元日の午後4時10分、能登半島を最大震度7、マグニチュード7・6の大地震が襲った。死者は233人、安否不明者22人(1月22日現在)。阪神・淡路大震災以来、二つの中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振地震、西日本水害、熊本水害を現地取材してきたジャーナリスト粟野仁雄さんが被災地に入った。
正直、1週間以内は余震が怖くて取材に行く気がしなかったが、1月9日、布団や食料、水を愛車に積み込み神戸市を出発した。
北陸自動車道、のと里山海道を通って輪島市に向かったが、なんと半島付け根の穴水町で左前輪がパンク。しかも携帯電話がつながらない。運よく百㍍ほど先にヤマト運輸能登営業所があり、社員らが駆けつけてくれた。それでも応急処置は無理。つながる電話を貸してもらいJAF(日本自動車連盟)にかけると「今日、明日はその地域は無理です」。途方に暮れたが、ヤマト運輸の彼らがレッカーを手配してくれた。
ドーン。「武連自動車板金」でタイヤを交換中、ぐらりと来て身構えた。これは新潟県が震源で能登半島は震度4だった。すでに午後6時で真っ暗。店主の板橋孝一さんの「路面が悪いのでパンクだらけ。夜間は走らない方がいい」に、輪島へは翌朝出ることに。金を下ろす必要などでいったん七尾市まで戻ったが通常30分のところが2時間。市役所の駐車場に車中泊した。
10日朝、「珠洲市にボランティアに行く。乗せてほしい」と声をかけてきた筆者と同年齢の山口県の豊岳正彦医師を乗せ、予定を変更し珠洲市へ。七尾市から100㌔ほどだが国道249号は大渋滞や道路の破壊で「う回路」「交通規制」の連続でまるで進まない。後で聞けば「自衛隊や消防隊の交代時期で渋滞が激しくなった」とか。
能登町あたりから倒壊家屋も増えたが、ほとんど人がいない。午後4時にやっと到着した珠洲市役所では、罹災証明書の発行が始まり、避難者が集まっていた。待ち時間の長さにいら立っていた男性は「最初は乾パンだけ。食事が粗末で痩せてしまった。トイレの処置に困るからわざと少なくしてるんか」などと不満顔。ひげを生やし、「元日から家に帰っていない」という男性市職員は「備蓄はしていましたが帰省者の数は想定外で全然足りなかったんです」
午後7時から近くで自衛隊が炊き出しを始める。並んだ避難者は豚汁とご飯を冷めないうちに避難所へ運ぶ。
愛犬「まるちゃん」を散歩させていた多江千秋さんは、市庁舎向かいの交流センターに避難していた。海に近い飯田地区に住む。
「何もかも倒れてきた。警報ですぐ津波が来るとわかって家族4人と1匹で市役所に徒歩で逃げました。エレベーターは動かず、もう半泣きで母を背負って4階に84歳の母を上げました。主人(市職員)に会おうと思って1階に下りかけたら津波が見えました。うわっ、本当に来たんだと驚きました。怖かった」
……
能登半島地震で震度5弱を観測した石川県内灘町。幸い地震による死者はなかったが、液状化現象の影響が激しく、道路は隆起し、家屋が傾き、沈み込んだ建物が目につく。「このまま忘れられた被災地になるではないか」。町民の不安は尽きない。
阪神・淡路大震災から29年となった1月17日。神戸市中央区の東遊園地では地震が起きた午前5時46分、黙とうがささげられた。静かに目を閉じ、手を合わせる参列者の中に行方不明家族の一人、兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(60)の姿があった。
同市須磨区で一人暮らしをしていた母の正子さん(当時65歳)の文化住宅は倒壊し火災に見舞われた。自衛隊や警察の懸命の捜索にもかかわらず、骨のかけらさえ見つからなかった。連絡の取れない母を探し、佐藤さんは避難所や病院、高齢者施設などを訪ね歩いたが、今も行方はわからない。「自分の中ではまだ区切りをつけられません」
