2025年大阪・関西万博の行方が混迷を深めている。開幕まで1年9カ月を切るというのに、「万博の華」海外パピリオンの申請はいまだになく、開幕に間に合うのかとささやかれている。会場は大阪湾の人工島「夢洲」。ここでの万博やIRに反対する市民らでつくる「夢洲懇談会」のメンバーで名古屋市立大名誉教授の山田明さん(74)=大阪市淀川区在住=は「ここにきてやっと可視化されました」と話す。 (うずみ火編集部)
連休明けの7月18日、人工島「咲州(さきしま)」にそびえる大阪府咲州庁舎(旧WTCタワー)で山田さんと待ち合わせ、43階から夢洲を一望した。このフロアに「日本国際博覧会協会」(万博協会)がある。
「万博エリアでの建設工事が進んでいませんね。資材を運ぶトラックをあまり見かけません」
夢洲は建設残土やしゅんせつ土砂などを埋め立てて造成された。面積は390㌶(甲子園球場約100個分)。中央部分の南側が万博会場予定地の2区、北側がIR予定区域の3区。西側の1区は廃棄物埋立処分場で、PCBなどの有害物質が埋まっていると言われている。東側の4区は大阪湾最大のコンテナ物流拠点として稼働しており、関西経済を下支えしている。
コンテナを積んだトラックが咲洲側の「夢咲トンネル」の入り口で渋滞しているのが見えた。
夢洲へのアクセスは、この夢咲トンネルと、もう一つの人工島「舞洲(まいしま)」とをつなぐ「夢舞大橋」の2本しかない。
「丸い円の一部が見えませんか」。山田さんが差した先に、万博のシンボル「大屋根」の基礎部分らしきものが見える。高さ12~20㍍、内径615㍍、幅30㍍、1周が約2㌔で、完成すると世界最大級の木造建築物となる。リング状に会場中心部を取り囲み、来場者は屋根の上と下を歩いて回遊できる。建設費は350億円。会場建設費が当初の1250億円から1・5倍引き上げられた理由の一つがこれ。増加分600億円のうち半分以上があてられることが明らかになった時、疑問視する声が続出した。万博終了後には撤去されるという。
「組み立てが始まったと報道されましたが、地盤がゆるいので土台をコンクリートで固め、その上に木を組んでいるのでしょう。大量の材木を確保できるのか、安全性を確保できるのか、バリアフリーはどうなっているのかなどの情報は開示されていません」
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1923年9月の関東大震災下で、多数の朝鮮人、中国人がデマにより、軍や警察、自警団などに殺された。地震で甚大な被害があった東京や神奈川だけでなく、避難者が流入した近県にも流言飛語が広がり。埼玉県では200人以上の朝鮮人が殺された。元高校教諭で、県内での真相調査を続けてきた関原正裕さん(日朝協会埼玉県連合会会長)は、「地震発生翌日、県内務部長名で発せられた通達がデマに信ぴょう性を与えた」と指摘する。(栗原佳子)
田園風景が広がるさいたま市郊外の見沼区染谷。100年前の9月4日、24歳の青年、姜大興(カン・デフン)さんが自警団に殺された。当時の片柳村という地名から「片柳事件」と呼ばれる、埼玉県で最初に起きた虐殺事件だ。
埼玉県では震災直後の3日、県内や東京方面からの朝鮮人の保護・移送が始まった。警官が付き添い、徒歩で中山道を北上する。姜さんは集団から脱し、真っ暗闇の中、染谷集落に迷い込んだと見られる。
今年、関原さんや元高校教師が「姜大興さんの想いを刻み未来に生かす集い実行委員会」を結成。7月半ばの猛暑日のフィールドワークには、市民30人あまりが姜さんのたどった道を歩いた。
土手、あぜ道。100年前、自警団の詰所になった場所。ここで自警団に見つかった姜さんはイモ畑に逃げこんだが、ツルや溝に足をとられた。倒れたところを日本刀やとび口で切り付けられた。夜が明け、息があることを知った住民たちが戸板に乗せ病院に運ぼうとしたが、息絶えた。全身に二十数カ所の傷があったという。
襲撃現場近くの常泉寺には「朝鮮人姜大興墓」と刻まれた墓がある。側面に「空朝露如幻禅定門位」の戒名と「施主 染谷一般」の文字。「震災の年に建てられたようです。この事件は犠牲者の名前がわかり、墓があり、殺害時の状況もある程度判明している稀有な例」と関原さん。
デマにお墨付きを与えた県内務部長による通達「不逞鮮人暴動に関する件」は2日、県下1市9郡に発せられた。「東京に於て不逞鮮人の妄動あり」などとして、「在郷軍人会、消防隊、青年団等と一致協力して警戒に任じ」るよう求めた。しかも「一朝有事の場合には、速かに適当の方策を講ずるよう」促した。これを受け、各地で自警団が組織される。
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太平洋戦争末期、秋田県の花岡鉱山(1994年閉山)に強制連行された中国人が蜂起し、多数の犠牲者を出した「花岡事件」。78年となる6月30日、殉難者慰霊式が大館市花岡町の十瀬野公園墓地で開かれ、170人余りが参列した。同市が1985年から毎年主催。福原淳嗣市長や地元選出の国会議員や県議、市議、地域住民が慰霊碑に献花した。戦時中に強制連行・強制労働させられた中国人や朝鮮人の慰霊行事に自治体が取り組む 極めて珍しいケースだ。 (栗原佳子)
慰霊式は時折激しい雨が降る中、「中国殉難烈士慰霊碑」前で営まれた。福原市長は429人の殉難者名簿を奉納し、「人の自由や尊厳を奪い、傷つけるという心ない行為は決して許されない。二度とこのような過ちを繰り返してはならない。事件を風化させず、悲惨な歴史を語り継いでいくことは、私たち大館市民の使命だ」と述べた。
中国からも4年ぶりに遺族ら慰霊団が来日。祖父が犠牲になった張恩竜さん(47)が代表で追悼の言葉を述べ、「日中友好、恒久平和のために努力したい」と強調した。終了後、遺族らは犠牲者429人の名が刻まれた慰霊碑の裏面を丁寧に布で拭き、涙ぐみながら肉親の名をなぞっていた。
