新聞うずみ火 最新号

2022年12月号(No.206)

  • 1面~3面 沖縄・与那国島で日米共同 「台湾有事」住民に不安(栗原佳子)

    九州の南から台湾へと至る琉球弧(南西諸島)への陸上自衛隊配備が加速している。いわゆる「南西シフト」。2016年に沖縄・与那国島に沿岸監視隊、19年には宮古島、奄美大島(鹿児島県)にミサイル部隊が新設、今年度中には石垣島にもミサイル部隊が配備される予定だ。「台湾有事」が喧伝されるなか、台湾に最も近い与那国島では11月半ば、米軍が自衛隊と初の共同訓練を実施、空輸された陸自戦闘車が生活道路に展開した。島を最前線とする訓練に、住民は不安を募らせた。

    11月17日正午前、与那国空港にグレーの巨体が飛来した。航空自衛隊のC2輸送機だ。ほどなく後部ハッチから姿を現したのは、105㍉砲を搭載した最新鋭の16式機動戦闘車(MCV)。全長8・5㍍、重さ26㌧。8輪のタイヤで走行し、最高速度は100㌔。防衛省は「離島防衛の切り札」と位置付ける。  
     
    午後3時前、自衛隊や県警の警備車両に先導され、MCVが空港の出口へと向かった。堅牢な車体、迷彩色のネットでカモフラージュされた砲身は、近くで見れば見るほど戦車そのもの。乗務する自衛官たちも重装備だ。
     
    「与那国島を戦場にしないで!」「挑発するな やめて 日米共同訓練」。出口の正面で十数人の住民が手作りのプラカードを掲げていた。「公道を走らないで」「このまま帰って」と悲痛な声が上がる。その目の前を、MVCは長い砲身を突き出し県道へと旋回、轟音をあげて通り抜けていった。壁のように立ちふさがる警備の警察官。女性の一人は「あなたたちは何を守ってるの」と泣きながら抗議していた。
    民間空港を出たMCVは集落の一つ、久部良を経て陸自駐屯地へ。翌18日も6㌔の道のりを空港まで走行、C2輸送機で九州の空自築城基地に戻った。MVCの公道走行は沖縄でも例がない。県は防衛省にMCVが公道を走らないよう代用車両の検討などを要請したが、押し切られた。
    ……

  • 4面~5面 馬毛島に自衛隊基地 無人島 丸ごと日米の拠点(栗原佳子)

    台湾や与那国島から連なる琉球弧の北端に、鉄砲伝来で知られる種子島がある。対岸の無人島・馬毛島には、自衛隊基地を建設し、南西シフト体制の兵站や訓練拠点とする計画が進み、種子島の住民にも不安が広がる。馬毛島を行政区とする西之表市では昨年1月の市長選で基地建設反対を訴えた現職が僅差で再選したが、ここにきて黙認姿勢に転じ、支援した市民らはリコール運動も辞さない構えだ。

    馬毛島は種子島の沖11㌔、約8平方㌔の無人島。固有種のマゲシカが生息、周辺には豊かな漁場が広がる。戦後入植がはじまり、最盛期の1959年には528人が居住したが、80年には無人になった。
     
    一方、74年に平和相互銀行が「馬毛島開発」を設立。レジャー基地建設のため島の買収を進めた。しかし、とん挫。95年には東京の立石建設が馬毛島開発を買収、子会社とした。その後のタストン・エアポート社である。国の石油備蓄基地、使用済み核燃料中間貯蔵施設、自衛隊の超水平線レーダー基地、スペースシャトル着陸場、米軍普天間飛行場の移設先などとして、たびたび取り沙汰された。
     
    07年、馬毛島は米空母艦載機の離発着訓練(FCLP)の候補地に浮上した。前年、日米は米軍再編ロードマップで厚木基地の艦載機部隊の岩国基地移転で合意。陸上の滑走路を空母甲板に見立てタッチアンドゴーを繰り返すFCLPは、騒音対策として91年以降、小笠原諸島の硫黄島で行われているが、岩国は厚木より200㌔遠い片道1400㌔。馬毛島なら岩国から片道400㌔になる。
     
    種子島や屋久島では反対の声が広がり、議会も相次いで反対を決議。一方、タストン社は無許可で森林を伐採、2本の滑走路を構築していった。
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  • 6面~7面 大阪大空襲証言DVD第2弾 平和学習に役立てて(矢野宏)

    新聞うずみ火が、小中高校での平和学習に役立ててもらおうと制作していた大阪大空襲の被害者の証言を記録したDVDが完成した。2月にロシアによるウクライナ侵略が始まり、学校や地域などで平和を考える活動が広がっている。戦争は市民に何をもたらすか、どうすればなくすことができるのか。一人ひとりが考える材料として、77年前の空襲の中を生き抜いた体験者の訴えに受け止めてほしい。

    太平洋戦争末期、大阪は50回を超える空襲に見舞われた。うちB29爆撃機が100機以上来襲した空襲を大空襲と言い、計8回を数える。
     
    完成したDVD「語り継ぐ大阪大空襲」は38分で、昨年に続いて2作目。クラウドファンディングを利用して制作費50万円を集め、空襲時6歳から13歳までの4人の証言を収録した。
     
    今回も新型コロナウイルス感染拡大で作業は大幅に遅れ、11月にようやく完成した。
     
    大阪府茨木市の浜野絹子さん(83)は1945年7月10日の堺大空襲(第6次大阪大空襲)で母親と弟を亡くした。その時の体験は、後に作家の早乙女勝元さん原作の絵本「おかあちゃん、ごめんね」になった。浜野さんは当時6歳。父親は出征中で、病弱で寝たきりの母親は子どもたちと一緒に逃げることができない。焼夷弾爆撃によって街は炎に包まれ、浜野さんの家にも迫ってきた。その時、母親が取った行動とは……。
     