犠牲者を追悼する竹と紙の灯ろうが並べられ、ろうそくの明かりで浮かび上がった文字は「ともに 1・17」
元日に激震が襲った能登半島の光景があの日と重なる。 「つらいので映像はあまり見ていない」と話す佐藤さん。これから石川県に行くことを告げると、こんな言葉をかけられた。「安否不明の方が一日も早く確認できることを願っています」
JR大阪駅を午前7時40分発の特急サンダーバードに乗り込み、3時間足らずで金沢へ。駅前から車で約30分、北側に隣接する内灘町の読者、西尾雄次さん(76)を訪ねた。西尾さんは町教育長、町歴史民俗資料館長を経て、現在は町議2期目。
「突然、大きな横揺れがあり、ようやく収まったかと思うと上下に激しく揺れました。大阪から帰省していた高2の孫娘は『これで終わったかと思った』と青ざめていました」
建物に被害はなかったが、同じ町内でも明暗が分かれた。
内灘町は、日本海から吹き込む北西の季節風が砂を運ぶことでできた南北約9㌔、東西約1・8㌔に広がるかまぼこ型の地形。激しい波風を避けるため灘の内側に集落ができたことが町名の由来だ。
……
石川県能登地方を襲った地震で、最大震度7を観測した志賀町。能登半島西岸に位置する人口1万8000人の町に北陸電力志賀原発がある。今回の地震で外部電源の一部を喪失し、壊れた変圧器から大量の油が海に流出、使用済み核燃料プールの水漏れも起きるなど、トラブルが相次いだ。「1、2号機とも停止中だったのがせめてもの救い」。それでも近隣住民の不安は尽きることはない。
「2007年3月の能登半島地震以上の揺れでした。横揺れが長く続き、自宅の戸も閉まらなくなりました」
町議の堂下健一さん(69)は当時、妻の美奈子さん(64)と自宅におり、倒壊の危険を感じたという。
隣の地区で山崩れが起きて県道がふさがれた。堂下さんら3世帯は今田地区の「稗造防災センター」で避難生活を送っている。町内に4カ所ある原発事故対策用の避難施設だ。18日に訪ねた時には40人が避難していた。
堂下さんは熊本県水俣市の「水俣病センター相思社」で勤務し、40年ほど前に志賀町へ戻った。1999年8月、志賀原発2号機建設計画に反対し、北陸電力を相手取って「能登原発差止め訴訟原告団」が結成されると、堂下さんが原告団長をつとめた。
2号機は「改良型沸騰水型軽水炉」と呼ばれるタイプで、コストは安いが事故が多かった。堂下さんらは「安全性よりも経済性を優先する危険な原発建設は認めることはできない」と訴えたが、2006年3月に営業運転を開始した。
……
2024年は文字通りの「激震」で幕を開けることになってしまった。穏やかな天気に恵まれて新年を迎えていた元日の夕方、能登半島でマグニチュード7・6の巨大地震が発生した。志賀町で最大震度7を計測し、その後に東日本大震災以来となる大津波警報が出されたが、珠洲市や能登町などを最高5㍍の津波が襲った。発災から3週間が経った1月22日現在で、死者233人、安否不明者が22人、避難者が1万5000人余り、住宅被害が3万戸以上に及ぶ巨大災害となっている。
今回の地震災害の大きな特徴の一つは、激しい揺れと地形の変動で道路網が寸断され、多くの孤立地区を生じさせたことだ。そして、電気、ガス、水道といったライフラインも破壊され、取り残された人々や避難した人々は過酷な環境に置かれることになった。道路網と共に情報網も寸断されたため、災害発生からしばらくは自治体が正確な被害状況を把握できない状況も生み出された。当然のことながら、救援や支援もこれまでの地震災害のように行うことができなかった。
