新聞うずみ火 最新号

2026年4月号(NO.246)

  • 1面~3面 「勇ましい政治」は危険 高作教授「武力行使 無制限に」(矢野宏)

     自民党が衆院選で3分の2を超える議席を得たことで、憲法改正はより現実的な課題となった。高市早苗首相は「しっかり挑戦する」と明言し、任期中の国会発議の実現に意欲を示す。戦後、この国は他国を侵略したことも侵略されたこともない。非核三原則を堅持し、殺傷力のある武器を輸出しなかったのは憲法9条の歯止めがあったから。高市政権下で加速する軍拡に、高作正博・関西大教授(憲法学)は「危惧すべきは『勇ましい政治』だ」と警鐘を鳴らす。 

     高市首相は3月19日(日本時間20日)、トランプ大統領とホワイトハウスで会談した。
     トランプ氏の中国訪問前に、対中共同歩調を打ち出す好機として日本側が要望したが、米国とイスラエルによるイラン攻撃で状況は一変。日米首脳会談の焦点は、イランが事実上封鎖したホルムズ海峡への艦船派遣をトランプ氏が再び要求してくるのではないかという点だった。
     ドイツ、スペイン、EU、フランス、イタリアは艦船派遣を拒否したが、高市氏は停戦を求めるでもなく、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ。私は諸外国に働きかけてしっかりと応援したい」と持ち上げた。
     トランプ氏への追従でうまく立ち振る舞ったかに見えたが、会談でホルムズ海峡の安全な航行確保への貢献を求められた。
     高市氏は会談後、「日本の法律の範囲内でできることとできないことがあるときっちり説明した」と述べたが、具体的な内容は明らかでない。
     米FOXニュースは現地時間20日、ホルムズ海峡での協力について、「トランプ大統領は、日本には憲法上の制約があるが、必要とあれば支援してくれるだろうと話した」と報じている。
     ここでも9条が歯止めになったようだが、日本の安全保障の方向性を左右する重大な局面を迎え、後戻りできない一歩を踏み出したかに見える。 高作さんは「これまで米国の戦争に巻き込まれそうになるたび、『9条があるから』と断ることができたが、イラン戦争で一気に外されるのではないか」と危惧する。
     背景には「同盟のジレンマ」があると指摘する。
    ……

  • 4面~5面 泥沼化するイラン戦争 イスラエルとの二重基準(毎日新聞記者 鵜塚健)

     米国とイスラエルによるイラン攻撃が始まって1カ月近くがたった。国際法違反の侵略行為であることは明白だ。何ら罪のない170人以上の女子小学生らが爆撃の犠牲になるなど、相次ぐ市民への攻撃も人道上許されるものではない。イラン側の報復も続き、双方の応酬が止まらない。私は2009年~13年の約4年間、毎日新聞のテヘラン特派員を務めた。長く対立してきた米国とイランの関係は一層悪化し、地域情勢の不安定化が進む可能性が高い。何が問題をこじらせているのか。 

     2月28日、米イスラエルによって突如始まった攻撃で、イラン側の犠牲者は1300人(イラン政府)を超えた。「(核開発を続ける)イランによる差し迫った脅威を排除し、米国民を守る」。トランプ米大統領は開戦理由をこう語ったが、身内である米国防総省も「(イラン側の)先制攻撃の兆候はなかった」とし、「脅威」の根拠は薄い。国連安保理決議も米議会の承認もなく、攻撃の正当性は乏しい。
    イランの核開発問題を巡っては、米イランによる間接協議が続けられ「進展」も伝えられていた。そんな矢先の先制攻撃。テーブルの上で笑顔で握手するそぶりを見せながら、いきなり米国がイランに殴りかかった形だ。
     そもそも核開発問題とは何なのか。2002年にイラン側の未報告の核開発疑惑が浮上した。ウラン濃縮が高度に進むと、核兵器に転用される恐れがあるが、イランの核開発はそうしたレベルには達していない。殺害された前最高指導者ハメネイ師は生前、「核兵器は開発も使用もしない」との宗教令(ファトワ)を出している。
     にもかかわらず、米イスラエルは、イランの核兵器開発を疑い続けてきた。十数年前の私のイラン駐在時も、核開発問題での対立が深刻化し、「戦争寸前」と言われた。
     そんな両者の雪解けが15年に実現する。イランと欧米諸国側が「核合意」を締結。イランが核開発活動を縮小する代わりに、欧米側が経済制裁を緩和するとの内容だ。その後、海外からのイランへの投資が進み、観光客も増えた。深い闇に光が差し込んだ。
     ところが、18年に米トランプ大統領が「ミサイル開発の制限が不十分だ」などして突然、合意から離脱。再びにらみ合いが続き、最悪の事態につながった。
     イランが繰り返し不満を示してきたのが「国際社会の二重基準」だ。イランはNPT(核不拡散条約)に1970年の条約発足時から加盟し、義務である核査察も一定受けてきた。
     一方、イランの核開発を非難するイスラエルはNPTに加盟しないまま、推計90発の核弾頭を持つ。ルールの枠組みにすら入らない国が「ルールを守れ」とイランを叱りつけているおかしな構図だ。
     私は2010年、当時のイランのサレヒ副大統領兼原子力庁長官に単独インタビューした。「なぜ核保有国のイスラエルが放置され、ルールに従ってきたイランが疑われるのか」。サレヒ氏は不満を繰り返した。取材の1カ月前には、米国による臨界前核実験が判明。核軍縮の必要性を強調していたオバマ米政権の欺瞞にも触れていた。
    ……

  • 6面~7面 「大阪都構想」3度目の住民投票へ 法定協 5月議会提案か(ジャーナリスト木下功)

     2015年と20年の2度、住民投票で否決された「大阪都構想」を巡る騒動がまた始まろうとしている。仕掛けるのは吉村洋文・大阪府知事(日本維新の会代表)と横山英幸・大阪市長(同副代表)だ。「都構想の設計図づくりをさせてほしい」と訴えて、2月の衆院選に合わせて知事と市長の出直しダブル選を強行。ともに圧勝したことで「都構想に挑戦することについては信を得た」(吉村氏)とし、来年4月までの任期中に3度目となる住民投票を実施したい考えだ。まずは都構想の設計図づくりを行う「法定協議会」の設置を目指しているが、大阪維新の会の大阪市議団から待ったがかかる。維新内部で何が起こっているのか、ダブル選から現在の府議会、市議会の動きを追うとともに、都構想の制度論以前の問題点として、住民投票の軽視、拙速すぎる制度案づくり、吉村氏の姿勢について指摘する。

