開幕まで1年半に迫った「2025年大阪・関西万博」。世界から153カ国・地域が大阪湾の人工島・夢洲に集まるが、最大の課題は海外パビリオン建設の遅れ。日本国際博覧会協会(博覧会協会)から労働法制の適用除外を求める声が上がるほど切羽詰まっており、会場建設費などの上振れも懸念されている。万博・IRカジノ問題を取材している元大阪日日新聞記者の木下功さんは、9月16日に開講した「うずみ火講座」で、「1年延期しなければならないところまできている」と警鐘を鳴らした。
海外から参加する国・地域が自費で設計・建設するパビリオン「タイプA」の60カ国について、9月19日時点で着工に必要な仮設建築物の許可申請を大阪市に提出したのはチェコだけ。
タイプAは、海外の設計会社がその国の方針に基づいてデザインし、日本の設計会社が日本の法律に照らして問題がないかを確認してから建設会社との価格交渉に入るコンソーシアム方式を取っている。価格交渉に2カ月ほどかかり、建設業者が決定してもすぐに着工できるわけではない。
博覧会協会が価格交渉を短縮するため、苦肉の策として出してきたのが「タイプX」だ。建設手続きが遅れている国に代わり、博覧会協会が価格の決まっているプレハブ式の建物を造り、「あとは内装などで独自色を出してください」というものだ。
だが、博覧会協会から海外のパビリオン担当者に十分な説明がなされておらず、タイプXに変更したのは1カ国だけだった。
ゼネコン関係者に取材した木下さんは「開幕に間に合わせるには、価格交渉期間を短縮することが必要条件でした」と打ち明ける。
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関東大震災下で多くの朝鮮人や中国人が虐殺されて100年。虐殺事件があった関東地方を中心に9月上旬、全国各地で追悼式が行われた。100人以上が殺害された東京・墨田区八広の荒川河川敷でも9月2日午後、「ほうせんか」主催の恒例の追悼式があり、歌やプンムル(農楽)が披露された。100年目の追悼式を担ったのは若者たちだった。
〈後に関東大震災と呼ばれるこの災害による死者・行方不明者は10万5000人に上りました。地震が昼時だったことで、かまどや七輪から出火。東京や横浜では大規模な火災が起こり、犠牲者の9割は焼死でした。しかし、これを生き延びたにもかかわらず、多くの朝鮮人が日本人の手によって虐殺されました〉
〈1910年、日本は朝鮮を植民地としました。そのことは朝鮮の民衆にとって到底受け入れられるものではなく、1919年の三・一独立運動をはじめとした数々の抗日運動が繰り広げられ、その様子は新聞などでも報じられました。そうした中で発生した大震災。その日の午後には朝鮮人が井戸に毒を入れた、放火したなどといったデマが現れ、またたく間に広がりました。軍隊や警察、そしてこうしたデマにあおられた日本の人々が、武器を持って朝鮮人に襲いかかりました〉
荒川を背にしたステージで、若者たちの「朗読劇」がはじまった。42回目となる「ほうせんか』主催の追悼式。虐殺の歴史を学び、自身の問題と受け止めた在日コリアンと日本人の若者たちが今年、「百年(ペンニョン)」と名付けたグループをつくり、追悼式の企画運営を任されていた。「朗読劇」はその一つ。都内のあちこちで集められた証言を読み上げた。この墨田区八広の荒川河川敷や旧四ツ木橋、京成本線の鉄橋などで何があったかも。
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東京電力福島第1原発事故で発生した大量の汚染水が海洋放出されている。国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを得た日本は安全性に問題はないとするが、中国は猛反発している。海に流して大丈夫なのか。2月のうずみ火講座で「これ以上余計な放射性物質を放出すべきではない。タンクで貯留するか固化するかして、東電の責任で長期保管すべきだ」と訴えた京都大複合原子力科学研究所研究員の今中哲二さんに尋ねた。