事件に到る背景を振り返りたい。1937年7月に盧溝橋事件、41年12月には太平洋戦争が勃発。戦線拡大とともに国内の労働力は不足、東条内閣は42年に「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定、当初は「募集」としたが戦争捕虜の強制連行に拡大、「労工狩り」「ウサギ狩り」作戦で村を包囲して村人を捕らえ、鉱山、港湾など日本の135事業所に送った。その一つが藤田組(現同和鉱業)が所有する花岡鉱山、青森県境近くの銅山だった。
日本国内に強制連行された中国人の総数は3万8935人。花岡には、土木工事を請け負った鹿島組(現鹿島建設)花岡出張所に986人が連行された。その4割超の419人が死亡した。
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3月に再審開始が決定した袴田事件ついて、静岡地検(山田英夫検事正)は7月10日、再審公判で有罪立証する方針を丸山秀和検事名で静岡地裁に伝え、発表した。
弁護側は袴田巖さんが87歳と高齢なため、早期の無罪判決を求めているが、再審公判で改めて有罪、無罪が争われることになり、審理の長期化が懸念される事態となった。
これまで日本では死刑囚の再審は免田事件(熊本県)、財田川事件(香川県)、松山事件(宮城県)、島田事件(静岡県)の4件があり、いずれも無罪判決となっている。
この日、静岡市内で袴田さんの姉ひで子さん(90)が記者会見。「検察はとんでもないことをするだろうと思っていた。これはしょうがない。検察の都合ですから。裁判で最終的に勝っていくしかない。頑張ります」と気丈に述べた。そして「これまで57年も戦ってきたんですよ。2年や3年が何ですか」とまで言った。
弁護団の小川秀世事務局長は「再審請求審の蒸し返しに過ぎない。袴田さんはもう87歳で、ようやくここまでたどりついたのに、検察は人の人生を何だと思っているのか」と憤った。40年以上前から袴田事件に関わってきた田中薫弁護士は「5点の衣類がいつ(みそタンクに)入れられたのかもはっきりしていない。最初、(警察は)犯行着衣はパジャマとし、新聞も血染めのパジャマと書きたてた。それが1年2カ月たって麻袋に入った5点の衣類だったなんて、そんなことがありえるでしょうか」と訴えた。
検察側は犯行着衣とした「5点の衣類」について、専門家の意見を聞くなど、有罪立証に向けた追加捜査を実施してきたとしたが、笹森学弁護士は「検察は証拠捏造と言われているのを何とか消したいだけ。7人も集まって鑑定するなど前代未聞。まるで署名活動ですよ。一人でちゃんとした鑑定ができないからでしょう」と皮肉った。
「3月に抗告断念を決めた時の甲斐(行夫)検事総長の判断か?」と筆者が質問すると、笹森氏は「東京高検のイケイケ派の決めたことで、甲斐さんは苦虫をかみ潰しているのでは」と推測した。間光洋弁護士は「検察がいつも誰の判断なのかを示さないのは無責任で卑怯です」と話した。
2014年の静岡地裁の再審開始決定を18年に東京高裁が取り消したが、最高裁は20年12月に「1年以上みそタンクに使った衣類の血痕の色の変化を調べ直せ」と東京高裁に差し戻した。東京高裁は今年3月、「1年以上みそ漬けされた血痕の赤みは消える」と認定。衣類は「捜査機関による捏造の可能性が高い」として再審を決定、検察は最高裁への特別抗告を断念していた。早期決着と思っていたところへの検察の揺り戻しだった。
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たった1分、小さな声で読み上げられた「不当判決」だった。
東京ー名古屋間で工事が進むリニア中央新幹線の工事認可取り消しを求め、沿線住民を含む249人が国を訴えていた裁判で、東京地裁(市原義孝裁判長)は7月18日、原告の請求を棄却した。市原判事の異動に伴い、判決文は篠田賢治裁判長が代読した。
JR東海が環境アセスメントに対する住民からの意見や疑問に対して、「影響はほとんどない」との回答に終始したことから、原告らは国土交通大臣あてに工事認可処分取り消しを求めた。第一次訴訟は2016年5月20日に738人が提訴。19年3月12日に第二次訴訟の67人が加わった。東京地裁は20年12月、直接的な利害がないとして532人の原告適格を認めない判決を出した。このため、残る原告が訴訟を継続していた。
主な争点は①リニア中央新幹線が認可の根拠となる「全国新幹線鉄道整備法(全幹法)」に適合していないのではないか②JR東海の環境アセスメントは環境影響評価法に違反するのではないか。
原告側は、「リニア中央新幹線はレールの上を列車が走るという従来の仕組みとは異なり、超電導により車体が浮揚する新技術であること」「東京ー名古屋ー大阪より外に広がらないので『幹線』足り得ないこと」などの理由を挙げ、全幹法を根拠にした認可は違法だと訴えていた。
また、安全性については「鉄道事業法」により判断するべきだと主張した。
判決文は、全幹法は「主たる区間を列車が時速200㌔以上の高速で走行できる幹線鉄道」と定義しているなどとし、「認可は違法なものとはいえない」と退けた。
また、「鉄道施設の工事が完成するまでは、鉄道事業法の規定が適用されることはないから、その適用を前提とする違法が認められないことは明らかといえる」とし、完工前に輸送の安全性は問えないとした。
その上で、国交相の裁量権を広く捉え、工事認可の審査段階での判断はその範囲内だった、と結論づけた。