     都構想の制度案をつくる法定協の設置議案について、府議会で過半数を占める維新府議団は3月19日、今議会での採決を見送り、継続審議とすることを決めた。
     吉村氏は府議会に設置議案を提出していたが、横山氏は維新市議団の慎重姿勢に配慮し、今議会提出を見送った経緯がある。法定協の設置には、府・市両議会での設置議案可決が必要。府議団は市議団と足並みをそろえ、今議会で設置議案を可決させる方針を転換した。
     維新関係者は府議団の対応について「市議団からすれば、当時者である市議会より先になぜ府議会で可決するのかという思いがある。(府議団は)決定的な対立を避けた。松井さん(一郎・前市長、前代表)が市議団に理解を示していることも大きい」と打ち明ける。
     市議団はそもそもダブル選で民意を問うことに反対し、1月15日には決議書まで出していた。決議書は「大阪都構想の実現に向け全力で取り組んでいく決意に変わりはない」とした上で、「現在の市会議員は現行の任期における統一地方選において都構想を公約として掲げ市民の信認を得て当選したものではない」と指摘。「次期統一地方選において都構想を公約として明確に掲げ、民意を確認したうえで都構想に挑むべきである」と主張する。
     吉村氏は「都構想に3度目の挑戦をするのであれば、民主的なプロセスが必要だということは申し上げてきた。民主的なプロセスは選挙。議会の皆さんに『直近の民意』に基づいたご理解をいただけるよう、丁寧に合意形成を図っていきたい」と「直近の民意」を盾に取る。吉村氏は2度目の住民投票で都構想が否決された際に「僕自身が政治家として再挑戦することはない」と明言しており、「民主的なプロセスが必要」だったのだろうが、首長選挙であるダブル選では、府議や市議が民意を得たとは言えない。
    ……

  • 8面~10面 台湾「2・28事件」79年 沖縄の遺族ら犠牲者追悼(栗原佳子)

     台湾で1947年、当時の国民党が多数の住民を武力弾圧し、多くの犠牲者を出した「228事件」。地理的に近い与那国島など沖縄出身者も巻き込まれた。真相究明が進められる中、事件から79年となる2月28日、遺族ら沖縄の訪問団が台湾南部の高雄市で開かれた政府主催の追悼式典に参列した。 

     228事件は、50年間台湾を植民地支配した日本の敗戦から約1年半後、中国大陸から来た国民党政権によって引き起こされた。
     国民党は台湾総督府に代わり台湾省行政長官公署を設置、行政長官に陳儀が就任した。日本統治から解放された台湾の人々は新しい時代の到来を歓迎したが、大陸から来た外省人の役人や教員らが要職を独占。元々の住民である本省人は排除された。汚職や賄賂がはびこり、経済政策の失敗も重なり物価も高騰、失業者が急増した。そんな中、47年2月27日、台北市で闇たばこの過剰な取り締まりに端を発し、通行人が流れ弾で死亡する事件が発生。翌28日、行政長官公署前に集まった抗議のデモ隊に軍が発砲し、多数の死傷者が出たことをきっかけに住民の怒りが爆発、全土に抗議活動が拡大した。
     陳儀長官は知識人らによる処理委員会と交渉する姿勢を見せる一方で大陸に援軍を要請。3月8日に上陸した増援部隊が全土で大規模な武力鎮圧を行った。92年に政府が発表した死者数は1万8000~2万8000人。未だに正式な犠牲者数は不明だという。
    「台湾228事件真実を求める沖縄の会」(台湾二二八沖縄会)の代表、青山恵昭(けいしょう)さん(82)=浦添市=の父、恵先(えさき)さんも犠牲者の一人だ。与論島出身で、台湾北部の港町・基隆の和平島で漁師をしていた。和平島は当時社寮島と呼ばれ、台湾最大の琉球人集落が形成されていた。
    恵昭さんはここで沖縄・国頭村出身の美江さん(2010年に96歳で死去)と結婚、青山さんを授かった。しかしその3か月後、召集令状が届く。ベトナムで終戦を迎え復員するも、妻子は台湾に足止めされ引き揚げ船を待っていた。47年、恵先さんは妻子を迎えに基隆に向かうが、引き揚げ船は出航した後。すれ違ったまま、恵先さんの消息は途絶えてしまった。
     それから2年半後、故郷に身を寄せた美江さんに「社寮島で蒋介石の軍隊に捕まり、無理やり連れていかれた」という目撃証言が伝えられた。
    ……

  • 11面~13面 日野町事件 再審開始決定 墓前に報告 涙も雨も(ジャーナリスト粟野仁雄)

     「日野町事件」で獄死した阪原弘さん(享年75)は、滋賀県警の証拠捏造による犠牲者だ。3月18日で没後15年。妻艶子さん(88)、長男弘次さん(64)長女美和子さん(62)、次女則子さん(61)と、弁護士2人や支援者が墓前に集い、最高裁の再審開始決定の喜びを報告した。

     「父ちゃん、長い間かかってしもてすまんなあ。あとは無罪判決を受け取るだけや。もうちょっと待っててな。生きてるうちに救いたかったけどごめんやで」
     墓前で献杯した後、残った一升瓶の酒を墓石にかけたのは長男弘次さんだ。
     「父は本当に酒好きでした。それも日本酒の2級酒。1日に2合に限定されるとコップになみなみとついで、テーブルにこぼれた分をまずなめてそれから飲んでましたよ」と明るく紹介した。しかし、「18年に大津地裁で再審開始決定が出て喜んだら検察が即時抗告。大阪高裁が決定を支持してくれたら今度は特別抗告されて、さらに3年経ってしまいました。もう請求から14年です。どうしてこんなにかかるのでしょうか」と苦難の日々を訴えた。
     「お父ちゃん、よかったね」と献花の後も墓石をなでていた美和子さんは「今日はいつもと景色が違いました。父の手を握ったような気がします。本当に再審開始を喜んでいると思います」と話した。
     3月4日、奈良の病院に入院していた弁護団長の伊賀興一弁護士(77)の取材に筆者が行った時、「阪原さんの肺炎の悪化を見た広島刑務所の所長が最高検に刑の執行停止を求め、最高検はそれを受け入れたため、一般病院に入院でき、半年後に亡くなりました。ご家族も弘さんを看取ることができました。それだけが救いです」と話していた。
     墓参りの場でそれを問うと美和子さんは、「(受刑者を)外の病院で看病できるなんてまずないことなので、それだけはよかったと思います。でもベッドに手錠でくくりつけられ、最後は体中、管だらけになっていた姿は忘れられません」と語り、「もう声が出せず、紙に書いたあいうえおの表を指し示して『ケーキが食べたい』と言いました」と明かした。弘次さんは「酒飲みなので甘いものは好きじゃなかったけど、子どもが甘えるような感じだったのでは」と話した。
     「孫を抱いている写真があります。本当に僕ら子どもに優しかった父の姿なんです」と話す弘次さんは、その写真を名刺に印刷している。逮捕の半年ほど前の写真だという。
     伊賀弁護士は墓前で「刑務所に面会に行くたびに弘さんが『今連れて帰ってくれ、今連れて帰ってくれ』と言ってたのが耳にこびりついています。それができず本当に申し訳ない。これが日本の政治であり、司法なのです。再審で無罪を取ることが第一ですが、間違った人を20年も刑務所に入れておいて一体、だれが責任を取り謝罪するのか。追及していかなくてはならない」と毅然と話していた。
     今後の再審で主任弁護士を務める石側亮太弁護士は「再審無罪を勝ちとることは当然ですが、なぜここまで時間がかかったのかを明らかにしないと弁護団の意味がない」と決意を新たにしていた。
    ……