−−−−政府は「トリチウムを基準の40の1まで薄めた上で放出しているから安全だ」と言っていますが、海水で薄めれば安全なのでしょうか。
「薄めたからといって放射物質の総量は変わりませんし、毒だったものが無害になるわけではありません。セシウム137とかヨウ素131といった放射性物質の種類によって、施設外へ排出する際の濃度限度が法令で決まっています。トリチウムの場合は1㍑あたり6万ベクレルです。いわゆるALPS処理水のトリチウムは平均60万ベクレルなので、そのままでは施設へ放出できません。廃水処理の基本は毒物を取り除くことですが、それができないので『薄めて基準以下にして海洋放出』というのは、禁じ手だと思います」
−−−−中国も複数の原発でトリチウムを放出している。との指摘があります。
「原発からトリチウムは放出されていますが、燃料デブリに触れていないので、通常運転の場合はもともとの濃度が排出基準以下だと思います。福島の汚染水は、流入地下水がデブリ冷却の水と混じって、トリチウムだけでなくいろいろな放射性核種で汚染されています。いま貯まっている130万㌧のうちの7割は、最初のALPS処理の後でも、トリチウム以外の核種だけで排出基準を超えています。東電は『ALPS処理途上水』と言っていますが」
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1944年10月10日、沖縄各地を米軍が空爆した。沖縄戦前の「十・十空襲」で那覇市は壊滅した。那覇市は2007年から、慰霊祭を毎年10月10日前後に行ってきた。しかし、今年は慰霊祭を11月11日に変更することがわかった。なぜこのようなことが起こるのか。
9月8日の那覇市議会答弁では、担当課が日程確保のため公園の指定管理者に問い合わせたところ、すでに別イベントで予約がされていたと説明した。これに先立つ地元紙やテレビの報道は扱いが小さく、問題の深刻さをとりあげたものはなかった。
那覇市の対応がなぜ問題なのか。実は那覇市には、市民のための慰霊碑が存在していなかった。那覇、首里、真和志(まわし)、小禄(おろく)の遺族会が結成した那覇市連合遺族会は1991年に慰霊碑建立を市に要請した。その結果、那覇市は戦後50年事業として96年、「那覇市恒久平和モニュメント・なぐやけ」(若狭旭が丘公園)を建立した。当初は連合遺族会が慰霊祭を行ったが、高齢化で2007年からは那覇市が引き継いだ。「十・十空襲」を沖縄戦の始まりと位置づけ、10月10日の慰霊祭を決めた。しかし、近年は10日を第一候補としつつ、その前後に開催してきた。
この変更はやはり同時期に行われる那覇市最大の祭「那覇大綱挽」などの影響があるようだ。だが、戦後の「那覇大綱挽」復活はもともとは、「十・十空襲」を意識したものだった。
那覇市は占領初期から軍用地となり、その後には沖縄初の都市計画が着手された。旧市街地の那覇市民が故郷に戻れたのは1960年前後から。那覇市は戦後復興が形になったのを祝い、戦後途絶えていた「那覇大綱挽」を71年の「十・十空襲」のあった日に復活させた。きらめく陽光の中を天まで届けと旗頭が乱舞した復活の日の記憶は幼かった私の記憶にも残る。
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久元喜造・神戸市長の暴挙と言ってよい。同市灘区にある王子公園を潰し大学誘致の場として公募。現在、関西学院大学が応募し、進められている。市民の財産である公園を一私立大学の私有地にしていいのか。市民が安価に利用してきたスポーツ施設を潰し、樹木も大量伐採されることなど許されない。市民からの反対運動が高まっている。
王子公園は摩耶山麓の斜面に広がる約19㌶。市営動物園の他、陸上競技場、プール、テニスコート、相撲場、体育館などが備わる。阪神・淡路大震災では自衛隊などの拠点にもなった。防災拠点としても重要だ。
ところが久元市長は2021年1月、突然、「王子公園の一角(3・5㌶)を大学誘致の場としたい」と公表した。大学誘致でまち興しを目指す過疎地でもない。大都市の一等地の公園への大学誘致は極めて不自然だった。
