戦時中の1942年、水没事故で183人が犠牲になった海底炭鉱「長生炭鉱」(山口県宇部市)の坑道から8月25、26日、犠牲者のものとみられる遺骨が初めて収容された。地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」がダイバーらと壁を乗り越えながら、新たな段階に進んだ。「遺骨の位置がわからない」「安全性に懸念がある」などと協力を拒んできた国が対応を迫られるのは必至だ。
8月26日午後、山口県宇部市の床波海岸。韓国人ダイバーの金京洙(キム・ギョンス)さん(43)、金秀恩(キム・スウン)さん(41)を乗せたゴムボートが戻ってきた。海面に突き出た「ピーヤ」(排水・排気口)から潜水し約4時間。持ち帰ったケースには、真っ黒な頭蓋骨が入っていた。
昨年10月以来、6回目の潜水調査で初めて遺骨にたどりついた。けん引する水中探検家の伊左治佳孝さん(37)はけがのため、今回は2人が潜った。前日25日には3本の骨を収容した。
黒色は水中の炭じんが沈着したものだという。骨は27日、山口県警の鑑定で、人間の左大腿骨、左上腕骨、左橈(とう)骨と頭蓋骨と確認された。
海辺で潜水調査を見守っていた日本人遺族は「祖父は若くして命を落とし、悔しかったろう。坑口が見つかってから1年、刻む会や伊左治さんたちの勇気によってこうして骨が見つかった」と涙ぐんだ。
今回、韓国の遺族は来日がかなわなかった。刻む会の井上洋子共同代表のメッセージアプリ「LINE」には韓国遺族会の楊玄(ヤン・ヒョン)会長から次々とメッセージが入った。「興奮して胸がどきどきしている」「あまりに興奮して、その場にいたら手をつないで一緒に泣きたい気持ち」。そして、「日本政府がその方々を一日も早く収拾して、故郷の地で永眠できるようにお願いします」
井上共同代表は「坑口が開いて1年、何度もくじけそうになりながらも『遺骨は必ずある』『待っていてくれる』と気力を奮い立たせてきた。日本が起こした戦争、強制連行、強制労働の象徴のような遺骨を故郷にお返しすること。それが政府に課せられた誠意、責任だと強く思う。政府はこの遺骨に応えてほしい」と話し、歴史的な場に立ち会えなかった遺族たちに代わり、頭蓋骨をそっと抱き上げ、掌で包んだ。
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10月13日に閉幕を迎える2025年大阪・関西万博。終盤に向けて交通手段を含めた混雑が深刻化しており、前号でお伝えした大阪メトロの停電トラブルの再発や雑踏事故が懸念されている。会場の夢洲へのアクセスは大阪メトロに依存しており、安全と集客の両立が困難な中で、国際博覧会協会(万博協会)の運営方針が問われる局面だ。一方で、閉幕後の議論も始まっており、万博のシンボルとなった大屋根リングの一部保存の方向性が、大きな課題を残しつつ決定した。
「ただいま階段での転倒などが大変増えております。階段を下りられるお客さまは足元に注意して、あわてず、あせらず、ゆっくりお進みください」
9月16日午後9時40分ごろ、大阪・関西万博の最寄り駅である大阪メトロ中央線「夢洲駅」で連呼されていたアナウンスだ。東ゲートから中央線に向かう万博からの帰宅客で、夢洲駅の改札に降りる、広くて長い階段とエスカレーターはぎゅうぎゅう詰めになっており、改札への入場制限が10分に1回程度の頻度でかけられていた。
この日の来場者数は速報値で約22万5000人(関係者含む)。連休後の平日にもかかわらず、万博協会が想定していたピーク時の22万7000人に迫る数字だった。万博協会はピーク時でも、中央線は混雑率140%台で運行できると推計していたが、すでにパンク気味だ。
過去の万博で来場者が終盤に急増していることに加え、未使用のチケットが大量に残っていることから、最終盤の混雑はより深刻になると予測されている。9月5日時点でのチケット販売総数は約2070万枚だが、6日までの一般来場者数は1768万人。計算上300万人が未使用で、繰り返し利用できる通期券での来場者も考えると未使用者はさらに多いと考えられる。
一方で、西ゲート側のシャトルバスとタクシーの輸送力は限られており、来場者数の増加分は中央線に押し寄せる公算が大きく、停電事故の再発や雑踏事故の懸念が高まる。中央線の危機的な混雑回避には、万博協会が決定できる入場制限が有効な手段であり、「特に退場時のコントロールが重要になる」(元電鉄関係者)。
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80年前の1945年8月24日、京都の舞鶴港で爆沈した旧海軍輸送船「浮島丸」(4730㌧)。帰還する朝鮮人労働者や家族ら数千人が乗船し、500人以上が死亡したとされるが、爆発原因や正確な乗船者数、死者数はいまもわからない、敗戦1週間で青森県むつ市の大湊港を後にした性急さも謎だ。そもそもなぜ多くの朝鮮人労働者がこの地域に強制動員されていたのか。
JR青森駅から電車を乗り継いで約2時間。8月24日朝、下北駅でフィールドワークのバスに乗り込んだ。市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」(事務局・神戸学生青年センター)の主催で、「大湊海軍施設部への強制動員と浮島丸事件」をテーマにした全国研究集会の一環だ。
最初に向かったのは風間浦村(かざまうらむら)下風呂。津軽海峡を挟み、北海道の島影が迫る。未完成の大間鉄道のアーチ橋が遊歩道として整備されていた。
大間鉄道は大間の旧日本軍の要塞に軍事物資などを運ぶため1937年に国鉄が着工。39年に大畑まで開業したが、建設資材不足などで43年、建設が中止された。
酷寒の下北半島には「北の要」として海軍大湊警備府が置かれていた。1902年、海軍大湊水雷団が創設され、41年に大湊警備府に昇格。下北半島の軍事要塞化とともに、鉄路の建設も進められた。「青森空襲を記録する会」の今村修会長は「泥沼化する日中戦争と労働力不足で、労働者を監禁する『タコ部屋』労働が行われた」と指摘する。
下風呂の手前の「木野部(きのっぷ)トンネル」は大間鉄道建設工事の最大の難所。この区間を請け負った瀬崎組の事業所は「タコ部屋」で朝鮮人労働者を酷使、「棒頭」と呼ばれる監視役が暴力をふるった。作業中の事故でも多くの死者が出たという。
大湊警備府は本土決戦に備え、樺山飛行場、1万㌧級の幹ドッグを建設。釜臥山には3カ月分の食料や弾薬を保管するトンネルを掘削した。多くの朝鮮人が従事させられ、青森県全体では2万人を超す朝鮮人が強制動員されていたという。