    兵庫県西宮市の小林英子さん(90)は同年6月7日の第3次大阪大空襲に遭い、家族と離れて一人で逃げているときに爆弾の破片が右ひざを直撃し、大けがを負った。当時12歳で高等女学校1年生。炎に包まれた街の中を一人で逃げまどう。戦争が終わっても入院生活は続き、これまでに4回手術を受けたが、今も右の膝は伸びきったままで、歩くのは不自由だ。現在、自らの空襲体験を紙芝居にして、子供たちに平和の尊さを訴えている。
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  • 7面 「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表 伊賀孝子さん逝く(矢野宏)

    「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さんが11月14日、腹膜炎のため死去した。91歳だった。
     
    「私には二つの『顔』があります。空襲で母と弟を亡くした遺族であり、私自身も空襲の傷害者です」
     
    それゆえ、「大阪戦災傷害者・遺族の会」の代表を引き受けた伊賀さんは二つの活動に取り組んだ。一つは空襲犠牲者の名前を残すこと。もう一つは民間の空襲犠牲者を救済する法律をつくることだ。
     
    大阪空襲で亡くなった人は約1万5000人とされる。「せめて犠牲者の名前だけでも残したい」と、伊賀さんは1983年から会のメンバーとともに遺族への聞き取り調査を始めた。寺の過去帳を写したり、霊園や慰霊碑を回って一人ひとりの名前を書きとどめるなどして、約6000人分の死没者名簿を作成した。これをピースおおさかに寄託。センターではこれをもとにして、2005年に空襲死没者を追悼し平和を祈念するモニュメント「刻(とき)の庭」を作った。
     
    銘板にはこれまで判明した9000人を超える名前が、刻まれるのではなく浮き上がる形で記されている。
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  • 8面~9面 選挙応援、秘書派遣も 有田さん講演「旧統一教会と政治」(矢野宏)

    旧統一教会が自民党国会議員と国政選挙の際に事実上の「政策協定」を結んでいたことが明らかになるなど、自民党と教団との闇は広がるばかりだ。霊感商法などの被害を起こしてきたカルト団体はどのように政治に関わったのか。旧統一教会を長年取材してきた前参院議員の有田芳生さんを講師に迎え、うずみ火講座が10月29日、大阪市北区の市立住まい情報センター・ホールで開かれた。オンラインも含め130人の参加者を前に、有田さんは「旧統一教会とは何か~安倍元首相暗殺事件の背景」と題して講演した。

    有田さんは、安倍元首相が銃撃されて亡くなるまでの経緯を説明したあと、「山上徹也容疑者が2発目の引き金を引くときに発した言葉が重要な意味合いを持つ」と切り出した。口にしたのは「かんつるこ」。旧統一教会の文鮮明教組の妻で韓鶴子(ハン・ハッチャ)総裁のことだ。
     
    旧統一教会の教えの一つが「万物回帰」。万物とはお金のこと。文鮮明教祖を通じて神に戻せば、霊界で幸せになるという。
     
    「壺とか多宝塔などを高く売りつけてきた霊感商法がやりにくくなったので、信者の中でお金のある人に巨額献金させるようになった。山上容疑者の母親は結果的に1億円を超えるお金を出したにもかかわらず、検察に聴取された時に『教団に悪いことをした』と言った。それが母親の気持ちなのです。そして、『自分の信仰が弱かったからこんな事件が起きた』とも語っているのです」
     
    山上容疑者は事件直後に旧統一教会への恨みから銃撃したと供述したが、マスコミが教団名を出したのは、参院選後の7月11日。旧統一教会の田中富広会長が記者会見してからだった。有田さんは「旧統一教会が事件の背景にあるとわかっていながら『母親が信者かどうか確認できなかった』という新聞社もあれば、『参院選に影響を与えるから』という放送局もありました。自主規制があったと思います」と語った。
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  • 10面~11面 ウクライナキッチンカー 料理で広げる出会い(粟野仁雄)

    ウクライナから滋賀県彦根市に避難しているイリーナ・ヤボルスカさん(51)は支援に頼るだけの生活をよしとせず、キッチンカーでおいしい「ブリンチキ」を売りながら「避難民仲間も支援したい」とたくましい。
     
    「あれこれ調べて販売場所がやっとわかってうれしい。身近なところにウクライナの人が避難しているので、何か支援ができれば」
     
    11月8日、彦根市の大型ショップ「パリヤ」で愛児を連れた女性がキッチンカーからおいしそうなブリンチキを買い求めた。
     
    ブリンチキは小麦粉、卵、チーズなどを練った生地に鶏肉や鮭などの具材を入れて焼いたクレープのような食べ物だが、具材次第で軽食にもおやつにもなる。一つ350円。甘い香りが漂い、腹もちがいい。「オーチン・フクースナ」(ロシア語で「とてもおいしい」)というとイリーナさんは微笑んだ。
     
    イリーナさんと母のギャリーナ・イワノワさん(81)がウクライナから関西空港に着いたのは3月22日。2人は英語を話せなかったが、チェコ語のわかる日本男性が通訳してくれた。滋賀県が2人に彦根市内にあるミシガン州立大学関連の学生寮を提供した。娘のカテリーナさん(31)の夫は市内に住む菊地崇さん(29)だ。
     
    東京出身の菊地さんは学生時代の旅で知り合ったカテリーナさんと2018年に結婚した。大阪で航空会社のパイロットをしていたが、英語教育を中心としたオンライン教育事業を始め、昨年9月から彦根市に移住した。夫婦の会話は英語だが、カテリーナさんも日本語が上達している。
     
