新聞うずみ火 最新号

2021年9月号(NO.191)

  • 1~3面 元ラグビー日本代表 五輪を総括 スポーツよ「言葉」持て(矢野宏、栗原佳子)

    何のための、誰のための五輪だったのか。新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言下で強行された東京五輪。「コロナに打ち勝った証し」にはならず、8月8日の閉幕後も1日当たりの新規感染者数は連日、各地で過去最多を更新している。4年前から五輪開催に異議を唱えるラグビー元日本代表で神戸親和女子大教授の平尾剛さん(46)は「五輪問題は何も解決していない。もう一度、蒸し返すしかない」と訴える。コロナ禍で見えた「平和の祭典」の虚像から目を背けてはならない。 

    トップアスリートだった平尾さんは東京五輪をどう見たのか。
     
    「開幕前からコロナ感染者が増え始めていたので、楽しめないだろうと思っていました。ただ、五輪が始まれば各競技のパフォーマンスを楽しんでいるかもしれないと、自分の胸の内を観察していたのです。でも、今まで楽しめていたスポーツが楽しめない。もやもやしていました」
     
    何に対し、もやもやしたのか。平尾さんは「目に余る『スポーツウオッシング』だった」と言い、「政府や権力者が自分たちに都合の悪いことをスポーツの喧騒で洗い流す政治利用です」と説明した。
     
    自民党の河村建夫・元官房長官は7月末、「五輪がなかったら、国民の不満はわれわれ政権となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」と発言した。 菅首相も金メダルを取った選手に祝福の電話を入れ、五輪を利用したイメージ作りを行った。金メダルをかんだ河村たかし名古屋市長への表敬訪問もその一例だという。
    ……      

  • 4~5面 コロナ第5波 首都圏医療崩壊 大阪の教訓生かされず(栗原佳子)

    新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。8月17日には東京都や大阪府など6都府県の緊急事態宣言が9月12日まで延長され、新たに京都府、兵庫県など7府県が対象地域に加わった。首都圏の医療崩壊は深刻化、大阪府も連日、過去最多の新規感染者数を更新しており、医療関係者は第5波に危機感を強める。 

    首都圏で起きていることはまさに大阪の第4波そのものです。大阪で起きたことを政府が十分教訓とせず、変異株の拡大という同じ状況がありながら、東京五輪開催で感染拡大に拍車をかけたことは残念です」
     
    こう話すのは大阪市西淀川区の西淀病院の大島民旗(たみき)副院長だ。第4波の大阪は英国由来の変異株が猛威を振るい、4月半ば以降、1000人超の新規感染者が確認される日が続いた。
     
    五輪開催と感染拡大との因果関係を立証することは実は困難だという。「しかし期間中、首相のツイッターはメダルの祝福であふれ、感染者増加や医療逼迫の注意を促すメッセージは発せられなかった。首相・政府がやるべきことをやらなかったのは紛れもない事実です」
     
    大阪の1日当たり新規感染者数は7月31日、第4波の5月8日以来の1000人台に。吉村洋文知事はツイッターで「デルタ株の感染拡大力は別格。その強さはメガトン級」と書き込んだ。宣言延長翌日の8月18日に開かれた府コロナ対策本部では藤井睦子健康医療部長が「20代、30代の感染状況は制御できないレベル」と危機感を示した。いよいよ感染爆発の様相だ。
     
    大阪で4度目の緊急事態宣宣言が発令されたのは8月2日。しかし、大規模商業施設休業は見送られている。
     
    「知事自らが『メガトン級』と呼ぶ変異株なのに、実際に振るったハンマーは、大規模商業施設の閉鎖を含まない第4波よりも弱いハンマー。相手がより手強くなっているのに、前より緩い対策でなぜ勝てると考えるのか。決断の甘さに、感染拡大の必然が見えます。吉村知事が目測を誤ったのはこれで何度目でしょうか。政治より科学を軸に考えてほしいです」
     
    西淀病院は2次救急医療機関を担う中規模病院(218床)で、府の要請で2月に軽・中等症のコロナ病床を1床設け、府のコロナ重症センターにも看護師を派遣してきた。第4波では発熱外来は連日満杯、複数のコロナ患者を抱える状態が常態化していた。
    ……

  • 6~7面 在日コリアン空襲体験者 慰霊碑に家族の名刻む(矢野宏)

    太平洋戦争末期の1945年6月7日に大阪を襲った大空襲での戦没者の名前を刻んだ崇禅寺=大阪市東淀川区=の「戦災犠牲者慰霊碑」に朝鮮人4人の名前が新たに加わった。滋賀県野洲市に住む在日コリアン2世の鄭末鮮(チョン・マルソン)さん(88)からの申し出を寺側が受け入れて実現。1㌧爆弾の直撃を受けて亡くなった母と兄、妹、弟の名前が通名(日本名)ではなく、朝鮮名で刻銘された。鄭さんは「戦後76年、ようやく家族のお墓ができました」と感慨深げに語っていた。 
    鄭さんの両親は韓国南部に位置する慶尚南道出身。鄭さんが物心つく頃には、現在のJR新大阪駅近くで暮らしていた。
     1945年6月7日午前11時過ぎ。鄭さんが家の前で遊んでいると、「突然、ドカーンと、地球がひっくり返るような大きな音がさく裂した」。あまりの恐怖に、鄭さんは家に戻ることなく、周りの家から一斉に飛び出してきた大人たちの後について逃げた。
     
    やがて、逃げ惑う人々の頭上に焼夷弾が雨あられと降ってきた。「直撃を受けて倒れる人、『熱い、熱い』と叫びながらドブ川に飛び込む人、火だるまになって田んぼに転がって亡くなった人。昼間なのに黒い煙で真っ暗になり、何か足につまずくものがあると思って見ると死体ですわ。ほんま生き地獄でした」
     
    この日の空襲は第3次大阪大空襲と呼ばれ、1㌧爆弾が初めて使用された。米軍は、「東洋一の軍需工場」大阪陸軍造兵廠を1㌧爆弾で攻撃し、大阪市東部を焼夷弾で焼き払う作戦だった。だが、この日は天候が悪く、レーダーに頼らざるを得なかったため、大阪陸軍造兵廠に落とす1㌧爆弾の多くが周辺の住宅地に落とされた。
     