市は「学生を増やして将来的な定住人口増につなげる。大学の都心回帰が進む中、質の高い競争力のある大学を誘致したい」と説明している。
売却価格は100億円で、昨年12月からの公募には関学だけが応募し、「優先交渉権」を得ている。この地は関学の発祥の地でもあり、「表向きは公募としながら関学との出来レース」とも噂される。
市の計画では、最も駅寄りにあった陸上競技場を公園の北側に移転新築し、跡地を大学キャンパスにする。プールやテニスコート、相撲場などが消え、立体駐車場が造られるなど、公園が様変わりし、桜など豊富な樹木が伐採される。
市は「市民と学生との交流」を大義にするが、市民が大学施設を自由に使えるはずもない。ある男性は「わずかに残された憩いの森も4000人という学生の場にされ、近隣住民は追い出されてしまう」と話す。
8月27日には王子公園内で地元住民らの「王子公園・市民ミーティング実行委員会」(代表・小林るみ子)主催の集会があった。
プールを愛用してきた男性は「市長は、プールは年に2カ月しか使っていないと言うが、暑いのだから営業時間や期間を延ばせばいい」。子どもたちに水泳を指導する女性は「ポートアイランドの50㍍プールは深いし怖い。ポートライナーの運賃も負担になる」などと訴えた。
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9月13日、岸田首相は党人事と内閣改造を行った。記者会見で「何十年に一度という難題が複合的に生じる歴史の転換点を迎え、新しい時代にふさわしい政策をさらに力強く推進するために行った」と述べていたが、ほとんどの視聴者が、あんたは選挙の時に「決断と実行」を叫んでいたが、何をやったのか、口先ばかりだから支持率が低迷するのだと怒ったのではないか。
ここまで支持率が低迷すると、しっかりした野党がいて、与党内に次を狙う有力な人物がいれば、とっくに退陣に追い込まれている。どっちもダメだから延命できているだけだ。新入閣11人が示すように、役職と大臣を派閥にばらまいて、岸田降ろしが出ないようにしただけではないか。翌14日には国民民主を巻き込むためにパナソニック労組出身、電機連合を母体としていた矢田稚子前参議院議員を首相補佐官に任用したが、貧困対策や厳しい状況に置かれている労働者のために粉骨砕身した人物ならともかく、誰も拍手を送らない。
読売新聞が15日朝刊で伝えた緊急調査の結果では、内閣改造を評価したのは27%、評価しないは50%、内閣支持率は35%、不支持は50%、政治資金疑惑が残ったままの小渕優子議員の選対委員長起用を評価したのは37%、評価しないは44%、党人事・内閣改造は何の効果もなかったのだ。
岸田首相は記者会見で、経済を第一の課題とし、新型コロナを乗り越え、明るい兆しが見えていると述べ、持続的成長につなげるため、構造的賃上げを実現し、世界に伍していける投資促進策を打ち出し、物価上昇に機動的に対応して国民生活を守り抜くと述べたが、みんなは、どんな物価対策をやっているんだ、何もやってないじゃないかと怒っていたのではないか。
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ウクライナ東部のハルキウ市は、ロシアまでわずか数十㌔の国境の町だ。戦争初日から猛烈な空爆にさらされ、昨年9月まではロシアに占領されていた。数少ない帰還民のグレゴリーさんを運転手にして、ハルキウからロシア国境へと向かった。
5月12日午前9時、グレゴリーさん宅を出て、途中の検問もうまくパスし、さらに東へ。国道沿いには破壊された民家やガソリンスタンド、教会などが延々と続く。徹底的に破壊されたドライブインの前でカメラを回す。その隣にEUのマーク付きの仮設住宅。すべて無人だった。この地点でロシアまで25㌔。ここまで来ると。電気なし水道なし。ミサイルがまだ飛んで来るし、もし「2度目のロシア軍の侵攻」があれば真っ先に占領されてしまう。仮設住宅があっても住民は戻れない。