    カテリーナさんの実家はウクライナのハルキウ市。ロシア国境とも近いウクライナ東部の美しい都会だ。「年末からロシアの軍事訓練が激しくなっていましたが、毎年恒例で妻の実家ではさほど気にしていませんでした」と菊地さん。
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  • 12面~13面 ヤマケンのどないなっとんねん「核兵器使用を許すな」(山本健治)

    ロシアによるウクライナ侵略から9カ月が経過しようとしている。プーチン大統領の狙い通りにはいかず、せめて東部4州を手に入れようと住民投票で賛成を得たとして併合宣言したが、反撃にあってヘルソン州で撤退を余儀なくされていることは周知の通りである。とはいえプーチン大統領が尻尾を巻いて侵略を止めるとは思えない。
     
    何としても一日でも早くウクライナの人たちが平穏に暮らせるようになってほしい。遅くともクリスマス、新年までには停戦撤退を実現させ、一般市民、女性、子どもが死傷することはもとより、両軍兵士がこれ以上戦死しないことを誰もが願っている。
     
    そのためには日本でも世界でもロシアが速やかに侵略を止めて撤退するよう声を大きくしなければならない。ロシア軍は撤退するにしても暴行・略奪・破壊の限りを尽くし、地雷などを仕掛けたり、生命や環境に悪影響を及ぼす物質をばらまいたりする。奪還したヘルソンでは市民が暴行虐殺されるなど戦争犯罪が400件を超えているとウクライナは発表している。
     
    撤退したとしても地雷撤去など後始末が必要である。住居とインフラが徹底的に破壊されているから、元の家に戻って生活することはできない。これまで電力や燃料、食糧確保を困難にする作戦を進めてきたが、厳冬に入ろうとしている今、いっそう残虐かつ陰湿な攻撃を行う懸念も拭えない。不測の事態も懸念される。
     
    プーチン大統領は森・安倍元首相らに、日本武道の正々堂々の精神や「小、よく大を制す」が素晴らしいと褒め、自分もそうありたいと言い、元首相らは太鼓持ちしてきたが、まったく逆であり、安倍元首相は言うときには言うと言いながら何も言わないまま亡くなった。
     
    侵略や戦争に正義も正々堂々もない。悪、不正義そのものだが、長期化すると人々の関心や抗議も小さくなる。大阪でも当初は連日ロシア領事館前で抗議が行われたが、今では私を含め高槻のグループなど少人数の抗議が行われるだけだ。これこそがプーチン大統領の狙うところである。
     
    労働者には個別の闘いもあるし、参院選があったり、その中で安倍元首相が銃撃されて死亡し、国葬が強行されて抗議行動も必要だった。改めて明らかになった旧統一教会・勝共連合をめぐる問題についても取り組まねばならない。大阪をバクチ都市にする「IR」について住民投票を求める署名も行われ否決されたが、反対運動を続ける必要があるなど、取り組まねばならないことは山ほどある。
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  • 14面~15面 世界で平和を考える アフガニスタン報告③(西谷文和)

    アフガニスタン東部のジャララバードでも「タリバン政権1周年」を祝うムードはさらさらなかった。米軍を撤退させた当初は支持者も多かったが、その後の経済制裁でアフガンはより貧困化した。さらに女性が仕事を奪われ、米軍関係の仕事もなくなり、失業者が急増。多く人が「タリバン大嫌い状態」になっている。そして、中流階層の市民でさえ、食事に事欠く事態となってしまった。そんなジャララバードから8月17日、カブールに戻ってきた。
     
    ホテルの窓からタリバン兵の訓練が見える。数十名の兵士たちが並んで走った後に腕立て伏せや馬跳びなど。その後、銃を構えて射撃訓練。カブールの街は兵士であふれている。アメリカを倒すために増員した兵士たちを解雇できず、財政を圧迫している。
     
    この日はICRC(国際赤十字)の地雷被害者支援センターへ。イラリア人のアルベルト・カイロさんは32年間、アフガニスタンに住み込んで戦争と貧困によって手足を失った人々をサポート、「イタリアの中村哲」と呼ばれている。
     
    アルベルトさんの案内で施設を取材。職員350名は手足を失った被害者だ。ここで義足を作ってもらい、リハビリをして職員になり、今は被害者を救済している。
     
    地雷や不発弾は取り除いても取り除いても増えていく。アメリカがミサイルで空爆し、タリバンが地雷や仕掛け爆弾を埋める。今は北部同盟とIS(イスラム国)も加わる。ザヘドラ君(13)が地雷を踏んだのは1年半前。友達と遊んでいた時だった。ここに来て義足を作ってもらい、毎日片道30分かけて登校している。リハビリ中もずっと暗い表情。「将来は何になりたいの?」。か細い声で「学校の先生」。隣に座って聞いていた父親から大粒の涙がこぼれる。
     
    ICRCを後にしてカブール西部、少数民族ハザラ人地区へ。4月、公立のアブド・ラヒム・シャイード校で2回の爆発。9名が死亡、40名以上が重軽傷を負った。ハザラ人はイスラム教シーア派で、アフガンでは長年差別されてきた。タリバン政権になって、スンニ派のISやタリバン過激派によって、しばしばハザラ人地区でテロが起きる。テロ前は約1万2千人が登校していた学校も約8千人になった。タリバンは12歳以上の女子の登校を認めていないので、女の子は小学生だけ。3年生の授業にお邪魔した。ダリ語(国語)の授業中で、みんな一生懸命にノートを取っている。「学校が楽しい、将来はお医者さんになりたい」と子どもたち。「夢が大きすぎるんじゃない」。担任の女性教師が笑っている。兵庫県の青垣中学校、和田中学校から預かってきた髪留めと草木染めのハンカチを手渡す。「タシャクール(ありがとう)」と元気いっぱい。プレゼントには英語で「平和になってほしい」「希望を持って勉強してね」などのメッセージが書かれている。中学校に進めない彼女たちにとって「いい教材」になったと思う。
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  • 16面~17面 フクシマ後の原子力 値上げに試される理性(高橋宏)

