新聞うずみ火 最新号

2020年8月号(NO.178)

  • 1面~3面 熊本南部豪雨ルポ「暴れ川 津波の猛威」(ジャーナリスト・粟野仁雄)

    熊本県南部を中心に記録的な豪雨が襲い、甚大な被害が出た。県内の犠牲者は64人に達した(7月13日現在)。7月12日の晩、神戸港でフェリーに車を積み、翌朝、宮崎港から被災の中心である人吉市、球磨村を3日間取材した。

    南側から球磨川を渡った人吉市の相良地区。渡った橋の隣の鉄橋が半分消えている。切れ目まで近づき、こわごわ撮影した。天気は悪い。濁流がごうごうと流れているのかと思ったが、水量は少なく底が見える部分も。「これでもいつもより多いですよ」と若い女性。

    東から西の八代平野へ向かう球磨川は両側から無数の支流が流れ込む。支流といっても阪神間の小河川と違い立派な川が多い。

    「暴れ川」と恐れられ1965年と82年には大被害をもたらした。下流域で一部狭くなる。流域に豪雨が降れば一挙に水かさが上がる構造で氾濫は年中行事だ。
    国道219号を球磨村方向に走って驚いた。高い電線に草やごみが引っかかっている。似た光景は、一昨年に取材した岡山県真備町など西日本豪雨の現場よりも、東日本大震災で津波に襲われた直後の宮城県陸前高田市の気仙川だった。
     じわーっと水位が上がるのではない。津波のように一挙に流域をのみ込んだ。へし折れたコンクリート柱や踏切、道路標識などがすさまじい破壊力を示す。

    片づけをしていた荒川昭洋さん(75)は「屋根に上がって救助を待ってたけど全然来ないんで、飛び込んで泳ぎました」。驚嘆すべき泳力だ。

    妹さんは「兄は足が少し悪いのでリハビリ代わりにスイミングスクールに通っていたのがよかったみたい」と話した。荒川さんの家の周囲は壊滅状態だ。

    入所者14人が亡くなった球磨村の老人ホーム「千寿園」を訪れた。川べりにあると思ったが、河畔から離れた高台に建っている。豪雨での土砂崩れは想定されても、水没は考えられない。運の悪いことに同園は1階を居住部屋にし、2階が事務室などだった。

    駆け付けた村の住民福祉課長の大岩正明さん(51)は、園の職員、消防団員、近所の男性とともに車椅子ごと入所者を階段で2階に運び上げていたが、まもなく暗然とする。入所していた母ユウコさん(83)の救助が間に合わず亡くなったと知らされた。「新型コロナで高齢者施設には入れなかったので久しぶりに母に会ったら車椅子で心地よさそうに寝ていました。その時は全員助けられると思ったのですが……。あっという間に濁流にのまれました」と振り返る。水没など「想定外」だった園にはエレベーターもなかった。

    今回、球磨川へ流れ込むはずの園近くの支流が逆流して園に流れ込み、越水量は過去の災害の比ではなかった。「村の神瀬(こうのせ)地区で代々、米穀店を営んでいた母は地域でも親しまれた活発な人でした。こんなことになるなんて。運命でしょうか」と語る大岩さんには悲しむ暇もない。葬儀もできないまま、災害対策本部で指揮を執っている。

    川べりにラフティングと民宿の施設「you you」がある。夫の正司さん(71)と経営する内野友加さん(48)は「北海道から舞鶴港におりて徹夜で車を運転して戻ったら、こんなことに」。施設も送迎バスなど車3台も壊滅したが、スタッフは無事だった。「熊本地震でも被災し自宅も火災にあった。災害はこれで3回目だけど今回が一番ひどい」と友加さん。「コロナの営業中止からやっと再開し、今日はお客さんがラフティングを楽しむ日でした。彼らが『どうせ休暇を取っていたから』って片付けに来てくれたんですよ」

    見ると、佐賀県から訪れた若者たちが泥まみれで動いていた。元気者の奥さんに引っ張られてか、正司さんは「負けてられないですよ」とみじんも暗さを見せなかった。

    球磨川と支流の山田川の合流地点にある球磨病院。1階はガラスが割れ、壊滅状態。2階では職員があわただしく動く。外来看護師長の段村千恵美さんが応じてくれた。

    「夜中の2時ごろから川が増水してスマホが何度も鳴りました。レベル5になり、緊急連絡網の呼び出しで私がここに来たのは6時半頃。車が走れるぎりぎりの時間でした」

    1階の医療機器などを2階に運んだ。医療用の劇物や薬などが流れては大変だ。

    球磨病院は水害を想定し、入院患者が3階より上だったのが幸いしたが、南館には人工透析患者がいた。大量の水と電気が必要だが非常用発電は不安定だった。
    ……

  • 4面~5面 熊本南部豪雨 読者から無地の連絡(矢野宏)

    熊本県南部を中心に襲った豪雨で甚大な被害を出した八代市や津奈木町の「新聞うずみ火」読者に安否確認の電話を入れたところ不通。お見舞い状を送った数日後、電話、はがき、ファックスでお元気な様子を伝えてくれた。ご報告します。 

    八代市 横林政美
    7月4日、携帯電話の呼び出しで目を覚ますと、市内に住む娘が叫んでいました。「私たちは今から避難するけど、お父さんたちも早く避難したら」。すぐに家の外を見回しましたが、避難するような状況ではないので「わかった」と答えたものの、大丈夫だろうと思っていました。

    数分後、友人から連絡が入りました。「球磨川は昨夜から今朝までの雨で、今まで見たことのないような水量だ。もしかすると水が堤防を超えるかもしれない。私たちは親戚の2階に避難する」。妻の「避難するよ」との声に、介助なしでは動けない私は、病院の受診券や薬などを持ち、妻が運転する車で娘夫婦が避難している商業施設の立体駐車場へ。次々に車が入ってきました。

    数分後、「球磨川上流のダムの放流を1時間後に行います」とのメールが。今も水位が上昇し危険な状況なのにダムの放流で八代の平野は浸水するのでは、と不安な気持ちから、脊髄神経を損傷している私の下半身はしびれと痛みが増幅しました。車の中で横に寝ることもできず、我慢していると、「ダム放流は中止」の連絡が。

    その時、上流の人吉市では甚大な被害が出ていたのです。八代市の平野部では4日の昼間は雨もなく、ダムの放流も中止され、難を逃れることができました。球磨川沿いの山間部の八代市では道路の決壊などで救助が遅れて亡くなられた方もいました。自然災害後の国による支援は当然ですが、毎年発生する自然災害を予知、防ぐことができないのかと思います。
    ……  

  • 6面~7面 ヤマケンのどないなっとんねん「メディア煽る吉村人気」

    百年に一度などという記録的豪雨が毎年のように襲うようになり、今年は7月初めから2週間ほどの間に球磨川水系、江の川水系、飛騨川水系などで大規模な氾濫や土砂崩れが発生、家屋や施設が浸水したり押し潰されたりして、70人を超える人が亡くなられた。昨年の千曲川や北関東・東北での災害の際にも書いたが、政府は国土強靱化を叫び、この3年間で6兆円も投入してきたが、気象の根本的変化による災害の変容に対応する防災対策、農林業を衰退させた結果、国土が表層だけではなく、深層で崩壊が進行していることなどに有効に対応する工事をしていないから毎年繰り返すことになる。

    被害が生じると、今回も安倍首相が防災担当大臣や国会議員や地方議員、官僚を引き連れて大名行列のような視察を行い、「政府としてできることはすべて行う」と、お決まりのセリフを口にし、激甚災害や特定非常災害に指定して、災害復旧事業と応急処置的支援を行うだけのことで、被害住民には単なるパフォーマンスにしか見えない。

