大阪府と市が大阪湾の人工島「夢洲」(大阪市此花区)で推進するカジノを含む統合型リゾート(IR)の「区域整備計画」が3月末に府・市両議会で承認された。直前になって巨額の公費負担の可能性が浮上、専門家は「市は史上最大の財政リスクを抱える」と警鐘を鳴らすが、提出期限の4月28日までに国に計画が申請されると、大阪の運命は、秋頃とされる国の判断に委ねられる。(矢野宏、栗原佳子)
大阪IRは、大阪維新の会が「成長戦略の柱」とする看板政策。松井一郎市長、吉村洋文知事とも「民間が投資する」「税金は一円も使わない」と公言してきた。
府と市は昨年12月、IR事業者のMGM・オリックス企業連合と作成した事業計画「区域整備計画」案を公表。府・市両議会の議決だけを残す最終段階になって初めて、松井市長は「夢洲の土壌汚染や液状化などの対策費用788億円を負担する」と明らかにした。
夢洲は市が廃棄物の処分場として1977年に造成を開始した。市は、夢洲、同じ人工島「咲洲」(さきしま)や「舞洲」(まいしま)の埋立地を売却したり賃貸したりする際、土壌汚染など何かがあっても市が責任を負わないという規定を明記してきた。松井市長は「IR施設は多数の観光客が来場するので、市には土地所有者の責任がある」「一般会計ではなく特別会計の港湾事業会計から返済するので公金を使うわけではない」などと釈明した。
府と市は2019年2月にIR基本構想を作成、「世界最高水準の成長型IR」を掲げ、同年3月に事業者を公募した。
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1920年代から30年代にかけて、旧京都帝国大学医学部の人類学者らが、研究目的で琉球諸島の墓から多数の遺骨を持ち出した。いまも26体を保管する京大を相手取り、子孫らが返還を求めた「琉球遺骨返還請求訴訟」の判決が4月21日、京都地裁であり、増森珠美裁判長は「原告には返還請求権がない」と請求を棄却した。旧帝大が収奪した遺骨をめぐる返還訴訟の司法判断は初めて。「復帰50年というのに、琉球人の遺骨はいまもふみにじられている」。原告らは無念をにじませた。(栗原佳子)
墓は沖縄本島北部の今帰仁村にある「百按司墓(むむじゃなばか)」。葬られているのは統一王朝を建てた「第一尚氏」時代の貴族らとされる。門中という同族集団らが「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」という聖地巡拝で訪れる場で、1991年に村文化財に指定されている。
訴状などによると、京大助教授だった人類学者の金関丈夫氏(1897~1983)や医学部講師だった三宅宗悦氏(1905~44)は子孫や地域住民の了解を得ず、学術研究の目的で百按司墓から大量の遺骨を持ち出した。
原告は5人。玉城毅さんと亀谷正子さんは第一尚氏の子孫、社民党前衆院議員の照屋寛徳さん、彫刻家の金城実さん、原告団長で龍谷大学教授の松島泰勝さんは琉球民族として原告に加わった。
松島さんは17年から京大に対し遺骨の有無や保管状況を繰り返し問い合わせた。しかし返事はいつも「個別の問い合わせには答えない」。国会議員の照屋さんが文科省を介し照会して初めて保管が確認されたが、情報公開請求などにも誠意ある回答がなかった。2018年12月、提訴。「人格標本」として保管する遺骨26体の返還と1人あたり10万円の慰謝料を求めた。
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大阪市立の高校全てが4月から大阪府へ移管されるのに伴い、土地・建物計1500億円ある財産を無償譲渡するのは違法だとして、譲渡の差し止めを求めた住民訴訟の判決公判が3月25日、大阪地裁であった。森鍵一裁判長は「高校移管には公益性、公共性があり、無償譲渡も不合理ではない」と、請求を棄却した。原告側は判決を不服として控訴した。 (栗原佳子)
移管をめぐる動きは松井一郎知事、橋下徹市長時代の2012年、府市統合本部で「二重行政」として検討されたのが始まり。14年には移管が決定。15年、20年の大阪市廃止・分割の賛否を問ういわゆる「大阪都構想」の住民投票は否決され、大阪市は存続したが、2度目の住民投票後の府・市両議会で移管の関連条例案が可決した。