    来襲した409機のB29爆撃機は都島区や旭区、東淀川区、豊中市などに爆弾や焼夷弾2600㌧を投下。さらに、護衛の戦闘機P51ムスタング138機が地上で動くものを見境なく銃撃した。大阪府警察局によると、死者2759人、負傷者6682人、5万8000戸あまりが焼け、約20万人が被災した。
    ……    

  • 8~9面 「関西生コン事件」武委員長に判決 「もの言う労組」標的(下地毅)

    全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生)の組合員らが大量逮捕された「関西生コン事件」。ストやビラまきなどの組合活動が「威力業務妨害」「恐喝」などの刑事事件に仕立てられた。様々な事件で起訴された武建一執行委員長(79)に対する7月13日の大阪地裁判決は一部無罪だった。事件を取材してきた下地毅さんに寄稿してもらった。

    関生は、生コンクリート産業の労働者が1965年につくった労働組合だ。いまの日本では絶滅寸前のストライキに立つ「もの言う労働組合」でもある。ここに対する「日本国憲法下で例を見ない(略)大弾圧」(弁論要旨)が始まったのは2018年7月だった。滋賀・大阪・京都・和歌山の4府県警による組合員と関係業者の逮捕者は19年11月までに延べ89人にのぼり、検察は延べ70人を起訴した。
     
    関生を犯罪者集団と印象づけるのに十分な数だろう。粗製乱造された逮捕・起訴の公判は、分離と併合をへて4府県の裁判所に属しており、全体像は複雑だ。まずは、三つの事件で罪を問われた武さんへの佐藤卓生裁判長による判決の概要を紹介しよう。
     
    ①タイヨー生コン事件 工事現場の違法行為を指摘・是正を求める関生のコンプライアンス活動をやめさせる見返りとして、生コン業者から15年5月に1千万円を受けとったという恐喝罪に問われた。
     
    判決は、コンプラ活動を脅しの手段に使ったという検察の「伝聞かき集め小説」を認めずに無罪とした。

    組合員への判決はこれが4件目で、初めての無罪は「一連の大規模な弾圧が、犯罪とすべきでないものを犯罪としてつくり出された」(判決当日の弁護団声明)ものであることを浮きあがらせた。弁護団の三輪晃義弁護士も「起訴は労働組合への嫌がらせだったという裏付けになる」と指摘する。
     
    しかし判決の本質は、残り二つの事件に対する懲役3年、執行猶予5年の有罪部分にある。
     
    ②大阪ストライキ事件 関生の協力で生コン業者は儲けたのだから、輸送運賃の値上げ(労働者の賃金上昇や雇用安定につながる)の約束を守るよう求めて17年12月に近畿一円でストをしたことで起きた。大阪市内での行動が威力業務妨害とされた。
     
    ③フジタ事件 生コン製品の品質を保証するための17年のコンプラ活動が準ゼネコンへの恐喝未遂とされた。

    いずれも武さんは現場にいなかったが、共謀していたという検察の主張を判決は丸のみした。春闘協定を守れと迫り、工事現場の労働者と近隣住民の安全を確保し、生コンの品質を守るという労働組合の「あたりまえ」の活動を犯罪とした。
     
    「多数の組合員を動員し、組織的、計画的に行動した」「組織の指導者として犯罪の実行に影響を及ぼしていた」と判決文とは思えない感情的な言葉づかいは、労働運動への憎悪さえ感じさせる。憲法も、労働組合法も、労働者が汗と涙と血さえも流して獲得してきた権利も一切合切を無視する判決が横行すれば、「労働運動に壊滅的打撃を与える」(弁論要旨)ことは避けられない。
     
    組合員によると、警察官と検察官は組合つぶしを明言したり家族にしつこく電話をして夫婦関係を聞いたりと、余計なお世話では到底すまないこともしている。武さんの逮捕・起訴は各6回に、身体拘束は641日間におよんだ。ある組合員には、別の国賠訴訟の証人尋問の予定が決まるたびに大阪・滋賀・和歌山の3府県警が順番に逮捕している。
     
    生コンの製造・販売を手がけるのは中小零細の業者がほとんどだ。原料のセメントを高く売りつけようとするセメント資本と、製品の生コンを買いたたこうとするゼネコン資本の両方からのピンハネを防ぐために、業者は協同組合をつくって身を守ってきた。
     
    協同組合づくりに協力してきたのが関生だ。生コン業者の適正な利益を守ることと、働く者の適正な賃金と雇用の安定は一体だからだ。これは市民生活を守ることでもある。採算度外視の市場で生き残ろうとすれば不公正な生コンづくりに手を染めるしかなく、実際、「シャブコン」はたびたび社会問題となってきた。
    ……

  • 10~11面 東京五輪・柔道 阿部兄妹が金メダル 快挙支えた寝技強化(粟野仁雄)

    「あなたがチャンピオンよ」
     
    フランス代表の敗者は阿部詩(21)の手を差し上げた。7月25日夜。日本武道館の柔道女子52㌔級決勝は大熱戦。相手はフランスのアマンディール・ブシャール(26)。詩は得意の担ぎ技を封じられ苦戦したが、延長戦に入り8分27秒、息切れ気味のブシャールを押さえ込み「一本」。詩は何度も畳を叩きガッツポーズした。顔は涙でくしゃくしゃだった。「怪物になりたい」と公言していた詩が怪物になった瞬間だ。
     
    筆者は取材で詩に「怪物」を感じたことがある。
     
    2019年11月の「グランドスラム大阪」。19歳の阿部詩が決勝で、当時世界ランク1位のブシャールに延長戦で敗れた。呆然とした詩は畳から降りると「うわあー」と、子供のように号泣した。この大会、男子66㌔級で兄の一二三(23)は、3連敗中だったライバル丸山城志郎を下し五輪代表へ望みをつないだが、慰めても妹の大泣きは止まらず、兄も「タジタジ」だった。
     
