラシリーズには、一つの共通点ある。それは米軍、特に在日米軍が全く登場していないことだ。ゴジラが「人類への脅威」から「人類の味方」へとスタンスを変えた第5作『三大怪獣地球最大の作戦』以降は、ゴジラに対する攻撃(防衛)は皆無となってしまうが、1964年の第4作『モスラ対ゴジラ』までは、日本に出現したゴジラに必死の攻撃(防衛)が繰り広げられた。その主役は自衛隊だったのである。 
    第5作以降も、ゴジラの「対戦相手」である怪獣を攻撃(防衛)する場合があったが、その主役はやはり自衛隊であった。74年の第14作『ゴジラ対メカゴジラ』の舞台は、2年前に返還された沖縄であった。…

  • 16面~17面 「こちらうずみ火編集部」金光男さん講演「歴史認識を近づけよう」(矢野宏)

    新聞うずみ火主催の市民講座が11月15日夜、大阪市此花区西九条のクレオ大阪西で開かれ、「在日韓国研究所」代表の金光男(キム・グァンナム)さんが「日韓関係悪化の原因は安倍政権の朝鮮半島敵視政策」と題して講演した。元徴用工判決から1年、金さんは「日韓対立を解消するには歴史認識を近づけること」と訴えた。講演要旨をお届けする。              

  • 18面 「こちらうずみ火編集部」大島賢一さん講演「原発維持は子孫に負担」(栗原佳子)

    「原発とコスト」などの著書がある大島堅一龍谷大学政策学部教授が10月27日、大阪で開かれた電力労働運動近畿センター20周年の集いで「原発にしがみつく日本に未来はあるのか」と題し講演した。要旨を紹介する。

  • 19面 「こちらうずみ火編集部」統国寺で「ナンジャン」「対立より『同じ人間』」(矢野宏)

    在日コリアンにゆかりの深い大阪市天王寺区の統国寺で11月2日、日韓対立を越えて友好を願う催し「ナンジャン」が開かれた。韓国の伝統芸能「サムルノリ」や民族舞踊、歌やダンスなどが披露され、圧巻はイラストレーターの黒田征太郎さん(80)と韓国の伝統楽器奏者の金徳洙(キム・ドクス)さん(67)による「ライブペインティング」。黒田さんが韓国打楽器の音色に合わせて日韓友好の絵を即興で描き上げると、境内に詰めかけた200人から大きな歓声と拍手が鳴り響いた。    

  • 20面 「こちらうずみ火編集部」桜を見る会前夜祭「説明のたび深まる疑惑」

    首相主催の「桜を見る会」の前日に安倍首相の後援会が開いた「前夜祭」をめぐる問題。ホテルニューオータニでの立食パーティーで、会費5000円で800人が参加したとされ、安倍首相はホテル側とやり取りした明細書についても「そうしたものはない」と話すなど、疑惑は広がっている。11月18日のMBSラジオ「ニュースなラヂオ」では、「政治とカネ」の問題の第一人者で神戸学院大教授の上脇博之さんに話を聞いた。

  • 21面 「経済ニュースの裏側」株高も年金は運用難(羽世田鉱四郎)

    ■世界の現況
    世界の景気が停滞しています。各国は、猫も杓子も金融緩和に。ジャブジャブとマネーを供給すれば、経済活動が刺激されるという妄信に囚われています。出回るマネーの全容はつかめませんが、「2016年時点では87・9兆㌦(約1京円)といわれ、GDP(国内総生産)の116%」(17年11月14日付の日経新聞)とか。それに対し、借金は、倍の178兆㌦(約2京円)と推定されています。
    ■米国の現況
    日本でいえば、日銀のようなFRB(米連邦準備理事会)。金融の調節機能が低下し、短期金利が乱高下。08年以降の量的緩和で、FRBの総資産は4・5兆㌦まで膨らみました。逆に、17年からは3・9兆㌦まで縮小しましたが、短期マネーが逼迫し、金利が上昇。10月3日だけで3335億㌦(3兆6000億円)を供給するなど、右往左往しています。背景には、BIS規制(バーゼル規制)があります。国際的に活動する金融機関が暴走し、金融危機が連鎖しないような仕組みになっています。主要各国の国債が買われ、金利も総じてマイナスとなり、「利回りがマイナスの債権は、9月初めに17兆㌦(1836兆円/対ドル108円換算)に。9割近くが日本と欧州で、それぞれ4割強」(月刊「選択」10月号)という状態です。…