    安倍首相は、これまで何かにつけメディア利用のパフォーマンスでごまかしてきたが、新型コロナ感染対策ではアベノマスク、学校閉鎖、給付金、「うちで踊ろう」、緊急事態宣言発出などすべて的外れで、不評を買うや、追及されるのを避けるためそそくさと国会を閉会し、メディア露出すると支持率が下がるだけだと、今では東京や大阪で感染が増えても、小池・吉村の知事二人がやればいいことだというような顔をして表に出てこない。感染の水際阻止対策として諸外国との交流を遮断してきたが、在日米軍基地は治外法権となって沖縄では米軍関係者136人もの感染が確認されているが、いらないことを言ってトランプ大統領に叱られてはいけないと知らぬふりをしている。

    これだけ次から次に問題が生じると、国民の目がそちらに向くことで、森友疑惑で改ざんをさせられ、自ら命を絶った職員の妻が起こした裁判が始まっても知らん顔をしている。もちろん加計疑惑も、桜を見る会疑惑も、検察トップ人事への介入も、河井克行・案里夫妻の買収・公選法違反事件と、それに絡む1億5千万円資金提供問題も、イージスアショア問題、F35戦闘機などトランプ言いなり爆買い、敵基地攻撃論議、拉致問題が1㍉も動いていないことも、ロシアの憲法改正で北方領土問題が絶望的になったことも追及されずにすむので、ほくそ笑んでいるのではないか。

    いつものように「責任は痛感しております」と言ってさえいればいいと思っている人物だから、野党がどうしようもない状況のもとで解散すれば、少々議席を減らしても、多数を維持することができる。そうすれば、「みそぎは終わった」と言えるし、大阪維新など改憲賛成議員をあわせて3分の2以上を確保できれば、悲願としてきた改憲を実現できると考えていることはミエミエである。
    ……

  • 8面~9面 世界で平和を考える「風刺・ユーモア後進国の日本」(西谷文和)

    2015年8月にパリへ行った。この年の1月、フランスの週刊新聞シャルリーエブド紙本社ビルに2名のテロリストが侵入し、編集長や漫画家など12人を殺害するという事件が起きた。テロは絶対に許すことができない。しかし、シャルリーエブド紙が掲載を続けていた風刺画にも問題があった。イスラム教の預言者であるマホメット(アラビア語でムハンマド)を侮辱する漫画で、多くのムスリムが「これはヘイトだ」「イスラムを冒涜するものである」と心を痛め、抗議していた最中の出来事だった。

    風刺とは弱者を痛めつけるのではなく権力者に向かうものであって、チャップリンの「独裁者」はそのお手本である、というのが個人的見解。

    このシャルリーエブド事件は非常に不可解な点が多い。フランス憲法35条では「政府は外国に軍を派遣する場合、3日以内に国会に通知しなければならない」とある。この35条にはその2があって「上記の派遣が4カ月を超える場合、政府はこの期間の延期について国会から承認を得なければならない」となっている。 フランス軍のIS(イスラム国)への空爆は14年9月19日から。これに4カ月を足すと15年1月18日になる。事件が起きたのは11日前の1月7日だった。

    この時、オランド大統領(当時)の支持率はわずか15%。アフガン戦争から続く「テロとの戦い」に参加してきたフランス。市民の間に厭戦気分が広がり「戦争するより年金に金を回せ」「イラクやシリアを空爆するな」という世論が高まっていた。

    そんな時にテロが起きた。凄惨なシーンが繰り返しテレビから流れ、その後「テロに屈するな」「私はシャルリー」とプラカードを掲げた市民で共和国広場が一杯になった。このデモの先頭にはオランドの隣にメルケル独首相、キャメロン英首相など世界のリーダーたちが並んだ。

    オランドの支持率は急上昇し、1月14日にフランス議会で「イスラム国空爆延長決議」が賛成488、反対1で通過し、フランスはずっと空爆を続けていく。結果として年金に金を回せ! という声がかき消され、戦闘機がバカ売れしていった。

    その後、この「世界の首脳たちのデモ」を離れた場所から撮影した写真がネット上に出た。首脳たちは「デモに参加したふり」をしていたのだ。背後にいたのはフランス市民ではなく警備のSPたちだった。大手メディアはデモを正面から撮ったフェイク写真を流し続けたが、現実の写真は報道しなかった。その他、怪しいことがいっぱいなので16年に「テロとの戦いを疑え」(かもがわ出版)を出したので興味ある方は読んでみてほしい。
    ……

  • 10面~11面 フクシマ後の原子力「科学者は本来の役割を」(高橋宏)

    7月16日。私にとって忘れてはならない日の一つだ。1945年のこの日、アメリカで人類初の原爆実験が行われた。「トリニティ実験」と呼ばれるこの爆発によって原爆が完成し、約3週間後に広島、その3日後には長崎にそれぞれ投下され、何十万もの命が一瞬にして奪われたのだった。人類が、核というパンドラの箱を開けた日なのである。

    このトリニティ実験について、オンライン百科事典のウィキペディアに次のような記述がある。「トリニティ実験の結果を観察する研究者たちの間では爆発の大きさについての賭けが行なわれた。予想には『0(不発)』から(中略)『ニューメキシコ州を破壊』、『大気が発火して地球全体が焼き尽くされる』というものまであった」。これが事実ならば、当時の科学者たちは人類が滅亡する可能性を含みながら、実験を行ったことになる。

    この実験後、原子力関係の科学者は大きく二つに分かれていったと思う。核を利用したい政治と強く結びつく科学者(いわゆる御用学者)と、トリニティ実験を教訓として、核の危険性を訴えるための研究に向かう科学者だ。そして、当然のことながら前者が「主流」となって今日にいたっている。そのことが、私たちの社会にどれだけの悪影響を与えてきたか、今日の世界の状況を見れば明らかであろう。

    人々は「専門家」「科学的」という言葉に弱い。専門的知識を持つ人間が「科学的」に示す見解や数字を、時には無批判に信じてしまう。そして、それを政治は巧みに利用してきた。かつて青森県で核燃料サイクル施設についての国の説明会が開催された際、「危険性を指摘する専門家がいるが、大丈夫なのか」という質問が出た。それに対し、国の担当者は「学会に認められていない方を専門家とは考えていない」と言い放ったのである。

    科学者の側も、本来は科学的に扱われるべき仮説やデータに「政治的」な忖度を加えることがしばしばとなっていく。科学的な根拠に基づいて説明すべき場で、あたかも政治家のような発言をする「科学者」もいた。

    福島第一原発事故後、国が定めた20㍉シーベルトという基準について、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大教授(当時)は説明会で次のように述べている。「国の基準が20㍉シーベルトと出された以上は、我々日本国民は日本政府の指示に従う必要があります」。20㍉シーベルト以下なら安全だという根拠は示さず、「グレーゾーンでどこに線引きをするのかを議論」しているとしたのだ。

    一方、原発事故の国の対応を批判した東京大先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授(当時)は「人々が専門家に求めていることは折り合いをつけることではなくて、危険なことは危険だと伝えることだ」と主張している。はたして、どちらが科学者であると言えるのかは一目瞭然だろう。

    だが、児玉教授や「熊取六人衆」をはじめとした科学者たちの提言は、政治の世界では黙殺され、政策に反映されることはなかった。その結果、人々は将来に不安を抱えながら20㍉シーベルト以内の地域に住み続けるか、「自力避難者」を余儀なくされている。

    今、世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるっている。日本でも、第2波の可能性を感じさせるほど、感染者が増え続けている(7月19日現在)。私には、新型コロナウイルスをめぐる状況は、福島第一原発事故をめぐる状況の再現を見ているような気がする。
    ……

  • 12面~13面 「大阪都構想」を考える講座「市の権限と財源失う」(文責・矢野宏)

    大阪市を廃止し四つの特別区に分割する「大阪都構想」の制度案が、府・市議などでつくる法定協議会(法定協)で可決された。大阪維新の会は、府・市議会の議決を経て、11月1日に都構想の賛否を問う住民投票の実施を目指す。新聞うずみ火は「『大阪都構想』を考える連続講座」を7月4日、大阪市谷町のターネンビルで開講。立命館大教授の森裕之さんを講師に招き、「『大阪都構想』と二重行政のゴマカシ」について語ってもらった。 

