新聞うずみ火 最新号

2025年7月号(NO.237)

  • 1面~3面 大阪万博 危険な夏へ 救護の現場 大丈夫?(矢野宏)

    大阪湾の人工島・夢洲で大阪・関西万博が開幕して2カ月。爆発濃度のメタンガス検知、ユスリカの大量発生、国の指定値を超えるレジオネラ属菌が検出されるなど、開催前から懸念されていた問題が次々と現実のものとなっている。これからは気温上昇に伴い、日陰が極端に少ない会場では熱中症リスクも上がる。救護体制は大丈夫なのか。大阪日日新聞記者時代から「夢洲万博」に警鐘を鳴らしてきたジャーナリストの木下功さん(62)の案内で、医療救護施設を見て回った。 

    大阪は曇り空ながら、最高気温28度の夏日となった6月12日。午後4時以降なら1日券の半額で入場できる「夜間券」を購入し、大阪メトロ中央線の夢洲駅へ。東ゲートから入場するまで30分ほどかかった。日の当たる場所に長時間立っているだけで体力が奪われる。
     大屋根リングのほぼ中央、レジオネラ菌が検出された「静けさの森」の水盤を通り過ぎ、2、3分ほど歩くと、痩身の70代男性がベンチにへたり込んでいた。ピンクの袖なしジャケットを着た若い2人の救護員が寄り添っている。
     
    「吐き気はないですか」「熱はありそうですか」
     
    いくつか問いかけるも、答えるのもしんどそう。
     
    「うちの人、突然ふらふらして、まっすぐ歩けなくなったんです」
     
    男性の妻が不安げな表情で口を開いた。ベンチの横には、救護員が持参した車いすが置かれている。
     
    「熱中症でしょうか。日差しは避けてきたのですが……」。妻の言葉を引き取り、救護員の一人が説明した。「曇り空でも湿度が高いと汗が蒸発しにくく、体温が下がらないので要注意なのですよ」
     
    男性は救護員らに抱きかかえられて車いすに乗り、会場内の診療所へ向かった。

    大阪万博では半年間の会期中、国内外から2820万人(1日約15万人)の来場を見込んでいる。日本国際博覧会協会(万博協会)が公表した「医療救護対策実施計画」によると、2005年の愛知万博など、過去の万博の実績を踏まえ、来場者の0・1%程度――1日150人の患者が発生し、うち3%が重症と想定している。
     
    万博協会は、医師が常駐する「診療所」3カ所、「応急手当所」5カ所の計8カ所の医療救護施設を整備した。これも過去に開かれた万博の施設数に合わせてのことだが、当時とは状況が異なる。熱中症にしても、地球温暖化の影響もあり、愛知万博の313件を上回るのは確実とみられている。
     
    三つの診療所のうち、「東ゲート診療所」と「リング北診療所」の開所時間は午前9時~午後4時半で、「西ゲート診療所」だけが午前9時~午後10時と、夜間対応している。
     
    5カ所ある「応急手当所」も午前9時~午後10時に開所しているが、医師は不在。看護師のほか、救護員、クラーク(医療事務スタッフ)が各1人詰めている。
    ……

  • 4面~5面 「海の遺骨」へ着実に前進 「沖のピーヤ」から潜水調査(栗原佳子)

    山口県宇部市の「長生炭鉱」で戦時中に起きた水没事故で、犠牲者の遺骨収容を目指す地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」の潜水調査が本格化している。6月18、19日は水中探検家の伊左治佳孝さん(37)が沖合のピーヤ(排気・排水塔)」から、側道(旧坑道)に入り、遺骨が多く眠るとされるエリアへ向かう本坑道へのルートを探った。 

    事故は太平洋戦争が開戦してまもない1942年2月に発生した。法律で禁止された浅い層で操業、戦争遂行のため増産が要求され、天井を支える炭柱まで払って落盤を招いたとされる。死者183人のうち136人が朝鮮半島出身者だった。
     
    刻む会は2013年に遺骨収容返還を目標に掲げ、政府交渉を続けてきた。戦時中の民間徴用者の遺骨については04年の日韓首脳会談を受け、毎年約1000万円の調査予算が計上されている。しかし、担当の厚労省人道調査室は「(寺などに安置されている)見える遺骨だけが調査対象」として、海底の遺骨発掘は困難との立場を崩さなかった。
     
    遺族は高齢化している。刻む会は、自分たちで遺骨収容の可能性を切り開こうと決断。クラウドファンディングなどで資金を集め、昨年9月、床波海岸近くの地中から炭鉱の入り口(坑口)を掘り当てた。閉鎖環境を専門とするプロダイバー、伊左治さんが協力を申し出たことで、昨年10月から坑口から主坑道への潜水調査が実現した。
     
    遺骨があると見られるのは生存者の証言などから坑口から330㍍付近。しかし、1~2月の調査で、200㍍付近で崩落していることがわかった。韓国のダイバー2人と伊左治さんが合同で行った4月の調査で、崩落個所を抜けるルートを探ったが、視界の悪さに阻まれた。
    ……

  • 6面~7面 日本軍が怖かった 座間味島の高江洲敏子さん(栗原佳子)

    住民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から今年で80年。体験者が高齢化する一方、「有事」をあおり、南西諸島の防衛力増強が進む中、史実を否定するような政治家の発言が相次ぐなど、沖縄戦をめぐる歴史認識が問われている。沖縄を二度と「本土防衛の捨て石」にさせないためにも、体験者の貴重な証言を記憶に刻みたい。