    大手電力会社の電気料金値上げの表明、あるいは検討が相次いでいる。9月の中間連結決算で、大手10社のうち四国電力を除く9社が最終赤字となり、経営悪化に歯止めがかからないからだ。その最大の理由は、ロシアのウクライナ侵略や急激な円安による燃料コストの高騰だとされる。現時点では値上げを考えていない社も、状況が長期化すれば将来的な値上げは避けられないという。
     
    先日、あるテレビ局の情報番組で、電気・ガス料金の値上げを受けて、節電・節ガスについて話題にしていた。その中で、原発利用や省エネの課題が話し合われた。その中で、原発利用についてメリットは「温室効果ガスの排出抑制」「安定供給を確保できる」「発電コストが火力発電より安価」で、課題は「安全性の追求」「立地地域との共生」という政府の見解を紹介していたのである。その内容を特に問題視することもなく、日本の電源構成などを示した上で、「専門家」やコメンテーターが「原発の利用はやむを得ない」「日本はベストミックスで電力を確保していくしかない」と口をそろえて主張したのだ。
     
    料金の値上げや、政府がこの冬の節電要請を決定したことなどを受けて、こうした主張が声高になりつつある。建設中を含めて国内には36基の原発があるが、稼働は7基にとどまっている。国や電力会社は停止中の原発の再稼働を進めているが、ネックは2030年までに運転開始から40年を超える原発が15基と、半数以上含まれていることだ。
     
    経産省は7日、今後の運転延長ルールについて三つの案をまとめたが、そのうちの一つは安全審査などに伴う長期停止期間を運転期間に算入しないというものである。現時点では運転期間を原則40年、最長60年とするルールとなっているが、もし「停止期間除外」案が採用されれば、福島第一原発事故後に稼働していない原発は運転期間が70年近くになる可能性がある。そこまで原発に頼らなければ、日本の社会は成り立たないのであろうか?
     
    そもそも、先の番組で示された政府の課題認識は、まやかし以外の何物でもない。原発利用が前提であるとはいえ、地震列島、火山列島にあってテロの対象となる可能性まで高まっている原発について、巨大事故の危険性が全く考慮されていない。「安全性を追求」すれば解決できる問題ではないはずだ。運転後に膨大に生じる高レベル放射性廃棄物(いわゆる「死の灰」)の処理・処分問題は未解決であるし、膨大なコストを要することも触れていない。「立地地域との共生」にいたっては、原発に頼らざるを得ない状況を強いる以外の何物でもない。
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  • 18面 ウトロ地区フィールドワーク 共に生きる大切さ学ぶ(矢野宏)

    小春日和の11月12日、新聞うずみ火主催の「京都ウトロ地区フィールドワーク」が行われた。参加した30人がウトロ平和祈念館や昨年夏に起きた放火現場跡などを見学し、共に生きることの大切さを学んだ。

    戦時中、日本政府が京都飛行場の建設に集めた朝鮮人労働者たちの宿舎である飯場跡がウトロの原型だ。平和祈念館の田川明子館長は「ここは戦争によって生まれた集落です」と説明する。
     
    「日本が朝鮮半島を植民地としたことで、徴用から逃れるために来た人もいました。徴用がいかに恐ろしいことであったか。昼夜過酷な労働を強いられましたが、粗末ながら食事や住むところはあった。ところが、日本の敗戦で工事は中断されると、その場に使い捨てのように放置されたのです」
     
    木造平屋の飯場が密集し、飛行場建設のために5㍍ほど掘り下げていたため、雨が降ると浸水した。1988年まで上水道も引かれなかった。住民らは井戸水で命をつなぎながら貧しさと差別に耐えたという。
     
    「その頃の話を聞くと、住民の多くはこう言うんです。『貧乏やったけど不幸やなかった』と」
     
    89年に土地の所有権を買い取った「西日本殖産」が立ち退きを求めて住民を提訴。住民らはウトロ地区の入り口に座り込むなど抵抗したが、2000年に最高裁で住民側の敗訴が確定した。住民や支援者たちが日本や韓国で実情を訴える活動を展開。日韓市民の募金や韓国政府の支援もあって土地の一部を買い取った。
     
    祈念館は、ウトロの歴史を伝えようと創設された。1階は交流のための多目的ホール。

    2階は地区の歴史を学ぶ常設展示場。3階は企画展会場。屋外には交流の広場とともに、住居として使われた飯場を移築し再現している。
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  • 19面 朝鮮人追悼碑撤去NO 群馬県庁前で市民アピール(栗原佳子)

    群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人労働者追悼碑が撤去を迫られている問題で10月24日、市民が県庁前で撤去反対のアピールを行った。県が設置許可を更新しないと決定、碑の管理団体が処分取り消しを求めた訴訟も6月、最高裁で敗訴が確定している。東京高裁で裁判を傍聴した都内在住者ら「群馬の森朝鮮人追悼碑撤去に反対する市民の会」が呼び掛けた。

    追悼碑は「記憶 反省そして友好」と日本語とハングル、英語で刻まれ、〈かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する〉などの碑文がある。全国で初めて県有地に建てられた加害の歴史を示すモニュメントだ。
     
    1995年から市民有志が県内の朝鮮人強制連行と強制労働について調査。鉱山など少なくとも19カ所で朝鮮人約6000人、中国人捕虜約900人が強制労働させられ、病気などで300~500人が亡くなったことがわかった。中国人犠牲者の追悼碑は2カ所あるが、朝鮮人犠牲者の慰霊碑はなく、「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(碑を管理する「守る会」に改称)が発足した。
     
