新聞うずみ火 最新号

2025年2月号(NO.232)

  • 1面~4面 馬毛島 自衛隊基地着工2年 「宝の島」残したいが…(栗原佳子)

    南西諸島の北端に、鉄砲伝来で知られる種子島がある。その沖合に位置する馬毛島(鹿児島県西之表市)で、島を丸ごと自衛隊基地とする工事が始まり2年となった。種子島の住民の日常が脅かされる中、完成予定は3年ずれ込み、工事に拍車がかかる。着工2年を翌日に控えた1月11日、馬毛島上陸を目指す建設反対の市民らに同行した。

    午後1時過ぎ。漁船は西之表港を出港した。馬毛島への基地建設に反対する住民訴訟の原告、和田香穂里さん(60)と濱田純男さん(69)、代理人の塚本和也弁護士ら10人。
     
    西之表港から馬毛島まで約11㌔。比較的天候にも恵まれ、薩摩半島の開聞岳(かいもんだけ)や屋久島なども見える。しぶきを浴びること約40分、島がぐんぐん近づいてきた。周囲に大小の船が浮かぶ。小型の漁船は漁師が請け負う警戒船だ。
     
    巨大な仮設桟橋の横をすり抜け、市が管理する葉山港に上陸した。ワゴン車やマイクロバス。おびただしい数の作業員が岸壁に並んでいた。仕事を終え、種子島の宿舎に帰るのだろう。到着した50人乗りの船からは大きな荷物を抱えた作業員たちが次々と降りてきた。
     
    馬毛島には作業員宿舎も作られている。昨年10月時点で2860人。4月には4000人になるという。
    上陸を果たした。今回も防衛省には自粛を求められたが、塚本弁護士は、許可が必要ないことを確認したという。
     
    上陸の目的は島の現状を確認すること。港周辺には漁業集落の入会地があり、沖縄ドローンプロジェクトの奥間政則さんはドローンを飛ばした。一行は、工事の進む国有地への立ち入りも試みたが、防衛省職員から制止された。「安全を確保できない」という。
     
    「この前来た時よりも警備員が増えている。あの向こうにも入会地があるのに……」。濱田さんがソテツの生い茂る方向を悔しそうに目をやった。
    ……

  • 5面~7面 戦後80年「模擬原子爆弾」 作戦記録なき空襲(矢野宏)

    太平洋戦争の空襲と言えば、B29爆撃機が都市に焼夷弾を投下するイメージを持つ人が多いだろう。アリアナ基地(サイパン・テニアン・グアム)の米陸軍航空隊B29部隊による日本への空襲は計331回あったことが米軍資料の「作戦任務報告書」に記されているが、そこに記録されていない空襲がある。「特殊爆弾任務」とされた原子力爆弾投下作戦だ。
    終戦直前、広島と長崎に相次いで落とされた原子爆弾。人類史上初となる核兵器の使用を前に、米軍は巨大な原爆を目標地点へ正確に落とせるかという新たな課題を抱えていた。

    投下訓練用に開発・製造された爆弾が「模擬原子爆弾」だ。長崎で使用されたプルトニウム原爆「ファットマン」とほぼ同じ形をしており、直径約1・5㍍、長さ約3・25㍍、重さは4・5㌧ほどで、中には核物質ではなく通常の爆薬が詰められた。黄色やオレンジに塗られ、でっぷりした外形から「パンプキン」(カボチャ)と呼ばれていた。

    模擬原爆は1945年7月20日から敗戦前日の8月14日まで、全国30都市に49発が落とされた。目標とされたのは、当初、原爆投下の候補地だった京都市、広島市、新潟市、福岡県小倉市(現北九州市)の各都市を四つのエリアに分けた周辺都市。原爆投下の実験台にされて400人あまりが犠牲になり、1200人を超える負傷者を出した。その1発が大阪市東住吉区田辺に落とされた。

    「黙とう」−−−−。

    爆弾が落ちた場所に近い恩楽寺では、毎年、模擬原爆が投下された7月26日に追悼式が行われている。

    式では、投下時刻の午前9時26分に合わせて参列者が黙とうをささげたあと、当時、広野国民学校(現摂陽中)の教員だった龍野繁子さん(99)が学徒動員の生徒20人を引率中、九死に一生を得た体験を語った。