    「あの時の私が体験した怖さ、辛さを二度と孫やひ孫に経験してほしくありません」
     
    那覇から約40㌔離れた慶良間諸島にある座間味島。3月26日、「平和の塔」で開かれた慰霊祭で、高江洲敏子さん(93)は=座間味村阿佐=は遺族を代表し、追悼の辞を述べた。
     
    80年前のこの日、座間味島に米軍が上陸。住民177人が「集団自決」に追い込まれた。日本軍は「軍官民共生共死の一体化」の方針のもと、住民の投降を許さず、鬼畜米英の恐怖を刷り込んでいた。
     
    島には座間味、阿佐、阿真の3集落があり、「自決」が起きたのは島の中心地・座間味だった。日本軍の本部があり、米軍上陸前夜、家族壕に避難した住民たちに「忠魂碑に集まれ」と伝令が飛んだ。高江洲さんが暮らす阿佐は座間味と山を隔てていた。伝令は届かず、上陸した米軍の姿を見ることもなかった。
     
    米軍は1945年3月23日から島を空襲した。当時13歳の高江洲さんは、三つ下の弟と自宅近くの家族壕に飛び込んだ。周囲の山々にも火の手が迫る。両親と弟、生後3カ月の妹ら6人で、島北側のユヒナの浜へ逃げた。切り立った岸壁にぽっかり開いた自然洞窟「トゥールーガマ」は満杯で入れなかった。岩場伝いに長い時間歩いて「ヌンドゥルーガマ」に身を寄せた。干潮時以外は、胸まで海水につかり歩けないような難所だ。
    ……

  • 8面~10面 大川原化工機冤罪事件 捏造一審より踏み込む(粟野仁雄)

    6月11日夕刻。直前の東京都(警視庁)と国(検察)の上告断念を受けての司法記者会での記者会見に駆け付けた。刑事被告人のまま死亡した相嶋静夫さん(享年72)の長男が(51)が「父は『今にみていろ』と言っていたのを裁判所が代弁してくれうれしい」などと言葉を絞り出す間、大川原正明社長(76)が眼鏡の奥をしきりに指で拭っていた。いつも冷静沈着な社長が泣く姿を初めて見たが無理もない。「相嶋さんと過ごした時間は、妻と過ごした時間より長かったかもしれない」と語る盟友だったのだ。

    生物兵器に転用できる噴霧乾燥機を違法に中国や韓国に輸出したとされ、外国為替管理法違反で大川原社長ら幹部3人が、警視庁公安部に逮捕され、起訴され、公判直前に起訴が取り消された横浜市の大川原化工機の「でっちげ上げ冤罪事件」。社長と元取締役の島田順司さん(71)、元顧問の故相嶋さんの遺族が国と東京都を相手に起こした国賠訴訟の控訴審判決は5月28日。判決文に捏造の文字はないが、東京高裁の太田晃詳裁判長は、警視庁が法令解釈を捻じ曲げ捏造していたことを認める一審以上の原告勝訴だった。
     
    判決直後、裁判所から大川原社長が現れ、「全面勝訴」の紙を開くと大拍手。社長は「地裁に続いて、今回の判決も同じように違法性が認められた。警察、検察にはこのようなことがないように検証していただきたい」と語った。
     
    島田さんは会見で「これで相嶋さんに一杯やりましょうと言えます」としんみりと話した。公安部の任意の取り調べ中、二人は「落ち着いたら一杯」と約束したが、相嶋さんが勾留中に進行したがんで亡くなり果たせなかった。
     
    太田裁判長は、捜査の違法性などを一審同様に認め、都と国に合わせて1億6600万円の賠償を認めた。米国などと違い日本では慰謝料が非常に低額なため、賠償金額は一審より微増しただけだが、控訴審判決としては異例に分厚い判決書の中身は濃い。太田裁判長は公安部の捜査について「犯罪の嫌疑の成立にかかる判断に根本的な問題があった」とし、東京地検については「起訴するための合理的な根拠を欠いていた」と、捜査と起訴の違法性を認めた。
    ……

  • 11面 京都・祝園 弾薬庫増設 住民説明 行政も及び腰(栗原佳子)

    陸上自衛隊祝園(ほうその)分屯地(京都府精華町・京田辺市)で、弾薬庫の増設計画が進んでいる。敵基地攻撃能力(反撃能力)保有を認めた2022年末の安保関連3文書改定に基づくもので、近く着工するとみられる。市民団体「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」(略称・ほうそのネット)が6月15日、精華町で開いた総会には200人を超す住民が参加し、危機感を共有した。
     
    祝園分屯地は1941年4月に開設。39年3月、大爆発事故で94人の犠牲者を出した枚方・禁野弾薬庫の代替地だった。敷地面積470㌶。その規模から「東洋一の弾薬庫」といわれ、戦後は米軍の弾薬庫として朝鮮戦争で使われた。60年に自衛隊に移管された。
     
    祝園分屯地は京都、大阪、奈良にまたがる関西文化学術研究都市(けいはんな学研都市)のど真ん中。80年代から文化・学術・研究の新たな展開拠点として開発され、分屯地に隣接して住宅街も広がっている。
     
    8棟増設が浮上したのは安保3文書改定1年後。さらに6棟が追加され、14棟が増設される計画に膨らんでいる。防衛省は敵基地攻撃能力保有のため、全国で130棟のミサイル弾薬庫を増設する計画で、祝園はその1割にあたる。海上自衛隊との共同使用で、巡航ミサイルトマホークなども保管される可能性がある。
    ……

