1923年9月の関東大震災虐殺から100年。「朝鮮人が襲来する」「井戸に毒を入れた」などの流言飛語は、地震被害が甚大だった東京や横浜のみならず、避難民が流入した近県にも拡大した。埼玉県は保護・検束した朝鮮人を県外へ移送する方針を取ったが、群馬県境近くで自警団に襲われ虐殺される事件が相次ぐ。惨事は対岸にも波及。群馬県の藤岡警察署では、17人の朝鮮人が虐殺される「藤岡事件」が起きた。都心から約100㌔。旧中山道の県境で何があったのか。
墓地の入り口近くに高さ2㍍近くある石碑がそびえている。群馬県藤岡市の成道寺。「藤岡事件」で虐殺された犠牲者の慰霊碑だ。
「裏には17人のお名前も刻まれているんですよ」
案内してくれた秋山博さんは「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」の事務局長。「市民の会」は地元住民で事件を継承しようと2017年に結成された。
慰霊碑には新しい仏花が供えてあった。8月12日。お盆だからだろうか。成道寺には17人の位牌もあり、歴代住職が供養しているという。墓地の向かいに寺があり、横は市営駐車場。藤岡警察署はここにあった。
1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7・9の大地震が発生した。その夜、県内からは東京方面の空が夕焼けのように赤く見え、藤岡周辺では「秩父の武甲山が爆発した」とも噂された。前橋市は震度4。県内では負傷者9人、倒壊家屋49棟、半壊8棟。鉄道、通信などに被害が出た。
……
2025年大阪・関西万博の開幕まであと600日を切ったが、準備の遅れやかさむ経費などから延期や撤退を求める意見が出るなど、ますます混迷を深めている。資材高騰や人手不足もさることながら、根本問題は会場となる大阪湾の人工島・夢洲(大阪市此花区)の軟弱地盤だ。大阪府・市は8月17日夜、カジノを含む統合型リゾート(IR)の住民説明会を市内で開いたが、万博後の開業に不安が募るばかりだ。
(矢野宏)
IRは万博会場でもある夢洲で、2029年秋から冬頃の開業予定。事業者の米MGMリゾーツ・インターナショナルとオリックスが中核株主、関西地元企業20社を少数株主として出資する「大阪IR株式会社」が担い、国際会議場やホテル、劇場など幅広い施設を整備する。年間来訪者は2000万人(7割が国内客)。年間売上高は5200億円を見込み、うち8割の4200億円をカジノで稼ぐ計画だ。
IRをめぐっては、今年4月に政府が府市の区域整備計画を認定したものの1000点満点中657・9点と合格点(600点)すれすれ。開業に向けて7項目の付帯条件がついた。
その一つに「地域との双方向の対話の場を設け、懸念の払拭を図る」ことが求められたため、認定後初めての住民説明会が行われた。
府市IR推進局の担当者が事業計画やギャンブル依存症対策の検討状況などを1時間にわたって説明したが、認定前の計画案のコピーを読み上げただけ。質疑応答では住民から「国から与えられた七つの課題にどう向き合うか示されていない」との厳しい意見が出された。
参加者の関心事は「夢洲の地盤沈下対策費を誰が払うのか」。市は事業者からの求めに応じ、液状化や土壌汚染対策費として788億円の負担を決めたが、その中に地盤沈下対策費は入っていない。だが、この日配られた資料には「大阪府・市が実施する対策」として「地盤沈下対策(50年後の地盤高でも想定以上の津波や高潮に対応)」と明記されていた。