    新型コロナの感染拡大を受けた2、3月の税収が2カ月で1・7兆円下がった。うち1・5兆円が法人税だという。大阪府・市は法人関係税が大きいため、他の地域よりもその影響が大きい。所得税も7000億円ほど落ち込むと言われている。にもかかわらず6月19日、法定協で、「大阪都構想」の制度案が大阪維新の会、公明党、自民党府議団の賛成多数で可決された。

    森さんは「制度案には新型コロナが完全に抜け落ちています。対策もなければ、財政への影響の考慮もない。住民の暮らしをないがしろにした政治の暴挙であり、万が一、住民投票で可決されてしまえば、何年にも及ぶ大変な混乱と負担を強いられる」と指摘する。

    制度案の見直しを主張するメディアはなく、吉村洋文知事の礼賛報道に終始しているのが実情だとも。

    「戦前から大阪市の公衆衛生は全国のモデルだったが、どんどん縮小されて保健所が一つにされた。そこが『帰国者・接触者相談センター』の業務を負わされているのだから、遅れるのはわかっているではないか。それなのに、『吉村さん頑張っているわ』やて。大阪をぐちゃぐちゃにし、あわてふためいているのを『ファインプレーや』と言っているのと同じ。本当に上手な人間はぐちゃぐちゃになる前に処理するのです」


    「大阪都構想」について、特徴は三つだという。
    「一つは政令指定都市の『廃止』で、大阪市が地図上、歴史上からも消滅します。二つ目が大阪市の『分割(解体)』で、現在一つの自治体である大阪市は四つの特別区にバラバラにされ、それぞれ別個の自治体になります。三つ目が大阪市の府への『従属団体化』。大阪府と対等な関係にある自立した大阪市が府に権限と財源を握られた自治体に成り下がるのです」

    政令指定都市は能力も金もあるため、都道府県から権限が移譲されている。都市計画、港湾、交通インフラ、産業政策、高校・大学、観光・文化・スポーツ振興などの行政権限・基盤はすべて大阪府へ奪われることになる。

    当然、財源も府に持っていかれるという。

    「現在、大阪市民は様々な税金を市に払っており、足りない分を国から『地方交付税』としてもらっている。『都構想』でどうなるのか。住民税はそれぞれの特別区に払いますが、法人市町村民税や固定資産税は府の税金に代わります。国から大阪市に来ていた地方交付税も府に入る。これでは特別区の行政ができないので、府は吸い上げた税をいくらか特別区へ戻すのだが、その金額を決めるのは府議会です」

    つまり、旧大阪市民、四つの特別区の運命は大阪府にかかっているということ。それゆえ、府への「従属団体化」だという。

    「二重行政が廃止されるからお金が浮くのではないか」という声もある。

    前回の住民投票で、維新は「二重行政廃止で1000億円浮く」と言い、野党は「1億円しかない」と主張した。

    森さんは「AB項目関係の改革効果額の内訳」という資料を提示し、説明した。

    「Aは経営形態の見直しのこと。地下鉄が民営化になりましたが、大阪市は残っていますよね。経営形態を見直すというのは大阪市をなくすとかは関係ないのです。維新は地下鉄民営化など、二重行政とは関係ないものを積み上げて1000億円浮くと言ってきたのです」

    Bは類似・重複している行政サービスのことで、森さんは「改革効果額「財政シミュレーション反映額」をみると、府の産業技術総合研究所と市の工業研究所を統合した結果が3100万円、府の公衆衛生研究所と市の環境科学研究所を統合して800万円など、府市では類似・重複している財政シミュレーション反映額は4000万円程度です」

    二重行政の廃止と言いながら、特別区を作るとお金がかかる。最初に立ち上げた時にかかるお金が241億円。運営していくのに毎年30億円かかるという。

    「維新は『大阪の成長を止めるな』と言っていましたが、伸びていたのはインバウンドです。今では風前の灯、経済はかなり厳しくなっているのに、そんなときに都構想などやっていいのか。大阪府市のGDPは最近増えているように見えますが、全国平均よりも下です。最近の伸びだけをことさら主張し、成長を止めるなと言っていますが、お父さんの給料が20万円から21万円に上がった。隣のおじさんは20万円から30万円になったという話ですよ」

    「都構想」というと大阪市の問題ではないか。大阪市の財源が府下の自治体にも回ってきて潤うのではないかという声も聞こえてくる。だが、森さんは「大阪市が衰退すれば、周辺の自治体も衰退する」と否定する。
    ……

  • 14面 十三市民病院の苦悩「赤字は1カ月3億円超」(矢野宏)

    新型コロナウイルス患者の専門病院となった大阪市淀川区の大阪市立十三市民病院が7月27日から一般外来の診療を再開することになった。懸念される感染拡大の第2波に備え、コロナ専用の病床90床を維持するという。コロナ専門病院となって2カ月あまりの苦悩や問題点などを、西口幸雄(ゆきお)病院長に聞いた。

    発端は4月14日、医療専門家から「中等症患者の受け入れが整っていない」との指摘を受けた大阪市の松井一郎市長が、十三市民病院を中等症患者の専門病院にすることを発表した。病院全体がコロナ専門病院となるのは全国でも稀なこと。緊急事態宣言の真っただ中で、この日の新規感染者は59人だった。

    事前調整もなく、病院長ら現場スタッフは、その日の夕方のニュースで知る。この時点で入院患者130人、通院患者は1日平均500人、分娩予約も280件入っていた。にもかかわらず、「5月1日に運営開始」と示され、医療スタッフは不安を抱えながら準備に奔走。患者に周辺の病院への紹介状を書き、転院調整を3週間足らずで行った。

    西口病院長は「がん患者さんや出産を控えた妊婦さんには気の毒なことをしました」と振り返る。

    入院患者を送り出すと同時に、受け入れ態勢も整えなければならない。病院では5階から8階までをコロナ専用として90床を確保した。インタビューした7月6日現在で入院患者は9人。これで採算はとれるのか。

    三田村将光事務部長は首を横に振る。「コロナ専門病院になる前、病院の収入は月に約4億円ほどでしたが、専門病院になってからは月2000万円ほど。3億8000万円の赤字です。医師45人、看護師190人の医療スタッフもほとんど減らしていないので人件費も丸々かかる。公立病院でないとなかなか難しい」と語る。

    政府は、コロナ患者の入院治療を行った病院には、診療報酬を通常の3倍に引き上げた。6月に成立した第2次補正予算では、1床あたり1日最大約30万円の「空床補償」を設けている。府でも1床あたり日額で最大12万円の補償制度を設けているが、赤字解消には足りない。

    あとは市からの税金が頼りとなるが、補償額がいくらなのかはもちろん、支払われるのかどうかもまだ決まっていないという。「市議会で議論していただき、補正予算の中に組み込んでもらうことになると思います」

    5月以降に受け入れた入院患者数は延べ約70人で、最も多い日で21日。1人の時もあったという。

    西口病院長は「医師には『コロナの勉強をしておきなさい。チーム制で治療に当たれるようにしておきなさい』と言っており、ローテーションを組んでやっています。論文を書かせたり、何かをやらせたり、モチベーションを保つのに苦労しています」と語る。
    ……

  • 15面 コロナと介護現場「『うつす怖さ』緊張続く」(矢野宏)

    新型コロナウイルスの感染拡大は介護現場に深刻な危機をもたらしている。避けられない「密接」「密着」。自分が感染させないか、感染しないか、不安はぬぐえない。特別養護老人ホームで働く大阪市西淀川区の交田真結(まゆ)さん(23)の話から見えてきたのは、高齢化社会を支える基盤である介護サービスの脆弱さだった。

    交田さんが勤務する特別養護老人ホームは京都市内にあるため、電車で片道2時間近くかかる。早出の日は午前5時半に自宅を出て、帰宅は午後7時過ぎ。遅出の日は午後10時を回る。次の日が早出勤務や日勤だと睡眠時間はほとんどない。
     50人ほどの入所者はほとんどが認知症。朝から晩まで、食事や入浴の介助、排せつのケアなど、身体を寄せて行わなければできない仕事だ。