  • 12面~13面 編集長インタビュー 「コリアNGOセンター」郭辰雄・代表理事に聞く「韓国大統領選」(矢野宏)

    韓国大統領選が6月3日に投開票され、共に民主党前代表李在明(イ・ジェミョン)氏(61)が勝利し、第21代大統領に就任した。今年は戦後80年、日韓条約締結60周年の節目の年。李氏の過去の発言から「韓国は再び反日に戻るのか」と報じる日本のメディアが多い中で、私たちが目を向けるべきところは何か。2024年度大阪弁護士会人権賞を受賞した「コリアNGOセンター」の郭辰雄(カク・チヌン)代表理事に話を聞いた。 

    −−−−まずは大統領選の率直な感想を。
     
    「大統領選は、昨年12月3日に尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領が非常戒厳を宣布したのは憲法違反だとして罷免され、失職したことを受けたもの。憲法裁判所が尹氏の罷免を決めるまでの4か月、韓国社会は擁護派、反対派をめぐって混乱が続いていました。非常戒厳に反対した李氏が勝利したことで、韓国社会がようやく落ち着きを取り戻し、新たなスタートが切ることができてよかったと思っています」

    −−−−投票率が79・4%と高く、李氏の投票率は49・42%で、歴代大統領の中で最多となる約1728万票を獲得し、2位に8ポイント以上の差をつけて大差での勝利でした。
     
    「非常戒厳とは、行政や司法を軍が掌握し、国民の言論や集会の自由などの基本的人権を制限するもので、メディアや出版も統制されます。発令されるのは、戦争の時、クーデターやテロの恐れがある時、大災害が起こった時などが想定されています。軍隊を動員して政治を動かすことがいかに危険か。生活が破壊されることを知っているから、多くの市民が国会前に駆けつけ、『民主主義を壊すな』と声を上げたのです。国会議員もすぐに動き、与野党問わず出席した190人の議員(定数300)全員が戒厳令の解除を可決した。韓国社会の『変化』を期待する市民の思いが数字に表れたとみています。ただ、不安材料があるとすれば、20~30代男性が『改革新党』の李俊錫(イ・ジュンソク)氏(40)に流れたこと」

    −−−−ハーバード大卒というイメージを刷新と結びつけた若手政治家。日本で言えば、都知事選で一躍脚光を浴びた石丸伸二氏のような……。
     
    「李俊錫氏は、ジェンダー問題においてフェミニズムを批判しており、討論会での女性蔑視発言も問題視されました。政府機関である女性家族部の廃止も訴えていました。韓国社会では格差が広がっており、特に若い男性の中には将来を見いだせずにいらだちを抱えている人が少なくないようです。成年男性に兵役義務があるため、学業が中断し就職が遅れるとの不満も大きい。日本以上に、正規と非正規、大企業と中小企業の格差が深刻で、若者は家も買うことができず、結婚もできない。李政権はこうした社会のひずみとどう向き合うのか。韓国は変化が速いですから」
    ……

  • 14面~15面 ヤマケンのどないなっとんねん 「米創造」アホ発言ばかり(山本健治)

    東京都議選が6月13日に告示され、過去最多の300人近くが立候補し、22日投開票ということで選挙運動が行われている。本号が読者に届く頃には結果も出ている。通常国会も22日に閉幕を迎え、石破首相がほのめかした内閣不信任案可決、返す刀で衆参同日選ということもなく、参院選は国会閉会から24日以降30日以内という規定から7月3日公示、20日投開票になりそうだ。
     
    石破首相は13日、国民1人あたり2万円、すべての子どもに1人2万円を上乗せしての支給を自公の参院選公約として表明した。野党が要求する消費税減税をしないのは高額所得者優遇になるからと言い、支給は国民の生活を守るための対策だと述べたが、そうならこれまでになぜ物価高騰にブレーキをかける強力な対策を講じなかったのか、どう言おうが選挙目当てのバラマキであることは明白である。
     
    報道で明らかになっているが、2024年度も国の税収は昨年度の72兆761億円を上回り、5年連続過去最高になるとのことである。格差と低賃金、米だけではなくあらゆる物価が上昇して生活苦を実感している労働者にとってはどこの話であるが、円安などで企業業績が上向きになって法人税収入が伸び、賃上げが実施されたから所得税収入も伸び、消費が伸びるとともに物価も上昇しているから消費税収入も伸びているとのことであるが、そうなら賃金をもっと上げろ。思い切った所得税減税を実施しろ。消費税も減税するか、いっそのこと廃止しろ。企業に販売価格を下げさせろ。
     
    消費税収入が増えているから税収が増えるなどというのは根本がおかしいことに気がつけよ。消費税は高齢者福祉・医療の財源だと言うのなら高齢者の医療費や福祉費用が膨れ上がっていることが問題などと言うな。
     
    12日に開催された衆院憲法審査会幹事会で、改憲を主張している自民、公明、維新、国民民主、有志の会が、災害などの緊急時に国会議員の任期を延長するなどといった、いわゆる緊急事態条項新設のための改憲骨子案を示した。自民党の憲法審査会与党筆頭幹事の船田議員は、改憲に向けての一つのステップとなり、次の国会以降さらに深めたいと改憲意欲を強調したが、一方で国民の支持を拡大するためにバラマキ支給をしながら、衣の下に鎧を身につけていることが改めて明らかになった。
     
    これまでの日米会談でトマホークなどミサイルや戦闘機、武器購入を約束し、着々と日本の軍国化が進めていることを忘れてはならない。
    ……

  • 16面~17面 世界で平和を考える 内戦で荒廃のシリア(西谷文和)

