能登半島地震から2カ月半となる3月16日、北陸新幹線の金沢ー敦賀(福井県敦賀市)間が開業した。観光支援策「北陸応援割」の利用もこの日から始まり、金沢駅は観光客でにぎわっていた。新幹線を復興の光にと歓迎ムード一色だが、被災地の倒壊家屋の多くが手付かずのままで解体・撤去作業すら進んでいない。
北陸新幹線は東京ー金沢の間で2015年までに開業していたが、敦賀まで延伸した。東京ー敦賀間は50分短縮され、3時間8分となるという。
一方で、これまで大阪と金沢の間で直通運転されていた特急サンダーバードは敦賀止まりになり、新幹線に乗り換えねばならない。2月中旬に金沢入りした時、片道7260円だった運賃は9410円にアップし、2時間47分だった所要時間はこの日2時間43分、短縮時間は4分だった。
開業効果を被災地復興への力にと、各地でさまざまな支援イベントが行われた。金沢駅鼓門では石川県輪島市の伝統芸能「御陣乗太鼓」が披露され、勇壮で荒々しい太鼓の音が響き渡る。今回の地震で保存会のメンバーはちりぢりになったが、被災地復興のために稽古を重ねてきたとの紹介が流れた。
金沢以南の旅館やホテルには今も約3600人の被災者が2次避難している。当初、宿泊施設から2月末から3月までの退去を迫られていたが、多くの宿泊施設が引き続き受け入れることを決めた。
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2月後半、神戸から車中3泊で奥能登を再訪した。
海底も陸地も最大4㍍隆起した能登地震。輪島市の袖ヶ浜の夏は海水浴やキャンプ、釣りでにぎわう。海際の小屋で年配女性が作業していた。
「きれいな砂浜と海だったのに海が遠くなった。沖の消波ブロックも干潮の時に少し頭を出す程度だったけど、今は全部見えている」
彼女が指さした方向には岩礁が広がる。「地震の前はすべて海面だったのに」
袖ヶ浜以上に深刻なのは漁港だ。輪島港に行ってみた。ワゴン車で車中泊していたのは漁師の本村光也さん(65)。50年以上も漁師一筋。甘鯛やマハタなどを取る近海漁業で生計を立てる。地震で自宅は半壊。家族は避難所暮らし。
「ここで自分の船を見守るだけで何もできない。輪島市漁協も氷がないから稼働しないよ」と車から降りてきて不安そうに海を見た。
刺し網漁や底引き網漁の漁船多数が岸壁に係留されていたが、隆起で水深が浅くなってしまい、船底やスクリューや舵が壊れるので動かせない。本村さんの視線の先に1隻の漁船が立ち往生していた。
本村さんは海女の素潜り漁で知られる舳倉(へぐら)島に家を持つが、港からの定期船も運休で様子を見に行けない。「今度の地震は4千年に1回やそうだから港は直せばあと4千年は大丈夫なんやろう」と自嘲気味に笑った。
こちらも市役所駐車場で車中泊。翌朝、焼けた朝市を横目に港に戻ると新木正男さん(63)と長男の彰浩さん(28)が自宅倉庫を片づけていた。
「元日は家族4人で団らんしていたらぐらっときた。半身不随のばあちゃん(母)を引っ張り出したが嫁さん(妻)は少しけがした」
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1947年、中国大陸から台湾に渡ってきた国民党政権が住民を武力で弾圧した「2・28事件」。長くタブーとされた虐殺事件には、地理的にも近い沖縄の出身者も巻き込まれた。殺害された人たちもいるが、全容はいまもわからない。事件から77年目の2月28日、遺族ら沖縄の訪問団が台湾南部の嘉義市で開かれた政府主催の追悼式典に参列、受難の地で沖縄式の供養で犠牲者を慰霊した。
訪問団は20人。遺族らでつくる「台湾228事件、真実を求める沖縄の会」(台湾二二八沖縄会)が呼び掛けた「2・28事件追悼IN嘉義、いまの台湾4日間の旅」(2月27日~3月1日)だ。
代表の青山恵昭(けいしょう)さん=浦添市=の父、惠先(えさき)さん(当時38歳)は2016年、外国人として初めて犠牲者として認定された。政府主催の追悼式典に招待され、その後、毎年のように式典に合わせ、追悼の旅を企画してきた。今年は、遺族として、認定を求める石底加祢(いしそこ・かね)さん(当時39歳)の三女、具志堅美智恵さん=豊見城市=、仲嵩(なかたけ)実さん(29歳)の孫、當間ちえみさん=那覇市=も参加した。
今年の追悼中央式典は嘉義市で初めて開かれた。市民側が激しく抵抗し、多くの犠牲者を出したという。5月に任期を終える民進党・蔡英文総統は犠牲者に献花、遺族に名誉回復の証書を手渡していた。
蔡氏は2期8年で国民党の独裁政権下で起きた弾圧の調査や被害者の名誉回復を進めてきた。過去を正す重点政策「移行期の正義」を推進、式典では「移行期の正義政策は特定の政党に向けられたものであってはならない」と述べ、現在の最大野党、国民党を標的にしたものではないと強調した。
1945年の第2次世界大戦終結後、台湾は日本統治から、中国大陸から渡ってきた国民党政権に代わった。事件は47年2月28日、政権への不満を爆発させたデモ隊に当局が発砲して抗議が全土に拡大。政権トップの蒋介石は軍を投入して弾圧した。
