大阪府知事選、大阪市長選の「ダブル選」が4月9日、投開票される。知事、市長は2011年以来、大阪維新の会が占める。2月8日に経済人らでつくる「アップデートおおさか」が知事選に法学者の谷口真由美氏(47)、市長選には大阪市議の北野妙子氏(63)の擁立を決定するなど、ダブル選をめぐる動きは風雲急を告げてきた。 (うずみ火編集部)
「ロックスター並みの人気者にインディーズのおばちゃんが挑戦する、そんな春にしたい」
大阪市内のホテルで開かれた記者会見。谷口氏が、知事選に挑む気構えをユーモアを交えて表現すると、張り詰めた会場の空気がふっと緩んだ。スカーフはトレードマークのアニマル柄。
ロックスターになぞらえた相手は吉村洋文知事(47)だ。大阪維新の会代表で、公認候補として再選に挑むことを早々と明らかにしている。
インディーズ(独立系)を名乗った谷口氏の隣には、北野市議がいた。北野氏は5期目のベテラン。自民党所属だが、離党して谷口氏とともに無所属で出馬する。大阪維新の会は松井一郎市長が今期限りで引退するため、昨年12月、党内の予備選で後任候補者を決めた。幹事長で府議3期目の横山英幸氏(41)だ。
谷口、北野両氏を擁立するのは1月に設立されたばかりの政治団体「アップデートおおさか」(代表・サクラクレパスHD社長の西村貞一氏)。知事選には元参院議員の辰巳孝太郎氏(46)も1月に共産党推薦で出馬を表明しており、ダブル選の構図がようやく固まった。
大阪府知事・市長のダブル選は4回目になる。府知事の橋下徹氏や自民府議だった松井一郎氏らが大阪維新の会を結成したのが10年。翌11年11月、橋下氏が市長選に鞍替え出馬、知事候補の松井氏と共に当選した。維新が府知事、大阪市長を独占する体制の始まりだ。
15年5月、政令指定都市の大阪市を廃止、特別区に分割するという維新の看板政策「大阪都構想」の住民投票が行われたが、反対が僅差で上回り、維新は敗北。橋下氏は政界から引退した。同年11月のダブル選は衆院議員だった吉村氏が市長選に出馬し当選、松井氏も再選した。
3回目のダブル選は19年4月の統一地方選と同日に行われた。松井氏と吉村氏が任期途中で辞任し、ポストを入れ替えるダブルクロス選に打って出たからだ。2度目の「都構想」住民投票実現のための脱法的な奇策だが、ともに勝利。20年11月には2度目の住民投票が行われた。再び僅差で否決。大阪市は存続、松井市長は任期満了での政界引退を表明した。
一方で、維新が最大勢力の府、市議会では市の権限や財源の一部を府に移し替える「都構想」条例版が可決した。
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新型コロナ感染拡大に伴うオンライン授業に端を発し、大阪市の松井一郎市長らに提言書を送り、文書訓告処分を受けた市立小学校元校長の久保敬さん(昨年定年退職)が2月21日、処分の取り消しを求めて大阪弁護士会に人権救済を申し立てた。昨年1月、「重大な事実誤認がある」として市教委に取り消しを求めたが回答がないまま1年が経過、申し立てに踏み切った。久保さんは「異議を申し立てなければ一緒に声をあげてくれた多くの方々の人権を侵害したままにするのと同じ」と訴えている。 (栗原佳子)
久保さんは木川南小校長だった一昨年5月、松井市長と当時の山本晋次教育長に「提言書」を郵送した。新型コロナの緊急事態宣言を受け、松井市長が市立小にオンライン授業導入の方針を打ち出したことがきっかけだった。
久保さんは自身の経験から、対応の難しさや現場の混乱を憂慮。市HPにある「市民の声」窓口に実名、肩書を記して計3回投稿した。しかし方針は変わらず、直接手紙を書くことにした。オンライン授業について書くつもりが、ためこんできた違和感があふれた。〈学校は、グローバル教育を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される〉。突き動かされるように大阪市教育行政への提言を書き連ね、「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」と題し投函した。
共感した友人がネットで拡散。全国から励ましの電話や手紙が寄せられた。松井市長の処分示唆には反対の声が広がった。しかし市教委は「独自の意見に基づき、学校現場全体で混乱を極めていると断じた」「教育委員会の対応に懸念を生じさせ、関係教職員らの努力を蔑ろにした」などと一昨年8月、文書訓告処分とした。久保さんは昨年1月、市教委に取り消しを求めたが、いまだ回答がないことから、人権救済を申し立てた。
申立書では「事実を曲解した教育委員会による根拠のない勝手な判断」とし、「『文書訓告』という行政処分を受けた校長として社会に公表され、傷つけられた人格の回復」を求めた。「独自の意見を述べたという理由で処分を受けるのであれば、私個人の問題ではなく全ての人に関わる人権侵害。ますます何もいえない硬直した学校組織となり、子どもたちの教育環境にも大きなマイナス」とも訴えた。
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大阪市が2022年度夏から街路樹の伐採を始め、24年度までに公園樹を含めて約1万本を伐採する計画に対し、市民から抗議の声が上がっている。「大阪市の街路樹撤去を考える会」代表の渡辺美里さん(34)=大阪市東住吉区=が「街路樹・公園樹の撤去について適切な情報公開を求める」陳情書を市議会に提出。2月17日の建設港湾委員会で審査されたが、結論は3月市議会に持ち越しとなった。 (矢野宏)