    2001年、用地提供を求める請願が県議会で全会一致で趣旨採択され、03年、当時の知事が県有地提供を決裁。04年に完成した。しかし12年頃から右派による抗議が県に集中。14年、県は守る会の設置許可更新申請を保留した。
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  • 20面 読者近況(矢野宏)

    ■日独の若者比較
    【大阪】ドイツ現代政治と平和学が専門の阪大教授木戸衛一さんが「若者が変えるドイツの政治」をあけび書房から出版した。定価1760円。
     
    日本33・62%に対しドイツ71・2%。昨年、両国で同時期に行われた総選挙の20~24歳の投票率だ。米国や韓国などと比べても日本の若者の政治への関心の低さが際立っている。それを「『今の若い者は』とひとくくりに非難するのは大人の責任転嫁」と木戸さんは訴える。
     
    何が違うのか。木戸さんはまず、歴史に学ぶ教育を挙げる。「日本では『戦争の反省』という決まり文句があるが、なぜ起こったか深く考える機会が乏しい。ドイツは戦争をもたらした『暴力支配』が反省の対象になる」。さらに、過去の克服が若い世代に新たに確信を与える政治的資源になっているという。
     
    昨年末のドイツの政権交代は若者たちの声が後押しした。木戸さんは「ドイツの若者にできていることが日本の若者にできないはずはない」と期待を寄せる。
     
    あとがきの中で、木戸さんはドイツのシャンソン歌手ラインハルト・マイの「嫌だ、息子は渡さない」を紹介している。心打つ歌詞だ。

    ■仁福・吉次二人会
    【大阪】落語家の露の吉次さん=写真=が主宰する「第63回あみだ池寄席」は12月11日(日)午後2時~大阪市西区の和光寺で笑福亭仁福さんとの二人会。
     
    当日は、仁福さんが「ふだんの袴」ほか1席、吉次さんが「鹿政談」ほか1席。
     
    和光寺へは地下鉄千日前線「西長堀駅」⑤出口から東へ徒歩2分。
     
    前売り1500円(当日2000円)。要予約
     
    申し込みは吉次さん(06・6491・3554=FAX兼用)まで。

    ■落語連続講座
    【大阪】「落語のラララ」を本紙に連載してくれた落語作家のさとう裕さんが、2023年1月21日(土)午後2時から「谷六寄席番外編・落語連続講座」(第2期)を開講する。全7回。
     
    初回は「落語の下座(出囃子とはめもの)&弟子修業おもしろ裏話「江戸落語に『出囃子』はなかった?」
     
    次回からは奇数月の第3土曜の午後2時に開演予定。
     
    木戸銭1200円(各回)。
     
    会場は「ほっとすてーしょん」(地下鉄谷町線「谷町6丁目駅」⑥出口)
     
    問い合わせは「ほっとけん会」(06・6767・6762)まで。

    ■9条連近畿 学習会
    【大阪】9条連・近畿の総会と学習会が12月3日(土)午後1時半~大阪市東淀川区のKITENA新大阪で。
     
    講師は「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」の著者、花岡しげるさん。
     
    参加費1000円。
     
    会場はJR新大阪駅の東改札口を出て左に直進、東口⑪。
     
    問い合わせは9条連・近畿(06・4305・0203)まで。

  • 21面 経済ニュースの裏側 財政規律(羽世田鉱四郎)

    英国では、財政悪化を懸念し、発足したばかりのトラス政権が崩壊しました。では我が国の現状はどうでしょうか。以下、直近の経済財政白書(令和4年版・内閣府発行)や財務省の公表数字から引用しました。
     
    天井知らずの債務 まず驚かされるのは国債の膨大な発行額。2020年は108兆円で、8割が赤字国債です。リーマンショック後(09年度)51兆円の倍です。コロナ対策に乗じて、20年度の予算は過去最大の160兆円となりました。世界の先進国の債務残高(対GDP)ですが、21年は米国133・3%、英国108・5%、ドイツ72・5%、フランス115・8%、イタリア154・8%、カナダ109・9%。日本は256%です(いずれも推計値)。日本の場合は、21年度補正予算や22年度予算による債務残高の増加は反映されていません。財政規律のタガが、大きく外れています。
     
    懲りない借金頼み その後も懲りずに、2度も補正予算を組み、第1次25・7兆円、第2次31・9兆円を発表。すべて国債発行(借金)で賄う予定です。身内である経済同友会からも、過大すぎるのではとの指摘も出ています。一方、国力ですが、アベノミクス開始(13年)と、現在を比較してみます。経常収支は4兆4566億円→15兆4877億円、貿易・サービス収支が▲12兆2521億円→▲2兆5615億円、貿易収支は▲8兆7734億円→1兆6701億円、第1次所得収支は20兆4781億円→17兆6978億円です。第1次所得収支とは「主に親会社と子会社との間の配当金・利子などが中心」で、本業の貿易・サービスの収支を補う形になっています。言い換えれば、海外への直接投資などでつくった子会社などの業績が日本の親会社に大きく寄与する形となっています。大企業が中心です。
     
    海外の動向 我が国の輸出入の大きな役割を占める中国ですが、「新しい最高指導部メンバー7人は(中略)経済の専門家が全くいない」「不動産部門が中国経済に占める割合は、25%まで拡大」「GDPの成長率は(中略)年初から2%台で(中略)共産党大会期間中の発表を先延ばし」(「選択」11月号)という形で、経済の先行きに懸念が生じています。米国も、高インフレの鎮静に躍起になっていますが、製造業に不況の兆しが現れ始めました。政治家や大企業・富裕層は、巧みな節税方法やタックスヘイブン(租税回避地)などで、税金逃れをしてきました。14年、手助けしていた中米パナマの法律事務所の内部告発から情報が洩れ、大騒ぎに(「パナマ文書」事件)。地中海マルタでは、追及していた女性記者が爆殺され、真相はウヤムヤに。
    ……

