新聞うずみ火 最新号

2022年7月号(NO.201)

  • 1面~3面  参院選後は「空白の3年」 改憲・軍拡阻止へ一票(矢野宏)

    参院選は6月22日公示、7月10日に投開票される。通常国会が閉会し、事実上の選挙戦に突入しているが、野党共闘は進まず、有権者の関心も今一つ。内閣支持率は堅調に推移し、このまま無風なら、参院全体(248議席)の過半数維持を勝敗ラインに掲げる与党の勝利は確実とみられている。その後、国政選挙のない「空白の3年間」に突入、改憲と軍拡への流れを加速させるのではないか。時事通信社解説委員の山田惠資さんに参院選の焦点や見通しなどを聞いた。(矢野宏)

    今回の参院選は、参院全体の半数にあたる124議席(選挙区74、比例区50)と、神奈川選挙区で欠員となっている非改選の1議席をあわせた125議席をめぐって争われる。
     岸田首相は6月15日、通常国会の閉会を受けて記者会見し、参院選の勝敗ラインについて「非改選を含めて与党過半数」と述べた。与党の非改選議席は自民党の山東昭子議長を含め69議席(自民55、公明14)なので、56議席を獲得すれば過半数を維持できる。
     直近3回の参院選をみると、与党の獲得議席数がいずれも70議席を超えていることを考えれば、今回の56議席は低めのハードルといえる。
     一方、野党第一党の立憲民主党は、野党全体で過半数、63議席以上の獲得を目指すとしている。
     山田さんは参院選の焦点について、「与党が着実に議席を確保して岸田内閣が政権基盤を安定させられるか、野党が阻止するか」と指摘しつつ、「与党が大きく議席を減らすような要素は今のところ見つかりません」とも言い添える。
    勝敗のカギを握るのが、全国に32ある改選数1の「1人区」だという。
     野党側は2016年の参院選から候補者を一本化して自民候補と1対1で対決する図式をつくった。前回の19年もすべての1人区で「野党統一候補」を立て、10勝22敗ながら自民を苦しめた。
     しかし、昨年の衆院選で立民が議席数を減らしたため、「野党共闘は失敗だった」と結論付けられた。立民と国民の支持母体である連合の「共産嫌い」もあり、今回の野党共闘は限定的なものとなった。
     「野党側が候補者を一本化できた1人区は11選挙区、全体の3分の1ほどです。自民は地方で強固な地盤を持つだけに、野党は共闘しないと厳しい」

  • 4面~5面  大阪IR・カジノ 住民投票へ大きな一歩(栗原佳子)

    カジノを含む統合型リゾート(IR)誘致の是非を問う住民投票の実施を目指す大阪の署名運動は約21万筆を集め終了した。目標とした20万筆を達成し、法定数の15万筆をを上回るのは確実。市民団体「カジノの是非は府民が決める 住民投票をもとめる会」は府と事業者が実施協定を締結する前に、住民投票条例制定の直接請求を行う方針だ。府は4月下旬、国に区域整備計画を提出しており、「国に認定させない」運動も広がりを見せている。(栗原佳子)

     府・市のIR区域整備計画案は3月下旬の府・市議会で維新と公明などの賛成多数で可決。署名活動はその渦中の3月25日にスタートした。5月25日までの62日間で府内有権者の50分の1(約15万人)の署名(法定数)を集めれば、住民投票の条例案を知事に直接請求できる。
     署名活動は府内全72市区町村で取り組まれ、うち54が法定数を超えた。署名を集めることができる「受任者」は期間中も増加、7729人を数えた。それ以外にも、事務局が把握できない受任者がいるとみられる。
     共同代表の大垣さなゑさんは「府と市の議会で計画案が通ってしまい、追い詰められた運動に風穴を開けることができました。まだやれる、まだやろうという勇気を与えたと思います。市民運動や政治活動などしたこともないけどカジノはあかんという個人がつながり、運動が広がっていきました」と振り返る。
     署名数が飛躍的に伸びたのは最終盤。5月15日段階でまだ6万7000筆で、あと10日で最低10万筆集めなければ法定数には届かない状態だった。街頭署名、全戸訪問のローラー作戦が各地で取り組まれ、商店街の一角に机を出すなどの署名会場「署名ステーション」があちこちに開設された。

  • 6面~7面  石垣島市民の願い 陸自配備「住民投票諦めない」(栗原佳子)

    大阪での住民投票を求める署名活動は、有権者の50分の1という法定数超えが確実になった。一方、有権者の3分の1以上の署名を集め、市条例の「有権者の4分の1以上の署名を集めれば市長は住民投票を行う」条件をクリアしながら、その道を閉ざされてきた例がある。陸上自衛隊配備計画への賛否を問うべく、沖縄県石垣市民が4年前に取り組んだ署名活動。主体となった若者たちはいまも訴訟を闘い、住民投票実現をあきらめない。「大切なことは、島に生きるみんなで決めるべきだ」と。   (栗原佳子)