    4月12日、シリアの首都ダマスカスで取材していたら、「俺の街を見に来てくれ」とタクシー運転手のモハンマド。黄色いタクシーを追いかけて高速道路に入る。アサド時代は高速道路での抜き打ち検問があり、反アサドデモに参加していた人々がここで捕まってセドナヤ刑務所に送られていた。この刑務所は「絶滅収容所」と呼ばれ、入所者は様々な拷問にさらされ、ほぼ生還することはなかった。現代のアウシュビッツのようなセドナヤ刑務所への取材許可は、残念ながら下りなかったので、後日その外観だけを撮影した。
     
    問題の高速道路を北東へ走ること20分、ジョーバル地区に入る。先ほどまで訪れていたカブーン地区と同様、すべてのビルが破壊されてガレキの街と化している。地区入り口に常設されていたアサド政権時代の検問所はすでに無人で、街に入っても人影はまばら。ブォーン。時折バイクが黒煙を上げながら走りすぎていく。シリアのバイクは性能が悪いのか、猛烈な音と排ガスを撒き散らす。アサド政権が崩壊して4カ月、一見すると無人で廃墟のようなこの街にも、少しずつではあるが難民が戻ってきている。
     
    「ここだ」。モハンマドがタクシーを停車させる。
     
    「ここが俺の故郷、あの瓦礫になっているのは小学校だ。35年前、あそこで学んでいたよ。俺たちは反アサドのデモに参加したという理由だけで、空爆にさらされた。兄貴は自由シリア軍の兵士になってここで戦っていたが、あのあたり(瓦礫になった交差点を指し示す)で殉職した。俺はトルコに逃げて10年間、難民として生活した。昨年末にアサドが亡命したのでこの街に帰って来たんだ。電気も水道もないのでここにはまだ住めない。ここから川を渡ったザマルカ市に住んでいる。そこも瓦礫になっているが、ここよりマシで電気と水があるからね。新政権になって、これからダマスカスは復興するだろう。故郷ジョーバルに住める日が来るのも、もうすぐだよ」
    ……

  • 18面~19面 フクシマ後の原子力 責任問わない司法(高橋宏)

    6月6日、福島第一原発事故をめぐって、東京電力(東電)の旧経営陣が津波対策を怠ったため巨額の損失を生じさせたとして、株主が旧経営陣ら5人に23兆円超を会社に賠償するように求めた株主代表訴訟の控訴審判決が東京高裁であった。木納敏和(きのう・としかず)裁判長は、旧経営陣らに13兆3210億円の支払いを命じた一審の東京地裁判決を取り消し、株主側の請求を棄却した。
     
    株主らが賠償を求めて東京地裁に提訴したのは、事故翌年の2012年3月だった。被告は当初、事故当時の取締役ら27人だったが、後に勝俣恒久会長、清水正孝社長、武藤栄副社長、原子力部門のトップだった武黒一郎元副社長、小森明生常務(肩書は提訴当時のもの)の5人に絞られた。訴訟では、旧経営陣らが巨大津波を予見できたか、そして対策によって事故を回避できたかが主な争点となった。
     
    約10年の審理を経て22年7月、東京地裁は5人全員が原発を運転する会社の取締役としての注意義務に違反し、任務を怠ったと認めた。そのうえで、取締役就任から事故までの期間が短かった小森氏を除く4人に対し、連帯して13兆3210億円を東電に支払うよう命じた。福島第1原発事故で東電幹部の経営責任を認めた判決は初めてで、13兆円余の賠償額は国内では過去最高であった。
     
    朝倉佳秀裁判長は、判決理由で「原子力発電所において、ひとたび炉心損傷ないし炉心溶融に至り、周辺環境に大量の放射性物質を拡散させる過酷事故が発生すると、原発の従業員、周辺住民らの生命・身体に重大な危害を及ぼし、放射性物質により周辺環境を汚染することはもとより、国土の広範な地域と国民全体に対しても、その生命、身体及び財産上の甚大な被害を及ぼし、地域の社会的・経済的コミュニティの崩壊や喪失を生じさせ、ひいては我が国そのものの崩壊にもつながりかねない」とし、「原発を設置・運転する原子力事業者には、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて、過酷事故を万が一にも防止すべき社会的・公益的義務がある」と強調した。
     
    東電内部では、02年に公表された政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の「長期評価」を根拠として、08年に最大15・7㍍の津波が来ると試算していた。一審判決は、この長期評価に「相応の科学的信頼性がある」として、原子炉建屋などに浸水対策を行っていれば、重大事故を避けられた可能性が十分にあったと判断した。そのうえで、試算に基づく津波対策を怠った旧経営陣の注意義務違反を認めたのである。
    ……

  • 20面 こちらうずみ火編集部 映画「選挙と鬱」「黒川の女たち」(栗原佳子)

    2022年の参院選で初当選したお笑い芸人の水道橋博士の選挙戦とその後に密着したドキュメンタリー映画『選挙と鬱』(青柳拓監督)が7月5日から大阪・第七藝術劇場で上映される。
     
    公示1カ月前、れいわ新選組の山本太郎代表に誘われ、比例代表で急きょ出馬。芸人仲間ら素人たちが手探りで選挙戦で支え、当選を果たした。しかし、水道橋さんはうつ病で休職。議員辞職の道を選ぶ。
     
    青柳監督は1993年生まれ。水道橋博士の友人で映画評論家の町山智宏さんから打診され、監督を引き受けた。町山さんは、青柳監督の前作『東京自転車節』を見ていたという。
     