環境問題では水資源、地盤沈下、大気汚染、騒音、振動、超電導による磁界、日照阻害、景観阻害などについて、適正な配慮がなされず、環境影響評価を実施したと認められないとする原告の主張について、やはり「国交相の裁量権の範囲内」と退けた。南アルプスの自然破壊については、「自己の法律上の利益に関係のない違法」を主張しているとして、これを理由として取り消しを求めることはできないとした。
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安倍元首相が旧統一教会に恨みを持つ男性に銃殺されて一年、一周忌法要の様子がニュースで流れたが、全体としては冷めた雰囲気だった。安倍信奉者は「英雄」にしようと躍起になっているが、安倍派国会議員たちはごたごたしている。安倍政治は再評価されていると書いた新聞もあったが、祖父岸信介、父安倍晋太郎と受け継がれ、自らもビデオレターを送っていたことなどから旧統一教会との関係については拭いようがなく、自民党は関係を断ち切ると言いながらできていないことがあちこち明らかになっている。
旧統一教会の韓鶴子総裁が「岸田をここに呼びつけて教育を受けさせなさい」などと言っても何の対応もしないし、被害を訴えている二世に対しても積極的な対応をしていない。宗教法人に対する調査もやっているようだが、だらだらやっているだけで解散命令を出しそうには思えず、時間稼ぎとしか見えない。結局うやむやにするのではないかと見られてしまう。いくら安倍信奉者が偉大な政治家だったと叫んでも唱和する者は少ない。
そして「アベノミクスで日本経済は回復し強くなった」と思わせられてきたが、多くの国民が疑問に思っている。日本は世界第2位の経済大国だと思ってきたが、いまや名目GDPは中国に抜かれて3位になり、今年か来年にはドイツに抜かれて4位になり、さらに何年か後にはインドにも抜かれる状況になっている。1人当たりGDPではマルタやイタリアに抜かれて世界30位になっている。経団連もがゼロ成長時代に入ったと言わざるをえなくなっているように、経済成長やGDPの伸びは止まっている。
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5月、ウクライナに入った。首都キーウでは毎日のように空襲警報が鳴り響いているが、人々はもう逃げなくなっていた。ロシアからミサイルが飛んで来るが、防空システムが働いてほとんどが撃ち落とされるからだ。例えば、30発飛んできたら29発は撃墜するので、撃ち漏らした1発によって、あるいは撃墜したミサイルの破片に当たって殺傷される。しかし、いちいちシェルターに逃げていては生活できないので、逃げない。もう戦争が日常化しているのだった。そんな首都から路線バスでわずか30分、ブチャとイルピンを取材した。
5月10日はもう一度イルピンへ行った。キーウから国道「イルピン大学通り」を走ること30分ほどで「車の墓場」に到着。ロシア軍に銃撃され破壊された100台くらいの車をこの場所に集めている。大半は銃撃後に爆発、炎上したようで赤茶けた車体を無残にさらしている。かろうじて炎上しなかった車もフロントガラスは粉々、車内も粉々。なぜこんなことになったのだろうか?
2022年2月24日、ロシア軍は北のベラルーシから侵略してきた。戦争初日に、ロシアはブチャまで到達した。この時、ウクライナの普通の人々、例えばトラック運転手やコンピューター技師、学校の先生たちが銃を持ってイルピンに集結した。彼らはボランティアの「領土防衛隊」として、塹壕を掘ってブチャに陣取るロシア兵と対峙、激しい銃撃戦が始まった。3月上旬、激戦地となったブチャ、イルピンから首都キーウへの脱出が始まった。この国道を猛スピードでぶっ飛ばす。運良く逃げることがができた人々と、ロシア兵に発見されて撃ち殺された人々。国道には銃撃されて炎上した車が点々と転がっていた。やがてイルピンの領土防衛隊がロシア軍を追い返す。解放されたイルピンの人々が、破壊されて炎上した車をこの場所に集めて供養しているのだった。
1台の車に親子4人が乗っていたとすると、100台以上あるので、400人以上が殺された計算になる。実際には車を持たない人々を助けるために、大型ワゴンカーや貨物トラックが活躍した。トラックの荷台に約20名、大型バンに10名乗っていたとすると、この「車の墓場」だけで死者は1000人を超えるかもしれない。自動小銃による無数の穴が空いた車体、RPGロケット弾で粉々になった車体、戦車砲で上半分が引き飛んだ車体……。
「ウクライナの人々はロシア軍を歓迎してくれるだろう」「これは戦争ではない、軍事訓練なんだ」。プーチン大統領のウソを信じて侵略してきたロシア兵の中には「約束が違う」と感じた人も多かったと思う。イルピンで足止めされ、野営していたブチャに戻る。仲間の兵士が殺されていく、明日は俺が殺されるかもしれない。そんな状況の中で、抵抗するウクライナ人への憎悪が湧き上がる。やがて占領したブチャで虐殺が始まる……。昨年3月のブチャ、イルピンには町のあちこちに遺体が転がっていたという。
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福島第一原発事故で発生した大量の放射能汚染水(以下、汚染水)の海洋放出が、いよいよ実施されようとしている。汚染水とは、高濃度の放射性物質を含んだ水のことだ。事故で溶けて固まった燃料デブリを冷やすための水は、デブリに触れて放射性物質を含み汚染水となる。また、地下水や雨水が原子炉建屋などに入り込み、汚染水と混ざり合うことで、新たな汚染水が発生する。これらは、放射性物質を取り除く多核種除去装置(ALPS)によって濃度を低減する浄化処理を行い、敷地内のタンクに保管されてきた。