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阪神・淡路大震災から27年が過ぎた。6434人の犠牲者とは別に3人の行方不明者がいる。兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(58)の母正子さん(当時65)もその1人。「整理のつかない喪失感」を持ち続け、母を捜し続ける佐藤さん。母が一人で暮らしていた神戸市須磨区の実家跡を訪ねる彼女に同行させていただいた。(矢野宏)
「ここに文化住宅があったのですが……」と指さした先にはガレージに囲まれた一戸建て家屋が建っていた。
「辺りもすっかり変わってしまって、見る影もないというか……」
正子さんは2階建ての文化住宅で一人暮らしだった。
震災の2日前、電話がかかってきたという。「京都に旅行した時のお土産があるから、また取りにおいで」「うん、また行くわ」
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戦前、国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島に暮らした高齢の元島民たち。ウクライナの人たちの窮状にかつてソ連に追われた日を重ねながら、ロシアが中断してきた平和条約交渉を案じる彼らを訪ねた。
「千島歯舞諸島居住者連盟」の河田弘登志副理事長(87)は戦前、歯舞群島の多楽島で祖父、父母と妹2人、弟1人の7人で暮らした。「1945年9月初めに父と祖父が不在の家にソ連兵が土足で上がり込み、銃で天井をついて武器を隠していないか調べていた」。彼らは「トッキ」「トッキ」と腕時計を欲しがった。「母はとっさに割烹着の腕の上の方にゴムバンドの腕時計をたくし上げて隠しました」
叔父と一足先に北海道に帰り、両親は2年後に強制送還でサハリン経由で帰った。
53年から根室市でサケマス漁をしていたが、市職員に。主として領土対策を担当、キャラバン隊を組み、全国で啓発活動してきた。「56年の日ソ共同宣言の時は歯舞、色丹が返ってくるぞと提灯行列ができました。当初から4島を返せ、ではなかった」
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ロシアによるウクライナ侵略は日々残虐さを増し、テレビ報道は見たくないというのが、視聴者の感想ではないか。とにかく一分でも一秒でも早く侵略を終わらせ、ウクライナの人たちが平和に暮らせるようになってほしい、双方の兵士が亡くなったり傷ついたりしないようにと願っているのではないか。
プーチン大統領が「核のボタン」をこれ見よがしにひけらかす振る舞いには苦笑を禁じ得ないが、こんな人物だけに核戦争、第3次世界大戦の危機を感じざるを得ない。それでも直接対話を通じて止めさせる以外にない。バイデン大統領をはじめ世界の指導者は、とにかくプーチン大統領に働きかけ、何としても戦争終結してほしいというのが、ウクライナはもちろん世界の人々の思いであろう。
岸田首相が、侵略であり国際法違反であって、断じて許されないと言うのなら、何をおいてもプーチン大統領に直接働きかけるべきであるが、大型連休にはベトナム、インドネシア、タイ、イギリスに行くと言っている。それよりもプーチン大統領に即時停戦・撤退を働きかけるべきであるが、プーチンが会うわけない、会ったところでいい話にはならず、点数を上げることはできないので行かないと考えての会食三昧である。
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今年2月、アフガニスタンに入った。タリバン政権後の首都カブール、国際支援組織が引き上げたことと、アメリカの経済制裁で人々は貧困のどん底に落ちていた。米軍が去ったので治安はよくなった。つまり、銃撃戦や自爆テロの巻き添えで殺される確率は下がったが、飢えと寒さで死亡する人々が急増した。20年間も続いた「テロとの戦い」。その間、私は12回入国したが、今回が一番「命の危機」だった。メディアは今、ウクライナ報道一色になっているが、アフガン、イラク、シリア、イエメンなど紛争地では、今なお人道危機が続いている。