    「選挙のドキュメンタリーを撮るなど、思ってもみませんでした。選挙を追いかけることで、選挙は、社会をどうしたいのか考える機会だと実感しました」と青柳監督。
     
    選挙期間中には安倍晋三元首相銃撃事件という激震も走った。初登院を撮影し、年内の公開を目指し編集作業にいそしむ中、水道橋博士の休職を知った。療養していてそのまま作品を公開することはとてもできなかった。
     
    約1年後、水道橋博士はうつ病から復帰した。「選挙の映画」は「一人の人間が、再び生きる道に向かう映画」という色彩を強くした。
     
    7月の参院選と同時期の全国公開。上映スケジュールは公式サイトで。
    ……

  • 21面 読者近況 三重テレビ放送「ハンセン病問題取材班」小川秀幸さん、「能登のムラは死なない」著者の藤井満さん

    【三重】報道・評論活動などを通じて顕著な業績をあげたジャーナリストらに贈られる2025年度の日本記者クラブ賞の特別賞を、三重テレビ放送の「ハンセン病問題取材班」が受賞した。
     
    三重テレビは2001年からハンセン病問題を取材。以後20年以上にわたって岡山県の長島療養所などに通い、三重県出身の元患者や家族の苦悩や喜びに寄り添った。番組制作にとどまらず、書籍の出版、自治体や市民団体とのフィールドワーク、講演の開催など多岐にわたる。差別と偏見を取り除くための地道で多角的な活動が高く評価された。
     
    取材班の代表を務める小川秀幸編成局長(前報道制作局長)=写真=がコメントを寄せてくれた。
     
    「『しんどくても手を抜かずにやりなさい。それが君の血になるのだから』。大学時代から憧れていた黒田清さんの丸っこい文字。三重テレビに入社した時、いただいたお手紙です。
     
    2001年にハンセン病問題と出会ってから、入所者の帰郷、戦争とハンセン病、家族の問題、感染症と差別など多くの観点で番組を制作してきました。いま振り返ると『取材している』というより『伝えている』自分がいました。それは、黒田さんから教わったことのような気がしています。 
    ……

  • 22面 経済ニュースの裏側「欧州」(羽世田鉱四郎)

    戦いに明け暮れた欧州だが、軍事力の基礎となる石炭と鉄鋼を、仇敵のドイツとフランスが中心となり、1952年に石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立して共同管理。それを発展させて欧州共同体(EES)が発足した。現在、27カ国が加盟し、人口4億5000万人で、単一市場と共通通貨「ユーロ」を持つ。EU域内では一部の例外を除き、人、物、サービス、資本が自由に移動できる(シェンゲン協定)。ただ昨今は、ナショナリズム(自国第一主義)の風潮が強まり、極右政党の台頭も。
     
    ドイツ連邦共和国 かつて「欧州経済のエンジン」といわれ、絶好調だったが、2023年は実質GDPで▲0・3%、24年▲0・2%と2年連続のマイナス成長となり、「欧州の病人」と揶揄される。脱原発に踏み切るも、エネルギー価格が高騰し、製造業が低迷している。中国への輸出減も響く。EU加盟国の中で対米黒字が大きいのも難題。やむなく財政を緊縮から拡張へ転換。また多くの移民を受け入れたこともあり、憲法擁護庁が「右翼過激派」と認定した極右政党(「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭し、政局が不安定になったが、5月6日に中道のメルツ政権(キリスト教民主同盟)が発足した。
    ……

  • 23面 会えてよかった 比嘉博さん⑦(上田康平)

    「国際平和研究所」の設置、この
     時期だからこそ議論必要かも
     国際平和研究所の設置は平和研究
    の専門家、研究者を研究所に配置し
    平和研究推進の傍ら世界の平和学者、
    研究者等との交流促進を図り、沖縄
    から世界への平和発信を目指した。
    (共著16ページ)
     共著編集中に見たウクライナの状
    況に、比嘉さんは2022年5月15
    日の共著あとがきに、国際平和研究
    所の設置は、この時期だからこそ、
    もっとも議論される必要があるかも
    しれないと書いている。
     その後、パレスチナ自治区ガザの
    状況を見ることになり、私も同研究
    所があればと思う。
     沖縄「平和の礎の会」
     「平和の礎」が果たしてきた役割
    をさらに継承発展させ、課題にも対
    応する意味で、比嘉さんたちは当初
    の建設時に携わったメンバーを中心
    に19年9月、沖縄「平和の礎の会」
    を立ち上げた。
     沖縄県民が創りだした
     「平和の礎」
     私は旧の平和祈念資料館の頃に平
    和祈念公園に行っているし、95年に
    「平和の礎」が建設されてからも、
    何回か行って、新しい平和祈念資料
    館を見学し、礎を見た。けれどそれ
    だけで、深く考えることもなかった。
    ……

  • 24面 日本映画興亡史 「苦労」描き戦意高揚(三谷俊之)

    1939(昭和14)年公開の戦意高揚映画に『土と兵隊』がある。原作は火野葦平、監督は田坂具隆。田坂は山本有三原作の『真実一路』や『路傍の石』のように、ヒューマニズムに貫かれた作品を作っていた監督である。日中戦争に突入し、大陸での戦果は連戦連勝と報じられていたが、実際には中国軍は広大な大陸で次々と後退しても、すぐに陣容を立て直していく。
     