  • 14面~15面 ヤマケンのどないなっとんねん 多数横暴政治の復活(山本健治)

     3月13日夜、2026年度予算が衆議院を通過した。総額122兆円、国債費は過去最大、防衛費も過去最大の9兆円、「積極財政」ならぬ「放漫軍国財政」だったが、予算委員長の職権で審議が進められ、昨年は92時間だったのがわずか59時間で打ち切られた。
     昔、自民党はいざとなると数を振り回したが、近年は連立を組まないとやっていけなくなっていた。それが先の総選挙での圧勝、維新との連立によって様変わりしたわけであるが、維新は最近ではさまざまな問題を起こして大阪はともかく、他では落選ばかり。とても全国政党とは言えない状態で、くっついて離れないだろうから連立も続くだろう。それで自民党による多数横暴の復活を心配する人は多い。
     衆議院を通過した際、高市首相は自民党議員らと笑いあっていたが、そもそも当初予算の年度内成立を危ういものにし、このような横暴の原因をつくったのは他の誰でもない自分であるという自覚がまったくない。支持率の高いうちに総選挙を行い、少しでも多くの議席を獲得して政権基盤を強化しておこうという個人的思惑によるドタバタ解散の結果であることを忘れている。
     高市首相が1月13日の通常国会冒頭で解散したから、特別国会を2月18日に召集した。通常国会を日程どおりに開会していれば審議時間を十分にとることができたのに解散、総選挙をしたから予算の年度内成立は難しい状況になったのである。原因は高市首相、それを棚に上げての強行採決、こんなことをしていると支持率も下がる。石川県知事選の結果が教えている。
     さて高市首相は物価対策を重点的に進めると叫んだが、いっこうに下がっていない。最大の原因は円安継続であり、ここ最近はトランプ大統領がネタニヤフ首相とイラン攻撃を開始したからである。
     まずはこの二人に国際法違反の攻撃を止めろと言い、安倍元首相以来の円安政策を転換することだ。
    ……

  • 16面~17面 世界で平和を考える イラン戦争の裏にある真実(西谷文和)

     2月28日、イランとアメリカが核問題で交渉をしている最中に戦争が始まった。前日、オマーンの仲介で進んでいた交渉は「イランが相当に譲歩」した形で、円満解決の方向を示していた。その翌日に、アメリカとイスラエルはこの交渉をあざ笑うかのようにイランを空爆し、最高指導者のハメネイ師を暗殺したのだ。
     なぜ、このタイミングで、無謀で無法な戦争を始めたのだろうか?
     それはこの日の朝に、ハメネイ師が政権幹部を集めて邸宅で会議をする、という情報をCIAとモサドがつかんだからだ。
     イスラエルはすでにテヘランの幹線道路や商店街に設置された監視カメラをハッキング、イラン政府幹部の携帯電話に忍び込んで彼らの行動様式を把握し、政権内部にスパイを送り込み、詳細な内部情報をつかんでいた。ネタニヤフは普段から「いつでもハメネイ師を殺すことができる」とうそぶいていた。
     この日は米軍もイラン各地を空爆した。中でも南部ホルムズ海峡に面したミナブ市の女子小学校を空爆して少なくとも175名の児童を殺害した。とんでもない戦争犯罪である。米軍は当初「誤爆」と言い、トランプ大統領は「イランが爆撃した」とウソをついていたが、間違いなくアメリカのトマホークで爆破されたのである。
     後になって米軍は「古い地図データで空爆してしまった」と釈明しているが、あれだけピンポイントで、核施設や革命防衛隊の幹部を暗殺できる米&イ軍が、なぜここだけ「古いデータ」を使ったのか?真相を究明し、責任者を処罰せねばならない。
     この戦争の動機をまずはイスラエル側から見てみよう。
     1月にテルアビブで反ネタニヤフ集会を取材したが、そこで目立ったのは「カタールのパンツを履いたネタニヤフおじさん」だった。カタールの民族衣装を着てドルの札束を広げながら「ネタニヤフはカタールの金をハマスに流していたのよ」と訴える「カタールおばさん」もいた。
     ネタニヤフは秘密裏にカタールの金をイスラエル経由でハマスに送り、ハマスを育てて小規模なテロを起こさせていたのだ。
     ネタニヤフは2019年から汚職で訴追されていて、警察に何度も事情聴取を受けている。裁判も続行中だ。その取り調べの際、監視カメラで撮影された映像が内部告発で流出して、それが映画「ネタニヤフ調書」になっている。
    ……