2月14日カブールから北へ向かって車で30分、ホジャ・ボゴラ地区へ。この15番街区にゼマリ・アフマディさんの自宅があった。2021年8月29日、米軍の無人空爆機がこの家のガレージに滑り込んで来た白のトヨタ・カローラを空爆。3日前の26日にカブール空港で大規模な自爆テロと銃撃戦がありアフガン人169名、米兵13名が殺された。ISIK(イスラム国・ホラサン州)が犯行声明を出した。当時のバイデン政権は血眼になってISIKのメンバーを探していた。「次のテロを防ぐため」という名目と「復讐してやる」という焦り。「テロリストは白のトヨタ・カローラに乗っている」との情報をもとに標的を絞り込んだ。だが無人機に追跡されていたのはゼマリさんだった。「ISがここで爆弾を積み込み、空港を狙いに行くに違いない」。カローラが駐車場に入った時、ミサイルが発射された。その時カローラの周りに7名の子どもが遊んでいた。「お父さんが帰って来た」と家から出て来た子もいただろう。カローラの隣にはトヨタの4WD車が停まっていた。ミサイルの破片がこの車を貫き、車は炎上した。カローラは撤去され、この4WD車だけが当時の証拠としてここに残っている。
殺害されたゼマリさんは、米国系の慈善団体職員だった。ずさんな情報に基づく完全な誤爆。1カ月後に米軍は誤爆を認めた。アフガン戦争は誤爆に始まり、誤爆に終わったのだ。玄関に殺された10名の写真が飾られている。遺族はすでにカブールを去って、今は別の住民が破壊された家を修理してここに住む。
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訃報は突然に舞い込んできた。「ゴジラ」シリーズをはじめ多くの東宝映画に出演し、日本のミュージカルの草分けとして知られる俳優の宝田明さんが3月14日、87歳でこの世を去ったのだ。最後に宝田さんが姿を見せたのは、映画『世の中にたえて桜のなかりせば』の完成披露があった3月10日だった。主演した宝田さんは、自らエグゼクティブプロデューサーも務めていた。
舞台挨拶を伝えるネット記事の写真で、宝田さんが車椅子で登場していたため、心配になって秘書の方に問い合わせたところ「足腰の筋力が落ちてしまいましたが、体調は安定しております。今後また舞台挨拶やイベントにも参加します」とのお返事をいただき安堵したのが翌日。その1週間後にネットニュースで死去が報じられたのだが、にわかには信じられなかった。
1954年に公開された第1作『ゴジラ』で宝田さんは主人公の尾形秀人を演じた。この映画に強烈な影響を受けた私にとって、宝田さんはまさに「レジェンド」の一人であった。宝田さん自身にとっても、出世作となった第1作『ゴジラ』に対する思い入れは深かったらしく、著書の『銀幕に愛を込めて』のサブタイトルを「ぼくはゴジラの同期生」としている。
文字通り、「雲の上の存在」だった宝田さんと、直接コンタクトを取る機会が、意外な形で訪れた。2018年5月、憲法記念日に関連した全国紙の記事で、私はゴジラを題材に憲法の講義をする大学教員として取り上げられたのだが、それをご覧になった宝田さんからお手紙とお電話をいただいたのである。お手紙には「私も学校その他平和団体、憲法を守る会等で講演を依頼され、月2回位各地へ伺っております」とつづられていた。このことがご縁で19年8月、宝田さんを和歌山に招いて「ゴジラ和歌山上陸・宝田明さんと考える『平和』~これまでとこれからと」という講演会を開催できた。
宝田さんは1934年、朝鮮の清津(チョンジン)で生まれた。父親が南満州鉄道に転勤したことをきっかけに、2歳の時に一家で満州に移住した。そして小学2年生の時にハルピンに落ち着く。そこで敗戦を迎えるのだが、映画や舞台での華やかな姿からは想像もつかない壮絶な経験をする。
ソ連(当時)が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州と南樺太(当時)国境に大軍を送って侵犯したのが45年8月8日。15日の敗戦以降、ハルピンはソ連兵のやりたい放題だった。11歳の宝田少年は、日本人女性が凌辱されるなどの悲惨な状況を目の当たりにする。
そしてある日、運悪くソ連兵の銃撃に遭ってわき腹を撃たれてしまう。病院も機能してない状況で元軍医が行った手術は、麻酔もせずに裁縫用の裁ちばさみを焼いて消毒し、それで傷口を切って銃弾を取り出すというものだった。傷口から出てきたのは、国際法で使用が禁止されているダムダム弾だった。宝田さんは「そういう体験をしてしまったので、僕はロシアの映画、音楽、バレエ、文学も、どんなに素晴らしい芸術も心が受け付けなくなってしまいました。焼き付いた記憶が消せず、憎しみしか残らないんです。それが戦争というものなのです」と振り返る。
