新聞うずみ火 最新号

2020年10月号(No.180)

  • 1面~3面 「大阪都構想」再び住民投票 弱小都市を選ぶのか(矢野宏)

    大阪市を廃止し四つの特別区に再編する、いわゆる「大阪都構想」の制度案が大阪府・市の両議会で可決された。大阪市選挙管理委員会は住民投票の日程を10月12日告示、11月1日投開票と決定。僅差で反対が上回った5年前に続いて2度目の住民投票が行われることになった。18歳以上、日本国籍を有する大阪市民の手に政令指定都市・大阪市の運命は託された。1票でも賛成が上回れば大阪市は2025年1月、4特別区に分割され、消滅する。

  • 4面~5面 「大阪都構想」講座 第3弾「自主財源は村以下」(矢野宏)

    新聞うずみ火主催「『大阪都構想』を考える連続講座」の第3弾は8月28日、大阪市中央区のターネンビルで開講。反「都構想」の論客で元大阪市議の柳本顕さんを講師に招き、「住民投票までに知っておくべき嘘と真」について語ってもらった。

    柳本さんはまず、「住民投票で問われるものは『大阪都構想』の是非ではなく、特別区設置協定書の内容だ」と指摘。そこに書かれている特別区設置の日や特別区の名称と区域などの「中身について賛成か反対を問うのが住民投票だ」と説明した。

    さらに、「『都構想』は大阪維新の会が発信している行政用語に過ぎない」と述べ、定義づけると「大阪市廃止分割4特別区設置」だと強調した。

    いわゆる「『都構想』の真とは三つだ」と、柳本さんはいう。

    一つは、大阪市がなくなること。「大阪市は残り、行政区がいくつか引っ付いて新たな特別区が大阪市の中にできると思っている方が少なくありません。維新も『大阪市はなくなりません。役所の再編だけで、市民の皆さんには何ら不利益を与えません』とうそぶく。でも、大阪市がなくならないというのは紛れもない嘘です」

    二つ目は、24行政区はなくなること。維新は「区役所機能は維持されます」とか、「区役所は変わりません」と主張するが、それも嘘だという。「行政区の区役所は区役所ではなく、『地域自治区』の事務所になるのです。名前は区役所というかもしれないが、中身は違う。区役所機能は維持されなくなります」

    三つ目は、都にはならないこと。「私の住所は、大阪市西成区山王1丁目ですから『大阪府中央区西成山王1丁目』となります。維新は『大都市法で都とみなすと書いているではないか』と言います。都とみなすということは都ではないということ。発信している広報物の中には大阪都という言葉をいまだに使っていますが、これまたイメージばかりで実態を伴わない偽りの表現です」

    「都構想」を進める理由として、維新は「大阪府と市は二重行政の弊害があって『府市合わせ』(不幸せ)。知事と市長の対立によって大阪の成長が阻害されている」と訴えている。

    その象徴としてチラシに描いているのが、大阪市のワールドトレードセンタービル(WTC)と大阪府のりんくうゲートタワービル(GTB)。両方ともバブル期に計画され、建設されたビルだ。

    「同じようなビルを二つ建てたやないかと言われるかもしれませんが、WTCとGTBはもともと機能が違います。WTCは咲州庁舎となり、テナントが入らないということでホテルにしましたが、関空に近いGTBはもともとホテルだったのです」

    8月26日の大阪市議会で、自民党の北野妙子幹事長が「今、二重行政はあるのか」と質問すると、松井市長は「二重行政はない。これがまた不幸せという状況になってしまうから、恒久的に二重行政をなくすのが『都構想』なのだ」と答えた。

    その発言を受け、柳本さんは「今、二重行政がないのなら、『都構想』を実施しなくてもいいではないか。それに、市長と知事がずっと仲たがいすると誰が決めたのですか」

    いわゆる「都構想」で、大阪市が失われるものは何か。
    反対派は「権限が奪われ、村以下になる」という。
    市町村が持っている水道・消防・救急といった基本的な行政の権利を府に奪われることになるからだ。
    賛成派は「児童相談所や保健所などの権限を特別区が担うから中核市並みだ」というが、柳本さんは「大阪市ですら保健所の医師を雇い入れることが難しく、職員の育成も難しい現状があるのに、特別区が単体でやれるかというと、より難しくなるといわざるを得ません」と指摘する。

    大阪市の廃止・特別区設置で自主財源はどうなるのか。「この点は明らかに村以下」だという。
    「一般の市町村などは、固定資産税や法人市民税、都市計画税、事業所税などの基礎財源は全部入ってきますが、特別区になってしまうと、区民税と区たばこ税、軽自動車税の三つしか自主財源はありません。東京も特別区で成り立っているのだから大阪でも変わらないだろうと思う方が少なくな……

  • 6面~7面 「安倍政権の継承」菅内閣発足 自民の実態さらした総選挙(矢野宏)

    安倍前首相の突然の辞任表明を受け、急きょ行われた自民党総裁選で後任に決まった菅義偉総裁。9月16に召集された臨時国会で第99代首相に選出された。これまで支える側だった菅氏は総理として何を目指すのか。年内に解散・総選挙はあるのか。MBSラジオ「ニュースなラヂオ」で時事通信社解説委員の山田恵資さんに電話で話を聞いたあと、新閣僚の顔ぶれについても感想を伺った。 

    7年8カ月に及ぶ安倍政権について、山田さんは「安倍政権はレガシー(政治的遺産)を求めて、外交面ではロシアとの間で北方領土問題解決を前提にした平和条約締結や北朝鮮の拉致問題解決を目指しましたが、いずれも進展はなかった。一方で、安倍政権の突然の幕引きで、多くの『負の遺産』は置き去りになった」と指摘する。

    「官邸主導の一強体制は官僚の過度の忖度を生み、森友問題は公文書改ざんという不正義をもたらしました。森友・加計問題や桜を見る会を巡る疑惑で、安倍氏は、自身に問われた説明責任を果たしたとは言えません。安倍氏は退陣してもなお、こうした『負の遺産』といかに向き合うかが問われ続けるでしょう」

    その安倍前首相の後任を選ぶ自民党の総裁選は、国会議員票と47都道府県連に3票ずつ割り当てられた「地方票」の、あわせて534票をめぐって行われ、菅前官房長官が377票を獲得して圧勝。岸田前政務調査会長、石破元幹事長を破って新総裁に選出された。

    自民党総裁選について、山田さんは「戦う前から勝敗が決した出来レース。派閥の論理がむき出しになり、安倍首相が狙った『石破潰し』が実現した」という。

    「ただ、むしろ派閥の論理が可視化されてよかったのではないでしょうか。細田派や麻生派、竹下派の3派閥の長が菅氏支持を表明した記者会見がいい例で、自民党の体質、つまり国民より派閥の論理を優先する、派閥の勢力争い、個人の好き嫌いという感情で排除するなど、自民党の悪しき実態がさらされたことで、むしろ選挙民には次の選挙での判断材料になるのではないでしょうか」