  • 18面~19面 フクシマ後の原子力 故郷追われる塑像力を ※全文紹介

     史上最悪の福島第1原発事故から15年の月日が流れた。2011年3月11日、東日本を襲った大地震・大津波の衝撃的なニュースに接する中で、政府が福島第1原発について「原子力緊急事態宣言」を出したことを知った時、全身が凍りついた感覚を私は鮮明に覚えている。長い歳月を経た今でも、それは決して薄れることはなく、思い返した際には言葉にできない重苦しさで身体がこわばってしまう。
     何らかの重大事故が起こったことは間違いなかったが、「全電源喪失」ということ以外に詳細はわからなかった。だが、原子力の専門家ではない私にも、それが意味する深刻さは理解できた。翌12日午後に1号機が爆発し、14日午前には3号機が爆発、15日朝には4号機が爆発し2号機でも大きな爆発音が発生するなど、悪化の一途をたどる事故の状況を、私はただただ茫然と、ニュースで知るしかなかったのだった。
     私が反原発の立場を明確にしたのは、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故がきっかけであった。福島第1原発事故が起こるまで、史上最悪とされた原発事故が生み出した未曽有の被害から、人類は原発と共存できないと確信したからだ。そして、共同通信社の記者としてスタートした三重県での芦浜原発問題から、原発はその危険性だけではなく、計画だけでも地域社会を破壊するということを学んだ。
     以来、原発問題の取材や研究に傾注し、機会があれば記事、論文、講演などを通して原発に依存することへの警鐘を鳴らし続けてきた。たった一人の人間にできることなど限られているのは十分に承知していたが、「微力であっても無力ではない」と自分に言い聞かせながら、書き続け、話し続けてきた。それはひとえに、チェルノブイリの悲劇を二度と、ましてや日本で起こしてはならないという決意からだった。
     しかし、当時の政府の「最悪のシナリオ」によれば、東日本が壊滅するほどの被害状況が現実のものとなってしまった。それを見せつけられながら、私は自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れ、その後に強烈な無力感に襲われた。まさにチェルノブイリが日本で再現されてしまったのだから……。
     当時は大学の仕事があったので、人前では努めて平静を装っていたが、部屋では布団を被り絶叫していた。そのような私を救ってくれたのは、このうずみ火である。創刊以来、私は原子力に関する連載を続けてきたが、否応なく3月号の締切が迫っていた。無力感を理由に「書けません」とは言えない。何とか気力をふり絞って、事故についての記事を書き上げた。
     3月号の編集後記に、私は次のように書いた。「とうとう、想定され得る最悪の原発事故が起こってしまいました。事故後、何人かの知人から「君が言っていたことが現実になったね」と言われます。きっと、これまでの記事に対する労いの言葉だと思うのですが、私は事故を予言してきたわけではないのです。申し訳ないと思いつつ、そうした言葉に、私は決して喜べません。そして、自分がしてきた仕事を誇れません。こうした事故を阻止するのが、ジャーナリズムの使命だと信じてきたからです。本当に無念です」
     そして、こう続けた。「しかし、落ち込んでいるわけにはいきません。戦争、貧困、差別……今度こそ阻止をしたいです。原発事故については、なぜ阻止できなかったのか、反省を踏まえてきちんと検証をしていきます」。それから15年、その思いを胸に今も書き、語り続けているのだが……。
     事故当時、原発事故を目の当たりにした多くの人々が、その恐ろしさに震撼したはずだ。事故直後の朝日新聞の世論調査では、原発利用について「反対」が「賛成」を上回っていた。原発の再稼働についても、「反対」が「賛成」を大きく上回る結果が出ている。だが、2023年の調査では、再稼働について事故後初めて「賛成」が「反対」を上回り、その後は徐々に差が開いて今日に至っている。
     今一度、思い出してほしい。日本が終わるかもしれないという緊迫したあの日々を。福島県だけで16万人もの人々が故郷を追われ避難せざるを得なくなった放射能汚染の深刻さを。記憶をたどり、あの当時に覚えた感覚を呼び覚まして刻んでほしい。それでもなお、私たちは原発を容認できるだろうか。
     何よりも忘れてはならないことは、「原子力緊急事態宣言」は現在も継続中であるということだ。野田佳彦首相(当時)は、事故後わずか9カ月で「収束宣言」をし、原発の再稼働に踏み切ったが、あくまでも「最悪のシナリオ」を回避したという宣言に過ぎない。高線量下で日々作業する原発労働者によって事故炉の安定が保たれているものの、危機が完全に去ったわけではないのだ。
     そして今なお、福島県だけで2万3000人余りの人々が避難生活を余儀なくされている。原発事故の人的被害は、被ばくや避難に留まらない。何十万人もの人々の人生を大きく狂わせたのだ。
     文字通りに故郷を失った人、職を失った人、補償をめぐって分断を強いられた人、避難をめぐって家庭が崩壊した人、被ばくの不安を抱えながら帰還生活をしている人……。一人ひとりがそれぞれの人生で耐えがたい苦痛を強いられていることに、私たちは目をそむけてはならない。
     「原発さえなければ」という書き置きを残して自殺した酪農家の想いに、私たちは最大限の想像力を働かせなければならない。人生を狂わされた一人ひとりの怒り、無念、絶望を、わがこととして想像しなければならない。原発を容認するということは、そうした人々の想いを踏みにじるだけではなく、原発現地の人々に新たな不幸に直面するリスクを強いているのである。
     他人の犠牲の上に成り立つ豊かさや幸せを、私たちは望んではならない。そして、様々な犠牲を「明日は我が身」と真剣に考える想像力を常に働かせながら、原発事故がもたらした現実と向き合っていくことが求められている。そのための判断材料を提供し続けていくことが、私にとっての償いだと改めて実感した15年目の3・11であった。

  • 20面~21面 今中さん「うずみ火講座」 原子力開発振り返る(矢野宏) ※全文紹介

     東京電力福島第1原発事故の発生から15年。「うずみ火講座」は3月8日、京都大複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所、大阪府熊取町)研究員の今中哲二さん(75)を講師に招き、大阪市此花区のクレオ大阪西で開講した。今中さんは広島市出身。原発の危険性を訴え続けた研究者グループ「熊取6人組」の一人で最後の在籍者だが、3月末に退職する。「日本の原子力開発を振り返る」と題し、核融合発電の可能性や廃炉の見通しなどについて語った。 

     2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震が発生し東北沿岸部を中心に大津波が襲った。運転中だった福島第1原発1~3号機は電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり炉心溶融(メルトダウン)が起き、大量の放射性物質が飛散した。
     休止中だった4号機の使用済み燃料プールも過熱しつつあったが、隣接する貯水槽の水がたまたま燃料プールに流れ込み、東京も含む5000万人が避難する事態を免れたという。
     今も福島県では約2万3000人が県内外に避難しており、県内の双葉町や浪江町など7市町村には原則立ち入り禁止の「帰還困難区域」が約309平方㌔残っている。
     政府は事故の反省を踏まえ、エネルギー基本計画に「可能な限り原発依存度を低減する」と明記したが、22年、脱炭素などを理由に「原発を最大限活用する」と転換。25年の基本計画改定で「依存度を低減」の表現を削除し、原発の建て替え要件も緩和した。現在、再稼働した原発は15基ある。
    高市自民党は日本維新の会との連立合意に「電力需要の増大を踏まえ、原発再稼働を進める」ことを確認し、核融合など最新技術の開発加速も打ち出した。
     核融合発電は可能なのか。
     重水素と三重水素(トリチウム)の原子核が融合すると、ヘリウムと中性子ができ、同時に出るエネルギーを利用して発電することを目指している。日本は、米国やロシア、中国、韓国、インド、EUとともに07年から南フランスに3兆円かけて核融合実験炉「イーター」(ラテン語で「道」の意味)を建設中だが、25年運転開始の予定がトラブルで9年延期されている。
     今中さんは「イーターは核融合に成功しても発電しません。中性子を使って発電する技術がないからです。核融合の燃料は海水から得られるというのも間違い。重水素は水から取り出せますが、トリチウムは中性子をリチウムに衝突させて作る必要があるからです」と説明し、指摘する。
     「核融合から核融合発電の間には乗り越えられる見通しのない多くの壁があります」
     今中さんは原子力開発の歴史を振り返った。
     放射線の存在が確認されたのは130年前のこと。ドイツの物理学者レントゲンが1895年にⅩ線を発見した。
    3年後、キュリー夫妻がウラン鉱石から放射性物質を分離する実験に取り組み、ポロニウムとラジウムを発見。1938年には、ドイツの化学者ハーンが中性子をあてたウランから放射性のバリウムが生成されることを見つけ、オーストリア出身の女性物理学者マイトナーがウランの原子核が中性子を吸収してほぼ同じ大きさの二つの原子核に割れたと結論づけた。これが「核分裂の発見」という歴史的な出来事だった。
     米国で原爆を製造する「マンハッタン計画」が始まるのは太平洋戦争最中の42年6月で、3年後の7月12日に核実験に成功、広島・長崎に原爆が投下される。
     「世界での原子力利用は原子爆弾という形で始まりました。人類が放射線の存在を知ったわずか半世紀後には、原爆を造るにいたるのです」
     戦後、ソ連や英国が原爆実験を行い、米国が世界初の水爆実験を成功させた翌53年、アイゼンハワー米大統領が原子力の平和利用を呼びかける演説を行い、世界各国で「原子力の平和利用」が幕開け。日本でも55年に「原子力基本法」が成立し、原子力利用が始まる。
     日本原子力発電が66年に日本初の商業用原発「東海1号機」を茨城県東海村に建設。70年には日本初の軽水炉である「敦賀1号機」が運転を開始した。
     当時、大学で原子工学を専攻していた今中さんは「軽水炉はつなぎの原子炉で、20世紀末にはすべて高速増殖炉に置き換わり、21世紀半ばには核融合発電が実現すると教えられた」と振り返る。だが、いずれも実現していない。
     原発から出る使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、混合酸化物「MOX燃料」に加工して再び使う。高速増殖炉で、使った以上の燃料を生み出す「核燃料サイクル」は、97年に完成予定だった青森県六ケ所村の再処理工場がトラブル続きでまだ稼働していない。再処理したMOX燃料は高速増殖炉で使う予定だったが、実験炉「もんじゅ」は2016年に廃炉が決まった。原発での利用計画も停滞している。
     使用済み核燃料は各原発のプールにたまり続けており、その保管容量が限界に近づいている。関西電力高浜原発のプールは、4年半後には満杯になるという。
     今中さんは「電力需要は安定し、発電能力は余っています。事故の危険性と放射性廃棄物の厄介さを考えると原発はすべて廃止し、解体すべきです。使用済み核燃料は、乾式キャスクに入れて原発解体廃棄物とともに各サイトで長期保管するしかない」と訴える。
     福島の本格復興に向け、最も重要で困難なのは原発の廃炉である。
     11年に政府と東電が作成した工程表では、事故から30~40年後に廃炉を終えるとしていた。今中さんは「40年で廃炉は幻だ」と指摘する。
     溶け落ちた溶融核燃料(デブリ)の回収は事故後10年以内に始め、20~25年後に済ませる予定だったが、デブリの取り出しは何度も失敗し、25年4月に2号機から試験採取できたのは計880㌧のうち、1㌘にも満たない。
     今後、デブリを砕いて落とし、原子炉の側面から搬出するという。だが、回収したデブリや高線量のがれきの処分方法などは決まっていない。
     今中さんは「40年たっても福島第1原発の敷地が放射性廃棄物の集積場であることは間違いない。100年、200年先を見越しながら、次世代に引き継ぐロードマップが必要です」と訴えた。