担当者は「市が使用した埋め立て材が原因で想定以上に沈下した場合を除いて市が費用負担を行わないことを前提としている」と、これまでの主張を繰り返したが、NPO法人「AMネット」事務局長の武田かおりさんが三つの疑問を投げかけた。
……
78回目の「原爆の日」を迎えた広島は8月6日、平和記念公園一帯で慰霊祭や平和を願う行事が行われた。原爆ドームの南東にある「動員学徒慰霊塔」前でも追悼式が営まれ、勤労奉仕に動員されて命を落とした生徒たちを悼んだ。戦禍に倒れた動員学徒は約1万人。その7割が原爆で命を奪われた少年少女たちだった。 (矢野宏)
戦争の激化に伴う労働力不足を補うため、政府は1944年8月に「学徒勤労令」を発令し、中学生以上の学徒らに軍需工場などでの勤労奉仕を強制した。翌45年3月には「決戦教育措置要綱」を閣議決定。当時の国民学校(現小学校)を除くすべての学校が4月1日から休校となり、生徒たちは連日、軍需産業や食糧増産に駆り出される。
被爆当日、広島市では12、13歳の生徒9111人が空襲の延焼を防ぐため家屋を取り壊す「建物疎開」に動員されていた。14~17歳の1万4143人も軍需工場などで働いており、合わせて7196人が原爆の犠牲になった。
毎年8月6日には、動員学徒慰霊塔の前で「広島県動員学徒等犠牲者の会」主催の追悼式が営まれている。
元会長の寺前妙子さん(旧姓中前、93)=安佐南区=は当時15歳で進徳高等女学校(現進徳女子高校)の3年生。下中町(現中区袋町)の広島中央電話局に動員され被爆した。爆心地から550㍍しか離れていなかった。
寺前さんらが電話交換の仕事を終え、交代するため2階の廊下に整列した時だった。
「窓から青空を眺めていた時、キラキラと光り輝いて落ちてくるものが見えました。ずんずんと大きくなりながら落ちてくるので、友達に『あれは何やろ』と問いかけようとした瞬間、『ピカッ』と炸裂したのです。真っ白な世界に変わったかと思うと、『ドーン』という大音響が鳴り響き、真っ暗闇になりました」
天井のコンクリートが崩れ落ち、寺前さんは交換機などの下敷きになった。
あちこちから同級生のうめき声が聞こえた。担任の脇田千代子教諭(享年22)から「学徒は学徒らしく、しっかり頑張るのよ」と励まされ、寺前さんはがれきから懸命にはい出た。この時、左目を失い、頬やあごも飛び散ったガラス片で大きく裂けていた。
……
2020年3月に不正輸出容疑で社長ら3人が逮捕されながら、異例の起訴取り消しとなった大川原化工機(横浜市)の冤罪事件。無罪を主張する大川原正明社長と島田順司元取締役の勾留は11カ月続いた。勾留中に胃がんが悪化し、相嶋静夫元顧問は死去した。起訴取り消しで21年秋、同社長や相嶋氏の遺族らは「違法な逮捕や長期勾留などで甚大な損害を受けた」と東京都(警視庁)と国(東京地検)に総額5億6500万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。この裁判で、現職警察官から前代未聞の「爆弾告白」があった。まず、その場面から。
6月30日、東京地裁。原告側の請求で警視庁公安部の4人が証人尋問された。法廷の終盤を再現する。質問は原告代理人の高田剛弁護士。
−−−−本件は、公安部が事件をでっちあげたと言われても否めないのでは?
浜崎賢太警部補「まあ、捏造ですね」
−−−−客観的な証拠は全て押収し、1年以上の任意取調で役職員から幅広く供述を得ている以上、口裏合わせは考えられないのだから、逮捕勾留の必要もなかったのでは?
浜崎警部補「そう思います」
−−−−逮捕されるべきでない人が11カ月間も身柄拘束されることはあってはならないこと。捜査を担当した立場として、誰がどうしていれば、この事態を防ぐことができた?