    その中国軍を追って引きずられ、ゆけどもゆけどもぬかるみの道を黙々と歩き続ける日本軍の兵士たち。自動車などほとんどない兵隊は、どこまでも続くぬかるみの道を、ただひたすらに歩き続ける。「どこまでつづくぬかるみぞ」というのは、当時歌われた『逃避行』という軍歌である。その歌詞通り、ただただぬかるみを歩き続ける。
     
    映画はその苦しみに耐えて、黙々と行進する兵士たちの描写がほとんどである。日本軍の強さを誇示するような、ヒロイックで勇ましい戦闘シーンはほとんどない。ラストのごくわずかに中国兵が登場するだけだ。多くはぬかるみを行進する兵士の苦労と人間らしさを描く。見方によれば、反戦的な映画のようにさえ思えるほど。実際、『日本映画史』をまとめた映画批評家の佐藤忠男は、「(『土と兵隊』は)あきらかに侵略戦争を賛美しているが、映画監督としての彼が映像的に関心を持ったことの実質は、泥沼のような大陸をひたすら歩く兵士たちの苦労への共感であった」(『日本映画史2』より)と述べる。
    ……

  • 25面 坂崎優子がつぶやく「豪シドニーの住宅難」

    新型コロナ以降、おっくうになっていた海外旅行に、思い切って行ってきました。まとまった休みが取れる時期なのと、行くなら今しかないという思いが強まって、オーストラリアへ。都市シドニーと田舎町ケアンズに滞在しました。
     
    オーストラリアというと日本ではやたら物価高が報じられていますが、オンシーズンではないせいか、ホテルは高騰を続ける日本よりも安めでした。レストランでの飲食は高くなりますが、1人分の量が多いのでシェアすればそこまでの出費にはなりません。フードコートも多く、上手に現地の料理を楽しむ方法は案外あります。
     
    シドニーは冬なので寒さ対策をしていきましたが、実際は日本の秋くらいで、街歩きをするのにちょうど良い気候でした。カフェ文化があるこの国では、いたるところにカフェがあり、お気に入りを見つけて通うそうです。各店テラス席が用意されているのも特徴です。ほとんどの人が店内ではなく外で飲食することを好みます。季節関係なく外を希望するので、夜は背の高いガスストーブが用意されていたのは驚きでした。
    ……

  • 26面~30面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)

    再雇用の市社協
    辞め新たな挑戦

       大阪市 松江昌子
     
    大阪市社会福祉協議会の定年退職は60歳です。そこから先、希望者には、5年を限度に再雇用嘱託職員の選択肢があります。
     
    私は1年前に定年退職を迎えました。諸事情により再雇用を申請し、4月より新たな区に配置され、従事していました。諸事情には幾つかあり、健康面の不安がその一つ。数年前、健康診断で初期のがんの疑いを指摘され、結果は問題はなかったのですが、検査結果を待つ間にいろんなことを考えました。
     
    私的には「お礼奉公」の気持ちもありました。30年ほど前、市社協に職を得られたおかげで、私は息子二人を道連れに最悪の選択をせずにすみ、娘も生まれました。再び一人親家庭になってからも最低限食べるには困らず、それなりに生きてこられたのだと感謝しています。なので、私で役に立つことがあるなら、もう少し働かせてもらおうと思ったのです。
     
    再雇用の嘱託職員はこれまでの経験を生かし、後方から業務をサポートする。最前線を牽引するのは現役の職員との認識でしたが、現実は全く違っていました。少なくとも私が配置された区では、業務量も責任も2倍、3倍で乗っかってくる、そんな感じでした。
     
    ずっと仕事のことが頭から離れない、寝られない、気力が湧かない……。気持ちも身体も仕事に行きたがらないのに、あれこれ本日の業務を頭の中でシミュレーションして行かないと周りに迷惑をかけてしまうから、辛うじて体を押して出勤する。日に何度も、低空を飛ぶ飛行機を見上げては理由もなく泣けてきました。受診し、診断書をもらっての休養を考えたこともありましたが、それでは解決しない。組織は変わらないですから、一時休んだところで戻れば一緒です。
     
    自分自身が折り合いをつけて行くしかない。もう一度、ネジを巻いて、あと数年、力を出して働き続けることは可能か、何度も自問自答し、今の私には難しいとの思いに至りました。定年退職という形で一区切りしたことも踏ん張り切れなかった大きな要因だったと思います。
     
    子どもたちに相談したら、「よく働いた、頑張ったと思う」と言ってくれました。
     
    退職願を出してから、ウン十年ぶりにハローワーク通いをしました。まるで浦島太郎で、履歴書を書くのにも頭抱えて四苦八苦しました。
     
    年齢も年齢ですし、就活は想像以上に大変でした。世間は、ニュースで見ていた状況とは違いました。いかに自分が甘ちゃんだったのかと、かなり落ち込みました。4月までに次の仕事が決まらなければ失業保険をもらって……と考えていた頃、市の市民局会計年度職員の採用通知(更新なし)が届きました。6時間労働で週5日勤務の公務員。市社協の再雇用収入よりもさらに減り、生活は綱渡り状態ですが、時間給に換算すると市社協よりも高額な点は、気持ち明るくなります。
     
    目下の悩みは、年が明けたらまたハローワークに通って就活が控えていること。常に就活状態であるのだと考えると暗くなります。
     
    戸籍係におります。採用の主たる業務は日本国籍を持つ国民の氏名ふりがな記載です。戸籍のことも知っているようで全然知らなかったこと、ここで働くことになったからこそ知り合えた人たち。あのまま市社協に残っていたら、きっと知らないまま、見ることないままに終わっていたことがここにはたくさんあります。初めてのことばかりに悪戦苦闘していますが、緊張の中にも学び多き2カ月を過ごしてきました。
     