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「群馬の森」にあった朝鮮人追悼碑を1月末、群馬県が撤去した。発端は碑文を「虚偽」などとする右翼の圧力。2012年末に第2次安倍政権が発足して以降、各地で負の歴史を覆い隠そうとする動きが強まった。十数万人の朝鮮人が連れて来られ、強制労働させられた北九州や筑豊も例外ではない。「強制連行」の歴史を語り継ぐ裵東録(ペ トンノク)さん(80)=北九州市=に現地を案内してもらった。
2月の週末、最初に向かったのは北九州市八幡東区の「東田第一高炉跡」。1901年に官営八幡製鉄所が操業を開始した場所に立つ「鉄の街」のシンボルだ。裵さんの父は1940年に慶尚南道から「募集」で八幡製鉄所へ。大黒柱の夫を突然奪われ、裵さんの母は4人の子どもを連れて海を渡った。裵さんは翌43年、社宅の長屋で生まれた。
「募集といっても実質的には強制徴用。オモニ(母)たちが真冬に日本に着きましたが、社宅には布団もなく、家族6人むしろをかぶって寒さをしのいだそうです」
戦況の悪化とともに出産直後の母も八幡製鉄所に動員。岸壁に山積みされた鉄の塊を貨車に積む重労働だった。
45年8月15日、日本の敗戦で解放を迎えた。両親は祖国へ帰ろうとしたが、企業はろくに賃金も払わず船賃にも事欠き、仕方なく日本に残ることを選んだという。
続いて北九州市若松区の市営小山田墓地へ。この一角に「朝鮮人遭難者追悼慰霊碑」がある。45年9月17日、枕崎台風で1隻の船が転覆。浜に漂着した約100人の遺体が、海を望むこの場所に葬られた。戦前、戦中、日本に連れて来られた朝鮮人は約200万人。解放を迎え、下関などで帰国の日を待ったが、日本政府は帰還船を用意しないため、小型の危険な闇船を調達し、遭難が相次いだ。
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京都府精華町と京田辺市にまたがる陸上自衛隊祝園(ほうその)分屯地に大型弾薬庫8棟が新設される計画をめぐり、「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」(略称・ほうそのネット)の結成集会が3月20日、精華町で開かれた。弾薬庫が爆発すると周囲20㌔に被害が及ぶとされ、地元住民はもとより隣接する京都府木津川市や奈良市などから約200人が参加した。
防衛省は「安保3文書」に基づき、敵基地攻撃能力の保有や「継戦能力」の確保・維持のため、全国で弾薬庫整備計画を進めている。
祝園分屯地の弾薬施設は本州で最大規模。2024年度予算に火薬庫を8棟増設する設計・工事費として約102億円が計上され、24年度から造成工事に着手する。
陸自と海自との共用となり、京都府舞鶴市の海自舞鶴基地に配備されているイージス艦2隻に搭載する米国製巡航ミサイル「トマホーク」や「12式地対艦誘導ミサイル」も貯蔵する計画だ。
ほうそのネットを呼びかけた精華町議の坪井久行さんは「海自と共同使用することで、南西諸島や九州だけでなく、本州でも有事に備えた補給拠点として整備される」と指摘する。京丹後市の経ヶ岬に米軍専用の「Xバンドレーダー」が設置されており、滋賀県高島市には陸自饗庭野演習場がある。米軍との共同訓練も予想され、坪井さんは「関西でも軍事要塞化が進む」と危惧している。
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大阪市が2018から24年度に、約1万9000本を伐採する「公園樹・街路樹の安全対策事業」を進めている。総事業費は約55億円。市は「倒木の危険や根上がりで歩道を壊すなど住民の安全・安心を守るためだ」と説明するが、市民は「切る必要もない木も切っている」と選定基準のあいまいさを批判する。
扇町公園(北区)の伐採予定は56本。小高い場所のケヤキは、伐採の予告文が張られている。「健全度の低下」「根上がり等により施設を損壊する恐れ」が理由だが、周りに施設はない。市民団体「大阪市の街路樹撤去を考える会」(渡辺美里代表)が樹木医に調査を依頼したところ、「活力・樹形とも非常に良好」との鑑定だった。
1月5日に扇町公園事務所が開いた現地説明会では、納得のいく説明はなかった。見直しを求める市民に、市緑化課長は「持ち帰って検討する」と約束。2月26日に公園事務所で再び説明会があり、市民55人が参加した。
渡辺代表が8415人分の署名を手渡し、「剪定などをすれば残せる木があるのではないか。1本ごとに精査し、内容を公開すること」「リスクが低い樹木の伐採を延期し、経過観察とすること」などを要望した。