46年にようやく日本への引き揚げが始まるが、ここでも過酷な状況が待っていた。様々な困難の末に博多に上陸し、宝田家の故郷である新潟県村上町(当時)にたどり着いた。2年ほど住んだ後、中学2年の時に遠い親戚を頼って上京。高校3年生で受けた第6期東宝ニューフェイスに合格し、俳優人生がスタート。第1作『ゴジラ』主演をきっかけに、スターへの階段を駆け上がっていったのである。
実は宝田さんが各地で戦争体験を語り始めたのは還暦を過ぎてからだった。自らの経験から「戦争という名目で命を落とすことなどあってはならない。戦争では理性も教養も吹っ飛んでいく。狂気の世界をつくるんです」と語る宝田さんは、平和の大切さを訴えることに注力していく。「私には戦争の愚かさや残酷さを次代に伝える使命があるんです」と力を込めた宝田さんの表情が忘れられない。
宝田さんと交わしたゴジラ談義の中で、私が強く印象に残っているエピソードがある。映画が完成して行われた試写会を見終わった宝田さんは、ワンワン泣いてしまったというのだ。人類の脅威として描かれたゴジラだったが、彼もまた被曝者として悲しい運命を背負っていると感じた宝田さんは、最後にオキシジェン・デストロイヤーによって白骨となって海の藻屑と沈んでいく姿に、同情を禁じ得なかったそうだ。
きっと宝田さんはロシアに対する憎悪を、長い時間をかけて乗り越えようとしていたのではなかったか。人類にとっての本当の「敵」はゴジラではなく核兵器であり、戦争であることを見抜いていた宝田さんだ。略奪・暴行の限りを尽くし、自身に瀕死の重傷を負わせたソ連という国を憎むのではなく、そうした状況を作り出した戦争そのものこそ許せない存在であると考えていたに違いない。
宝田さんが、和歌山での講演会を実施したメンバーに贈ってくださった色紙には「不戦不争」と書かれていた。平和を守るための大前提だ。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、国内でも核共有や敵基地攻撃能力の保有、そして憲法改正などの声が出始めている今の日本を、宝田さんはどう思われただろうか。宝田さんが作詞した「私の願い」の一節を紹介しよう。
戦争となれば人は憎しみが増してゆく
それをぬぐい去ることはもうできない
それを止めるのは私たちの一人一人のちから
それを止めるのは私たちの果たすべき使命
毎日放送(MBS)製作のドキュメンタリー映画「教育と愛国」が5月13日から全国で順次公開される。監督は教育問題を長年取材してきた同局ディレクター、斉加尚代さん。2017年に放送したテレビドキュメンタリーに最新の取材を加え、教育現場で何が起きているのか、政治がいかに介入してきたかに迫った。 (栗原佳子)
映画の骨格を成すのは、教科書をめぐり起きた、この20年余りの不穏な動きだ。日本軍「慰安婦」だったと韓国で金学順さんが名乗り出たのは1991年。日本政府は93年に河野談話を発表。中学歴史教科書に「従軍慰安婦」について記述されるようになった。
しかし保守派の反発は大きかった。97年には「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議」が結成され、自民党内にも「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が組織され、安倍晋三氏が事務局長に就いた。教科書会社への攻撃は激しさを増した。
2001年の教科書採択では、加害記述を充実させた大手教科書会社が標的となり、倒産に追い込まれた。「戦争の被害も加害もどちらも子どもたちに学んでほしい」。編集者や執筆者が託した思いとは裏腹に。
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大阪市の松井一郎市長に対して昨年、教育行政について提言書を送り、文書訓告を受けた小学校長が3月末で定年退職した。久保敬さん(60)=吹田市。「卒業」に合わせ、提言に至った経緯や37年間の教師生活を振り返り、一冊の本にまとめた。(栗原佳子)
題して「フツーの校長、市長に直訴!ガッツせんべいの人権教育論」。まずは、何が久保さんを異例の直訴へと突き動かしたのか、その経緯がつづられる。
きっかけは昨年の4月19日、新型コロナの緊急事態宣言に伴い、松井市長が市立小中学校にオンライン授業導入方針を打ち出したこと。その2カ月前、オンライン授業を試した経験があった久保さんは「対応は簡単ではなく、現場は混乱する」と憂慮、市HPの「市民の声」窓口に実名、肩書を記してメールした。3回にわたって投稿したが、方針は変わらず、市長に直接手紙を書こうと思い立った。