    号泣を見て思い出した。レスリングの吉田沙保里が09年のワールドカップ(団体戦)でタックルを返されて連勝記録を119で止められた時、周囲が声もかけられないほど泣いた。もう一人は谷亮子。高校生の1991年、世界選手権で当時の女王カレン・ブリッグス(英国)に敗れ、泣いた。彼女たちには記録とか、五輪出場の可否など関係ない。ただ目前の相手に負けたことが悔しいのだ。こういう選手は強い。
     
    神戸市の夙川学院高(現・夙川高校)で詩の練習を取材したことがある。柔道部の松本純一郎監督は「一二三より天才ですわ」と語っていた。広い道場を端から端まで腰をエビのように体を捻じらせて進むなどのアップを終えると、詩は最後に逆立ちで歩く。松本氏が「詩のライバルは兄貴ですよ」と語った通り、「お兄ちゃんを追い越す」でつかんだ金メダルだった。
     
    東京五輪、武道館の控室で妹の優勝を確認した一二三は「今日も妹が先に金メダル。燃えるしかなかった」。
     
    妹からのプレッシャーを力に変えた。詩が見守る決勝でバジャ・マルクベラシビリ(ジョージア)から大外刈りで技ありを奪い金メダル。淡々と勝ち名乗りを受け、畳に感謝の正座をして降りた。「ガッツポーズするとか、笑顔で降りるかなと思っていたがいろいろな思いがこみ上げた」
     
    17歳で講道館杯に優勝、世界選手権連覇など「五輪間違いなし」だった男に丸山城志郎(27)が立ちはだかった。一二三が彗星のように出てきた頃は怪我で不調だったが復調。一二三は19年の世界選手権などで3連敗し、代表決定は昨年12月の「プレーオフ」に持ち越された。試合時間24分。柔道史に残る名勝負は、丸山を大内刈りでねじ伏せた一二三が感極まって号泣した。神港学園高(神戸市)で一二三を教えた柔道部総監督の信川厚さん(56)は「負けたら終わり。あの丸山戦がすべてでした。試合前は顔がこわばっていた。あれに比べればオリンピックは安心して見ていましたよ」。一二三は、丸山対策で寝技の防御を磨く。
     
    「立ち技が崩れて寝技に引き込まれても怖くない。外国選手に立ち技も思い切っていけるようになった」と信川氏。
     五輪史上初の兄妹同日金メダルの快挙。東京のホテルで見守った父浩二さん(51)と母愛さんは「幸せな親です」と子供たちに感謝した。浩二さんは元国体の水泳選手、高い運動能力は遺伝だ。一二三は兵庫県警の柔道教室「こだま会」で柔道を始めた。「女の子に負けて泣いてばかりでしたよ」。消防士の浩二さんは職場のトレーニングを取り入れ息子と汗した。
     
    愛さんは詩が日本体育大に入学後、神戸市兵庫区の和田岬駅近くの喫茶店を畳んで上京、食事の世話などをしている。残った浩二さんは、厳しい鍛錬に耐える二人を思い、神戸の街を走り、鍛錬を共有していた。
     
    幼少期の詩は「柔道やりたい」とせがみ、両親は「ピアノを習わせたかったけど仕方なく」やらせたが、運動神経は兄をしのぐ。「和田岬小では、運動会の騎馬戦で詩ちゃんは男の子の帽子を片っ端から奪って優勝していました」とは、阿部一家がよく通う食堂「よりみち」の森好理江(よりえ)さん。常連客らと「よりみち後援会」を結成し、海外の世界選手権にも駆け付けた。
    ……

  • 12~13面 ヤマケンのどないなっとんねん 説得力なき首相発言(山本健治)

    8月9日頃から複数の台風の影響が出始め、さらに停滞前線による記録的大雨が九州・中国地方を中心に降り、河川氾濫による田畑水没・家屋浸水、山地崩壊や土石流被害をもたらしたが、菅首相は首都圏にそれが及んでようやく警戒を呼びかけただけで、鈍感・無策という以外になかった。
     
    さて、8月15日は日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した日である。戦争責任を取り、二度とくり返さないことを誓うべき日であるが、菅首相は靖国神社に玉串料を奉納、13日には安倍防衛相、西村経済再生担当相、15日には萩生田文科相、小泉環境相が、安倍前首相、高市前総務相らも参拝、「英霊に尊崇の念を示すことは当然」と常套句をくり返したが、中国・朝鮮をはじめアジア太平洋諸国、日独伊三国同盟を組んで世界を相手に多大な犠牲と苦難を強い、国民には戦死・餓死・病死、原爆や空襲による死と犠牲、戦争に反対した人たちを弾圧、刑死・獄死させたことを棚に上げて何を言っているのかと言わざるをえない。敗戦から76年、風化につけ込んで戦争責任を曖昧にして歴史を歪曲する一方で、憲法9条をないがしろにして積極的平和主義を掲げて戦争国家に変わり、いまや実質航空母艦を持ち、米軍戦闘機を乗せるまでになっている。こんな流れを食い止めるため声を上げ続けることを誓いたい。
     
    災害に話を戻す。前安倍政権以来、何兆円も投入してきた国土強靱化対策が利権的工事でしかなく、何の役にもたっていないことは今回も明らかになった。こうした大雨災害の根源は地球温暖化に伴う異常気象で、今後も襲われることを覚悟して河川氾濫・山地崩壊対策を根本から考え直し、農林行政と日常防災行政を強化し、実際に意味のある工事をしなければならないことを教えている。
     
    地球温暖化の影響とで言えば、SARS、MARS、今回の新型コロナなど地球的規模のパンデミックも、気温上昇で永久凍土やアルプスやヒマラヤなどに眠っていたウイルスが活性化したからだという説があるが、そうであれば今後も発生することを考え、長期的観点で病院建設・病床増設・医療設備・機器・医師・看護師・検査技師などの確保をしなければ発生の度に危機に陥る。今回の新型コロナ感染が明らかになってすでに1年8カ月を超えているのに、その場しのぎをしてきた結果が危機になっているのである。
     