浜崎警部補「幹部が捏造しても、その上に指導監督者が何人もいたわけだから、その責任を自覚していれば防げただろうし、警視庁の通報窓口に捜査員から通報があったら、警視総監が承認した事件であるが、その通報を真摯に受け止めていたら、ここまでひどくはならなかったと思います」
裁判官の質問に、浜崎警部補は「輸出自体には問題はなく、捜査員の個人的な欲でそうなった」と証言した。さらに裁判長が「捜査員の欲とは?」と尋ねると、「客観的事実がないのに、これだけの捜査をしたのは、捜査員がこうなりたいと思った、それ以外に考えられない」と答えた。
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岸田首相が2021年10月に就任して以来、ほとんど不支持が支持を上回ってきたことは周知の通りだが、直近の8月の時事通信調査では支持26・6%、不支持47・4%、政界でいう政権維持の危険水域に完全に入ってしまった。
自民党内に次を狙う人物がいて、野党がしっかりしていれば、とっくに退陣に追い込まれているはずだが、自民党内はかつて「三・角・大・中・福」などといった連中が争っていたことなど昔語り、もちろん派閥政治がいいと言うつもりはない。政策と実行を競って切磋琢磨することで熱気あふれる政治を進めてもらいたいからだが、現在の自民党は政権政党としての責任感も意気地もなく、自己顕示だけの小粒の背比べである。悲しいかな、野党はもっとひどい。自らは野党だと言うが誰もそう思っていない維新も、立民をぶち壊して野党第一党をめざすと息巻いていたが「第2自民」でいいと言うのだからどうしようもない。
先日の埼玉県知事選は史上最低の23・76%となったことが象徴するように有権者は選挙に期待しなくなっている。政党や政治家に完全な不信任を突きつけているのだが、それを理解していない。
岸田首相の支持率が低い理由は、やることなすこと的外れで口先だけ、何一つ問題解決しないからだが、それを上げようとメディア露出を増やすため本屋に出かけたり、講義を受けたり、ちょろちょろするから余計に低くなる。
最終的には止めたが、台風が接近しているというのに、安倍元首相追悼ゴルフに参加しようとしていた。
だから首相周辺や閣僚、自民党幹部が問題発言や事件を起こしても、叱ったり、責任を取らせたりできない。某週刊誌のネット版が伝えているが、拉致問題担当内閣官房参与が集会で拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんが講演中、聞き捨てならないヤジを飛ばしたそうだが、伝えられるようヤジなら許されない。謝罪させると同時に即刻解任だが、何もしない。
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今年5月、ウクライナに入った。首都キーウ近郊、世界に衝撃を与えた「虐殺の街ブチャ」と「侵略をはね返した街イルピン」を取材した後、少々危険だが東部、かつての首都で「ウクライナ第2の都市ハルキウ」に向かった。
5月11日早朝6時、キーウ発の夜行列車がハルキウ中央駅にすべり込む。旧ソ連の面影を残した駅舎に長くつながれた客車。おしゃれな店も派手な看板もなく、ただ旧式の列車と古い駅の佇まい。映画「ひまわり」のワンシーンが浮かぶ。恋人のマルチェロ・マストロヤンニを追いかけてきたソフィア・ローレン。運命の再会を果たすが、彼にはすでに妻がいた。恋人の制止を振り切り、泣き崩れながら列車に飛び乗り、またイタリアに帰っていくーーあの名場面である。何が言いたいかというと、それくらい遥かなる地まで来たなー、この駅は歴史あるなー、旧ソ連に近いので社会主義国風の街並みだなーということ。
ハルキウ中央駅を出てほとんど誰も通らない地下道を歩くと、驚いたことに地下鉄が通っていて、営業している。キーウ同様、いやハルキウはもっとひどい空爆にさらされたので、戦争初期はこの地下鉄がシェルターになった。地下鉄は無料だった(キーウは有料)。戦争で生活が破壊され、せめて交通機関は無料提供しようということのようだ。街の中心ユニバーシエット駅へ。地上に上がればそこは自由広場。ハルキウを象徴する場所だが、通行人はゼロ。マクドナルドがあるが、破壊されたままで営業していない。ここからロシア国境まで約100㌔。射程の短いミサイルでも十分届く。ハルキウは拠点都市だ。なので戦争初日からミサイルが雨あられのように飛んできた。誰もいない自由広場に戦争被害を展示するテントと441の文字。昨年2月24日から今日で441日目なのだ。