    「ドシーンという大きな爆音とともにバリバリバリっと天井を突き抜ける音がした。大人2人でも抱えられないような大きな石が100㍍以上も空を飛んできたのです。爆弾の力って恐ろしいものだと思いました」

    龍野さんらは海軍士官の制服ボタンを作る工場にいた。作業を行おうにも材料の金属もない。工場長から「勉強でもしてください」と言われ、作業部屋の隣部屋で勉強を始めようとした矢先のこと。巨石が2階建てのバラックの作業部屋を直撃し、床を突き抜けて1階まで落ちたのだ。

    「いつものように作業していたら、生徒たちは無事ではすまなかったと思います」
    爆弾が投下されたのは、現在の市立田辺小学校の北側。巨石は、工場から150㍍離れた料亭「金剛荘」にあったものとわかった。

    この日、東住吉区では7人の命が奪われ、73人が重軽傷を負った。犠牲者の中に、龍野さんの姉の親友トシちゃんもいた。
    ……

  • 8面~9面 阪神・淡路大震災30年 「心の中で生き続ける」(矢野宏)

    最大震度7の激しい揺れで、6434人が命を失った阪神・淡路大震災は1月17日、発生から30年を迎えた。被災地各地で追悼のつどいが営まれ、日常が理不尽に奪われた犠牲者への鎮魂の祈りに包まれた。「生きている私たちが忘れない限り、心の中で生き続ける」。深い悲しみを抱えながらも遺族らは前を向く。
     
    神戸市中央区の東遊園地では、市民団体などによる「1・17のつどい」が行われた。「よりそう 1・17」の文字の形に灯ろうが並べられ、集まった人たちがその一つひとつに火をともしていく。地震発生時刻の午前5時46分に参加者が黙とうをささげた。
     
    発生から30年たった今なお3人の行方不明者がいる。兵庫県加古川市に住む佐藤悦子さん(61)の母・正子さん(当時65歳)もその一人だ。
     
    「母がどうやって死に至ったのか、本当に亡くなったのか、まったくわからず、心の時計は止まったままです」
     
    1995年1月17日、正子は神戸市須磨区の文化住宅に一人で暮らしていた。午前5時46分、激しい揺れで文化住宅は全壊。その後の火災で全焼した。焼け跡から別の住人の遺体が発見されたが、正子さんは見つからなかった。自衛隊や警察が焼け跡の捜索を繰り返したが、骨のかけらさえ見つからなかったという。
     
    それでも母はどこかで生きているかも……。佐藤さんらはその可能性を信じて避難所や病院、寺などを探し回った。だが、行方はわからなかった。
     
    毎年1月17日早朝、佐藤さんは東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」を訪ねている。犠牲者の銘板があり、正子さんの名も刻まれている。佐藤さんにとっては、「遺骨が見つからない母の墓の代わりですから」
     
    この日も近況をつづった手紙と花束を手向けた。
    ……

  • 10面~11面 石川・珠洲市で1年遅れの成人式 復興へ決意新たに(粟野仁雄)

    「元気だったんだ」と振り袖の女性たちの声が弾む。「お前、どうしてたんや」と抱き合うスーツ姿の男性らも。
     
    1月11日朝。石川県珠洲市のラポルトホールで行われた「二十歳(はたち)のつどい」。
    朝から快晴だったが、振り袖姿は積雪の足元を気にしながら会場に入る。 
     
    式典では102人全員の名が順に呼ばれ、出席者79人が一人ずつ立って挨拶した。代表の杉瀧美颯(みはや)さんが壇上で「今まで当たり前と思っていたことが当たり前ではないと強く感じました。地域社会や未来をよりよいものにするため力を尽くしていかなければなりません」と、「二十歳の誓い」を述べた。 金沢大で看護学を専攻する杉瀧さんは昨年、能登半島先端にある狼煙の実家には成人式の時に帰郷しようと、元日は金沢市にいた。「実家には祖父母がいました。数日、連絡が取れず心配したけど無事でした。当たり前にあるはずだった成人式もなくなったので今日はうれしい」と話してくれた。
     