最初はオンライン授業について書くつもりだった。しかし「いつから大阪はこんな教育になってしまったのか、教育の独立が損なわれてきたのに自分は今まで何してきたんやろかと、そんな自分が許せなくなってきた」という。
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ロシアとウクライナを囲む東欧の国々の現況。カギはEUとNATO(北大西洋条約機構)。加盟している国は反ロシア。「中立」も、ロシアとの距離を置いていることを示唆しています。
ベラルーシ ポーランド、ロシアの狭間に。1991年、ソ連領から独立。ロシアとEUと天秤に。ただし、ルカシェンコ政権は30年近い強権独裁政治。批判的なEUに対し、親ロシアに。国土は日本の半分。人口940万人。通貨はベラルーシ・ルーブル。
ジョージア EU、NATOの加盟を目指す。トルコ、モンゴル、ロシアなどに翻弄される。2008年にロシアから侵攻されるも停戦に。反ロシア感情が強い。国内の南オセチア、アラバシは親ロシアで独立状態。国土は日本の5分の1。人口400万人。
通貨はラリ。
モルドバ オスマン帝国やロシア帝国に蹂躙され、1991年にソ連から独立。反ソビエト運動の後、中立を保ち、2020年に親欧米派の大統領が誕生。ロシアのウクライナ侵攻を受け、ジョージアとともにEU加盟を申請。国土は九州と同じ。人口400万人。通貨はモルドバ・レイ。EUで2番目に貧しい。
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神奈川県立高校には完全無給のこの制度があった。鈴木さんは2013年から取得。当初は東京で沖縄のハンセン病を勉強する予定だったが、沖縄のことをやるんだからと沖縄にやって来た。愛楽園にどっぷりできることになって、資料館準備に携わりながら、沖縄大学で学んだという。
愛楽園自治会・開園80周年記念誌
(うむいちなじ)の編集担当に休職後、職場復帰してからも、沖縄に来ていた17年。退職すると決めていた。その時、金城雅春自治会長が「80周年記念誌、やらないか。採用試験あるよ」と声をかけてくださった。それでこんなチャンスないと「やります」。自治会長は「企業の
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演劇や小説の場合、タイトルは描かれる内容(テーマ)と密接な関係にあるが、落語の場合はあまり関係ない。というか、ほぼ関係ない。落語のタイトルは幕内の心覚えから始まった。寄席にはネタ帳というものがあり、その日、誰がどんなネタを演じたのか記してある。それは、同じネタや類似の噺が繰り返されないようにとの、幕内の心配りなのだ。それゆえ、どんな噺か分かればいいので、仲間内の符丁のように記されていて、それがいつの間にか落語のタイトルとして扱われるようになったわけ。たとえば「つるつる」とか、「だくだく」「ぞろぞろ」なんて聞いても、どんな内容か想像すらできない。
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大正3(1914)年7月、第1次世界大戦が勃発。日本も参戦した。不況に陥っていた日本経済は軍需が殺到。アジアから西欧列強が後退したことで輸出が増え、一躍、大戦景気になった。開戦時に11億円の債務国だった日本は、戦後の大正9年には37億円以上の債権国になっていた。
好景気の中、マキノ省三と尾上松之助による映画は大ヒットを続けた。忍術映画だけではなく、任侠もの、侍ものとあらゆるジャンルの時代劇を生み出していた。省三の千変万化の演出に、松之助もよく応え演技力もつけてきた。省三あっての松之助であり、松之助あっての省三といえた。 そんな両者の間にも、やがて亀裂が忍び込んでくる。どん底だった景気は上昇し、それにつれて日活の経営も順調になり、横田永之助は会社の実権を一手に握った。
この1月、帯状疱疹になりました。体の左右どちらかに刺すような痛みやしびれが起こり、そのあと赤い斑点が帯状にあらわれる病気です。水ぼうそうにかかったことがある人なら誰でもなる可能性があります。
水ぼうそうは治ったあともウイルスは体内から出て行かず、体の神経に潜んでいるといいます。加齢やストレスなどが引き金となって免疫力が低下すると、潜んでいたウイルスが活動を始め、発症します。