  • 22面 「会えてよかった」武村豊さん⑦(上田康平)

    日系2世の米兵が隊長に指示をあおぐと「3人をキャンプに帰せ。金網に入れなさい」。それで豊さんたちが2世の彼にこれまでの事情を話すと、彼は「大変だったね。キャンプに帰したと言っておくから」と宜野座行きのトラックに乗せてくれた。
    捕虜になったときと今回。豊さんは2度、心打たれ、生きているという実感が少しずつ戻ってきた。
    宜野座で過ごしたのは1カ月。澄ちゃんの紹介でいっとき、木の下学校(青空学校)の先生をしたという。
    捕虜になるまでは、逃げるのに一生懸命で家族のことを思わなかったが、宜野座に来て、毎日、母と会う夢を見た。ぱったり会って、あっ、お母さんと抱きついたら、目が覚めて。翌日も同じ。今日は本当でしょうねとほっぺたをつねると夢だった。
    1945年夏。豊さんは米軍から立ち入りが許されていた船越(現南 城市)に移り、遠い親 戚のおばさんたちと暮 らす。畑のひげ芋(収穫後、根に残った小さい芋)をもらい、芋汁にして食べるような生活だった。
    そんなある日、母や姉と南部でいっしょだった方とお会いして、悲 しい事実を知る。
     米軍上陸で、与那原に住んでいた母たちに本島北部に避難するよう達しが出たけれど、母は(学徒看護隊の)娘一人南部に残して、北部に行くことは出来ないと南部を逃避行。
    それで、どんどん激戦地へと追い詰められ、糸洲(現糸満市)で壕もなく、民家で体を休めているとき艦砲射撃に襲われた。
    姉が重傷。塀の陰まで来て歩けなくなり親子でしゃがみこんでいたという。危ないから逃げようと誘ったが、母は、親子は諸共だから、あなたがたは先へ行って…と言い、そこで別れたとのことである。
    悲しい事実を知った後、母の夢を見なくなった。…

  • 23面 「落語でラララ」三遊亭可楽 「草創期のネタ作り 爆発!」(さとう裕)

    落語家の名前は時に粋であったり、くすりと笑えたり。名前だけでいえば、私の好みは三笑亭可楽。山椒は小粒でヒリリと辛いを洒落たもので、何とも小粋。五街道雲助なんて凄いのもある。柳家つばめも洒落てる。柳家権太楼(ごんたろう)は、いかにもやんちゃそうだ。朝寝坊むらく、なんてずぼらでのんきだ。有名な三遊亭圓生も初代の最初の名乗りは「山遊亭猿松」。昔々亭桃太郎(せきせきていももたろう)は、子どもが喜びそう。先代桃太郎は、柳家金語楼の実弟で、私も若い頃、東京の寄席で聞いた。「桃太郎さんですよ」としゃべりだしたのが印象的で、いかにも好々爺然とした話しっぷりだった。
    さて、今回は初代・三笑亭可楽のお話。江戸落語の祖、鹿野武左衛門が奇禍にあって、その後約百年、江戸で噺家は途絶えてしまう。文化文政の世になって烏亭焉馬が出て、江戸の落語が再生する。その頃が、実質的な江戸落語の草創期。現代に伝わる名跡が多く生まれたのもこの時代。櫛職人の又五郎、山生亭花楽と名乗り、寛政10(1798)年、下谷柳の稲荷で「風流浮世おとし噺の会」を始めた。が、素人の悲しさ、持ちネタが5日で無くなり、職人に逆戻り。落語を地で行くような大失敗。ところが、又五郎、落語家への思い断ち難く、同年9月、目黒不動尊に参詣し、櫛作りの道具を売り払って再出発。その後、三笑亭可楽と名乗りを改め、人気者になっていく。
    実は、最初の失敗は自作以外のネタを高座に掛けまい、と気負ったためにネタ切れしたもの。再起後は奮起して三題噺を発案、工夫して人気を博した。三題噺とは、あらかじめ客から三つのお題をもらっておいて、その日の最後の出番か翌日の高座で、一つの噺にまとめてかけるというもの。即席で落語を作るだけになかなか大変。可楽が最初にもらった題は、弁慶、辻君、狐だったという。この三題噺、後世、幕末に一時大流行。あの三遊亭圓朝も多くの名作を残しているのはご存知の通り。…