    総裁選の記者会見で、菅氏が内閣人事局に触れ、「内閣人事局は変えず、政策に反対なら異動させる」と発言。森友問題についても「解決済み」と述べ、再調査を否定した。

    「モリ・カケ、桜を見る会など、安倍政権の『負の遺産』に関しては徹底的にフタをしようということでしょう。『石破潰し』の狙いもそこに本質があったのではないでしょうか。まさにこの点こそ安倍政権の継承そのものであると。この点を曖昧できる、フタをすることができるという点では安倍氏も麻生氏も大歓迎のはずです」
    ……

  • 8面~9面 ヤマケンのどないなっとんねん「密約・忖度政治はやめよ」(山本健治)

    安倍前首相が大叔父の佐藤栄作元首相が持っていた首相連続在任日数記録更新を待っていたかのように持病再発を理由に辞任表明し、9月14日菅義偉前官房長官が勝ち馬乗りの派閥連合で自民党総裁に選出され、その流れで16日に首相に指名され、新内閣が発足した。自民党人事も新内閣も派閥均衡、安倍亜流政権が続くかと思うと腹立たしいが、麻生副総理がささやくように支持率が高いうちに、どさくさまぎれ解散の可能性もある。

    メディアは菅新首相について「地方出身・たたき上げの苦労人」「非世襲・無派閥」「現場のわかる実務派」と持ち上げたが、秋田の貧農出身で集団就職で苦労し、大学も2部だったという話はフェイクだったことが明らかになったが、それでも苦労人というイメージは一人歩きしている。

    安倍前首相は新聞やテレビ局の幹部、テレビ番組に出演しているジャーナリストや評論家と頻繁に会食を行い、記者会見も制限して世論誘導してきたが、菅新首相もこの手法を継承していくのだろうが、そんなことをしても化けの皮は必ずはがれる。

    安倍前首相が持病再発で退陣と言った途端に悲劇の主人公になり、首相支持率が60%台に上昇したが、なぜこんなに国民は甘いのか。ほんとに情けないが、支持率が落ちた原因は、森友・加計・桜を見る会疑惑などに見られる首相による権力の私物化、それを官僚たちが忖度して、疑惑の隠蔽・隠滅、関係資料の廃棄、あろうことか決裁文書の改竄までしていたからであり、それをやらされた職員が良心に耐えかねて自殺するまでに追い込まれたからである。

    職員たちがなぜ忖度するようになったか、それは首相官邸が官僚人事を一元的に掌握し、異見や苦言を呈したりすると担当から外したり左遷したり、さらには言動素行を調査してメディアにリークして辞めさせるような恐怖政治を敷いたからである。その中心人物が、他の誰でもない菅氏だとみんなは想像していた。その人物がウラからオモテに出て首相になり、日本メディアはほとんどが礼賛記事だが、外国の新聞は日本政治の陰の権力者がオモテに出たとか、ウラの策謀家などと伝えている。

    菅新首相は記者会見で、これらの疑惑についてはすでに終わったことで、再調査の必要はないという姿勢を取り、自殺に追い込まれた職員の妻が訴訟を起こし、真実の解明、資料の開示を求めても、実に冷たく素っ気ない態度を取っているが、なぜ死を選んだか、もう少し苦しみに寄り添ったらどうだ。「国民のための政治を行う」と述べているが、やっていることは自らの地位と利害を守るためでしかない。人事を握っての政治の私物化、官僚が忖度して隠蔽・隠滅・改竄するような政治の継続は断じて許されない。

    また、「自助・共助・公助」が政治の基本だと述べたが、これは災害や事件・事故などから自らを守るための行動の基本であって、政治のあり方ではない。順序が逆である。まず国や自治体が動くのが基本だ。新型コロナ感染防止対策を例にあげるまでもないが、我々が「マスク・手洗い・うがい、三密回避」などといった行動を取るにしても、国や地方自治体がまずPCR検査や抗体検査を行い、感染実態を把握し、感染者に必要な治療を行うべきで、それをせずに「自助・共助が大切」などとふざけてはいけない。まず国と地方自治体がしっかりした対策をとるべきである。

    感染防止対策と経済活動の両立だというのなら、みんなが安心して旅行や飲食に出かけられるよう、出かける側も、受け入れる側のホテルや旅館、レストランや食堂、観光地の人たちもPCR検査を受け、お互いが感染していないことを確認すればいいのである。それをせずにこわごわ出かけても楽しくはない。これまで政府は何度もPCR検査の拡充を言ってきたが、実際にはいまだに簡単に受けられない。本気でやるべきだ。まず「公」が動く、これが政治の基本だ。

    菅新首相は「悪しき前例主義をとらない」と述べ、多くの人が期待の言葉を送ったが、拉致された横田めぐみさんの母の横田早紀江さんが「これまで何人もの首相にお願いしてきました」と語って、いまだに抱きしめられないことに怒りに似たもどかしさと、反面絶望感のようなものを秘めながら期待表明されていたが、その心中を察すると涙が出た。
    ……

  • 10面~11面 最年少で藤井聡太二冠 爆発した「悔しさのマグマ」(粟野仁雄)

    もはや「最年少記録」と名が付いて藤井聡太二冠(18)が永遠に達成できないのは、加藤一二三九段(80)の「18歳Aクラス入り」だけになろう。順位戦のC級1組からB級2組へ昇級の際、僅差に泣き2年かかったからだ。ヒフミンは中学生のプロ入り以来一度もダブらなかった。

    8月20日、福岡市の大濠公園能楽堂で行われた王位戦七番勝負の第4局2日目に駆け付けた。飛車を捨てる大胆な封じ手で「受けの名人」木村一基王位(47)を破った挑戦者の藤井は4勝0敗で新王位となった。棋聖と合わせて18歳1カ月の二冠は、羽生善治永世七冠の最年少二冠(21歳11カ月)を大幅に上回る。規定で八段に昇段し、加藤九段の「18歳3カ月で八段」の記録も更新した。

    藤井は「(4連勝は)実力以上の結果が出せた。望外の喜び」と中学時代に話題になった台詞を口にした。「実感がわかない」としながらも「タイトルホルダーとして将棋界を代表する立場、という自覚は必要になるかな。強くなることは常に変わらない目標です」と意欲を見せた。

