新聞うずみ火 最新号

2022年6月号(NO.200)

  • 1面~3面 大阪IR住民投票ラストスパート カジノ反対「市民力」示せ(矢野宏)

    大阪府・市が誘致を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)の是非を問う住民投票を実施するよう求める署名活動の収集期間(5月25日まで)が迫ってきた。活動主体の市民団体「カジノの是非は府民が決める 住民投票をもとめる会」や協力する市民らは目標の15万筆分の署名を達成するためにラストスパート。「もとめる会」事務局の中には「二度の『大阪都構想』を退けた時のような勢いが出てきた」と手応えを感じる人もいる。(矢野宏)

    大阪市中央区谷町のターネンビル2階に市民団体「もとめる会」事務局がある。フロアの壁には「止めようカジノ 住民投票の実現を」と書かれたのぼりが立てかけられ、署名を呼びかける何種類ものチラシが貼ってある。

    ラストスパートに入った5月19日。署名に来る人はもちろん、チラシや署名簿を取りに来る人、集めた署名簿を届けに来る人など、ひっきりなしに市民が出入りしていた。

    対応にあたる石田冨美枝さん(70)=大阪市阿倍野区=は、「残り10日を切ったあたりから勢いが出てきた」と振り返る。「先日も『メディアが住民投票を報道しないから新聞の折り込みに入れてもらう』と、40代の女性がチラシを4000枚受け取りに来ました」

    数日前には、大阪市内の女性が「ただひたすら(住民投票の)成功を祈っています」と言って現金100万円を持参した。事務局では、署名があまり集まっていない大阪市平野区と大正区、堺市中区と西区で、全国紙の朝刊5紙に折り込みチラシを入れることにした。

    石田さんは2020年11月に2回目の「大阪都構想」の住民投票が行われた時、ターネンビル2階にあった「市民交流会」の事務局に詰めていた。

    「ここに来る市民の皆さんは、動員された人たちではありません。自分で考え、決心し、行動している。だから行動が早いのです。二度目の『都構想』の時と同じような『市民力』の勢いを感じています」

    署名活動がスタートしたのは3月25日。「もとめる会」が発足して1カ月後のこと。

    カジノ誘致を問う横浜市の住民投票などと比べて十分な準備期間を持てなかったのは、大阪維新の会が多数を占める府・市議会でIRの区域整備計画案が承認されるのを見越してのこと。提出期限の4月28日までに申請、国に認定されれば、カジノ事業舎と実施協定が結ばれるのも早いかもしれない。その前に世論を動かさなければ手遅れになるとの危機感からだ。

    案の定、区域整備計画は3月の府・市議会で維新と公明の賛成多数で可決、国に受理された。今後、国の審査を経て、認定されれば日本初となるカジノが大阪に設置されることになる。認可は今秋以降と見込まれている。

    署名活動の収集は5月25日までの62日間で、府内有権者の50分の1(約15万人)の署名(法定数)を集めなければならない。法定数が集まれば、住民投票実施の条例案を吉村洋文知事に直接請求できる。

    署名集めができるのは、知事から証明書を交付された「請求代表者」と、請求代表者から署名収集を委任された「受任者」に限られる。署名活動がスタートすると請求代表者(50人)は増やせないが、受任者はいくらでも増やすことができる。受任者をいかに増やすかが成否のカギを握ると言われている。ただ、請求代表者は72地域のすべての有権者から署名を集めることができるが、受任者は自身が居住する市町村と行政区の有権者からしか集められないなどの制約がある。

    「もとめる会」事務局によると、5月18日時点の署名総数は8万8353筆で法定数の60・2%にとどまるが、18日集約の2日間で1万1575筆と署名数が急増している。受任者数も目標の1万人に迫る7022人と、2日間で128人も増えた。署名集めに苦戦しているというより、事務局ですべての署名が集約できていないのだ。

    というのも、この署名は各選挙管理委員会単位で集めることになっている。府内43市町村のうち、政令指定都市の大阪市と堺市はそれぞれ24区と7区に分かれているので、選管は計72ある。

    活動期間も残り5日となり、地域間で開きが出てきた。18日の時点で、法定数を突破したのは、大阪市内では西淀川区や東成区、城東区、住吉区の4区、府下では寝屋川市、富田林市、高槻市、大東市、四条畷市、大阪狭山市、能勢町、河南町、千早赤阪村の九つの市町村で計13地域。

    一方で、大阪市大正区は18日夜、ようやく「受任者交流会」を開催できた。17日時点で世話人の菊井順一さん(73)に手元に届いた署名数は120筆で、大正区の法定数(1078人)の1割ほどだった。

  • 4面~5面 阪神高速淀川左岸線工事に暗雲 住宅のひび割れ続出(粟野仁雄)

    5月6日付の毎日新聞朝刊に社会面トップで「『万博道 工事』民家に亀裂」との見出しで詳細な記事が掲載された。執筆した野田樹記者に電話して現場を教えてもらい、10日に訪れた。
     阪急中津駅から淀川の堤防へ向かって北西に歩く。新十三大橋の少し下、大阪市水道局の配水場近くの住宅街が現場だ。北区大淀北1丁目。目の前の堤防は市民憩いの場の淀川河川公園のはずだが、立ち入り禁止だ。
     堤防に面した住宅や工場と堤防の間には長大な白い鉄板が建てられ、工事が見えないようになっている。鉄板の向こうには巨大なボーリング装置がそびえている。
     被害といっても家がつぶれているわけではなく、現場では大きな工場に挟まれた被害宅がわからない。たまたま自転車を停めようとした男性に聞くと「新聞に出とったんはこのうちや」と教えてくれた。呼び鈴を押してくれると70代の女性Iさんが出てきてくれ、話を聞くことができた。
    「今は少しましになったけど、毎日すごい振動で地震みたいでした。ドカーン、ドカーンとすごかった。そのたびに家がガタガタ揺れた」と振り返る。案内されて見ると、庭石と門の土台の間のセメントに亀裂が入り、門も少し傾いている。花壇のブロックはひびが入り、工事業者が鉄板でブロックをつないで応急処置した部分もあった。
     「うちだけやなくてもっと奥の方の家の人も被害を受けていますよ」とIさんは怒っていた。「築50年だから、家本体にひびなんかが入っているかもしれない。地震が来たら怖い。熊谷組に連絡したら業者さんは、『後で元に戻しますから』と言って鉄板で応急処置したりしていました。家の中も調査したけど、大丈夫とも危ないとも言わないんですよ」と不安そうだ。 
     女性宅を教えてくれた男性も「この辺の家は軒並みやられてますわ」と訴えていた。

     住宅のひび割れは、明らかに堤防下を通す阪神高速道淀川左岸線(地下トンネル)の工事の影響だった。
     3月2日に松井一郎・大阪市長は「淀川左岸の周辺住民に被害を及ぼすことがはっきりしたわけではないが、リスクが指摘されるようになった。市民にリスクがないようにしたい」と因果関係を完全には認めなかった。しかし、市の調査では住宅5棟でひび割れなど同じような被害が見つかり、工事を中断しているという。
     現場の地盤が非常に弱いために工事では太い杭を打って強化してきたが、予想以上に軟弱だったことが判明し、さらに杭を増やして工事を進めていた。
     ひび割れはこの際の振動が原因とみられている。このため、工法をコンクリートの注入などに変更する予定だが、工期は遅れる可能性が出ている。もちろん、それだけ予算はオーバーする。