現在、1000基を超えるタンクが敷地内に密集し、2024年2月頃には満杯になる見込みで、このままでは廃炉作業にも支障が出ると言われる。そこで、21年4月に当時の菅義偉政権が、汚染水の濃度を「国の基準値未満」に薄めた上で、海洋放出することを決めた。東京電力は沿岸部への影響を考えて、沖合1㌔に放出する方針を表明し、22年7月には原子力規制委員会が放出計画を認可した。東京電力はその翌月に、福島県と大熊町、双葉町の了承を得て、放出設備の工事を開始。今年6月末に施設が完成したのだった。
そして7月4日、21年9月から安全性を検証してきた国際原子力機関(IAEA)が海洋放出は「国際的な安全基準」に合致するとした包括報告書を公表したのである。
IAEAは政府に、海洋放出が人や環境に与える影響は「無視できるレベル」だとし、同報告書が「科学的で中立的」だと説明した。それを受けて岸田文雄首相は「科学的根拠に基づいて、高い透明性を持って国内外に丁寧に説明していきたい」と述べた。
国際機関の「お墨付き」を得た形で、この夏にも海洋放出が開始されようとしている。だが、漁業関係者をはじめ中国や韓国など周辺国の反対の声は根強い。岸田首相の「丁寧な説明」で理解が得られるような状況ではないのだ。
汚染水については15年8月、国と東京電力が福島県漁業協同組合連合会に「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と約束していた。
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大阪の日刊紙「大阪日日新聞」が7月31日付で休刊する。「社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境に直面した」のが理由。大阪における地方紙はすべて姿を消すことになり、「府民にとって行政を監視する目がなくなるのは残念」と休刊を惜しむ声も少なくない。(矢野宏)
大阪日日新聞は前身の「帝国新聞」が1911(明治44)年に創刊。翌年に大阪日日新聞の題号となる。太平洋戦争直後の41年12月に発令された「新聞事業令」に基づく新聞統制に伴い、大阪日日新聞は42年に夕刊大阪新聞に統合される。終戦の翌46年には夕刊専売紙として独立、復刊した。
大阪の地方紙はすべて夕刊として発行していたが、次々に経営破綻。大阪日日新聞も2000年8月、新日本海新聞社(本社・鳥取市)に買収された。10月から朝刊紙となり、全国紙には掲載されないような地域活動やアマチュアスポーツなどを丹念に拾い、記事にした。
18年には、NHKを退社した相澤冬樹氏を論説委員・記者に迎え、20年3月18日に森友問題で自殺した財務省近畿財務局職員の遺書を1面に掲載、大きな反響を呼んだ。だが、部数増には結びつかず、ピーク時の10年に8100部を超えたあとは減少傾向が続き、22年10月現在で5216部(日本ABC協会調べ)と低迷した。
大阪本社は、大阪市北区中津の国道176号、通称・十三バイパス沿いにある。「大阪日日新聞」の大きな看板が掲げられたビルの4階フロアに編集・営業・事業などの各部局が集中している。新聞社特有のインクの匂いがしないのは、紙面の編集・制作・印刷を新日本海新聞社に全面委託しているから。刷り上がった紙面は鳥取からトラックで輸送されていた。
再出発の年に30人いた記者は現在6人。うち3人が7月末で退社するという。
紙の新聞の低迷は大阪日日に限らない。日本新聞協会が発表した22年10月時点の新聞発行部数(一般紙とスポーツ紙の合計)は3084万部。インターネットの普及などで、1997年のピーク時(5376万部)から25年間で2300万部あまり減少した。紙の新聞は限界なのか。
退職を決意した一人、2001年に入社の木下功記者(61)は「どれだけ読者とつながっているかだと思います。紙の新聞が限界だとは思いたくない」と否定する。
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戦前、旧京都帝国大学医学部の人類学者らが研究目的で琉球諸島の墓から多数の遺骨を持ち出した問題で、子孫らが京大を相手取り遺骨の返還を求めた「琉球遺骨返還訴訟」。控訴審第4回口頭弁論が7月5日、大阪高裁(大島真一裁判長)で開かれた。京大側は初めて遺骨の写真を裁判所に提出、原告の金城実さんが意見陳述した。訴訟は8月23日に結審する予定だ。 (栗原佳子)
訴状などによると、京大助手だった人類学者の金関武夫氏(1987~1933)や医学部講師だった三宅宗悦氏(1905~1944)は子孫や地域住民の了解を得ず、学術研究の目的で、沖縄県今帰仁村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から大量の遺骨を持ち出した。墓には統一王朝をたてた「第一尚氏」時代の貴族らが葬られている。
龍谷大学教授の松島泰勝さんは2017年以降、京大に対し遺骨の有無や保管状況を繰り返し尋ねた。照屋寛徳衆議院議員(当時)が文科省に照会し初めて保管が確認されたが、誠意ある対応はなかった。松島さん、照屋さん、金城さん、第一尚氏子孫の玉城毅さん、亀谷正子さんの5人が原告になり、京大が「人格標本」として保存する遺骨26体の返還を求め、提訴した。
京大側は保管を認めたが、当時の沖縄県庁や県警察部長を通したという金関氏の随筆を根拠に「正当な手続きを経て『人骨』を収集した。盗骨ではない」と主張した。原告側は「明治政府は1879年、独立国家・琉球王国に軍隊を派遣して解体、沖縄県として併合した。警察を含む行政、教育関係の上層部の大半を日本人が占め、日本人と琉球人の不平等な関係を利用して盗骨した」と反論した。
一昨年4月の京都地裁判決は金関、三宅氏が遺骨を持ち出したと認定する一方、「盗骨」かどうかの判断を回避。玉城、亀谷の2人を第一尚氏の子孫と認めたが、子孫はほかにも多くいるとして「祭祀承継者にはあたらない」などと請求を退けた。