    昨年、46歳と史上最年長で初タイトルを取り感涙し、「中年の星」と親しまれた木村は「4連敗は申し訳ない。出直します」と淡々と語った。

    7月16日に大阪市福島区の関西将棋会館で行われた棋聖戦五番勝負の第4局。棋聖は竜王位に通算11期も君臨、「最強の棋士」と言われる渡辺明三冠(36)。ここまで挑戦者藤井の2勝1敗。「負けました」。午後7時過ぎ、渡辺が頭を下げて投了した瞬間に藤井が初タイトルを奪取し、タイトル獲得の最年少記録(屋敷伸之九段の18歳6カ月)を30年ぶりに更新した。「実感がないんですけどとてもうれしく思います」と藤井は小声で喜び、渡辺は「すごい人が出てきた」と脱帽した。注目のシリーズ、藤井は通常、玉の守りに使う金を早々と前方へ繰り出して攻撃に使う常識外の一手も見せた。

    タイトル奪取の3日後、藤井は18歳になった。渡辺がタイに持ち込んでいれば、初タイトルは最速でも「18歳と2日」の第5局だった。17歳と18歳では印象も違う。やはり生まれながらのスターだ。
    ……


     対局の翌朝に行われた記者会見で、筆者は「藤井七段(取材時の段位)は相手が羽生(善治)永世七冠だろうが、渡辺三冠だろうが、格下だろうが、コンピューターだろうが、関係なく盤面に集中するだけの印象ですが、誰が相手でも全く同じなのでしょうか」と尋ねた。藤井棋聖は「盤上を通じての人とのコミュニケーションでありますし……相手が指してきた手を見てこんな手があるのかなと思ったり……対局者によってはそれぞれいろんな発見があるのかなと思います」と戦略的なことを念頭に答えてくれた。本当は大棋士を前に委縮しないのか? など精神面を聞きたかったが、質問が悪かったか。
     この質問には理由がある。藤井は先手番だろうが後手番だろうが初手を指す直前に必ず水分補給する。大棋士が「さあ、どう来る」と待ち構えていても悠然と飲料を飲んでから指すのだ。
     一昨年2月、東京・有楽町ホールで行われ優勝した「朝日杯将棋オープン」。準決勝の相手は国民栄誉賞を受賞したばかりの羽生だった。レジェンドとの公式戦はこれが最初で報道陣が殺到し、筆者も至近距離からレンズを向けた(囲碁や将棋の取材では双方の初手まで撮影が許される)。だが「それでは始めてください」と言われた先手番の藤井は悠々とペットボトル飲料を飲み出すものだから「先手は羽生だったか」と慌ててレンズを羽生に向けかけた。「始めてください」までの時間に飲めばいいはずだが、相手がどんな大物でも「流儀」を崩さないのも強さだ。
     六段時代の藤井が唯一黒星を喫した相手がいる。兵庫県加古川市で将棋教室を開く井上慶太九段(56)。タイトル歴はないが、名人戦順位戦のAクラスに3度在籍、七冠達成直後の羽生を破った名棋士。18年3月、王将戦の予選で藤井と対戦し見事に勝利した。井上の弟子で17年度の名人戦に登場した稲葉陽八段、前王位の菅井竜也八段の若手2人も藤井を倒し、井上一門は「藤井キラー一門」と呼ばれた。
     「誰も私が勝つと思ってなかった。いっぱいお祝いメールが来ましたよ。あれから私自身は対局していませんが、弟子たちは倍返し、いや三倍返しを食らってますね」と井上は笑う。   
    ……

  • 12面~13面 世界で平和を考える「万博予定地・舞洲」(西谷文和)

    この連載は通常、中東やアフリカの、あまり日本人が足を踏み入れない地域での出来事を現地ルポとして報告しているが、今回は地元大阪の、あまり人が足を踏み入れない場所からの報告である。大阪湾に浮かぶ夢洲は、一般ごみや河川のしゅんせつ土砂で埋め立てられた人工島である。

    2025年の大阪万博はこの島で開催され、その後カジノが誘致される予定だ。だから「夢洲の名前は聞いたことがある」という人は多いものの、実際に「夢洲に行った」という人は圧倒的に少ない。なぜか?

    夢洲には人が住んでおらず、そこに行く用事があるのは貨物船からのコンテナを運ぶ大型トラック運転手くらいで娯楽施設は皆無、生活施設はコンビニが1軒あるだけ。

    もし、万博が70年万博と同じ場所、吹田市の万博記念公園で開催され、その隣にカジノができるとしよう。そうなれば大規模な反対運動が起きるのは必至。なぜならそこには「人が住んでいる」から。国道などのメインストリートや駅前広場などに「カジノ=トバク場建設反対」「万博よりコロナ失業者を支援せよ」「吉村&松井ヤメロ」などの看板が林立し、大阪維新の人気は急速にしぼむだろう。維新にとって夢洲は絶好の場所なのだ。では、その夢洲とは一体どんなところなのか? 大阪市から許可証をゲットし、現地調査を行った。

    大阪南港(咲洲)から夢咲トンネルを抜けると夢洲だ。「工事区域入り口・大阪市」という小さな看板があって、隣接するプレハブ小屋が警備員の詰所。

    警備員に許可証を見せて、埋め立て工事区域に入る。万博開催時にはここまで地下鉄が延伸されて「大阪メトロ夢洲駅(仮称)」ができる予定。夢洲へのアクセスは車でトンネルを抜けるか、橋を渡るしかない。だから万博&カジノのためには地下鉄延伸が必須。でも万博が終われば人は来ない。後述するが、カジノもおそらく来ない。夢洲新駅および駅前ビルは「巨大な負の遺産」になるだろう。

    埋め立て工事現場の中央を貫く道路を走る。道路の左側、万博予定地はほぼ埋め立てが完了し更地になっている。対照的に右側のカジノ予定地は草ぼうぼうの荒れ地状態で池が広がる。埋め立てはこれから。これはどういうことか?

    コロナでカジノ業者は大赤字を出した。ルーレットやバカラなどの賭場こそ、3密状態なので業界は大打撃を受けていたのだ。そもそもカジノ業者にとって大阪進出の条件は「コスモスクエア駅から夢洲新駅への地下鉄延伸工事200億円を提供すること」だった。コロナで赤字の業者がさらに200億円も出して大阪へ来るだろうか?「もうカジノは無理だ。とりあえず万博を急ごう」ということではないのか?