  • 6面 「うずみ火講座」森さん講演 「夢洲整備で大阪破たん」(矢野宏)

    カジノを含むIR=統合型リゾート施設について、大阪府・市が国に提出した区域整備計画が受理された。5月7日に大阪市北区で開講した「うずみ火講座」で、府・市がカジノ事業者と契約した基本協定書を精査した立命館大の森裕之教授(地方財政論)が「カジノ、夢洲整備で大阪は破たんする」と題して講演、「夢洲整備は大阪市の史上最大の財政リスクとなる」と訴えた。(矢野宏)
    4月24日に夢洲に入った森さんは、土砂の埋め立てが急ピッチで進む様子を写真で紹介。「ごみを埋めるための人工島なのに、新しい土砂を買ってきて埋め立てています。汚染土壌が見つかるたびに掘り起こし、埋め直さなければならない。まさに税金の無駄遣いです」と指摘した。
     夢洲整備のコストについて、森さんは一言。「想像がつきません」と切り出し、こう説明する。担当部局の大阪港湾局が把握している1141億円には、IR予定地の対策費788億円が入っていない。阪神高速道路淀川左岸線工事についても、土壌汚染対策費などで1756億円(一部国が負担)かかるほか、1000億円の増額が見込まれている。
     また、大阪メトロ延伸部の地中障害物撤去などで96億円、夢洲駅の施設整備などで63億円かかる。「現時点でわかっているだけでも大阪市の負担は4000億円を超えます」という森さんだが、市の財政負担はさらに膨らむという。
     まず、基本協定書でカジノ事業者と交わした788億円の債務負担行為(後年度に自治体が財政負担する予算を約束すること)。通常の公共事業では自治体がより安く抑えるため入札が義務づけられているが、今回はカジノ事業者との「随意契約」だから適正価格で事業が行われる保証はないという。
     「カジノ事業者が『できるだけ安くして』なんて言うわけがない。費用は大阪市がすべて出してくれるのだから、自分たちが関係する業者を選ぶはず。『なんぼでも出したるわ』となり、大阪市の公金はどんどんカジノ関連企業に流れていくでしょう」
     さらに、夢洲整備の土地課題の対象は、地中障害物撤去、土壌汚染、液状化の三つなのに、基本協定書の中には地盤沈下対策費も含まれており、大阪市が負担することになっているという。「夢洲は超軟弱地盤で、地盤沈下に加え、液状化が生じた場合は技術的にも未知だとされています。1本1億円ほどの杭をいくら打っても建物の安全は担保できません」
     森さんは言う。「これまでに経験のない地盤沈下対策に膨大な土壌汚染対策、カジノ事業者への土地課題対策事業などの夢洲整備は、大阪市にとって史上最大の財政リスクとなるでしょう。そのツケは府民や市民にとって必要な公共サービスや公共事業の削減となって顕在化するではないでしょうか」

  • 7面 阪神大震災「初耳」の電話 母が引き合わせてくれた姉(矢野宏)

    兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(58)の母正子さん(当時65)は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で行方不明になった。母が住む神戸市須磨区大田町の実家は倒壊後、火に包まれた。焼け跡を掘り返したが、遺骨は見つからなかった。生きているのでは……消せない期待感が裏切られる中で、警察から連絡が入る。「お母さんにはもう一人、娘さんがいる」  (矢野宏)
    「きょう3月1日は母の誕生日なんです」
     車のハンドルを握る佐藤さんは、そう切り出した。
     「昭和4年生まれですから、生きていれば……93歳ですね」
     家族4人で暮らした実家跡を訪ねたあと、佐藤さんの運転する車で神戸市中央区を目指した。
     「母は若い頃から働き者でした。震災前日まで近所の花屋さんで働いていましたから」
     焼け跡から、愛用の自転車も出てきたという。
     その母が再婚だったと知るのは、震災から2カ月後のこと。警察から佐藤さんの異父姉が群馬県に住んでいることを告げられた。兄も初耳だったという。
     「母は最初の結婚で娘を生んだのですが、ほどなく離婚。姉は2歳半で養子に出されたそうです」
     佐藤さんの姉、斎藤礼子さん(70)は高校生の時に自分が養女であることを知ったという。子育ても落ち着き、実母を捜そうと思った矢先に阪神・淡路大震災が発生。突然、警察から電話が入った。「お母さんがそちらに行っていませんか」
     フロントガラスに打ちつけられた雨粒をワイパーが拭う。その向こう側に神戸市役所が見えてきた。
     「そういえば、あの日も雨が降っていました」

  • 8面~9面 「韓国人の悪感情」ウトロ放火 「憎悪犯罪」認定が焦点(栗原佳子)

    京都府宇治市のウトロ地区で昨年8月、7棟が全焼した火災で、非現住建造物等放火罪に問われた奈良県桜井市の無職、有本匠吾被告(22)の裁判が5月16日、京都地裁(増田啓祐裁判長)で始まり、有本被告は起訴事実を認めた。検察側は動機について「韓国人への悪感情があった」と主張。公判では特定の民族を標的としたヘイトクライム(憎悪犯罪)が認定されるかが大きな焦点となる。(新聞うずみ火 栗原佳子)

    ウトロ地区は太平洋戦争中、飛行場建設のため動員された朝鮮半島出身者らの「飯場」が原型。日本の敗戦後、放置された人々は、帰国の資金がないなど様々な事情で残留を余儀なくされた。

    ウトロの土地の所有権は、飛行場建設工事を請け負った国策会社「日本国際航空工業」の後身「日産車体」に引き継がれ、1987年には不動産会社「西日本殖産」に移った。同社は2年後、明け渡しを求めて住民を提訴。2000年に立ち退きを命じる判決が最高裁で確定した。

    住民や支援者は日本や韓国で実情を訴える活動を展開。日韓市民の募金や韓国政府の支援で住民たちは土地の一部を取得した。そこに国と府、市による公営住宅の建設が決まった。18年に1棟が完成し40世帯が集団移転、2棟目(12世帯)は来年完成する予定だ。公営住宅の隣には4月30日、地区の歩みを伝える「ウトロ平和祈念館」が開館したばかりだ。

    火災は祈念館着工を目前にした昨年8月30日午後4時頃に発生した。展示資料を保管していた倉庫など計7棟が全焼、資料40点余りも焼失した。当初、京都府警は「漏電による失火」と発表したが、昨年末、放火の疑いで有本被告が逮捕され事態は急転した。「ウトロ事件」1カ月前、名古屋市内の在日本大韓民国民団(民団)愛知県本部や隣接する名古屋韓国学校の排水管に放火した容疑で愛知県警に逮捕され、器物損壊などの罪で起訴されていた。

  • 10面~11面 沖縄・読谷村出身 大矢和枝さん 「復帰」行く末案じ続け(栗原佳子)

  • 12面~13面 ヤマケンのどないなっとんねん 薄っぺらな改憲・核共有論(山本健治)