「強制動員真相究明ネットワーク」の竹内康人さんは前日の研究集会で「大湊警備府の施設部に約4500人の朝鮮人が連行され、1400人が死亡した」ことを明らかにした。約3人に1人。日本政府が戦後、韓国政府に渡した被徴用者死亡者名簿などを分析。死者の中に浮島丸の乗船者が406人いたという。
45年8月19日、大湊警備府は「県内で働いていた朝鮮人労働者とその家族を送還せよ」と命令。飛行場や鉄道の建設現場などに動員されていた労働者と家族数千人が22日、釜山に向けて出港した。しかし浮島丸は進路を変え、24日、舞鶴湾へ。突然爆発、沈没した。日本政府の発表では死者549人。うち25人が日本人乗務員だった。,
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1923(大正12)年9月の関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広まり、多数の朝鮮人や中国人が官憲や軍隊、自警団に殺された。デマと虐殺は地震被害が少ない近県にも及んだ。200人あまりが虐殺された埼玉県で、102年目の追悼式を巡った。
群馬県境に近い埼玉県北部の上里町、本庄市、熊谷市では9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式が開かれた。102年前の9月4日、約200人の朝鮮人が、自警団など地元住民に虐殺された。当時、埼玉県は、都内から避難してきた朝鮮人を保護・検束し、県外へ集団移送しようとしていた。虐殺は群馬方面に向かう道中で起きた。3市町の追悼式は各自治体が主催している。
さいたま市見沼区染谷の常泉寺では9月4日、自警団に殺された姜大興(カン・デフン)さんの追悼会が開かれた。日朝協会埼玉県連合会が2007年から開催。一昨年からは同年結成の市民団体「姜大興さんの想いを刻み未来に生かす集い実行委員会」が共催している。
姜さんは102年前の9月3日深夜、片柳村(現・見沼区)に迷い込んだ。県外に移送される集団から離脱したとみられる。4日未明、染谷の自警団と鉢合わせし、刀ややりで全身二十数カ所をめった刺しにされた。同日朝、息があると気づいた人々が病院に運ぼうとしたが、絶命した。24歳。郷里に残した妻は妊娠中だった。
当時の埼玉県は大地震の翌9月2日、内務部長名で通達「不逞鮮人暴動に関する件」を県下1市9郡に発した。「東京に於いて不逞鮮人の盲動あり」などとして、「町村当局者は在郷軍人分会、消防隊、青年団等と一致団結して警戒」するよう求め、「一朝有事の場合には、速やかに適当の方策を講じるよう」促した。これを受け、県内各地で自警団が組織されていく。埼玉での虐殺は、自警団による事件がほとんどだ。
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8月25日午前、横浜市郊外の霊園。警視庁の鎌田徹郎副総監、最高検の小池隆最高検公安部長、東京地検の市川宏次席検事の3人が、大川原化工機株式会社の元顧問相嶋静夫さん(享年72)の墓前で、遺族、記者クラブの代表、筆者が見守る前で神妙な顔つきで献花して手を合わせた。立ち上がった3人に対して相嶋さんの妻(77)は手紙を読み上げた。
「拘置所の中では、ほったらかしにされ、食事もできず、日々衰弱し、立つこともできない状態です。このまま夫は見殺しにされてしまうのかといてもたってもいられず気が狂いそうです。どうか私の大事な夫を助けてください。命だけは助けてください」。東京拘置所で弱りゆく夫を案じ、わらにもすがる思いで東京拘置所の所長に宛てた手紙だ。
妻は、「お三方がこのような立場に立たされたらどうされますか。聞かせてください」と迫った。市川次席が「自分の身に置き換えますと、どれほどご心痛であったか言葉もございません」と答えるのが精いっぱいだった。
不正輸出(外国為替管理法違反)の疑いで2020年3月に逮捕・勾留された相嶋さんは8度の保釈請求を却下されるうち進行性の悪性腫瘍が悪化し、21年2月7日に死去した。今年5月28日に東京高裁で大川原化工機への違法捜査が認定され、警視庁と検察庁は約1億6千万円の賠償金支払いを命じられ、確定した。
霊園事務所での対面謝罪で、鎌田氏は「違法な捜査・逮捕を行ったことについて深くお詫び申し上げます」と頭を下げた。だが妻は「謝罪は受け入れますが決して許すことはできません。冤罪事件で、もう老後はありません」と声を強め、長男(51)も「謝罪を受けたということは許したという意味ではありません」と話した。
相嶋さんは、東京地検の「起訴取り消し」、つまり無罪を知らず、「刑事被告人」のまま無念の思いで他界したのである。
6月20日には鎌田副総監、東京地検の森博英公安部長が大川原化工機の本社で謝罪していた。だが……。
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新聞うずみ火が制作していた空襲体験者証言DVD「パンプキン爆弾を知っていますか」が完成し、9月13日、大阪市北区のPLP会館で上映会を開いた。大阪国際平和センター(ピースおおさか)に寄贈し、小中高校の平和学習に役立ててもらうことにしている。
パンプキン爆弾は、米軍が原爆投下の訓練用に製造した爆弾のこと。「模擬原爆」とも言われ、長崎で使用されたプルトニウム原爆「ファットマン」と同じ形、同じ重さで、中には核物質ではなく、高性能爆薬が詰められていた。でっぷりした外形、黄色く塗られていたことから「パンプキン」(かぼちゃ)と呼ばれていた。
1945年7月20日から敗戦前日の8月14日まで、18都府県に49発が投下され。400人以上が犠牲になった。
7月26日には大阪市東住吉区田辺にも1発のパンプキン爆弾が投下され、7人が死亡、重軽傷者73人、焼失倒壊戸数485戸の被害を出している。
当時、国民学校の教師だった龍野繁子さん(100)は、生徒20人を引率し、海軍士官の制服のボタンをつくる工場にいた。工場長から「材料がないので、勉強でもしてください」と言われ、作業部屋の隣に移って勉強を始めようとした矢先のこと。「ドカーンという大きな爆音とともに、バリバリバリっと天井を突き抜ける音がしました」
パンプキン爆弾が直撃した料亭「金剛荘」の庭石が約150㍍離れた町工場まで飛んできたのだ。
「いつものように作業していたら、生徒たちは無事では済まなかったと思います」