実は、各地の震度が伝えられる中で、私が戦慄を覚えた瞬間があった。志賀町で最大震度7を記録し、大津波警報が出たことを知った時である。真っ先に頭に浮かんだのは、北陸電力の志賀原発の存在だった。同時に、福島第一原発事故の悪夢が蘇った。報道において詳しく伝えられることはなかったが、志賀原発にも被害は及んでいたのだ。
……
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑について、県が1月29日にも代執行で撤去することが確実になった。碑を建立した市民団体の設置更新を県が不許可とし、処分の適法性が争われたが、県側勝訴が確定。市民団体側はその後も存続を求めたが、県は「司法で確定済み」と撤去方針を崩さなかった。代執行が現実味を帯びる中、県内外から「追悼碑を守れ」の声が高まっている。
群馬の森は甲子園球場6個分に相当する広大な自然公園。県立近代美術館や歴史博物館などの文化施設もある県民憩いの場。公園の奥深くに追悼碑はひっそりと建つ。「記憶 反省 そして友好」の文字が日本語とハングル、英語でプレートに刻まれている。
碑の裏面には建立された2004年4月24日の日付とともに、日本語とハングルでこう記されている。
「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」
……
日経平均が3万6000円を超えたと浮かれている連中がいるが、株バブルでしかない。こんなものに浮かれていたら、「失われた30年」どころか、今度こそ日本破滅だ。
筆者は以前、近いうちにGDPはドイツに抜かれて世界第4位になると書いた。ようやく各紙も書くようになったが、多くは円安の進行がその原因で、円安が止まれば元に戻るかのように書いているが甘い。日本の企業と産業経済は完全に周回遅れで、ごまかしでやり過ごしてきたことは、昨今の大企業の相次ぐ不正報告で明らかだろう。これまでのようなやり方では衰退することを自覚し、出直さなければならない。
政治はもっとひどい。神戸学院大学の上脇博之教授の告発を受け、東京地検特捜部が始めたパーティー券収入不記載の捜査は、悪質とされてきた安倍派、二階派はもとより、岸田派にも及び、安倍派幹部の7人、二階氏、さらにはついこの間まで岸田派会長だった岸田首相まで追及起訴するのか、注目していたが、通常国会召集を目前にして、すでに逮捕されている池田正隆議員と秘書に加えて、谷川弥一、大野泰正両議員とその会計責任者らの在宅起訴に終わりそうで、関係した議員全員が一斉に修正報告をして逃げる可能性が高くなった。「大山鳴動」したものの、「ネズミ数匹」に終わりそうだ。
前号で懸念したとおり松野、高木、世耕、西村、萩生田ら安倍派5人衆、そして塩谷元文科相、下村博文元政調会長らの安倍派幹部7人は「会長案件」だとして、会長をつとめた故安倍元首相、故細田前衆院議長と、実務担当の会計責任者にすべてをおっかぶせて逃げようとしている。よくもまあこんな連中が「美しい日本」にするなどと言ってくれたものだ。東京地検特捜部も共謀は認定できないとして収めようとしているが、何とも情けない。
……
(前号まで)2023年10月にウクライナの首都キーウに入った。ロシア軍が占拠したチェルノブイリ原発は、兵士が敷地内で塹壕を掘ったことと、汚染された森が焼かれたことで、放射能が再び大量にばらまかれてしまった。なのでチェルノブイリ原発の取材はできなかったが、キーウに関しては落ち着きを取り戻し、日常生活が戻っているように見えた。しかしウクライナ東部と南部では事情が全く異なっていて、6月から反転攻勢が始まり、泥沼の戦闘を繰り広げている。10月8日、南部の激戦地ヘルソンに入った。