    市社協を退職したことは冒険だったけれど、勇気を出して挑戦して良かった、そう思えるよう精進して行きたいと思っています。
     
    (松江さん、お疲れさまでした。新たな職場での挑戦、いい出会いがたくさんありますよう祈っています。しんどい時には羽を休めるため、うずみ火講座、茶話会、酒話会にぜひお越しください)
    ……

  • 27面 車いすから思う事 自由求めるリスク(佐藤京子) ※全文紹介

    車イスドライバーは、日常生活でよくあることの中に自由を手に入れたいと考えている。車イスは単なる移動手段ではなく、自身の自由と可能性などを確認するものでもある。障害を持つ人々が新しい場所を探検し、以前は不可能だった夢を追いかけるための道具として機能している。
     車イスを利用することで、日常生活での困難を乗り越え、社会とのつながりを深める機会を得ることが出来る。外に出て行けるようになったら、それはそれで苦労する。
     雨の日に社会参加をしやすくするためには、車イスの工夫が欠かせない。例えば、濡れた道路は滑りやすく、車イスのタイヤが思うほど動かないことがある。マンホール蓋や踏切の線路もそう。滑ると油断してはいけない。というか、気を付けてもどうしようもない。道の状態を確認しながら進むのが重要だ。傘を差すことはできないので、雨具の準備が欠かせない。外出には手間がかかる。
     公共交通機関を利用する際にも特有の問題がある。車イスのスペースが確保されていない。バス停留所に違法駐車があるとたちまち乗車が困難になる。
     さらに、駅やバス停に段差がある。一番ガッカリしたのは、エレベーターの点検中の時、移動は著しく制限されてしまう。これらの課題を解決するためには、インフラ改善とともに、社会全体での意識向上が重要だろう。
     車イス利用者は創意工夫しながら日々の生活を乗り越えている。例えば、アプリを活用してバリアフリーの道や施設を確認したり、他の利用者と情報交換したりすることで、移動のスムーズさを確保している。車イスは単なる道具ではなく、社会参加の象徴であり、自由への扉を開けるカギであると言えるだろう。
     (アテネパラリンピック銀メダリスト 佐藤京子)

  • 29面 絵本の扉「3びきのくま」(遠田博美) ※全文紹介

     19世紀半ばにイギリスで作られた有名な童話です。表紙は、目の丸い愛嬌のある大きいくま、中くらいのくま、小さいくまの3匹が描かれ、小さいくまは手にテディベアのぬいぐるみを持っています。
     昔、3匹のくまが森の中で暮らしていました。見開きページには、丸太小屋の前の広場でブランコに乗っているくまが描かれ、仲のよさが伝わってきます。3匹のくまは、それぞれの大きさに合った木の椅子に座り、素敵な木のベッドで眠り、朝ごはんはおいしいお粥をそれぞれの大きさの木のお椀によそっています。
     3匹が朝食前の散歩に行っている間に、家の中に侵入者がやって来ます。森の中でくまの家を見つけた女の子「キャンディ」。彼女が登場するページを見て、思わず「何?この子?」と声を上げました。花を持ってこちらを向いている彼女の髪は金色で縦ロールに巻かれています。ブルーの瞳で髪にはブルーのリボンを付け、ブルーのワンピースを着ています。ところが、にっと笑った口元から見える歯がみそっ歯で、その笑顔は何かしでかしそうです。
     キャンディは窓からのぞき見し、留守だと分かると家に入り込み、お粥を食べ始めます。大きなお椀のお粥は熱過ぎ、中くらいお椀のお粥は冷たくて、小さいお椀のお粥がちょうどいいので全部食べてしまいます。椅子に座ろうとすると、大きい椅子は硬い、中くらいの椅子はクッションが柔らか過ぎ、小さい椅子はちょうどいいので座ったら、ゆすり過ぎて壊してしまいます。寝室に行くと、大きいベッドは頭が高すぎ、中くらいのベッドは足が高過ぎ、小さいベッドはちょうどいいので、そのまま寝てしまうのです。
     くまの家で好き放題するキャンディ。その表情は憎たらしいやら面白いやら……。思わず見ていてニヤリとしてしまいます。ポール・ガルドンが描くキャンディの顔を見ているだけでページをドンドンめくりたくなります。
     その後、3匹のくまが戻ってきて、小さなお椀のお粥は食べられ、小さな椅子は壊れ、小さなベッドに寝ている女の子を発見する。目を覚ましたキャンディはくまに驚き、あわてて家から逃げていくのです。その表情もガルドンは見事に描いています。
     今まで数多くの作家が作画している話ですが、私はガルドンが描くキャンディを裏表紙で見た時から、この絵本が「3びきのくま」のナンバーワンになりました。 
     (元小学校教諭 遠田博美)