渡辺さんが市の街路樹撤去に疑問を持ったのは、自宅マンション前のイチョウ並木に突然「撤去します」という張り紙が貼られたこと。撤去予定は2週間後。市に問い合わせると、電柱や電線、信号機などの妨げになるとの理由だったが、渡辺さんには支障を来たしているようには見えない。撤回を求めたが、覆らなかった。だが、説明に来た樹木医の資格を持つ職員がこう漏らした。「この木はちゃんと管理すれば生きるのに……」
渡辺さんに疑念がわいた。「市民の安心・安全のためと言って伐採しているが、適切な維持管理をすればたくさんの木が残せるのではないか」
後日、道路両側のイチョウ90本のうち22本が根元から切り倒された。
「目の前の木が切られるのはショックでした。理由が不透明なままの伐採はなくしたい」とSNSなどで呼びかけ、「大阪市の街路樹撤去を考える会」を発足した。
渡辺さんらは、市に情報公開を求めた。「街路樹も市民の財産です。どの木が切られるのか、どうして切るのか。その理由を説明する責任があると思います」
2月上旬、市はようやく簡単な伐採計画の地図をホームページに載せるようにしたが、十分とは言えない。
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1942年2月3日早朝、山口県宇部市の長生(ちょうせい)炭鉱で水没事故が起き、183人が坑道に閉じ込められた。遺体は引き揚げられることなく敗戦とともに閉山。犠牲者の7割は朝鮮半島出身だった。事故から81年。地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は「日韓政府の共同事業として遺骨収集・返還を」と訴える。 (栗原佳子)
瀬戸内海に面した床波海岸の沖合に、コンクリートの円筒が2本突き出している。海底炭坑の換気・排水塔で、地元では「ピーヤ」と呼ばれている。海底に沈んだままの183人の墓標のようだ。
山口県側の周防灘の海底に広がる宇部炭田。長生炭鉱は1914年に開坑し、最盛期には炭鉱内外で1000人超が働き、年間16万㌧の石炭を産出したという。
2月3日、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」共同代表、井上洋子さんの案内で初めてここを訪れた。関東大震災の朝鮮人虐殺の実相を伝える「1923記憶する行動」が企画したフィールドワーク。「水非常」とは水没事故を意味する炭鉱用語で、81年前のこの日の朝、大惨事は起きた。
海岸の坑口から1㌔以上沖の坑道で落盤が発生。冷たい海水が一気に流れ込んだ。助かったほとんどは坑口近くにいた人たちだけ。「みな坑口を目指したので、ちょうどこの下あたりに多くの遺骨があるのではないでしょうか」。井上さんはそう言って、砂浜に目を落とした。
「事故は法律で禁止された浅い層を掘ったために海水が流入した『人災』でした。事故当時の経営者だった頼尊(らいそん)渕之助氏は戦後、『自分が法律違反をした』と証言しています」
生存者の一人は「頭の上で
船のポンポンという焼玉エンジンの漁船が通る音やスクリュー音が聞こえて恐ろしく、ここから逃げることばかり考えていた」と証言している。前年11月にも異常出水があり、事故3日前にも出水した。当日は坑道からネズミが逃げ出し、入坑をためらう労働者たちを、現場監督が木刀を振り回し追い立ててたという証言もある。その日は1000函出荷のノルマが定められた「大出しの日」。日米開戦から2か月後だった。
クジラが潮を吹くように水柱が上がり、現場は修羅場と化した。坑口は木の板でふさがれ、183人は海の底に取り残された。詳しい資料は残っていないが、翌4日には4人が死亡する暴動が発生したという。会社側は急きょ位牌をつくり、砂浜で17人の僧侶に読経させるという盛大な葬儀を行った。
これだけの大事故にも関わらず、当時の新聞は、ベタ記事で一報を報じたきりだった。
犠牲者のうち朝鮮半島出身者は136人。たびたび出水し危険な炭鉱として知られていた長生炭鉱では、42年3月時点の朝鮮人労働者の割合が75%と突出。地元では長生炭鉱ならぬ「朝鮮炭鉱」とも言われたという。弔慰金は日本人が300円から5000円、朝鮮人は30円程度だった。
労働力不足を補うための「自由渡航」とは別に、39年からは「募集」として朝鮮半島から動員され、炭鉱や鉱山で重労働につかされた。長生炭鉱では39年から41年にかけ14回にわたり1258人が集められた。うち372人が『未達』。4人に1人が逃亡したことを示唆している。
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1月27日、東京地裁で国家賠償請求審の口頭弁論が行われた。大川原化工機(本社・横浜市)の大川原正明社長(73)と島田順司元取締役(69)、相嶋静夫元顧問(享年72)の妻と2人の息子が東京都と国に対し総額約5億6千万円の賠償請求を起こした。
2020年3月、大川原化工機の社長ら幹部3人が「武器に転用できる機械を中国に違法輸出した」として警視庁に外国為替管理法違反容疑で逮捕された。相嶋さんは一貫して容疑を否定。7月に東京拘置所に移されたが、9月25日に貧血で倒れ、拘置所で何度も輸血処置を受けた。拘置所の医師は「消化管出血」と診断。10月1日には内視鏡検査で胃に悪性腫瘍が見つかる。緊急入院の必要性は明らかだったが、認められなかった。