キーウからの夜行列車が暗闇を行く。太陽が昇るとそこは大平原。映画「ひまわり」の舞台になったのはこの辺りだろうか。午前9時、ヘルソン着。降りたのはごく少数の市民と兵士。駅舎を出ると、そこは無人の街だった。ガランとした駅前通りに分厚いコンクリートで囲われたシェルター。今夜宿泊する部屋のオーナー、ワレリーさんのジープで市内中心部へ。
ヘルソンはホテルが空爆されているし、みんな逃げているので空き部屋だらけである。大量の空き部屋の中で、破壊されずに電気と水道が通っている部屋が今晩からの宿泊所になる。ドーン、ドーン、爆発音が響く。ドニプロ川の向こうからロシア軍がロケット弾を撃ってくるのだ。「昨晩も家の近くの商店街に着弾した。窓ガラスが粉々になってるよ」。ワレリーさんの案内でスボーラバ通りへ。
昨晩1時頃にロケット弾が街路樹に着弾し、爆風で商店街の窓ガラスが粉々になっている。街のお年寄りたちが集まってきて、ガラス片を掃除し窓にベニヤ板を張っている。この日の最高気温は13度、朝晩は大変寒いのでベニヤ板を張らないと寒くて眠れないのだという。このスボーラバ通りは戦争前まで市民の憩いの場で、両サイドにはおしゃれなバーや衣料品店が並ぶ。石畳の道にパリ風の街並み。ベンチがあっていい具合に街路樹が日陰を作る。
日曜日の午前11時、誰も通らない。ビルには穴が空いている。街はゴーストタウンだと思ったら、なんと酒屋さんが営業している。昨晩のロケット弾で窓が粉々。この街でビールを買えるのが午後3時まで。通訳のダニエルはビール、私はワイン。食料品は夕方5時まで。5時を過ぎると誰も外出しなくなる。高台に出るとドニプロ川が見える。川の向こうはロシア支配地域だ。
ワレリーさんが紹介してくれた「電気が通っている空き家」にチェックイン。2名のウクライナ軍兵士がヘルソンを案内してくれることになった。彼らの軍用車に乗り込み、まずは「下流の街」へ。ヘルソンはカホフカダムの下流に位置している。昨年6月にダムが破壊されると「下流の街」は大洪水に見舞われた。高台のスボーラバ通りは浸水しなかったが、ここから車で20分も下ると、広大な浸水地域である。防弾ベストを着用し、軍用車に乗り込み、誰もいなくなった浸水地区へ。ドニプロ川に近い=敵に近いので、素早く撮影することだ。
……
イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まって3カ月。元イスラエル兵で家具職人のダニー・ネフセタイさん(66)=埼玉県皆野町=が1月6日から20日まで、関西や四国など計16回の平和講演ツアーを行った。11日には大阪市生野区のKCC会館で講演し、「武力で平和はつくれない」と訴えた。
イスラエルには徴兵制があり、18歳になると男子は3年、女子は2年の兵役につく。ダニーさんは19歳の時に撮影したパイロット姿の写真を見せ、尋ねた。「かっこいいですか」。でもね、とダニーさんは更にこう問いかけた。「戦闘機ができることは人を殺すことと物を破壊すること。それでもかっこいいですか」
学校では「国のために死ぬのは素晴らしいことだ」と教えられた。アウシュビッツ見学は「悲劇を二度と起こさせないために軍事力は大切だ」と思い込ませるためだった。軍隊では「敵は動物のようなものだ」とたたき込まれた。その結果、戦争に何の疑問も持たず、敵であるパレスチナ人を殺すことは「仕方ない」と思うようになったという。
退役後、外国旅行に出た。立ち寄った日本で日本人の優しさに触れ、平和憲法を知る。1984年に移住を決意し、日本人と結婚。2009年から反戦や脱原発など人権問題をテーマに全国で講演活動を行っている。
きっかけは、08年のイスラエル軍によるガザ侵攻だった。345人の子どもを含むパレスチナ人の大殺戮に衝撃を受け、「力による平和という考えでは、復讐の連鎖を止められない」と気づかされた。