    それだけに、大阪で新型コロナの感染者数が増えているのが気になるという。

    「新型コロナに感染してしまうことより、誰かにうつしてしまうことが怖いです。行き帰りの電車の中で、無自覚の感染者がいるかもしれない。ウイルスを施設に持ち込むとしたら職員です。一人でも感染者が出ると、入所者の命にかかわります」

    認知症の人はコロナを理解できず、施設内を歩き回る場合もあり、感染リスクはさらに高まる。それを避けるため、職員はマスク着用、手洗い・消毒、出勤前の検温などを徹底している。

    入所者の外出を禁止し、家族との面会も制限した。閉じ込められた生活、身近な人と会えなくなったことで、入所者はストレスを募らせた。

    「感情をコントロールできない人が増えました。突然、スイッチが入って、急に怒り出したり、泣き出したり。殴る、蹴る、かみつく、物を投げる。寄り添って話しかけても、手が付けられなくなる人もいました。私も傷つけられることがあり、『何もできない自分はこの仕事に向いていないのではないか』と思ったこともありましたが、先輩から『やめてほしいという思いを伝えることは間違いではないよ』とアドバイスされ、自分の中で『逃げ道』ができたように思います」

    神経をすり減らしながらの勤務が続く。アドバイスしてくれた先輩も近く退職するという。交田さんが入社した3年間で辞めた正社員は5、6人。同期4人も半分になっていた。精神的に追い込まれて離職した人もいたという。

    「職員への精神的なケアも必要です。でないと、質のいいケアはできないと思います」

    現場では人手不足が続き、この夏のボーナスが昨年より5万円ほど減ったという。
    ……

  • 16面 ヘイトハラスメント訴訟「会社の人格侵害認定」(栗原佳子)

    社内でヘイトスピーチ(憎悪表現)が記された文書を繰り返し配布されるなどして精神的苦痛を受けたとして、在日コリアン3世の50代の女性が、会社と会長を相手取り慰謝料など3300万円を求めた訴訟の判決で、大阪地裁堺支部は7月2日、「社会的に許容できる限度を超えている」として、文書を配布した行為などを違法と判断、会社と会長に110万円の支払いを命じた。

    原告は東証1部上場の大手住宅メーカー「フジ住宅」(大阪府岸和田市)に勤務する。2002年、非正規の社員として入社。本名で働いてきた。

    訴状などによると、同社内では13年ごろから、在日、韓国、中国に対する民族差別的な内容や、特定の歴史観を含む新聞や雑誌のコピー、書籍、DVDなどが繰り返し配布されるようになった。社員には業務日誌にその感想を書くよう促した。

    判決は、配布された資料は「韓国の国籍や民族的出自を有する者にとって著しい侮辱と感じ、名誉感情を害するもの」と指摘。「労働者の国籍によって差別的な取り扱いを受けない人格的利益を侵害するおそれがあり、社会的に許容できる限度を超えている」として違法と判断した。

    また、原告側は、育鵬社の中学校教科書採択を推進するため、自治体の市長や教育長に手紙を書くことや、就業時間中に教科書展示会へ行き、マニュアルに基づき、育鵬社版を採択するよう求めるアンケートの記入を強いられたとも主張した。これに対し、判決は「業務に関連しない政治活動で、労働者の政治的な思想・信条の自由を侵害して違法」と判断した。

    さらに提訴後の15年9月、会社側は原告を含む全従業員に対し、原告について「恩情を仇で返すバカ者」などと非難する内容の大量の従業員による感想文を配布した。判決はその行為についても、「原告を批判し、報復するものであるとともに、社内で孤立化させる危険性が高い。裁判を受ける権利を抑圧したり、原告の名誉感情を侵害した」と違法性を認定した。

    原告は、社内で毎日のように配布される資料を目にするたび心が砕けそうになり、大阪弁護士会に人権救済も申し立てた。しかし会社は改善するどころか、300万円と引き換えに退職を迫ってきた。やむにやまれず提訴に踏み切った。判決後、原告は記者会見に臨み、「私の心の痛みをくみ取ってくれた」と話した。

    判決について、弁護団は「3点の違法性を認めたことは、職場における労働者の人格的な利益を重視することを明確に示した」と高く評価した。一方、判決は、配布資料が中国や韓国を強く批判したり、両国出身者を攻撃したりする内容としつつも、「原告個人に向けられた差別的言動」とは認めなかった。この点については、「人種差別撤廃条約及びヘイトスピーチ解消法の趣旨に照らして不当」だとした。
    ……  

  • 17面 堺空襲犠牲者追悼会「『後世に』バトン託す」(矢野宏)

    一夜にして1860人が犠牲になった「堺大空襲」から75年目を迎えた7月10日、堺市堺区にある「市戦災殉難之地」の碑の前で空襲犠牲者殉難地追悼会が開かれ、小雨の中、市民ら80人が犠牲者の冥福を祈った。 

    「自由と自治・進歩と革新をめざす堺市民の会」と「堺青年革新懇」が空襲で亡くなった人々を追悼し、平和の尊さを次世代に伝えようと毎年開催しており、今年で35回目。

    太平洋戦争末期の1945年3月から8月にかけて、堺市は5回の空襲に見舞われた。なかでも7月10日未明からの第4次空襲は米軍による無差別空爆で、旧市街地の6割以上が焼失し、7万人が被災した。100機を超えるB29爆撃機が来襲したことから、「第6次大阪大空襲」とも呼ばれている。

    米軍は本土空爆のため、サイパン、テニアン、グアムのマリアナ諸島を占領して飛行場を建設。45年3月から東京や大阪などの大都市を空爆し、6月17日から全国の中小都市を次々に攻撃していく。B29を配備した四つの航空団がそれぞれ1都市を攻撃した。

    米軍は日本の国勢調査に基づき、180都市の攻撃リストを制作。7月9、10日の目標は仙台、堺、和歌山、岐阜の4都市だった。

    45年7月9日午後10時半過ぎ、堺市に空襲警報が発令された。当時19歳だった柴辻英一さんはこんな証言を残している。「ラジオで和歌山方面に敵機襲来というので、外へ出てみると、和歌山方面の空が真っ赤になりました」

    和歌山までは約50㌔。ほどなく堺では警報も解除され、ラジオも和歌山を攻撃していたB29が退去したことを伝えたという。堺市民の多くが「今夜は大丈夫」と思って寝床に入った10日午前1時半ごろ、115機のB29が襲来。焼夷弾約780㌧を投下し、大浜や龍神、宿院など、旧市街地が火の海と化した。
    ……

  • 18面 コロナと沖縄「基地クラスターに不安」(栗原佳子)

    新型コロナの感染が再び拡大に転じる中、在日米軍基地内での感染者数が増加している。特に沖縄では大規模なクラスターが発生、県民の生活を脅かしている。

    沖縄では観光自粛を呼びかけるなどして5月1日から68日間、感染確認ゼロで推移していた。しかし7月7日以降、普天間飛行場(宜野湾市)、キャンプハンセン(金武町)など米軍基地内の大規模感染が次々に明らかになり、7月20日までに143人に。同日の県内の累計感染者数153人に迫る勢いだ。

    クラスター発生は、7月4日の米国独立記念日前後に、基地の内外で大規模なパーティーが開かれたことなどが背景にあるとされる。

    米国は感染者数、死者数も世界最多。日本は米国からの入国を原則拒否しているが、米軍関係者は対象外。在日米軍人・軍属らの法的地位を定める日米地位協定9条が「合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される」と定めているからだ。7、8月は米軍の異動時期にあたるが、米軍関係者が米国から直接在日米軍基地に入る場合、無症状者のPCR検査も義務付けられていない。

    問題は基地と隣り合わせにある県民の生活。沖縄の米軍人・軍属は普段から基地の外で買い物などもし、基地の外で暮らす軍人も少なくない。これまで感染者のうち少なくとも3分の1が感染後に基地外に出ていたことも判明した。 一方で、大規模感染が発生したキャンプハンセンに出入りするタクシー運転手の感染が判明、県民の不安は現実のものとなっている。