    日本国内で新型コロナ感染者が100万人を超えたのが8月7日、その後、13日には毎日1万人どころか2万人を超える感染爆発となって医療崩壊が現実となった。それで自宅やホテルなどでの待機という見殺し政策で、入院できず、最小限の医療すら受けられず、ホテルや自宅で亡くなる人が増えている。菅首相は五輪を開催した以上、パラリンピックも開会しようと考えているだろうが、そうなれば緊急事態宣言は9月もさらに継続しなければならなくなるだろう。
    ……

  • 14~15面 フクシマ後の原子力 核廃絶意志なき菅政権(高橋宏)

    8月6日に広島、9日に長崎で迎えた原爆忌。76回目の夏を被爆者、そして遺族たちは特別な思いで迎えたに違いない。今年1月、核廃絶を願う全ての人々が待ちわびていた核兵器禁止条約が発効した。「核兵器の終わりの始まり」に、ようやくたどり着いた記念すべき年の原爆忌だったからである。
     
    広島市の平和宣言で松井一実市長は「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい」と訴えた。昨年まで安倍晋三首相(当時)が繰り返してきた「橋渡し役」という言葉に、具体的中身を添える提言をした格好だ。
     
    長崎市の平和宣言でも、田上富久市長が「日本政府と国会議員に訴えます。核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます」と訴えた。両市に向けた国連事務総長のメッセージ、そして被爆者代表の挨拶などでも、核兵器禁止条約への期待が述べられた。
     
    それに対して菅首相の挨拶はどうであったか。安倍前首相と同様に核兵器禁止条約には全く触れず、あろうことか広島では非核の誓いを述べた部分を読み飛ばしたのだ。菅首相は「総理就任から間もなく開催された国連総会の場で『ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない』……」と、自らの手柄を披露するかのようなくだりで、大幅な読み飛ばしをしたのである。
     
    菅首相が読み飛ばした部分は「『(核兵器のない)世界の実現に向けて力を尽くします』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく…」だ。そこを飛ばして、「核兵器のない…核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」と続けたのであった。
     
    蛇腹状にした紙が、のりで張り付いてめくれなかった「完全に事務方のミスだ」と政府は釈明する。だが、たとえ用意された原稿だったとしても、首相が自ら国連で発信したという部分だ。そして、あいさつの中で唯一、被爆者と遺族と共有できる「非核の誓い」に関わる部分だ。そこを読み飛ばして気づかない(気づいていたとしても読み直しをしない)首相に、本気で「寄り添う」姿勢は微塵も感じられない。
    ……

  • 16面 大阪市立高卒業生が監査請求 「無償譲渡は違法」(栗原佳子)

    大阪市の市立高学が来年4月、大阪府に移管されることを巡り、卒業生らが差し止めを求める住民監査請求を申し立て、8月19日、市役所で意見陳述があった。卒業生らは「校舎や敷地など市の財産が無償で府に譲渡されるのは地方財政法違反」「昨年11月の住民投票で政令指定都市・大阪市が存続したのだから、移管計画も取り下げるのが当然」などと訴えた。 
    ……

  • 17面 ウィシュマさん死亡問題 開示文書 入管黒塗り(矢野宏)

    名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が病死して5カ月。真相究明を求める遺族の神経を逆なでする、入管の無責任な対応が続いている。代理人の指宿(いぶすき)昭一弁護士は「入管はすべてブラックボックスに入れ、何も情報を出さない秘密主義の体質。まったく反省していない」と批判する。   

    8月18日、法務省前での抗議行動。「外登法・入管法と民族差別を撃つ全国実行委員会」と「牛久入管収容所問題を考える会」の呼びかけで集まった市民らが「ウィシュマさんを殺したのは入管だ」などと書かれたボードを掲げ、怒りの声を上げた。
     
    最終報告書は、ウィシュマさんの死因さえ特定せず、複合的な「病死」としており、ウィシュマさんの死と入管収容との因果関係を認めていない。
    ……

  • 18面 黒田清さん追悼ライブ 風刺コントで大笑い(矢野宏)

    黒田清さんが亡くなって21年目の夏。今年もコント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー松崎菊也さんと石倉直樹(チョッキ)さんを迎え、「黒田さんを追悼し、平和を考えるライブ」が7月31日、大阪府豊中市の市立すてっぷホールで開かれた。菊也さんが政治風刺の都々逸を披露、チョッキさんは「不愛想タロウ」を演じるなど、約70人を笑いに包んだ。  

    コント「総務省」では、「許認可の受付は放送、通信、その他に分かれて並んでください」と切り出し、「文書提出の際には『これは大切です』と大声で言わずに小声でお願いします。そうしたら『大切』関係の受付にご案内しますので。その際には業界用語で対応させていただきます」。業界用語? 「はい、タイセツを『セツタイ』」と。
     
    「やってる感」だけの政治家もバッサリ斬って捨てる。菊也さんがワクチン接種推進担当大臣の河野太郎氏を風刺都々逸。「(ワクチンの)申し子じゃない もう仕事など できませんよと 迷惑チン」。さらに、矢野が飛び入り出演し、「この広い野原いっぱい」の替え歌を熱唱。「河野太郎のひどい失敗 策尽きて ひとり残らず ワクチン打たす 甘い考え 白紙にして……」
     
    続いて安倍前首相が俎上に。チョッキさんが「こんにちは赤ちゃん」の替え歌で「反日は安倍ちゃん」を披露。さらに、麻生副総理を真似た「不愛想タロウ」も登場。会場は笑いに包まれた。
     
    東京五輪に対する菊也さんの都々逸はーー「五輪の誘致 なんぼ使った? 裏があるから『おもてなし』」
     
    2年ぶりに参加した大阪市平野区の遠田博美さんは「来てよかった。最高にシニカルなひとときは、夏の風物詩」と語り、豊中市の黒河内繁美さんは「笑って元気出ました。グジグジしててもあきませんね」と笑顔で話していた。

  • 19面 映画「かば」上映中 「しんどい学校」骨太に(栗原佳子)