さらに東へ。テシュケ村に入る。国境まであと20㌔。小規模なニュータウンが壊滅している。おしゃれな新築一戸建ての家々が全滅。「ドブロシヤスカ12番地」という看板がかかっている家の中庭にミサイルが突き刺さったまま。門扉にはウクライナ語で「ここには人が住んでいます」と走り書き。中庭にプールがある豪邸、やはりミサイルの破片が転がっていて、その横に子どものおもちゃ。自慢の家と幸せな家族生活が一瞬にして奪われている。
無人の村に青年が2人。大工さんだった。家主の依頼で修理に来ている。しかしこの地域は電気なし、水道なし、地雷あり。家を復旧しても住めるようになるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。ニュータウンの入り口がスーパーマーケットになっていて、ここでカメラを回しているとミニバンがやって来た。スビトラナさん(38)一家はハルキウ市内に避難しているが、数日おきに自宅を点検しにやってくる。彼女の案内で自宅へ。門扉に銃弾の穴。ガレージの屋根には小型ミサイルの大きな穴。電気が来てないのでスマホで照らしながら屋内へと進む。子供部屋に娘さんが描いた絵と教科書、ぬいぐるみ。応接間に数多くのメダル。彼女は陸上選手で記録保持者なのだった。
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8月24日、東京電力は福島第1原発事故で生じた汚染水の海洋放出を始めた。放出に先立つ20日、岸田文雄首相は福島県を視察に訪れた。だが、視察先は福島第1原発の敷地内で、意見交換は東京電力の幹部と行ったのみ。地元の漁業者や自治体などの話を聞くこともなかった。そして「海洋放出は廃炉と福島の復興を進めていくために先送りができない課題だ」と強調したのである。
21日には、海洋放出に反対している全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長らと面会して、漁業者への長期的支援を表明することで理解を求めた。坂本会長は「反対であることはいささかも変わらない」とした上で、2015年に交わされた「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」という「約束」については「破られていないが、果たされてもいない」と話した。福島県漁連からも同様の声があったとして、西村康稔経済産業大臣は「関係者の一定の理解を得たと判断した」と表明した。
そして22日、政府は関係閣僚会議で海洋放出を正式決定したのだった。それに伴い、漁業者のための事業継続資金を設置すること、風評被害が生じた場合の需要対策基金を創設すること、損害が生じた場合に東京電力が適切に賠償することなどに言及した。かつて「最後は金目でしょ」と放言した大臣が思い出される。漁業者に対して、補償をするから放出を認めよというゴリ押し以外の何物でもないのではないか。
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インド北部に拠点を置く「カバル・ラハリヤ(ニュースの波)」は被差別カースト・ダリトの女性たちが設立した新聞社。「燃えあがる女性記者たち(原題「Writing with fire」)」は偏見と暴力にひるまず、声なき声を掘り起こす姿に密着したドキュメンタリー映画だ。インドの映画監督、リントゥ・トーマスさんとスシュミト・ゴーシュさんが、紙媒体からデジタルメディアへと変貌する過渡期に伴走し、彼女たちの発信が、インド社会に大きな波をもたらす過程を描いた。
インドで記者といえば上位カーストの男性がほとんど。「カバル・ラハリヤ」のような女性だけが運営するメディアは異例。しかも彼女たちは最も困難な立場にあるダリトの女性たちだ。
カースト制度は法的に禁止されているが、社会のあちこちにはびこっているという。「なかでも『不可触民』である『ダリト』はカーストをもつことすら許されないほど『穢れた』存在とされ、上層のカーストの道をさえぎっただけでリンチを受けるような抑圧と暴力を日々耐え忍んでいる。だからまず、ダリトの女性であることの意味を想像してほしい」とトーマスさんとゴーシュさんは説明する。