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戦後78回目の8月は、台風に翻弄された。6日の広島・平和記念式典こそ晴天の下で行われたが、9日の長崎・平和祈念式典は、台風6号の接近で会場を平和公園から屋内施設に変更し、規模を縮小して実施せざるを得なかった。屋内開催は、同様に台風の影響を受けた1963年以来60年ぶりのことだ。15日の敗戦の日に東京で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式は、台風7号の影響で西日本を中心に10府県の遺族が欠席を余儀なくされた。
私は長崎で開催された原水爆禁止世界大会に出席する予定だったが、11日に福島県須賀川市での講演を控えていたため、戻れなくなる可能性を考え断念した。学生時代に訪れて以来、約40年ぶりの長崎訪問は断腸の思いであきらめた。
そして15日は、まさに台風の直撃を受けながら、テレビで敗戦の日をめぐるニュースを見守るしかなかった。相次ぐ台風の襲来は、戦前に向かって逆走しつつある日本社会に対する、自然界からの警告だったような気がしてならない。
今年の広島・長崎の平和宣言に共通していたのは、5月に開催されたG7広島サミットの「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン(以下、広島ビジョン)をある程度評価しつつ、「核抑止」を前提としていることへの批判であった。そして、昨年に引き続き政府に対し、「唯一の戦争被爆国」として核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加と、同条約に署名・批准することを訴えている。
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終戦前日、米軍による最後の大阪大空襲で多くの乗客が犠牲となった「京橋駅空襲」から78年になる8月14日、大阪市城東区のJR京橋駅前で慰霊祭が営まれ、遺族や市民ら約150人が犠牲者を悼んだ。 (矢野宏)
1945年8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲。攻撃目標は「東洋一の軍需工場」と言われた大阪陸軍造兵廠。現在の大阪城公園や大阪ビジネスパーク一帯にあり、最盛期には工員のほかに動員学徒、女子挺身隊ら6万4000人が働いており、強制連行などにより集められた1300人以上の朝鮮人青年も含まれていたという。
米軍資料の「作戦任務要約」によると、攻撃したのはサイパン島に配置された第73航空団。午後1時16分から45分間に1㌧爆弾と500㌔爆弾合わせて約700㌧が投下され、〈成果は甚大。投下された843個の爆弾のうち、目標に650個の命中弾〉と報告されている。
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大阪市東住吉区田辺に1発の「模擬原爆」が投下されて78年を迎えた7月26日、爆心地に近い恩楽寺で追悼式が開かれ、オンラインで参加した区内の児童・生徒を含め約120人が平和への誓いを新たにした。(矢野宏)
模擬原爆は、原爆投下の訓練用に製造された爆弾。長崎で使用されたプルトニウム原爆「ファットマン」とほぼ同じで、核物質ではなく通常爆薬4・5㌧が詰められていた。黄色やオレンジで塗られ、でっぷりした外形から「パンプキン」(かぼちゃ)と呼ばれていた。1945年7月20日から8月14日にかけて、全国30都市に49発が投下され、400人以上が犠牲になった。7月26日には同区田辺本町にあった料亭「金剛荘」が直撃を受け、7人が亡くなり、重軽傷者73人、485戸の家屋が倒壊した。
当時の人々は、知る限りの大型爆弾ということで「1㌧爆弾」と呼んでいたが、愛知県春日井市の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」が1991年に国立国会図書館にあった米軍資料から模擬原爆だったことを突き止めた。