  • 24面 「100年の歌びと」みだれ髪 歌姫 昭和道連れに逝く(三谷俊之)

    のみだれに 手をやれば
    赤い蹴出しが 風に舞う
    憎くや 恋しや 塩屋の岬

     この曲のリリースは1987(昭和62)年12月。ひばりは、慢性肝炎と両足大腿骨骨頭壊死で長期入院。再起不能説も流れた中で、復帰第1作としてレコーディングされた。闘病中を含めてのこの5年間に彼女は最愛の母と2人の弟を亡くしていた。 祈るように歌った「♪ひとりぼっちに しないでおくれ」というこの歌の詞は、ひばりの想いにも重なってくる。作詞は星野哲郎、作曲は船村徹。北島三郎の『なみだ船』や『風雪ながれ旅』などを生んだ名コンビ。船村はひばりに『哀愁波止場』などの曲も提供している。
     ひばりの曲で一番売れた曲は『川の流れのように』だが、私はこの曲にはなじめない。ひばりは60年代の『哀愁波止場』『ひばりの佐渡情話』『悲しい酒』などを頂とし、『悲しき口笛』『東京キッド』などの初期曲と、後期では79年の『風酒場』や、この『みだれ髪』などがはるかにいい。芸能研究者としても深い洞察をする俳優の小沢昭一は『川の流れのように』について、「この歌、堂々とリッパすぎて私にはなんだかなじめません。またこれも大ヒットの『柔』という歌も、教訓的なところがニガテであります」(「小沢昭一的流行歌・昭和のこころ」より)という言葉に共感する。『柔』について本田靖春は『「戦後」美空ひばりとその時代』の中で、「高度経済成長期以降は、世の中が全体として〈戦後〉を否定する方向で動いていった。軌を一にして、私の中の美空ひばりも、かがやきを失っていく」と述べていた。…

  • 25面 「坂崎優子がつぶやく」キャッシュレスが進む理由

    日本のキャッシュレス化は遅れていると言われます。通貨に信用があり、金融サービスも行き届いている現状を考えれば当然かもしれません。「無理にキャッシュレスを進めなくても」とも思えます。けれどこれから先を考えるとそうも言ってはいられません。
    フィンテックという言葉を耳にしたことはないでしょうか。金融テクノロジーと訳されます。インターネットやAIなどを使うことで安くサービスが提供できます。フィンテックはリーマンショック後、米国のシリコンバレーから始まりました。代表的企業がPayPalです。ネット上で決済、送金、集金ができるサービスです。世界200以上の国と地域で利用でき、100通貨以上に対応しています。海外への送金には手数料がかかりますが、国内ならかかりません。米国では、コスト面で圧倒的に有利な立場にあるPayPalが銀行の脅威になっています。
    日本のフィンテックはといえば、これまでは会計サポートなど、銀行業務と連携するようなサービスが中心でしたが、近年はLINEやメルカリ、Yahooなど、様々な企業が決済や融資という分野に進出し始めています。「〇〇ペイ」がまさにそれです。米国は金融危機によって、個人や中小企業が融資を受けにくくなったことから、インターネットを利用したフィンテックが生まれ、普及しました。
    一方、新興国では、金融インフラが整っていないため、多くの国民が銀行口座を持てず不便な生活を強いられていたところにフィンテックが登場しました。
    例えばケニア。携帯電話が普及したことで、2007年に携帯電話で送金や支払いができる「エムペサ」というサービスが始まり、一気に広まりました。ちなみにお金の出し入れは、町中にある代理店で行えます。日本は米国や新興国のようにフィンテックを必要とすることがないまま、従来型の銀行中心で動いてきましたが、もはや経費のかかりすぎる銀行業務をこのまま維持するのは難しくなっています。…