……
今年1月号で、過疎地域の鉄道路線に「貨客混載による運賃収入の増加を」と提案しました。その続きです。
私的体験 コロナ禍もあり、数年ぶりに帰省しました。兵庫県北部で、大阪駅から福知山を経由して山陰本線に入ります。私の育った町は、特急は停車しますが、無人駅になっていました。地域の中心、豊岡駅は小さな駅舎に変貌。コストカットのため「みどりの窓口」も無人化され、帰りの切符を買うのもひと苦労。十人余りの乗客が列をなし、若い駅員さんが汗をかきながら、お客の横で機械を操作し、切符を販売していました。もう一つの「みどりの窓口」は故障中。帰りも困りました。売店が見当たらず、お弁当やビールが買えません。故郷は……ホント、遠くなりました。
物流の2024年問題 時間外労働の規制。月間45時間、年間360時間が上限と決められ、大企業は19年4月から、中小企業は20年4月から適用されています。ただし、建設や自動車の運転、医師などは24年3月まで猶予。来年度から、ドライバーの時間外労働は960時間(年間)の上限規制が適用されます。物流業界では対策に大慌て。輸送力が不足し、営業用トラックは24年に14・2%、30年は34・1%減少し、輸送トン数も4億㌧(24年)、9・4億㌧(30年)が不足する見込みです。この国の物流は、高速道を中心にした営業用トラックに依存していましたが、その影響は相当深刻なようです。
……
米軍ジェット機事件の
記録を課題に
2010年3月に630会が発足
して、豊濱会長は徐々に活動を始め
ていった。宮森小学校のジェット機
事件について講演したり、現場をガ
イドしていた。
それで久高さんが豊濱さんに「講
演やガイドするにも要るし、概要を
まとめるとか、証言集を作って残し
た方がいいと提案」すると、本の編
集の経験がある豊濱さんはすぐに事
故当時の各学年ごとに座談会を開催。
体験を聞き取り、10年9月から11年
にかけて「沖縄の空の下で」という
証言集を3冊発行。この証言集を原
案に映画「ひまわり・沖縄は忘れな
いあの日の空を」が制作され、13年
から全国で上映された。
……
1918(大正7)年8月、政府はシベリアへの出兵を宣言、1万2000人を派兵した。この出兵が大きな余波をもたらした。米価高騰である。派兵で米価の値上がりを見込んで、米穀商や地主たちは米の買い占めや売り惜しみ、高騰に拍車をかけた。民衆は生活難に苦しみ、飢餓に陥いる人々が多くなった。
富山県中新川郡(現富山市)では高騰する米価に耐えかねた漁師の妻たち300人が、「このままでは餓死する!」と訴え、資産家や米屋に押しかけた。「女一揆」とも呼称された米騒動は全国に飛び火した。8月10日には京都と名古屋で数万人に及ぶ大規模な騒動となった。11日以降、さらに大阪・神戸をはじめ各地に騒動が広がった。値下げ要求は暴動化し、打ち壊しや焼き打ち、略奪が繰り広げられた。全国的な指導者も組織も不在の、自然発生的に起きた民衆の騒動だ。
警察力では民衆の怒りを抑えることができなくなり、軍隊まで出動するも収拾できなかった。京都でも「米屋をやっつけろ!」と殺気だった群衆が徘徊し、米屋や金融関係者宅を取り巻き、強談判する。警察は民衆を暴徒とみなし、人々を次々と検挙していった。当時小学5年だったマキノ雅弘の述懐がある。「日活の大道具係の男が首謀者の1人だったといわれ、牧野省三も警察で喚問を受けた」
……
8月26日から東京都内で開催予定だった関東大震災の企画展「100年前の100人の新証言~データとAIで紐解く、あの日に起きたこと」が中止になりました。日本赤十字社東京都支部が計画したものです。
チャットGPTをベースにした大規模言語モデルに、大震災の体験記などの文献15点を読み込ませ、100人分の「証言」と20人の人物画像をAIで作成。それを新証言として「毎日食糧を探していた」などの文章を紹介していたといいます。
日赤のサイトでは企画の意図を「震災当時の記憶も薄れ、描かれた当時の様子も絵画だけでは伝わりにくくなってきている」「AIという新しい技術のサポートを得ることで、描かれている当時の状況やそこから見出せる教訓等を想像しやすくなるのでは」と説明しています。