説明は伐採ありきで、市民側が反発。樹木医の診断を示し、伐採の必要性のない樹木があると主張しても「総合的に判断しています」。市民側が次回の説明会実施を求めると、「上司と相談する」。最終的に「上司と相談し、その内容をもとにどのように説明するかを、考える会に相談する」ことを約束した。話し合いは午後3時から始まり、12時間半に及んだ。
市が伐採にこだわるのは、大量伐採することで維持管理費を下げるためではないかと見られている。市の公園樹と街路樹の維持管理費はここ10年、9億5000万円前後で推移しているが、物価高や人件費の高騰もあり、剪定本数は半減している。
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大阪市立高校22校のうち大阪府に無償譲渡された2校の損害賠償、まだ無償譲渡されていない2校の差し止めを求めた裁判で、大阪高裁は3月14日、原告側の控訴をいずれも棄却した。原告側は最高裁に上告した。
「大阪市民の財産を守る会」は4月11日午後6時~中央区谷町3のターネンビルで決起集会を開き、元市教育委員長の矢野裕俊さんが大阪の高校教育の問題点について講演する。資料代500円
ロシアではプーチン大統領による通算5期の長期独裁政権、アメリカではトランプ再登場の可能性が高まる中、侵略され、東部・南部を奪われ、反転攻勢もうまくいかなかったウクライナはこの先、一層厳しい状況に追い込まれ、市民の犠牲が増えることが予想される。イスラエルがハマスのテロを口実にガザ住民皆殺しのような攻撃と破壊を続けていることに、とても黙ってはおれない。
日本政府はもっと積極的に停戦撤退の働きかけを行い、これ以上の殺戮と破壊を止めるようにすべきだが、裏金問題で機能停止。そのくせ自衛隊の軍備増強、軍事費倍増、そのための増税は予定通り進め、戦闘機など武器輸出も与党で合意した。日本がいよいよ軍国時代に戻りつつあることに危機を感じないわけにはいかない。
折りしも、靖国神社の宮司に海上自衛隊海将を務めた人物の就任が報じられたが、靖国神社は先の大戦中、陸海軍の管轄下にあったことを想起しないわけにはいかない。
1月9日には陸自幕僚副長が、部下の隊員ら22人と公用車を使って参拝していたことも報じられた。この時は公用車を使ったことは問題だが、職務命令で参加を強制したわけではなく、各々の意思で参加したのだから問題はないとしたが、役所的なごまかしである。
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(前号まで)激戦地ヘルソン市はロシア軍のミサイルで破壊されていた。逆にヘルソン郊外のロシア軍が駐屯していたアレクサンドル村など周辺地域は米国が提供したハイマースミサイルによって大量のロシア兵が殺されていた。結局どちらも勝利せず、死傷者を増やしているだけ。唯一の勝者は米ロをはじめとする武器メーカーだろう。ヘルソンから西部のリビウへ移動。リビウは比較的安全なので、市民も兵士もこの街に逃げ込んでくるのだった。
リビウはかつてポーランド・リトアニア公国の影響下にあってEU志向の強い町。もともとウクライナが建国された時(1991年)から西部=親EU、東部=親ロシアの図式が確立していた。しかし今回の戦争で東部も反ロになり、皮肉なことだが「この戦争によって、ウクライナのアイデンティティーが固まった」と言える。
まずはリビウ市郊外の「ハリーチ・リハビリテーション病院」へ。約200名の兵士が入院していて、手術と厳しいリハビリに耐えている。院長と一緒に病室を回る。3階の廊下が「歩行訓練用」になっていて、片足の男たちが、ボランティアと松葉杖の支えによって懸命に歩いている。今は医療技術が発達しているので、ロケット弾の直撃を受けて手足に破片が食い込んでも、病院ですぐに切断すれば一命は取りとめられる。「ロシアのミサイルで10名死亡」というニュースの影には、20名の手足のない人々がいるのだ。鶴彬の「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の世界は今も続いている。
リハビリルームへ。トレーニング中の傷ついた兵士の中に、気合いでダンベルを上げているオブストラムさん(47)に状況を聞く。1年前、東部ドネツクの前線でロシアのロケット弾が彼の1、2㍍先に落ちた。左足は太ももから切断。病院を転々としてここにやってきた。背中に汗を光らせながら重いダンベルをあげている。
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13年目の「3・11」が巡ってきた。この時とばかりに報じられる被災地の状況は、年々「復興」に重きが置かれるようになり、福島第一原発事故は次第に過去の出来事として扱われるようになってきた。だが、原発事故そのものは「あの時」で終わったわけではない。2011年3月11日午後2時36分に出された原子力緊急事態宣言は、今なお継続中なのである。