    1972年5月15日、敗戦で米軍に占領されていた沖縄が返還された。あれから50年、あれこれ報道されたが、沖縄県民は冷めている。
     当時、佐藤栄作首相は「本土並み、核抜き」と言った。必ずしも「本土並み」が良いわけではないが、50年たっても県民の生活や社会は本土並みになっていない。それよりも何よりも米軍基地は70%を超えるものが依然として存在する。核についても疑問符がついたままである。
     私が関西ベ平連で活動していたこの頃、沖縄出身のT君が「江戸時代に薩摩藩が武力侵略し、明治維新では琉球処分して日本に組み込み、太平洋戦争末期、県民を見殺しにし、敗戦後はアメリカの好き放題にさせた日本に復帰しても何もいいことはない。沖縄は苦しくても独立国家になった方がいい」と怒っていたことを思い出す。
     ロシアのウクライナ侵略に便乗して改憲・防衛力強化を叫ぶのみならず、中国侵略・太平洋戦争の果てに広島・長崎に原爆投下され、甚大な犠牲と被害を受けたことを心に刻んで「非核三原則」を守ろうとしてきたにもかかわらず、そんな原則は状況に合わない、「核共有」議論を始めるべきだという声が安倍元首相、高市政調会長らから上がっている。
     核兵器の配備はせず、いざという時だけ共同使用するというが、そんなペーパー上の議論は戦争ごっこのレベルである。NATOでは核共有国が実際に核兵器を保管し、運搬することになっているから核保有国になるのと同じで、アメリカが応じたとして核兵器共有料が莫大になることは明白であるが、日本のどこで核兵器を保管するのか。結局は在日米軍基地のどこかという話になる。そうなると沖縄の可能性は高く、ロシア・中国・北朝鮮など日本が仮想敵国視している核保有国は核ミサイルの矛先を常に沖縄に向ける。またしても沖縄を犠牲にするのである。
     もちろん日本が核保有するのと同じだから、東京や大阪なども対象になり、抑止力どころか、日本は再び広島・長崎になるのである。沖縄はもちろん米軍基地が存在する地域は核の危機にさらされ不安にかられるだろう。核共有を叫ぶのなら安倍氏はまず地元の山口で賛成が得られるよう説得すべきであり、危険にさらす以上、自宅を米軍基地のある岩国に移して危険を共有すべきだろう。高市氏は地元の奈良の人たちを説得しなければならない。奈良に在日米軍基地を建設して核配備を引き受ける覚悟がいるし、自らもそこに身を置くべきである。そんなことを真剣に考えてもいないのに、いかにも祖国防衛のために戦う愛国主義者であるかのように叫ぶ軽薄さには反吐が出る。
     軽薄な政治家は大阪にもいる。ここ最近の選挙で連戦連勝し自民党や立憲を蹴散らしている維新は、今夏の参院選、来年の統一地方選、次の衆院選で立憲などをこえる勢力になろうとしている。松井・大阪市長は憲法審査会でもっと審議して改憲発議し、国民投票を早期実施すべきだと発言し、自民党はそれに乗って憲法審査会を動かし、5月11日新藤義孝自民党筆頭幹事はついに憲法9条改正議論を提起し、公明党北側一雄、維新の足立康史、国民民主代表の玉木雄一郎の各氏らも応じ、改憲の流れは一気に強まっている。
     松井市長は核共有論についても議論すべきで、その妨げとなる非核三原則は「昭和の発想」と言ってのけ、批判されると議論することが何が悪いと開き直り、吉村・大阪府知事も議論はすべきだと述べているが、大阪のどこで核配備を引き受けるのか。オスプレイ配備が問題になったとき、橋下徹氏は八尾空港で引き受けるとぶち上げたが、地元の反対と、そもそも技術的にできないとなってうやむやになった。沖縄基地軽減のため関空で引き受けるともぶちあげたが、これも口だけ。本気というのなら万博・IRより真剣に取り組むべきで、結局は票目当ての薄っぺらいパフォーマンスでしかない。

  • 14面~15面 アフガン最新報告 米軍兵器 タリバンの手に(西谷文和)

    2月のアフガニスタン、残雪が残る首都カブールにはタリバンの白い旗が林立していた。国道の検問所にはタリバン兵。兵士が肩から下げているのはアメリカ製のM16ライフル。乗っているのもアメリカのピックアップトラックだ。20年に渡る「テロとの戦い」、つまりタリバン掃討作戦に使われた兵器が、今やタリバンの手に渡り、住民を弾圧する道具になっている。アフガンルポ 最終回はそんな矛盾に満ちた現実をレポートする。

     2月17日、イブン・スーナ麻薬患者更生施設へ。世界の90%以上のケシを栽培しているアフガニスタン。カブールの街は麻薬常習者でいっぱいだ。彼らは主にカブール川の橋の下や道路沿いの側溝の中で暮らしている。
     「ケシ栽培で金を儲けて武器を買っている」。タリバンは西側政府からこのように批判され続けてきた。政権をとった今、その汚名を晴らすべく麻薬中毒患者一掃キャンペーンに取り組んでいるのだった。具体的にはタリバン警察がカブール川の橋下に住む中毒患者を一斉摘発してこの場所に連行し、解毒させて職業訓練を施した上で社会復帰させていくという計画だ。
     しかし、強制収容したものの、解毒させる医師や看護師、職業訓練する教師などに給料が支払えないので、単に収容しているだけになっている。「日本政府の援助で、職業訓練まで行えるようにしたい」。施設の責任者がカメラの前で訴える。施設では朝礼の真っ最中だった。タリバンの施設長が長い訓示を垂れる。数百人の患者たちが中腰になって聞いている。
     朝礼後に18歳の青年にインタビューしたが、支給されたのが薄手の収容服だけなので、毛布と厚手のセーターが欲しいと訴えた。カブールの冬は寒く、収容施設に暖房はないようだ。
     2月18日、最終日にようやくタリバン軍の取材許可が下りた。ヤルモック軍事基地への一本道はコンクリート壁で覆われている。何カ所かの鉄の門扉を通る。タリバン特殊部隊の兵士が鋭い目で私たちを観察している。基地の責任者にインタビューし、兵士の撮影はNGだったが、武器の撮影許可を取る。基地内部には大量の装甲車と戦車。兵士が持っているのはM16ライフルで装甲車に備え付けてあるのがM22マシンガン。これらは全て米軍が使用していたもの。
     2015年に治安権限が米軍からガニ政権に委譲される。その6年後、21年8月15日にガニ大統領が逃亡し、あっけなくカブール陥落。アフガン政府軍兵士は武器を捨てて逃げたので、米軍の武器は全てタリバンの物になった。当初は「タリバンを掃討するため」に使われていた武器が、今や「タリバン政権を支えるため、人々を弾圧するため」に使われている。これが「テロとの戦い20年」の無残な結末なのだ。
     私はロシアのウクライナへの侵略戦争とアフガニスタン戦争はよく似ていると考えている。旧ソ連がアフガニスタンを侵略したのが1979年。この戦争が大きな原因の一つでソ連は崩壊し、その結果、バルト3国やウクライナを失った。プーチンは「大ロシア主義者」で、かつての版図を取り戻そうとして無謀な戦争に踏み込んだ。アフガニスタンへの侵略も「ソ連の同盟国を維持しようと」して、クレムリンが無謀な戦争に踏み込み、撤退。その12年後に9・11テロが起きて「アメリカの正義」をかざしたブッシュが無謀なアフガン戦争に踏み込んでしまう。アフガン、イラクで疲弊したアメリカはイラクの民主化に失敗し、アフガニスタンでは元のタリバン政権に戻してしまった。つまり、米ロは自分たちの都合で一方的な戦争を始めて、結局は自国の国力を大きく削いでしまった。その意味でアフガン、ウクライナ、ロシア、アメリカは全て戦争敗者と言える。唯一の勝者は武器を売り、石油高騰で巨額のマネーをつかんだ軍産複合体と言えるのではないだろうか。