私は夜中に突然、腰のあたりが痛くて目が覚めました。前日に年末年始の運動不足を解消しようと体を動かしたので、初めはそのせいかと思いましたが、朝になっても左側にしびれや痛みが続きます。「座骨神経痛かも」と軽く体を動かしたり、湿布を貼ったりしてごまかしていましたが、痛みは増すばかり。1週間後、ぽつぽつと赤い斑点ができていることに気づきました。ここでようやく皮膚科に行き、帯状疱疹と診断されました。
帯状疱疹は人によって症状が出る箇所が異なります。ウイルスがどこに潜んでいるかによるからです。腕や胸部が最も多いのですが、顔や頭部、そして私のように腰やおしりなどにも出る人がいます。腰の場合、表に出るまでに時間がかかり、座骨神経痛を疑って整形外科で検査を繰り返す人もいると聞きました。
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好奇心のアンテナ
全開にし日々奮闘
大阪市 松江昌子
新型コロナ感染の影響を受け、ホテル勤務をしていた次男が失職し、仕事を求めて他府県へ転出しました。慣れない土地での生活は想像以上に厳しかったようです。現在は心機一転、大阪に戻って頑張っています。心配は尽きませんが、ひとまずほっとしています。
末娘は看護師を目指し、3月末、入寮のために巣立って行きました。サッカーが大好きで、中学では男子に交じって一人頑張っていました。女子サッカー部のある高校に進学しましたが、堪え難いことが重なり、夢は打ち砕かれました。あとの2年間はコロナ禍中で思い描いていたような高校生活とはほど遠いままでの卒業となりました。
当初、娘が看護師を志すと決めたことを素直には喜べませんでした。辛い思いをした娘が最後までやり切れるのだろうかと心配だったのです。今では娘の選択を全力で応援したい、そして今度こそ、楽しく充実した学生生活を謳歌してほしいと思います。
子どもたちが家を出たため、私自身は35年ぶりの一人暮らしが始まりました。これからは今まで以上に健康であらねば、子どもたちに心配と迷惑をかけてしまいます。私なりに好奇心のアンテナをいっそう全開にして、日々奮闘していきたいと思っています。
(コロナが重なり、いろいろと辛いこともあったでしょうが、若い2人の新たな門出に「乾杯!」。松江さんもお身体に気をつけて、お仕事頑張ってくださいね。またどこかの講演会で再会する日を楽しみにしています)
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再びニコル君の話をしたい。介助犬協会に返すため、乗ったことのない飛行機を選んだ。座席の足元にじっとしていられるか。揺れに耐えられるか。まったく予想できない。決めたのはいいが、不安の方が強かった。まず、チェックインカウンターで車イスから狭い通路が通れるものに乗り変えて機内へ。真ん中辺りの席に乗り移ると、まるで自分の家にいるように落ち着いて足元に収まってくれた。
神経質で少し怖がりのニコル君は新幹線が苦手だった。新幹線の揺れが「ジィー」と音が聞こえてくるような細かな振動が嫌だったようだ。1時間のフライトを何の問題もなく終えたニコル君はスタスタと歩いてくれた。これも10歳になった余裕であろうか。ニコル君のおかげで飛行機にも乗れた。
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ロシアのウクライナ侵攻により、クローズアップされた一冊。ウクライナ民話として、ラチョフが絵を描き、日本で1965年に出版され、毎年増版されるほどの人気です。
降り積もる森の道。おじいさんが散歩の途中で落とした
片方のてぶくろ。「あったかそうなてぶくろ。ここでくらすことにするわ」。最初にてぶくろの中にもぐりこんだのは一匹のネズミ。「いれて」とピョンピョンはねてきたのがカエル。ミトンの暖かそうなてぶくろに、ウサギが、キツネが。動物はどんどん増え、最後はクマまでもが……。
子どもたちに読むのは寒い時期です。動物が増えていき、大きくなるたびに、わぁっと歓声が上がります。最後に7匹になったところで、おじいさんが戻る直前にみんな逃げてしまいます。数が増えても、てぶくろの中でケンカしないで、いがみ合うこともしない動物たちを、子どもたちは笑顔で見ています。読み手の私たちは、押しつけがましいことは言いません。挿絵の動物たちは皆笑顔なのです。
作者のラチョフは1906年シベリア生まれ。キーウの美術学校を出た後もこの街で働いたとか。ウクライナの民話をどこかで知ったのでしょう。今まで何気なく読んでいたのですが、てぶくろは何を表しているのか、動物たちが逃げていくのは何か示唆しているのではないか、と考えさせられます。