追悼式は、慰霊碑がある恩楽寺の本堂で毎年開かれている。同区の龍野繁子さん(98)が当時の体験を語った。
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関東大震災直後、デマが流れたのは大阪も例外ではなかった。特に、旧陸軍火薬庫傍らの枚方町(現枚方市)禁野では「朝鮮人襲来」の風説が広がり、大地震13日後の9月12日には緊迫する事態に発展した。立命館大学コリア研究センター研究員(在日朝鮮人史)の塚﨑昌之さんは「流言飛語からの虐殺事件がこうした災害時、全国どこでも起きた可能性がある」と指摘する。(栗原佳子)
塚﨑さんによると、1923年9月6日付の「名古屋新聞」、鳥取県の「因伯時報」が「大阪にも不逞鮮人」などと伝えた。「9月4日夜、40余名の不逞鮮人が天六の天満橋電車交差点で不穏の記事を記載したビラを貼った」などというもので、7日付の山口県「馬関毎日新聞」も同様の内容を報じた。「大阪からの情報によって書かれた記事です。東京、横浜付近で大規模な朝鮮人虐殺が始まるのは3日。大阪にも避難民によって朝鮮人『暴動』の流言飛語がもたらされたのでしょう」
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関東大震災から100年となる9月1日、千葉で起きた虐殺事件を題材にした映画「福田村事件」が全国公開される。香川県の行商人9人が自警団に虐殺された実話に基づく劇映画だ。いまなぜこの作品を問うのか。20年余り構想を温めてきた監督の森達也さんは「普通の善良な人が『集団』になると狂暴に振る舞う。100年前ではなく、今の時代に重ねてほしい」と話す。(栗原佳子)
事件は1923年9月6日に千葉県東葛飾郡福田村(現
野田市)で起きた。関東地方で薬の行商をしていた香川県の男女15人が、利根川対岸の茨城県に渡ろうと船頭と交渉中、「言葉がおかしい」ととがめられたのが発端となり、福田村と隣の田中村(現柏市)の自警団に襲われた。香川県発行の鑑札などを示したが聞き入れられず、妊婦や幼児を含む9人が殺害された。一行は被差別部落の出身。偏見と差別の中、自立を目指し行商に活路を目指す人は少なくなかったという。
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原子炉の老朽化 金属の腐食による応力腐食割れ、中性子の照射による金属の脆性破壊、高温の運転による金属硬化、熱や振動による金属疲労、配管のすり減り、コンクリートの劣化、電線・電気回路部品の劣化など、原因は様々です。2007年3月、膨大な数の事故・トラブルが明るみになりました。敦賀2号炉の再生熱交換機の熱疲労割れ、浜岡1号機の予熱除去系配管の水素爆発、原子炉上蓋、原子炉ノズル、加圧器ノズルのひび割れなど(日本弁護士連合会ほか)。
情報の隠ぺいは、今も続いています。深刻なのは原子炉の圧力容器。製造期にはマイナス温度ですが、中性子を浴びて脆化が進むと100度になります。また、大規模冷却材が喪失し、緊急に安全装置が働き、炉心に冷却水が入ると、逆に脆性破壊が生じるという皮肉な結果も。しかも中性子照射による金属脆化の予測は、極めて困難です。
廃炉の長期化 半世紀は放置したままになります。チェルノブイリ原発のように石棺化が必要です。放射線は人間が即死するレベルで、作業は困難。特に、中心の原子炉は、圧力容器が15~30㌢の鋼鉄ですが、長期間に中性子線を浴びており、鋼鉄そのものが放射能を出し続けます。従って、解体作業などはロボットなどの遠隔操作に。費用は1基あたり1千億円以上が見込まれ、解体しても、膨大な量の放射性廃棄物をどうするかなど、課題が山積しています。
……
組合活動、28年
1973年6月、浦添市役所に就
職。当時、若い人たちが組合活動に
参加して、青年部活動が盛んだった。
10月の大会で、すぐ青年部の役員
に。弁当出るよと言われて「やりま
す」と。以来、定年までと3年臨時
で通算28年、組合活動を続けた。そ
の間、専従7年、委員長を10年つと
めた。
組合の反戦平和運動、基地反対運
動で、米海兵隊による県道104号
越え実弾砲撃演習阻止闘争「喜瀬武
原(きせんばる)闘争」にも参加し
た。また金武湾反CTS(石油備蓄
基地)闘争にも参加したという。
2009年6月30日、
米軍ジェット機事件50周年
09年3月に定年。「定年したら、