     石垣島は人口約5万人。サンゴ礁に囲まれた亜熱帯の島だ。沖縄県最高峰の於茂登(おもと)岳が雄大な山容を見せる島中央部の平得大俣(ひらえおおまた)。山すその農村地帯に対艦・対空ミサイル部隊と「有事」の初動を担う警備部隊計600人が来春までに配備される計画だ。敷地面積46㌶。連日巨岩を砕く凄まじい騒音をたてながら、畑や民家と隣り合わせに突貫工事が進められている。
     住民投票に言及する前に陸自配備の経緯を振り返りたい。 石垣島への陸自配備計画はいわゆる「南西シフト」と呼ばれる防衛力強化の一環だ。15年11月、当時の若宮健嗣防衛副大臣が中山義隆市長を訪問、「尖閣諸島周辺で中国公船の領海侵入が常態化している」などとして陸自受け入れを正式に要請した。候補地として示されたのが平得大俣。特に衝撃が走ったのが開南、嵩田(たけだ)、於茂登、川原の周辺4地区だった。米軍基地に土地を奪われた北谷町民らが入植した於茂登など、みな沖縄本島や宮古島、与那国島、台湾などからの八重山移民が開拓した。パイナップルやマンゴー、野菜など島の一大生産地として定着した矢先の基地計画。4地区は一貫して断固反対を貫いている。
     中山市長は「安保は国の専権事項」だとして受け入れについて明言を避け、4地区の面談要請を拒否した。それが16年末に初めて「住民と会う」と明言、年明けの日程調整に住民側も応じた。ところがその直後、市長が東京で「受け入れ」を発表。住民が激怒すると市長は「正式な受け入れではない」などとトーンダウン。しかし、首長の「ゴーサイン」により17年5月には配備図が具体的に示されるなど、既成事実が進んでいった。
     18年3月の市長選は三つ巴の争いになった。「ミサイル基地反対」「平得大俣への配備反対」を掲げる対立候補に対し、中山氏は陸自問題に触れず、争点化を避けた。そして3選すると「民意を得た」。同年7月、正式に配備受け入れを表明。住民投票を求める署名活動が始まったのはそれから3カ月後のことだった。

  • 8面~9面  海洋冒険家・堀江謙一さん 83歳「毎日がワクワク」(粟野仁雄)

    世界最高齢の83歳で、ヨットによる単独無寄港の太平洋横断に成功した海洋冒険家の堀江謙一さんが6月5日、兵庫県西宮市のヨットハーバーに到着。揺れる船体からどこもつかまずに片足を高く上げ、約2カ月半ぶりにヨットを降りた。
    歓迎の花束を受け取ると「『あしたのジョー』が完全燃焼したように、この航海によって精神と肉体の完全燃焼を成し遂げた」と喜んだ。
     海洋冒険家、堀江謙一さんが世界最高齢でヨットの単独無寄港太平洋横断に成功した。「サントリーマーメイドⅢ号」(全長約6メートル)で、米サンフランシスコ港からの約8500キロの航海だった。
    「たくさんの薬をもらったけど、使ったのは目薬とバンドエイドだけでしたわ」と健康ぶりをアピール。「若輩ではありますが青春、真っただ中。大器晩成を目指して頑張ります」と締めると観客から大拍手だ。
     記者会見では「前の航海から十数年、空白があったので忘れている面もあった。再学習できたので次回があればもっと良い航海ができる。明日からでもいけます」と意気軒高。
     2005年に東回りの単独無寄港世界一周に成功した際、筆者はインタビューした。その時「冒険家というのはピアニストが芸術家と言われるような褒め言葉ですね。ヨットはスポーツ。僕はヨットマンでしかない。だから、自分から冒険家という言葉は使いません」と話していた。現在の考えを聞くと堀江氏は「冒険家と言われるのはうれしい。でも自分からは言わないのは今も変わりません」
     疲れも見せず、翌朝から単独取材に応じてくれた。「日本に近づいてから黒潮の蛇行や悪天候で24時間寝られないこともありました。たいてい、日本が近づいてからもたつくんですわ」。積んだ食料はレトルトカレー、コーンフレーク、米、カロリーメイトなど。冷蔵庫はなくすべて常温。
     1938年生まれ。「45年夏の玉音放送の時は箕面市の国民学校1年。1学期だけ戦前教育で、2学期から戦後の民主教育ですよ。食糧難で、朝食を食べてきた生徒は20%くらいだった」
    1962年、「マーメイド号」で西宮港から米サンフランシスコまでの単独無寄港太平洋横断に世界で初めて成功し有名になる。著書『太平洋ひとりぼっち』はベストセラーとなり、石原裕次郎主演の映画にもなったが、実は密出国。日本では捜索願も出て「無謀で迷惑な冒険」などと批判された。だが、サンフランシスコ市長が称賛し、名誉市民にするとマスコミは手の平を返し、堀江さんは英雄になる。マーメイド号は現在、サンフランシスコの博物館に展示されている。
    「出発前に見てきた。60年経った今も一番の特等席に飾ってくれていた」と喜ぶ。
     1974年と2005年にはヨットで西回り、東回りの単独無寄港世界一周に成功。縦回り地球一周も達成、08年には波力だけ推進する小型船でハワイから西宮へも航海した。
     「GPSは本当に便利でありがたい。六分儀の10分の1の値段ですよ」。とはいえ「海見ていて大体のことはわかります。西海岸との時差は7時間。日の出がだんだん早くなる。水平線に太陽の頭が出て完全に姿を見せるまで2分半。GPSなんかなくても、どんなに間違えてもアメリカ大陸を通り過ぎることはないと思ってましたわ」
     よほど身体を鍛えているかと思ったが意外な答え。「ジムなんか通ったことない。走ったりもしません。散歩くらい。妻は料理にこだわりがあって僕にはさせないので家事もしない。2代目ココ(プードル犬)の世話が一番の仕事かな」