  • 22面 会えてよかった 島袋艶子(上田康平)

    父の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を
     残そう
     
    民謡を続けようと思い、すぐにき
    ょうだいに電話すると、みんなも同
    じ思い。音楽活動をやめる手前だっ
    たが、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」をレ
    コードに残そうと決めたのである。
     
    そして極東放送のラジオ番組に出
    たとき、お世話になったアナウンサ
    ーの方の紹介で、普久原恒勇先生を
    訪ねた。
     
    先生は「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は
    大変な歌だよ、と言われてレコーデ
    ィングに向けてアドバイスしてくだ
    さり、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」のレ
    コードが完成したのは1975年の
    ことだった。
     
    この歌は、沖縄戦の生き残りとし
    て、何もない中から立ち上がってき
    た人々の心をとらえ、大ヒット曲と
    なった。ジュークボックスで盛んに
    聞かれたという。
     
    その後、「南国育ち」など、普久
    原メロディでヒットを連発。先生の
    ところに行っての再出発。必死だっ
    たと艶子さんはいう。
    ……

  • 23面 極私的 日本映画興亡史 「活界に、黒く暗く18年」(三谷俊之)

    昭和2年正月、50歳となったマキノ省三は一世一代の作品を残したいと考えた。5度目となる『忠臣蔵』を「実録」と銘打ち、自ら演出に乗り出した。配役が難航した。マキノプロは、月形、千恵蔵、寛寿郎と若手は充実していたが、大石内蔵助を演じる役者がいなかった。関西歌舞伎の重鎮、実川延若や松本幸四郎(七代目)と交渉したが断られた。
     
    ようやく新派の最高幹部・伊井蓉峰に決まった。見せ場は『勧進帳』を『忠臣蔵』に持ち込んだ、大石内蔵助と立花左近の対決の場である。伊井の大石と勝見庸太郎の立花左近が対決する見せ場の撮影で、伊井は歌舞伎の六方を踏んだのだ。映画には花道などなく、土の上である。まして今回は実録と銘打つようにリアルさが必要だ。突然、六方を踏んだ伊井に、省三は茫然として「カット」の声も出ない有り様だったという。
     
    撮影は遅れに遅れ、あわただしく編集作業にかかった。

    体調を崩していた省三自ら、フィルムをためつすがめつしたが、つながらない。今のように編集機材がある時代ではない。可燃性のフィルムを部屋に吊り下げ、100㍗の電球を置き、その上に白紙をかけてすかしてみる。長男・雅弘の自伝『映画渡世・天の巻』によると、「父はついに裸電球に直接フィルムを当てて、一コマをジーッと見つめ始めた。となにを思ったのか、父は手にしたフィルムをポイッと電球の上に放ったのである。たちまちボッと火がついて、あっという間に天井までメラメラと燃え上がった。部屋中にフィルムが全部ほどいてあったのだ」とある。
    ……

  • 24面 坂崎優子がつぶやく 性犯罪は人格の否定

    「性犯罪裁判の傍聴席が傍聴マニアの男性たちで埋まる」とツイッターで話題になっていました。ある弁護士さんもこのことに関して「性犯罪を担当する時はそうならないよう関係者や支援者、仲間の弁護士で席が埋まるようにしている」と補足ツイートしていました。
     
    裁判そのものでも被害者は思い出したくない出来事と向き合わなければならないし、時には相手側の弁護士の執拗な質問にも答えなければならない。その上、傍聴席が興味本位の男性で埋まっているとしたら、考えただけでぞっとします。
     
    ヒップホップユニット、クリッピー・ナッツのDJ松永さんが、早稲田大学の大学祭での発言を謝罪しました。性犯罪事件を繰り返し、逮捕者を出したサークル「スーパーフリー」を揶揄する発言をしたためです。被害者の中には自殺した人もいるなど悪質で許しがたい事件だっただけに非難が高まりました。
     
    酔わせて集団で襲うという卑劣な事件は、滋賀医大の学生や同志社大アメフト部員など、その後何度も起きています。また今回のように軽いネタにしてしまう人なども出てくると「被害者がその後どんな人生を歩んでいるか知っているか」と突きつけたくなります。
     
    それは私が幼稚園児だった頃です。夕方、近所のお店におつかいを頼まれ1人で歩いていたら、自転車に乗った男性が道を尋ねてきました。答えようと立ち止まると男は突然私を抱きかかえ、自転車に乗せようとしました。「いやー」と声を出したため、近くの家から人が出てきて、男は逃げて行きました。未遂に終わったとはいえ、私にはその場面、その時の手の感触がずっと残り続けました。
    ……

  • 25面~30面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    輸送船とともに
    沈んだ兄を偲ぶ

        神戸市 小林弘
     
    10月25日に新聞うずみ火11月号が届きました。この日は特別な日です。長兄の小林量平(享年16)の祥月命日。78回忌でした。
     
    21日に80歳になった僕が2歳の誕生日を迎える前、すでに軍事輸送に徴用された民間船「鴨緑丸」に乗船していました。
     
    1944年4月には輸送船「白陽丸」に乗り込み、10月25日に占守島(しゅむしゅとう)から冬季閉鎖のための航空機の燃料とか軍需物資などを北海道・小樽に運ぶのが任務でした。その航行中、千島列島中部の知林古丹島(ちりんこたんとう)北西沖で3発の魚雷を受けてガソリンに引火、2分後に沈没しました。
     
    兄は無理矢理行かされたわけでなく、勝手に親の名前を書き込んで志願しました。問い合わせの電報が本家に来たそうです。親戚も友達もいたのに誰一人、兄が志願したことを知らなかった。誰にも言わなかったのです。
     