高田剛弁護士が求めた勾留執行停止を東京地裁が認め、10月16日に順天堂大医で診察を受けた結果、進行性の胃がんと判明したが、相嶋さんは21年2月7日に東京拘置所で亡くなった。妻から「嘘でもいいから(容疑を)認めて出してもらってほしい」と弁護士を通じて伝えられても信念を曲げなかった。
遺族は転院させなかった拘置所の医師や所長の非を訴えている。
大川原化工機の主力製品「噴霧乾燥機(スプレードライヤー)」が生物兵器の製造に転用できるとされた。噴霧乾燥機は、ステンレス容器内に噴射した液体に高熱をかけて瞬間的に粉末にする装置。コーヒーやスープの粉末、医薬品、バッテリーの材料など用途は広い。大川原化工機は国内シェア約70%を誇り、輸出もしている。
経済産業省は、噴霧乾燥機が炭疽菌などをばら撒く生物兵器に転用される可能性があるとして、規制を設けた。生物兵器の製造用に転用する際、作業者の身体に危険が及べば使えない。このため、分解せずに内部の滅菌・消毒ができる場合は輸出できないとした。
大川原化工機の製品は、分解せずに完全に滅菌・消毒(殺菌)することはできなかった。そもそも危険な粉末を扱うわけではない。それでも大川原社長らは経産省と協議し、規制事項を確認し合ってきた。
ところが18年10月3日朝、大川原社長が自宅から出勤しようとすると男たちが声をかけた。「警視庁です。外為法違反で令状が出ているので家宅捜索させていただきます」
「何の件ですか?」と聞いたが、捜査員たちは家の中に上がり携帯電話や書類などを押収。会社でも捜査員らはロッカーなどを手あたり次第に開け、書類やパソコンなど、業務用・個人用を問わずすべてを押収した。「メンテナンスのための設計図や仕様書なども持っていかれ、修繕などの注文に応じられなくなりました」(大川原社長)
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福島第1原発事故からまもなく12年。帰還困難区域の住民は、いまだに故郷に戻れないまま放置されている。昨年11月、避難者の一時帰宅に同行した福島在住のジャーナリスト、平舘英明さんに寄稿してもらった。(編集部)
福島県の浜通り(沿岸部)は空が広い。小高い丘の斜面から周囲を見渡すと、空の下一面に太陽光パネルが敷き詰められていた。12年前までは、視界の奥まで田畑が広がっていた土地だ。
「緑色の田園が黄金色に染まり、やがて白い雪に覆われる。子どもの頃から見慣れた故郷の風景はなくなった。寂しいね」
松本佳充さん(68)=郡山市在住=はそう語る。
松本さんの自宅は浪江町酒井地区(約60戸)にある。JR常磐線浪江駅から2㌔ほどの距離だ。時おり車は通過するものの、住宅につながる道の入口にはバリケードが設置され、人かげはない。酒井地区は、今も立ち入りが制限されている帰還困難区域だ。
松本さんは酒井地区に約2㌶の田畑を所有していた。農地は原発事故後、荒れたまま放置された。原野化した田んぼは元に戻せない。2016年、大手電機メーカーから「太陽光発電のために土地を貸してほしい」との話があり、農業を断念した地区一帯は農地を雑種地に変更した。除染はせずに田んぼの土を30㌢ほど掘り起したのち、20年契約で太陽光パネルの設置を了承した。
松本さんの自宅敷地に足を踏み入れると、蔵は倒壊していた。自宅の瓦屋根は崩れかけ、室内はイノシシに荒らされ、野生動物の糞尿などで汚れていた。
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ロシアのプーチン大統領がウクライナは旧ソ連から勝手に独立し、ナチス国家になっているから、そんな連中を一掃して取り戻すと称して特別軍事作戦という名の侵略を始めたのが昨年2月24日。あれから1年、ウクライナ全土が無差別爆撃され、人々が混乱の極に陥れられていることは既知の通りである。
目論見通りに進んでいないことから何とか戦果を挙げようとして総攻撃を仕掛けている。世界のみんなが声を上げて一日も早く戦争をやめさせなければならない。プーチン大統領はなぜ24日に侵略を始めたのか。なぜその日にこだわったのか。
それはウクライナが1989年8月24日に旧ソ連から独立を宣言し、実際に独立したのが91年8月24日だったからだ。ロシアの軍事力をもって2月24日に侵攻を開始すれば3カ月後の5月24日には首都キーウを制圧し、さらに3カ月後の因縁の8月24日にはウクライナ全土を取り戻すことができると考えたからである。しかし、ウクライナの抵抗が予想以上で苦戦を強いられているのが現実で、焦ってとんでもないことをやりかねないのが今である。
ウクライナのゼレンスキー大統領によれば、戦死した軍人・兵士は1万から1万3千人くらいとのことだが、実際は5万~10万人という推測もある。国連高等弁務官事務所によると、ウクライナ国民の3割を超える人たちが国内外に避難を余儀なくされ、子ども500人を含む市民約7千人以上が死亡し、負傷者は約1万1千人、実際はもっと多いという注釈付きで発表している。
一方、ロシア軍戦死者についてウクライナ国防相は約13万8千人、「ニューズウイーク」は約13万3千人、「ニューヨークタイムズ」はアメリカ政府の推計として約20万人、独立系調査組織「紛争情報チーム」は少なくとも10万人、最大27万人としている。これは旧ソ連が79年12月に軍事侵攻したものの、ついに勝てず89年3月に撤退したアフガニスタン戦争での約1万4千人をはるかに超える。