民話や昔話は、世情をベースにしていることが常です。子どもたちは、『てぶくろ』を笑顔で読み手と共有できます。ウクライナの子どもたちが、『てぶくろ』の動物たちのように笑顔で楽しめる日が来るために私たちは何ができるのか。あらためて考えさせられます。(元小学校教諭 遠田博美)
新聞うずみ火のお花見集いが4月9日、大阪城公園であり、埼玉や千葉からの参加組も含め30人が花吹雪の下で楽しいひとときを過ごした。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で3年ぶりの開催。まん延防止等重点措置は解除されたとはいえ、西の丸庭園内での飲食は禁止。花見客でにぎわう「教育塔」近くに陣取り、三密を避けて敷物を広げた。
今年も髙田博光さんが「うずみ火」の文字を海苔やプチトマトで飾り付けたちらし寿司を持参。「利き酒屋」の玄英子(ヒョン・ヨンジャ)さんが地ビールを、永留博文さん、JR東海労新幹線関西地本からビールの差し入れがあり、笑顔が広がった。
埼玉から野沢栄一さん、千葉から白井政幸さんが参加。神戸の井芹史見代さん、黒田ジャーナル時代の後輩記者の山田孝さんも家族連れで初参加。飲んで食べて語り合って交流を深めた。
クラウドファンディングにご協力いただき、ありがとうございました。おかげさまで目標額に達し、空襲被害者証言DVDの制作に取りかかることができます。さて「新聞うずみ火」も5月号で199号。2005年10月発行の創刊号から数えて来月は200号の大台です。ひとえにこれまで支えていただいた読者の皆さまのおかげです。心よりお礼を申し上げます。これまでにもたくさんのメディアに取り上げていただき、そのたびに「知らんかったわ。一度、読んでみよか」と読者の輪が広がりました。最初に取り上げてくれたが、毎日新聞の松井宏員記者。当時、担当していたコラム「発信箱」の中で、こう書いてくれています。〈昨秋、「人権、平和」をテーマに、大阪で月刊誌「うずみ火」が創刊された。わずか数百部、手刷りで、スタッフがページをホチキスでとめて郵送するという「家内制手工業」。編集部のほとんどが、これまたおっさんだ。小さな火だが、消えることなく、こんなご時世をボヤキ続けてほしい。私もボヤく〉。さすがにホチキスでとめて郵送することはなくなりましたが、編集部のおっさん、おばさんのボヤキは相変わらず。今では、北は北海道から南は西表島まで2000人の読者を抱える「小さな全国紙」になりました。本来なら100号記念の時のように、ささやかながらも宴の席を設けたいところですが、新型コロナの感染が収まっていません。祝宴は先に延ばし、来月号は読者からの「苦言・提言・応援歌」特集にしたいと考えています。思い出に残る記事やイベント、うずみ火との出合いを振り返っていただくのもOK。こんな新聞にしてほしいとの注文もお聞かせください。そういえば、恩師の黒田清さんが生前、こう言ってましたわ。「いい新聞は、いい読者が作るんやで」 (矢)
3月9日(水)
矢野 夜、真宗大谷派の難波別院の講堂で空襲体験者の証言DVDを上映し、「大阪大空襲を語り継ぐ」と題して講演。ZOOMでもたくさんの方が視聴してくれる。
3月11日(金)
矢野 午後、福島第1原発事故を受け、京都府内への自主避難者ら報告会が大阪市北区であり、共同代表の萩原ゆきみさんと再会。
3月12日(土)
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大阪府と大阪市が推進するカジノを含む統合型リゾート(IR)の事業計画である「区域整備計画」案が3月の府議会、市議会でそれぞれ承認されました。この計画書を4月28日までに国に提出し、最大3カ所を承認することになっています。
国の判断を待つばかりですが、巨額の公費負担をはじめ様々なリスクが浮上しています。万博の影に隠れて見えにくい問題をIRの「基本協定書」を精査した立命館大教授の森裕之さん=写真=に解説していただきます。演題は「カジノ・夢洲整備で大阪は破たんする」です。
当日、YouTubeで配信します。その時間でなくても視聴できます。希望される方は「新聞うずみ火ニュース」のホームページをご覧ください。
【日時】5月7日(土)午後2時半~4時半
【会場】大阪市北区のPLP会館4階(地下鉄堺筋線「扇町駅」④出口から徒歩3分、JR環状線「天満駅」から南へ徒歩5分)
【資料代】読者1000円、一般1200円、オンライン視聴、学生、障害者500円