体験記のデータを入れたとはいえ、それ以外の様々なデータで学習しているAIに新たに証言を作成させる。新しく作った証言もどきに「新証言」と名付ける。
どこをとっても問題だらけですが、この企画が通ってしまったことに驚きます。SNSで「歴史のねつ造」などの批判が上がったことは救いでした。
ネット上には史実を歪め、あったことをなかったかのように誘導する団体などが存在します。それに乗っていく政治家や有名人もいて、嘘が真実になりかねない状況も生まれています。
……
汚染水放出の心配
風評被害だけか
大阪府茨木市 水垣良成
政府が8月24日、地元の漁連の理解なしで核物質を含む汚染水の放出を始めた。「地元の合意なしでは放出はしない」という約束を反故にして。 翌日、大手マスコミは風評被害のことを報道し、この汚染水は「IAEA(国連原子力機関)の安全基準に合致している」と繰り返していた。果たして、心配なのは風評被害だけなのか。これはプロパガンダではないのか。政府の見解をそのまま報道する姿勢にも疑問を持ち、本来のジャーナリズムの役割から乖離していると感じている。
そもそも、放射線はどれだけ取り入れたら安全かという敷居値がなく、誰もわからない。基準を満たしているから放出しても安全だ、とはならない。ALPS(多核種除去設備)で除去しても、トリチウム以外の核物質も残る。薄めても総量は変わらない。基準を定めているIAEA自体が核の利用を認めた組織であり、核自体が危険という判断を持ち合わせていないのではないか。いわば、核兵器、原発あっての、核を保持している国々の意向があっての組織だとしたら、そんな機関の偏った判断を鵜呑みにはできない。
核燃料デブリに触れた汚染水は相当高い放射線量である。普段でも稼働中の原発から放出される放射線を含む冷却水とはけた違いに多い。薄めて海に流しても、どんな事態が待っているかは誰も予想できない。風評被害だけを報じる報道機関は生活、安全の視点から離れているのではないか。
茨木で市民による抗議活動が展開されたが、チラシを受け取ってくれる市民はいつも以上に多くいた。
(岸田首相は、全国漁業協同組合連合会の坂本会長ら首相官邸で面会した際、「たとえ数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することを約束する」と強調しましたが、数十年も首相を務めるつもりなのでしょうか。その場限りの嘘ばっかり。ますます信用できません)
新聞うずみ火続くよう
定期購読申込みました
大阪府吹田市 富岡昌祐
(富岡整骨鍼灸院)
MBSラジオの「ニュースなラヂオ」はもちろんのこと、水野晶子さんや近藤勝重さんが担当する報道番組が好きで、矢野さんがゲスト出演されるときは欠かさず聞くようにしていました。天六で行われた「第1回黒田清さんを偲ぶ平和ライブ」で初めてお会いした時のことを昨日のことにように思い出します。
大阪空襲を研究され、関大でも講義をされていた矢野さんなら小山仁示先生をご存じだと思います。「大阪大空襲−−−−大阪が壊滅した日」を書いた方です。私はその小山ゼミに所属していました。ちなみに、私の卒論は「戦前大阪のハンセン病療養所」というものでした。
新聞うずみ火は非常に読み応えがありました。ぜひとも継続してほしいと願い、定期購読を申し込みました。来年こそ、矢野さんと一献できることを楽しみにしています。
(小山先生は大阪大空襲研究の第一人者だった方で、私も生前、何度か教えを受けました。富岡さん、ご縁を感じています。来年と言わず、今年中にお会いできるのを楽しみにしております)
……
今年は激しい雷雨が降り続き、驚かされた。傘を差していても、車イスだから顔以外はびしょびしょに濡れる。濡れても仕方がないと雨の中を行くことにしたが、雨音の中に響き渡る雷の音を聞き、観念した。雨宿りをしようとも考えたが、最近の街の中は軒下がない。道路を走る車も水しぶきを上げて、心なしかスピードを上げているように思える。それにしても、ここまですごいゲリラ雷雨が過去にあっただろうか。それとも、今まで運が良くて降っている時にたまたま外出しなかっただけかもしれない。