  • 10面~11面  ヤマケンのどないなっとんねん 世の中「一億総貧乏時代」(山本健治)

    6月15日、通常国会が閉会した。その後の閣議で第26回参議院選挙を22日公示、7月10日投票で実施することを決定した。岸田首相は記者会見で、26年ぶりに政府提出議案のすべてが成立したと自慢げに語り、コロナ感染やウクライナ侵攻で上昇している物価対策、エネルギーの安定的確保などに取り組むとともに、コロナをはじめとする感染症対策の司令塔として「国立感染症研究所」と「国立国際医療センター」を統合して「日本版CDC」の「内閣感染症危機管理庁」を創設するなどと述べたが、記者会見を見た人々の印象は、結局は参院選の集票策として総花的に言っているだけと感じたのではないか。
     参院選の勝敗ラインについて問われると「過半数の確保」と答えた。ひかえめすぎる数字である。例えば「絶対的安定多数」などと言った数字を提起すると、それに届かなかった場合、政治責任を取らねばならないから低い数字を言っておくのが政治家の常套回答であるからで心の中は別である。例えば改憲をやりたいと思っているのならば、改憲発議ができる3分の2以上の獲得が勝敗ラインとなるだろうが、有権者はそういう本音が表に出ると反対の選択をすることが多い。安倍元首相は改憲を表に出しすぎた結果、失敗した。岸田首相はそうしたことを踏まえて低い数字を言っているのであって、真に受けてはいけない。
     また、楽勝だという雰囲気が出ると負けるのが選挙であり、急速な円安、物価高、年金の減額、直前になっての身内のスキャンダル表面化、楽観は禁物とのことで低い数字を言っているのである。
     今回は選挙区75、比例区50の125議席をめぐっての競い合いである。改憲発議ができる3分の2以上を確保しようとすると全体で166取らねばならない。現有議席は与党の自公で138、改憲の意を表明している維新が15、国民12、保守系無所属を加えると、現状でもすでに3分の2以上だから、最低限でも現有確保、これに少しでも上乗せできれば圧勝という目算が岸田首相と自民の本音だろう。衆院選は昨年行ったばかりだから任期は3年以上残っていて、次の参院選は3年後までないから、これから3年間は国政選挙はない。この選挙で3分の2以上獲得すれば、衆院はすでに4分の3が改憲賛成だから、これから3年間はやりたい放題、いわゆる「黄金の3年」になる。防衛費増額も、敵基地攻撃も、核共有も、改憲も思いのまま、衆院選と同様に徹底した反共攻撃を行い、ウクライナ情勢や北朝鮮、中国の動きについて危機をあおる作戦だろう。
     今回の争点は、世界の政治的軍事的経済的枠組みが変化して新たな冷戦が始まっている中で、日本の政治・経済をどうするかである。日本の産業経済は衰退期に入っていることは明白であるが、岸田首相は新資本主義、経済安保、デジタル田園都市構想などいろいろ提起するが実効性はまったくない。研究開発は世界レベルから遅れる一方で、地方の衰退と人口減少に歯止めはかかっていない。「一億総中流時代」は完全に終わり、「一億総貧乏時代」に入っている。ごく一部の富裕層と圧倒的多数の貧困層とに二極分解し、いったん貧困層に落ちると「貧困蟻地獄」からはい出すことができない。