  • 16面~17面 フクシマ後の原子力 原発政策の追及これからも(高橋宏)

    本紙の創刊は2005年10月。私は創刊号からずっと核と原子力にこだわり続けてきた。「原子力とマスメディア」(6回)「核のゴミを追う」(6回)「今さら聞けない核の話」(41回)「今月の核」(48回)「原子力と人権」(48回)「ゴジラと憲法」(24回)、そして現在の「フクシマ後の原子力」に至るまでの連載記事を中心に、様々な角度から問題点を訴えてきた。
     創刊当初、日本は原子力大国、プルトニウム大国の道を突き進んでいた。1986年のチェルノブイリ原発事故、95年の高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故、国内初の死者を出した99年のJCO臨界事故、5名の死者と6名の重軽傷者を出した2004年の美浜原発事故があったにもかかわらず、原子力政策に大きな変更はなかったのである。結果的に、当時の日本では53基の原発が稼働していたのだった。
     「原子力とマスメディア」では、原子力関連のマスメディアの報道について、毎月の新聞記事などを参照しながら特徴と問題点を指摘した。「核のゴミを追う」では。原発から発生する放射性廃棄物について、現地のルポルタージュを織り交ぜながら、日本の処理政策の現状と実態を報告した。「今さら聞けない核の話」では、読者からの質問に答える形で原子力開発・利用をめぐる様々な問題点について解説した。「今さら聞けない……」という初歩的な質問や素朴な疑問に答え、連載全般が原子力問題の入門編となるようにした。
     当時は、とにかく原発を止めたいという思いで、問題点を可能な限りわかりやすく明らかにすることに努めた。もちろん、それによって原子力政策を変更させるような、大きな流れを作れるとは考えていない。せめて、稼働する原発が巨大事故を起こさぬよう、警鐘を鳴らし続けるしかないと連載を続けていたのだった。「今月の核」では、毎月、その月に起こった原子力をめぐる国内外の状況をテーマに、解説および関連する様々な見解について検討していた。
     「今月の核」の連載を始めてほぼ1年後の2001年、東日本大地震・大津波の影響で福島第一原発が全電源喪失になり、1号機から4号機が制御に陥った。その結果、史上最悪と言われたチェルノブイリ原発に並ぶ、国際的事故尺度のレベル7となる重大事故を引き起こした。レベル7は最高尺度だが、四つの原子炉がそれぞれ異なる事故を起こした点では、チェルノブイリ原発事故以上の過酷事故と言える。
     事故直後、私の指摘が正しかったという気持ちは、正直なところ微塵もなかった。起こってはならない事故が実際に起こり、多くの人々が故郷を追われた事実にがく然とし、ただただ無力感に襲われた。警鐘を鳴らし続けたと誇るなどもっての他で、むしろ事故を防ぐために何の力にもなれなかったことをひたすら恥じた。かろうじて「今月の核」の連載を何とか続け、事故の検証を中心に二度と同じ過ちを繰り返さないこと、そして何十万人もの被災者を救うことを訴えるのが精いっぱいだった。

  • 18面 映画「ワタシタチハニンゲンダ」 外国人差別の実態告発(栗原佳子)

    技能実習生や難民申請者、入管収容者ら在日外国人差別の実態に迫ったドキュメンタリー映画「ワタシタチハニンゲンダ」が5月28日から大阪市淀川区の第七藝術劇場で公開される。監督は在日朝鮮人2世のノンフィクション作家、高賛侑(コチャニュウ)さん。朝鮮学校の歴史と現状を描いた「アイたちの学校」(2019年)の続編ともいえる作品で、高さんは「外国人差別解消を求める世論の喚起に寄与したい」と話す。  (栗原佳子)
     高さんは1980年代から中国や旧ソ連、アメリカなど各国で定住コリアンを取材。日本と比較し、「日本の状況はひどい差別の段階ではなく、排他主義に基づく異常な差別」だと実感した。さらに、多様なルーツを持つ在日外国人にも取材を広げる中で、民族組織もなく、権利を守る闘いの術もないニューカマーの苦悩を思い知った。
     ただ、技能実習生や難民申請者を撮影した場合、本人に不利益が及ぶのではないかという不安があった。もんもんとリサーチを重ねる中、昨年2月、大阪で難民支援に取り組む「社会活動センター・シナピス」と出会ったことが映画化への大きな一歩となった。
     7人の難民申請者が取材に応じてくれた。入管施設の被収容者が入管という国家機関から暴言、暴行を受ける。病気になっても放置され、命が危険な地へ強制送還される。心身ともに傷つけられた人々がハンストや自殺未遂を繰り返し、毎年のように死者が出る。証言を撮りながら戦慄した。「集客に不安があったのですが、もう観客動員はどうだろうと、この事実を伝えなければと決心が固まりました」。名古屋入管でスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが死亡する事件が起きたのはその1カ月後だった。  当事者、支援者、弁護士らが生々しい証言をつなぐ。技能実習生がさらされる差別的な言動や暴力が記録された映像、入管内の暴言や暴行などの映像もある。支援団体や弁護士を通じ入管内の衝撃的な映像を入手できた。未公開のものも含まれている。人権侵害に苦しむ当事者たちの共通の叫びをタイトルにした。

  • 19面 映画「スープとイデオロギー」 母の「済州4・3」追憶(栗原佳子)