  • 22面 読者近況(矢野宏) ※全文紹介

    ヒロさんソロライブ

    【東京】お笑い芸人、松元ヒロさんのソロライブ「ひとり立ち」が4月23日から4日間、新宿区の紀伊国屋ホールで開かれる。
     ヒロさんは、社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバーで、1998年に独立。客席に向かい一人でネタを披露するスタンダップコメディで年間120本の舞台に立ち続けている。時の権力者を笑い、日本国憲法を擬人化した「憲法くん」で平和や人権の大切さを訴える。舌鋒鋭く権力を風刺する一方で、社会的に弱い立場の人へのまなざしは優しい。
     テレビではその姿を見ることはほとんどない「テレビで会えない芸人」として知られるが、松本幸四郎さん主演の「鬼平犯科帳」で軍鶏鍋屋の亭主三次郎を演じている。
    ▼公演日程 4月23日(木)午後7時~、24、25、26日は午後3時~
    ▼前売・当日 3700円(全席指定)
    ▼問い合わせ サンライズプロモーション(0570・00・3337)まで。  (矢野)

    「あみだ池寄席」

    【大阪】落語家の露の吉次さんが出演する「あみだ池寄席」が3月29日に大阪市西区の和光寺で開かれる。
     当日は、吉次さんが「キセル」を披露するほか、月亭秀都さんが「看板のピン」、桂治門さんが「風邪うどん」、露の五郎さんが「粗忽長屋」で笑いを取る。
     和光寺へは大阪メトロ千日前線「西長堀駅」⑤出口から東へ徒歩2分。
    ▼公演日時 3月29日(日)午後1時~
    ▼前売 1500円(当日2000円)
    ▼申し込み 吉次さん(06・6491・3554=FAX兼用)まで。    (矢野)

    野沢さん『庭師歳時記』

    【埼玉】労組の書記から一転、造園の世界に飛びこんで30年。東松山市の野沢栄一さん(73)がこれまでの庭職としての歩みを編んだエッセイ集『庭師歳時記』を自費出版した。副題は「折おりの時候と仕事と身辺と」
     しぐれ舎の『諏訪しぐれ』に掲載された「にわし歳時記」シリーズや、月刊俳句誌『夏爐(なつろ)』で紹介された中から取捨選択し、「わたしが職人なら母も職人」「天敵はハチにチャドクガ」など29編を一冊にまとめた。
     野沢さんはあとがきでこう記している。「わたしの能力の限界で『身辺雑記』以上を出ませんが、庭職の人生後半の諸相をいろんな視覚から書き記しました」   (矢野)

    京都新聞が戦時新聞

    【京都】京都新聞とその前身(京都日出新聞、京都日々新聞)が戦争をどう伝えたのか。京都新聞社は1941年12月~45年9月に掲載した記事を分かりやすい言葉に直して1ページに再編集した書籍「京都戦時新聞」を4月に刊行する。2970円(税込み)。

  • 23面 会えてよかった 知花昌太郎さん③(上田康平) ※全文紹介

     米軍上陸前の波平の状況は
     読谷村史第五巻資料編4「戦時記録・上巻」によると――
     1943年の波平の世帯数は378戸、人口は1890人であった。
     集落地の南には日本軍の北飛行場。西は農地を隔てて東シナ海に面し、集落周辺にはシムクガマなど、海岸へ向かう途中にチビチリガマなどがあった。
     44年、島田県知事から国頭(本島北部)への避難命令が出たけれど、波平では日本軍への物資供出に忙殺され、国頭避難はうやむやに。約1200人が集落内にとどまった。
     とどまった住民は44年10月10日からの空爆時にはガマに避難していた。しかし45年3月23日から31日の米軍上陸前日まで爆撃は昼夜の別なく続き、艦砲射撃も加わって、ガマに釘づけになった。4月1日の米軍上陸時にはシムクガマに約1000人、チビチリガマに約140人、他のガマに約70人が避難していた。
     チビチリガマでの「集団自決」
      下嶋哲朗さんの著書「南風の吹く日」には 下嶋さんたちが体験者から聞き取りをした証言により、その経過が記録されている――
      4月1日、読谷の海岸から上陸した米兵はチビチリガマで〈殺さない、出なさい〉と呼びかけたが住民はガマの奥へ逃げ込んだ。
     やがて自決しようとするサイパン帰りの人が布団や着物に火をつけたが、幼い子を持つ4人の母親が火をたたき消した。しかし火は消されたものの住民の死のう組、生きよう組に分かれてのケンカ、争いは続いた。
     翌日も住民は米兵の呼びかけに応じることはなく、自決する人たちが出て、再び火がつけられ、4人の母親も止めきれなかった。火をつけたサイパン帰りの人が〈出たい人は出なさい〉と叫び、生きよう組の住民は奥から前へ移り、その後、ガマを出ている。しかし奥にとどまった住民は煙にまかれ、自決していった。
     チビチリガマに避難したのは31家族。そのうち自決者を出したのは21家族に及んだ。
     (この「集団自決」での犠牲者はのちに2人が判明し、現在、85人とされている)
     シムクガマでは
     下嶋さんの著書「沖縄チビチリガマの〝集団自決〟」によると――
     シムクガマでも自決に向かいかけたが、ハワイ帰りで英語が話せた2人の方が米兵と話をして、住民に命を大切にしようと呼びかけ、住民もガマを出たのである。 
     チビチリガマでなんでこんなに
     亡くなっているのか
     〈生存者は、当時はそういう教育、教えだったんだよという〉と知花昌太朗さん。下嶋さんは「集団自決は誤った教育が引き起こした悲劇だ」(2020年4月2日付琉球新報)と指摘されている。 