  • 12面~13面  フクシマ後の原子力 国策の事故「想定外」とは

    6月17日、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた福島県民など約3700人が国に損害賠償を求めた4件の集団訴訟の最高裁判決が出た。国と東京電力を訴えた集団訴訟は全国で32件あるが、これまでに出た地裁、高裁の判決では国の責任を「認める」が12件、「認めない」が11件と二分されてきた。訴訟が先行していた福島、群馬、千葉、愛媛の訴えについて、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)の判断が注目されていた。
     「生業を返せ、地球を返せ」という横断幕を掲げて判決に臨んだ原告団だったが、結果は国の賠償責任を認めないという統一判断であった。その理由を、国が事故前の想定津波に基づいて東京電力に防潮堤を建設させる規制権限を行使しても「想定外」の津波で事故を防ぐのは困難だったとした。原告が訴えた防潮堤に加えた重要施設の浸水対策の検討については「事故の前に浸水対策などを定めた法令や知見はない」などとして退けた。裁判官4人のうち3人の多数意見による判決だった。
     この判決について、関西に「自力避難」している原発震災の被災者2人にコメントを寄せていただいた。まず『母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで』『災害からの命の守り方―私が避難できたわけ』などの著者で、郡山市から避難した森松明希子さん。判決について「不当判決だと思います。少なくとも多数意見の裁判官は、子どもたちや次世代には聞かせられないような不当で恥ずべき判断だったと思います」と怒りと悲しみをあらわにした。
     そして「原発賠償関西訴訟」や「原発なくそう!九州玄海訴訟」の原告で、福島市から避難した加藤裕子さんは「国策で進めてきて、安全を長年アピールしてきた原発が事故を起こしたのです。多くの市民が避難を余儀なくされ、汚染がひどく二度と自宅に戻れなくなった人、汚染を気にしながらも居住せざるを得なかった人、避難先でいじめにあった人、前途を悲観し命を絶ってしまった人、因果関係はわからないとされるも、小児甲状腺がんをはじめとする様々な疾患が増えていることなど、たくさんの被害が存在するにもかかわらず、国への責任を問わない判決には違和感しかありません」とした。
     判決理由について森松さんは「何もやっていなかったのに、やったとしてもできなかったから国に責任なしとした点は到底納得できません。事実も誤認しているし、そもそもそれはやれることをやった時だけ主張できます。『何もやらないでおいて、どうせやってもできなかった』というのは、子どもたちにいつも私は言い聞かせていますが、一番言ってはいけない言い訳、屁理屈です。まさか最高裁の判断理由がこれだったのには驚きと憤りを禁じ得ないです」と嘆く。
     最高裁の今回の判決は、他の集団訴訟の今後の地裁や高裁の判断に大きな影響を与えることになるだろう。だが、加藤さんは「今年3月の最高裁判決では、東京電力の賠償責任を確定しましたが、国の賠償指針や東京電力の自主賠償基準の不十分さが明らかとなりました。まずは賠償指針の見直しが急務だと思います」と、裁判によって明らかになった課題に取り組んでいくつもりだ。
     森松さんも「原発は国策です。国家権力による人権侵害という点で、被害の重大性を理解してほしい。被害実態を知らないのではないかと思わざるを得ないと感じました」とした上で「予見可能性も結果回避可能性もあった。万が一にも事故を起こしてはならない対策を考え、実際にそれをするのは国と事業者です。唯一の規制権限を持ち、国策で原発を動かす国の責任を問えないようにする今回の判断枠組みは説得力に欠けます。やるべきことをやっていなかった責任を、これからも追及します」と、決してへこたれてはいない。
     裁判だけが国の責任追及の手段ではない。加藤さんは今「国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会」の活動をしている。「(判決の)報告集会でダマリー国連特別報告者の件が話されたように、今後は『国内避難民の人権』という新たな切り口からのアプローチも大事であると再認識しました」と加藤さん。
     加藤さんは「福島の原発事故避難者は、国際社会で尊重されるべき『国内避難の指導原則』に反していると考えられ、こうした事実を明らかにするため、国内避難民の人権に関する特別報告者の訪日実現を目指しています。『避難は、影響を受ける人々の生命、尊厳、自由、安全に対する権利を侵害する方法で実施されてはならない』とする指導原則や、国際人権法を広く国内に広げたいという理由から関わっています」という。

  • 14面~15面  世界で平和を考える 戦争長引き、儲ける人々(西谷文和)