  • 26面~29面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    台風で浸水被害
    後片付けに絶句

    千葉県 石井明美
    台風21号の影響で10月25日は朝から雨、一日中降っていました。風はほとんどなかったのですが、昼ごろに突然、携帯電話が警告音を発し、「村田川流域地区の方に避難勧告が出ました」という知らせが……。2階の窓から見ると、家の前の低い畑地が泥水池になっていました。台風15号で停電に見舞われたことが思い出され、急に恐ろしくなりました。
    私の住んでいる所は村田川とは離れていて浸水の恐れはなくても、大雨の影響でまた停電になるかもしれないと、風呂や容器などに水を汲んでおきました。翌日、雨が止んだ屋外に出ると、畑の水は引いていましたが、植物や通路などが泥だらけ。その後の日照り、風が吹くと乾いた泥は土ぼこりとなって舞い上がるのです。しばらくはマスクをつけての草取りや庭掃除に追われました。
    被災地でボランティアの人たちがマスク、手袋、長靴姿で片づけを手伝っていることがどれほど大変なことか。それ以上に浸水した自宅で泥を前にして呆然としている方の気持ちがどれほどのものか。浸水は泥水が引いたら元の生活に戻るということではなく、今後の暮らしや人生をも変えざるを得ないほどのことなのだと思い知らされました。
    それは個人や地域の災難ということではなく、今や世界的規模で取り組むべき最も重要な課題だと思います。
    もう一つ、私を震え上がらせたのは、ここから20㌔も離れていない内陸の地で土砂崩れがあり、2棟が倒壊して死者が出たという情報でした。
     今まで大きな災害に見舞われたこともなく過ごしてきた千葉が、連続した台風によって傍観者ではいられなくなったこと、今までの怠慢や不注意が今回の被害の中に人災的要素もあったことも感じ取っていただけたらと思います。
     (台風15号や19号の爪痕がまだ大きく残るなか、千葉県は台風21号の影響で記録的な大雨となりました。川の氾濫や浸水、道路の冠水など多くの被害が出たというニュースを受け、再びお見舞い状を出させていただきました。石井さんも怖い思いをなされたのですね。でも大きな被害がなくて安心しました)