この失敗が東ドイツ市民による民主化を求める闘いとともに、ソ連と東ドイツなど社会主義諸国全体が崩壊する要因になった。ロシアとして再生の道を歩もうとしたものの険しく、かつてアメリカと世界の覇権を競ったことなど昔話になってしまったことはプーチン大統領も知っているだろうに、戦争を始めると、冷静な判断も人道的判断もできなくなってしまう。戦争とはそういうものである。
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「浪江町の面積の8割が帰還困難区域なんですよ。もともと2万1000人余りの割と大きな町だったんですが、2万人ほどがいろいろな所に散り散りになってしまいました」。浪江町の希望の牧場(吉沢牧場)を経営する吉沢正巳さんの話を続ける。
「今、浪江の人たちは二重住民状態です。いわき市や郡山市、福島市などに土地を買って家を建てていても、住民票は浪江町のままなんです。避難民は今のところ特別扱いが続いていますからね。高速道路が無料だったり、医療費が無料だったり。ただ、これも近いうちに終わるでしょう。その時に住民票をどうするか、となるんですよね」と吉沢さんは顔を曇らせた。
一方、「特定復興再生拠点区域」では道路や建物の整備が進む。新たに建設された浪江町役場の周辺には、ショッピングセンターやホテル、道の駅なみえなど、真新しい建物が立ち並んでいた。
「役場は一生懸命に復興計画を立てています。隣の双葉町もすごかったでしょ。国道を通るたびに大規模工事に目を奪われます。伝承館みたいな建物はインパクトがありますよね。今は全国の見学者がバスなどで訪れます。そこから請戸小学校に行き、請戸漁港に行き、道の駅なみえに行ってお昼を食べてお土産を買うという観光コースになっています」と吉沢さん。
原発事故後は帰還困難区域となっている津島地区も、除染された一部エリアに役場支所が建設され、それに隣接して20棟ほどの「復興団地」が建設されている。町の計画では、そこに住民を呼び戻してミニタウンとするらしい。吉沢さんは「買い物する場所もなく、医者もいないのに津島の人をコチャっと住まわせて、それが国道沿いの復興の絵面になるんですよね」と言う。「道路沿いなど目立つ所に、立派な建物やミニタウンをアリバイ的に造る。さも復興が進んでいるという絵になるでしょうよ。感動的なうるわしい記事もそこで生まれていくんです」
吉沢さんによると避難解除後、役場近くに90代の祖父の面倒を見ている50代の娘さんが戻ってきたそうだ。だが、介護に疲れた娘さんが祖父を殺し、自身も自殺した。役場近くでありながら発見されたのは数カ月後だったという。「仮設診療所に来ていた医師に言われました。まだ避難民は避難先にいた方が良いと。浪江町に戻ってきても、病院も介護施設もなく、万が一のことがあっても誰も責任を取れない、とね」
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2012年から16年までの5年間、私の主な取材先はシリアだった。首都ダマスカスへ直接空路で入るのは無理。アサド政権下にあるので、見つかればよくて追い返されるか、最悪は投獄ないし殺害されかねない。シリアの南方ヨルダンからも、西方レバノンからも、国境を越えればそこにアサド軍がいるので無理だ。唯一のルートは北方から、つまりトルコのイスタンブールに飛んで国内線でハタイ県のアンタキヤまで飛ぶ。この街で反体制派・自由シリア軍のメンバーと落ち合って、治安状況やIS(イスラム国)の出没状況、内戦のアップデート情報を仕入れて、激戦地アレッポを目指すのが標準パターンだった。
12年は暗闇の中、「秘密の抜け穴」を通ってシリア・イドリブ県に入った。国境は広大なオリーブ畑で、畑の中の道なき道を行く。所どころにトルコ国境警備隊の監視塔があり、サーチライトが回っている。あれに見つかれば、最悪の場合、投獄だ。
暗闇を進むと突如として金網のフェンスが現れる。月明かりの中をフェンス沿いに行くと、一カ所大きな穴が空いている。その向こうには母と子。今まさにシリアからトルコに抜けようとする難民だった。難民親子がこちら側に、私は向こう側に進む。穴を抜けてオリーブ畑をさらに行くと暗闇の中に兵士2人がいた。「サラームアレイコム(ようこそ)」。彼らと暗闇を走る。木陰にランドクルーザーが止まっている。それに乗り込んで急発進。シリア側のアトマ村に入る。この村からアレッポまでは約60㌔。静かな村の目と鼻の先で、血で血を洗う壮絶な内戦が繰り広げられていた。兵士の溜まり場でごろ寝。「タンタンタン」と乾いた銃声が響く。戦闘ではなく自由シリア軍に志願する若者たちの訓練だった。
翌朝、アトマ村を出てアレッポを目指す。オリーブ畑が広大な避難民キャンプになっている。延々と続くテント。アレッポでの取材の模様はDVD「シリア内戦・イスラム国の正体を暴く」にまとめているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。
さて、ここではこのアトマ村まで逃げてきた避難民たちについて述べたい。
彼らはアレッポやホムスから命からがら逃げてきた人々で、トルコが正式な国境、バーブルハワーを閉ざしてしまったので、この村に滞留しているのだ。冬には気温が氷点下になるこの地に、薄汚れたテント1枚で寒さをしのいでいる。