    日常的に米軍人・軍属が利用するキャンプハンセン前の飲食店街では19日、希望者が医師会のPCR検査を受けたという。元金武町長で元県議の吉田勝廣さん(75)は「みな危機感でいっぱい。基地従業員も家族と感染の不安を抱えながら仕事をしている」と憂える。

    県や県議会も基地の封鎖や情報開示を求めているが、米軍側からまともな情報提供はない。在韓米軍が感染者の身分、移動歴、隔離施設などを積極的に公開しているのとは対照的だ。日本政府はあくまでも「米軍と必要な情報共有はしている」という立場だ。

    「軍事基地だけは特別扱い。『治外法権』のような状態だ。この理不尽さを県外の人に知ってほしい」。吉田さんはそう訴えた。
    ……

  • 19面 「ちむぐりさ」「ドキュメンタリー沖縄戦」 島の過去といま、2作公開(栗原佳子)

    「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」。戦後75年のこの夏、沖縄が置かれた状況を描いた二つの長編ドキュメンタリー映画が全国で公開される。

    「ちむぐりさ」は沖縄テレビ放送アナウンサーの平良いずみさんが監督。米軍基地問題に揺れる沖縄の現状を、石川県珠洲市出身の坂本菜の花さんの目線で追った作品だ。

    主人公の坂本さんは中学時代に修学旅行などで訪れた沖縄に興味を持ち2015年、15歳で那覇市内のフリースクール「珊瑚舎スコーレ」高等部に入学した。沖縄の歴史や文化も学ぶユニークなカリキュラムで、放課後は、沖縄戦などで学ぶ機会を奪われたお年寄りが通う夜間中学になる。坂本さんはお年寄りたちと学校生活を共にしながら、生の戦争体験を胸に刻んでいく。

    坂本さんの在学中も米軍による事件事故が相次いだ。米軍属による女性殺害・遺棄事件、オスプレイ墜落、幼稚園や小学校への米軍ヘリ部品落下。辺野古では県民の思いに反して埋め立て工事が強行されていく。現場に赴く坂本さんにカメラが寄り添う。

    平良さんはニュース番組でキャスターを務めるとともに沖縄の現実を数々のドキュメンタリーにしてきた。しかし、県外に伝わらない。認識の差が埋まらない。悩んだ末にひらめいたのが坂本さんだった。

    15年に「珊瑚舎スコーレ」の夜間中学をテーマに制作。その頃入学したのが坂本さんで、学内には彼女が石川県の地元紙に寄稿した切り抜きが掲示されていた。「平易な言葉なのにストレートに伝わる。すごい子が入ったな」と印象に残っていたという。

    18年5月にテレビドキュメンタリーを制作。卒業後、郷里に帰った坂本さんや家族にも取材、映画化した。「ちむぐりさ」は沖縄の言葉で、誰かの心の痛みを自分の悲しみとして胸を痛めること。平良さんは「テレビを見る層とは違う人たちに見てほしくて映画にした。特に若い人に見てほしい」と話している。

    「ドキュメンタリー沖縄戦」は、原発事故をテーマにした「朝日のあたる家」などの作品で知られる太田隆文監督の初の長編ドキュメンタリー。浄土真宗西本願寺総合研究所が16年から沖縄戦の調査研究を開始、証言の聞き取りなどを進める中で、映像化も動き出したという。

    渡嘉敷島「集団自決」の生存者、吉川嘉勝さんや座間味昌茂さん、対馬丸事件の生存者、平良啓子さんら沖縄戦体験者の証言に沖縄戦研究者の吉浜忍さん、川満彰さんら専門家の解説、米軍が撮影した記録フィルムを織り交ぜた。 「それまで沖縄戦について何も知らなかった」という太田監督。その自身に照らし、「知識のない人が見てもわかるような作品にした」という。「コロナの政府の対応に、沖縄戦が重なった。原発事故もそう。『大本営発表』当時のまま。過去を見ることで今の時代も見えてくる。いまの日本を見つめる映画だと感じている」

    「ちむぐりさ」は7月25日から大阪・第七芸術劇場など全国で順次公開。「沖縄戦」は7月31日から新宿Ksシネマ、8月1日から第七芸術劇場など全国で順次公開。

  • 20面 寄稿 米軍岩国基地の通学規制「軽んじられた教育権」(田村順玄)

    7月号で取り上げた米軍岩国基地が新型コロナウイルス感染防止のため、日本人の基地従業員らに子どもの通学規制を求めていたことについて、岩国市議を6期務め、引退後に「あたごやま平和研究所」を設立した田村順玄さん(75)から投稿が寄せられた。

    原子力空母ロナルド・レーガンが5月21日に母港の横須賀を出港後、6月4日には突然帰港した。これから本格的な運用が始まるときである。ひょっとして艦内でコロナ感染の状況が出てきたのかと、憶測を呼んだ。

    結局、大きな異常事態の公表もなく、レーガンは4日後には横須賀を出て年末までの作戦任務が始まった。おそらく第2陣の艦載機や兵士を乗せ、続きの行動を開始したのだろうが、事実6月10日に硫黄島での艦載機による陸上模擬着艦訓練(FCLP)が終了したことなどが、公式に連絡があった。

    こうした今年のロナルド・レーガンの出港劇であるが、岩国市では市民に対して異常な規制が行われた。岩国基地で働く日本人従業員への感染対策で行われた米軍の行為だ。岩国市民はフェンスで囲われた基地の中ではコロナはどのようになっているか、関心が高い。しかし基地側も、市民からコロナの感染を防ごうと一方的な感染防止策を企んでいた。

    4月17日、岩国市の福田良彦市長は岩国基地司令官ランス・ルイス大佐を訪ね、基地のコロナ対策を視察した。この視察で基地側は「基地内のコロナ対策は万全」と保証したが、その時期から基地のフェイスブックは続々のコロナ対策を発信した。

    その極めつけが、基地に働く日本人従業員の子どもの通学自粛の要請だった。従業員の子どもが学校でコロナ感染をし、その親が感染すれば基地内がコロナに汚染されるというのが理由のようだ。

    究極的には、艦載機部隊の兵士が感染するということを恐れていた。

    岩国市民を経由したコロナの感染防止策が出た。この方針はこっそり関係者のみに通知され、市内の小中学生は登校できなくなった。市は5月8日、学校を再開したが、再開後も登校を自粛させられた児童が100人を超える事態が出現した。

    憲法で保障された教育を受ける権利を、米軍が、空母を平常通り運用する為に、通学自粛を求めるなど到底認められることではない。

    市民団体から怒りの申し入れに市長は、憲法違反ではないと米軍を擁護した。

    さすがに米軍も、艦載機のFCLP訓練日程に合わせ、当初日程の6月14日までの登校自粛要請を少し繰り上げ、6月8日で終えると伝えてきた。

    それにしても他国の教育制度を駐留軍隊の司令官が市民に命令するなど、いまだマッカーサー時代の占領状態だ。岩国市は防衛省の再編交付金で学校給食費や医療費の無償化など見かけの恩恵が市民に浴びせかけられ、文句を言えない状況がまん延している。

    その極めつけが今回の「学校に行くな!」という命令にまで発展してしまった。

    米軍側は今回の措置に対して「感染拡大を最大限防いで、軍事力を守ることが目的だ。市教委には学校を欠席になっても不利益がないことを確認している」と言い、岩国市長から同意をもらっているようなコメントを発信している。

    岩国はこうして、米軍の作戦行動を遂行するために、米軍の指揮命令に組み込まれており、まさに「コロナ戦争」の最前線に置かれている異常な街である。

  • 21面 経済ニュースの裏側「負の財産」(羽世田鉱四郎)