    いったん、本家のおばあさんが兄を引き取りに行き、西本願寺で法名を生前授与してもらってから鴨緑丸で海洋訓練生として1カ月、船から船への引き継ぎで白陽丸へ。
     
    白陽丸の最後は悲惨ですが、兄は希望通りではなかったと思います。無線通信士を志望しながら、なぜ機関科に配属されたのか。
     
    周りの人は「量さんは偉かった、偉かった」と言うてくれましたが、なぜか納得できません。本人が志願してまで行った気持ち、字の通り志を尊重してみようかと思い、自分で納めています、もったいない人材なのになぜ引き止めてくれなかったのかとの気持ちは、やはり抜けませんが……。
     
    その8カ月後、明石空襲で両親は亡くなり、私はその生き残りです。
     
    (国民学校の高等科を終えた子どもたちを海員養成所で2、3カ月教育しただけで輸送船に乗せたと聞きました。人手が足りない、とにかく船を動かさなければならないという理屈で、何もわからない少年たちを使い、お兄さんはその犠牲になったのです)
    ……

  • 26面 車イスから思う事 「すごいわね」って…(佐藤京子)

    暑さもやわらぎ外出しやすくなった。2カ月ぶりに車で1時間かけて大型倉庫型スーパーに行った。普段は開店に合わせて行くのだが、看護師さんの訪問があったため、午後から買い物へ。店内はやはり肩が触れ合うくらいに混んでいた。まとめ買いしたり、少し重たい物を選んだりすると、家の中に運べないのでエコバッグに入るだけにしている。カートを使うと、気が大きくなるのか、買い過ぎるのだ。
     
    倉庫型スーパーの特徴で、商品が箱ごと高く積まれている。取りたくても手が届かない。何とか取る方法はないかと考えたが自力では無理なので、前から来た女性に声をかけた。「すみませんお願いをして良いですか」「あら、どれですか」。やったー、成功した。車イスなど視界に入っていない人もいるので、声をかける人を選ばないと、嫌な思いをする。卑屈な考えだが、日ごろ人から視線をいくつも投げかけられている。見られるだけでも不快なのに……。
     
    だんだんとエコバッグが重くなってきた。早く回らないと持てなくなりそうだ。惣菜を詰めた。バッグの中身を整理しようとしていると、後ろから話しかけられた。「カバンの整理でしょ、やってあげる」。驚いた。言い終わるか否や、バックを広げてガサゴソし始めた。手際よくバッグを整理してくれ、その女性は「またねー」と言って去っていった。ふと気になってバッグをのぞくと、惣菜が逆さまに収められていた。やってもらうのはありがたいと思いつつ、断り上手にならなくてはいけないとも思う。
     
    店がだんだん混み始めてきた。退散した方が良いと思い、レジに並んだ。レジ台に品物を並べ、バーコードを読み取っていく。何だか今日の買い物は疲れた。
     
    だが、それだけではすまなかった。駐車場に戻り、車に荷物を入れようとしていたら、見知らぬ女性が何か言いながら近づいてきた。「レジに並んでいる時から見ていたの。すごいわねー」。そして、無料通信アプリケーションの連絡先を交換したいと言う。なぜだろう? とにかく、不審な人なのでお断りした。
    ……

  • 28面 絵本の扉 ストライプ

    表紙を見た印象は「わあ、色味がすごい!」。顔も身体もカラフルな縞模様(ストライプ)の少女が体温計を口にくわえて困った顔をしています。何があったのかな……。
     
    少女の名はカミラ・クリーム。本当はリマ豆が大好き。でも、学校のみんながリマ豆を嫌いなので食べようとしない。カミラはみんなと同じでいたいと思い、人の目ばかり気にしていた。新学期の初日、みんなが自分のことをどう思うのか気になり、どの服を着ていけばいいのか悩む。次から次に着替え、最後に鏡を見た瞬間、身体が色とりどりの縞模様になっていた……。
     
    新学期だからと登校したものの、彼女の身体は、自分が見たもの、周りの人に言われたものの通りに色が変わる。専門医が診察して薬を処方すれば、薬のカプセルに。科学者が「ウイルスやバクテリアのせいだ」と言えば、身体はそのように変化する。マスコミにも知られて話題になり、専門家が来るたびに彼女の身体から様々な物が生えてくる。ついに彼女の身体は、環境セラピストの言葉とともに溶け出し、部屋と一体化してしまう。絶体絶命のカミラ。そこに一人の可愛いおばあさんがやって来る……。
     
    そのおばあさんが「縞模様病」のカミラに処方したものは何だかわかりますか。それを口にした途端、彼女はストライプの呪縛から解放されるのです。彼女が自分の意志に逆らって我慢していたことに端を発した縞模様病の原因は何だったのでしょう。
     
    作者のシャノンは、緻密なタッチの絵を得意としています。この作品のカラフルな色使いと緻密な描写に引き込まれていきます。物語も奇異で突飛なエピソードに思われがちですが、人間の深層心理に入り込み、考えながらも最後はストンと腑に落ちる内容です。自分はカミラみたいな現象に陥っていないか。最後のページのカミラのような晴れやかな表情をしているだろうか。私たちに問いかけてくれる一冊です。
    (元小学校教諭 遠田博美)

  • 30面 編集後記(矢野宏)