     「ディア・ピョンヤン」(2009年)などの作品で自身の家族史を通し北朝鮮や在日朝鮮人社会を描いてきた映画監督、ヤン ヨンヒさんの新作ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」が6月11日から大阪市淀川区の第七芸術劇場などで公開される。両親の故郷、韓国・済州島で起きた「済州4・3事件」の渦中にいた母の過酷な記憶を記録、南」との関係を初めて描き、家族ドキュメンタリーの最終章を締めくくった。(栗原佳子)
     ヤン監督は朝鮮総連の熱心な活動家である両親のもと、大阪で生まれた。4人きょうだいの末っ子で、1959年に「帰国事業」がはじまると、兄3人は北朝鮮に送られた。軍事政権下にあった韓国よりも、「地上の楽園」とうたわれた北朝鮮に多くの人が希望を抱いた時代だった。
     米国留学を経て映像の世界に入ったヤン監督は05年、両親や北朝鮮の兄家族にカメラを向けたドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」で監督デビュー。09年には北朝鮮の姪を主人公にした「愛しきソナ」を製作した。同年、父、続いて長兄が他界したが、作品が問題視され北朝鮮に入国はかなわなかった。「兄や家族の身に何が及ぶか考えると精神的にもボロボロでした。家族のドキュメンタリーを撮ることはもうないと思い始めた頃、母が少しずつ『4・3』の話を始めたのです」
     米軍政下の48年4月3日、朝鮮半島の南北分断を決定づける南の単独選挙に反対し、済州島民が武装蜂起、武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった悲劇だ。母は大阪で生まれたが、空襲が激しくなった45年、済州島へ避難、18歳で「4・3」に遭遇した。婚約者を失くし従兄弟や叔父が殺害される現場を目撃、幼い弟妹を連れて30㌔の夜道を歩き、命がけで大阪行きの密航船に乗ったという。 18年4月、朝鮮籍コリアンの韓国入国制限緩和により、母は1回限りの許可証で渡航、「4・3」70年の追悼式に出席した。同行したヤン監督は母の重いトラウマを垣間見た。頑なに北を信じ続けてきたのはなぜか。借金をしてまで北の息子や家族のために仕送りを続けていたのはなぜか。韓国政府を徹底的に否定していたのはなぜか。母を責める気持ちにはなれなかった。

  • 20面 映画「私のはなし 部落のはなし」 差別と再び向き合う(栗原佳子)

     さまざまな立場の人々が「自分のはなし」として部落差別問題を見つめたドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」が大阪市淀川区の第七藝術劇場などで公開された。監督は1986年生まれの満若勇咲さん。部落差別の起源と変遷、個々の「語り」を丁寧に描き、根強く残る差別の現状をあぶり出した。 (栗原佳子)

    満若監督は京都府出身。大阪芸大映像学科3回生だった2007年、兵庫県の屠場を舞台にしたドキュメンタリー映画「にくのひと」を製作した。働く人たちの姿や彼らの部落差別に対する率直な思いをカメラに収めた作品は高い評価を受け劇場公開が決定。しかし、地名を明らかにしていることなど一部表現について抗議を受け公開を断念した。「協力してくれた人たちへ不義理を働いた」という強い後悔が残った。部落問題とも距離を置いたという。
     卒業後は映像制作会社でテレビドキュメンタリーの撮影を担当。10年余り経験を積み、「作り手の責任」を日々突き付けられる中、かつての自分の「作り手としての詰めの甘さ」を痛感したという。部落問題に対する認識が欠けていたと自覚、「もういちど向き合おう」と決意した。
     その頃起きたのが「全国部落調査」復刻版出版事件。川崎市の出版社「示現舎」が、政府の外郭団体が1936年に作成した調査報告書「全国部落調査」の復刻版販売をネットで発表。全国の5367カ所の部落の住所、人口、職業などが詳細に記載されたもので、234人が同社と代表らにリスト削除や出版差し止めなどを求め東京地裁に提訴した。満若監督も傍聴に通った。

  • 21面 経済ニュースの裏側 年金制度 低金利、円安で年金目減り(羽世田鉱四郎)

     年金制度 基礎年金があり、その上に、国民年金基金(自営業など)、厚生年金(サラリーマンなど)が上乗せ。他に私的年金(確定拠出年金)などがある。受取額は、満額(40年加入)で基礎額6万5008円(介護保険料を差し引くと5万円)。厚生年金は平均15万円で、配偶者の基礎年金を含め合算22万円。2021年度は0・1%、22年度は0・4%の引き下げ。
     制度の改定 今年度より年金受給年齢の繰り下げ。定年延長などを考慮。パートなどの厚生年金に加入するなど加入範囲の拡大も。
     GPIF 年金積立金管理運用独立行政法人。公的年金の積み立て金の運用実績。2019年度は▲8・2兆円の損失。外国株式▲5・4兆円、
    国内株式▲3・7兆円、国内債券▲1221億円の損失。外国債券は1・1兆円の収益。20年度は37兆9000億円の収益。国内株式14・6兆円、外国株式20兆円と稼ぐも、債券は国内、海外とも振るわず。21年は、第3四半期までの累計で12・2兆円の収益。過去の運用実績(01年~21年12月末)は、累計107兆円の収益。20年間のうち、3分の2が収益を計上、3分の1が損失。直近(21年12月末)の資産額は200兆円。内外の債券、株式に分散投資。14年10月、アベノミクスで株式を倍増(24%→50%)、低金利政策で、国内債券を大幅に減少させました。一方、私的年金(確定拠出年金など)も、日本生命が予定利回りの引き下げを示すなど、運用難を反映した形。
     賦課方式 年金の原資を現役世代が負担する仕組み。1951(昭和26)年に積立方式から変更。戦後の復興期で、若い世代が急増し、楽観的な見通しが要因です。今日では、高齢者の急増、生産人口の減少という人口構造の変化から、公的年金の先行きに懸念が。これに対し、定年延長など働く高齢者も増加し、就業者数の視点から賦課方式に不安はないという異議も。私見ですが、賃金の低迷もあり、賦課方式の先行きには懸念があります。受給年齢の引き上げ、加入者範囲の拡大(パートや短期労働者)などは、今回の「年金改正」の主な要因かと。
     運用難の背景 公の発表資料から。ドルベースの表示。日本のGDP(国内総生産)は、20年間で横ばい(1・03倍)。産業構造も一次、二次、三次とほぼ変わらず。賃金の低迷が明白。平均賃金は、2000年3万8365㌦が、19年は3万9041㌦に。20年間で1・02倍と横ばい。非正規雇用の導入、労組の弱体が要因かと。一方、企業の内部留保は、GDP比で20%(05年)から122%(16年)に急増。現在ではさらに増加しているかと。「日銀が世の中に直接的に供給するお金の量」(マネータリーベース)は、アベノミクス前(12年末)131兆円が、17年末で474兆円と3・6倍となり、現在ではさらに大幅に増加。世界中にマネーが溢れ返り、低金利が常態化。日本は主要先進国で最低金利で大幅な円安を招き、輸入物価が上昇、私たちの年金の実質的な減額につながっています。

  • 22面 会えてよかった 鈴木陽子さん⑤ 隔離と生きた人のことを残したい(上田康平)

    「うむいちなじ」第1章にこの座
    談会が掲載されている。愛楽園自治
    会が開園80周年を機に地元集落の方
    々に「良いことも悪いことも話して
    ほしい」と企画。地元集落の区長が
    「過去は変えられないので、前に進
    めるように良いことも悪いことも語
    り合いたい」と応えたのである。
     実は、「うむいちなじ」の当初の
    構想には地元集落の方々にとって愛
    楽園はどうだったかのお話は出てな
    かった。しかし、地元集落の方々の
    ところに金城雅春自治会長が同席さ
    せてもらう形での座談会はできない
    か。そう考えた鈴木さんが自治会長
    にお願いし、愛楽園自治会として申
    し入れ、実現したという。
     この座談会を知ったNHKが続き
    を企画し、「目撃!にっぽん」で放
    送した。2020年4月に偶然、こ
    の番組を見た私には金城自治会長と
    地元集落の区長のお互いに共生して
    いこうとの思いが伝わってきた。