    ウクライナに入ったのは今から8年前、2014年3月のことだった。首都キエフに入り、向かったのは独立広場。ウクライナは1991年に旧ソ連から独立し、広場にはそれを祝う塔があり、その右側にはヒトラーに似せたちょび髭をつけたプーチンの写真。ステージ下には「プーチンのプロパガンダに騙されるな」というメッセージがあった。この時プーチンは「ロシア系住民の保護」を口実に軍隊を介入させ、クリミア半島を力づくで奪った。その成功体験があって、今回も早々にキエフを落とせるだろうと考えていたに違いない。この時の独立広場にはまだ燃えたタイヤが転がっていたり、放火されたビルからのススが広場に充満したりしていて、全体的に黒のイメージだった。
     2013年11月、人々は「ウクライナのEU加盟」を求めて広場に集まり始めた。ヤヌコビッチ大統領がロシアに急接近しEUへの加盟を拒んだからだ。当初、学生たちが歌ったり踊ったりする平和的なデモだった。12月には100万人の大行進が行われ、平和のうちに成功するかと思われた。現地語で広場が「マイダン」、ヨーロッパへの加盟を求めているので「ユーロマイダン革命」だ。ここで思い出してほしいのは、この3年前に起きた「アラブの春」。これも広場が革命の現場になった。例えばエジプト。首都カイロの中心にあるタハリール広場に人々が集まり、独裁者を平和的に倒すという快挙からわずか3年。ウクライナの人々はエジプトやチュニジアの民衆の姿と自分たちを重ね合わせていたに違いない。
     ところが13年末ごろから、ヤヌコヴィッチ大統領の治安警察ベルクトが学生たちに向かって殴る蹴るの暴行を加えた。女性も含めた若者を襲い、ケガ人が続出。さらに催涙ガス、ゴム弾を使い始めたのだ。私はバーレーンでこのゴム弾の威力を目の当たりにしたことがある。11年2月、エジプトに刺激された民衆が首都マナマの真珠広場に集まってくる。「独裁を終わらせろ」「バーレーンに自由を」。蹴散らされても、蹴散らされても集まる民衆。デモ隊と警官隊がにらみあう。そこにサウジアラビアの軍隊が背後からゴム弾を乱射した。即死こそしないが目に当たれば失明、胸に当たれば肋骨骨折という硬いゴムだ。催涙ガス弾とゴム弾が飛び交う大混乱の中で、私は必死にカメラを回した。
     あれから3年。ウクライナでも同じことが起きた。催涙ガスを撃ちながら、ベルクトはゴム弾の中に実弾を混じりこませて、殺人を犯すようになった。市民たちは広場にバリケードを築いて革命防衛隊を組織した。
     この時の独立広場には犠牲になった120人の写真が貼ってあった。デモの最前線に立ったのが「右派セクター」と呼ばれる人たちだ。そう、革命部隊の中に少数ながらネオナチがいたのだ。広場に貼られた写真の中に身元が分からない人が多数。これは不思議な話だ。革命の犠牲になった、いわばヒーローとしてここに飾られているのに出身地も名前すらわかっていない。「流れ者」が革命に参加していたのか、出自や身分を隠してまで「最前線」に立たざるを得ない何かが、「右派セクター」にあったのか……。ちなみに私の通訳は「プーチンがならず者をデモに送り込み、最前線に立たせてベルクトを殺させ、それを口実にロシア軍を介入させた」と推測していた。 この右派セクターは、後に「アゾフ連隊」として国防軍に組み込まれる。つまりウクライナの側にもプーチンに付け込まれる「落ち度」があったのだ。この後、ウクライナにネオナチがいる、とプーチンが大騒ぎし、ロシア系住民を保護するという口実でクリミア半島を奪い、ドンバス地域にロシア軍を送り込んだ。

  • 16面  ウトロ放火・被告人質問 冗舌な差別動機と歴史観(栗原佳子)

    京都府宇治市のウトロ地区で昨年8月に起きた放火事件などで、非現住建造物放火罪に問われた奈良県桜井市の無職、有本匠吾被告(22)の論告求刑公判が6月21日、京都地裁(増田啓祐裁判長)であり、検察側は懲役4年を求刑した。弁護側は最終弁論で情状酌量を求め、結審した。判決は8月30日。放火が人種差別目的のヘイトクライム(憎悪犯罪)と認定され、量刑に反映されるかどうか注目される。(栗原佳子)

     ウトロ地区は太平洋戦争中、飛行場建設のため動員された朝鮮半島出身者らの「飯場」が原型。4月末、地区の歩みを伝える「ウトロ平和記念館」が開館した。
     火災は昨年8月30日午後4時頃発生。資料を保管していた木造家屋など計7棟が全半焼し、資料40点余りも焼失した。被告はその1カ月前、名古屋市の民団愛知県本部や隣接する名古屋韓国学校にも火をつけたとして建造物損壊と器物損壊罪にも問われている。被告はいずれも起訴事実を認めている。
     6月7日の第2回公判の被告人質問で、被告は2時間半、冗舌に語った。誤った歴史観に基づく偏見と差別に満ちた内容だった。
     冒頭、弁護人は韓国・朝鮮籍の人たちへの感情を尋ねた。「日本に在住している、いないに関わらず敵対感情があった。親日派と言われる人にはない」と被告。
     敵対感情はいつからか。「教科書問題など歴史的な面で反発感情を持ち始めた時期と、東日本大震災や原発事故に対する論調に対し嫌悪感情を持ったのと重なり高まった」
     育った家庭や教師らも嫌韓感情があったという。「ネットで発せられる社会情勢、特に韓国による慰安婦像の設置などが感情形成には影響されている」とした。

  • 17面 神戸大空襲77年 慰霊碑 新たに40人

    太平洋戦争末期、神戸市を襲った空爆による犠牲者の名前が刻まれた「いのちと平和の碑」に6月5日、新たに判明した40人の名前が加えられ、神戸市中央区の大倉山公園で刻銘追加式が行われた。空襲体験者や遺族ら40人が参列し、77年前の空襲で亡くなった人たちの冥福を祈るとともに平和への誓いを新たにした。(矢野宏)  77年前のこの日、神戸は2度目の大規模な空襲を受けた。 午前7時20分過ぎに473機のB29爆撃機が来襲。それまで焼け残っていた市の東側に3000㌧もの焼夷弾が投下され、垂水区から西宮市までが焦土と化した。主に市の西側を焼きはらった3月17日の大空襲と合わせると市街地の56%が焼失し、神戸市は壊滅した。犠牲者は8000人を超えると言われるが、戸籍なども焼失したため、多くは名前すらわかっていない。  空襲体験者や遺族らでつくる「神戸空襲を記録する会」は、市民の証言や資料をもとに犠牲者の名簿を作る活動を続けており、2013年には市と協力して大倉山公園に慰霊碑を建立した。2年に1度、刻銘追加式を開き、これまでに2231人の名前を刻んだ。  式典では、犠牲者に黙とうをささげた後、記録する会代表の岡村隆弘さん(62)があいさつ。昨年6月に他界した前代表の中田政子さんが語った「何もかも失ってしまった人たちのせめて名前だけでも残したい。命は数ではない。一人ひとりに名前があり、一つの命があった。一人ひとりの命を大切にする市民になりたいと思う」との言葉を紹介した。ロシアのウクライナ侵攻についても、「平和がこれほどいともたやすく奪われてしまうことに強い衝撃を受けた」と語り、「一人ひとりの命を大切にする市民に未来を託すため、戦争の惨禍を語り継いでいきたい」と力を込めた。