トルコから現地NGOのトラックが戦火をくぐり抜けてやって来る。そのトラックだけが頼りの生活。やがてシリア内戦にロシア軍(悪名高いワグネルも)が介入し、アレッポやホムスは徹底的に破壊され、内戦は自由シリア軍の敗北に終わる。彼ら大量の避難民たちはやがて忘れられた存在となり、アサド政権は生き残った。正義など何もない「残酷に殺したもの勝ち」の戦争だった。
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2023年のスタートを飾る「うずみ火講座」は1月28日、大阪市北区のPLP会館で開講した。講師は、昨年7月から1カ月ウクライナ南部の都市オデーサに滞在して現地の人々を取材した映像ジャーナリストの玉本英子さん。「ウクライナ南部 戦時下の人びとは今」と題して、ロシア軍まで4㌔の前線の様子やロシア軍からのミサイル攻撃による被害者などを現地で撮影した映像とともに紹介した。 (矢野宏)
オデーサは黒海に面した港湾の街で、ウクライナで3番目に大きな100万人都市。戦時下だが、市民は普通の暮らしを送っているようにみえる。だが、玉本さんが取材中、突然、爆発音が鳴り響き、防空サイレンが鳴った。
オデーサから車で2時間、セルヒーフカに着いた。保養地として知られているのどかな街に昨年7月1日夜、ロシア軍のミサイル攻撃があった。9階建ての鉄筋コンクリートのアパートは壁が崩れ、22人が死亡、40人近くが負傷したという。
4階に住んでいたローマン・ボシュヴァンさん(36)はたまたま奥の浴室で子犬を洗っていて助かった。だが、階下に住む60代女性は腕を失い、ほどなく息絶えた。遊んでいる姿をよく見かけた子どもの遺体も見た。頭が半分なかった。「ここは普通の住民が暮らすアパートだ。なぜ、市民を攻撃するのか」と、ローマンさんは怒りを抑えきれない。
1階住んでいたリュドミラ・チェバンさん(43)は4歳の息子サーシャちゃんとがれきの下敷きになった。隣人や救助隊に助け出され、妊娠中だったが、おなかの赤ちゃんとともに無事だった。リュドミラさんが玉本さんを案内して中に入ろうとすると、サーシャちゃんが突然、泣き出した。「みんなバラバラになるよ」
相次ぐミサイル攻撃や砲撃で、心に傷を負った子どもたちも少なくない。セラピストは「心の傷は一生なくなることはない。早めのメンタルケアが必要だ」と訴える。
玉本さんは防弾ベストとヘルメットを着用し、前線地帯の村ミコライウへ向かった。ロシア軍陣地から4㌔の地点。偵察部隊の任務はドローンを飛ばしてロシア軍陣地を撮影し、後方の砲兵部隊に情報を伝えること。砲兵部隊はその情報をもとに移動式ミサイルで攻撃するのだという。
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「敵基地攻撃能力」の保有を認めた安保3文書改定が閣議決定されて1カ月足らず、防衛省は鹿児島県西之表市の馬毛島で「馬毛島自衛隊基地」の本体工事に着工した。南西諸島を対中国の防壁にする「南西シフト」の一環で、日米が共同使用する巨大軍事基地を目指す。建設反対を訴える前西之表市議の和田香穂里さんが2月3日、大阪市西区で開かれた「連帯ユニオン議員ネット大会」で問題点を報告した。 (矢野宏)
馬毛島は、種子島の西方11㌔にある無人島で、面積は約8平方㌔、周囲約16㌔。周辺は豊かな漁場で「宝の島」と呼ばれている。
防衛省が西之表市に示した自衛隊基地計画は、当初の米空母艦載機の離発着訓練(FCLP)にとどまらず、島全体を軍事要塞化する巨大基地建設だった。
「島しょ部に対する攻撃への対処等のため、南西地域に自衛隊の活動場所が必要」として、滑走路2本と弾薬庫、ステルス戦闘機F35Bを搭載する護衛艦「いずも」「かが」や米空母も着岸できる巨大な港を整備するという。陸海空の自衛隊が使用する初の基地で、米軍との一体化も加速する
米軍のFCLPは年20日程度で計5356回、午前11時から深夜3時まで行い、自衛隊も年130日実施するという。日米合わせると、年間150日に及ぶ。馬毛島と西之表市とは11㌔しか離れていない。
しかも、硫黄島(東京都)で行われているFCLPに必要な滑走路建設を先行し、早ければ2025年にも運用を始めるという。
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東日本大震災から12年となるのを前に、被災地を舞台にしたドキュメンタリー映画が相次いで公開される。津波で多くの児童が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の遺族らを追った「『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち」(寺田和弘監督)、同県気仙沼市の民宿に集う人々を描いた「ただいま、つなかん」(風間研介監督)だ。(栗原佳子)
震災の津波で全校児童の7割に相当する74人の児童と10人の教職員が亡くなった大川小。寺田監督は、震災直後から遺族が撮り続けた膨大な記録映像をベースに、真実を知るためにやむにやまれず裁判に挑んだ親たちの姿を描いた。
2011年3月11日、児童たちは地震直後から校庭に整列して待機。50分後、「三角地帯」と呼ばれる橋のたもとに移動を始めたところ、堤防を乗り越えた津波にのみ込まれた。学校管理下で起きた戦後最悪の事故だった。