……
独自の視点で制作したドキュメンタリー番組を、映画としても公開してきた東海テレビの「ドキュメンタリー劇場」の第15弾『その鼓動に胸をあてよ』が2月3日から大阪・第七藝術劇場などで公開される。監督は本作で初めてメガホンをとった報道部記者の足立拓朗さん。「断らない救急」を実践する名古屋の下町の民間病院救命救急センター、通称ERに9ヵ月間密着、「いのちの砦」のありのままを姿を映し出した。
舞台となるのは診療科36科、602床を持つ名古屋掖済会病院のER。救急医15人、看護師・救命士30人を抱え、24時間365日、ひっきりなしに救急車を受け入れている。救急車受け入れ台数年間約1万台は愛知県一。「断わらない救急」を実践する数少ない病院として全国の救急医に知られた存在という。
撮影を始めたのはコロナ禍の真っ只中だった。足立さんは県警担当記者として病院のコロナ対応なども取材していたが、当時はパソコンの画面越しが当たり前。「医療従事者の本当の姿を見たい」と、以前、取材で知り合った同病院救急救命センター長の北川喜己さん(現・病院長)に直談判したという。
実際に足を踏み入れたERは、医療ドラマの派手なシーンとはかけ離れた場所だった。搬送されてくる様々な救急患者。飛び降り自殺を図った人、薬を大量服用した人。飲食物を受け付けなくなった寝たきりの認知症高齢者。日本語の話せない外国船籍の船員。鼻に入れたどんぐりが取れなくなった男の子も。
「救急の『なんでも診る』は、社会的な問題の『なんでも』まで含まれる」「来た時より悪くするわけにはいかない」。若い医師らの言葉の端々に使命感と誇りがにじむ。
……
能登半島地震、羽田空港の飛行機事故と、波乱の幕開けになりました。世界では、各国とも「財政金融政策」という名のマネーの氾濫が尾を引いており、世界経済の先行きは混沌としています。
世界の債務(借金) 2023年6月時点で307兆㌦(4・5京円)、GDP(国内総生産)対比で336%と過去最高の水準です(国債金融協会の発表)。途上国の債務も急増し、21年時点で9・2兆㌦(1200兆円)を計上、61カ国が深刻な事態に。15年前のリーマン危機の3倍です。早急な対応が必要ですが、「一帯一路」の中国は、外交と絡めて支援に濃淡をつけ、足並みが乱れています。
米国 大統領選挙を控え、バイデン氏、トランプ氏といった老害政治家が再登場の予定。特にトランプ氏は、米国社会の不健全さを象徴しています。政府も個人も債務(借金)をどれだけ増やせるかに腐心し、利上げも終了させる方向です。
EU 中核のドイツ経済は、GDPの実質成長率が22年後半から低迷。電気価格の高騰が要因。脱原発と再生エネルギーへ志向していますが、過渡期の現在は、液化天然ガスに依存。従来はガスパイプラインでロシア産でしたが、ウクライナ支援のため、米国や中東への調達に切り替え。その結果、産業用電気の価格が高騰し、工業製品などの製造原価やサービス価格が上昇し、個人消費の不振にもつながっています。またイタリアやギリシャなど、南欧の財政悪化にも歯止めがかからず、EU全体の経済は不透明感が漂っています。
……
漫画制作のボランティア募集して
いますと石川高校の校長先生に要請
文を送り、担任の先生から伝えても
らうと4名が手を挙げた。協力して
もいいよという先生もいる。そんな
生徒、先生が出てきている。いろん
な活動に参加してもらう中で630
会の担い手になっていただけたら。
命と平和の語り部・宮森630館
設置委員会を立ち上げた平良嘉男さ
んが県外から沖縄にもどり、昨年6
30会に加入された。その平良さん
が取組んでいた「東京・宮森を語る