  • 18面~19面  読者近況(矢野宏)

    ■不良少年、釜ヶ崎へ

    【大阪】「新井さん」こと、宮本信芳さん(60)が生まれ育った横浜から大阪・釜ヶ崎に流れつくまでの波乱に満ちた半生を描いた「釜ヶ崎に、グランマ号上陸す」(東方出版)を出版した。2011年に発生した福島第一原発事故をきっかけに発行した「月刊・新井新聞」(創刊当初は「自分の言葉」に連載していた「チェ・ゲバラの最も出来の悪い弟子になるまで」をベースに、3・11以降の釜ヶ崎での活動を加筆した。
     土建業者の三男に生まれ、出稼ぎ労働者が暮らす飯場や児童養護施設で育った。たばこ、シンナー、窃盗……不良少年は「チェ・ゲバラ伝」(三好徹著)を読んで感銘を受ける。一念発起して大学受験。在学中には学生自治会委員長を務め、福祉施設に就職するもアルコール依存症がもとで解雇される。水商売の世界に入るも借金がかさむ。ついにはキャバクラ会社の金を持ち逃げし、たどり着いた先が釜ヶ崎だった。11年に逮捕されるも示談成立で起訴猶予となり、再び戻った釜ヶ崎で居酒屋「グランマ号」を開く。
     チェ・ゲバラがカストロら82人の仲間たちと決起し、キューバ本土へ上陸したときに乗っていた船の名をつけた。
     釈放された時、礼を言った弁護士からこんな言葉が返ってくる。「俺に感謝するより人に恵まれていることに感謝した方がいい」
     起訴猶予となった背景には、釜ヶ崎の仲間たちが集めた嘆願書が後押ししたという。
     「新井さん」からの手紙はこう結ばれていた。「恐らく感動できません。ひんしゅく話が過半数を占めています。それでも『釜ヶ崎に来れば何とかなる』ということはわかっていただけるかと」(矢野)

    ■「沈黙の記憶」刊行

    【沖縄】沖縄タイムス記者の謝花直美さんが「沈黙の記憶1948年――砲弾の島 伊江島米軍LCT爆発事件」(1980円)をインパクト出版会から出版した。
     伊江島は沖縄本島北部の本部(もとぶ)半島から約9㌔沖合にある離島。77年前、島民は旧日本陸軍による飛行場建設のために土地を奪われて島を追われ、残った者は「沖縄戦の縮図」と言われる苛烈な戦闘に巻き込まれて約1500人が命を落とした。
     終戦を迎えても島の6割以上が米軍に接収され、極東における核戦略の重要基地として使われるなど、苦難の道を歩んできた。
     爆発事故が起きたのは1948年8月6日。沖縄戦での未使用弾125㌧をLCT(上陸用舟艇)に積む作業中に荷崩れを起こし、港で船ごと爆発。住民ら107人が死亡し、100人以上が重軽傷を負った。
     謝花さんは新人記者時代、「きょうの歴史」を伝える記事でこの事故を知る。戦後最大の死者が出た爆発事件なのに、沖縄の社会はなぜ記憶しなかったのか。
     たった7行の短い記事だったが、心がざわついたという。「記事が伝える事実の圧倒的な重さ。そのギャップに心をざわつかせるのだ。あたかも過去から呼びつけられているような気がした」
     事件から60年たった2008年、沖縄県公文書館が米国から収集した米軍資料を公開したことで、誰もが初めてこの事件の現場を目撃することとなる。おざなりの記事だけなら、事件は再び埋もれてしまうとの危機感から取材、連載記事をまとめた。
     これで一区切りつけられたと感じた謝花さんだったが、伊江島出身者から送られてきた本に触れ、「メディアこそが、この事件を伊江島以外の人びとが知ることを阻む要因をつくってきたのだ」と気づいたという。 毎年紙面に掲載して終わらせてきた7行の記事はその典型ではなかったか。
     その後、数字としてしか書くことができなかった死者の家族、負傷者たち、事件後を生きる人々への取材を重ねることで、「7行の記事の行間に閉ざされてきた言葉に出合ってきた」と振り返る。
     体験者の多くが鬼籍に入る中で、聞き取りだけによらない書き方、資料から声を聞きとることを試みたという謝花さん。こんな言葉で締めくくっている。
     「沖縄戦直後だけが特殊だったのではなく、戦時と占領による砲弾の危機は今も続いている。それが、占領から継続する政治によって見えにくくされている。そのため、痛ましい事件が起きる時だけ、砲弾の恐怖を不発弾による事故として突き付けるのである。伊江島米軍LCT爆発事件は終わっていないのだ」
     声なき声に耳を傾けてきた謝花さんにとって、新聞記者としての「卒業論文」ともいえる一冊だ。 (矢野)