当時の人々は、知る限りの大型爆弾として「1㌧爆弾」と呼んだが、はるかに超える4・5㌧爆弾だったことが判明したのは91年のこと。「春日井の戦争を記録する会」(愛知県)の代表、金子力さん(75)らが国立国会図書館に所蔵されている26万枚の米軍資料から極秘作戦だったパンプキン原爆の投下場所の一覧表や地図を見つけたのだ。
金子さんは「原爆は丸みを帯びた形状から落下の軌道が安定しないので、着弾精度を上げる必要があった。しかも投下した瞬間、浮き上がる機体を爆発の衝撃波に巻き込まれないよう、右へ150度急反転しなければならなかったのです」と説明する。
上映前に講演した矢野は、「広島・長崎の悲劇につながるもう一つの爆弾があったことを児童生徒たちに知ってもらい、空襲体験者の記憶を受け継ぎ、想像力を広げて戦争のない時代を続けてもらえれば」と語った。
■クラウンファンディングに挑戦中
空襲体験者証言DVD「パンプキン爆弾を知っていますか」は完成しましたが、クラウドファンディングでの支援を引き続き呼びかけています。募集期間は9月末まで。
【郵便局での払い込み】
ゆうちょ銀行▼店名(店番)四〇八▼普通 記号14030▼番号22963181▼加入者名「平和学習を支える会」
【インターネット経由】
ウェブサイトからクレジットカードか、銀行振込で受け付けています。
いま自民党総裁選ということで、見たくもなければ聞きたくもない人物たちの映像や記事につきあわされている。思い返してもらいたいが、石破おろしが始まった頃、自民党も野党もメディアも、政治空白をつくってはいけないと言っていた。
そうなら、さっさと総裁選をやって、次の首相を選べばいいではないか。ところが、いざ石破おろしが実際のものになると、総裁選はフルスペックでやることになり、9月22日立候補受け付け、10月3日に地方票締め切り、4日に国会議員の投票で決定するとした結果、1カ月近い空白ができてしまった。立憲、国民、維新ら野党も、空白をつくってはいけないと批判してきたのだから、こんな時こそひっくり返して非自民政権をつくって、新たな政治を行ったらいいのに傍観している。バカか。何をやっているんだ。
米の価格はまた以前のように高くなっている。米だけではない。あらゆる物価が上がっている。物価対策、また関税問題もあわせ経済対策は待ったなしだと言っておきながら、日本の政治の裏側を知っていますという顔をした無責任な連中が競馬解説のような話を繰り返している。
誰もが知っているように自民党は昨年の衆院選、6月の都議選、そして7月の参院選で歴史的惨敗を喫し、国民から見放されたことは明白で、それで総括し、その最初に国民が自民から離れたのは物価高対策が国民に刺さらず、争点設定も不発、減税抵抗政党の印象を与え、争点が消費税減税か現金給付かになり、給付金支給決定が選挙直前までずれ込み、減税すべきだとの野党の分かりやすい主張に対抗できず、国民の暮らしより財政当局の顔色をうかがっているとみられたと書いたが、現状を見るとまったく何の反省もなく、また同じことを繰り返している。
何のために総括したのか。総括が「自民党党員の心に刺さっていない」のだ。これでは国民の心に刺さる政治ができるわけがない。
また、政治とカネを巡る不祥事で信頼を喪失し、国民の多くは納得していないと書き、不信の底流となっていることを厳しく自覚、猛省しなければならないとし、決定的打撃は党国会議員による能登地方の被災者を傷つける発言で劣勢となり、苦戦ムードがさらに高まったと書いたが、だからと言ってその議員は辞めず、のうのうと議員報酬を得ている。国民はこんな状態に怒っているのだ。
われわれの先達は国民との対話の積み重ねにより政策を実行してきた。いつしかこの努力を怠り、国民の意識との乖離を起こしてしまった。痛切に反省し、「解党的出直しに取り組み、真の国民政党に生まれ変わる」と締めくくったが、総裁になるには賛同議員や地方票を一票でも多く獲得する必要がある。そのために昔の派閥のような動きをしている。派閥による裏金問題が明らかになり、派閥と裏金をなくすことが出直しの最大の課題にもかかわらず、開き直って派閥を解消せず、いまも麻生派を率いている麻生太郎最高顧問がキングメーカーを気取り、総裁候補者がその周りをうろちょろしているようではどうしようもない。これでは「解党的出直し」ができるわけはなく、もはや自民党には「解党」の選択しか残されていないことを知るべきである。
……
ガザのジェノサイドがなぜ終わらないのか?
ガザの事態が悲惨を極めている。空からはミサイル、隣接するユダヤのスデロット市からは戦車砲が雨あられのように降り注ぎ、パレスチナの人々は逃げ惑いながら殺されている。
私は昨年3月と10月にこのスデロット市を訪れた。2023年10月7日、街の郊外にある「ベエリの森」ではユダヤの休日ヨム・キプールを祝って、盛大な音楽コンサートが開催されていた。コンサート会場とガザはわずか2㌔しか離れておらず、あの日ガザの壁を乗り越えてきたハマスの戦闘員が、コンサートを楽しんでいた若者たち364名をこの場所で射殺した。ベエリの森には犠牲者の写真が飾られ、イスラエルの国旗がたなびく中、遺族が遺影の前でその早すぎる死を悼んでいる。そんな光景を撮影していたらドーン!と腹に響く爆音。イスラエル軍が戦車砲を撃ったのだ。爆音が響いても遺族たちは逃げも隠れもせず、ただ祈っている。「ユダヤの死」を悼みながら、わずか2㌔先で進行中の「アラブへの殺戮」には全く関心を示していない。いや、関心がないかのように振る舞っている。
こちらで追悼、あちらで殺戮。そんな光景を撮影していたら約20分後にまたドーン!という地響き。小高い丘があったので駆け上がって望遠でガザを撮影する。完全に瓦礫と化した街に煙が上がっている。あの煙の下で、今まさに子どもたちが殺されているのだ。するとまたドーン!という地響きがあり、今度は白い煙が上がる。戦車砲が地面に炸裂した時は黒、ビルに当たった時は白。この光景を撮影したのが昨年10月。この時点でガザの死者は約4万5000人だった。今は6万5000人。約300日で2万人が新たに虐殺されてしまった。1日66人ずつ殺されていくガザの人々。いや、実際の死者数はこれをはるかに上回る。あの瓦礫の下に埋まっている遺体はまだカウントされていない。BBCは「瓦礫の中の肉片を集めて70㌔で1人と計算」と報道している。正確な死者数は誰にもわからない。
……