会をヒントに宮森を語る若者の会や
宮森を語る教師の会がつくれないか
考えている」
琉球新報の副読紙「新報小中学生
新聞・りゅうPON!」に、20年4
月から1年間にわたって連載された
「マンガで伝える沖縄
戦」が本になった。
久高さんは65周年事
業の一つとして漫画を
作ろうと思いついた。
……
「日本映画界の竹中半兵衛」と称された根岸寛一は、寡黙なイガグリ頭で、岡田茂元東映社長によれば「小柄でひょうひょうとして、やさしい目をして、それでいてギクリとするようなことをいう」(竹中労『日本映画縦断2』)。マキノ省三の次男・光雄や江守清樹郎(元日活重役。石原裕次郎、浅丘ルリ子らを育て、今村昌平や浦山桐郎らを監督に起用)、大谷博(元松竹社長)らの「一癖も二癖もある、うるせい連中を、いわば肚の中に入れて使いこなしていた大した人物だった」(岡田)。映画『遠雷』や『探偵物語』監督の根岸吉太郎は寛一の孫だ。
根岸は、省三や直木三十五と組んだ連合映画芸術家協会で、映画の革命を目指したが夢破れ、多大な借金を負った。浅草に戻って芝居興行に関わるが、昭和恐慌下で負債を重ねる。1935(昭和10)年、根岸は経営悪化した日活に乞われ、多摩川撮影所長に就任。企画部長であったマキノ満男と出会う。本社営業部には江守清樹郎がいた。根岸は、部署や役職を超えて社員たちと交わり「多摩川の父」と慕われた。3年で内田叶夢、田坂具隆、伊丹万作ら名監督を育て、『裸の町』『大菩薩』『土』『5人の斥候兵』『赤西蠣太』などの傑作を制作。日活多摩川の黄金時代を築いた。しかし松竹と東宝による日活経営主導権に巻き込まれ、「松竹の走狗となり乗っ取りを謀っている」とされ罷免話が勃発。撮影所従業員は一致してストライキで抗したが、会社側はヤクザを動員、「根岸は元左翼で無政府主義者崩れ、抗日支那人の同類である」と決めつけ、「借金返済のため会社の金を着服している」などの中傷までばらまかれた。根岸は辞表を提出する。
……
「あなたもやったら? 目が大きくなるよ」。眼瞼下垂症の手術をした知人に言われたことがありました。眼瞼下垂症とは、上まぶたが下がってくる病気です。生まれつきの方もいますが、加齢や神経・脳の病気でなる方もいます。私の知人は加齢によるケースですが、話を聞いていると手術は明らかに美容目的で、保険で手術を受けて「安くできた」と喜んでいました。確かに10歳くらい若返った印象でした。
私は、友人のお母さんが目を開けにくくなって手術をしたという話を聞いて、初めてこの病気を知りました。ハードコンタクトレンズを長く使用している人もなりやすいとかで、当てはまる私も将来は要注意だと思っていましたが、美容で行う人がいるとは驚きでした。
「若返るよ」という口コミが広がっているのか、最近この手術をしたという人の話をよく耳にします。冒頭の知人は手術の説明時に「二重をよりくっきりさせることもできますよ」と言われ、そうしてもらったとも話していました。
眼瞼下垂症は軽度の場合は自覚症状もなく手術の対象にはなりませんが、重度になると、頭痛や肩こりなどの症状も出てきて手術が必要になります。軽度、あるいは特に問題のない人まで、目を大きくするために保険で手術を受けるのはどうかと思います。医師も患者から「やってほしい」と言われれば、拒否しにくいところがあるのでしょうか。
……
大阪府茨木市 浜野絹子
(堺大空襲体験者)
80年前に現在も木の葉のように焼き払われる生命がありました。今年こそは悲しみのどん底から一つでも多くの生命が助かりますように……
大阪市浪速区 遠上行子
本当に知りたいことをうずみ火に教えていただいています。今後ともよろしくお願いします。
島根県出雲市 梶谷和恵