    大阪・第七芸術劇場などで上映中の映画「かば」は1980年代の大阪・西成の公立中学校に実在した教師と生徒の物語だ。出自、貧困、家庭崩壊ーー。過酷な日常に身を置く生徒たちと、愚直に対峙する教師たちの姿を描いた骨太の人間ドラマ。脚本・監督の川本貴弘さんが綿密な取材を重ね7年半かけて完成させた。
    ……

  • 20面 映画「オキナワサントス」 封印された移民史に迫る(栗原佳子)

    第二次世界大戦中のブラジルで起きた日系移民の強制退去事件を描いたドキュメンタリー映画「オキナワサントス」が大阪・第七芸術劇場などで上映されている。戦後もタイ・ビルマ国境に留まった未帰還兵をテーマにした「花と兵隊」の松林要樹監督が、ブラジルの日系人社会で長く封印されてきた歴史を掘り起こした。

    事件が起きたのは1943年7月8日。ブラジル南東部の港町・サントスで、日系とドイツ系の移民に突然、24時間以内の退去命令が下った。
     
    ブラジル移民は08年から始まり、当時は約20万人、サントスには約6500人の日系移民が暮らしていた。
     
    しかし第二次大戦が始まると連合国側のブラジルは枢軸国側と国交を断絶。当時の独裁政権は日本語新聞の廃刊、日本語学校の閉鎖、公の場での日本語の使用禁止などを命じた。そんな中で事件は起きた。ナチスの潜水艦がブラジルや米国の商船を撃沈した報復。多くが家財や土地を残したまま収容所に送られ、家族とも生き別れるなどして苦難を強いられた。戦後も長く独裁政権が続き、迫害が公に語られることはなかったという。
     
    松林監督が事件を知ったのは2016年。取材を進める中で偶然、強制退去の名簿を発見した。その6割が沖縄の姓。沖縄県人会と協力し証言を集めた。迫害の歴史を追う中、日系人社会の中での沖縄差別という現実も見えた。 「日本社会は移民や難民に不寛容ですが、立場が変われば自分が差別を受ける側になる。いまに通じる教訓になれば」
     
    関西では第七芸術劇場、京都シネマで上映中。9月11日から神戸・元町映画館。

  • 21面 読者近況(矢野宏、栗原佳子)

    ■沖縄復興の「異音」
     
     
    沖縄タイムス記者の謝花直美さんが「戦後沖縄と復興の『異音』」を出版した。
     
    謝花さんは沖縄戦や沖縄戦後史、ジェンダーの問題などを長く取材。2010年には休職し、大阪大学大学院へ。本書は18年の博士論文をベースに、取材を加え再構成した。
     
    描かれる時代は沖縄戦から米軍占領下の戦後期。戦争中は人々は南部の戦場をさまよい、北部への避難を強いられた。捕虜収容所に収容され、故郷へ帰還。移動につぐ移動を強いられた。米軍に接収され、帰るべき家を失った人たちも少なくなかった。
     
    戦後、米軍の施策などにより生活圏が流動する中で「誰かの『復興』が、他者の『復興』を妨げる」ということもあった。例えば、元々住んでいた人たちが、戦後帰還すると、すでに、別の地域の住民が、その場をあてがわれ、暮らしていることも頻繁に起きた。謝花さんはそうしたさつれきを「復興の異音」と名付け、耳を傾けた。
     
    登場するのはほとんど無名の人たちだ。とりわけ女性たち。例えばミシンを習い、洋裁業で助け合った戦争未亡人。那覇の平和市場の原型はその女性たちが形づくったという。
     
    「息苦しい社会の中、人々は生活の場から、いかにして希望の兆しを作り出したか描きたかった」。生活に軸足を置き、丹念に追った意欲作だ。

    有志舎刊2860円。 (栗)


    ■「子どもの貧困」絵本
     
    社会派絵本「こどものなみだ~こども食堂便り」が注目されている。子どもの7人に1人が貧困という日本。「親が給食費を払ってくれない」「部活をしたくても道具が買えない」など、子どもの貧困14例を紹介している。著者の山川貢さんはNPO法人「寺子屋こどもの未来」理事長。元美術教師の山花美游さんが絵を担当した。
     
    「子どもの表情やどこにどの色を置くか、全体を見ながら着彩するのに苦労しました」
     
    「れいわ新選組」の山本太郎さんが推薦文を寄せている。「ここに登場する子どもたちの声は、私自身をより本気にさせてくれる静かな叫び声の数々だった」。880円。井上出版企画(080・4371・5855)まで。(矢)

  • 22面 経済ニュースの裏側 コロナの構造(羽世田鉱四郎)

    自然宿主 ヒト以外の哺乳動物や鳥類に感染するものが大半。SARSは2002年に中国・広東省から感染拡大(宿主・コウモリ)。12年にMERSが中東から広がる(宿主・ヒトコブラクダ)。今回もコウモリから感染かと。
     
    新型コロナウイルスの構造 直径100ナノミクロンの球状。表面には突起状の構造(スパイク)があり、形が日食のコロナに似ているので「コロナウイルス」と名付けられました。内部はゲノムRNA、それに結合するNタンパクで「スクレオカプシド」を構成しています。スクレオカプシドの外側は、脂質膜の「エンべロープ」で覆われており、石鹸やアルコールなどで壊れやすく、ウイルスは感染性を失います。エンベロープには受容体(動物やヒトの細胞)と結合するSタンパクやEタンパク、Mタンパクがあります(図参照)。新型コロナウイルスには約3万個の塩基ゲノムRNAがあり、宿主(動物やヒト)細胞に感染すると、1~2塩基の変異を生じます。特に飛沫や接触で感染しやすく、無症状や、肺炎など重症、重篤のリスクも高いと言われています。
     
    「ゲノム」とは、遺伝子と染色体から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝子情報を意味します。
     国内の研究状況  国内製薬会社の現状は以下の通り。「アンジェス」人工的にDNAを合成し、体内に抗体を作る。500人の臨床試験の段階。「塩野義製薬」組み換えタンパク質ワクチンの開発。免疫補助剤の物質を変え、有効性を高める。年度内の供給を目指す。「第一三共」mRNAワクチンの開発。小規模の臨床試験中。「KMバイオロジクス」不活化ワクチン。小規模の臨床試験。
     