週3日、図書館に行って、のんびり
と、と思っていた」。しかし50周年
ということで、その頃、ジェット機
事件のことが新聞でさかんに取り上
げられていた。
50年後に始まった米軍ジェット機
事件を語り継ぐ取り
組みに加勢したいと
取り組みが始まった
のは事故当時、宮森小
学校の2年生だった平
良嘉男さんが校長とし
て宮森小学校に赴任し
てきてから。米軍ジェ
ット機事件展示資料館
を設置し、内外に命と
平和の尊さを発信しよ
うと『命と平和の語り部・宮森63
0館設置委員会』を立ち上げた。
そんな取り組みを新聞で知った久
高さんは、「そんなに意気込んでい
たわけではないが、組合、やってた。
……
「荒虎」こと笹井三左衛門の事業は日清戦争後の好景気を背景に、材木だけではなく、砂利、薪炭、石材、建築資材など土木建築ブームに乗って拡大していった。1891(明治24)年9月に長男・静一が生まれ、千本組の誕生と同じ1901年2月に末三郎が生まれる。丸々太った元気な男の子だったという。柏木隆法の『千本組始末記』に、島原遊郭で次のような戯れ歌がうたわれていたことが記されている。
《すべってころんだよ/千本樓のかどで/ 末さんがおこさにゃ/おきやせぬ》
千本樓とは、三左衛門が事業として経営していた貸席を兼ねた料亭で、幼い末三郎はよくここに預けられていた。三左衛門には妾・梅田すゑがいて、1896年12月に男の子が生まれている。栄次郎と名付けられ養子入籍し、笹井家の二男となった。栄次郎は、後年の1937(昭和12)年、二枚目俳優として一世を風靡した長谷川一夫(当時は林長二郎)の顔切り事件に関連するのだが、それは後の話となる。
……
神戸で開催されたギャンブル等依存症のセミナーに参加しました。精神科医の田中禎さんからは依存症の医学的メカニズムを、そして自らも依存症経験者で、「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さんからは現状を、それぞれ聞きました。
今回の話で気になったのが、若い人からの相談が増加していることです。それだけ若い人が手を出しているということです。例えば競艇。これまで年配男性が好むギャンブルでしたが、オンライン投票ができるようになり、若者に人気が出ています。
もともとゲームの課金などオンラインでお金を使うことに慣れている年代です。提供側が若い人たちが使う決済方法を多数取り入れたこともあって、支払いのハードルが下がり、気軽にギャンブルに手を出している姿が想像できます。他のギャンブルも若い人へのアプローチを強化しています。
また、後払いができるようになったことで、手持ちの現金がなくても賭けられるので、賭け金も上がります。当然、あとから請求がきますから、その時にはどうにもならなくなり、闇金に手を出し闇バイトにつながっていきます。
ギャンブルは若くに始めれば始めるほど、依存症になりやすいことがわかっています。依存症になれば自分の意思でやめることはできません。病気なので治療や支援が必要です。田中医師はギャンブルで借金をしたその時が、依存症に変わった瞬間だと話していました。
日本のギャンブル依存症者の割合は、他国に比べて多いといわれます。規制が緩く、日常にギャンブルが入り込んでいることも大きな要因です。また、近年はどのギャンブルもハイリスクハイリターンと射幸性が高まっていることも関係します。新型コロナの影響で、ストレスの発散にギャンブルを利用する人が増えたことは今後の心配要因です。
さらに問題なのがオンラインカジノ。日本では違法ですが、人気ユーチューバーが広告費を稼ぐために「オンラインカジノランキング」などといった企画を行い、誘導していると田中さん。無法地帯化しています。
……
汚染水の海洋放出
核燃再処理と連動
奈良県橿原市 藤井雅樹
元京都大原子炉実験所助教の小出裕章先生の講演会が7月9日に奈良県生駒市であり、参加しました。
今問題になっている福島第一原発の敷地内にため込んでいる、東京電力がいうところの「処理水」の海洋放出について、「そのまま放出できないから処理水ではなく、れっきとした放射能汚染水だ」と語りました。そして、「130㌧の汚染水には国の基準の約10倍のトリチウムが含まれており、70%にはトリチウム以外の放射性核種が国の基準を超えて存在している。だから希釈して薄めて流そうとしている。しかし、トリチウム水は化学的には普通の水と全く同じ。決してトリチウムを取り除くことができないので、絶対に環境に流してはならない」と訴えました。