いつも楽しく拝読しています。こんな時代だからこそ、うずみ火の皆様の発信に勇気づけられる場面が多いなあと感じています。
兵庫県西宮市 柳 正之
美奈子
いつも大手の新聞やマスコミからはわからない真実の報道をありがとうございます。
……
体育館でのざこ寝
改善されぬ避難所
和歌山市 尹敏哲
(ユン・ミンチョル)
地震被災地の能登地方への、政府と地方自治体の対応に疑問を感じます。それは相変わらず劣悪な避難所の環境です。 この寒空に体育館の床に段ボールを敷いただけで、避難者のプライベートは保証されず、毛布は持参してほしいと言われたところもあったそうです。阪神・淡路大震災の時も東日本大震災の時も、避難所の課題はこれまで何度も指摘されてきました。しかし、行政側は過去から何の教訓も得ていないように感じます。
日本と同じ地震大国のイタリアでは、避難所はドーム型の家族別テントで、屋内は冷暖房、トイレ完備だそうです。この違いはいったいどこから来るのでしょうか。イタリアでは日頃から震災に備えて、政府がそのための予算を組んで、地方自治体に冷暖房付きのテントを準備させているのだと思います。近い将来、南海トラフ大地震の到来も予想されています。政府に再考を望みます。
(床にざこ寝、プライバシーのない空間、足りないトイレ、水や食料も乏しい。「避難所後進国・日本」はなぜ、一向に改善されないのか。日本では「避難所を良くすると居ついてしまう。早く出ていってもらうには良くない方がいい」との声を聞いたことがあります。こうした人権意識の乏しい政治家や役人の存在が一番の要因かもしれません)
……
年末の30、31日と、明けて1、2日の4日間、あり得ないことが起きた。咳が出て、声はガサガサする。鼻水を垂らし、熱もある。どうやら風邪をひいたらしい。 まあ、これだけの症状が出ているのだから、病院に行った方がいいと観念し、休日診療相談に電話をかけると近所で車いすでも行けそうな病院を3軒教えてくれた。
その中には総合病院もあったが、三次救急の病院。これは、生命に関係する人が必要とする病院。それでも、病院は来た患者を基本的には断れないそうだ。
もう1軒の病院に電話し、今出ている症状と体調を説明すると、思いがけない言葉が返ってきた。「うちは受けられませんので、総合病院でインフルエンザとコロナの検査を行ってください。陰性だったら受け付けます」
ため息をついて、電話を切った。元気があればどちらの病院も受診しようと思ったかもしれない。残念ながらその体力もない。
テレビのニュースでは話題にもならなくなったコロナの感染者数はジワリと増えているようだ。インフルエンザもしかり。おとなしく総合病院へ行けばいいのかもしれない。だが、優先度が高くないと、かなり順番待ちしなくてはならない。そして、検査して結果を待てば、日付が変わってしまう。それは、それでシンドイ。
……
2001年、『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』でデビューした長谷川義史さん。心温まる作品、思わずクスッと笑ってしまう作品、反戦平和を訴える作品など、数多くの作品を世に送り出しています。今回紹介するのは、『てんごくのおとうちゃん』に続く長谷川さんの両親との実話が元になった作品です。
表紙には、お母ちゃんがミシンで必死で縫っているのを寝床から見つめる「ぼく」が描かれています。ぼくは小学3年生。お父ちゃんが亡くなって、お母ちゃんとお姉ちゃんとの3人家族。お母ちゃんは、ミシンの仕事で柔道や剣道の道着を縫っています。