  • 20面  映画「百年と希望」共産党の今、1年を追う

    今年7月15日で結党100年を迎える日本共産党をテーマにしたドキュメンタリー映画「百年と希望」(107分)が7月2日から大阪市西区のシネ・ヌーヴォなどで公開される。1983年生まれの西原孝至監督が昨年から1年間、同世代の政治家や党機関紙「しんぶん赤旗」編集部などを撮影した。西原監督は「共産党の99年目の姿を通し、多くの課題を抱える今の日本社会が浮き彫りになれば」と期待を込める。       (栗原佳子)

     西原監督は2015年、安保法制に反対する「SEALs」の若者たちに出会い、ドキュメンタリー映画「わたしの自由について」(16年)を製作。もうろう者の生活に密着した「もうろうを生きる」(17年)、フェミニズムを描いた「シスターフッド」(19年)などの作品を次々と発表してきた。

  • 21面  経済ニュースの裏側 教育の現状

    重いかばん 皆さんは、お孫さんや子供さんの通学かばんを持ったことがありますか? 中高校生はリュックが多く、私は何度も孫たちの物に触れたのですが、とても重くて、簡単には持ち上がりません。先日、小柄な女子中学生とすれ違ったのですが、腰を曲げ、あえぎながら坂道を登って帰宅していました。心身ともに伸び盛りの中高生にとって、なんと過酷な現実でしょう。新聞の投稿欄でも指摘は皆無です。文科省のお役人や教育委員会の方々、ぜひ体験してみてください。
     分厚い教科書、副読本 教科書がとても分厚くて重い。これに多くの副読本が加わります。教科書は、内容がいっぱい詰め込んであり、写真や図柄も多くて、手に持つとズシリと重い。例えば高校の化学の教科書。科学知識や技術が満載で、工場の製造現場ですぐに役立ちそうな内容です。産業界の要請で 即戦力を必要としているのでしょうか? 教育といえば「愛国教育」に象徴されるように、「質」が話題ですが、物理的な現実も再考が必要です。教科書や副読本はせめて分割し、教室に置く選択も大切です。文科省や教育委員会の皆さん、ぜひご検討ください。子供たちの心身の健全な発達のためにも。

  • 22面  会えてよかった 島袋艶子さん① 歌と自治会、平和学習に取り組む

    「会えてよかった」。私が沖縄に
    住むようになってからは、沖縄にお
    られる方に取材させていただいてい
    る。そして取材後もときどき連絡を
    したり、お葉書をいただく方もいる。
     島袋艶子さんは沖縄民謡グループ
    「でいご娘」4人姉妹の長女で、2
    011年に妹3人といっしょに取材
    させていただいた。その後は北谷町
    のニライセンターで開催された集会
    などでお会いして挨拶したり、年賀
    状をいただいたり。

  • 23面  日本映画興亡史 マキノ省三伝 無名有名、続々と集う

    チャン・イーモウ(張芸謀)監督の『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』を見た。文化大革命真っ只中の中国。広大な砂漠が広がる地で、強制労働所に下放された男と幼い弟と暮らす孤児の少女が主人公だ。夏冬の北京五輪開閉会式総監督を務め、体制側に成り下がった監督と思っていた。だが、これは映画愛に満ち、自身の映画体験や時代の記憶が色濃く漂う渾身作だった。
     ニュース映画に1秒だけ写っている娘の姿を追い求めて、施設を脱走し砂丘を夢中で駆け抜け、小さな村の映画館にたどりつく。しかし、フィルムは運搬係のミスで地面にばらまかれ汚れてしまう。数カ月に1度の映画上映は、村中の住民が心待ちしている。映写技師が語るように「フイルムは我々の宝だ」である。だから、村人総出で汚れたフィルムを洗い乾かす。感動のシーンだ。これは中国版『ニュー・シネマ・パラダイス』であり、映画への愛と希望にあふれて、私に映画の原点を迫る。

  • 24面  坂崎優子がつぶやく 映画製作現場に「尊重」を

    映画界でパワハラやセクハラの告発が続きます。表に出てきたセクハラは、ハラスメントというより犯罪というべきで、業界全体で防止策を考え取り組む時がきています。
     人事権を含め大きな権力を持つ監督が、世間の評価の高まりに比例して横暴になっていく土壌が、映画界にあるのだと思います。「役者を追い込んだら思わぬカットが取れた」。どんな追い込み方をしたのか。「撮影前に役者たちに共同生活をさせる」。プロをそこまで拘束しなければ撮れないものってなんなのか。
     ある映画では、子役が殴られるシーンを実際に大人が殴り続けて撮影していました。メイキング映像で、撮り終えたあとの子役がおう吐し、ふるえが止まらない姿が映っていて批判が高まりました。これが創作物といえるのか。子役に影響が残らないかも気がかりです。