さらに、青森県六カ所村で建設が進む核燃料再処理工場が計画通りに運転されれば、1年間に800㌧の使用済み核燃料を科学的に処理してプルトニウムとウランを取り出し、それを40年間続けることになるそうです。小出さんは「捕捉できないトリチウムは全量環境に流す予定になっている。福島で海洋放出ができないということになれば、六カ所村の再処理工場を動かすことができなくなる。そのため、政府は何としても海洋放出しようとしている」と説明しました。
マスコミでは報道されない話で、きっと多くの人は「処理水だからそんなに危険ではないだろう」と思っているのではないでしょうか。
福島第一原発の汚染水の海洋放出が六カ所村の再処理工場と関係していることも初めて知りました。海水は蒸発して雨が降り循環していることを考えると、海だけでなく陸上にもすべての動植物にも影響してくるでしょう。我々人間も水を飲むわけですから無関係ではいられません。
(トリチウムが残る汚染水に大量に海水を混ぜて沖合1㌔に放出する計画ですが、福島第一原発事故で溶け落ちたデブリ880㌧を取り出せない限り、汚染水は止まりません。未来永劫、汚染水は垂れ流し続けるなど許されないことです)
……
猛暑が続く中、熱中症になってしまった。もともと、汗のかきかたが一般の人と比べて変わっている。たいていの人は全身に汗をかくのに、首から上だけが滝のように流れるのだ。
金曜日の昼、水分摂取が少ないかなと思っていた。看護師さんが訪問した際に水分やゼリー飲料を補給したらしい。というのも、よく覚えていないのだ。そのあと3回ほど様子を見に来てくれたらしい。そして、翌日も看護師さんは3回ほど来てくれたらしいが、記憶にない。
そもそも、玄関の鍵を開けたのは誰だろう。3日目の日曜日には外出することになっていたが、どうやってバスや電車に乗って往復したのだろうか。介助犬イムア君をハウスに入れたこともまったく覚えがない。後日、外出して訪ねた相手に電話で確認すると、「きちんといらして、おかしな雰囲気はありませんでしたよ」と言われ、何を心配しているの? と逆に心配されてしまった。
月曜日になると少しはっきりとしてきたので、「空白の3日間」の様子を少し教えてもらった。看護師さんは金曜日にどうやって訪問できたのか。「鍵は最初から開いていましたよ」との答え。それはそれで問題だが、鍵をかけたが、リモコンの電池が消耗して鍵がかかっていなかった……として納得するしかなかった。
熱中症を甘く見ていたようだ。冷房をつけていればいい、水をいつものように2リットルほど飲んでいるから大丈夫と思い込んでいた。頸髄を損傷してから20年近く、いろいろなトラブルを自分で解決するしかない、という過信が今回の「空白の3日間」を引き起こしたのだ。
……
210号の新聞うずみ火4月号で、絵本作家の田島(たしま)征三さんが描いた『おもいのたけ』を紹介しました。今回紹介するのは、その田島さんが昨年、出版した『た』です。
表紙はグイッと伸びた緑の葉っぱと、空には鳥や虫たちが飛んでおり、その中央には大きく「た」との一文字。子どもたちと読み合うと、必ず大きな声で読んでくれます。表紙を開くとオレンジ色の大きな太陽が描かれ、ページをめくるごとに「た」の付く言葉の数々が力強い絵とともに繰り広げられていきます。
「たがやす」「たねまく」「たちまち!!めがでた」「たいよう」「たくましくそだつ」……。
人々が種をまき、芽が出たことを喜び、太陽の恵みに感謝する。しかし、虫や鳥や獣が草を食べる。「たいへん」だと、人々は「たたかう」。秋になり、稲穂が「たわわにみのる」。里山は「たからのふうけい」に。収穫の時は村中で「たよる」「たすける」「たすけあう」。それが「たいせつ」だと訴える。
そして、「たくわえる」「たてまつる」「たたえあう」と続き、収穫を祝って村中で「たのしむ」。そして最後は「たべる」。
「た」から始まる言葉のみで、稲の育ちと農耕に携わる人々と自然の様子を表しています。描かれている絵は、田島さんが描き続けている勢いのあるタッチで、肉太で、まるで彼の魂の叫びのようです。
……
「市民が主役!吹田の会」主催の講演会が8月27日午後2時半から大阪府吹田市山田4の「山田夢つながり未来館」4階会議室で、新聞うずみ火の栗原佳子記者が「琉球弧で進められている軍事化」について講演する。