    首里城焼失に涙
    復元に向け力を

    沖縄県 上田康平
    10月31日、首里城が炎上し、正殿などが焼失した。
    いつもより少し遅く起きて、午前7時半を回っていたと思う。何気なくテレビのニュースを見ると、火災の映像と首里城正殿……のテロップ。まったく思ってもみなかったニュースが飛び込んできた。すぐに大阪にいる沖縄出身の知人に電話で知らせ、昼前には沖縄の知人に電話した。とにかくこの事態を前にして、知り合いの声を聞きたいと思った。
    夜も関連のニュースを見た。炎に包まれて焼け落ちる首里城の正殿、涙する人々。11月1日付の沖縄タイムス。表紙から裏面までの写真と「首里城炎上 正殿が焼失」の見出し。ほとんどの紙面が、火災の状況と人々の声、復元にたずさわった人々の声など。玉城知事は「必ず復元する」と決意を語っている。
    タイムスを読み終わって、先の沖縄出身の知人に電話した。話していると涙声になってしまう。電話の向こうの知人はもっと涙声になっている。
    少し私なりに整理してみた――。
    琉球王国の時代。民衆は租税を取り立てられ、貧しい生活を強いられていた。その民衆を支配した琉球国王ら支配層の建物が首里城だった。焼失を繰り返し、4代目の首里城は沖縄戦により焼失した。日本軍が首里城の地下に第32軍司令部壕を構築していたため、米軍が地下の司令部壕を攻略するとき、首里城が焼失したのである。
    そして、今回焼失した首里城は戦後復興の象徴だったと言われる。沖縄戦では多くの人々が亡くなり、沖縄島は破壊された。その中から人々は復興に立ち上がったのであるが、その象徴だったと言われている。
    元は支配層の建物だった首里城ではあるが、戦後、復元された首里城は民衆の建物になったのではないか。だから人々は涙し、ウチナーンチュの知人は涙する。自分たちの首里城と強く意識していた人もいるが、空気のような存在で、そんなに自分たちのものと思っていなかった人もいる。私も後者だけれど、焼け落ちるのを目の当たりにして涙が出る。
    タイムスのコラム「大弦小弦」は「逆境にへこたれず、乗り越えてきたのがウチナーの歴史。今こそ、その底力を見せよう」と結ばれていた。
    ほんとに小さい力だけれど、私も首里城復元に力を寄せたいと思う。
    (琉球王国の中心地だった首里城。先の大戦に続いて再び猛火に包まれました。1992年に主な施設が復元され、正殿地下の遺構部分など城跡は2000年に世界文化遺産に登録されました。今回の火災で貴重な文化財も焼失したとみられています。今も信じられません。沖縄の人たちの落胆はいかばかりか…)

    沖縄の集いで訪問
    首里城思い浮かべ

    大阪府 田中裕子
    首里城の火災、本当にショックで残念でなりません。
    6月のうずみ火主催の沖縄慰霊の集いに参加させていただき、自由時間に一人で首里城を見て回りました。火災報道を聞き、あの赤い柱に描かれた見事な文様に、屋根の赤瓦一枚一枚に、再建に携わった方々の深い思いが込められていたことがよくわかりました。全部燃えてしまったとは……信じられない気持ちでいっぱいです。
    沖縄の方々の無念を考えると言葉がありません。首里城の一番高い場所から見た沖縄の海の風景。海でつながるアジアの人々との長い交流の歴史を思いました。改めて、沖縄の歴史について考え、ささやかな寄付とともに他にも自分に何かできることはないか考えてみたいと思います。
     (今年の沖縄慰霊の集いに初参加され、首里城も訪ねられたのですね。さぞかし、ショックだったでしょうし、今も信じられないのではないですか。一日も早い再建に向けて、微力ながら私もできることをやりたいと思います)

  • 28面 「車イスから思う事」黄色い声が飛ぶ理由(佐藤京子)

    紅葉の季節だが、「桜、サクラ」と騒がしい。歴代総理が主催する「桜を見る会」は、最近では「安倍晋三氏と桜を見る会」になったようだ。気になったのは前夜祭。超高級ホテルでの飲食代が5000円。翌日の見る会では新宿御苑の入場料はもちろん、安倍首相とハイタッチをする権利もついてくるようだ。それならば、支持者でなくても魂を売りそうとなってしまうのではないか。
    悪魔に魂を売った訳ではないが、実は「桜を見る会」に参加したことがある。2004年のアテネパラリンピックで銀メダルをとった時、当時の小泉純一郎首相から招待状をいただいた。日本陸上競技連盟の総務から「メダルを忘れずに持って行くように」と、耳にタコができるくらい聞かされ、新宿御苑へと向かった。
    とにかくいる場所から向く方向まで細かく指示されてチョコンと座っていた。早い話、自分という人間ではなく、日本選手がとった「メダル」の数にだけ関心があっただけのこと。「純ちゃん――」と黄色い声が響く中で、形だけの激励を受けた記憶がある。今思えば、あの黄色い声の持ち主は後援会の「枠」の人たちだったのだろう。そうでなければ、いい年をした女性が黄色い声を張り上げて、手を振ったりはしないだろう。今回の報道を見ていて長い疑問が解けた気がする。
    新宿御苑は芝生敷なので、当時手動式の車イスでは移動が大変だった。植物園を見て歩いただけで、早々に帰路へついた。後から、飲食のブースがあり、大変に豪華であったと歩ける友人たちに教えられた。…