  • 24面 日本映画興亡史「溝口健二 女との確執」(三谷俊之) ※全文紹介

     溝口健二監督の作品を初めて観たのは20歳の時だった。1953年制作の『雨月物語』で、当時、ジャン=リュック・ゴダールを中心とするヌーベルバーク作品にはまっていた目からは、すでに時代遅れの巨匠の作品で退屈とも思えた。
     時が流れ、20年ほどたって再び見ると、大きく見方が変わった。戦乱の世の中で欲と色に迷い、妻子をなおざりにした男が迷いから醒めて家に帰ったとき、戦いで死んでいる妻が亡霊となって優しく迎えるという物語だ。古典文学や伝承を題材に、脚本の川口松太郎と依田義賢による幻想の物語がリアルに迫ってきた。能にも通じる幽玄の世界とリアリズムとの、相反する世界が融合する。伊藤熹朔による幽霊屋敷などの美術が妖しい光の中で美しく輝く。そして、俳優たちの張り詰めた演技、宮川一夫の絶妙で華麗な撮影。西洋と日本の音楽を高め合わせる早坂文雄の秀逸な音楽と、それらが重なり合う凄さが改めて迫ってきた。
     溝口は1898(明治31)年5月、東京・湯島の生まれ。父親は大工だったが、山師的な人物で、借財が嵩んで貧窮の底に落ちる。幼い溝口を育てたのは母と姉だった。姉は芸者になり、その後、子爵の愛人となって家族を支えた。溝口は小学校を出ると、画が好きだったことから浴衣の図案屋に弟子入りし、赤坂の洋画研究所にも通った。その後、「神戸又新日報」に図案係で入社したが1年で舞い戻る。
     そして2年ほどは浅草オペラや活動写真を浴びるほど見て過ごした。20(大正9)年、22歳で友人の紹介で日活向島撮影所に入り、新進の若山治監督の助手に。2年後監督となり『愛に甦る日』でデビュー。2作目『故郷』は検閲でズタズタとなった。23年9月1日、関東大震災で東京の撮影所は灰燼と化し、京都大将軍の日活撮影所に移った。京都では月1本のペースで映画を撮ったが、評価は高くなかった。その溝口が、戦時下をどのように生きたか。そして映画を撮ったのだろうか。
     当時の溝口の日常といえば、毎夜の如く祇園や先斗町、木屋町通りで飲み歩いていた。大正時代の末、木屋町のやとな(仲居をかねた芸者)の一条百合子と親しくなり同棲を始めた。しかし痴話喧嘩が絶えず、彼女に背中を剃刀で切りつけられた。この刃傷沙汰は醜聞となり、謹慎処分となり監督を降ろされた。
     3カ月後に復職、溝口は『紙人形春の囁き』を撮り、高く評価された。しかし、彼の女性遍歴は終わらない。26年、溝口は大阪のダンスホールでダンサーの嵯峨千恵子と出会い、親密な関係となった。しかし、彼女にはオペラ歌手の夫がいた。彼を応援していたヤクザの親分から呼び出しがかかる。連載第4章「千本組異聞」でも記したが、溝口は当時、日活の庶務係だった永田雅一に泣きついた。永田は笹井末三郎に間に入ってもらって解決する。度重なる女との確執が、溝口の心中深くに刺さっていた。(この項続く)

  • 25面 坂崎優子がつぶやく「米政権訴えたAI企業」

     米国とイスラエルが仕掛けたイラン攻撃は、これを書いている3月2週目現在も、多くの国を巻き込み予断を許さない状態が続いています。
     そしてこの戦争に伴い、もう一つの争いがトランプ政権とAIのスタートアップ企業アンソロピックとの間で起こっています。同社は生成AI「クロード」を開発し、今年に入ってからは優秀な自立型AIもリリース。既存のサービスを揺るがすと米国の株式市場に激震が走った「アンソロピックショック」でも話題になりました。
     アンソロピックは2025年7月に米国防総省と2億㌦の契約を締結していました。ところが国防総省が、同社が設けている「軍事利用を認めない」という制限を緩和するよう求め、それをアンソロピックが拒否したことで両者の間に亀裂が生じました。
     2月末に、政府はアンソロピックを「サプライチェーンのリスク」に指定すると発表。リスク指定の定義は、敵対勢力が「妨害し、悪意を持って不要な機能を導入し、あるいは転覆させる可能性のあるもの」とされ、指定がいかに理不尽なものかがわかります。
     指定されると、政府機関や政府と契約を結ぶ企業が、アンソロピックの技術を政府業務に使用することが禁じられ、同社の損失は甚大なものになります。一方、一連の動きに、アンソロピックの企業姿勢は評価され、利用者が一気に増えました。そして3月9日、同社は国防総省の提訴に踏み切ります。
     アンソロピックは、オープンAIが作る生成AIの安全性に疑問を持った従業員たちが設立した企業です。私も個人でメインに使うAIを、数カ月前からチャットGPTからクロードに乗り換えましたが、評判通り非常に優秀なAIだと感じています。
    ……