      彼女は回復者や家族
    などに聞き取りをし、
    立命館大学でも学び、
    米軍統治下沖縄におけ
    るハンセン病療養所を
    めぐる人々の状況を明
    らかにした。
     つまり患者、回復者
    当事者への偏見・差別
    が家族をして、当事者
    を「病者」とすることで存在しない
    ものとして排除させ、当事者も集落

  • 23面 落語ラララ 小さな疑問 同じ噺がナゼ飽きぬ?(さとう裕)

    以前から気になってはいたが、ずっと放ったらかしてあった小さな疑問、皆さんにもそんな疑問ありません? 落語会に足しげく通っていると、知ってる噺が増えてくる。ああ、これはこの間聞いた。これも聞いた。そんな噺が増えてくる。小説や映画だと、一度見たのなら、もう知ってるからええわとなる。ま、気に入って何度も見る映画や小説もあるが、それは何作もないだろう。好きな歌なら繰り返し聞いても飽きない。ファンになった俳優だからどんな芝居でも見に行く、というのともちょっと違う。
     落語の場合、何度も聞いて、ストーリーを覚えても飽きずに聞きに行く。どんな噺でも、特に気にいった噺でなくてもだ。それって、なぜ? 演者も同じとは限らない。というより、噺は同じだが噺家はその都度違う。ここかもしれない。演者が違うから聞ける。いや、演者が違うと余計に聞いてみたい。
     落語ではニンということを言う。噺家の雰囲気、人柄、人間性等をひっくるめてニンという。漢字は「人」とも「任」ともいい、はっきりしない。ニンの違いが噺の面白さを変える。例えば、六代目笑福亭松鶴の「らくだ」と桂米朝の「らくだ」を聞き比べるといい。さらに古今亭志ん生の「らくだ」。比べてみると楽しい。また、その噺家の解釈で噺が結構雰囲気を変える。ストーリーは同じなのに主人公の描き方や、登場人物一人ひとりのしゃべり方、間の取り方一つでその人物の印象がガラッと変わったり。登場人物の後ろに演者の顔がうっすら見え隠れして、これが話芸を聞く面白さ、醍醐味とも言える。若手の頃は多くの噺を覚え、そこから自分のニンにあった噺を探すのだという。
     また、同じ噺なのに聞くたびに出来に差がある噺家もいる。松鶴や志ん生は日によって噺の出来が違ったという。松鶴は、高座に上がって客に受けないと、「今日のお客さんは、このお噺がお好きやないようで……」と、さっと高座を降りてきたという。また、志ん生は酔っぱらって高座に上がって、そのまま寝てしまった有名な逸話がある。誰も志ん生を起こせとは言わず、高座で寝てしまった志ん生を見たと言って、みんな喜んだ。
     一方、いつ聞いても同じ噺の噺家がいる。それでも楽しい。不思議だ。三代目桂春団治は、ある時期からネタの数を11前後に絞ってしまった。本人は自分は不器用やからと述べているが、半世紀以上の噺家人生を、そのネタ数で押し切った。で、いつも出来栄えが変わらなかった。八代目桂文楽も30席程度のネタ数だった。少ないネタ数で押し通せたのも、名人上手ゆえだろう。同じネタを何度聞いても飽きないのは、噺家のニンの違いだけと言っていいのだろうか。小さな疑問が、だんだん大きな疑問になってきた。落語の奥は深いようだ。   
     長らくお付き合いいただきました本連載、今回で終了致します。長い間有り難うございました。(落語作家)

  • 24面 日本映画興亡史 マキノ省三伝 教育映画作りへ日活退社(三谷俊之)

     忍術映画に対する自責の念と、松之助との対立が重なり、省三は次第に、「日活を辞めたい」との思いに駆られる。そして、教育映画をつくりたいと、横田永之助に辞表を出した。だが横田は辞意を認めなかった。省三を野に放せば日活の脅威になるからだ。横田は一策を講じて日活の姉妹会社として省三に「教育映画ミカド商会」を発足させ、日活から教育映画を発注することにした。
     大正8(1919)年7月、「ミカド商会」は省三門下の金森万象監督と花房種太カメラマンら少数スタッフでスタートした。第1作は内務省の委託によるもの。2作目は『都に憧れて』といい、都会に憧れて上京した一家が様々な誘惑に負けて、どん底に落とされようとしたとき、郷土の人に救われて帰っていくという作品だ。もう1本は親子愛を描いた時代劇『小楠公』だった。「こういう作品こそ今後の日本映画の進むべき道である」と高い評価を受けた。
     横田にとっては脅威だった。親会社の日活を食ってしまうかも知れない。横田はミカド商会を買収し、『日活教育映画部』として会社の一部門にする。省三は松之助映画は絶対に撮らないと、彼の映画は子飼いの小林弥六監督に任せて第1部とし、自らは第2部を担当した。
     省三は、大阪歌舞伎出身で浅草を中心に活躍していた市川姉蔵を抜擢。『一条大倉卿』などを次々と撮り、高い評価を得て、松之助映画を凌ぐ人気者となった。焦った横田は省三に松之助作品の監督を幾度も乞うたが、省三はきっぱりと断った。
     横田は一計を案じ、次回作に松之助と姉蔵による『忠臣蔵』を作ってほしいと依頼した。これには省三も弱かった。「それなら、『忠臣蔵』の決定版を作ったる!」と俄然やる気を燃やした。大好きな歌舞伎『勧進帳』に着想を得て、冨樫にあたる立花左近という役を作った。その役を姉蔵に振り、大石内蔵助は松之助とした。両雄並び立たせる配役だ。映画は大ヒットとなった。「やはり、マキノの大将やな」と撮影所の人々も再認識した。しかし、松之助を凌ぐ存在を見せた姉蔵が急死した。
     省三にとって大きな衝撃だった。改めて退職を願い出る省三に対し、横田は辞表を受け取らず、逆に省三を取締役撮影所長に据えた。役職で省三を縛ろうとしたのだろう。省三は横田に膝詰めで説得を繰り返し、「興行映画はいっさい作らず、もちろん他社にも行かない」という約束でようやく退職が認められた。共について行くといった副所長の池永浩久宛への手紙に、省三は「自分が日活を辞めるのは教育映画を作るためである。横田や松之助にも含むところはない。ただ胸底から盛り上がってくる意欲を抑えきれないからである」と記している。