  • 30面 編集後記(栗原佳子、矢野宏)

    初めての種子島。和田伸、香穂里夫妻の車で2日間、島じゅうを案内してもらった。訓練地のみならず景勝地や戦跡、宇宙センターなどなど。感謝してもしきれない。南国と本州が交錯する独特の植生。見たこともない花。蝶。特にありのままの姿を残す海に魅せられた。そこが軍事的にも狙われる側面と知り怒りが沸いた。島内で声を上げる人が少なく、島外からの関心も薄く、既成事実が積み重ねられていく。奄美や沖縄、宮古、八重山とも抜き差しならぬ関係にある島で……。実は今回、空港に送ってもらう最後の立ち寄り地の、それも車に乗り込む直前に左足を、まさかの下駄履き骨折。乗り継ぎのピーチはリフトで降ろしてもらった。幸いにも順調に回復中。「毎日骨太」を飲みながら再訪の日を探っている。/また今回、首里城焼失に寄せて沖縄タイムスの謝花直美さんに寄稿をお願いした。沖縄の人たちの痛み。琉球と日本。首里城が体現するものを知らしめられる。多くの人に届いてほしい。首里城については様々な支援が沖縄県外でも始まっている。毎日放送OBの西村秀樹さんからは「首里城再建を考える会」の案内をいただいた。「日本の近現代史に占める首里城の意味を照らしていく運動にしたい」という。12月15日(日)午後2時から大阪市中央区の大阪シニアネットで準備会がある。基調報告は関西沖縄文庫の金城馨さん。連絡先は「~考える会」(℡080・9740・0101 大阪自由大学)へ。  (栗)
    ▽関西電力幹部による金品受領問題で、うずみ火先月号で福井県高浜町の元助役が部落解放同盟と関係があると受け取られかねない表現があったことをご指摘いただいた。部落解放同盟中央本部が出したコメントの中で明らかなように、元助役は解放同盟福井県連の書記長に就任したが、2年で解任されている。にもかかわらず、関電はあたかも被害者のように装い責任を転嫁させようしているのではないか。まさに死人に口なし。問題の本質をゆがめることなく、今後も取材を続けます。(矢)