福島第一原発事故は、周辺地域の人々の暮らしを一変させた。多くの人々が避難を強いられ、生業を失った。この間、避難者数は漸減してきたが、福島県によれば県内外に2万6000人余りが今も避難している。国は多額の費用をかけた除染によって避難指示を解除してきたが、住民の帰還は思惑通りには進んでいない。国や県による様々な支援策には期限が設けられており、助けを必要とする人々が、いずれ支援を受けられなくなる可能性も大きい。
事故処理も13年前からほとんど進んでいない。溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しのめどは全く立たず、汚染水の発生も止められないままで、収束の道筋が見えない。その一方で、事故処理の費用は膨らみ続けている。事故直後の国の試算で11兆円とされていたものが、今では23兆円余り。あくまでも国の試算であり、今後さらに膨れ上がることは間違いない。そしてそれが私たちの大きな負担となっていくのだ。
昨年からは、汚染水の海洋放出が始まった。IAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得て、これまでに4回、約3万㌧の汚染水が海に放出された。今のところ明らかな影響は見つかっていないものの、本来ならあり得ない放射性物質を放出している以上、自然を汚していることは明白である。汚染水の発生が止まっていないため、放出は少なくとも30年かかる見通しだ。万が一、具体的な被害が出たら取り返しがつかない状況が続く。
この13年間に、日本は多くの地震に見舞われてきた。16年の熊本地震、18年の北海道胆振東部地震、00年の鳥取県西部地震など、甚大な被害を与えた巨大地震は少なくない。そして今年元日に能登半島地震が発生した。これらの巨大地震に共通して言えるのは、想定されていた発生確率がそれほど高くなかったことである。私たちは、発生確率が高いとされる南海トラフ地震などに目を奪われがちだが、日本には巨大地震が来ない場所などあり得ないのだ。
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一夜にして4000人の命が奪われた第1次大阪大空襲から79年となる3月13日、犠牲となった朝鮮半島出身者らを追悼する集会が大阪市中央区で開かれた。祖父を空襲で亡くした遺族をはじめ市民ら約70人が参加し、犠牲者を悼んだ。
元教員や弁護士らによる「大阪空襲75年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員会」が主催した。2021年から毎年開かれ今年で4回目。
太平洋戦争末期、米軍による大阪への空襲は1944年12月19日から敗戦前日の45年8月15日まで計50回を超える。うち100機以上のB29爆撃機による大空襲は8回を数え、大阪は焼け野原となった。約122万人が被災し、行方不明者を含む1万5000人以上といわれる空襲犠牲者のうち、朝鮮半島出身者は当時の人口比率(府全体の8・19%)から1200人以上と推計されるが実態は今も解明されていない。
実行委は2019年から調査を開始。実行委の一人、立命館大コリア研究センター研究員で在日朝鮮人研究家の塚﨑昌之さん(23年9月死去、享年67)を中心に名簿の作成や聞き取りを行ってきた。
大阪国際平和センター(ピースおおさか)が管理する空襲死没者名簿には9000人余りの名前が記されているが、朝鮮人の多くが「創氏改名」による日本名(通名)で記載されているため、名前の判明は困難を極めた。塚﨑さんらは文献と照合するなどして167人を朝鮮半島出身者と特定した。
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東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から13年。新聞うずみ火主催の市民講座が3月9日、大阪市北区のPLP会館で開講し、京都大複合原子力科学研究所研究員で原発の危険性を訴え続けた「熊取6人組」の一人、今中哲二さんが講演した。
福島第1原発は津波などで全電源を喪失。1~3号機の原子炉で核燃料が溶け落ちるメルトダウンが発生し、大量の放射性物質を放出した。
福島県には約310平方㌔の帰還困難区域が残る。2万6000人余りが避難生活を余儀なくされ、うち2万3000人が県外で暮らしている。
溶け落ちた核燃料(デブリ)は格納容器の底部まで広がり、冷却水が様々な放射性物質を含む汚染水になる。東電は多核種除去設備(ALPS)で放射性物質を除去しているが、トリチウムは除去できない。地下水も流入するため、汚染水は1日100㌧のペースで増え続けている。
政府と東電は2023年8月、敷地内にたまり続ける汚染水の海洋放出を始めた。大量の海水で薄め、トリチウムの濃度を国の基準の40分の1となる1㍑当たり1500ベクレル未満にしているから「安全性に問題はない」とし、23年度に3万1200㌧、24年度には5万4600㌧を放出する予定だ。