    「消えた年金」が発端となり、「難病」を理由に第1次安倍内閣(2006年~07年9月)が瓦解。5年後の12年12月、突然、ジャブジャブとマネーを増やして、デフレマインドを一掃(インフレ誘引)すると第2次安倍内閣が発足し、今日に至る。浜田宏一・内閣参与(イエール大学)が参謀で、狙いは「株」と「不動産価格」を高めて「好況を演出」すること。その本質を見抜き、「アホノミクス」と名付けた同志社大教授の浜矩子氏は、慧眼でした。アベノミクスですが、大きな課題と後遺症を残し、惨憺たる状態に。「日銀」と「GPIF」に焦点を絞り、その実態に触れます。

    日銀 総資産165兆円(13年3月末)→604兆円(20年3月末)。うち国債は125兆円→485兆円、ETF(上場投資信託)は1兆円→29兆円。ETFは株の集合体と考えてください。兆円以下は切り捨て表示。

    総資産は、今年のGDP(国内総生産)584兆円を上回る規模で、10%以上の株式保有は56社に。最大手の株主です。中央銀行の中立、独立性? 正反対の位置にあります。 
    GPIF 私たちの年金積立金を管理する公的法人です。

    150兆円の資産額。19年度の運用実績は8・2兆円の運用損。14年10月から国内外の株式など、リスク資産の比率を大幅に引き上げ。外国人投資家は安心して、5月には14週連続で日本株を8兆円売り越し、日銀はETFで4兆円弱を買い支えました。(5月22日付朝日新聞)。GPIFの運営実態は不明です。年金の支給開始年齢の引き上げや、パート社員の加入勧奨などが取り沙汰されており、つい疑心暗鬼になります。

    アベノミクスの本質 長期のデフレと言いますが、簡単に言えば、内需不足です。GDPの6割以上を占める個人消費は、賃金そのものが伸びていません。平均賃金(月額)は、男性33万6700円(1999年)→33万7600円(2018年)、女性21万7500円→24万7500円(厚労省大臣官房統計情報部)。

    また、産業界も大手製造業は海外への生産委託が進み、国内での実物投資は振わず。需要が不足している時に金融緩和しても、物価は上がりません。資産バブルを誘発するだけ。

    経済危機の実態 1987年のブラック・マンデー、92年のポンド危機、97年のアジア通貨危機、98年の日本の金融危機……2008年のリーマンショックなどなど。世界規模の経済危機は、実態が金融危機かと。強欲な投機マネーが国境を越えて氾濫し、各国の金融システムが震撼。各国が経済危機にジャブジャブとマネーを供給し、それが原資になっています。

    しかもレパレッジ(梃子)で、元手の資金を遥かに上回る投資が可能。「経済活動は市場に任せ、政府は干渉しない」という根拠のない無責任な考え方(シカゴ学派)が、世界を支配しています。折悪く、コロナ禍。天文学的な債務も容認ムードです。最後は、デフォルト(債務不履行)か、ハイパーインフレなのでしょうか?

  • 22面 会えてよかった「屋宜光徳さん⑦」米軍占領支配に抵抗した(上田康平)

    首里城の地下には、戦時中に日本軍が第32軍司令部壕を構築していたため、米軍が司令部壕を攻略したとき、首里城も激しい攻撃を受け、跡形もなく、焼失していた。

    これに対し、住民の中には首里城跡をそのまま残すべきとの意見もあったが、屋宜さんたち高校の自治会は封建制の遺物は清算し、新しい文化、社会の中核となる大学を建てるべきであるとの意見で一致していた。

    結局、大学は首里城跡に建てられることになり、1950年5月末、琉球大学としてスタートした。1期生は文教学校や外国語学校の卒業生で、屋宜さんは2期生として入学。同期生は550人だった。校舎は、首里城本殿跡の辺りに石造2階建ての本館と琉球赤瓦ぶきで破風造りの平屋教室が10棟あまり建てられた。

    米軍政府は50年8月、群島政府組織法を公布し、奄美群 島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島に政府 機構を設けた。
      知事公選や住民の直 接請求権などを認め、 沖縄を「民主主義のシ ョーウインドー」にすると表明。9月に群島政府知事・議会議員選挙を実施している。

    その頃、連合国と日本の間では対日講和条約の沖縄の地位を巡って、日本への返還か、米国の委任統治かが論議されていたのであるが、沖縄では独立論も加わり、選挙の大きな争点に。選挙の結果は知事、議会とも本土復帰勢力が勝利した。
     ところが51年9月に調印された講和条約では、日本に沖縄に対する潜在主権を認めたものの米軍の軍事占領支配を認めるものだった。

    また米軍は4群島の知事と、議員の大多数が復帰勢力となった群島政府を廃止。52年4月、琉球政府(行政主席は任命制。議員選挙は小選挙区制で親米派有利)を発足させた。

    それは中国の共産主義革命や朝鮮戦争の勃発もあって、沖縄の軍事基地を恒久化するという米軍の方針があったからである。

    米軍は基地建設のため、住民の土地の接収を行い、さらにCICという米陸軍の対民間諜報部隊があって、住民の思想調査活動が活発化、住民を使って密告させたりしていた。

    当然、多くの学生はこうした米軍の軍事支配、植民地化に反対し、反基地、反戦運動に加わっていた。

    屋宜さんが2年のとき、参加していた演劇部では米国人作家のベストセラー、原爆がテーマの『世界の末日』の上演を決めた。当時は出版、演劇などの文化活動も米軍の許可が必要で、反戦演劇だったが、「米作家のベストセラーです」と言うと、「いいよ」と許可が出た。那覇の劇場で上演したという。

  • 23面 落語でラララ「ぞろぞろ」草鞋履きでどこまでも(さとう裕)

    コロナ禍が世界中の動きを遮断している。内外からの観光客もシャットアウトで、観光地は閑古鳥。インバウンドで好景気に沸いていた経済もほぼ壊滅状態。

    今年の初めまで国内外のツアー客といえば、お年寄りが目立った。せっせと働き、リタイアしたので少しばかりのお金を持って海外へ。われわれ昭和世代にとって、若い頃には海外旅行など夢の話。それがやっと夢かなう時代になったのに、突如コロナに断ち切られた。

    江戸時代、旅は原則禁止だったが、病気療養やお見舞い、そして神仏の信心だけは許されており、それにかこつけて多くの庶民が旅に出た。文字通り一世一代の旅だった。ガイドブックの『旅行用心集』や『名所図会』が飛ぶように売れ、弥次喜多の『東海道中膝栗毛』が庶民の心をくすぐった。落語界でも多くの旅ネタが庶民を刺激した。昔の旅は徒歩が主流。旅の必需品、草鞋(わらじ)を題材にした噺がある。

    江戸、四谷左門町のお岩稲荷の近所は道が悪く、少し雨が降るとぬかるむ。茶店かたがた草鞋を売っている夫婦。最近さっぱり草鞋が売れない。年寄夫婦が安楽に暮らせますようにとお岩稲荷に祈願すると、客が来て、長年売れ残った草鞋を買っていった。と、すぐまた客が来て草鞋をくれという。もう売れてなくなったと思って見ると、いつの間にか草鞋が天井からぶら下がっている。客がそれを引き抜いて、店を出て2、3軒行ったか行かないうちに新しい草鞋がぞろぞろっと出る。夫婦はこれこそお稲荷様のご利益、安楽に暮らせると大喜び。これを見ていた向かいの床屋の親方、「俺も信心しよう」と、お稲荷様に店の繁昌を願う。で、店に戻ると客が行列してる。「ありがてえ。大したご利益だ。この客が帰ってもまた次の客がぞろぞろ……」「何言ってやんでえ。早くひげを当たってくんねえ」「へえへえ」。親方が客のひげに剃刀を当て、すっとそると、後から新しいひげがぞろぞろ。
    ……

  • 24面 100年の歌人「清河への道」父の故郷と人生重ね(三谷俊之)

    俺のルーツは大陸で朝鮮半島 という所/俺の親父はその昔 海を渡って来たんだと/孫の 代まで語りたい

    冒頭の歌は48番まで45分に及ぶ新井英一の『清河への道』の最終章である。1995(平成7)年に発表された曲は、TBS『筑紫哲也ニュース23』のエンディングテーマにもなった。この歌をフルで聴いたのは、京都のライブハウスで一度だけだ。汗まみれで、全身から絞り出すような太くしわがれた歌声。まるでアジアの地を這う野風のような歌声と、かき鳴らされるギターの音色が共鳴して、聴くものの心も体も激しく揺るがす。魂の叫びといえる。