  • 30面 編集後記(矢野宏) ※全文紹介

    開幕1週間後に取材して以来、2度目の大阪・関西万博だった。2カ月後の6月12日夕方。その日は昼までの小雨も上がり、曇り空が広がっていた。最高気温は30度以下だったが、それでも熱中症と思われる人が相次いで救急搬送されていった▼三つある診療所の拠点である西ゲート診療所の看護師がいくつかの留意事項を伝えてくれた。「寝不足の子どもは要注意」「吐いた場合の着替えを持参してほしい」「親が自家用車で迎えに来ても会場内まで入れません」「先生がタクシーで市内まで連れ帰ると1万円近くかかります」……。やはり、夢洲で万博をやるべきではなかったのだ▼大阪は梅雨を通り越して夏本番のような猛暑が続く。テントやパラソルの設置、日傘の提供など、小手先の熱中症対策では「焼け石に水」。暑い日には行かないことが一番なのだが、大阪府は、学校単位での校外学習が見送られた子どもたちを無料で引率するツアーを開催する。家庭での来場が難しい子どもたち約1万人を上限に募集し、夏休み中に開催する予定だという。そのための補正予算約1億5000万円も府議会で可決された。吉村洋文知事は記者団にこう言ったという。「子どもたちが万博来場を諦めて閉幕を迎えることなく、未来社会を体験してもらう取り組みが大きく前進した」(6月17日産経新聞)。夏場の来場者が減ることが予想されるので、来場者目標2820万人を達成するために子どもたちを穴埋めに使うことではないのか▼万博テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だが、パビリオン建設の作業員の命を削り、子どもたちの命まで……。会場の隣ではIRカジノの工事が急ピッチで進んでいた。 (矢)

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    5月15日(木)
     矢野 午前、来社した末松栄治さんから「事務所で自炊していると聞きました」とお米をいただく。ありがたい。午後、大阪暁光高校の看護専攻科4年生61人に社会学の講義。「戦後80年 生死を分けた二つの壕」と題して、自身が取材した沖縄戦について話す。
     栗原 午後、千里中央で韓国の原爆被害者を支援する会の市場淳子会長に半世紀にわたる在外被爆者の支援運動について話を聞く。
    5月17日(土)
     矢野 午後、空襲証言DVD制作のため、原爆投下訓練に使われた「模擬爆弾」の実物大模型を保管している大津市歴史博物館で撮影。同行した堀田明子ディレクターから「爆弾の大きさを見せたいので横に寝てもらえますか」。模型とはいえ、爆弾と「添い寝」させられる。
    5月21日(水)
     午後、竹腰英樹さんと金順玉(キム・スノク)さんが新聞折り込みチラシのセット作業。助かります。
    5月22日(木)
     今月のチラシは14種類。午後から石田冨美枝さんがセット作業に来てくれ、ようやく目途がつく。ありがたい。
    5月23日(金)
     午後、柳田充啓さん、長谷川伸治さん、辻知幸さん、金川正明さん、康乗真一さんが残った折り込みチラシのセット作業。夕方、新聞うずみ火6月号が届き、樋口元義さん、多田一夫さんも駆けつけて発送作業。お疲れさまでした。
    ……

  • 32面 黒田清さん偲ぶライブ&うずみ火講座(矢野宏)

    ■黒田清さん偲ぶライブ

    「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」は7月26日(土)午後2時半~大阪府豊中市の「すてっぷホール」で開催します。コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバーの松崎菊也さんと石倉直樹(チョッキ)さんによる風刺トーク&コントを心ゆくまでお楽しみ下さい。
     
    当日会場でお配りするパンフレットの「ひと声広告」(1マス3000円~)、カンパを募集しています。物価高の時代に心苦しいのですが、無理のない範囲でご協力いただけると幸いです。
    【交通】阪急宝塚線「豊中駅」南口改札を出て右手、エトレ豊中5階
    【資料代】2200円、読者2000円(1口3000円~の「ひと声広告」、またはカンパをいただいた方は招待)
     
    チョッキさんからのメッセージです。
    「コメは足りてる振り安くなる振りの振りコメ詐欺師江藤がクビになった。良かったと思ったら後任が小泉進次郎だとさ。お前ら格下の格下はまた一杯食わされる羽目になる訳よ、ブランド米ナナヒカリ(ななつ星とコシヒカリの掛け合わせじゃねぇよ)。二馬力選挙は自公のお家芸だ、当日は参議院選挙戦最終日だ、待ってるぜ下々。  無愛想タロウ」

    ■うずみ火講座

    広島原爆の日からまもなく80年。3歳の時に爆心地から2.5㌔の木造家屋で被爆した千葉孝子さん=写真=を講師に迎え、大阪市北区のPLP会館で開きます。演題は「核兵器廃絶へ被爆者として生きて80年」
     
    千葉さんは、兵庫県原爆被害者団体協議会理事長として被爆者の救済に奔走した母の遺志を受け継ぎ、現在、「芦屋市原爆被害者の会」会長として国内外の平和運動に参加しています。
     
    千葉さんは「ノーベル平和賞受賞以降、日本被団協の思いをお伝えします」と話しています。
    【日時】8月2日(土)午後2時半~4時半
    【会場】大阪市北区のPLP会館4階
    【資料代】1200円(読者1000円)


    ■購読・継続方法

    新聞うずみ火は月刊の新聞です。ぜひ、定期購読の輪にご参加下さい。
    購読・継続を希望される方は、お近くの郵便局か銀行で年間購読料として1部330円(税込み)×12カ月分、計3960円を下記の口座にお振り込みください。毎月23日頃にお手元へ郵送します。
     ※郵便振替口座 00930-6-279053  加入者名 株式会社うずみ火
     ※りそな銀行梅田北口支店 (普通) 1600090 株式会社うずみ火

    ◆賛助会員・カンパの募集

    新聞うずみ火の取材はすべて手弁当です。賛助会員として応援してくれる方を募集しています。購読料のほかに年会費(1万円~)を収めていただけると、新聞うずみ火をもう1部贈呈します。カンパの応援もよろしくお願いします。

定期購読申込フォーム
定期購読のご案内 定期購読のご案内

フォローする

facebook twitter