九州南から台湾へと至る琉球弧(南西諸島)に陸上自衛隊配備と強化が進んでいる。与那国島や宮古島、奄美大島、石垣島で取材してきた栗原が自衛隊配備の流れや現地の声などを紹介する。
資料代500円。問い合わせは、吹田の会(090・5967・6760)まで。
「戦争は始めるより終わらせる方が難しい」。敗戦を翌日に控えた1945年8月14日、終戦前日の大阪大空襲で多くの乗客が犠牲になった「京橋駅空襲」。惨劇から78年になる今年も慰霊塔に手を合わせ、その思いを強くした。3年8カ月に及ぶ戦闘で、犠牲者が急増したのは戦争末期。連合国相手に勝敗はすでに決していたにもかかわらず、もっと早く戦争を終えることができなかったのか。▼避けられた空襲を政府自ら引き寄せた二つのターニングポイントがあったと言われている。一つは、44年夏のサイパン島陥落。日本までの距離は2500㌔。主要都市のほとんどがB29爆撃機の行動範囲内となり、焼け野原となった。▼二つ目は45年2月の近衛文麿元首相の上奏文。「敗戦はもはや必至。この上は一日も早く戦争を終結すべき」との意見を、昭和天皇は「もう一度、戦果をあげてからでなければ難しい」と受け入れなかった。戦果を求めた戦場は沖縄だった。歴史を語るのに「たら」「れば」は禁句とはいえ、この時、停戦すべく交渉を始めていれば空襲はもちろん、沖縄戦、原爆投下、中国残留孤児などの悲劇は回避されたはずだった。▼2025年大阪・関西万博の開幕まで600日を切ったが、建設工事は進んでいない。会場が夢洲だからこそ、資材を運ぶのもアクセス不足で軟弱地盤の難工事になっているため。しかも万博工事は間に合わないと違約金を請求される恐れもあるというからなおさらのこと。維新の松井一郎知事(当時)の思いで万博誘致を決め、会場を夢洲にしたのが原因。立ち止まることも引き返すこともせず、このまま突き進むのか。 (矢)
7月5日(水)
矢野 昨年に続き、枚方市立楠葉中学校の平和学習。1年に大阪大空襲、2年に沖縄戦、3年に国際紛争について連続講演。帰り道に西成区の居酒屋「グランマ号」へ。
栗原 午後、大阪高裁で琉球遺骨返還請求訴訟を傍聴。
7月6日(木)
矢野 午後、大阪市住吉区の市立東安孫子中学校で1年生対象の平和学習。昨年は新聞うずみ火制作の証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲」を見て後日に話したが、講演と一緒に視聴した方がいいと、DVD上映をはさんで2時間の講演に。
7月7日(金)
矢野 夕方、西谷文和さんが主宰する「路上のラジオ」収録。沖縄県宜野湾市出身で米軍ヘリから部品が落下した保育園に娘が通っていた明(あきら)有希子さんに電話をつなぐ。
栗原 千葉県柏市であった「福田村事件を語る会」取材。
……
次回のうずみ火講座は9月16日(土)午後2時~大阪市生野区勝山北3の区民センターで開講します。7月末に休刊した大阪の地方紙「大阪日日新聞」の元記者、木下功さんを講師に迎え、「迷走する夢洲イベント『万博とIR・カジノ』」と題して講演してもらいます。
2000年に新日本海新聞社(本社・鳥取市)が買収し、朝刊紙となった大阪日日新聞に翌01年に入社した木下さんは、2度にわたる「大阪都構想」をめぐる住民投票、万博やIR・カジノの誘致を進めた維新政治を監視し、追及してきました。当日は、記者時代を振り返り、取材の裏話などを語ってもらいます。木下さんにとって退社後、初の講演です。
【日時】9月16日(土)午後2時~4時半
【会場】生野区民センター301号室(電話06・6716・3020)
【交通】JR環状線「桃谷駅」①出口から徒歩11分
【資料代】読者1000円(一般1200円)
最盛期には2万人の日雇い労働者が暮らした大阪市西成区。現在はインバウンド向けのホテルが増えるなど大きな変化を遂げています。長年、現地で暮らしている水野阿修羅さんに案内してもらい、10月14日(土)に釜ヶ崎フィールドワークを行います。JR新今宮駅東口改札集合、その場からスタートします。
一汗かいたあと、午後4時から読者の新井信芳さんが西成区内で経営する居酒屋「グランマ号」で懇親会を行います。懇親会からの参加もOKです。
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