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画家の丸木位里さん(1901~95)と丸木俊(1912~2000)さん夫妻が沖縄戦をテーマに描いた全14作品を紹介するドキュメンタリー「丸木位里・丸木俊 沖縄戦の図 全14部」が大阪・第七芸術劇場などで公開された。NHKディレクターとして多くのドキュメンタリーを手掛けた河邑厚徳監督は「ウクライナでの戦争が続き、南西諸島では自衛隊配備が進むいま、丸木夫妻の作品を見つめ直してほしい」と話す。 (栗原佳子)
水墨画家の位里さんと油彩画家の俊さんは「原爆の図」「南京大虐殺」「アウシュビッツ」など一貫して戦争をテーマに絵を書き続けた。その二人が晩年、注力したのが「沖縄戦の図」だった。沖縄戦の写真は米軍側が撮影した写真しか存在しておらず、二人は「日本人側から見た記憶を残しておかなければいけない」と1982年から87年に沖縄戦を取材、14部の作品を残した。制作年順に「久米島の虐殺1」「久米島の虐殺2」「暁の実弾射撃」「亀甲墓」「喜屋武岬」「ひめゆりの塔」「沖縄戦ー自然壕」「集団自決」「沖縄戦の図」「ガマ」「沖縄戦ーきゃん岬」「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」である。
二人はまだ生々しく残る戦跡を歩いて丹念に体験者の証言を聞き、それぞれの場面を沖縄の「現場」で描いたこと。「ときには体験者らにモデルになってもらいながら、制作を進めた。戦後40年が過ぎ、体験者がようやく辛い体験を語り始めた時期だった。これまで夫婦で制作に取り組んできた二人にとって、「沖縄戦の図」は沖縄の人たちとの共同制作でもあった。
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元副知事が維新本
【大阪】元大阪副知事の小西禎一さんが、若い2人ーー「SADL」(民主主義と生活を守る有志)メンバーの福田耕さん、政治学者の塩田潤さんと共著『維新政治の内幕』を花伝社から出版した。橋下徹・松井一郎知事の側近として垣間見た維新政治を論じている。1980円(税込み)。
小西さんは2008年2月、当時の橋下知事から改革プロジェクトチームの長に抜擢。12年から松井知事のもとで副知事を務め、「都構想」の制度設計も行ったが、維新政治に反発し任期途中で退任。19年の知事選に「都構想に終止符を打ちたい」と出馬したが、敗れた。
「都構想」に象徴される維新政治の本質は「思いつきの政治」だと指摘。2度の住民投票で否決されながら「広域行政一元化条例」を打ち出し、大阪市の権限と財源を大阪府に移行した例を引き、「異なる意見を否定する強権的体質」を挙げる。二重行政はあるのか。「指定都市と都道府県の権限は法律上明確に区分されており、両者の権限行使が衝突することはない」と訴える。
自民、公明、維新、国民の4党が賛成し、原発の60年超の稼働が可能となりました。問題点を整理し、深刻な課題を指摘します。
核分裂 天然ウランは、核分裂を起こしにくい「238」と核分裂をしやすい「235」から成り立っています。235はわずか0・7%しか存在せず、4~5%に増やし、中性子を当てて核分裂を引き起こし、大量の熱を発生させ蒸気タービンを回すのが原子力発電の仕組みです。その際、新たに中性子が2~3個増えます。この中性子は原発の圧力容器に「中性子照射脆化」を引き起こします(後述)。
放射性廃棄物の処分 最大の課題です。2000年に設立されたNUMO(原子力発電環境整備機構)の構想では、
高レベルの放射性廃棄物の処分は、宇宙処分、海洋投棄、氷床処分、地層処分の4通り。最初の3方法は、非現実的で、国際条約でも禁止されており、地層処分に絞られます。廃棄物は、ガラス個化体にされ、金属製容器(オーバーパック)に詰められ、浸水を防ぐため粘土(緩衝材)で覆われます。日本では、すでに使用済み核燃料「高レベル放射性廃棄物」(1万9000㌧=ガラス個化体で2万6000本相当)が存在。地下深部に埋め込む構想。NUMOは4万本以上を1カ所に埋め込む計画です。総費用は4兆円。北海道の寿都町と神恵内村で文献調査を開始も、周辺の自治体や北海道知事は猛反対しています。
……
爆発音にびっくり、逃げた
米軍ジェット機が墜落、爆発。久
高さんは「大きい爆発音でびっくり
して、周囲が赤く染まって、おどろ
いて校門から逃げた」
そのとき、そばを作っていた母と
高校を休んで手伝っていた次女姉さ
んは彼を捜しに、裸足で学校に駆け
つけた。でも、学校にいないので、
病院に運ばれたのではと思い、裸足
だし、家にもどって、病院に行こう
としていると、彼が帰ってきた。
母と姉によると、彼は校門ではな
く、運動場の向こうをぐるっと回っ
て、帰って来たと話したという。姉
は、薄汚れていて、弟とわからなか
ったとのこと。爆発の煙や煤をかぶ
ったのではと私は思う。
その後、ジェット機事件のことは
けがをした人を見ていないことも
あり、ジェット機事件が中、高、大
学と「気にとまることはなかった」
琉球大学体育科の学生の頃は、復
帰闘争、基地闘争が毎日あった。校
内の立て看、文字看、読んで午前中
過ぎる。ノンポリでは
いられないとデモがあ
れば行く。どの党派に
も入らず、「運動の片
隅にいて、自分たちの
関わりをつくる」とい
う感じだった。
……
反骨のルポライター竹中労の書『日本映画縦断3 山上伊太郎の世界』に、マキノ雅弘へのインタビューが掲載されている。その文中の雅弘の言葉。「笹井末三郎というボクにとっては大恩ある、兄とも頼んだ人がアナキストで、大杉栄とも宮崎資夫とも知り合いであったわけです」「ボクらにしてみれば、アナキズムこそ時代の感覚、映画の感覚やったわけで、『傾向映画』何とかといわれる、もっと前にかなり激しかったんですよ」