ラジオや行政の防災無線で津波情報は学校側にも伝わり、スクールバスも待機していた。走れば1分の裏山もあった。14年3月、犠牲となった児童74人のうち23人の親(19家族)が原告となり、市と県を相手取り、約23億円の損害賠償を求めて提訴した。16年10月の仙台地裁判決は「津波到来を遅くとも7分前までに予見でき、児童は裏山に避難が可能だった」として教師らの過失を認定。18年4月の仙台高裁はさらに踏み込み、市や市教委、校長、教頭らの組織的過失を認定し、約14億円の支払いを命じた。防災の重要性を示した画期的な判決で、19年10月、最高裁は市や県側の上告を棄却、確定した。
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「ただいま、つなかん」は宮城県気仙沼市唐桑町の民宿の女将と、この地に移り住んだ若者たちの思いを紡いだ物語。テレビ番組の取材で10年以上、悲喜こもごもを記録してきた風間研介さんが、新たな映像を加え、初の長編ドキュメンタリー映画にした。
太平洋に突き出した唐桑半島、その付け根に鮪立(しびだち)という小さな港町がある。入り江を見下ろす高台に建つ「唐桑御殿つなかん」は3階建ての立派な入母屋造り。「唐桑御殿」とは遠洋マグロ漁業の基地として栄えたこの地域で、漁師たちが競うように建てた大きな家を称していう。「つなかん」は鮪(ツナ)と女将の菅野一代(かんの・いちよ)さんの菅(カン)からのネーミングだ。
12年前の3月11日、唐桑半島には20㍍の大津波が襲来。一代さんが夫、和享(かずたか)さんと営むカキ養殖の作業所やイカダは全て流された。自宅も3階まで浸水、全壊判定を受けた。取り壊す予定だったが、数カ月後、学生ボランティアの拠点として開放。半年間で延べ500人を受け入れた。一代さんは「皆がいつでも帰って来られるように」と改修を決め、13年秋、自宅は民宿として生まれ変わった。
……
2022年の出生数は77万人と統計開始以降「最少」となる見通しです。
深刻な影響 少子化により就業人口が減少。わが国は内需への依存が高いので、高齢化も進み、国内市場に消費量の減少と質の変化が現れます。人口が減少し、年金に依存する高齢者も増え、消費に投じるお金が少なくなってきます。
一方で、若い就業者数の減少は製造現場などを中心に人手不足が顕著です。すでに製造業の就業者数は、02年に1202万人だったのが、21年には1045万人と157万人も減少しています。高齢化もあり、技術の承継も困難に。
また、IT分野の人材不足も目立っており、技術の進歩も速く、人材供給が追いつけない状態です。新聞やTVなどマスメディアも存亡の危機にあります。メディアの多様化や若者が新聞を読まない傾向も拍車をかけ、広告収入の激減や宅配制度の維持などが課題に。物流分野も深刻です。宅配便の増加や地方の過疎化も災いし、24年から実施される「時間外労働の上限規制」もあり、ドライバー不足が深刻化しています。
公共インフラの維持も悩みの種。道路や橋梁などの維持補修に加え、水道・ガス・電気などの採算も悪化。過疎地域の拡大や地方財政の悪化も拍車をかけ、市町村単位から地域相互、都道府県単位へと広域連携の動きが高まっています。消防や救急医療、はてはゴミ収集までも先行きが懸念され、医療体制や教育分野、警察や自衛隊なども根本からの見直しが迫られています。
直近の対策
①人材の有効活用 非正規労働を廃止し、労働時間を選択する働き方が必要です。定年も70歳に延長し、体力やエネルギーを必要とする分野は若い人たちに任せ、経験や勘といった「知的財産」を生かす方法も検討してはいかがでしょう。
デジタル化できない産業分野も多いかと。その典型は農業・畜産業・林業・漁業など、第一次産業。モノづくりの分野でも、環境や条件が刻々と変化しており、豊かな経験や勘が欠かせません。農業・林業・漁業などは地域ごとに公社を設立し、耕作放棄地や放置された山々などを生かす方策を検討し、若い人たちの就業を促進してみては? 雪かきなどに象徴されますが、高齢者や地元住民に託した地域の互助組織もヒントの一つです。
……
地域にお店がなくて、買物に困っ
ている高齢者らの買物支援をしよう
と公民館での「えぐち商店」のアイ
デアが生まれた。実は、このアイデ
アを出したのは艶子さん。職員、ボ
ランティアの方々に話して「いいん
じゃない」となって、実行に移した
という。
「えぐち商店」の原点は、読谷村
楚辺の実家で母がやっていたマチヤ
グヮー(商店)。近所のおばあちゃ
んが来て、店の前でゆんたく(おし
ゃべり)。母がいないとき、店番も。
それを見ていた。
ひらがなにしたわけは
「えぐち商店」とひらがなにした
わけは母親がやってたマチヤグヮー
の素朴な親しみやすいイメージ。み
んなが集う、駄菓子屋風。それであ
えてひらがなにした。みなさんに受
け入れられるように。
……
伊藤大輔監督『新版大岡政談』は1928(昭和3)年に上映された。大河内伝次郎の当たり役となった隻眼隻手の丹下左膳は主命で刀を探していたが主君に裏切られ、絶望の果てに多くの人を斬り、道場の娘弥生を道連れに憤死する。テンポのいいストーリー展開と字幕が活きる。
裏切られた左膳に字幕が入る「おめでたいぞよ、丹下左膳」。凄まじい立ち廻りだ。大河内は強度の近眼で寸止めができない。なま身に当たらないと納得しないため、斬られ役は肩や胴に綿を入れておくのだが、生傷だらけになる。
この激しい立ち廻りは、並のカメラマンではフレームに収められない。唐沢弘光は手持ちカメラを駆使して縦横無尽に左膳と一緒に駆け回りながら乱闘シーンを活写し、外すことがなかった。時代劇の新境地といわれ、伊藤のあだ名は「移動大好き」(いとうだいすき)となるほどだった。新たな時代劇映画の醍醐味をよんだ。