    埋め立て地をさらに進む。道路脇に巨大なパイプが通っている。これはゴミで埋まった島に溜まった地下水を万博予定地の池に流すためのものだ。パイプの排出口が池に突き出ている。そしてそこには薬剤の入った一斗缶が並ぶ。これは流出油処理剤。この薬剤で「ろ過」するのだ。万博の計画ではここは「ウオーターワールド」。その水の正体は……。

    「えっ、何やこれ! ブクブクと泡が……」。何と得体の知れぬ濁った水が地中から湧き出して来るではないか。別府温泉に「地獄の湯」というのがあるが、ここは人口の汚染水が湧き出す「ダイオキシンの湯」ではないか。
    ……

  • 14面~15面 フクシマ後の原子力「『継承』で未来閉ざすな」(高橋宏)

    安倍晋三首相が新型コロナウイルス対策を放り出し、「森友・加計」問題をはじめとした様々な疑惑に対する責任追及から逃れるかのように突然辞任した。そして安倍政権の要として、ひたすら「臭い物にふたをする」かのような役回りを演じてきた菅義偉官房長官が、新しい首相の座に就いた。7年8カ月に及ぶ長期政権は、まさに「フクシマ後」を歩んできたわけだが、安倍政権は何をもたらしたのだろうか。さらに菅政権は、何をもたらすのだろうか。

    福島第一原発事故は、菅直人首相(当時)が率いる民主党政権下で起こった。未曽有の大事故を起こした責任が当時の政権にあるかのような言説を耳にすることがあるが、それは大きな間違いである。事故原因の数々は、民主党政権に代わるまで長きにわたって政権を担当してきた自民党の原子力政策に起因するものだ。

    忘れてはならないのは、2006年の国会において、巨大地震の発生に伴う原発の安全性確保に関する質問に対し、「全電源喪失はあり得ない」と答弁したのは外ならぬ安倍首相(当時)だ。もし、この時に示された懸念に真摯な対応をしていれば、少なくとも全電源喪失による過酷事故には至らなかったのである。だが、そうした事実も「事故は想定外」の大合唱にかき消され、何ら責任を問われることもなく、今日に至っている。

    民主党政権最大の落ち度は、菅内閣を引き継いだ野田佳彦内閣が11年12月、早々に「収束宣言」をしたこと、そして翌年4月に停止中だった大飯原発3、4号機を、「暫定安全基準」で再稼働する決定をしたことであろう。安倍首相はことあるごとに、民主党政権を「悪夢」扱いしてきたが、野田政権によって事故前の原子力政策がすんなり継承できたことを忘れている。東京オリンピック誘致にあたって、13年9月に安倍首相が世界に向かい、福島第一原発が「アンダーコントロール」だと宣言できたのは、野田政権の「功績」だと言えよう。

    安倍首相が政権に返り咲いた12年12月以降、原子力政策は完全に事故前の状況に戻ってしまった。13年7月には原発の新規制基準が施行され、再稼働にはずみがつく。この新規制基準によって、原発の安全性が確保されたかのように錯覚するかもしれない。だが、あまりにもいい加減だった従来の基準を、本来考慮すべきであった最低限のものに調えたに過ぎず、これに適合したからといって安全が保障されるわけではない。

    そもそも、原発を稼働させることに伴う問題は、巨大事故のリスクだけではない。これまでに生み出した膨大な放射性廃棄物(核のゴミ)の処理・処分の問題があり、それが未だに解決されていないのだ。にもかかわらず、14年4月に閣議決定された第4次エネルギー基本計画では、「依存度を可能な限り低減する」としながらも、原発は「重要なベースロード電源」と位置づけられた。18年に閣議決定された第5次基本計画では、原発の新増設こそ盛り込まれなかったものの、脱原発は全く想定されていない。

    さらに、あろうことか「アベノミクスの第三の矢」である成長戦略の目玉に、原発輸出を据えたのである。安倍首相自らが「トップセールス」をし、日本の三大原子力メーカー(東芝、日立、三菱重工)が受注に動いた。他国で起こった事故をきっかけに、22年までに原発をゼロにするという方針を早々に決めたドイツとは、完全に真逆の方向である。事故の当事者が、その処理も満足にできないうちに他国に原発を売り込むという、信じがたい暴挙だった。
    ……

  • 16面~17面 コロナ禍の関東大震災97年 「都知事 今年も追悼文拒否」(栗原佳子)

    1923年9月1日に発生し、死者・行方不明者約10万5千人を数えた関東大震災。混乱の中で流言が広がり、「自警団」や軍によって多数の朝鮮人が虐殺された。それから97年。東京・墨田区の都立横網町公園では市民による朝鮮人犠牲者追悼式典が、新型コロナ感染拡大防止のため規模を縮小して行われた。行政トップの歴代都知事は追悼文を送ってきたが、小池百合子知事は4年連続で送付を見送った。

    横網町公園はJR両国駅から徒歩約5分。関東大震災が起きた当時は「被服廠跡」と呼ばれていた。旧陸軍の軍服を作っていた建物が移転した跡地で、東京ドーム1個半ほどの広さがあった。23年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7・9の大地震が発生。「被服廠跡」には住民たちが避難、その数4万にも及んだ。

    しかし午後4時ごろ、周囲から燃え広がった火が、家財道具などに燃え移り、炎を伴った竜巻「火災旋風」が発生。約3万8千人が亡くなった。震災全犠牲者の3分の1超にあたる。

    甚大な被害を出したこの地は30年、公園として整備され、慰霊堂や復興記念館などが建設された。毎年9月1日、大震災と東京大空襲の犠牲者を慰霊する法要が慰霊堂で営まれている(都慰霊協会主催)。今年は新型コロナの感染拡大防止のため出席者を制限して開催、小池知事が追悼文を寄せ、副知事が代読したという。

    関東大震災では、直後から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が攻めてくる」などのデマが広がり、多くの朝鮮人が殺害された。国の機関として初めて虐殺事件を分析した08年の内閣府中央防災会議の報告書は〈殺傷事件による犠牲者の正確な数はつかめないが、震災による死者数の1~数㌫にあたり、人的損失の原因として軽視できない〉とした。死者10万5000人として1000人から数千人。当時の政府は調査どころか隠蔽した。震災まもなく秘密裏に調査した朝鮮人留学生の団体は約6600人と推計している。

    報告書は〈官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した〉〈加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である〉とも記す。朝鮮人と間違われた地方出身の日本人、社会主義者、中国人も虐殺された。警察などに保護され、郊外の埼玉、群馬へ集団で移送されていく途中の朝鮮人が、殺気立った地元の「自警団」に虐殺される事件も起きた。虐殺事件が起きた背景については〈当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖心を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる〉と指摘している。

    「自警団」による虐殺が一部、裁判になった例はあるが、軍隊など国家がかかわった虐殺は不問に付された。03年、日弁連は、真相を究明し、責任を認め犠牲者と遺族に謝罪するよう国家に勧告している。
    ……

  • 18面 京都で大阪空襲追悼「慰霊碑は母の墓代わり」(矢野宏)

    京都市山科区の笠原寺(りゅうげんじ)に大阪空襲で亡くなった人を弔う慰霊碑がある。「大阪大空襲の体験を語る会」が1980年に建立したが、高齢化でお参りする会員もいなくなり、語る会は3月末に解散した。コロナ禍の戦後75年、寂れつつある「慰霊の場」を一人の遺族が訪れた。