    本来は1年前に迎えるはずの成人式だ。翌12日は今年20歳となる若者のため、と小さな市の成人式が2日に分けられた。
     
    谷内口奈緒さんは大学で言語学を学んでおり、母と祖母と3人で訪れた。「これ(赤色の晴れ着)は母のおさがりなんです」と頬を緩ませた。鮮やかな青い袴姿の表田稜太さんは兵庫県伊丹市の駐屯地に勤務する陸上自衛隊員。「高校時代から地震が来てたけど去年、能登半島で支援活動ができました。国民に感謝されるように頑張りたいです」と決意を新たにした。
     
    地区ごとの記念撮影の後は軽食を楽しみ、タイムカプセルを開いたり……。若者たちの笑顔がはじけていた。
     
    前夜から宿泊したのが飯田町の民宿「まつだ荘」。民宿の多くは全壊した。オーナーの松田恭造さんが振り返る。「元日の夕方、台所にいたらぐらりと来た。おととし、震度5強が来たから、またかと思ったら、さらにすごいのが来た。揺れる時間も長く机にしがみついていました」
     
    飯田海岸にも津波が来た。まつだ荘は海まですぐだったが、「少し高さがあって津波の直撃は免れたんですよ」。
    ……

  • 12面~13面 ヤマケンのどないなっとんねん 危険・難題 山積の年(山本健治)

    大阪府知事・大阪市長、関西財界人たちが、今年は万博年で、成功させて大阪・関西・日本経済を元気にしたい、巳年だから蛇が脱皮して大きくなっていくように、自分たちも脱皮、成長したいなどと述べていた。今年は内外ともに大変な年になることが予測されるのに、こんなメッセージを発していることが脱皮できていないことを示している。
     
    アメリカの調査機関が発表した「今年の10大リスク」は①世界をリードする国がなくなっていること②トランプ支配③米中決裂④トランプ経済政策⑤ならず者国家ロシア⑥追い詰められたイラン⑦世界経済への負の転嫁⑧制御不能のAI⑨統治なき領域の拡大⑩アメリカとメキシコの対立をあげている。
     
    これに日本が対応するには①アメリカ追随ではない外交が問われ②トランプ関税引き上げへの対応③米中対立激化への対応④最悪の事態にある中国経済が日本に与える影響を最小限にとどめ⑤ロシア、イランなどエネルギー国とどうつきあうか⑥円安、物価高騰、貧困の深刻化にどう対応していくか⑦いよいよ明確になっている日本経済と産業の空洞化と衰退にどう歯止めをかけるか−−−−など難題山積である。
     
    こんな厳しい状況にあるのに、わずか半年の万博で大阪・関西・日本経済が発展・回復・飛躍するなどとはとても思えないし、10大リスクなどにはとても対応できない。
     
    今年は万博よりも80年前の歴史を思い返し、二度と過ちを繰り返さないことを誓いながら状況に対応すべき年である。
     
    太平洋戦争末期の3月から9月にかけ、20万人もの沖縄県民や日本軍兵士が犠牲になった沖縄戦の一方で米軍が東京・名古屋・大阪のみならず地方都市も空襲し、民間人だけでも60万人が死亡、1000万人が焼け出され、大変な被害と犠牲を負った。
     
    さらには8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、一瞬にして両市は破壊され、あわせて30万を超える市民が命を奪われ、奇跡的に生き残った人たちも放射能に侵され、苦しみ、今もなお被爆者としての苦しみは続いているが、その挙げ句に敗戦した。そして大日本帝国憲法から国民主権、民主主義、平和主義の「日本国憲法」が施行された。
    ……

  • 14面~15面 世界の大富豪とSNS デマで歪められる社会(西谷文和)

    世界一の大富豪イーロン・マスクの、昨年の年収は約8兆8000億円だった。これは時給にすれば28億2000万円。この原稿を書いている間にも彼の資産は膨張を続けている。3年前に発表された、株や銀行預金などの全資産は約28兆円だったが、今年は66兆円に膨れ上がっていた。66兆円と言われてもピンと来ないだろう。日本人の平均年収を約400万円とすれば、普通の日本人が一生懸命働いてマスクの資産に追いつくには何年かかるか?
     