関東大震災後の25(大正14)年5月、共産主義運動の激化の懸念などもあって治安維持法が公布された。伊藤の周りでも多くの友人達が投獄され、死に至る者も多かった。検閲は厳しく、言論弾圧は強くなり、ものがいえない時代となった。伊藤の映画は圧制者や権力者に反逆し、その中でやむをえず敗北する人物を描く。『下郎』『一殺多生剣』『斬人斬馬剣』など、封建制度の主従関係や仇討ちの矛盾、権力の横暴、虐げられる農民の叫びを聞いた。強い意志と魂を持ち、横暴な権力に抗っていく人々を代弁する伊藤の姿勢は戦前も戦後も変わることがなかった。竹中労は伊藤との対談のなかで、こう発言している。
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「歌手の氷川君おかしくなったねえ」。おかしくなった? 知人の言葉に違和感を持ちつつ「これまでしんどかったことでしょうね」と返しました。「私はああいうのは受け入れられない」と彼女は続けます。ここはうやむやにせず話そうと思いました。「私もちゃんと理解しているかと言われたら自信はないですが、男女という枠で苦しいと訴える人がいるのだから、その存在を認め理解しなくてはと思いますよね」
彼女は過去に女性から告白され、拒絶反応からその人との付き合いを一切断ったと話しました。私も若い頃にそうした経験をしました。その時は無知ゆえに過剰に反応してしまったと今なら思えます。
「その女性の思いを受け入れられないのは別に悪いことではないし、差別でもなんでもない。私の恋愛対象は男性だからと伝え、友人として付き合えばいいだけの話で」「そうか。でも私は認められないわ」「何で?」「だって社会の秩序が乱れるもの」
彼女はスポーツジムでの出来事を話し始めました。
見た目が男性のLGBTの人が、男性更衣室が苦痛だから女性更衣室で着替えたいと訴えてもめたというのです。「男性の姿で女性更衣室に来られても困るわ」だから秩序が乱れるというのです。
彼女には息子さんがいます。そこでちょっと視点を変えてみました。「息子さんがもしLGBTならどうですか? 母親として何とか理解しなくてはと思いませんか?」「うーん、そうかあ。それなら理解してやらないと、と思うよね」「私はもし自分の子どもだったらと考えるようにしているんです。子どもが苦しんでいる、社会から白い目で見られている。それはつらいなあと」「そうか、そういうことなんやね」。彼女は考え込みました。
「社会が変わってしまう」。首相が平然と発言する国が、世界的な流れから遅れるのは当然かもしれません。男女にこだわる人たちは「社会が変わる」「秩序が乱れる」など同じ言葉を繰り返します。戦略的に誘導している人たちがいるのかもしれませんが、抵抗感のある人たちに刺さる言葉であることは間違いないようです。けれど認めたらほんとに社会は乱れるでしょうか。
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南西諸島の軍備増強
元学徒はどう見たか
奈良県大和郡山市 吉松郁美
新聞うずみ火2月号を手に取り、「中山きくさん逝く」の見出しにびっくりしました。お会いしたことはないのですが、うずみ火のこれまでの記事を読み、身近に感じていました。
昔、勤めていた病院の研修で「観光でない沖縄」ツアーに参加したことがありました。さまざまな慰霊碑の前で地元の方から説明を受けましたが、「ひめゆりの塔」の前で米軍から払い下げられたであろう軍服や軍靴などを売っていたことに腹が立ったのを覚えています。
今は「辺野古基地反対」のポスターを自室ドアに張り、少しばかりのカンパをしているのみで、中山さんには申し訳ないです。南西諸島での軍備増強をどう見ておられたのか。再び沖縄で戦争が繰り返されるのではと不安だったでしょうね。ご冥福をお祈りします。
(今年も沖縄慰霊の集いを行う予定です。白梅の塔の前で中山さんにお会いできないのは寂しい限りですが、その遺志を受け継いで反戦を訴え続けます)
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昨年3月末に介助犬ニコル君が無事引退してから1年近く過ぎた。ボランティアのお宅で元気に新しい生活を送っており、時々、送ってもらう写真やビデオを見て安心している。ドッグランや川遊びなど、介助犬時代には行けなかったところにも連れていってもらっている。そんなニコル君がいなくなって寂しい日々を送っていた。だが、寂しいとばかり言ってられない。介助犬協会には二代目介助犬を希望していたので、昨年から一緒に練習することになった。
どの介助犬も同じだろうと思っていたが、これが大間違い。同じ生活環境で育ち、同じように訓練されたはずの二代目君はまたひと味違う。それに、自分自身もニコル君との8年間の生活の中で癖があることがわかり、修正しなければならなかった。梅雨や夏の暑さに四苦八苦しながら、少しずつ進めていった。夏場は肉球をアスファルトでやけどすることがあるので、短い時間の中で歩き方や二代目君のクセを体感して覚えていった。
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谷川俊太郎さんの絵本は、昨年『あな』を取り上げました。和田誠さんとのコンビでした。今回は、長新太さんとの『わたし』を紹介します。