    「慰霊碑の前で、私一人のためにお経をあげていただきました。ありがたい一日でした。母もきっと安らかに眠ってくれていると思います」

    メッセージを送ってくれたのは、大津市の片山美津子さん(79)。太平洋戦争末期の1945年6月1日の第2次大阪大空襲で母を亡くし、その1カ月前には父も沖縄戦で戦死していた。

    片山さんは当時4歳。大正区で母親と2歳の妹「あきこ」さんと3人で暮らしていた。

    その日、来襲したB29爆撃機は458機。8回を数える大阪大空襲の中で最も多かった。大阪市港区や此花区、大正区など、市内北西部が集中攻撃を受けた。

    朝、母親は美容室へ行くと言って出かけたまま戻ってこなかった。
    ……        

  • 19面 黒田脩さん死去「平和を愛し 野球を愛し」(矢野宏)

    ジャーナリストの黒田清さんが死去して20年目の夏。すぐ上の兄、黒田脩さんが8月31日、老衰のため兵庫県西宮市の施設で亡くなった。91歳だった。
    ……

  • 20面 「れいわ一揆」「おかえり ただいま」(栗原佳子)

  • 21面 読者近況(栗原佳子、矢野宏)

    「撫順の奇跡」回想翻訳

    【東京】元高校教諭の中川寿子さんが中国の元撫順戦犯管理所所長・金源さんの回想録を翻訳した「撫順戦犯管理所長の回想 こうして報復の連鎖は断たれた」(桐書房)が出版された。

    日本の敗戦後、旧ソ連によって抑留された旧日本軍の将兵ら969人が1950年、中国側に引き渡され撫順戦犯管理所に収容された。中国側の処遇は「一人も死刑にしない」という寛大なもので、帰国した元戦犯たちは「中国帰還者連絡会」を結成、中国での加害行為を証言した『三光』の出版など侵略戦争の実体を暴き反戦平和と日中友好のために献身した。

    金さんは開所とともに職員となり64年には所長。2002年に亡くなるまで元戦犯たちと交流を続けた。「奇縁」と題した回想録は98年に出版された。「なぜ戦犯たちは罪を認めたか、職員たちがどう憎しみを乗り越えたか。ヘイト行為が横行する今こそ人間の罪と罰、贖罪について考えてほしい」と中川さん。

    日本統治下の朝鮮半島出身の金さんは幼い頃、一家で中国東北部に移り住んだ。現代史を体現したような半生も克明に綴られている。

    大澤武司福岡大教授が監修。

    2000円+税。日本軍の三光作戦を調査する会(FAX03・5836・4078中川)で直販もしている。 (栗原)


    「街角の共育学」出版

    【大阪】小学校教師だった松森俊尚さんが実体験をもとに綴った教育エッセイ「街角の共育学」を現代書館から出版した。サブタイトルは「無関心でいない、あきらめない、他人まかせにしないために」。1800円+税。

    松森さんは大阪府寝屋川市の小学校で教鞭をとり、2012年に退職。現在、「知的障害者を普通高校へ北河内連絡会」や「学びをひろげるわたしと○人の会」のスタッフとして活動している。

    上から教え育てるのでなく自身も常に学びの気持ちを持ち続ける松森さん。昨今の教育情勢を様々な角度からわかりやすい言葉で語りかけている。「教育の現場を暮らしの場に広げ、現実に生起する様々な問題を通して、日本の学校や障害児教育の行方、矯正教育について書いたつもりです」

    松森さんが尊敬する教育学者でノンフィクション作家の野村三吉さんとの対談も掲載、元文部官僚の寺脇研さんが帯に推薦文を書いている。松森さん(FAX06・6933・3157)で直販も。(矢野)

  • 22面 経済ニュースの裏側「コロナ後」(羽世田鉱四郎)

    コロナ後の社会が取りざたされています。新しい技術も打開策の一つでしょう。
    新素材 日本が最も得意とする分野です。繊維、焼き物、紙漉き、発酵など、様々な伝統
    や技術が重層的に作用してセラミックや、航空機や自動車などの素材として炭素繊維も事業化されてきました。また、鉄より強い合成繊維の人工クモ糸(スパイバー(株)/山形県鶴岡市)などの量産化技術も確立されています。さらに最も期待されるのが、セルロースナノファイバー(CNF)。ポスト炭素繊維といわれ、鉄よりも軽くて強く、また燃やして処分もできます。木材などの天然資源は無尽蔵にあり、再生可能な資源です。その仕組みですが、植物は重力に逆らって成長するため、繊維は頑丈な構造になっています。木材など植物繊維を、機械や化学薬品でナノ(10億分の1)㍍に(髪の毛の1万分の1に)細かくほぐし、樹脂と組み合わせて使います。紙おむつ、電子機材、タイヤ、自動車のボデーなど用途は広がります。カーボンナノチューブ(CNT)は、炭素が主原料。軽量化で熱伝導が良く、電子回路や半導体材料、リチウム電池の電極材、航空機の機体にも使われる。炭化ケイ素繊維(SIC繊維)は、熱に強く、セラミック複合素材として航空機のエンジンにも。その他、東大の「自然に修復するガラス素材(ポリエーテルチオ尿素)」や、横浜国大の「自己治癒セラミックス」も注目です。  

    科学技術 世界で競争になっている「量子技術」。量子コンピューターの開発はもちろんのこと、生命科学の分野でも、細胞内の温度のわずかな変化で、がんの前兆を探る「量子センサー」の可能性も模索されています。全個体電池はリチウム電池の電解液の代わりに個体の電解質にします。劣化しにくいので安全性に優れ、指先に乗る製品の量産化も進んでいます。樹脂でつくる全樹電池も実現しています。

    医療分野 手術支援ロボット。先行したダビンチの特許切れから、使いやすい後継機種の開発競争は日本が中心。内視鏡やAI(人工知能)の活用も検討中です。一方、神経を再生するチューブ「ナーブリッジ」を開発したのは東洋紡。断裂した神経と神経の間に取り付け、抹消神経の再生を図ります。特殊な構造の高分子で、人体の自己修復性材料としての「ポリロタキサン」(東京医科歯科大)や、傷ついた筋肉の繊維を再生する「筋サテライト細胞」の対外培養の成功(東京医科歯科大・阪大)、人工知能(AI)を用い、患者の患部の画像から皮膚がんを判断する研究も、筑波大と京セラで具体化しています。

    新分野への事業展開 私事ですが、ベンチャー投資で現役だった頃、超音波と医療画像ソフトを融合させる試みをしたことがあります。病院Gの医療画像会社に門外不出の医療データを提供してもらい、超音波を用いて三次元の医療画像を作成するプロジェクトでした。内臓や胎児のエコー検査(二次元画像)に見られるように、超音波は体に無害です。