  • 26面 絵本の扉「希望の牧場」(遠田博美) ※全文紹介

     この原稿を書いているのは3月11日。そう、あの日から15年が経過しました。今回紹介するのは、15年前のあの日から始まるお話です。
     表紙には肉牛が描かれています。その横に立ち、口を真一文字に結んでいる男性は福島県浪江町に住む吉沢正巳さん。「牛飼い」と自称している方です。表紙をめくると、吉沢さんはこう語りかけます。
     「なあ、牛飼いって、しってるか? 牧場で、牛のせわして、くらしてる。それが牛飼いだよ。かんたんだろ?」
     次のページにこう続きます。
     「でも、あのでっかい地震のあとは、かんたんじゃなくなった。うちの牧場は、原子力発電所の近くにあったからだ。」と。
     さらにページをめくると、地震で破壊された家屋と取り残された犬が描かれ、吉沢さんは語ります。原発が津波にのみ込まれ、町は放射性物質に覆われた。人は逃げたが、世話をしてくれた人がいなくなった動物たちは次々と死んでいくしかなかったことを。
     当時、吉沢さんの牧場には330頭の肉牛がいました。放射能に汚染された牛は食えない、売れない、一文の価値もない。しかし、生きている牛たちには水も餌も与えないといけない。一人残った吉沢さんは見えない放射能の恐怖と闘いながら、牛とともに暮らしました。
     「だってオレ、牛飼いだからな」
     くわえ煙草で口を真一文字に結び、淡々と牛の世話をする吉沢さん大きくたくましい手が迫ってきます。たくさん食べて育った牛はおいしい肉になります。大切に育て、人間とともに生き、人間を笑顔にさせてくれる。そんな運命を背負った牛たちの運命を、人間がつくった原発の事故によって狂わせてしまった。
     4月、吉沢さんの自宅と牛舎は立ち入り禁止区域になり、役人から「立ち入り禁止区域になったから住まないで」と勧告されても、住み続けます。
     5月、牛を「殺処分」するように言われても同意しません。他の牧場主が泣く泣く牛を殺し、「なんでお前だけ生かしてる?」と問われても、殺処分の指示に従いません。
     「オレ、牛飼いだからさ」
    「あたりまえみたいに言いながら、そのあたりまえのことを、まいにち、いっしょうけんめい、勝ちとってる……」 存在意味をなくしたのは牛だけではありません。町の人々が住んでいた家、学校、おいしい米がとれる田んぼ、子どもたちが遊ぶ海や川、きれいな空気、自慢の青空……。すべてが意味をなくしました。目に見えない放射能があるというだけで、皆の故郷が消えたのです。
     しかし、吉沢さんに協力してくれる人々が次第に全国から集まってきます。断腸の思いで他の牧場主が手放した牛が増えて来たころです。そして、彼の牧場は「希望の牧場」と呼ばれるようになります。
     人間が消えた土地に牛だけが生きていて、それが希望なのか、と彼は自問自答します。弱った牛が死ぬたびに絶望しかないのでは、とも思い、それでも「おれは牛飼いだからな」と淡々と牛の世話をし続けて生きます。そこに人間の影や声が戻って来るのか、と考えながら……。
     文章は、直木賞作家で絵本の原作も数多く書いている森絵都さん。吉田尚令さんの絵は、時に力強く、時には繊細に読み手の眼を捉えて離しません。そして……最後の1ページをしっかりと脳裏に焼きつけてほしい作品です。(元小学校教諭 遠田博美)

  • 27面~29面 読者からのお手紙&いいメール(文責 矢野宏)

    殺傷武器輸出の容認
    「死の商人」に反対

      浜松市 粟野春之
     与党安全保障委員会は、殺傷・破壊能力を持つ武器の輸出を容認することを首相に提言しました。日本は戦後80年間コツコツと「平和の国」日本を演出してきましたが、武器商人、死の商人へと大きく方針転換することになりました。
     ウクライナ、パレスチナ、イランなどでわかるように、紛争地では必ず子どもたちが犠牲になっています。今後は日本製の武器で外国の子どもたちが命を落とすことになります。与党は言うでしょう。「戦闘中の国への武器輸出は原則不可だ」と。しかし「特段の事情がある場合は例外」と逃げ道が用意されています。つまり、戦闘中の国にも輸出することが前提になっているのです。それに武器が必要なのは紛争中の国とその周辺国に限られますから歯止めはないに等しいです。
     第2次世界大戦でドイツの捕虜になったアメリカ兵の死亡率は1・2%だったのに対し、日本の捕虜になったアメリカ兵のそれは37・3%というデータがあります。日本ほど人間の死を軽視する民族はないかもしれません。自民党、維新の会の議員たちは外国の子どもたちが日本製の武器で次々に命を落とすであろうことより金儲けの方が大切なのでしょう。これが高市首相の言う「責任ある積極財政」の正体です。
     高市氏の作り笑いを浮かべた顔を思いだすと、死んでいく子どもたちを見て喜んでいる「死神」を連想してしまいました。金が儲かれば何人死のうとかまわないという政策に私は賛成できません。
     (殺傷武器の輸出解禁は、中国抑止を目指す各国への武器提供と連携強化、さらには日本国内の防衛産業の底上げが狙いと言われていますが、平和国家の根幹を揺るがしかねない一大事。それを国会の審議なしで政権の裁量にゆだねるというのですからとんでもない話です)
    ……

  • 28面 車いすから思う事 財布「やられた!」(佐藤京子) ※全文紹介

     あってはならないことに巻き込まれた。武道場で空手の稽古の最中、カバンに入れていた財布がなくなったのだ。2時間あまりの出来事だった。武道場の入り口にカバンを置き、上着を被せていたのだが……。遅かれ早かれ、誰かが被害に遭ってもおかしくなかったかもしれない。
     早速、事務所に忘れ物として届けられていないかを確認したが、ないという。動揺していたのだろう、財布へ入れていたクレジットカードの利用停止をするのを忘れていた。午後10時の時点で気がつけば、不正利用を阻止できていたかもしれないのだが……。
     財布の中には、この30年間常に持ち歩いていた「律っちゃん」とのツーショット写真が入っていた。苦しい時に支えてくれた彼女との写真だけでも戻ってきてほしいと考えていた。
     翌日になって電話があり、現実に引き戻された。「利用している中に不正利用が多数あり、使用履歴と読み合わせ、補償が受けられるのか審査次第です」。残りのカード類も似たり寄ったりのやり取りを数件繰り返し、ようやくひと息ついたら、もう一つ大事なことを忘れていることに気づいた。警察への被害届だ。
     介助犬イムア君と一緒に交番へ行くと、屋根の上で工事をしているため、入り口狭くて入れそうもない。どうしようかと困っていたら、交番の中から出てきたのは警官ではなく「相談員」を名乗る人。嫌な予感がしたが、仕方ないので、遺失物ではなく盗難で届け出たいと言ったら「出さなくてもいい」と言われた。警官に代わってくれないかとも思ったが、「2、3日すれば出てくることがあるから」と言いくるめられ、退散するしかなかった。
     よく考えても納得できない。眠れない夜を過ごし、翌朝、あらためて警察署へ行くことにした。でも、ここでも遺失物で対応する様子で、「盗難で出したい」と言い続けていると、ようやく椅子に座って話を聞いてくれた。その間に「盗難だと現場検証をしなくてはいけない」とか、「防犯カメラなどに盗んでいるところが映っていないと捕まらない」などの話。何とか書類の受領書をもらい帰宅したら、クタクタだった。取りあえず山のような手続きを終えて補償の心配が残っている。
     まさか、自分がと思ってはいけない。悪人はどこにでも現れる。用心深くするに越したことはない。

  • 29面 矢野編集長の4月講演 ※全文紹介

    ■9条連・近畿学習会
    ・日時 4日(土)午後2時~
    ・会場 大阪市北区のPLP会館4階中会議室
    ・交通 大阪メトロ堺筋線「扇町駅」④出口から徒歩3分、JR大阪環状線「天満駅」から南へ徒歩5分
    ・演題 「崖っぷちの憲法! 自民3分の2」
    ・参加費 800円、学生・障害者は無料
    ・連絡先 9条連・近畿(06・4305・0203)