びしょ濡れになって家に帰ると、まず介助犬イムア君の体を拭き、足を拭いて待たせる。自分もシャワーを浴びて着替える。手早くしたいができないもどかしさを感じながら、気を取り直して生渇きのイムア君にドライヤーの温風をあてて乾かして完了。こんなことをしていると1、2時間はあっという間に過ぎてしまう。
家はゆるい坂地の真ん中にあるので冠水の心配はない。それだけでもありがたい。何かイレギュラーなことがあると、その対応に気力・体力を大きく使い、消耗してしまう。車イスに乗っている場合は、何とか気力で持ちこたえることができるのだが、降りたら床の上を掃除するかのように這うしかない。わかってはいるけど愚痴が口をつく。
……
絵本の表紙には、黄色の洋服とブーツの女の子が読み手に笑顔を向けています。つばのある帽子にはカラフルな草花と鳥たちがいます。表紙を見るだけで、どんなお話なのかとワクワクしてきませんか。
ミリーは学校の帰り、帽子屋さんの前を通りかかった時に見た羽の付いた帽子が気に入ります。店でかぶってみるとぴったり。早速、値段の交渉が始まります。
店長さんとの値段交渉もウイットに富んでいます。ミリーの財布にお金は入っていません。店長さんは「大きさも形も色も自由自在。お客様の想像次第でどんな帽子にもなる、素晴らしい帽子があります」と言います。さて、どんな帽子でしょうか。
うやうやしく帽子をミリーに被せている店長さんが描かれていますが、何もないのです。実は、想像するだけで、どんな帽子にもなる、素敵な帽子なのです。
ミリーはきちんと空の財布から支払いをし、店を出ます。
「なにか想像しなきゃ、帽子の形がみえないもの」とそこからミリーの想像の世界が広がっていきます。たくさんの羽がついた帽子を想像すると、きれいなブルーのクジャクの帽子がミリーの頭に乗っかります。ケーキ屋さんの前を通るとケーキの帽子。お花屋さんでは花いっぱいの帽子。公園では噴水の帽子に……。
その時突然、ミリーは帽子を被っているのは自分だけじゃないことに気が付きます。すれ違う街の人たち全員がそれぞれ違った思い思いの帽子を持っていたのです。それらを見ていると、その人のしたいこと、考えていることがわかります。街の人々を楽しそうに笑顔で見つめるミリーも笑顔です。
……
国会議員の政治資金収支報告書をデータベース化して公開している公益社団法人「政治資金センター」主催の臨時国会・緊急セミナー「政治とカネの問題をどう可視化するか!」が10月7日(土)午後1時半~大阪市北区の大阪弁護士会館10階の1001・1002会議室で開かれる。情報公開の第一人者で「情報公開クリアリングハウス」理事長の三木由希子さんが「政治資金データ開示の現状と課題」と題して講演する。
政治家の「政治とカネ」の問題が後を絶たない。その背景には問題が見えにくいことがある。法律や制度のどこに問題があり、どう改善すればいいのか。三木さんを招いて議論する。
基調講演を踏まえてのパネルディスカッションでは、三木さんが「政治とカネの問題を国会で議論してもらうにはどうすればいいのか」を訴え、神戸学院大教授の上脇博之さんが「刑事告発に有効な政治資金のデータとは何か」について説明する。また、弁護士の白井啓太郎さんが「弁護士から見た情報公開法」を解説し、朝日新聞神戸総局次長の野口陽さんが「アメリカの政治資金データベース事情」について報告するなど、それぞれの立場から問題提起する。
司会はジャーナリストの立岩陽一郎さん。
入場無料。問い合わせは立岩さん(070・1796・3122)まで。