    新井英一、1950年3月福岡生まれ。在日韓国人1世の父と、両親が日朝の母をもつブルースシンガー。自ら「コリアン・ジャパニーズ」と呼ぶ。

    福岡の下町で、4人兄弟の末っ子として生まれた。父親は彼が生まれてすぐ結核で病院暮らし。ほとんど顔を見ることさえなかった。母親は廃品回収業を営み、女手一人で3人の子供たちを育てた。働き者でたくましい母親だったが、生活は苦しかった。貧困、そして差別といじめにあった。私が取材し、自叙伝『海峡に立つ』としてまとめた、闇社会の帝王と呼ばれた許永中とも重なる。

    許は在日2世として生まれ、大阪の極貧スラムで育った。父親は漢方薬店を営んでいたが生計の足しにはならず、ドブロクを作る母親の働きで生活してきた。これは新井や許永中だけのことではなかった。戦後日本社会の中で、朝鮮半島出身者の人生に、等しく貧困、そして差別は宿痾のように絡み合っていた。

    新井は15歳で家出、放浪生活を送る。その頃、父親が亡くなった。岩国の米軍キャンプなどでも働き、ブルースの魅力に惹き付けられた。21歳でアメリカに渡り、放浪生活の中で独学で歌づくりを始め、歌手を志した。 帰国後、新宿で路上ライブをしていた時、内田裕也に出会いスカウトされた。79年にアルバム『馬耳東風』でデビュー。29歳だった。結婚して子供が生まれた。親になった新井の胸中に、いまさらのように亡くなった父親の無念がせり上がってきた。生まれたばかりの子どもを含め、異郷の地で家族を残し、自らは結核に冒され、身動きもできない。どれほど無念であったか……。
    ……

  • 25面 坂崎優子がつぶやく「次亜塩素酸水騒ぎ」

    先日、ドラッグストアに行ったら、手指用のアルコール消毒剤がたくさん出ていました。手持ちが少なくなっていたので買おうとしたものの、念のため他店も見てみることに。すると同じものが半額で売られていました。早々に買っていたら後悔するところでした。

    コロナ禍で、長く品薄だった消毒剤やマスク、ハンドソープなどが、店頭に出てきました。同時に各店の仕入れ力の差も露わになっています。店舗による価格差も大きいので、普段以上に見比べて買わなければと思います。

    私が購入した消毒剤は、アルコール濃度が70%と書かれていました。他にも何種類か並んでいましたが、私が買ったもの以外は濃度が書かれていませんでした。国が推奨しているのは70~95%(手に入らなければ60%台のものでも可)の濃度です。手指の消毒用は濃度を意識して買う必要があります。

    アルコール消毒剤が品薄で店から消えた頃から、次亜塩素酸水というものが出てきました。次亜塩素酸水は食品添加物の一つで、野菜の洗浄などに使用されています。「安全」というイメージがあったためか、裏方の存在だったものがアルコールの代用品として表に出てきました。

    その後、専門家から使い方を問題視する意見が出て、NITE(ナイト)が調査・分析を行います。そして6月26日にようやく経産省・厚労省・消費者庁が合同で、その使い方や安全性について発表し、メディアも一斉に取り上げました。

    私は各社の見出しが気になりました。ほとんどが「次亜塩素酸水、新型コロナに有効」といったものだったからです。ネットの世界では見出ししか読まない人も多いので、これは誤解を生むと危惧しました。

    発表では、きちんと使えば消毒効果はあるとはされていますが、その使い方は限定的です。まず、次亜塩素酸水はモノに対して使うものだということ。あらかじめ汚れを落とし、次亜塩素酸水の流水で20秒以上かけ流し、そしてきれいな布やペーパーで拭き取る、これが効果のある使い方です。手指の消毒のためにアルコールと同じような使い方をしても意味はありません。

    空間噴霧でも利用されていますが、有効性や安全性が確認できないとなりました。空間は次亜塩素酸水を使うのではなく、普通の「換気」を推奨しています。次亜塩素酸水は濃度も重要ですし、紫外線で分解されるため保管方法や使用期限にも気を配らなければいけません。取り扱いは単純ではありません。

    ちなみに混同されがちな塩素系漂白剤の「次亜塩素酸ナトリウム」とは別物ということも今回の発表には付け加えられました。

    個人がモノを消毒するなら、次亜塩素酸水ではなく、馴染みがあって簡単に手に入るハイターやブリーチなど塩素系漂白剤で充分ですし、台所用洗剤を薄めて利用しても消毒効果はあります。
    ……

  • 26面~29面 読者からのお手紙とメール(文責・矢野宏)

    不安のあらわれ
    若者・中年の来院

       兵庫県芦屋市 増村道雄
    先日、ヨーロッパに一時帰国していた留学生が来院。37・5度の熱があり、倦怠感を訴えていました。発熱患者はまず、駐車場の車内で待機していただき、看護師の案内で通用口から入ってもらって一般の患者さんとは接触しないように個室へ。診察した結果、コロナウイルス感染者か否かの判断が必要となり、西脇市民病院の発熱外来と連絡を取りました。
     病院のPCR検査では陰性。一般的な感冒症状とのことで一件落着をみましたが、一人でもこのような患者さんから連絡を受けて診察するとなると、職員全員が緊張します。

    咳と発熱を訴えて来院された20歳代の女性の場合は、胸部CTを撮影しました。結果は肺炎。肺のあちこちに炎症像があり、「コロナ感染か……」と思いました。が、レントゲン技師さんが「コロナの所見よりもマイコプラズマ肺炎に思う」と助言してくれたのです。北播磨医療センターに紹介し、入院となりましたが、やはりマイコプラズマ肺炎でした。私一人で診ていたら判断できないところでした。
    発熱患者さんには気を使います。毎日、数名の人が駐車場待機し、別ルートでの診察となっています。

    コロナ感染症以来、外来患者さんの変化を見ると、①高齢の方の来院が減った ②診察を希望されず、お薬の処方のみを電話で求めてくる人が増えた ③若年・中年の人の来院が増えている。その理由の一つが「不安症」の人の増加です。

    コロナに感染していると思い込んで不安がっている患者さんの治療やコロナ不安をきっかけとした動悸やめまい、しびれなどの身体症状を訴える患者さんの治療が増えているのです。もともと性格的に潜在していた不安症や心配性が、うっとうしい毎日の中で身体の症状として現れ、その結果、日常生活に支障を来すような不安感にまで膨張しているようです。

    一方で、高齢者の方々が受診を手控えているうちに症状が進行、悪化しなければいいが、とも考えています。

    もっとも、そう思いながらも80代、90代の方々に「1年一度の血液検査です。来院してください」と伝えるのをためらう現実も確かにあります。コロナウイルス感染者には無症状の人もいるからです。今は自宅で静かにしていてくださいと伝える方が安全だと思うからです。
    (増村さんは兵庫県加東市で「ますむら医院」を開業されています。コロナの影響を伺ったところ、「27年前に開業して以来、私服で診療されていたのが、コロナの影響で白衣を着るようになった」とか。お忙しい中、ありがとうございました)


    コロナ第2波なら
    診察拒否の病院も

         堺市堺区 緒方浩美
    新聞うずみ火7月号を拝読しました。医療現場が抱える問題を伝えていただき、ありがとうございます。新型コロナウイルスに向き合う中で、コロナの治療を行なう施設につなげるまでのステップはいくつもあり、直接治療に当たる医療機関以外は行政からの支援はほとんど届かないため、多くの医療機関は経済的な負担を抱えながら仕事を続けています。うちのER(救急救命室)では、「肺炎は受け取らない」方針の病院が後を絶たず、コロナではない肺炎患者がちょくちょく運んでこられるようです。