3年ぶりに訪れた広島は大きく変容していた。まず、広島駅に着いて驚かされたのは、広島電鉄の路面電車がJR広島駅の駅ビルの2階に乗り入れていたことだ。8月3日に「駅前大橋ルート」が開通し、猿猴(えんこう)橋町駅を通るルートは廃線となった。
旧ルートが走る大州通り沿いには、3基の被爆ポンプがあるのだが、幸い古い線路と共にまだ残されていた。街中で手を触れることができる貴重な被爆遺構なのだが、今後の再開発でどうなっていくのか、心配である。三つのポンプには「被爆ポンプです。残してください」というメッセージと、花や折り鶴が供えられていた。
原爆ドームの周辺も様変わりしていた。相生通りを挟んだ向かい側の旧広島市民球場跡地は、3年前に大規模な工事が行われていたが、「ひろしまゲートパーク」という市民公園に整備されていた。広大な広場の周囲に店舗やスケートボード場、イベント会場などが立ち並ぶ。
平和公園の中も例外ではなかった。広島平和記念資料館(原爆資料館)を出ると、まず被爆アオギリが目に入ったのだが、視界を遮るように真新しい建物が建っている。平和公園の下には、被爆した街が眠っており、3年前に訪れた時には、被害の痕跡が残る住居跡や道路跡などを露出展示する被爆遺構展示館が開設されていた。同じような外観だったので、また新たな発掘で同様の施設が建てられたのかと思って近づくと……。
その建物の名称はG7広島サミット記念館。中に入って説明を聞くと、広島サミットを振り返ってもらうため、首脳らが記帳した芳名録や首脳会議で使用された円卓・椅子などを展示しているという。昨年5月に開館し、次の日本開催年である2030年12月末まで設置されるとのことだった。説明では「被爆地でのG7サミットの開催は初めてのことであり、各国の首脳等が、広島に集い、対話を重ねられるとともに、被爆の実相に触れ、平和への願いを込めたメッセージを残されました」ということだったが、文字通りただの「記念館」であった。
核兵器について「広島ビジョン」という共同文書を出したサミットについて、なぜ平和公園内に記念館を設置したのか理解に苦しむ。パネル展示された写真のほとんどに、誇らしげな表情で登場する岸田文雄元首相が写っている。私の目には、まるで元首相の顕彰館のように見えてしまった。そして私は、さらに大きな違和感に遭遇する。
原爆資料館の周辺では、6日の平和記念式典に向けた準備が進められていた。3年前と明らかに異なるのは、平和公園一帯に次々とフェンスが設置されていたことだ。広島市は昨年から、デモなどをめぐる「衝突」の再発防止を名目に、式典会場周辺の入場規制を実施するようになった。今年は昨年よりさらに範囲を広げて、平和公園全域が規制対象となっていた。
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「行き過ぎた抗議、妨害行為によって、想定された訓練ができなくなった」。沖縄の自衛隊への抗議活動を批判した中谷防衛相の発言が波紋を広げている。防衛相から事実上、名指しで批判された「ミサイル基地はいらない宮古島住民連絡会」共同代表の清水早子さんは「多くの住民の利益を損なう団体であるかのように印象操作された」と反発している。
中谷氏が9月19日の記者会見で突然言及したのは、沖縄・宮古島での物資輸送訓練の通行を阻んだ行動だ。
日米共同訓練「レゾリュート・ドラゴン(不屈の龍)」では13日、宮古島の港から駐屯地まで自衛隊車両で物資を輸送する計画だったが、抗議する市民団体に道路をふさがれ、途中で中止になったという。だが、清水さんはこう反論する。
「これまでの経験で言えば、10人前後の私たちを、待機している警官が排除して、2台の自衛隊車両はいくらでも通れるのに、私たちも奇妙に思うほど2台は簡単に船に戻っていった。陸自側は『私たちに妨害されたシナリオ』通りに事を進めるために自ら撤退したのだ、と」
地元紙の沖縄タイムスは14日付紙面で、その時の様子をこう伝えている。
〈宮古島で物資輸送訓練が予定されることを受け、市民らは午前8時から2時間半、平良湊のゲート前で「宮古島を戦場に見立てた訓練をするな」と抗議した。船から陸揚げされた車両2台は通れず、船に戻って石垣港へ向かった。
ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の仲里成繁共同代表は「一体何のためだったのか」と拍子抜けした様子を見せつつ、「宮古島の戦場化を止めたいという思いが阻止につながった」と喜んだ〉
さらに、中谷氏は会見で8月6日の防災訓練を持ち出し、「とある団体から拡声器による抗議を受けた」と批判した。
だが、清水さんは宮古島市にある県管理の観光施設の駐車場で訓練中の新人隊員に拡声器を使い、「きれいな朝日ですよね」と話しかけただけ。むしろ、大声で「許可を取れ」などと恫喝したのは司令の方で、許可も取っていなかったが判明した。後日、この司令は非を認めている。
清水さんは「司令による恫喝を適正であったと擁護するために、どこまでも私たちが大声で抗議したとのストーリーを作ろうとしているのではないか」と指摘し、「私たちを見せしめにすることで、全国の反戦・反基地運動を押さえようとしているのであれば、戦前の治安維持法を思わせる」と憤る。
清水さんらが声を上げるのは、南西諸島への自衛隊配備強化や一方的に押しつけられる「避難計画」などへの不安からだ。防衛省は説明責任を果たすことなく、異論を封じ込めるためにSNSを利用して攻撃する「犬笛」を吹いたとしたあまりに姑息だ。
「検見川事件」に文化賞
【東京】葛飾区の島袋和幸さん(77)が今春出版した「関東大震災・検見川事件」が第28回日本自費出版文化賞(主催・日本グラフィックサービス工業会、主管・日本自費出版ネットワーク)の「研究・評論部門賞」に選ばれた。
1923年の関東大震災では流言によって多くの朝鮮人、中国人が虐殺され、方言などから朝鮮人と誤認された地方出身の日本人の殺害事件も多発した。千葉・検見川町(現千葉市花見川区)では大地震から4日後の9月5日、東京方面から避難してきた秋田、三重、沖縄出身の若者3人が自警団に捕まり、虐殺された。
島袋さんは沖縄県北部の伊江島出身。検見川事件で殺された犠牲者に沖縄の青年がいたことから事件に関心を持ち、20年以上にわたって取材。事件が起きた9月5日には現場で追悼を続けてきた。3年前には事件の資料集を自費出版。その後も調査を重ね、今年、「関東大震災・検見川事件」を完成させた。A5判150ページ。後半は島袋さんが長年ライフワークとしてきた「沖縄県人の震災体験」について詳述している。島袋さんは「特に沖縄の人たちに読んでほしい」という。