    中和抗体 ウイルスや菌の働きを妨害し、身体を守る抗体です。抗体を付けられたウイルスは、免疫細胞が認識しやすくなり、ウイルスの増殖を抑える効果があります。世界中で開発競争。国内では広島大+京都大、名古屋大、長崎大、富山大などが研究中。とりわけ、多種類の変異株を防御できる「スーパー中和抗体」の富山大が脚光を浴びています。医学部だけでなく、工学部、学外の研究所などの支援も得た画期的な取り組みです。「薬の本場」でもあり、期待が高まります。
     
    今後の見通し 国内ワクチンや中和抗体の実用化は来年以降でしょう。東京五輪を強行しパンデミックを引き起こしました。これまではアルファ株(英国型)やデルタ株(インド型)が中心でしたが、ベータ株(南アフリカ型)やガンマ株(ブラジル型)の感染も予想されます。まだ一波乱起きそうです。研究や開発が進み、「制御不可能なウイルス」から「特定でき対応が可能なウイルス」になることを期待します。

  • 23面 会えてよかった 辻央さん①

    辻さんは沖縄愛楽園交流会館の
     学芸員をされている
     交流会館は国立療養所沖縄愛楽園
    内にあり、1階に常設展示室、講話
    室、2階に企画展示室などがある。
     私がハンセン病に向き合わねばと
    初めて交流会館を訪ねたのは202
    0年2月。その交流会館に辻さんが
    おられることは新聞の記事で以前か
    ら知っていたし、実は辻さん、私が
    ときどき出かける読谷村村史編集室
    にいたことがあると知人から聞いて
    いた。それで前からの知り合いみた
    いな感じがして、そのとき交流会館
    でお会いして挨拶、私のハンセン病
    への思いなどを話しさせていただい
    た。
     その後、同年の開館5周年企画、
    儀間比呂志さんの絵本「ツルとタケ
    シ」原画展にも出かけ、屋宜光徳さ
    んの連載の次は辻さんと決め、21年
    4月、いよいよ思い切って、取材の
    お願いをし、5月の取材となった。
    ……

  • 24面 落語でラララ 大山詣り(さとう裕)

    大きな声では言い難いのだが、7月末に上高地へ行った。世間は東京五輪で大盛り上がりなのに、なぜ声をひそめないといけないのかと思いつつ。約50年ぶりの上高地。荘厳な山の気に触れリフレッシュしたが、残念だったのが大正池。立ち枯れの木々が池の中に多く見られた幻想的な風景が消滅し平凡な姿に。それでも背後に焼岳と雄大な穂高連峰を従え清らかな水をたたえた姿は感動的だった。また明神池は神秘的な往年の姿をとどめていたし、徳澤園では突如の雨に会い、大わらわでザックから雨ガッパを取り出したのもいい思い出だ。
     
    江戸時代の山登りといえば、みな信仰と結びついたもの。本格的な修験道も仏教の聖地も山の中。町中のお寺だって「〇〇山△△寺」と名づけられている。で、今回は「大山詣り」。大山と言っても関西の人にはなじみは薄いが……。
     
    町内の連中が集まって大山へ。道中、酒を飲んで暴れたら坊主にすると約束して出かけた。行きは無事に済んだが、帰りに気が緩む。神奈川の宿で熊公が酒を飲んで風呂場で大暴れ。で、2階で寝こんだ熊の頭を丸坊主に。翌朝早く、まだ寝ている熊を、みんなで置いてきぼりに。目覚めた熊、気づくと丸坊主。そこで通し駕籠でみんなを追い越して長屋へ。すぐにかみさん連中を集めて、一行が帰り道、金沢八景で船に乗ったが船が転覆。みんな溺れ死に、自分一人助かった。みんなの菩提を弔おうと坊主になった、と坊主頭を見せた。かみさん連中はすっかり信用し、嘆きのあまりみんな坊主頭になった。そこへ一行が帰ってくる。どうしたことだと怒り出すと、年長者が怒るな、めでたいという。「なぜです?」「お山は晴天で、家へ帰ればみなお毛が(怪我)なくっておめでたい」  
     
    当時、旅の一番人気は伊勢詣り。次が富士登山。富士山には富士浅間神社が。昔は講といって、町内でお金を貯め集団でお詣りした。で、富士講が大人気に。富士山へ行く暇もお金もない人のために、江戸の町には富士塚なる、ミニチュアの富士山が多く作られた。
     
    三番人気は大山詣り。お詣りに行く前は、みんな両国の垢離(こり)場で水垢離をとった。「慚愧懴悔(さんげさんげ)、六根清浄、大山大聖不動明王、大天狗小天狗……」と唱えながら一週間、精進潔斎し、それからお山に登った。それゆえ、晴天でお詣りできた時は神の御心にかなったとして、何より喜んだそうだ。
     
    江戸時代、庶民の旅は禁止だったが、信仰と病気見舞いはお構いなし。で、庶民は信仰にかこつけて旅に出た。熊公だけでなくみんな山の後の遊山が楽しみ。昔から何かにかこつけて、私利私欲を図ったわけ。
     
    現代だって、オリンピックにかこつけて政権の浮揚を画策した姑息な総理がいた。思惑は見事に外れたが、コロナの感染爆発というえらい遺産を残してくれた。この責任、坊主頭になったぐらいじゃ誰も許さんで。

  • 25面 極私的 日本映画興亡史 マキノ省三伝(三谷俊之)

    写真家・森山大道に「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という言葉がある。彼のドキュメント映画の題名にもなっているが、大正から昭和の映画や資料をみると、確かに「過去」はいつも新鮮に立ち現れ、「現在」を撃ってくる。映画の過去=歴史といっても、未だ130年そこそこでしかないが、興業という側面があることで、他文化のジャンル以上に資本と観客、そして創造とのせめぎ合いが強い。その波打ち際で、すぐれた映画人は人間の存在と自由の地平を拓いてきた。
     