今中さんは参加者からの質問に答え、「これ以上、余計な放射能は外に出すな」との持論を繰り返した。
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瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で暮らす元患者の宮崎かづゑさん(96)を描いたドキュメンタリー映画「かづゑ的」が4月13日から大阪・第七藝術劇場で上映される。監督は映像ジャーナリストの熊谷博子さん。全てをさらけ出したかづゑさんの覚悟を受け止め、8年にわたって伴走した。
『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005年)『作兵衛さんと日本を掘る』(18年)など炭鉱に関わる人々を撮り続けてきた熊谷監督。「どうしてもあなたに合わせたい人がいる」と信頼する知人に強く勧められた。訪ねる前にかづゑさんが84歳で出版した初の著書『長い道』(みすず書房)を読み、心をわしづかみにされ、実際に会って「この人生を撮って残しておかねば」と決めた。
16年、撮影開始。その初日、撮影に応じた理由を問うとかづゑさんは「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したい」と答えた。そして「明日、入浴する日だから、お風呂も撮ってね」と促した。「いい格好をしていては本物は出ません。らいを撮るってことは全てを撮らなければ、私の身体ってわかりませんでしょ」と。
かづゑさんは病気の影響で両手指はなく、右足はひざ下から切断。視力はほとんどない。服を脱ぎ、義足を外し、職員2人に介助されながらの和やかな入浴。「ここで自分が大事にケアされていることも伝えたかったんだと思います」と熊谷監督は振り返る。
ハンセン病はかつてらい病と呼ばれ、患者は差別され隔離された。かづゑさんは10歳の時に入園。症状が重かったことから他の患者にいじめられるという「差別の中の差別」(熊谷監督)を受けた。死すら考えたこともあったが、面会に来る母を思い、踏みとどまった。図書館で読み漁った本にも救われた。22歳で二つ年上の孝行さんと結婚、支え合いながら暮らしてきた。
78歳の時、パソコンを習得。工夫した道具でキーボードをたたき、本格的に文章を書くようになった。84歳で「長い道」、88歳で「私は一本の木」(みすず書房)を出版。視力が落ちた今は、職員に口述筆記してもらう。かづゑさんの口癖は「できるんよ、やろうと思えば」。96歳のいま、水彩画にも挑戦している。
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在日コリアンが多く暮らす川崎市桜本のハルモニ(おばあさん)たちを描いたドキュメンタリー映画『アリラン ラプソディ~海を越えたハルモニたち~』が3月30日から大阪・第七藝術劇場で上映される。監督は『オレの記念日』(2022年)など冤罪をテーマにした作品で知られる金聖雄(キム ソンウン)さん(60)。劇場公開を前に3月3日、大阪市生野区で特別上映会があり、金監督は「戦争を体験し、自分の言葉で語れる最後の世代。使命感で映画にした」と振り返った。
在日コリアン2世の金監督は記録映画『在日』(1997年)制作に助監督としてかかわり、桜本のハルモニたちを主人公にした『花はんめ』(2004年)で監督デビューした。京浜工業地帯に隣接する桜本は、国内でも有数の在日コリアンが生活する地域だ。
金監督が桜本に通い始めたのは99年。その年、77歳で亡くなった母への思いを重ねるように、ハルモニたちの日常に寄り添った。『花はんめ』から20年。続編ともいえる『アリラン ラプソディ』では95歳前後のハルモニたちの波乱万丈の人生を掘り下げるとともに、在日の歴史をひも解いた。
……
小底さんは1951年、宮古島市
で生まれた。
小学校6年生のとき、母が亡くな
り、その後は、小学校の先生をして
いた年の離れた姉が面倒を見てくれ
たという。
高校2年生の頃、
ハンセン病の症状が
自分ではハンセン病とはわからな
かったが、高校2年生の頃、顔や足
に赤く斑紋が出始めた。
「人目を意識するようになり、人
に会うのがいや、学校に行くのもい
やになり、欠席がちになった」
父に連れられて、病院に
皮膚科の先生のところにかかって、
「軟膏をもらっていた」
でも病院の先生がどういう診断を
父に話していたのか、よくわからな
い。「症状が出たところにマヒが出
ていた」
高校での講演会
高校2年生の6月、らい予防週間
のイベントで、宮古南静園の園長の
ハンセン病講演会が学校で開かれた。
その頃、症状が出始めていたが、そ
の日は学校に出ていた。
……