  • 25面 坂崎優子がつぶやく 高濃度乳房知らせるべきか

     いきなり質問です。「自分の体については何でも知っておきたいですか?」。おそらく「はい」と答える人は多いと思います。では「もしそれを知って戸惑いだけが大きくなるならどうですか?」。とりあえずは知っておきたいでしょうか。ただ不安になるようなら知りたくないでしょうか。
     神戸市では今年2月から40歳以上を対象にした乳がん検診で、「高濃度乳房」と判断された人には通知をすることにしました。「高濃度乳房」は、乳腺組織の密度が高いタイプの乳房です。マンモグラフィーの画像では白く写り、がんも白く見えるため見つけにくいといわれます。検診で見落とされる可能性もあります、
    と聞くとどうでしょう。自分が「高濃度乳房」だとわかれば、「マンモグラフィーではがんが発見できないのでは」と心配にならないでしょうか。
     乳がんの検査にはマンモグラフィー以外に超音波検査があります。超音波検査は高濃度乳房でも判定に影響はないといわれますが、だからといってすぐに超音波も追加で検査すべきとはなりません。自治体などが行う対策型検診は公費で行うだけに、追加することで死亡率や医療費が減らせることが重要になってくるからです。現時点で超音波検査を追加して死亡率が減るという科学的根拠は出ていません。
     このように自分が高濃度乳房だと知ったとしても、そのあとに推奨される検査がないため、国は一律に本人に知らせることを勧めていません。とはいえ自治体の動きはバラバラです。
     神戸市の場合、高濃度乳房と判断された人は、「異常を認めず(高濃度乳房)」と通知されます。また、検診結果票とともに、高濃度乳房の説明や病気ではなく過度に心配する必要はないなど注意点が書かれたリーフレットも同封されます。
     神戸市の通知に対し、私の周りの専門医たちは「現場が混乱する」と危惧しています。いきなり医療機関に相談に来られる。心配のあまり、新たな検査を受けようとする。そんな方が増えるのを心配するからです。
     私自身は、人間ドックの乳がん検診の結果に書かれていたことで自分のタイプを知りました。知らない用語を目にして「これはどういうこと?」と自分で調べました。この検診でがんがわかり、それからは専門医のもとでマンモグラフィー検査を受けているので不安になることはなかったですが、乳がんを早く見つけるために検診を受けている人なら心配になると思います。

  • 26面~30面 読者からの手紙&メール(文責・矢野宏)

    踏切で教え子犠牲
    声かける人いれば

         奈良市 春田泰文
     身近なところで、悲しい事故が起きてしまいました。4月25日夜、奈良県大和郡山市の近鉄橿原線の踏切で視覚障害の女性が電車と接触し、亡くなりました。50歳でした。ラジオニュースによると、付近の防犯カメラの映像では、踏切をほぼ渡り終えた女性が、遮断機の手前で後戻りして事故になったとのことです。
     彼女は成人後に失明し、奈良県立盲学校に入学しました。私の教え子です。明るい人柄で、在学中も元気に学校生活を送っていました。卒業後、体調が必ずしも万全ではない中、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅうの資格を取り、好きだった花にちなみ、「菜の花治療院」を開業して頑張っていました。一度訪れたことがありますが、カフェのようなしゃれた治療院でした。
     彼女は近くに住んでおり、この踏切にもある程度慣れていると思われます。ただ、この日は運が悪かったのか、踏切内に進入していることが十分に自覚できなかったのか、警報器が鳴り出してあわてたようです。それで自分の位置がわからなくなり、ほぼ踏切を渡り終えているのに、後戻りして列車の先頭右側に接触。病院へ搬送されましたが、亡くなりました。
     安全対策としては、踏切の出入口がはっきり分かるように点字ブロックなどで表示してほしいです。本人が今、踏切内にいると自覚できることが第一なのです。踏切内でも進行方向を示す点字ブロックなどを敷設してほしいです。
     踏切に車が4秒以上留まっていると、電車が停止する装置があるとのことですが、これを人にも適応してもらいたいと強く思います。
     何といっても、周りの人による「声かけ」が一番です。今回の事故では、ほとんど人が通らない場所でした。彼女が踏切内で迷っている時、誰かが通りかかり、「危ないですよ、踏切の中ですよ」と一声かけてくれていれば、事故は防げたと思います。本当に残念です。
     (踏切をそのまま渡り切れば助かっていたのに……何とも痛ましい。治療院を開業して頑張っていただけに、さぞかし無念だったことでしょう。せめて、声をかけること。肝に銘じたいと思います)

  • 27面 車いすから思う事 自分と向き合う連載(佐藤京子)

    新聞うずみ火200号おめでとうございます。とにかく、1号ずつ積み重ねていることが素晴らしい。
     創刊した時、読者のお手紙欄に掲載されたいと願っていた。自分の書いた文が手直しされている文章を見直し、修正されているところを見て、学んだ。そうこうしていると、連載してみたいと思うようになった。しかし、きちんと文章を書くスキルがないから、無理だと諦めていた。読者に徹していたら職場で事故に遭い、またベッドと車イスの生活に逆戻りしてしまった。うずみ火編集部に何度か電話で愚痴を聞いてもらい、心が少し軽くなった。その後、矢野さんから一言。「書いてみないか」。びっくりした、と同時に、毎月締め切りの怖さをまだ知らなかった。
     連載を始めて気づいたのだが、自分には変なこだわりがある。締切日をギリギリまで延ばして書くことだ。なぜなら、できるだけ発行日に近い方が新鮮だと思っているから。この自分で勝手に作ったルールに陥り、締切日の夜になっても「全然できていない」とうなりながらパソコンの前に座ることがある。書けないと、焦ってしまい、ますます書けなくなる。矢野さんは締切日の猶予はもちろん、書けませんと根を上げることも許してくれない。書かせてもらっている責任を全うしなければと思い直さざる得ないほど、押しの強い編集長だ。これも一種の罠だったのか、200号を休むことなく続いているのは、改めてすごく大変なことだと思う。
     よくよく考えたら自分自身も結構なことになっている。10年あまり書かせてもらっているという現実。途中、何回かリタイアしそうになったが、四苦八苦しながら何とか乗り越えることができ、今も続いている。
     10年前に何をしていたか覚えていない。しんどい時の記憶は不思議と抜け落ちるようだ。毎月1回ずつ、自分と向き合う時間があったことに感謝している。
     (アテネパラリンピック銀メダリスト・佐藤京子)

  • 29面 絵本の扉 「へいわってすてきだね」(遠田博美)

     5月15日に本土復帰50年を迎えた沖縄。毎年6月23日の慰霊の日に行われる「沖縄全戦没者追悼式」では、沖縄県平和祈念資料館が募った「児童・生徒の平和のメッセージ」の中から代表に選ばれた児童・生徒が詩を朗読します。
     2013年は与那国島の久部良小1年生の安里有生君が朗読しました。式典に参列した沖縄のおじい、おばあが聞き、涙を流しました。その様子を見た絵本作家の長谷川義史さんは絵本にしようと、安里君に会うため与那国島を訪ねました。より鮮明に与那国を描くためです。
     詩は、「へいわってなにかな ぼくは、かんがえたよ」から始まります。平和について考え、浮かんだ身の回りの自然や友だちとのことを素直な言葉で表現しています。最後に、「平和な家族」という言葉から、学校、与那国島、沖縄、世界へと広がっていきます。そう、彼の身の回りの平和は、一緒に住む家族、友だちのいる学校、故郷の島から、沖縄へ……。そして、一気に世界へと広がって行きます。そこに国は存在しないのです。
     詩の最後は、「ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」との言葉で締めくくられます。
     当時6歳だった安里君の詩に、長谷川さんの力強く、優しく温かい絵が響き合います。
     長谷川さんは、あとがきにこう記しています。
     「いかなる理由があるにせよ、いえ、理由なんてないのです。人々を殺し、傷つけることは、間違いです。あの子たち、この有生くんたちを、戦争という名の、残酷で恐ろしい殺し合いに、巻き込んではいけない……」
     この絵本の初版日は、2014年6月23日です。
     (元小学校教諭 遠田博美)