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    10月4日(金)
    矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」の新アシスタント北口麻奈さんの歓迎会のあと、ディレクターの亘佐和子さんと十三の居酒屋「風まかせ」へ。「『辺野古』県民投票の会」代表だった元山仁士郎さんと再会、歓談。
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    10月5日(土)
    栗原 午後、京大で開かれた「旧帝大による奄美人骨収奪問題を考えるシンポジウム」を取材。
    10月7日(月)
    矢野 夜、MBS「ニュースなラヂオ」。ナイター中継終了30分後のスタートで、30分間の短縮版。「覆面禁止法」が成立した香港から来日した学生らの話を上田崇順アナウンサーが紹介。
    10月8日(火)
    矢野、栗原 午前、関電幹部金品受領問題の取材で福井県高浜町へ。市民団体「原発動かすな!実行委員会@関西・福井」の抗議デモを取材。
    10月9日(水)
    西谷 昼前、ラジオ関西「ばんばんのラジオでショー」
    10月10日(木)
    西谷 8年ぶりに沖縄に入り、辺野古などを取材。
    10月11日(金)
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    10月12日(土)
    台風19号の接近で、予定していた生野コリアタウンフィールドワークは中止。矢野、栗原は鶴橋でコリアNGOセンター代表理事の郭辰雄さんと打ち合わせ。12月14日の大阪忘年会前に再開することに。
    10月13日(日)
    栗原 午前、十三のシアターセブンであった「ドローンの眼」上映会&影山あさ子監督アフタートークを取材。
    10月14日(祝・月)
    矢野 午後、国労会館で開かれた「関電の原発マネーの徹底究明と原子力からの撤退を求める10・14緊急集会」を取材。夜、MBS「ニュースなラヂオ」は文化庁の「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付について元文科官僚の寺脇研さんに話を聞く。
    栗原 10・14緊急集会のあと、ヨドバシカメラ前で開かれた外国籍住民の「大阪『都構想』住民投票への参加を求める「みんじゅう」を取材。
    10月17日(木)
    矢野 午後、ラジオ関西「時間です!林編集長」
    10月18日(金)
    矢野 夜、豊中市内で開かれた「日韓対立を乗り越えるために 緊急学習会」で「日韓の歴史認識から再出発を」と題して講演。
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    10月21日(月)
    矢野 夜、MBS「ニュースなラヂオ」は「なぜ堤防は決壊したのか」と題して河川工学が専門の大学名誉教授、今本博健さんに話を聞く。「国交省はダム建設に力を入れ、堤防強化をしてこなかった」「八ッ場ダムが利根川氾濫を食い止めたというのはウソ」など驚く話が次々と。
    工藤孝志さんと澤田和也さんが新聞うずみ火の折り込みチラシのセット作業。
    10月23日(水)
    夕方、新聞うずみ火11月号が届き、発送作業。工藤さん、澤田さんのほか、小泉雄一さん、樋口元義さん、友井健二さん、幸義晴さんが手伝いに。
    10月24日(木)
    矢野 昼過ぎ、ラジオ大阪「里見まさとの早起き情報スタジオ」収録したあと、ラジオ関西「時間です!林編集長」
    10月25日(金)
    夜、事務所で定岡由紀子弁護士による「憲法BAR」
    西谷 「路上のラジオ」アップ。「トランプ手品のタネ明かし」のほか、小出裕章さんの「3・11を忘れない」と矢野の「消費税増税の正体」
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    10月27日(日)
    矢野 栗原、昼、大阪市内のホテルで開かれた「電力労働運動近畿センター20周年記念の集い」で龍谷大教授の大島堅一さんの講演のあとの懇親会で乾杯挨拶。
    10月28日(月)
    矢野 夜、MBS「ニュースなラヂオ」。中東で取材中のジャーナリスト玉本英子さんにトルコのシリア侵攻や米軍によるIS最高指導者を殺害などについて話を聞く。奇跡的に電話がつながり、鮮明な音声にと胸をなでおろす。
    10月30日(水)
    午後、事務所で「茶話会」。埼玉から参加の根橋敬子さんらが近況報告。「柏節子さん、元気やろか」との声も。

  • 32面 忘年会のお知らせ(文責・矢野宏)

    ●東京
    東京忘年会は12月7日(土)午後5時~新宿2丁目の「隋園別館・新宿店」(都営線「新宿3丁目駅」⑤から徒歩3分 03・3351・3511)で行います。会費は5000えん(予定)。二次会から参加される方は、新宿3丁目の沖縄料理「かりゆし」へ。午後8時半スタート予定です。初めての方、お久しぶりさんも大歓迎。新聞うずみ火まで。

    ●埼玉
    埼玉忘年会は8日、「ワンデイ・ピーススタディ」を兼ねて。「原爆の図」の丸木美術館→昼食→県立平和資料館→吉見百穴(中島飛行機の地下軍需工場跡地も)、武州松山城跡などを見学後、東松山名物の焼鳥を食べながら乾杯。午前11時に東武東上線「東松山駅」西口。レンタカー移動。根橋さん(090・9245・0531)まで。

    ●大阪
    大阪忘年会は14日(土)。台風で順延の生野コリアタウンフィールドワーク後、淀川区宮原の韓国料理店「セント」(地下鉄御堂筋線「東三国駅」徒歩3分 06・6397・8889)で。フィールドワークは午後2時半にJR「鶴橋駅」の改札集合。忘年会から参加も大歓迎。午後6時からスタートします。新聞うずみ火まで。

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