甘粕正彦は、単に右翼思想に凝り固まる人間ではなかった。偏狭さはなく合理主義とスピードを大事にした。仕事ができる者であれば、右翼も左翼も問わなかった。もちろん国籍も問わない。満映に働く中国人スタッフの給与を日本人と同等にした。満人監督を積極的に起用し、中国人を蔑視する言動を禁じた。フィルムや機材が不足すると自ら関東軍に掛け合い獲得した。また、軍に召集されると給与も止まり、残る家族は困窮する。支那事変に召集され、解雇された社員がいると、人事担当に、「国のために応召したものを首にするとは何事ですか。それでは残された家族が困るではありませんか。直ちに復職させなさい」と命じた。さらに、敗戦間際には、「うち(満映)にくる召集令状は全部関東軍に返上する。満映の男たちは俺が指揮して、ここを城として闘うから軍は手を出すなと通告してやった」という挿話もある。
ノンフィクション作家の佐野眞一が、『甘粕正彦 乱心の曠野』を書こうと企図したのは、甘粕が「日露戦争の戦勝気分に沸き返った明治38(1905)年に陸軍幼年学校に入学し、社会主義の洗礼を受けた大正デモクラシーの息吹とは無縁の軍人街道を突っ走り、そこで人生を大きく転換させる決定的な挫折をして満州に渡らざるを得なかった日本人の精神の軌跡が、くっきりと刻まれている」と述べている。まさに関東大震災から始まり、満州事変の謀略を経て、敗戦の満州混乱で自決にいたる甘粕の20年あまりの足跡は「正史には書かれることのない負の近現代史、闇に溶暗し、昭和の裏面史が凝縮されている」(同前著)ものといえる。
……
ネット通販での「お試し購入」や「定期購入」のトラブルが続いています。お試し購入は、初回の購入金額が本来よりかなり安く設定されているので、「買ってみようかな」と思う人も多いと思いますが、そこに落とし穴があります。1回限りの購入で済むとは限らないからです。
定期購入は、一定期間購入することが前提で、初回だけ安いことが多く、かつ初回の安さだけが強調されているため、1回だけのつもりだった消費者からの相談が絶えませんでした。そこで2022年に特定商取引法が改正され、最終確認画面などで契約のトータル料金をわかりやすく表示することが義務づけられました。
例えば、初回500円で2回目から3500円になるという6カ月の定期購入契約ならば、支払額がトータル1万8千円になることを示さなければいけません。消費者は最終画面で、この契約がどんなものかを確認します。
この法改正で当初は相談件数が減りましたが、それも一時的なものだったようです。今ではまた以前と同じように相談が増えています。そもそも悪質業者はトータル表示をしませんし、買った側がもう一度確かめようとサイトを探した時には、サイトを削除して逃げています。
……
「うずみ火」読むと
友と再会した気分
大阪府茨木市 柏節子
新聞うずみ火3月号、まだかまだかと待っていました。ようやく手にしたら、濃い内容でとても納得。しかも知っている友野幸子さんや根橋敬子さん、小林稔子さんらの写真や名前を拝見し、とても懐かしかったです。
遠田博美さんの連載「絵本の扉」で「かいじゅうたちのいるところ」を読み、絵本を取り出して読み直しました。元毎日放送アナウンサーの水野晶子さんが朗読したという金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」や「大漁」……どれも大好きで和紙に筆で書いてながめています。
茶話会やうずみ火講座など、体調を考えると行くことはできないけれど、みんなに会えないけれど、心は会えたような気分です。
3月3日には幼友達の3人が会いに来てくれました。皆、連れ合いを亡くし、孫も大きくなり、誰も相手をしてくれないと大笑い。これからもたびたび会おうと約束、うれしいですね。うずみ火、ずっと送ってね。
(新聞うずみ火3月号を発送したのが2月27日だったので、「まだ届かない」などと問い合わせをいただきました。申し訳ありませんでした。その後、体調はいかがですか。感想を寄せてくれてありがとうございます)
……
月1回通っている病院の待合室でのこと。高齢者がそれぞれ集まり、いろいろな話で盛り上がっている。今日の話題は何だろうかと聞き耳をたてていると、自称90歳以上のおじいさんがまくしたてた。「最近、アパートを引っ越したが、料金とは別に業者1人あたり2万5千円ずつ6人に払えと言われ、怖かったので支払った」。聞き役のおばあさんは聞き上手で、怖かった話が次々と引き出されていく。
このおじいさんは以前、家族は誰もいないと言っていた。相談するにもどこに行けば良いのかもわかっていないだろう。世間からは高齢者だからと軽く見られているに違いない。
数日前に見たテレビの情報番組で、孤独な高齢者を取り上げていた。何気なく見ただけであまり気にもとめていなかったが、ひとごとではないと気づかされた。自分自身、両親はすでになく、近親者は誰もいない。いずれ仲間入りすることになるだろう。
このおじいさんの話は、本題に入る前段階がやたらと長い。順番に話をしているだけなら、何の問題も感じない。約90年生きて、しっかりしていると思うぐらいだ。ただ、話を聞いてもらえないことが悲しい。
……