表紙には一人のおかっぱの女の子。表紙を開くと、左には「わたし」。右のページには「おとこのこからみるとおんなのこ」と続く。ページをめくるたびに、左には「わたし」、右には「あかちゃんからみるとおねえちゃん」「おにいちゃんからみるといもうと」「おかあさんからみるとむすめのみちこ」「おとうさんからみてもむすめのみちこ」と続く。右のページにいるのは、おばあさん・さっちゃん・先生・あり・きりん・外国人・
宇宙人・おもちゃ屋さん・どこかのみちこちゃんと様々。そして最後は、歩行者天国では……で終わっている。
それぞれの人や生き物から見た「わたし」ですが、実体は一緒でも相手によって呼称が変わっていきます。多くの呼称があっても「わたし」はわたしなのに。
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4月9日投開票の大阪府知事選と大阪市長選をめぐり、法学者の谷口真由美氏が知事選に、自民党の大阪市議の北野妙子氏が市長選に、それぞれ立候補する意向を表明した。北野氏はいわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で反対派の中心として活動。自民党を離党し無所属で立候補する。知事選には、現職の吉村知事が再選を目指しており、元参院議員の辰巳孝太郎氏も無所属での立候補を表明している。また、市長選では維新が府議の横山英幸氏を擁立することを決めた。▼大阪では2011年から維新が知事と市長のツートップを押さえているが、私たちの暮らしは良くなったとは思えない。府民の生活の直結した医療・福祉・教育・中小企業対策を削減したことで大阪経済は停滞し、格差と貧困が拡大した。その打開策として打ち出したのが「都構想」と夢洲カジノ誘致だ。しかも維新の政治手法は、嘘で失政を隠し、実績を誇張することで「改革者」として振る舞うこと。1月29日のNHK「日曜討論」で「0歳から大学までの無償化は大阪限定ですが、実現しました」と発言していたが、私立高校で無償化なのは授業料のみで所得制限もある。▼コロナ死者数は2月21日現在で、東京7914人に対し大阪は8321人。命と経済を天秤にかける政治は終わりにするためにも、市長を奪回しなければならない。そのためには投票率を上げること。「都構想」の住民投票のように60%を超えないと勝てない。そして沖縄の闘いに学ぶこと。「小異は捨てて大同につく」とのことわざがあるが、捨てなくていい。小異は置いて大同につこう。さらには争点を鮮明にすること。カジノに賛成か反対か。そして教育。北野市長、久保敬教育長が実現しないかなあ。(矢)
1月16日(月)
新聞うずみ火が編集したブックレット「大阪IR・カジノ誘致を止める次の一手」100冊がせせらぎ出版から届く。嘘で塗り固められた夢洲カジノの実態を知ってほしい。
1月17日(火)
阪神・淡路大震災から28年。矢野は午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼集会で黙とう・取材した後、栗原と関空から沖縄入り。午後、那覇市内で営まれた元白梅学徒隊の中山きくさんの告別式に参列。午後、南風原町へ。中山さんとともに「元全学徒の会」共同代表の與座章健さんから16歳で動員された沖縄戦の話を聞く。
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フリージャーナリスト西谷文和さんが主宰する「路上のラジオ」と新聞うずみ火による「大阪市長選2023公開討論会」が3月13日(月)午後6時半から大阪市立淀川区民センターで開かれます。
大阪市長選には、これまでに、自民党の大阪市議の北野妙子氏が無所属で立候補する意向を表明しているほか、大阪維新の会が府議の横山英幸氏の擁立を決めています。
公開討論会に先立ち、立候補を予定されている2人に公開質問状を郵送しました。
質問は三つ。
まず、29年に開業が予定されている夢洲地区でのIR(カジノを含む統合リゾート)について、①予定通り開業させたい②懸念事項があるので中止させたい③夢洲IRについて賛否を問う住民投票を行い、その結果に従いたい――と尋ねています。
2問目は、25年に開催が予定されている大阪・関西万博について、①予定通り夢洲で開催したい②夢洲での開催は問題があるので、別の場所で開催したい③中止させたいか、どうか。
最後に、大阪市政に関することで訴えたいことを400字以内でお願いしました。当日は、この質問以外にさまざまな街の問題について議論する予定です。問い合わせは「路上のラジオ」(06・6170・4757)まで。
まもなく新型コロナウイルスが流行して4回目の春。収束にはまだ時間がかかりそうですが、会える時にお会いしたいので、お花見集いを開きます。
4月8日(土)正午~大阪城公園にある教育塔の東側。大阪の満開日は3月31日と予想されていますが、桜の花びらが散る中で出会いと再会を楽しみましょう。お弁当や飲み物は各自ご持参ください。
最寄り駅は地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」で、徒歩10分です。
1週間後の4月15日(土)には、在日朝鮮人研究家の塚崎昌之さんを囲んでの学習会「塚崎塾」のフィールドワークを大阪城公園内で行います。
大阪城の東部には東洋一の軍需工場と言われた「大阪砲兵工廠」がありました。敗戦前日の大空襲で破壊されましたが、現存する建物も残っています。塚崎さんに解説していただきます。
集合時間は午前10時。場所など詳細については次号でお知らせします。