突然の悲しい訃報だった。立命館大コリア研究センター研究員の塚崎昌之さんが9月16日に脳出血のため亡くなった。67歳だった。塚崎さんは在日朝鮮人史が専門で、大阪の朝鮮人強制連行研究の第一人者。2019年9月のうずみ火講座で「韓国はなぜ『徴用工』問題にこだわるのか~大阪の朝鮮人強制連行から考える」と題して講演していただいた。韓国大法院の「元徴用工訴訟」判決から1年、「昔の話を蒸し返すな」「解決済みだ」などと韓国バッシングが吹き荒れた時期だ。塚崎さんは戦中、戦後、現在の強制連行被害者への三つの加害についてわかりやすく解説してくれた。▼その後、MBSディレクターの亘佐和子さんが塚崎さんをインタビューした際、「私一人で聞くのはもったいない」とメディア関係者に呼びかけて「塚崎塾」がスタート。「メディア関係者だけではもったいない」とうずみ火の読者にも呼びかけさせてもらうようになった。毎回たくさんの資料を用意してくれ、熱く語ってくれた。4月の雨の中での大阪城探訪もそう。午前10時にスタートし、終わったのは夕方。大阪砲兵工廠の跡地や「アパッチ族」が警官に射殺された場所など、詳しく教えていただいた。11月は枚方フィールドワークの予定だったが…。
……
8月6日(日)
矢野 早朝、広島へ。「動員学徒慰霊塔」前で営まれた慰霊祭や第一県女追悼式などを取材。夜、中国新聞文化センターで文章表現講座を担当している有末和生さんと再会。友野晴己さん、大神由美子さん、小松正幸さんと懇親会。
8月9日(水)
矢野、栗原 夜、大阪市立総合学習センターで在日朝鮮人史研究家の塚崎昌之さんによる「塚崎塾」。
8月12日(土)
矢野 午後、西谷文和さんを講師に迎え、PLP会館でうずみ火講座。
8月14日(月)
矢野 午前、JR京橋駅前で営まれた「京橋駅空襲犠牲者慰霊祭」に参列。午後、ヤマケンさんこと山本健治さんがドイツの元国会議員ハイデマアリー・ダンさんらと来社。大阪大空襲について説明する。
8月17日(木)
矢野 夕方、「どないする大阪の未来ネット」事務局長の馬場徳夫さんに大阪万博について話を聞く。夜、大阪府・市IR推進局が大阪産業創造館で開いた住民説明会を取材。
8月18日(金)
午後、石田冨美枝さん、茶円敏彦さん、近藤良一さんがチラシのセット作業。
8月23日(水)
午後、新聞うずみ火9月号発送。柳田充啓さん、長谷川伸治さん、大村和子さん、多田一夫さん、康乗真一、工藤孝志さん、金川正明さんがお手伝いに。新聞も早く納品され、郵便局の回収に間に合う。
栗原 午後、発送作業を少し抜け、大阪高裁で結審を迎えた「琉球遺骨訴訟」の報告集会を取材。
8月25日(金)
矢野 午後、大阪コミュニティ通信社の石田肇さんと山口達也さんが来社。大阪空襲訴訟について収録。夜、事務所で「酒話会」。弁護士の定岡由紀子さんが出張のため「憲法BAR」はお休み。
……
行楽の秋、知っているようで知らない大阪の街を歩いてみませんか。
10月14日(土)は「釜ヶ崎フィールドワーク」です。
釜ヶ崎はJR新今宮駅南側の萩之茶屋1~3丁目周辺を差す地名とか。現在では地図にその名前はないのですが、今でも「釜ヶ崎」「カマ」などと愛着を持って呼ばれています。かつての「日雇い労働者の街」がどのような移り変わりをみせているのか、感じたいと思います。
ガイドは水野阿修羅さん。1970年から釜ヶ崎で暮らし、建設業、運転手を中心に45年間、日雇い労働に従事したそうです。今では、釜ヶ崎の地域史研究をライフワークとする釜ヶ崎案内の第一人者です。
10月14日(土)午後2時、JR新今宮駅東口改札に集合。そこからスタートします。参加費は1000円。
心地よい汗をかいたあとは美味しいビールで乾杯。午後4時から「釜ヶ崎に、グランマ号上陸す」(東方出版)の著者、新井信芳さんが萩之茶屋2丁目7-5で経営する居酒屋「グランマ号」で懇親会を行います。仕事などの都合で懇親会からの参加も大歓迎です。
参加ご希望の方はうずみ火まで。
少し早いのですが、忘年会のお知らせです。東京は12月2日(土)午後5~8時、お馴染みの新宿2丁目にある中華料理店「隋園別館・新宿店」(都営線「新宿3丁目駅」⑤出口から徒歩3分)です。二次会も予定しています。
大阪は1週間後の12月9日(土)午後6時~淀川区宮原の韓国料理店「セント」(地下鉄御堂筋線「東三国駅」から徒歩3分)。詳しくは次号でお知らせします。
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