ある時、ぼくはお母ちゃんに「まさひろくんみたいなジーパンこうてえなあ」とおねだり。お母ちゃんは事もなげに「ジーパンなんか買わんでもミシンでつくったるわ」と言い放つ。でき上がったのは、剣道の袴の布で作った「ジーパンのようでジーパンでない」けったいな物で、みんなに笑われる。ぼくが「体操服が熱い」というと、薄い生地で縫ってくれるが、まるでワイシャツのよう。友達が持っているようなカバンがほしいというと、「よしお」と真ん中に名前が縫い付けられている。それは、お父ちゃんが亡くなった時に縁起が悪いと「よしふみ」から改名された名前だ。
……
1泊2日の駆け足取材ながら能登半島地震の被災地に入った。そこで耳にしたのは、初動の遅れを指摘する声だった。なかには「私たちは棄民扱いだ」と口にする被災者もいた。首相官邸のホームページで確認すると、首相をトップとする非常災害対策本部を設置したのは1日午後10時40分。地震発生から6時間半後。死者273人を出した熊本地震では、発生から44分後に立ち上げている。しかも最初の会議が開かれたのは翌2日午前9時23分。発足して11時間近い空白がある▼「72時間の壁」と言われる4日、岸田首相は年頭記者会見を「地震関連の公務」を理由に43分で打ち切った。指名されなかった記者が「地震大国の日本で原発の再稼働は無理だと今回わかったのではありませんか」と叫んだが、首相は振り返ることなく退席。防災服から背広に着替え、午後8時からBSフジテレビの報道番組に生出演。翌5日は都内のホテルで3件の新年会に出席した。現地を見て、被災者の声を聞くことで血の通った対策が生まれると思うのだが、岸田首相が初めて被災地に入ったのは14日のこと▼自衛隊派遣も小出しだった。発生から3日目に2000人。熊本地震では1万4000人。「能登半島北部への道路が寸断されている」ことを理由に初動の遅れを擁護する声もあるが、空や海もあるではないか。それとも、自衛隊は災害救助ではなく、「戦争する軍隊」に衣替えしているのだろうか。▼岸田首相が今まさに決断すべきことは大阪・関西万博の中止。能登半島地震の復興支援に全力をあげることだ。「棄民政治」をもうこれ以上許してはいけない。(矢)
12月5日(火)
矢野、栗原 午後、大阪地裁で開かれた「夢洲IR差し止め住民訴訟」を傍聴。
12月6日(水)
矢野、栗原 午後、大阪府関係職員労組の小松康則委員長に大阪万博が職員にもたらす影響について話を聞く。
12月7日(木)
矢野 午前、大阪市役所へ。街路樹などの伐採に対し「大阪市の街路樹撤去を考える会」の渡辺美里さんと谷卓生さんが事業見直しを求める7013人分のオンライン署名を提出、取材。
12月8日(金)
栗原 朝、東京へ。山口県宇部市で戦時中に起きた「長生炭鉱」水没事故の韓国人犠牲者の遺族と国との交渉を衆院議員会館で取材。夜、帰阪。
12月9日(土)
夜、淀川区の韓国料理店「セント」で大阪忘年会。
……
●2月3日水野晶子さん支援朗読ライブ
イスラエルによるガザ侵攻から4カ月。私たちに何ができるのか−−−−。元毎日放送アナウンサーの水野晶子さんが「国境なき医師団を支援する朗読ライブ」を2月3日(土)午後2時半~大阪市北区のPLP会館で開きます。
「これまで傍観していたことがパレスチナの現状をつくり出した原因の一つ。ささやかでもいいから自分にできることをしたい」との思いでスタートした支援朗読ライブ。
参加費2000円。収益金は「国境なき医師団」に寄付します。
●うずみ火講座
2月18日、上脇博之・神戸学院大教授
自民党のパーティー券裏金事件を告発した上脇博之・神戸学院大教授を講師に迎え、緊急学習会を2月18日(日)午後2時半から開講します。会場は、大阪市北区のPLP会館4階。演題は「自民党パーティー券事件の深層」です。
資料代1000円、一般1200円、オンライン視聴500円。
オンライン視聴を希望される方はうずみ火事務所にご連絡ください。
●3月9日、今中哲二さん