    さて、なぜマキノ省三なのか。明治末期から現在まで130年の時代を結わえる大きな血脈。それがマキノ省三とそれに繋がる血脈である。「日本映画の父」と呼ばれた彼は監督だけではなく、役者らの人材を発掘、育成してきた。わが国最初のスーパースター「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助から、阪東妻三郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、大河内伝次郎などのスターを映画界に送り出した。役者だけではない。多くの監督、脚本家も育てた。伊藤大輔、衣笠貞之助、内田吐夢、長男のマキノ雅弘、そして名作『人情紙風船』などの監督・山中貞雄らを輩出。東映のオールスター映画の常連監督だった松田定次は省三の子(雅弘・光男の異母兄弟)であった。脚本家では傑作『雄呂血』の寿々喜多呂九平太、『浪人街』の山上伊太郎がいた。カメラの三木稔など、照明、音響、美術まで日本映画を支えたスタッフの多くがマキノから巣立った。その意味でわが国の映画産業そのものを生み出したといえる。
     
    省三の四女・笑子はマキノ輝子(智子)名で活躍。日活スター沢村国太郎と結婚。その子が長門裕之、津川雅彦。沢村の父は歌舞伎作者の竹芝伝蔵。沢村の妹が名脇役だった沢村貞子。弟の徳之助は黒澤明作品の常連であった加東大介だ。
     
    長男のマキノ雅弘は、4歳から松之助や、阪東の映画に出演。1926年、『青い目の人形』を監督。その後、山上伊太郎と組んだ伝説的名作『浪人街』を監督デビュー。『崇禅寺馬場』『首の座』など軒並みのベストテン映画を撮ったが、その後は職人監督に徹し、生涯「カツドウヤ」として戦前戦後を通じ日活、東宝、松竹、東映を渡り歩いた。片岡千恵蔵、市川右太衛門ら戦前の大スターを復活させ、森繁久弥や鶴田浩二、中村(萬屋)錦之介、大川橋蔵などを大スターに。晩年は高倉健や菅原文太、藤純子(現・冨司純子)らを育てた。
     
    省三の次男・光雄は満州映画社の撮影所長として、李香蘭を生み、戦後は東映を創設した。雅弘の妻は宝塚と映画界で活躍した轟夕紀子。2人の長男が安室奈美恵やSPEEDを輩出した沖縄アクターズスクール創設者のマキノ正幸である。いわば、「目玉の松ちゃん」から安室奈美恵まで、明治から平成まで、マキノ省三から繋がる血脈が、芸能の世界を虹のように結わえてきているのだ。

  • 26面 坂崎優子がつぶやく 医療情報サイトが必要

    この原稿を書いている今、全国でコロナ感染者が増え続けています。
     
    大阪が医療崩壊していた第4波の頃、仕事でご一緒している60代の方が感染。治療は拠点である東京でした。始まりは吐き気からでしたが、熱も出始め感染が判明。その後、病院か療養施設かの希望も聞かれ、熱は高くないものの何も食べられないので入院を選んだといいます。入院当初は肺もきれいだったそうですが、2日後から急変。様子をみていると手遅れになるとして治療を開始。無事回復されました。
     
    医師からは「入院していなかったら命はなかっただろう」と言われたとか。大阪では自宅待機で亡くなる方が増えていたので、通常の医療に乗れば命は救えると改めて思いました。
     
    新型コロナは今までにないさまざまな顔を持つ感染症です。どこかだけにフォーカスすると本質が見えなくなります。例えば無症状が多いことだけに目をやると、感染者数なんて無意味と思えますし、死者数だけに注目すると大したことはないとなります。
     
    けれど無症状でも広める。悪化するとスピードが速い。治療方法がわかってきたとはいえタイミングが重要。下痢や嘔吐、味覚や嗅覚障害、自覚なき低酸素状態など、症状も多岐にわたる。また回復後も後遺症で苦しむ人もいるなど、全体を見ると厄介な感染症だとわかります。
     
    高齢者のワクチン接種が進み、今は死者数が抑えられています。とはいえ未接種者はまだ多く、重症者は日々増加しています。東京では医療機関につながれない人もあふれ、このまま感染者が増え続ければ死者が増え、新たな変異株も生み出しかねません。
     
    猛威を振るうデルタ株は、従来のものより感染力も入院リスクも高くなっています。今後は致死率の高い変異株が必ず出現するなどとも言われ、まさにワクチン接種&治療薬が間に合うかどうかのところにいます。
     
    国は相変わらずの無策で、自分の身は自分で守るしかない状況です。オリンピック中はメディアのコロナ情報も極端に減り、大事な情報が国やメディアの都合で左右されることを実感しました。
     
    先日、月刊科学マガジン、ネイチャーダイジェストの「ワクチンの利益とリスクを一人一人が正しく理解するための対話とは」を読みました。人々が専門家にどのようなワクチン情報を求めているかを探ったものです。そこには「より情報量の多いコミュニケーションができた人は、より多くの情報を得られたと感じ、自分の決定に自信が持てる」と書かれていて、利益だけでなく、リスクの情報も提供するなど、透明性のある情報提供が必要だとまとめていました。
     
    これはワクチンに限らず、コロナ情報全体に言えることです。各国から研究結果が随時発表され、コロナに関する情報は常に塗り替えられています。私たちもそれに合わせて情報の更新をしていかなければなりません。そのためには、ここにくればあらゆる情報がわかるというサイトは不可欠です。国から独立した医療系機関を作るべき時だと思います。

  • 27~30面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    五輪閉幕後が怖い
    コロナ感染の爆発

       東京都 村松孝
    東京五輪開幕後、テレビ各局の情報番組を見ていると、政権寄りのコメンテーターからは新型コロナウイルス感染の急拡大と五輪との関係を否定する声が聞かれます。「選手や運営関係者を隔離し、外部と接触させない『バブル方式』の中で感染者の割合は低い」。でも、選手内での感染率なのか、報道陣なども含めた関係者との感染率なのか、分母の取り方でかなりの操作が可能です。
     
    菅首相は「バブル方式で管理するので安全」と胸を張り、関係者から感染者は出ないと言っていたが、開幕後、感染者は出ている。それよりも何よりも、五輪の影響か東京などで新規感染者が激増しているではないか。政府が「不要不急の外出を控えて」などと訴えても、五輪強行という愚策によって、特に若者に対する示しがつかなくなった。政府が暗に外出を認めるようなことになってしまったのだから、いくら自粛を訴えたところで効果はない。五輪が閉幕した後、もっと怖い事態が待ち構えているように思う。
     