  • 25面~30面  読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    無症状ほったらかし
    大阪は今も医療崩壊

     大阪市阿倍野区 増井茂美
     5月中旬、息子から「熱が上がり、発熱外来を探している」と電話がありました。コロナ陽性と診断されたら濃厚接触者になるので、かかりつけ医に行くと、コロナ対応はしていないとのこと。近くの無料PCR検査所では「濃厚接触とその疑いのある場合、検査は受けられない」と言われました。行政窓口に相談し、検査のできるところを紹介してもらったら、症状がないということですべて断られました。

  • 26面  車いすから思う事 ゆううつな雨の日(佐藤京子)

    全国的に梅雨シーズンが本格的になってきた。雨の日には外出しないようにしているが、そうもばかり言っていられない時もある。以前はレインコートを着て出掛けていたが、車イスだと歩いている人の傘からしたたる雨粒を浴びるため、傘をさすようになった。歩行者の多くは前を向いていない。スマホを見ながら歩く人の何と多いことか。ぶつかりそうになると、「ちっ」と舌打ちされる。何とも不快だ。

  • 28面  絵本の扉 ぼちぼちいこか

    私が絵本と本格的に向き合ったのは20代前半。子どもたちと関わる仕事に付き始めた頃で、先輩から教えられたのが『ぼちぼちいこか』です。
     主人公のかばくんは、様々な職業に挑戦します。消防士、船乗り、パイロット、バレリーナ、ピアニスト、秘書、カウボーイ、宇宙飛行士……。挑戦するたびに失敗ばかり。原作はアメリカのマイク・セイラーとロバート・グロスマンで、日本の初版は1980年。以来、毎年増刷されるロングセラーです。和訳したのは、児童文学作家の今江祥智さん。原題の直訳は『カバは何になれるか』でしたが、今江さんはあえて関西弁にしました。かばくんが挑戦するたびに失敗し、「NO」とへこむ場面を「こら、あかんわ」「どうもこうもあらへん」

  • 30面  編集後記(矢野宏)

    「維新・不祥事」とネットで検索すると出るわ出るわ、一覧表まで出てきた。2020年12月に東京・江戸川区議をひき逃げ容疑で書類送検。21年2月に大阪府議が傷害容疑で書類送検……。最近の不祥事では、岬麻紀衆院議員の経歴詐称疑惑(公選法違反の疑いで刑事告発)、石井章参院議員が参院栃木選挙区で維新から立候補予定の女性候補について「顔で選

  • 31面  うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    5月15日(日)
     矢野 午後、橋本康介さんが主宰する「アジール空堀」の第50回記念企画「趙博特別公演「浪曲『医師・中村哲』」の口上で「報道から見るアフガン」について語る。

  • 32面  集いの予告(矢野宏)

    7月2日(土)午後2時半~元新聞労連委員長が講演

    次回のうずみ火講座は7月2日(土)、京都新聞滋賀本社編集部長兼論説委員の日比野敏陽さんを講師に招き、「元新聞労連委員長が見た『メディアと政治』」と題して講演してもらいます。
     秘密保護法に反対した新聞労連の先頭に立ち、「新聞人は憲法問題に対し、『客観』『中立』であってはならない」と訴えた日比野さん。東京支社編集部長時代には首相会見にもたびたび出席。「安倍政権以降、官邸記者たちは政権を厳しく追及しなくなった」と振り返ります。
     参院選も間近に迫り、「メディアが『翼賛体制づくり』に加担しないか責任は大きい」と語っています。
    【日時】7月2日(土)午後2時半~
    【会場】PLP会館4階会議室(地下鉄堺筋線扇町駅④出口から徒歩3分、JR環状線天満駅から5分)
    【資料代】1200円(読者は1000円)、オンライン600円

    8月13日(土)午後2時半~元朝日記者「被爆者語る」

     8月のうずみ火講座は13日(土)、元朝日新聞記者の宮崎園子さんを講師に招き、「『個』のひろしま 被爆者 岡田恵美子の生涯~被爆という体験を伝えていくこと」と題して講演してもらいます。
     会場はPLP会館4階会議室。資料代1200円(読者1000円)

    7月30日(土)黒田さん偲ぶライブ

     「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」を7月30日(土)、大阪市立西淀川区民会館で開催します。今年もコント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー、松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての風刺トーク&コント、久々に腹の底から大笑いしましょう。
     当日会場でお配りするパンフレットの「一声広告」(メッセージを入れて1マス3000円~)を募集しています。ご協力いただいた方には当日の招待券をプレゼントします。
    【日時】7月30日(土)午後2時開場、2時半開演
    【会場】大阪市西淀川区大和田の市立西淀川区民会館(06・6471・9217)
    【資料代】2200円(読者2000円) 

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