日本自費出版文化賞は、大きな流通ルートには乗らない自費出版に光を当て、労苦が十分に報われない著者をたたえようというもの。小説や詩歌など数多くの部門があり、選考委員長はルポライターの鎌田慧さん。11月8日に東京・市ヶ谷の私学会館で表彰式が行われる。 (栗原)
松元ヒロ「ひとり立ち」
【東京】松元ヒロさんのソロライブ「ひとり立ち」が10月23~26日、新宿区の紀伊国屋ホールで開かれる。
ヒロさんは社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」創成期のメンバーとして活躍。ピン芸人となり、政治や社会問題をネタに笑いで一言モノ申すライブが人気。パントマイムで行う「ニュースと天気予報」や日本国憲法を人間に見立てた「憲法くん」などを演じてきた。毎月3日、国会前でのサイレント意思表示にも参加している。
▼公演日程 10月23日(木)午後7時~、24、25、26日は午後3時~▼前売、当日とも3700円(全席指定)▼問い合わせ サンライズインフォメーション(0570・00・3337)まで。 (矢野)
声を寄せ合う集会に
【大阪】ノンフィクションライター木村元彦さんの講演会が10月4日(土)午後2時から東成区民センターで開かれる。「まちの拠り所Yosuga」を主宰する足立須香さんは排除、分断が広がる現状を憂え、「共に考え、共に声を上げていきましょう」と呼びかけている。
木村さんの演題は「分断の時代に再び繋がること」。2部の鼎談では、木村さんと足立さんに、元大阪市立小学校長の久保敬さんが加わり、教育や戦後民主主義の危機など、幅広いテーマで話し合う。参加費1000円。参加希望者はYosuga(メール machinoyosuga@gmail.com)へ。(矢野)
絶好調の法人業績 食品を中心に生活必需品の値上げラッシュが続いています。それに対し、大企業を中心とした法人(金融・保険業を除く)の昨年度の売上高は、2年連続で過去最高の1692兆円を記録し、儲けを示す経常利益も114兆円と過去最高となりました。その結果、内部留保は2023年度末で600兆円余に膨れ上がり、12年連続で過去最高を更新中(法人企業統計調査/財務省)。持て余した資金25兆円余は、対外投資や自社株への購入に充てています。資金不足に悩む政府と好対照。その要因の一つに、外国為替市場の円安が上げられます。
円安 基軸通貨である米ドルとの金利差が拡大し、円が売られ、金利の高いドルを買う動きが活発化。結果的には、経団連の中心を占める輸出型大企業の要望に応える形になりました。輸出額は円安が寄与して、貿易統計で107兆円と過去最高を記録。我が国の貿易収支は11年から逆転し、16年、17年を除き、輸入額が輸出額を上回る傾向にあります。国民生活の上では、円高が望ましいのですが。
最大の国債費を予定 来年度予算で財務省は「過去最大の国債費を計上する予定」「利払い費は前年比24%増の13兆436億円、国債の元本返済には9・3%増の19兆3104億円」(8月27日付朝日新聞)です。国債残高(25年度末)は1191兆円で、対GDP(国内総生産)比248・7%で借金まみれ。参考までに世界の主要国は、イタリア128・4、米国123・1、フランス115・3、英国103・8、カナダ103・2。日銀は国債(借金)を547兆円(46%)も保有しています。国が発行している国債を、中央銀行が直接引き受けるのが財政ファイナンス。法で禁じられていますが、まさに典型的な事例です(財政法第5条)。
危うい高株価 法人の好業績やカネ余りもありますが、見逃せないのは日銀の保有するETF(株式の集合体)の存在。25年6月末、簿価で37兆1862億円。7月末の時価は76兆円ですが、東証プライム市場の時価全体の8%を占め、現在はさらにアップしています。株価全体を大きく下支えする形です。一方で、日銀の保有する国債の評価損は25年3月末で▲28兆円。24年9月末▲13・6兆円からさらに増大しています。金利が上がれば、債券の価格は下落します。
経済成長のウソ 政府の公表資料によると、1996年から現在に至るまで、GDPや名目国民所得、国富(正味の資産)、名目雇用者報酬総額はほとんど伸びていません(経済財政白書/内閣府)。民間最終消費者支出(実質)も、前年度比でマイナスか2%前後で推移しています。
アベノミクス後遺症 「市場にマネーがあふれると、デフレから脱却できる」というリフレ派の主張で、世界に例を見ない金融緩和策を展開しました。日銀による長短金利の人為的な低位抑制やETF保有による株高の演出なども。また、度重なる法人税減税と消費税増税の実施なども災い。人口減と高齢化により国内の消費市場は縮小しています。非正規雇用の増大も含め、雇用者の実質所得は増えていません。造船、家電、自動車など、かつての花形産業が衰退し、それに代わる産業も見当たりません。課題は山積しています。
米軍ヘリ墜落で民間人に負傷者は
いなかったが
那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)
「海兵隊ヘリコプター墜落事故によ
る家屋等の被害状況」によると――
この墜落で民間人に負傷者はいな
かったが、家屋等への被害は38世帯、
61件に及んだ。
各機関のヘリ事故への対応状況
パネルディスカッションで配布さ
れた比嘉さんの資料「各機関のヘリ
事故への対応状況」によると、宜野
湾市は――
職員から墜落の報告が市長にあり、
14時30分、基地対策協議会中止。市
長、基地政策部長の比嘉さん、現場
に向け出発。14時50分、市長、基地
政策部長、現場到着。米軍が全体を
統括していた。市長から市消防と合
同で対処するよう米軍に要請。しか
しその後、逆に規制が強化され米軍
に抗議。
15時20分、米外交政策部へ問い合
わせると、乗務員3人。1人重傷、
2人軽傷。15時35分、市消防から報
告あり、負傷者3人を
市の救急車で海軍病院
に搬送。
17時45分、沖国大で
学長、市長の合同記者
会見。市長は飛行停止
を要求した。21時、緊
急抗議声明をマスコミ
各社に発信。
22時、市長、基地政
策部長、被害者宅の訪
問調査。
この米軍の一連の対応について比
嘉さんはこう話された――
米軍の命令系統が統一されていた。
法務担当がいて。規制線を張る。鎮
火したら、市消防、警察を排除。地
位協定の規定にもかかわらず合意議