    秋の深まりとともに喪中はがきが舞い込んでくるようになりました。読者から別れを告げられ、とても悲しい季節です。高知の石塚直人さん69歳、京都の小浮気依子さん89歳、奈良の笹田治人さん87歳。うずみ火講座に来てくれたなあ、あのあと一緒にお酒を酌み交わしたっけ……。楽しかった日が懐かしく思い出され、もう一度お会いしたかったと悔恨の念にかられます。▼先日、また一人、旅立たれました。「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さん91歳。毎年夏、NPOみなと主催の「大空襲の体験を語る集い」でお会いし、証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲」にも体験を語っていただきました。空襲で顔や手足に大やけどを負い、戦後もその傷跡は残りました。ある日、電車に乗って子ども連れの隣に座った時、その母親から「うつる」と言われたそうです。1945年8月15日で戦争は終わったと歴史の教科書で習いますが、伊賀さんのように空襲で大やけどを負った人、爆弾の破片で手足をもぎ取られた人、かけがえのない肉親を亡くして孤児になった人にとって、その苦しみは戦後もずっと続いています。▼「戦争は人間同士の殺し合い。二度と繰り返してほしくない」。伊賀さんの願いをよそに、政府が「台湾有事」をあおる中で、南西諸島への自衛隊配備が加速するなど、戦争準備が着々と進められています。戦後77年ですが、戦後という言葉は近いうちに使われなくなるかもしれません。今を戦前にしないためにも、戦争が市民に何をもたらすのか、誰が笑っているのか、まずは知ることです。▼気がつけば還暦を過ぎ、あちらの世界が随分とにぎやかになってきました。でも、もう少し待ってください。来年も空襲証言DVDを制作したいので。

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    10月12日(水)
     矢野、栗原 昼前、来社した堺市の山口美和子さんにギャンブル依存症について話を聞く。夜、文箭祥人さんと亘佐和子さんが呼びかけた関西大非常勤講師の塚崎昌之さんを囲んで「大阪空襲と朝鮮人、そして強制連行」を読む会。
     午後、茶円敏彦さんが宛名のラベル張りのお手伝いに。
    10月13日(木)
     栗原 夕方、東京・教育会館で開かれた「沖縄戦の真実を伝える首都圏の会」集会へ。
    10月14日(金)
     矢野 夜、豊中人権まちづくりセンターで、祖父がギャンブル依存症だったという竹林久榮さんに話を聞く。
     栗原 午前、大阪市淀川区のシアターセブンでドキュメンタリー映画「百姓の百の声」の柴田昌平監督にインタビュー。
    10月17日(月)
     15日に沖縄入りした栗原は県庁発着の「辺野古バス」に乗車。ゲート前で取材。帰阪。
    10月19日(水)
     午前中に石田冨美枝さん、午後から茶円さん、柳田充啓さんが新聞の折り込みチラシのセット作業。友井健二さんと岩崎辰裕さんが11月26日の「平和を訴えるコンサート」のチラシ1500枚を持参。「ぼくらも手伝いますわ」
    10月21日(金)
     夕方、新聞うずみ火11月号が届き、長谷川伸治さん、大村和子さん、康乗真一さん、金川正明さん、樋口元義さんが発送作業。矢野は途中で抜け、大阪市港区の田中機械ホールへ。港合同主催の「国際反戦デー学習会」で「今こそ憲法の精神を」と題して講演。事務所に戻ると、なぜか定岡由紀子弁護士が。酒話会は来週のはず…。
    10月22日(土)
     矢野 午後、寝屋川市立市民会館で開かれた「非核・平和のための戦争・原爆展」で講演「語り継ぐ大阪大空襲」
    ……

  • 32面 うずみ火講座・忘年会の案内(矢野宏)

    ■12月のうずみ火講座

    新聞うずみ火が制作した証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲2」上映会と3代目桂花団治さんの落語会が12月10日(土)午後2時~PLP会館で開かれます。
     
    証言DVDには先日亡くなった伊賀孝子さんの証言も収録しています。当日は矢野が大阪大空襲について解説した後、DVDを上映(38分)。花団治さんが大阪大空襲で亡くなった2代目を偲ぶ創作落語「防空壕」を披露していただきます。
     
    参加費2000円。

    参加希望者は「うずみ火事務所」まで申し込みください。

    ■2023年1月のうずみ火講座

    2023年のスタートを飾る「うずみ火講座」は、映像ジャーナリストの玉本英子さんを講師に招き、現地取材した「ウクライナ南部 戦時下の人びとは今」と題して講演してもらいます。1月28日(土)午後2時~PLP会館で

    ■大阪忘年会

    大阪忘年会は12月10日(土)午後5時~大阪市淀川区宮原の韓国料理店「セント」(地下鉄御堂筋線「東三国駅」徒歩3分、06・6397・8889)で。会費は4500円。席に限りがありますので、参加される方はうずみ火事務所まで。

    東京忘年会は12月24日(土)午後6時~新宿2丁目の「隨園別館・新宿店」(都営線「新宿3丁目駅」⑤から徒歩3分、03・3351・3511)で。会費5000円。二次会は午後8時半~沖縄料理「海森2号店」(03・3355・5188)。

    ■東京忘年会

    東京忘年会は12月24日(土)午後6時~新宿2丁目の「隨園別館・新宿店」(都営線「新宿3丁目駅」⑤から徒歩3分、03・3351・3511)で。会費5000円。二次会は午後8時半~沖縄料理「海森2号店」(03・3355・5188)。

  • 32面 消費税外税へ変更のお知らせ(矢野宏)

    いつも新聞うずみ火をご購読くださり、ありがとうございます。おかげさまで、創刊から18年目を迎え、今月も206号を発行することができました。
     
    さて、これまでに2度の消費税増税がありましたが、発送費用などを見直すことにより料金改定を行うことなく、消費税内税方式で新聞を発行してきました。
     
    ですが、ここにきて原材料や配送料などがさらに高騰し、消費税内税での新聞発行が難しくなってきました。
     
    ページ数を減らすことなく、今後も現場の声と読者の声を大切にした紙面作りを進めていくため、2023年1月号から現行の新聞代300円とは別に消費税10%をいただくことにいたしました。
     
    1年間ご継続いただく場合には、これまで3600円でしたが、3960円となります。
     2023年1月1日以前に継続していただいた場合には、3600円とさせていただきます。
     
    円安と物価高が進行する中、誠に心苦しいのですが、ぜひとも、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

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