文中の笹井末三郎は1901(明治34)年2月10日、京都市右京区で材木運送業の千本組荒虎親分こと笹井三左衛門の三男として生まれる。もともと千本組は「かたぎやくざ」と呼ばれていた。明治の末から運送業、土木業で地位を築き、季節労働者や日雇い労務者をよく束ね、上前をはねることもなかった。町内の治安を守り、消防団も兼ねて祭礼も取り仕切った。
父親の笹井三左衛門に「荒虎」の異名がついた由縁について、雅弘の自伝『映画渡世・天の巻』には、日清戦争の時、千本組は軍属として台湾に渡った。「台湾には虎がいて兵隊達の命が危険にさらされた時、荒虎親分は果敢に虎退治をやって隊員の命を救った」。それで宮さん(北白川宮能久親王)が「おまえは虎よりも強い偉い男や。今後、荒虎という名前をつけよ」と賜ったのが名の由来だと記載されている。
しかしこの伝承は間違いで、荒虎の名はそれ以前から使われていた。柏木隆法著『千本組始末記』によれば、三左衛門は、今でいえば身長180㌢、体重131㌔の偉丈夫で、相撲も強かった。松尾大社で毎年開催されている相撲の明治7年番付には西の大関と記されている。この四股名が荒虎だった。
元来、笹井家は代々「車屋」という屋号の材木運搬業だった。それが蛤御門の変の巻きぞえで没落。三左衛門は大堰川の筏師として働いた。平安京遷都の御代から、山国郷(現・京都市右京区京北町)一帯は良質の木材の産地である。切り出された木材は筏に組まれて、大堰川を伝って京の都に運ばれた。明治になって西高瀬川が改修され、大堰川から千本三条まで運行できるようになった。
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アーティストの山下達郎さんには心から失望しました。もともと政治的発言はしないとノンポリを気取ってきた人でしたが、社会問題までも見ないふりをする姿は、正直かっこう悪すぎました。
始まりは音楽プロデューサーで作詞・作曲家でもある松尾潔さんのツイッター投稿です。「15年間在籍したスマイルカンパニーの契約が中途で終了となったこと」「原因はジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長について言及したこと」「山下達郎さんも会社の方針に賛成したこと」が書かれていました。
スマイルカンパニーはもともと山下さんのマネージメント会社として始まっています。前社長の小杉理宇造さんはジャニーズの関連会社の社長も兼務していて、スマイルカンパニーとジャニーズは業務でも深くつながってきました。
松尾さんの投稿は多くの人たちに拡散され、彼のもとには取材依頼が殺到します。松尾さんは取材には答えず、日刊ゲンダイデジタルで連載している「メロウな木曜日」で詳しく語られました。抑制のきいた隅々まで共感できる文章でした。
松尾さんがジャニー喜多川さんの性加害について知ったのは、今年3月にジャニーズの実態を暴いたBBCのドキュメンタリーだったという。今まで見逃してきた自分を悔いたといいます。5月14日に出演した福岡のラジオ番組で、前日に公開された藤島ジュリー景子社長の動画と文章に対しての見解を聞かれます。そこで語った内容が問題視されて所属事務所から契約解除を通告されたのです。
ラジオで松尾さんが語ったことは「今回のことを放置することは社会全体が諦めの気持ちを子供たちに植え付けかねない」「みんなで膿を出すというところに舵を切るべきじゃないか」と当たり前なことばかりです。それでも「山下家、小杉家、藤島家は義理人情でつながっている。所属する人間がジュリー氏の名前を出すだけでも問題だ」というわけです。
ネットで山下達郎さんへの批判の声が高まり、山下さんは7月9日のラジオ番組でコメントしました。内容は「自分はジャニーズの性加害についての事実は何も知らない」「松尾さんは憶測で一方的に批判した」「ジャニーさんの功績への尊敬の念は何も変わっていない」「大事なのはご恩とご縁だ」というもの。
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青春期思い出す
初参加の茶話会
大阪府吹田市 佐伯孝
6月の茶話会に初めて参加し、同じ吹田市在住の竹島恭子さんの話に思わず聞き入った。
1960年10月12日、日本社会党の浅沼稲次郎委員長(享年61)が東京都千代田区の日比谷公会堂で演説中、17歳の右翼少年に刺殺される事件が起きたが、竹島さんは会場におられ、一部始終を目撃したという。当時19歳。事件のことを鮮明に覚えておられ、淡々と語られることに感動した。すぐ茶話会の参加者から「山口二矢(おとや)」と、少年の名前が出たことにも感心させられた。
竹島さんの話に関連して思い出すことがある。
10年後の70年3月、19歳の私は上京し、住み込みの新聞配達をしながら学生時代を始めた。その年の11月25日、三島由紀夫(享年45)が憲法改正のため自衛隊に決起を呼びかけた後に割腹自殺した。その生首の写真が夕刊に大きく載っていたのを鮮明に覚えている。
事件から2か月後の71年1月24日、東京・築地本願寺で葬儀が営まれ、会場に駆けつけた。サンケイ新聞(当時)記者の取材を受け、紙面に掲載されたコメントに赤面した気持ちが未だに尾を引いている。わが暗き青春の一コマを思い出した。
吹田市では、市教委が3月に自民党市議の求めに応じ、全市立小中学校の児童・生徒を対象に君が代の歌詞の暗記状況を調査したことが判明した。その問題にも竹島さんは言及された。「私は今まで一度も君が代を歌ったことはありません」
(当時のサンケイ新聞記事「若者の声をひろう」のコピーを同封いただきました。「三島さんの生き方に感動したから来たんです」と答えていましたね。まさに青春の一コマ。7月の茶話会も、ぜひ)