事録や合同委員会合意にもとづいた
規制だったのだろう。
市消防は――
14時27分、消火活動、救急救助活
動開始。14時35分、米軍消防到着。
市消防と消火・救助活動を行う。15
時08分、火災鎮火。
15時30分、米軍部隊により墜落現
場の危険地域の立入禁止区域が設定
され市消防の火災調査が規制される。
その後、火災調査の立入の要請と
抗議を行うも、火災調査に着手でき
たのは15日だった。しかも米軍は16
日には機体周辺の樹木伐採、機体の
撤去を始めたのである。
米軍ヘリ墜落で放射性物質飛散
琉球新報デジタル(2016年8
月13日、19年8月14日、24年8月9
日)によると――
事故当時、墜落したヘリに搭載し
ていた放射性物質ストロンチウム90
が飛散したとされる。市の消防隊員
は事実を知らされないまま、消火活
動に当たり、被ばくの危険にさらさ
れた。米軍は消火活動にあたった自
軍の消防隊員には放射能検査を受け
させていたのであるが、市の消防隊
には放射能検査を行わなかった。
また機体や土壌など全てを米軍が
持ち去ったため県側は調査できず、
実態は不明。 (つづく)
映画監督、日夏英太郎は、陸軍報道班員として1942(昭和17)年、ジャワ(現在のインドネシア)に赴任。占領政策宣伝の映画をつくった。日本軍の捕虜虐待を否定するプロパガンダ映画『豪州への呼び声』である。捕虜になった豪州軍人たちが、プールで泳いだりテニスをしたりで楽しい日々を過ごす。映画終盤には、捕虜たちがオペラを演じ、観客側の捕虜たちが拍手を送るシーンもある。日本軍の捕虜虐待が国際的に問題となり、その批判をかわすための映画だった。
朝鮮史研究家の内海愛子の著書『シネアスト許泳の「昭和」』によれば、46年2月に開かれた東京裁判法廷でこの映画が上映された。日本軍が虚偽の映画をつくるために豪州人捕虜を使役した証拠としたものだ。「講座日本映画史4」(岩波書店)で『国家に管理された映画』を書いた佐藤忠男は、「ここまでなら、(日夏は)見えすいた宣伝映画ばかりつくっていた取るに足らぬ二流、三流の映画人にすぎないが、彼は日本の敗戦後に重要な人物になる」と述べる。
戦後、日夏は日本にも朝鮮にも帰ることなく、ジャワにとどまり、ドクター・フュンの名でインドネシア独立運動側に立ち、映画演劇学校を設立し、映画人と演劇人を育成。また映画監督として『天と地の間』を製作。インドネシア映画の輝かしい成果となる。
映画は10年代、東ジャワ高原に広がるマランの町。少女フリエダはオランダ人の父とインドネシア人の母の間に生まれた。インドネシア人の友人がアビディン。周りから「お前はヨーロッパ人、アビディンは原住民。だから遊んではいけない」と言われる。その後、フリエダはジャカルタに暮らす。アビディンは医師。妻と2人の子供と暮らしながら、独立闘争のリーダーとしても活動する。
オランダ軍はフリエダのもとに工作員を派遣。フリエダは偶然アビディンと再会し、旧交を温めた。アビディンを利用してオランダ軍の武器の輸送を手助けする。しかし、フリエダはインドネシア人としての自我に目覚め、オランダ軍の列車爆破計画を阻止。インドネシア人として生きるという物語。
……
数年前に京都の実家を売却しました。その際、不動産屋の担当者に「外国の方にも売りますか?」と問われて戸惑ったことがありました。外国人も対象にすると、市場価格の数倍で売れるというのです。
親の残した家とはいえ、私も生まれ育ったところです。近所の方々とも古くからのお付き合いがあります。売却後に迷惑がかかるようなことになれば、亡くなった父母も悲しむと思い、制限をかけることにしました。「外国の方でもこの場所が気に入って住んでくれるというなら構わない。けれどそれ以外の目的なら売らない」と。
この話をすると「よくそんな条件にしたね。高く売れる方がいいじゃない」とよく言われました。私が親の家にそれほど愛着がなく、地域の人たちとのコミュニケーションもなければ「そのあとがどうなろうと関係ない」と価格重視で売っていたかもしれません。
今、東京の物件高騰が問題になっています。「ものをできるだけ高く売りたい」は資本主義社会においては当たり前のことです。けれどマンションが投資的に売買され、「住んでいる人がほとんどいない物件の増加」などという記事を読むと、このまま市場に任せたままで良いものかと思ってしまいます。
以前にも書いたように、東京に住む息子夫婦は家賃の高騰に困っています。いきなり6万円も値上げする現状は尋常ではありません。普通に暮らす人たちがどんどん押し出されれば、空虚な高級マンションだけの町になりかねません。
シドニーもそうでしたが、今世界の都市で、物件の高騰による「住めない町化」は問題になっています。オーストラリアは今年4月から2027年3月まで、一時滞在者・外国資本の企業・その他の非居住外国人に対して、既存住宅の購入申請を禁止することを決めました。国内に住む人向けの住宅を確保するためです。
さらに「ランド・バンキング」に対する規制も強化しました。「ランド・バンキング」とは、未開発の土地を購入して長期間保有し、地価が上昇した時点で売却するという投資法です。調査の結果、シドニーとメルボルンの都市部で、約18%の住宅用地が3年以上開発されることなく放置されていることがわかったのです。
日本では先ごろ千代田区が「新築マンションの転売を購入後5年間禁止」「同一名義での複数戸購入禁止」を不動産開発業者に要請したことが話題になりました。あくまで要請なので、従うところがあるかはわかりませんが、行政として動き出したことは評価できます。
日本にはこれまで購入者の外国人割合などのデータもなく、ようやく実態調査が始まった段階です。都内のマンションを中心に、登記情報を数年分調べ、外国人購入者の割合や増減の傾向などを分析するといいます。データに沿った対策が実行されるまでには、まだ時間がかかりそうです。
……
差別おかまいなし
SNS「数」稼ぎ
鳥取県 早田夏実
戦後80年、新聞うずみ火を読んで、よりいっそう平和について考えさせられます。
石破総理が80年談話を出されることを期待していましたが、結局出ることはありませんでした。歴史修正主義がトップの党が議席を取り、西田昌司氏が再選した今年こそ談話は必要だったと思います。
最近、国際協力機構(JICA)がアフリカ諸国との交流を目的とし、千葉県木更津市など4市をホームタウンに認定したことをめぐり、「移民が大量にやってくる」などの誤った情報が拡散しました。移民受け入れや特別ビザ発行などは誤りであると公式発表がありましたが、そんなことは関係なく、黒人差別がSNS上で散見されました。