    選手はワクチン接種を2回済ませても、ウイルスは細胞内にいる。重症になりにくいだけだ。しかも、選手村ではPCR検査よりも精度が低い抗原検査が主流である。選手をはじめ関係者らが日本で感染したウイルスを帰国後、本国に拡散してしまうことにならないか、不安だ。東京五輪はやるべきではなかった。
     
    (費用は3兆円を超えるとか。コンパクト五輪と言いながら史上最も高額な五輪となりました。まだまだ出てきそうですね、領収書の束が…)
    ……

  • 29面 車イスから思う事 平和学習は先祖供養(佐藤京子)

    先日、池上彰氏のテレビ番組で「大きな核兵器と小さな核兵器」の話をしていた。そういえば、核兵器の話をあまり聞かなくなったと思い、リモコンの手を止めた。子供のころ、核兵器のボタンを押したら、お互いが核兵器を撃ち合い、人類は滅亡する。それゆえ、核戦争は起こらないと信じていたが、その後、そんなに世の中は簡単なことではないと思い知る。残虐な兵器が拡散しているのだ。
     
    今、世間の関心事は新型コロナウイルスで、広島・長崎の原爆忌、終戦記念日に対する関心が薄れているのではないか。唯一の被爆国である日本の立ち振る舞いに歯がゆさを感じる。東京五輪の期間中、広島の原爆忌に黙とうの時間を取らなかった。IOCのバッハ会長が広島を訪問した際、警備費用を踏み倒したと言われている。本当に鎮魂の気持ちを持っていたなら、黙とうの時間を作るべきであった。
     
    オリンピックはいつから平和の祭典ではなくなったのだろうか。1984年のロサンゼルス五輪から商業主義が色濃くなり、その後、広告によって肥大化したオリンピックは平和の祭典の意味合いは色あせていった。
     
    先の大きな核兵器と小さな核兵器に話を戻すと、「大きな核兵器を持たずに、小型化をしてピンポイントで殺戮することを考える国が増えている」と言っていた。恐ろしい。人間の想像力は限りないが、それを抑制する理性は、戦争の準備としたら例外的になくなってしまうのだろうか。今の爆撃はピンポイントで、民間施設を除いて爆撃を行っているようだが、それならばなぜ、紛争地での悲惨な誤爆は収まらないのだろうか。
     
    被爆者の平均年齢は83歳だという。歴史の継承は行われているのだろうか。広島や長崎では、地道に行われている様子をメディアで見ることがあるが、では、東京にいる若者の熱量は同じかと言えば否であろう。それが残念でならない。なぜ、東日本には平和や人権の授業は少ないのか。不思議だ。
     
    終戦記念日に、私たちは今のままの平和意識で良いのかを考え直さないといけない。それが一つ先祖の供養になるのではないかと思う。

  • 31面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    7月5日(月)
     矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。MBS東京報道の石田敦子記者が東京五輪の準備状況をリポートしたあと、時事通信解説委員の山田恵資さんが東京都議選の結果分析。上田崇順アナがミャンマー人サッカー選手の難民申請について報告。
     
    7月6日(火)
     矢野 午後、クラウドファンディングで呼びかけた空襲体験者の証言DVD制作のため、ABCリブラのディレクター尾川浩二さんと撮影開始。空襲で両親ら9人を亡くした大阪府田尻町の吉田栄子さんを取材。

    7月8日(木)
     矢野 栗原、午前、企画展「表現の不自由展・その後」が開催されている名古屋市中区の市民ギャラリー栄へ。入口で職員が「入館できません」。何があったのか、説明もない。警察発表によると「爆竹のようなものが送られてきた」。河村たかし市長が臨時休館を発表、事実上の中断に。

    7月9日(金)
     16日から始まる「表現の不自由展かんさい」をめぐり会場のエルおおさか側が利用承認を取り消した問題で、大阪地裁が会場使用を認める決定。栗原が実行委代理人を取材。
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

    7月10日(土)
     矢野、栗原、高橋 午後、大阪市北区のPLP会館で「むのたけじ賞」作品応募の集い。共同代表で評論家の佐高信さんが講演。「五輪を止められなかった国が、戦争を止められるわけがない」

    7月11日(日)
     矢野 午後、大阪府茨木市でサポートユニオン「with YOU」第11回定期大会で記念講演「コロナ禍で浮かび上がったこの社会のひずみ」。

    7月13日(火)
     西谷 午後、大阪府吹田市の事務所で「路上のラジオ」収録。矢野をゲストに迎え、東京五輪やコロナ対応などについて二人で言いたい放題。
    ……

  • 32面 瀧本邦慶さんを偲ぶ会(矢野宏)

    戦争がいかに愚かなものか、語り部として若い世代に訴え続けた瀧本邦慶さん(享年97)=写真=が亡くなって2年半。新聞うずみ火では9月11日(土)午後2時から大阪市中央区北浜東のエル・おおさか・視聴覚室で「お別れの会」を開く。
     
    瀧本さんは17歳で旧海軍を志願。空母「飛竜」に航空整備兵として乗り込み、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参戦した。九死に一生を得て帰還すると、トラック島の最前線へ送られた。連日の空爆、補給を絶たれて餓死寸前まで追い込まれながら敗戦の翌年に生還した。
     
    ラジオドキュメンタリー「語り部をやめたい〜94歳の夏」(第54回ギャラクシー賞)を制作したMBSラジオディレクターの亘佐和子さん、ナレーションを務めたMBS元アナウンサーの水野晶子さん、「96歳 元海軍兵の『遺言』」(朝日選書)を出版した朝日新聞記者の下地毅さんらが呼びかけ人となって開催。当日は、瀧本さんがうずみ火講座で講演した2017年の映像を流した後、水野さんら取材者らが瀧本さんの思い出などを語る。
     
    入場無料。先着50人まで。申し込みは新聞うずみ火まで。

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