    欠点は、頭蓋骨などの硬い物を通さないこと。現在でも、CT(コンピュータ断層診断装置)はX線での被ばく、MRI(磁気共鳴画像診断装置)は強い電磁波を用いるため、制限や課題が山積しています。残念ながら、当時の超音波技術の会社は、事業意欲が乏しく、軌道に乗りませんでした。その後、超音波の会社からは時折、便りはありますが……。

    社会的なニーズと技術を組み合わすと、新分野への事業展望は無限に開かれています。

  • 23面 会えてよかった「屋宜光徳さん」(上田康平)

    屋宜さんは沖縄タイムス社会部の記者時代(1956~8年頃)、ハンセン病の患者さんの取材をしたことについて、まず話してくださった。

     私はハンセン病にきちんと向き合
     わねばと思った

    原稿を書き始めて、そう思った。
    それで国立療養所沖縄愛楽園内にある沖縄愛楽園交流会館を初めて訪ねて展示資料を見、国立ハンセン病資料館や厚生労働省などの資料も見た。また沖縄タイムスの社説「沖縄愛楽園80年」謝罪・反省に終わりなし(2018年)や記者の眼「差別根絶、歴史学ぶことから」(2020年)を読み、愛楽園交流会館でいただいた『ふれあい福祉だより』などで何人かの元患者さん(回復者の方々)の証言も読んだ。
     
     ハンセン病報道
    ハンセン病は47年から治療薬により治る病気になった(沖縄では49年から使われている)。しかし07年から96年まで国は強制隔離政策を継続(米軍統治下の沖縄でも隔離政策が続いた)。そのためハンセン病の患者、回復者、その家族への偏見や差別が助長されることになった。

    50年代、沖縄タイムスにも誤った認識で、偏見や差別を助長する記事があった。しかし現在はその反省の上に立って社会に残る偏見をなくそうと発信するなどしている。

    「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟判決(2001年)、ハンセン病家族訴訟判決(2019年)、ともに原告勝訴、国控訴せず確定した。

     屋宜さんは当時の取材報道に
     心を痛めておられる

    ある医師から話があってハンセン病の初期症状があった小学生の子どもさんの診察に立ち会った。当時、マスコミはハンセン病についての正しい認識をせず、感染症の予防との観点で記事にしていた時代で、屋宜さんも子どもの住所、氏名、年齢を報道した。戦前、子どもの頃、重度の患者さんを見ていたので、ハンセン病はこわいという意識が、記者になってからもあったという。

    屋宜さんは今、「彼は愛楽園に送られたのだろうね。人生をくるわせてしまった」と心を痛めておられるようだった。
     
     民政府部長、「隔離は不要」

    58年12月、米国民政府マーシャル公衆衛生部長の琉球政府への書簡をスクープした。東京の国際らい学会からもどった部長はハンセン病患者は隔離せず在宅にとの書簡を送っていた。しかし琉球政府は時期尚早と隔離政策を続け、自分も在宅治療は時期尚早と記事を書いた。

    その後、屋宜さんはマーシャル部長に呼ばれ、レクチャーを受ける。らい菌はこわくないと。それで「僕らもそうか。啓蒙しなくては」と、正しい認識を持って、差別、偏見をなくそうとキャンペーン記事を書いたという。     

  • 24面 落語でラララ「出囃子」 「派手に陽気に」東京も(さとう裕)

    チャカチャンリン チャンリンチャンリン……」という音色が聞こえてくると、映像を見なくても、あ、落語だ、と誰しもが思うのでは? 音は不思議だ。いつの間にか耳になじみ、何の解説もなくても、一定のイメージが心に浮かぶ。チャカチャンリンは石段といい、寄席で使われる曲。前座(=入門初期の噺家・上方には現在真打制度がないので前座は存在しない)が、これから石段を上るがごとく、出世を重ねるようにと縁起を担いだ出囃子。ある程度の年季を経ると、落語家は自分専用の出囃子が使え、その出囃子が鳴ると、次はあの人の出番だとわかる。そんな自分の出囃子が許されるまで、若手はみな石段で高座に上がる。

    この出囃子、元は上方落語特有のもので、東京の寄席にはなく、大正時代になって東京の寄席でも用いられるようになった。随分前、そんな話をどこかで聞き、ホンマかいな? ほな、大正時代のいつ頃、誰が、なんで、東京の寄席でもやり始めたのか? それって、どこに根拠があるのかなと、疑問に思っていた。

    それでいて生来のずぼらで調べもせず、放ってあった。ところが、先日、ちょっと調べ物で八代目桂文楽の『あばらかべっそん』を読み返していたら、「そのころの東京の寄席は落語家の出(登場)に囃子を使いませんでした……」と出て来た。これは文楽の小莚(こえん)時代の話。ほうほうほう、桂文楽は昭和の三大名人の一人で、明治41(1908)年入門だから、明治から大正初期には出囃子は使っていなかったことが、はっきりした。では、いつ頃使い出したのか、文楽は「私が真打になった頃」とも、文楽になった頃とも言っている。文楽は大正6年、翁家馬之助で真打になり、文楽襲名は大正9年。よって、この頃から東京の寄席で出囃子が使われるようになったということだ。
    ……

  • 25面 100年の歌びと「CAN YOU CELEBRATE?」(三谷俊之)

    永く…永く…/いつも見守っていてくれる誰かを/探して見つけて 失ってまた探して

    1988年夏、那覇市首里。陽光が燦々と降り注ぐバス停に数人の少女たちが集っていた。バス停前の信号で停車した男性は、運転席から何気なくその光景を眺めていた。その中に他の子どもたちの肩しかないような小柄で細く、小麦色の肌、長い髪の少女にフッと目がいった。

    「その子がふあっと車の前を通り過ぎていった。その姿を見て、〝あっ!〟と思った。何気なく歩く姿が、他の子のスピード感とは違っていた。歩いている姿がシャープでスピードがあって、まるで風が通り抜けるような感じがした」
     あわてて車から降りて、男性は声をかけた。その細く小さな少女が当時小学5年生の安室奈美恵であり、男性は「沖縄アクターズスクール」校長のマキノ正幸だった(96年にマキノ本人に取材したノートから)。90年代、安室のみならず「SPEED」や「DA PUMP」など、同スクールから羽ばたいた多くのグループが芸能界を席捲していった。
     マキノ正幸は40年京都生まれ。父親は映画監督の名匠マキノ正博。祖父は日本映画の父といわれるマキノ省三。母親は女優・轟幸子だ。青学卒業後、東京でクラブ経営やバンド活動をしていたが、リゾートビジネスを手がけようと沖縄に。思うように捗らないまま、83年に芸能スクール「沖縄アクターズスクール」を設立した。従兄弟の長門裕之や津川雅彦の名を借りたが、もともと金のため。理念も志もなく、ありきたりのプログラムと人任せ。やがて破綻寸前に追い込まれた。借金も抱え、妻からも見限られた。内心、自殺さえ考えたこともあったという。追い込まれた時期に初めて自らが声をかけ、スカウトした少女が安室であった。