インプレッション数稼ぎのための過激な差別を真に受けて信じてしまう人もいます。一瞬で差別が広がるこの現象は間違いなく「日本人ファースト」の悪影響だと思います。差別感情から朝鮮人虐殺は起こりました。差別は放っておくと、必ずエスカレートします。悲惨な過去を繰り返さないために学ぶ歴史をねじ曲げられてはどうしようもありません。
事が起きてしまってから正すのではなく、正しい学びによって平和が保たれていることを切に願います。
(排外主義をあおるヘイトは共生社会を破壊し、戦争への地ならしになりかねないことを自覚すべきですね)
……
残暑が厳しく続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日、パソコンが再び壊れました。現在も復旧していません。どうしたら良いのか。さすがに気分が落ち込みました。途方に暮れるとは、こんな感じのことを指すのでしょうか。もちろん、前回故障したときは思うところがあって、新しいパソコンを購入しましたが、今回はそんな想定外のことで支出するわけもいきません。それに、時間を費やせばどうにかなるのでは、と本能がささやくので、昼間に時間をかけて故障を特定できるかと思います。
皆さんは急に起こったアクシデントを、どうやって乗り越えられるでしょうか。なかなか、何が何でどこが悪いとは限りません。パソコンが得意な知人などがいてくれると心強いのですが、そんなにうまくいかないですね。
初めてパソコンを習ったのは、30年ほど前のこと。PC9800とかWindows95のころ。肩の手術をしたときに理学療法士さんに「これからはパソコンの時代になるから始めなさい」と言われて、まだワープロなどの画面が3行の時代に14インチの画面と本体を一緒に買いに蒲田駅の裏にあったアパートから行きました。
当時は、まだ車イスとは縁のない時期でした。手に技術を持つ方が良いという発想でした。今、思い出しても感謝の気持ちがあふれ出ます。今は自分自身でやらなければいけない。解決しないといけない。パソコンに限らず日々の生活でも、とにかく頼み下手が災いし、きけば大したことはないかも知れないのに「今まで何とかしてきた」という変なプライドが邪魔をする。困ったことがあった時に選択肢が非常に狭くなる。
今、一番気になっていることの一つが、他の人に「教えて」と言って教えてもらって作業をするのは甘えているように感じてしまうこと。教えてもらった方が早いのに、考えたらいいのか、考えてしまう。
「いちいち聞くのは恥」であった。だから、聞けない自分ができてしまった。もう少し柔軟な対応になりたいと感じた。
今回ご紹介するのは、松居直さんと赤羽末吉さんコンビの『ももたろう』。おなじみの昔話です。発行は1965年。60年前の作品ですが、数ある「桃太郎絵本」の中で私の決定版です。
表紙のキリっと口を真一文字に結んだ桃太郎。眼も眉も上がっています。グッと握った拳に「さあ、行くぞ!」という気持ちが表れています。
物語は、おばあさんが川で洗濯している場面から始まりますが、桃が流れて来る様子が少し違います。「大きな桃がどんぶらこ」ではなく、普通の桃が「つんぷくかんぷく つんぷくかんぷく」と流れて来ます。おばあさんが食べるとあまりのおいしさに、「うーまい ももっこ、こっちゃこい。にーがい ももっこあっちゃゆけ」と唱えます。すると、大きい桃が流れて来ました。持ち帰った桃を割る時の音は「じゃくっと」。かわいい男の子が誕生する時の泣き声は「ほおげあ ほうげあ」と擬音語も独特でリズム感があります。
桃太郎が成長する過程は2ページにわたって描かれています。横に食べたあとの茶碗の数が表されています。成長した桃太郎が鬼ヶ島へ行くきっかけは、カラスが「鬼が、村へやってきて、米や塩を取って姫をさらった」と告げること。松居さんは、姫がさらわれたことを選択しました。
桃太郎が、鬼ヶ島に行く決心をしてきび団子を持ってお供を増やしていく様子は2ページずつ丁寧に描かれています。リズミカルな言葉とともに読み手に分かりやすい描写は赤羽さんの表現力の素晴らしさです。
鬼ヶ島に着いて戦いが始まりますが、鬼の大将との決戦の場面は、背景を真っ赤にして戦いの激しさを際立たせます。姫を守るキジがさりげなく描かれています。桃太郎たちの強さに感服した鬼たちが、泣いて謝罪し、宝物を出してきますが、桃太郎は「姫だけをかえせ」と言います。
宝物はいらない言う桃太郎は数が少ないです。何と、帰りの舟には鬼が2人、見送りのように乗っています。無事におじいさんとおばあさんのもとへ戻った桃太郎の様子は、3人が手を取り合おうとする喜びにあふれています。宝の山を持って帰るでもなく、夕陽の赤と、柿の実の赤と彼岸花の赤が画面の上中下に配置された情景と共に読み手を温かくしてくれます。
「大坂人権シネマ」主催の長生炭鉱を考える学習会が10月5日(日)午後2時から大阪市北区の本庄会館で開かれ、新聞 うずみ火副代表の栗原佳子記者が「長生炭鉱の現地取材から」と題して講演する。
山口県宇部市の長生炭鉱は、太平洋戦争中に水没。朝鮮半島出身者を含む183人が犠牲になり、遺骨は炭鉱内に取り残されたまま。市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」がダイバーとともに潜水調査を行い、8月に坑道の中から人の頭や足などの骨を見つけ出したことは、今月号で栗原が紹介した。
【参加費】前売り800円(当日1000円)
【連絡先】鈴木さん(070・6505・2307)
一方、同じ5日午後1時15分から大阪市北区のPLP会館で、社会・政治の流動化の中で新たな運動のあり方を考える「10・5討論集会」が開かれ、矢野が取材現場からレポートする。テーマは万博・カジノ、南西シフト、祝園弾薬庫増設など。
【参加費】800円
【連絡先】三野さん(090・3993・1369)