    医療機関の保身だと受け止められがちですが、発熱者は受けにくくなっている現状があることを少しでも多くの市民に知ってもらえればありがたいです。うちで一緒に働く職員ですら、いま現場で起きていることが経営とどう結びついているのかわかりにくようで、うずみ火を見てえらいことなんだと実感しているありさまです。

    体力が低下している民間医療機関がこれから続出すると思われます。これから感染拡大の第2波が来た際、「コロナの疑いなら診ることはできない」と断る病院は増えこそすれ、減りはしないでしょう。

    (先月号で、コロナ禍で医療機関の経営が悪化していることをご紹介しました。緒方さんは耳原鳳クリニックの医師。「社会のしんどいところにいる人が病気になって働けない人もいます」と言っていた言葉が忘れられません。誰もが生まれて来て良かったと思える社会にしたいですね)

    ……

  • 28面 車イスから思う事(佐藤京子)

    令和2年7月豪雨で被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。

    今回の豪雨は台風ではないことにも驚く。線状降水帯が停滞して雨を降らせるようだが、降り方が尋常ではない。冠水や河川の決壊などで広範囲が被害になり、街がプカプカと水の上に浮いていたり沈んでいたりするように見えた。復旧作業で泥をかき出しているそばから濁流が流れ込んでいる。本当にひどいもので、神も仏もないのかとつくづく思った。

    被災された方々は、今は気持ちが張り詰めているから、片づけようという気力を振り絞っているのだろう。ただ、どのテレビのインタビューを受けている人は口々に「人手が足りない」と嘆いていた。熊本県は新型コロナウイルスの感染を防ぐため、県外からのボランティアを断っているが、それで本当に良いのだろうか。

    もう一つ無念だったのが、特別養護老人ホームに入所していた方が14名も亡くなったことだ。外観は3階建て以上に見えるホームの建物。しかし、なぜ車イスなどの歩行に困難がある人たちが1階にいたのだろうか。車イスの自分から考えるとどう考えてもありえない。車イスに座っていると、110~130㌢の高さである。あっという間に水没してしまう。ましてや、急な浸水で夜間の人手がないことも考えると、とても避難などできるはずもない。なぜ、体力や俊敏さのない高齢者が1階にいたのだろう。不思議でならない。

    誰が悪いと言うつもりはない。日常のシステムの中で、どうして特別養護老人ホームに入所するような身体能力の人たちが1階に集まっていたのかと考えてしまう。これは、今後のために検証する必要があるのではないか。

    避難所では、実用化されたら避難者の負担が軽減すると言われていた段ボールベッドが導入された。間仕切りも導入され、雑魚寝を回避できていることは幸いであるが、疑問が一つ。空間を確保して密にならないようにした分、収容人数は減る。その分の避難先はどこなのだろうか。濁流にのみ込まれた街に避難する場所がそんなにあるとは思えない。車中泊と言っても限界があるだろう。

    被災された方のことを考えると切なくなる。とても歯がゆい。車イスで亡くなった高齢者の方々の背中が自分の未来に見えて仕方がないからだと思う。合掌。
     ……

  • 30面 編集後記(矢野宏、栗原佳子)

    久保田美奈穂さんは福島第一原発事故後の2011年6月、幼子2人を連れ茨城県水戸市から沖縄へ避難した。原発事故をめぐる集団訴訟「生業訴訟」沖縄支部の代表。度々、電話で話を聞かせてもらった。17年の判決は国と東電の過失責任を認定。しかし原告の居住地によって判断が分かれた。原告、被告側ともに控訴、全被害者の救済を求め、久保田さんは審理の行方を見守る。移住して初めて米軍基地に翻弄される沖縄の現実を知り、辺野古の座り込みにも参加するようになった。その中で出合ったのが「不屈館」だったという。瀬長亀次郎さんと沖縄民衆の決して諦めることのない闘いを伝える。何度も通い、いまはボランティアに。不屈館には毎月、「うずみ火」も届いている。苦境を脱した不屈館で、久保田さんにゆっくり案内してもらえる日が早く来てほしい。  (栗)

    ▼23年前、黒田ジャーナルを訪ねてくれた赤ちゃんを取材する機会に恵まれた。交田節子さんの長女真結ちゃん。黒田清さんが主宰した「窓友新聞」の読者だった山根和子さんの初孫。母娘、そして孫娘と女性三代が訪ねてくれ、赤ちゃんだった真結ちゃんを抱っこさせてもらったことを覚えている。あれから23年、真結ちゃんは介護職員となり、新型コロナの感染拡大の中で現場からの発信者として、思うところを語ってもらった。紙面の都合で割愛させてもらったが、進路を決める時に祖母の山根さんの存在があったという。「軽音の練習に明け暮れていた高校生時代、おばあちゃんが施設に移ったのに、軽音の練習に明け暮れていて面会にもろくに行けませんでした。苦しんでいた時、介護の知識や技術があれば、少しは痛みを和らげることができたのではないか、寄り添ってあげることができたのではないかと思ったのです」。黒田さんから受け継いだ「人」という財産。でも、コロナ禍によって、出会い、語り合うことがしにくくなりました。そんな時に、「大阪都構想」の賛否を問う住民投票を画策する動きがある。おかしいことはおかしいと声を上げよう、次の世代に今よりも暮らしやすい社会を残すために。あらためてそう思わせてくれた取材だった。(矢)

  • 31面 うもれ火日誌

    月1日(月)
     矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。新型コロナウイルスの感染拡大が雇用や経済に影響を与えるなか、労働問題に詳しい弁護士の小野順子さんに電話で話を聞く。気になるニュースでは、矢野がリスナーに取材した介護の現場について紹介。
    6月2日(火)
     午後、「4・25ネットワーク」の藤崎光子さんが来社。
    6月4日(木)
     午後、MBSアナウンサーの上田崇順さんが来社。「ニュースなラヂオ」ZOOM会議のため、矢野にレクチャー。
    6月5日(金)
     高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    6月8日(月)
     矢野、栗原 午後、堺市にある耳原鳳クリニックへ。同クリニックなどを運営する社会医療法人「同仁会」理事長の田端志郎さん、緒方浩美医師に新型コロナの影響について話を聞く。「このままでは、第2波が来る前に経営破綻による医療崩壊が起きる」
     夕方、矢野は米軍岩国基地が新型コロナ感染防止のため、日本人従業員に求めていた子どもの通学規制について、「瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク」顧問の久米慶典さんらに電話取材。
    6月10日(水)
     西谷 昼過ぎ、ラジオ関西「ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー」出演。
    6月11日(木)
     午後、兵庫県川西市の金川正明さんが来社。「コロナで父の見舞いもできませんでしたが、死に目には会えました」
    6月12日(金)
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
    6月15日(月)
     矢野 午前、岡山市へ。中国短大准教授の藤田悟さんの「キャリア基礎演習」で、9年前の殺人事件で一人娘を失った加藤裕司さんの特別講義を女子学生に交じって聴講したあと、加藤さんから事件などについて話を聞く。
    6月18日(木)

  • 32面 うずみ火講座予定、黒田さん追悼会ライブのお知らせ(矢野宏)

    大阪市を廃止する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が11月1日に実施されそうです。

    新型コロナの対応をめぐって全国的に評価が高まった大阪府の吉村知事。そんな「吉村人気」急上昇に一役買ったのが関西を中心とするメディアでした。「誰が『橋下徹』をつくったのか~大阪都構想とメディアの迷走」の著者でノンフィクションライターの松本創さんに維新と報道について検証していただきます。

    なお、新型コロナ感染防止のため、当日はマスクを着用してください。発熱のある方、体調の悪い方の来場はご遠慮ください。

    会場の東淀川区民会館では会議室の定員の半分に来場者を限定しています。受講を希望される方は事前にうずみ火事務所まで連絡していただけると幸いです。
    【日時】7月31日(金)午後6時半~
    【会場】大阪市東淀川区東淡路の東淀川区民会館・会議室(06・6379・0700、阪急京都線「淡路駅」東出口から徒歩約8分)
    【資料代】1000円、学生・障害者500円

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