    「彼女を見たときに、最初からメジャーになれると思った。内気でいつも無口でニコリともしなかった。でも、才能が表に出たがっていた。みんなの1000倍光っていた」
    ……

  • 26面 坂崎優子がつぶやく「バーチャルツアー体験」

    バーチャルツアーに参加しました。行き先は北海道の当麻(とうま)町。旭川市の隣に位置する人口6400人ほどの小さな町です。黒い高級スイカ「でんすけすいか」が有名です。

    ツアーは、当麻町にふるさと納税をした人を対象に企画されました。寄付が町にもたらした成果を見てもらい、参加者へ直接感謝の気持ちを伝えるためという。

    案内人は、今年2月に町長になった村椿哲朗さん。40歳の若い町長です。まずは2年前に新しくなった役場の紹介から。当麻町の木材だけを使用し、柱が縦横に張り巡らされた独特のデザインです。画面からも木の香りが漂ってくるようでした。「地元の技術力で作る公共建築」を目指して作られ、2019年のグッドデザイン賞を受賞しています。

    各課がワンフロアーに集合し、ワンストップサービスを実現させました。町民は窓口に座ると、動くことなくすべての手続きができます。住民サービスのために始まったワンストップサービスは、職員の残業時間が4割減るという思わぬ副産物ももたらしたそうです。各課の壁も同時に取り払われたわけです。

    議場も見学しました。議会が開かれていない時は町民に開放されているとのこと。机も自由に動かせるので、イベントに合わせたレイアウトも可能です。議場の開放には、議員の抵抗が強かったそうですが、押し切ったといいます。町民重視の姿勢が貫かれています。
    ……

  • 27面~30面 読者からのお手編み&メール(文責・矢野宏)

    悪夢の7年8カ月
    悪法を次々に成立

        兵庫県 谷野勉
    安倍首相が8月28日、持病の潰瘍性大腸炎の再発を理由に突然辞任を表明しました。7年8カ月に及ぶ連続在職日数歴代1位を記録しましたが、私には悪夢の連続でした。

    2013年の特定秘密保護法に始まり、14年に集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、15年に安全保障関連法が成立。17年には共謀罪法成立と、われわれの不安をよそに悪法を次々に成立させた。その間に任命した閣僚が不祥事や失言で辞任。その都度、「任命責任を感じています」と言いながら、一度も説明責任を果たしたとは思えません。

    「拉致家族の皆さんに寄り添う」と言いつつ、拉致問題は何ら進展せず、家族の期待を裏切り続けました。北方領土問題では、ロシアのプーチン大統領と27回の会談を重ねながら前進どころか、大きく後退したように思います。

    そして、私たちに大きな不信感を抱かせた森友・加計学園、桜を見る会の疑惑です。森友問題では国会で「私や妻が関わっていたら総理も国会議員も辞めます」と発言。あの時にお辞めになっていたら、公文書改ざん問題は起きず、近畿財務局職員の尊い命も失われずに済んだのです。

    新型コロナウイルスの対応は後手続きで、一向に明るい兆しは見えません。

    官僚の人事権を握り、公務員を意のままに操り、自分たちの都合のいい政治を行ってきたのではありませんか。お辞めになってもモリ・カケ・サクラの問題は終わりません。

    (私も「負の遺産」しか思い出せません。政権を投げ出したにもかかわらず、内閣支持率が20ポイントも跳ね上がるなんて信じられないことばかり。疑惑まみれの政権の継承を誓った菅官房長官が首相に就任しました。悪夢はまだ続きそうですね)
    ……

  • 29面 車イスから思う事(佐藤京子)

    最近、コンビニなどで買い物をしていると、「シャリーン」とか「ピンポン」というレジスターの音を耳にする。電子マネーを取り引きする音だ。自分もチャージ式のカードを2枚持っている。指先が動きにくいため小銭を扱うのが苦手だからだ。

    スーパーでは、電子マネーの普及とともに自分で精算するレジが増えている。新型コロナウイルスの感染拡大で、人と人との接触を減らそうというのだろう。現金払いの時にはトレーにお金を置き、手が触れないようにしている。無機質な印象もあるが、仕方がないのだろう。

    2種類のカードにも少々気になることがある。使うたびに100円につき1ポイント程度が付与されるのだが、いつ、どこで、何を購入したかの個人情報を、利用したお店にデータとして売っているのに等しい。イオンなどは購入した履歴からか、レシートと一緒に買ったことのある品物の割引券が渡され、次に使えるようになっている。

    ポイントカードやチャージ式のカードを一切、利用しないという友人がいた。個人情報は大切だからというのが理由。人それぞれの考え方があるが、チャージ式のカードをそれほど深く考えてはいなかった。コツコツと貯まるポイントが結構バカにできない金額になる。こうやって個人情報が少しずつ漏れているものが紐づけされて、家計や趣味趣向が集められて知らないうちに業者などに名簿として売買されているのではないか。

    世の中で不評をかっているマイナンバーカード。自分は「作らない派」なので、役所から来た封筒は入ったままになっていた。ところがここ1~2年、講演会や小学校への出前授業などに呼んでいただいた時に、マイナンバーカードの提示を求められるようになった。最初に送られてきたハガキを見せて、やりすごしていたが、その手は使えなくなり、不承不承作成した。

    普及率約12%前後と、いつまでも広まらないマイナンバーカード。最近は5000円分のポイントを付けるから作れと政府は言い出した。国にまでお金の出入りを筒抜けにしたら何があるやらわかったものではない。来年には健康保険証と紐づけするという。だんだん外堀から埋められている感じする。個人情報を政府が集めて一体どうしたいのか。5000円で国民を釣るような真似は止めてほしいものである。
     

  • 30面 編集後記(栗原佳子、矢野宏)

    ▼ 関東大震災直後、都内で警察などに保護された朝鮮人が、埼玉や群馬方面に集団で移送される途中、待ち構えた「自警団」に虐殺されるという事件が相次いだ。埼玉県では北部の上里町、本庄市、熊谷市などを中心に二百数十人が犠牲になったとされる。今年も行政主催の慰霊祭が営まれ、首長が慰霊碑に手をあわせたことが地元紙に報じられていた。行政として当たり前だと思うが識だと思う。 (栗)