おかげさまで、新聞うずみ火が創刊20周年を迎えました。2005年10月、当時の小泉純一郎首相による「郵政選挙」で自民党が300近い議席を取り、憲法が改悪されるのではないかと危機感を抱いた仲間たちと「誰もが暮らしやすいと感じるような社会にするために何かできないか」と語らったのが発端。あれから20年、残念ながらこの社会はどんどん悪い方向へ転がり落ちている▼とりわけこの10年、時の政権によって「国のかたち」が大きく変えられた。2015年に安倍政権が成立させた「安全保障関連法」は「集団的自衛権の行使」を容認し「戦争ができる国」に。22年には岸田政権が専守防衛を逸脱しかねない「敵基地攻撃能力の保有」を認め、「戦争をする国」になった。GDP1%以下に抑制されていた防衛費も、23年度から5年間に43兆円に引き上げられている。事実上、GDPの2%となり、世界第3位の軍事大国に。また、「防衛装備移転三原則」で、殺傷能力のある武器の輸出が可能になった。憲法9条がどんどん骨抜きされているのが実情だ▼「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」。かつてノモンハン事件に出征経験がある田中角栄元首相はこう語っていた。戦後80年、国家や民族の優越性をことさらに言い立てる政治家が増え、ますます危ない時代になった▼右傾化の流れを前にして無力感にさいなまれることもある。だが、そんな時、恩師である黒田清さんの言葉を思い浮かべる。「戦争の対極にあるもの、それは人権社会。この社会を人権社会に近づけることが戦争を遠ざける道だ」。あきらめることなく、21年目へ。
8月7日(木)
栗原、長生炭鉱で取材。矢野も午後、広島平和記念資料館を取材し、山口県宇部市へ。夜、地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」主催の懇親会。元県議で読者の宮本輝男さんと再会。
8月8日(金)
栗原、矢野 朝、潜水調査を見守る。水中探検家の伊左治佳孝さんは遺骨が多く眠るとみられる本坑道へ到達。午後、浜辺での説明会で、背負いかごなども落ちており、「働いていた印象を強く受けた」と話す。午後、帰阪。
8月11日(月・祝)
矢野 午後、来社した西日本出版社の内山正之さん、編集者の河合恵子さんと新刊『城が燃えた』の打ち合わせ。
8月16日(土)
矢野 午前、天満天神繁昌亭で行われた三代目桂花団治さんの「終戦80年特別公演 花団治の会」へ。戦争を次世代に伝える伝戦落語「どうぶつえん1945」に聞き入る。午後、空襲体験者の証言DVD「パンプキン爆弾」のナレーション撮り。「よお、かむわ」
8月17日(日)
栗原 午後、石垣島。現職、新人の一騎打ちとなった市長選を選挙事務所で取材。翌日は町長選を控えた与那国島へ。
8月20日(水)
栗原 琉球大准教授の謝花直美さんと久米島へ。「久米島事件」の現場などを回り、夕方から追悼集会。翌日帰阪。
8月22日(金)
午後、金川正明さん、辻知幸さん、竹腰英樹さんが新聞折込チラシのセット作業に。
8月23日(土)
矢野 午後、大阪市教職員組合西部支部主催の平和教育学習会が難波市民学習センターで開かれ、戦争をどう伝えるか」と題して講演。
8月24日(日)
栗原 青森・下北半島の戦跡フィールドワークに参加、取材。夜は十和田市へ。読者の沼宮内葉子さんと一献。
8月25日(月)
栗原 発送作業の準備のため飛行機で帰阪途中、乗り継ぎの羽田空港で「長生炭鉱で遺骨発見」の報。事務所にいったん寄り、そのまま宇部へ。
8月26日(火)
3日遅れの新聞発送。今月もチラシを先に入れておく「金川方式」で発送作業に臨んだが、途中でセットしたチラシが足りなくなり、人手を割かれる弱点が判明。金川さん、柳田充啓さん、長谷川伸治さん、康乗真一さん、澤田和也さん、樋口元義さん、多田一夫さんが駆けつけ、郵便局からの回収に間に合わせる。
栗原 長生炭鉱で潜水調査の見守り。韓国のダイバー2人によって、犠牲者の一人と思われる頭蓋骨が83年ぶりに地上へ。翌日、帰阪。
8月27日(水)
矢野 午後、大阪市教職員地域研修(東淀川区)が東淀川区民ホールで開かれ、「戦後80年、今を『戦前』にしないために」と題して講演。
8月28日(木)
午後、事務所で茶話会。
8月29日(金)
矢野 午後、来社した三野英二さんと10月5日の講演会の打ち合わせ。夜、事務所で定岡由紀子弁護士を囲んでの憲法BAR。
9月1日(月)
栗原 関東大震災102年。埼玉県本庄市、上里町、熊谷市の自治体主催の追悼式へ。
9月3日(水)
午後、竹島恭子さん、根橋敬子さん、小泉雄一さんが来社。「次回は11月1日のうずみ火20周年の集いでお会いしましょう」と約束。矢野 夜、グランマ号でうずみ火20周年のイベント協議。Tシャツ、ファイル、西成フィールドワークなどの案が出る。
9月4日(木)
栗原 さいたま市の常泉寺で姜大興さんの追悼式に参列。
9月8日(月)
午後、来社した上田康平さん、大矢和枝さんからお米などの差し入れ。矢野は豊中きらら福祉会主催の平和学習会が豊中市の地域共生センターで開かれ、「大阪大空襲を知っていますか」と題して講演。
9月9日(火)
矢野 午後、滋賀県立武道館大会議室で開かれた「部落解放・人権政策確立要求滋賀県実行委員会」主催の第1回人権セミナーで「空襲とパンプキン」と題して講演。
おかげさまで、「新聞うずみ火」は10月で創刊20周年を迎えます。これもひとえに読者のみなさんの温かいお力添えがあればこそと心よりお礼申し上げます。
みなさんと一緒に20周年を祝う集いを11月1日(土)午後1時半から大阪市北区のPLP会館4階で開きます。新たな門出を一緒に祝っていただけると幸いです。
当日は、新聞うずみ火に「ヤマケンのどないなっとんねん」を連載中の山本健治さん、フリーアナウンサーの坂崎優子さん、ジャーナリストの粟野仁雄さん、「経済ニュースの裏側」の羽世田鉱四郎さんらのほか、新聞うずみ火編集委員の高橋宏さんも参加する予定です。また、これまで「うずみ火講座」の講師を務めてくれた方々にも声をかけています。
【日時】11月1日(土)午後1時半~4時40分
【会場】PLP会館4階中会議室
【交通】JR環状線「天満駅」から南へ徒歩5分、地下鉄「扇町公園駅」から南東へ徒歩4分
■20周年コラボイベント
新聞うずみ火創刊20周年を記念して、コラボイベントを順次行う予定です。第1弾として、「釜ケ崎街歩き&懇親会」を11月15日(土)に行います。案内人は、居酒屋「グランマ号」店主の新井信芳さん。少々の雨であれば決行します。
午後1時、JR環状線「新今宮駅」東出口に集合。定員は15人(要予約)で、定員になり次第、締め切ります。参加費は、街歩き1000円、グランマ号での懇親会2500円程度。
参加を希望される方は、新井さん(090・6735・6096)まで。メールche.1967.109@ezweb.ne.jp
新井さんは「十分な案内環境、地域住民への配慮のため、当日参加はご遠慮願います」と呼びかけています。