  • 30面 編集後記(矢野宏)

    この号がお手元に届く頃には、大阪府下で行われているIRの是非を問う住民投票の実施を求める署名活動も終わっていることだろう。果たして、府内有権者の50分の1である約15万筆を超えるかどうか。正確な法定数が確定するのは7月初旬だという。たとえ、15万筆を超え、住民投票条例案が府議会に提出されても、維新議員が過半数を占める府議会で可決されるのは難しい。それでも、カジノを止めたいと願う市民らは街頭に立ち、声を張り上げている。「もとめる会」事務局の石田冨美枝さんは「2度目の『大阪都構想』を退けた頃の市民運動に似てきた」という。「自分で考え、行動する人たちに出会えて感動しています」とも。「うずみ火講座」で、大阪IRの真実を学ぶため、阪南大教授の桜田照雄さんと立命館大教授の森裕之さんに講師をお願いした。桜田先生は「カジノのターゲットは関西に住む人たち」と警鐘を鳴らし、森さんは「夢洲整備で大阪は破たんする」と訴えた。ともに2人が「カジノ誘致を止めることは、大阪に民主主義を取り戻すことだ」と語っていたのが印象的だった。維新によって行政や議会が支配された大阪で、最後の拠り所は「市民力」しかない。本来なら権力と対峙すべき在阪メディアの動きは鈍い。月刊のミニコミとはいえ、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」とのことわざもあるように、同じ夢を見る市民の「応援団」となり、「おかしいことはおかしい」と訴えていきたいと思う。
     さて、おかげさまで、新聞うずみ火は200号となりました。2005年10月の創刊以来、毎月1号1号積み重ねてこれたのも、読者の皆さんの支えがあればこそ。ありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いします。(矢)

  • 31面 うもれ火日誌

    4月15日(金)
     矢野 栗原 午後、大阪IRカジノの基本協定書を精査した立命館大教授の森裕之さんに話を聞く。夜、桂花団治さん、花団治さんを取材しているNHK記者の三橋昂介さんが来社。落語界の裏話を聞きながら飲む。
    4月17日(日)
     矢野 午後、エルおおさかで開かれた「とめよう!戦争への道 めざそう!アジアの平和 関西のつどい」で、「維新は、憲法の何を変えようとしているのか」と題して講演。
    4月21日(木)
     栗原 午後、京都地裁で判決があった琉球人遺骨返還訴訟の取材。
    4月23日(土)
     矢野 午後、大阪府高槻市の「富田健康を守る会」住民学習会で、「憲法改悪を許したら戦争へまっしぐら」と題して講演。主催者から「迫力あるキレのいい講演に気持ち良かったと好評でした」
     栗原 午後、大阪市港区で開かれた「有元幹明さんを偲ぶ会」へ。
    4月25日(月)
     夕方、新聞うずみ火5月号が届き、発送作業。工藤孝志さん、樋口元義さん、多田一夫さん、康乗真一さん、金川正明さん、長谷川伸治さんがお手伝いに。ビールがうまい。
    4月26日(火)
     夕方、「ABCリブラ」ディレクターの尾川浩二さんが来社。大阪空襲証言DVDの打ち合わせ。
     栗原 夕方、大阪市淀川区のシアターセブンでドキュメンタリー映画「私のはなし、部落のはなし」の満若勇咲監督に取材。
    4月27日(水)
     午後、事務所で「茶話会」。新聞うずみ火がまだ届いていないため、参加者は竹島恭子さんと堀田直樹さん。
    4月28日(木)
     午後、毎日新聞記者の亀田早苗さんが来社。来月200号を迎える新聞うずみ火の取材を受ける(5月11日付掲載)。
     栗原 午後、大阪市淀川区のシアターセブンであった高賛侑さんの新作ドキュメンタリー映画「ワタシタチハニンゲンダ」の試写会へ。
    4月29日(祝・金)
     矢野 午後、定岡由紀子弁護士に誘われ、堺市内で開かれた映画「時の行路」上映会。派遣切りされた非正規労働者が組合に入って闘う実話。夜、事務所で「酒話会」。
    4月30日(土)
     矢野 夕方、新聞うずみ火の紙面作りに協力している読売新聞記者の浦一貴さんと大阪・十三で一杯。帰宅したつもりが阪急茨木駅…。
    5月1日(日)
     矢野 午後、西谷文和さんが主宰する「路上のラジオ」収録。2日後に35年を迎える朝日新聞阪神支局襲撃事件について話す。夜、西谷邸で一杯。この日も事務所泊り。
    5月2日(月)
     矢野、栗原 午前、阪大の木戸衛一教授らが主宰した「平和のための集中講義」を受講。阪大名誉教授の藤本和貴夫さんの講義「ロシア研究者から見たロシアのウクライナ軍事侵攻」を聞く。
    5月3日(祝・火)
     矢野 午後、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で、35年前に凶弾に倒れた小尻知博記者の遺影に手を合わせる。
     栗原 午後、JR鶴橋駅近くで高賛侑監督にインタビュー。
    5月4日(祝・水)
     矢野、栗原 午後、「市民1000人委員会」主催の市政チェック学習会が堺市内であり、ノンフィクション作家松本創さんの講演「維新を勝たせる心理と論理」を聞く。

  • 32面 黒田清さんを追悼し平和を考えるライブ(矢野宏)

    黒田清さんが亡くなって22年目の夏を迎えます。「黒田さんを追悼し平和を考えるライブ」を7月30日(土)、大阪市立西淀川区民会館で開催します。今年もコント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー、松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての風刺トーク&コント、久々に腹の底から大笑いしましょう。
     当日会場でお配りするパンフレットの「一声広告」(メッセージを入れて1マス3000円~)を募集しています。ご協力いただいた方には当日の招待券をプレゼントします。
     コロナ禍で大変だとは思いつつ、今年も郵便振込用紙を同封しました。ご無理のない範囲でご協力いただけると幸いです。
    【日時】7月30日(土)午後2時開場、2時半開演
    【会場】大阪市西淀川区大和田の市立西淀川区民会館(06・6471・9217)
    【交通】阪神なんば線「福駅」下車(北へ徒歩5分。クオレ薬局を左折し突き当りを右、まっすぐ)
    【資料代】読者2000円、一般2200円、学生・障がい者1000円

  • 32面 5月28日(土)瀧本さん偲ぶ会(矢野宏)

     戦争の悲惨さを語り続けた元海軍兵の瀧本邦慶さんを偲ぶ会が5月28日(土)午後2時~大阪市北区のエルおおさかで開かれます。
     ラジオドキュメンタリー「語り部をやめたい〜94歳の夏」を制作したMBS記者の亘佐和子さん、「96歳 元海軍兵の『遺言』」を出版した朝日新聞記者の下地毅さんらが呼びかけ人となり、瀧本さんの講演DVDを流した後、亘さんらが瀧本さんの思い出などを語って故人を偲ぶ。司会は元MBSアナウンサーの水野晶子さん。入場無料。定員50人。
     申し込みはうずみ火まで。


  • 32面 うずみ火からのお知らせ(矢野宏)

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