    ▼おかげさまで、今月号で創刊180号。15周年を迎えました。本来なら、これまで支えていただいた読者の皆さんと祝杯を挙げ、喜びを分かち合う場を設けたかったのですが、新型コロナウイルスの感染が収束するまでは当分お預けです。そのコロナ禍ですが、これまで何とかかわしてこれたのですが、この秋に直撃を受けることになりました。これまで関わってきたテレビの情報番組がコロナの影響を受けて広告収入が激減し、終了することになったのです。私と栗原は20年近くお世話になり、弊社から派遣していたディレクターとともに「卒業」。さて、どうしたものか。とりあえずやりたいことをやろうと、クラウドファンディングで資金提供を呼びかけ、空襲被害者の証言DVDを制作します。このコロナ禍の中で大変でしょうが、少し余力がある方はぜひ応援してください。クラウドファンディングのやり方がわからない方は、うずみ火事務所にご相談ください。いくらでも打つ手はあるようですから。そんな中、悲しい別れがありました。黒田清さんの兄、脩さんが亡くなられたのです。黒田ジャーナル時代からお世話になり、うずみ火を立ち上げたときには「窓友会のおばちゃんたちを頼むな」と言われ、集いのたびに支えていただきました。電話の声が兄弟そっくりで、電話のたびに緊張したことも今となっては懐かしい思い出です。29日のお別れの会では、これまでのお礼とともに、「もうしばらく頑張りますので力を貸してください」とお願いしてきます。天国で苦笑されそうですが…。 (矢)

  • 31面 うもれ火日誌

    8月1日(土)
     矢野 午後、大阪市港区の田中機械ホールで開かれたNPOみなと主催の「第20回大空襲の体験を語るつどい」で3年連続の講演。演題は「空からの虐殺」。新型コロナウイルスの感染拡大で平和学習の講演はこの夏初めてで最後。
    8月6日(木)
     栗原 午前、奈良県天理市の柳本飛行場跡地をめぐるフィールドワークに参加、取材。
    8月7日(金)
     栗原 大阪・十三のシアター・セブンで、富山県の「チューリップテレビ」が制作した市議会議員の辞職ドミノとその後を描いたドキュメンタリー映画「はりぼて」監督の五百旗頭幸男さんとプロデューサーの服部寿人さんにインタビュー。
    8月9日(日)
     午後、大阪府豊中市の「すてっぷホール」で「黒田清さんを追悼し平和を考える集い」。新型コロナの感染防止のため、入場者を制限しての開催となったが、松崎菊也さんと石倉直樹さんによる風刺トーク&ライブに70人が大笑い。
    8月11日(火)
     矢野 午前、兵庫県明石市へ。75年前の1945年6月の明石空襲で両親を亡くした小林弘さんに空襲の戦跡を案内してもらう。
    8月12日(水)
     西谷 昼過ぎ、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DEしょ!」出演。
    8月13日(木)
     矢野 午前、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」の収録。生まれて2時間後に遭った大阪大空襲で左足を失った藤原まり子さんに話を聞く。「私のような悲しい思いをするような人を二度と出さないで」
    8月14日(金)
     矢野 午前、大阪市城東区のJR京橋駅南口で営まれた「京橋駅空襲被災者慰霊祭」を取材。終戦前日の1945年8月14日、米軍は大阪城内の陸軍造兵廠を爆撃。うち数発の1㌧爆弾が当時の国鉄京橋駅を直撃した。語り部の照屋盛喜さんは「駅に駆け付けると、吹き飛ばされた駅舎の石垣や柱、壁などが乗客を押しつぶしていた。土砂で生き埋めになった人たちから助けを求める叫び声が飛び交っていた」と振り返る。
     栗原 大阪・十三のシアター・セブンで、ドキュメンタリー映画「僕は猟師になった」主人公の千松信也さんをインタビュー。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    8月15日(土)
     矢野 午前、東京経由で埼玉県狭山市へ。根橋敬子さんが幹事を務める「埼玉読者の集い」。村松泰さん、野沢栄一さん、明楽英世さん、千葉から参加の白井政幸君と再会を祝してカンパーイ!
    8月17日(月)
     矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。特集は「戦後75年、大阪大空襲の日に生まれて」と出して、藤原さんの話を紹介。
    8月19日(水)
     西谷 午後、大阪府吹田市内の事務所で「路上のラジオ」収録。「大阪維新の嘘」と題して矢野と対談。
    8月20日(木)
     矢野 午後、永安税理士事務所でコロナ禍の窮状を相談。
    8月21日(金)
     矢野、栗原 午後、大阪市北区の「せせらぎ出版」へ。大阪市を廃止し、四つの特別区に再編する「大阪都構想」を考える講座をブックレットにできないか、社長の山崎亮一さんらと打ち合わせ。夕方、新聞うずみ火9月号が届き、工藤孝志さん、澤田和也さん、多田一夫さん、小泉雄一さん、樋口元義さん、鈴木祐太君の手を借りて発送作業。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    8月26日(水)
     栗原 午後、大阪・十三のシアター・セブンで、「れいわ一揆」の原一男監督にインタビュー。 昨年夏の参院選で躍進したれいわ新撰組をめぐるドキュメンタリー。
     西谷 昼過ぎ、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DEしょ!」出演。
    8月27日(木)
     矢野 午後、OBCラジオ「里見まさとの情報早起きラジオ」の収録。翌日の安倍首相の辞意表明を受け、29日夕方に取り直し。
    8月28日(金)
     夜、新聞うずみ火主催「『大阪都構想』を考える連続講座」を大阪市中央区のターネンビルで開講。反「都構想」の論客、元大阪市議の柳本顕さんが「住民投票までに知っておくべき『都構想』の嘘と真」と題して講演。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

  • 32面 うずみ火講座

    新聞うずみ火主催の「『大阪都構想』を考える講座」の第4弾は9月25日(金)、大阪市中央区谷町2丁目のターネンビルNo.2で開講します。講師は「都構想」の取材を続けるジャーナリスト幸田泉さん。演題は「看板に偽りあり! これが大阪都構想~事実を隠し夢を売る維新政治」です。

    幸田さんは全国紙記者を経てフリーランス。2015年には新聞販売の現場の暗部を暴いたノンフィクションノベル「小説 新聞社販売局」を上梓。「都構想」の法定協議会や大阪市議会での議論など、大阪の公共政策についてヤフーニュースなどで発信しています。
    【日時】9月25日(金)午後6時半~
    【会場】大阪市中央区谷町2丁目のターネンビルNo.2の2階会議室(地下鉄谷町線「谷町4丁目」から北へ徒歩2分、「天満橋駅」から南へ徒歩6分、1階が喫茶店「カフェベローチェ」)
    【資料代】500円、学生・障害者300円


    新聞うずみ火と「路上のラジオ」が共催する学習講演会「テレビが報じない ここだけのコラボ」が10月3日(土)午後2時~大阪市中央区のエルおおさか南館ホールで開講します。
    西谷文和さんが「安倍外交の大失敗」「コロナ後の社会はどうなる」など、矢野が「『都構想』の嘘」などについて解説します。参加費500円。

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