大阪日日新聞が休刊
どうなるカジノIR
大阪市阿倍野区 増井茂美
この数年間購読していた大阪日日新聞が7月末で休刊となります。新聞を3紙(新聞うずみ火を入れたら4紙)購読しており、購読料が値上がりするなか、「どれかを減らさなくては……」と思っていた矢先、皮肉な選択になってしまいました。
大阪日日新聞を読んでいて気になっていたのは、「AC広告機構の全面広告」です。どういう事情でこの広告が日常的に掲載されていたかは知りませんが、7月に入って、急激に減りました。ネット広告が増え、既成のメディアに流れるお金の流れが変わる中で、他紙もどうなるか心配です。
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曇り空だったが、車イスで買い物に出た。悪い予感は当たり、昼過ぎにはポツリポツリと雨が降り始め、ほどなく大粒の雨に見舞われた。どこか雨宿りするところはないかと辺りを見回したが、ビル群の中。軒下というものがまったくない。仕方ないので、電動車イスのスピードを上げた。
このような時、みなさんならどちらを選びますか。雨が弱くなるのを待つか、雨を気にせずそのまま歩くか。どちらにしても雨に濡れるのだが……。
急な雨に降られた時、車イスは法律で時速6㌔以下なら歩道を走行することが認められている。だが、人が往来する中を歩くのは晴れの日よりも緊張する。傘を差している人と傘もなく濡れたくない人が入り混じって急ぐからだ。いろいろな事情あるにせよ、どんなに急いでもたかが知れているはずなのだが、どうしてそんなに急ぐのだろうか。みんな、意地が悪いわけではない。ただ、突然の大粒の雨降りに見舞われたという現実に、ちょっとついていけないからかもしれない。
そんなことを考えながらスーパーに入った。買い物が終わって外に出ると、薄日が差していた。これならもう少しゆっくりと家を出ればよかったなあ、なんてのんきな考えが脳裏をよぎったが、まだまだ安心はできないのだ。
雨が降っている時の殺伐とした歩道とは異なり、道行く人たちも雨が止むと余裕が感じられる。とはいえ、これで安心はできない。というのも、閉じた傘をわしづかみにし、前後に振りながら歩いている人がなんと多いことか。開いた傘の中を走行するよりも厄介なのだ。怖いし、ぶつけられるととても痛い。しかも驚くことに、傘を前後に振りながら、人に当たっているとは思っていないのだ。
もう少しで梅雨も明けるだろう。雨が止んだ後、どのように傘を持って歩いているのか。少し想像してもらえればありがたい。
(アテネパラリンピック銀メダリスト 佐藤京子)
『だるまさんが』という絵本があります。ページをめくるたび、だるまさんのユーモラスで可愛い表情に出会え、読み手も聞き手の子どもたちも思わず笑顔になる不思議な絵本。泣いている赤ちゃんまでもが笑顔になる魔法の絵本として大ロングセラーを続けています。
作者は、かがくいひろしさん。2005年に50歳で絵本作家としてデビューし、09年に54歳で急逝。わずか4年で、16冊の絵本を出版しました。
今回紹介するのは、彼が亡くなる直前まで子どもたちに読み聞かせていた『がまんのケーキ』という一冊です。
表紙に描かれているのは、おいしそうなケーキにしがみついている、「こいたろう」くんと「かめぞう」さん。表紙をめくると、見開きページに何やら手紙をしたためる「けろこ」さんが登場します。
物語は、けろこさんが買い物に出ている間に、目の前にあるケーキの誘惑に負けそうになる二人の心の葛藤が描かれています。
こいたろうくんは我慢の限界、口がどんどん伸びていき、ケーキの中に我が身を沈める妄想まで抱くようになります。冷静にこいたろうくんに助言していたかめぞうさんも我慢しきれなくなり、スポンジケーキに一緒に入る妄想を抱いてしまう。ついに二人はケーキを食べようと、台所にフォークとナイフを取りに行きますが、そこでけろこさんのメモを見つけるのです。メモを読んだ二人は、自分たちの行動を反省。ほどなく帰宅したけろこさんは待ってくれていた二人に感謝し、3人は仲良くケーキを食べるのです。
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5日にNPOみなと
矢野が「空襲」講演
NPOみなと主催の「第23回大阪大空襲を語る集い」が8月5日(土)午後1時半~大阪市港区南市岡の田中機械ホールで開かれ、新聞うずみ火の矢野が5年連続で講演する。証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲Ⅱ」で収録した2カ月後の昨年11月に他界した「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さん(享年91)の映像を流し、民間空襲被害者の補償問題について話す。 会場は地下鉄中央線・JR環状線「弁天町」駅から南へ徒歩約10分。入場無料。NPOみなと(06・6583・4880)まで。
社会教育研究全国集会
新聞うずみ火活動報告
社会教育推進全国協議会の「第62回社会教育研究全国集会」が8月27日(日)、大阪府熊取町の大阪観光大学で開催され、「平和」分科会で矢野が新聞うずみ火の活動について報告する。
和歌山県平和委員会代表理事で和歌山信愛女子短大副学長の高橋宏さんが平和分科会の現地世話人になり、新聞うずみ火を推薦した。各地で平和や人権について社会活動をしている団体や個人が集まり、意見交換をする予定。
会場はJR阪和線「日根野駅」①出口から徒歩15分(スクールバスあり)。
27日に吹田の会講演会
栗原が「琉球弧軍事化」
「市民が主役!吹田の会」主催の講演会とパネル展が8月27日(日)午後2時半から大阪府吹田市山田西4の山田夢つながり未来館4階会議室で開かれ、栗原が「琉球弧で進められている軍事化」について講演する。