真っ白な靴を履いた猫のピートが主人公のこの絵本は、1999年にアメリカで誕生し、2013年に日本にやってきました。日本語訳を音楽家でマジシャンの大友剛さんが、文字画を絵本作家の長谷川義史さんが担当しています。
「ねこのピートはあたらしいくつでおでかけ。ピートはこのまっしろなくつがだいすき。ピートはうれしくてこんなうたをうたうよ」。物語はこんな調子で始まります。見開きのページいっぱいに白い靴をアピールするピートを見た子どもたちは、あっという間に物語に引き込まれます。ピートが歌うのはこんな歌です。「しろいくつ、かなりさいこう!」
このフレーズが3回。ちゃんと節も付いたご機嫌な歌です。ところが、大好きな白い靴で出かけたピートは次々とハプニングに見舞われます。ページをめくると、ピートは大きな赤い山に登っています。
「なんてこった! ピートがのぼったのはなんのやま?」。読み手が尋ねると、子どもたちは絵本を見て大きな声でこう答えるのです。「いちご!」 「ピートの靴は何色になった?」と聞くと、「あか」と大きな声が返ってきます。「ピートはないてる?」「ないてなーい!」
子どもたちはピートと一緒に歌います。「赤いくつ、かなりさいこう!」。白い靴の時と同じように、元気に3回繰り返し歌います。
……
能登半島地震の被災地支援ライブ 5月4日、水野アナが朗読と落語
元毎日放送アナウンサー水野晶子さんによるチャリティーライブ第2弾「能登半島地震・被災地支援朗読&落語ライブ」が5月4日、大阪市此花区のクレオ大阪西で開かれます。
水野さんが石川県を舞台にした山本周五郎の短編「鼓くらべ」を朗読するほか、アマチュア落語家「愉快亭びわこ」として古典落語にも挑戦します。お楽しみに。
なお、収益金は被災地支援にあてます。
【日時】5月4日(祝・土)午後2時半~
【場所】クレオ大阪西・研修室(JR環状線、阪神の西九条駅から徒歩3分)
【資料代】2000円
【問い合わせ】新聞うずみ火(06・6375・5561)
矢野が「空襲と人権」 4月14日天六で講演
元教員の佐野哲郎さんが主催する「大阪人権シネマ」による第1回の「平和と人権学習会」が4月14日、大阪市北区本庄東の本庄会館で開かれ、矢野が講演する。
新聞うずみ火制作の証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲」を上映した後、大阪空襲の被害者について話す。
【日時】4月14日(日)午後1時半~
【場所】本庄会館(阪急千里線、地下鉄の天神橋筋六丁目駅⑪か⑥出口から徒歩3分)
【資料代】500円
【問い合わせ】鈴木さん(070・6505・2307)
青山惠昭さん、研究者の又吉盛清さんらが回を重ねてきた台湾追悼と平和の旅。沖縄タイムスで228事件の報道にも携わった謝花直美さんに声をかけてもらい大阪から参加した。1カ月経つが、今も重い余韻の中にある▼3月半ば、遺族の具志堅さん、當間さんの3度目の被害認定申請が却下されたとの報道があった。落胆はいかばかりか。そもそも私たちは事件と無関係なのか。又吉さんの著書「台湾 近い昔の旅」(凱風社)には「事件の一端が日本の植民地支配にあると思っている」という一文がある。詳しく引用する紙幅はないが、この事件を学ぶ際に避けて通れない。しかも今年は台湾出兵150年▼在日コリアン2世の裵東録さんに案内された日向墓地のボタ石は衝撃だった。朝鮮半島、台湾。植民地支配の歴史を学び直したい。 (栗)
「第二の人生は田舎で、時間に追われずにのんびりした生活がしたい」。退職後、夫婦で移り住んだ福島県の里山で田畑を耕し、自給自足生活を送っていた浅田さん夫妻。「天国のような生活」は原発事故によって奪い去られた。▼500㌔離れた金沢市で後ろ髪を引かれながらの避難生活は13年になる。避難指示は解除されたが、帰るたびに計測すると放射線量は依然として高く、「帰りたいが、帰れない」▼能登半島地震でトラブルが多発した志賀原発。被災地で「稼働してなくてよかった」との声をよく聞いた。北陸電力は「安全上の問題はない」というが、1999年に起こした臨界事故を8年間隠ぺいした過去がある▼北陸新幹線の延伸開業でにぎわう日に開かれた反原発集会。浅田さんの言葉が忘れられない。「自分の生業が一瞬でなくなることを想像してほしい」 (矢)
2月3日(土)
午後、元MBSアナウンサー水野晶子さんによる「国境なき医師団を支援する朗読ライブ」をPLP会館で主催。
栗原 山口県宇部市の長生炭鉱水没事故82年の慰霊祭を取材。
2月4日(日)
矢野 午後、神戸市長田区の「ミャンマーKobe」事務所で開かれた能登半島地震の支援報告会を取材。
栗原 在日2世で朝鮮人強制連行の史実を掘り起こしてきた裵東録(ペ・トンノク)さんに筑豊を案内してもらう。5日帰阪。
2月8日(木)
矢野 午後、3年前、大阪市長に提言書を送り、文書訓告処分を受けた元市立小学校長の久保敬さんが来社。教育行政の改善を求める陳情書を提出した経緯などを聞く。
2月9日(金)