    答えは1600万年。1600年ではない、1600万年だ。つまり恐竜時代が終わり、最古の猿人がアフリカに現れた頃から働き始めて、ようやく追いつくのだ。読者のみなさんも薄々感じている通り、この社会は「お金持ちがどんどん金持ちになり、貧しき人々はどんどん貧しくなる」超格差社会に入っている。
     
    昨年1月、貧困撲滅に取り組むNGOオックスファムが「過去3年で世界人口の約半分以上(50億人)が貧しくなり、最も裕福な5人が富を倍増させた」と発表。最も裕福な5人とは、イーロン・マスク、アマゾン代表のジェフ・ベゾス、オラクル創業者のラリー・エルソン、高級ブランドLVMHのベルナール・アルノー、そして投資家のウォーレン・バフェット。報告は、コロナ後この5人の総資産は127兆円に膨れ上がり、今後10年以内にトリリオネア(兆万長者)が生まれるだろう、と結んでいる。ビリオネア(億万長者)に続いて新語が加えられるのだ。
     
    例えばイーロン・マスクの全資産に1%の「金持ち税」をかけると、エチオピアの医療費は全て賄える。全世界で1%を占めるスーパーリッチに0・5%の「金持ち税」をかけるだけで、2億6000万人の子どもたちが学校に行けるようになり、300万人を飢えから救える。ここまで広がった格差は、すでに「犯罪レベル」に到達している、と言っても過言ではない。
     
    ではこれらの大富豪はどのように稼いでいるのか? 端的に言えば、株式とその配当、CEOとしての莫大な報酬、である。ではこの数年で急騰した株価は? 例えばロッキードマーチン、ボーイングなどが急騰した。ウクライナ戦争では大量のミサイルが消費され、ガザ戦争ではたくさんの戦車が地上戦に突入していった。中国が攻めてくるぞ、北朝鮮がミサイルを発射したぞ、と危機をあおれば、日米韓軍事演習で戦闘機が飛び、迎撃ミサイルシステムが作動する。つまり「世界が平和で安定すればあまり儲からない」が、「世界のどこかで紛争が起きれば、あるいは危機が高まれば、武器産業の株価が急騰して儲かる」状態になる。
    ……

  • 16面~17面 フクシマ後の原子力 歴史の教訓生かす節目に(高橋宏)

    2025年は様々な出来事の「節目の年」となる。広島・長崎への原爆投下から80年、阪神・淡路大震災から30年。1月17日に向けて、新聞やテレビなどのマスメディアが、例年をはるかに上回る形で震災の特集を組んだ。節目の年は、過去の出来事について多くの情報に接する機会に恵まれる。その際、ただ過去を思い起こすだけでなく、改めて検証し、これまでの経緯を見直した上で、現在起こっている問題に向き合うことが大切ではないだろうか。
     
    今年はまた昭和100年にもあたる。大正デモクラシーによって芽生えかけた民主主義社会を否定することから、昭和は始まった。この100年間に、私たちは愚かな戦争に突き進んだ挙句、300万人を超える犠牲を払うことで、再び民主主義を手に入れた。 一方で、原爆に始まり、公害や原発事故など、人間の傲慢や愚かしさが招いた結果に数多く直面してきた。人の力ではどうにもならない巨大自然災害も、何度も経験してきた。そして、その度に多くの犠牲者を生み出してきたのだ。
     
    この100年間で、私たちが学ぶべき教訓は出尽くしたと言っても良いだろう。節目の年に問われるのは、多くの教訓を生かして新しい未来に向かって一歩を踏み出すのか、それとも再び「昭和」を繰り返すのか、という選択である。 私たちが心しておかねばならないのは、この国の為政者たちはまちがいなく後者を選択し、福島第一原発事故の教訓を忘れ、広島・長崎への原爆投下の教訓すら忘れ、戦前まで回帰しようとしていることだ。
     
    昨年12月17日、経済産業省は新たなエネルギー基本計画(第7次)の原案を公表した。そこでは、福島第一原発事故以降、第4次から第6次計画まで記されてきた「可能な限り原発依存度を低減する」という文言が削除され、「最大限活用する」に置き換えられた。さらに、原発の建て替え方針が初めて明記され、廃炉した分については既存原発の敷地内への新設を認めているのだ。
     
    「原発の最大限活用」は、岸田文雄政権下の23年に決定したGX(グリーントランスフォーメーション)基本方針に明記されていた。廃炉にした敷地内での建て替え計画についても、具体化を進めるとしている。
     
    基本方針公表後、関連法を成立させて原発の60年超運転も可能にしてしまった。「原発依存度の低減」をうたっていた当時のエネルギー基本計画(第6次)を骨抜きにする対応を、岸田政権が行った事実を忘れてはならない。
    ……