会場は、阪急千里線「山田駅」東改札出てすぐ。資料代500円。吹田の会(090・5967・6760)まで。
大阪の地方紙「大阪日日新聞」が7月末で休刊となり、112年の歴史に幕を閉じる。2年前の7月、木下功記者がコラム「潮騒」で新聞うずみ火を取り上げてくれた。第3回「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」大賞を受賞したことを受け、〈「家族の幸せを根こそぎ奪ってしまう戦争に反対し、幸せをつぶしてしまう差別と闘う」。ジャーナリストの故黒田清さんの遺志を受け継ぐ……〉。▼インターネットの普及などで紙媒体の凋落が著しい。かつてジャーナリズムをけん引した新聞も低迷。なかでも全国紙は軒並み部数を落とし、早期退職者を応募しており、一線の記者たちも応じていると聞く。今後、支局の統合が進むとか。紙の新聞はもうあかんのやろか。▼私は新聞の廃刊を2度、体験している。愛媛の地方紙に入社。ほどなく、当時の県知事から取材拒否に遭った。「お上には逆らうな」意識の強い県民性ゆえ、取材の先々で「いじめ」に遭った。ついに1986年12月末に廃刊。5年足らずに記者生活だった。その後の人生を決めたのは黒田さんの言葉だった。「読者の顔が見える新聞を作りたい」。海を渡って発足したばかりの黒田ジャーナルの門をたたいたのは87年4月のこと。黒田さんが亡くなるまでの13年半、「窓友新聞」記者として現場の大切さを学び、酒の飲み方を習った。▼2度の廃刊後、つぶされないためには自分で作るしかないと立ち上げたのが新聞うずみ火。創刊から18年、今まで以上に厳しい時代を迎えた。時にくじけそうになるが、そんな時は木下記者がコラムに記してくれた一文をかみしめる。〈一人ひとりしっかり結びついた読者を持つことができれば、十分に闘っていける。うずみ火がそう教えてくれた新聞の原点だ〉。
6月10日(土)
栗原 午後、東京・全水道会館で開かれた「関東大震災100年 いまあらためて『国家責任を問う』」集会へ。
6月11日(日)
栗原 「ヒロシマ連続講座」(竹内良男さん主宰)の「関東大震災 千葉の現場を歩く」船橋・習志野・八千代フィールドワークに参加。
6月13日(火)
矢野 午後、大阪市立平野区民センターで開かれた教職員地域研修で、平野区の幼・小・中学校の教職員650人を前に「新たな『戦前』を迎えないために~空襲体験者の訴え」と題して講演。
6月16日(金)
午後から新聞に同封するチラシのセット作業。茶円敏彦さんがお手伝いに。
6月17日(土)
矢野 夜、大阪・十三のシアターセブンで、ドキュメンタリー映画「ハマのドン」(松原文枝監督)上映後のトークイベントに出演、大阪カジノの実態を説明。ニューヨーク在住のカジノ設計者の村尾武洋さん、元経済産業省官僚の古賀茂明さんがオンラインで参加。打ち上げに誘われたが、深夜バスで東京へ。
6月18日(日)
矢野、栗原 午前から「ヒロシマ連続講座」の学習会フィールドワーク「虐殺100年の現在地~歩いて考える関東大震災『八広・両国・亀戸』」に参加。一般社団法人「ほうせんか」理事の西崎雅夫さんの案内で虐殺現場を歩く。夜、新幹線で帰阪。
6月19日(月)
大阪市住吉区で東南アジア料理店「ミャンマービレッジ」を経営するアウン・ミヤッ・ウィンさんは迫害を逃れて日本へたどり着いたミャンマー難民。矢野、栗原は午後、入管施設に長期収容された体験などを取材。
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■黒田さんを偲び平和ライブ
「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」が近づいてきました。黒田さんが好きだったコント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー、松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての風刺トーク&コントライブ。7月29日(土)午後2時半~大阪府豊中市の「すてっぷホール」で。大いに笑ってください。
なお、当日会場でお配りするパンフレットの「一声広告」(メッセージを入れて1口3000円~)を募集しています。ご協力いただいた方には当日の招待券をお贈りします。
【日時】7月29日(土)午後2時開場、2時半開演
【会場】豊中市立とよなか男女共同参画推進センターすてっぷホール
【交通】阪急宝塚線「豊中駅」南口改札の右手、エトレ豊中5階
【資料代】一般2200円(読者2000円)
■うずみ火講座
「うずみ火講座」は8月12日(土)午後2時~大阪市北区のPLP会館4階で開催します。
5月5日から2週間、ウクライナに入ったフリージャーナリスト西谷文和さんはロシア国境近くの町や村を取材、紛争地の現実を目の当たりにしました。ロシア侵攻からまもなく1年半。ウクライナの現状と問題点を、映像を交えながら語ってもらいます。
【交通】地下鉄堺筋線「扇町駅」④出口から徒歩3分、またはJR環状線「天満駅」から南へ徒歩5分ほど。
【資料代】一般1200円(読者1000円)
立命館大コリア研究センター研究員(在日朝鮮人史の研究家)の塚﨑昌之さんによる学習会「塚﨑塾」は8月9日(水)午後7時~大阪市立総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル5階)第8研修室で開催します。テーマは「軍事地下施設と朝鮮人」。
ガンバ大阪のホームスタジアム「パナソニックスタジアム吹田」の地下にあった「海軍山田地下弾薬庫」などがどのように建設されたのか、学びます。
資料代1000円。新聞うずみ火まで。