矢野 午後、滋賀県人権センター主催の「隣保事業士交流フォローアップ研修会」が草津市で開かれ、「魅力ある広報誌の作成と差別用語の解説」と題して講演。
2月10日(土)
矢野、栗原が馬毛島の取材でお世話になった種子島の前西之表市議、和田香穂里さんがPLP会館で「自衛隊馬毛島基地建設の現状と、種子島の反対運動」と題して講演。
2月14日(水)
矢野 午後、滋賀県湖南市で開かれた栗東市や守山市、野洲市などの職員を対象にした「第300回びわこ南部地域人権啓発連続講座」で「沖縄の今」と題して講演。
2月16日(金)
栗原 午後、ドキュメンタリー映画「戦雲」の三上智恵監督にオンラインで取材。
2月17日(土)
栗原 京都府綾部市で9条連近畿支部の総会で自衛隊南西シフトをテーマに講演。
2月18日(日)
午後、「うずみ火講座」をPLP会館で開催。自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金を告発した神戸学院大教授の上脇博之さんが「政党助成金を廃止する政治改革が必要だ」と訴える。
2月19日(月)
矢野、栗原 朝、サンダーバードで金沢市入り。北陸新幹線の延伸で宿泊施設から退去を迫られている2次避難者を取材。夜、帰阪。
2月26日(月)
矢野 午後、公園の樹木や街路樹を伐採する事業見直しを求める「大阪市の街路樹撤去を考える会」に対する市側の説明会を取材。扇町公園の樹木56本を伐採する説明が不十分で、最終的に「上司と相談する」。それまで公園の樹木は伐採しないことを約束し解散したのは翌日午前3時半。
午後、多田一夫さん、中園博喜さん、工藤孝志さんが新聞折込チラシのセット作業に。
栗原 新聞うずみ火入稿と同時に特急はるかで関空。中国・福州経由の厦門航空で夜、台北松山空港へ。
2月27日(火)
夕方、新聞うずみ火3月号が届き、工藤さん、多田さんのほか、大村和子さん、長谷川伸治さん、澤田和也さん、金川正明さん、康乗真一さん、樋口元義さんがお手伝い。郵便局の回収にぎりぎりセーフ。
栗原 昼前、台湾桃園空港で沖縄からの「台湾228事件沖縄会」の訪問団20人と合流。1947年の事件に巻き込まれた沖縄の遺族らの慰霊の旅。3月1日帰阪。
2月28日(水)
午後、うずみ火事務所で「茶話会」。埼玉の根橋敬子さん、堀田直樹さん、宇治忠さん、小倉雄二さんが参加。
2月29日(木)
矢野 午後、堺市堺区の耳原鳳クリニックで「健康友の会みみはら西ブロック・高石ブロック合同学習会」で講演。大阪・関西万博や自民党の裏金問題などについて話す。
3月1日(金)
夜、うずみ火事務所で定岡由紀子弁護士から憲法のイロハを学んだあと、乾杯する「憲法BAR」。
3月2日(土)
矢野、栗原 午後、大阪市生野区のKCC会館で開かれた「コリアNGOセンター」主催の市民セミナーに出席。3年前の韓国取材でお世話になったソウル在住のジャーナリスト徐台教(ソ・テギョ)さんが「いま朝鮮半島をどう見るか」と題して講演。
3月3日(日)
矢野、栗原 午後、大阪市生野区の「いくのパーク」で開かれたドキュメンタリー映画「アリランラプソディ」(金聖雄監督)を観賞。
3月30日(土)午後2時半~クレオ大阪中央で万博問題
2025年4月から開かれる予定の大阪・関西万博。4月12日までに中止すれば違約金は約350億円だが、13日以降になると約850億円にはね上がる。
大阪日日新聞退社後も万博・カジノ問題を精力的に取材しているジャーナリストの木下功さんを再び講師に招いて「万博 最大の課題」について講演してもらう。
日時:3月30日(土)午後2時半~
会場:大阪市天王寺区のクレオ大阪中央の研修室2
資料代:1000円
6月1日(土)午後2時半~桂花団治さん「空襲落語」
太平洋戦争末期の1945年6月、大阪は1、7、15日に3回の大規模な焼夷弾空襲を受け、灰燼と化した。三代目桂花団治さんに「防空壕」に続く空襲落語「じいじの桜」を披露してもらい、民間の空襲体験者の苦難について考える。
日時:6月1日(土)午後2時半~
会場:大阪市此花区のクレオ大阪西
資料代:2000円
4月6日(土)大阪城公園で花見
お花見集いは4月6日(土)午後1時から大阪城公園西の丸庭園で開きます。3月号で場所を変更するとお知らせしましたが、はぐれる恐れがあるため、いつものように西の丸庭園に入って左側斜め奥の桜並木の下にします。二転三転して申し訳ありません。入園料は350円です。
当日、お弁当や飲み物は各自でご用意ください。折りたたみの椅子などがあればご持参ください。初参加も大歓迎です。
6月24日(月)沖縄戦跡巡り
沖縄戦跡をめぐるフィールドワークを沖縄慰霊の日の翌6月24日(月)に開催します。案内役はジャーナリストで沖縄戦・戦後史研究者の謝花直美さん。米軍が上陸した読谷村から第32軍が攻防戦とした宜野湾、浦添、西原、首里までの代表的な戦跡を訪ねます。
現地集合・現地解散。フィールドワーク終了後に懇親会も予定しています。参加希望者は早目にうずみ火まで。