    ■摂津市教組OBOG会学習会
    ・日時 25日(土)午前10時45分~
    ・会場 正雀市民ルーム3階大会議室
    ・交通 阪急京都線「正雀駅」から徒歩5分
    ・演題 「高市政権で日本はどこへ向かうのか?」
    ・連絡先 石毛さん(tmeisg@i.zaq.jp)

  • 30面 大阪大空襲から81年 朝鮮人犠牲者らを追悼(矢野宏) ※全文紹介

     一夜にして4000人の命が奪われた第1次大阪大空襲から81年を迎えた3月14日、犠牲になった朝鮮半島出身者らを追悼する集会が大阪市中央区のピースおおさか(大阪国際平和センター)前で行われた。遺族や市民ら約120人が参加し、犠牲者一人ひとりの名前を読み上げたあと、黙とうをささげた。
     追悼集会を主催した実行委によると、1万5000人と言われる大阪の空襲犠牲者のうち、約1200人が朝鮮半島出身者と推定されるという。日本名を強いた「創氏改名」により正確な犠牲者数はわからないが、2020年からの調査で167人が判明している。
     追悼集会宣言が採択された後、ピースおおさか内にある「刻(とき)の庭」前に集い、朝鮮人犠牲者167人のほか、強制連行され、大阪空襲で命を落とした中国人8人、新たに判明した米国人捕虜2人の名前が読み上げられた。

  • 30面 編集後記(栗原佳子、矢野宏) ※全文紹介

     突然命を断ち切られた無念、家族の深い悲しみはいかばかりか。生徒たちの心の傷は。責任と向き合う立場にある人たちの心中は――。あまりに痛ましい事故が辺野古で起きた。原因究明のための捜査が始まり、船を運航する市民団体にも海保の家宅捜索が入った。辺野古で埋め立て工事が強行されたのは2014年。市民団体は船で海上から抗議・監視行動を続け、メディアも取材のため乗船した。私もこれまで十数回乗せてもらった。海の上でなければ見えないものがたくさんあるからだ。生徒たちもあの日、まだ見ぬ景色を思い描き、船に乗り込んだのだろうか▼一方、SNSには市民団体や船長、高校へのバッシングやデマ情報が氾濫している。この高校は1980年の創立時から修学旅行先に沖縄を選び、沖縄戦の実相や基地問題を学んできたが、事件後、昼夜問わず嫌がらせの電話がかかってくるようになったという。平和学習の現場での重大事故。そこに付け込み、全国の平和学習そのものの萎縮を狙う卑劣な動きを見過ごしてはならないと思う。(栗)

     トランプ大統領がホルムズ海峡への艦船派遣を巡って同盟国への不満を表明する中で開かれた日米首脳会談。高市首相は、巨額な対米投資を含む日米協力を強調し、トランプ氏からの非難を何とか回避した。会談後、米FOXニュースがトランプ氏の言葉を報じている。「日本には憲法上の制約があるが、必要とあれば支援してくれるだろう」。ここでも憲法9条が「盾」になっていたのだ▼ただ、戦争が長期化し、米国がイラン原油の輸出拠点であるペルシャ湾のカーグ島に地上部隊を送り込むことになれば、高市政権は存立危機事態を宣言し集団的自衛権に基づく武力行使に踏み切るかもしれない。崖っぷちに立たされた憲法を前面に押し出し、戦争反対の声を上げていくしかない。まもなく憲法施行から79年。(矢)

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    2月15日(日)
     夜、関西学院大法学部の冨田宏治教授が「路上のラジオ」収録後に来社。衆院選の結果を分析してもらう。自民圧勝について「岩盤保守層(極右)を取り戻したこと」。背景には「桁違いの資金をつぎ込んだネットの有料広告がある」
    2月20日(金)
     矢野 午後、新聞うずみ火3月号の版下をあゆみ印刷に提出後、滋賀県米原市へ。昨年に続き「部落解放研究滋賀県集会」での分科会の講師を依頼され、打ち合わせ。
     午後、石田冨美枝さん、竹腰英樹さん、金順玉(キム・スノク)さんが新聞に折り込むチラシのセット作業に。ありがたい。
    2月21日(土)
     矢野 午後、滋賀県立文化産業交流会館小劇場での第1分科会「今ある差別と向き合う」で「差別用語を考える マイクロアグレッションって何?」と題して講演。
    2月22日(日)
     神戸新聞朝刊のコラム「正平調」で『城が燃えた』(西日本出版社)が紹介される。矢野は午前、その新聞を持って京都府綾部市へ。昨年に続き「9条連・近畿北部」から講師を依頼され、「第27回総会&学習会」に出席。「しのび寄る戦争前夜~止めよう『治安維持法』復活」と題して講演。帰りの特急「きのさき」内で9条連近畿事務局長の高田博光さんと4月4日の講演の打ち合わせ。
    ……

  • 32面 うずみ火講座(矢野宏) ※全文紹介

    ■4月11日午後2時半~永嶋弁護士「スパイ防止法」

     次回のうずみ火講座は4月11日(土)午後2時半~大阪市此花区のクレオ大阪西で開催します。治安法制に詳しい永嶋靖久弁護士を講師に招き、「インテリジェンス(情報収集と分析)・『スパイ防止法』体制とは何か」と題して講演してもらいます。
     高市自民党と日本維新の会が進める「国家情報局」や「日本版CIA」の創設、「スパイ防止法」体制とは何か。その危険性などについてわかりやすく解説していただきます。
     「UCO」の協力を得てオンライン中継します。希望者はうずみ火事務所までご連絡ください。いつでも視聴できるURLをお伝えします。
    ▼交通 JR環状線、阪神なんば線「西九条駅」から西へ徒歩5分
    ▼資料代 1000円(オンライン500円)

    ■5月9日(土)午後2時半~テーマは「都構想」住民投票

    5月のうずみ火は9日(土)午後2時半~大阪市北区のPLP会館で。テーマは「大阪都構想」の住民投票、カジノなどについてです。講師は現在、交渉中です。今から予定に入れておいてください。

    ■4月12日(日)正午~大阪城公園でお花見集い

     お花見集いは4月12日(日)正午~大阪城公園の教育塔の東側で開催します。
     当日、お弁当や飲み物は各自でご用意ください。シートの上で長時間座っていると足に負担がかかりますので、折りたたみ椅子などがあればご持参ください。
     最寄りの駅は大阪メトロ谷町線「谷町4丁目駅」です。参加ご希望の方はうずみ火事務所までご連絡いただけますか。場所がわからないなど、はぐれた時のために、矢野の携帯をお伝えします。

    ■6月23日(土)午後2時半~テーマは「都構想」住民投票

     今年も沖縄戦跡をめぐるフィールドワークを行います。
     沖縄慰霊の日の6月23日(火)午後1時に沖縄県庁前に集合。沖縄戦・戦後史研究者で琉球大准教授の謝花直美さんに案内してもらい、浦添市の那覇軍港移転地(パルコ前海岸)―港川(里海)―浦添の戦後(屋富祖大通り)―首里などを巡る予定です。
     現地集合、現地解散。フィールドワーク終了後に那覇市内で懇親会を開きます。

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