  • 18面 「火曜日行動」600回 朝鮮学校生の権利守る(矢野宏) ※全文紹介

    毎週火曜日の昼、大阪府庁前で朝鮮学校への補助金復活などを訴え続けてきた「火曜日行動」が1月14日に600回を迎えた。大阪市中央区の大阪城公園・教育塔前に朝鮮学校の教職員や生徒、保護者、日本の支援者ら約350人が集まり、すべての子どもたちが等しく学べる日が来るまで闘い続ける決意を表明した。 
     
    「火曜日行動は早く終わらせないといけないのに、600回を迎えてしまいました」
     
    集会は「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」事務局長の長崎由美子さんの司会でスタートした。
     
    東大阪朝鮮初級学校(東大阪市)のオモニ会長を務める金明姫(キム・ミョンヒ)さんが「ウリハッキョ(私たちの学校)は、子どもたちにとってアイデンティティー=自分は自分であることを学ぶ大切な教育の場です。何もしなければどんどん子どもたちの権利が奪われていくこの大阪で、私たちの子どもがウリハッキョで幸せな未来を描いて生きていくために声を上げていきたいと思います」と訴えた。
     
    高校無償化が始まったのは2010年度、民主党政権下だった。その後に発足した第2次安倍政権が拉致問題などを理由に、朝鮮学校を無償化の対象から除外した。
     
    それに先立ち、大阪府と市は学校法人「大阪朝鮮学園」への補助金、年間8080万円を打ち切った。
     
    発端は10年3月、当時の橋下徹知事が補助金交付の条件として「朝鮮総連と一線を画すこと。北朝鮮指導者の肖像画を撤去すること」などを求めた。学園側は応じて補助金を得たが、12年3月、府は生徒の訪朝を問題視して補助金交付を取りやめた。
     
    「火曜日行動」は、その翌月から始まった。毎週火曜日の正午から1時間、朝鮮学校に子どもを通わせる保護者や教職員、日本の支援者らが府庁前に立ち、朝鮮学校への補助金支給の再開、高校無償化適用などを求めてアピールしてきた。
     
    「朝鮮学校を無償化の対象から除外したのは違憲だ」として国に取り消しを求めた裁判が各地で起きたが、唯一勝利したのが17年7月の大阪地裁判決。弁護団長だった丹羽雅雄弁護士は、600回となった火曜日行動に参加し、「大阪地裁判決は、朝鮮学校を除外した理由に拉致問題を挙げたことに対し、『教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的な意見だ』と判断した。私たちは決してあきらめてはいけない」と力を込めた。
     
    初回から参加している「無償化求める・大阪」の大村和子さんは「子どもたちを裏切り、心を傷つけ、民族差別と排外主義を平然と行う日本の為政者たち、それを許している日本社会の一員の責任として、社会を変え、成熟した共生社会を築かねばなりません」と呼びかけた。
     
    集会後、参加者たちは「朝鮮学校の子どもたちを差別するな」「高校無償化を適用せよ」とシュプレヒコールを上げながら、府庁周辺をデモ行進した。

  • 19面 中学校教科書採択 育鵬社退潮は顕著(栗原佳子)

    昨年は4年ごとに行われる中学校の教科書採択の年だった。社会科では育鵬社、自由社の歴史・公民に加え、皇国史観を打ち出した令和書籍の歴史が初めて検定に合格、保守的な教科書が3社に増え注目された。市民団体「子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会」は1月13日、大阪市内で報告集会を開き、教科書問題に取り組む各地の市民らと昨年の採択を振り返った。

    冒頭、大阪の会の伊賀正浩さんが全国の状況を報告した。
     
    育鵬社の採択率は前回(20年)、歴史が1・1%、公民は0・4%。今回は、歴史が0・5%、公民は0・3%に。
     
    歴史では、前回採択した金沢市、下関市が不採択。公民では沖縄県八重山地区(石垣市・与那国町)、大阪で唯一、公民を採択していた泉佐野市も不採択に転じた。「運動の力で育鵬社はさらに減少した。消滅の道を突き進んでいることは確か」と伊賀さん。
     
    一方、茨城県常陸太田市は歴史・公民で自由社を採択した。公立では15年ぶり。同市は「故郷を愛し、慈しむ『郷育(きょういく)』」を掲げ、5市町村の共同採択から単独採択に切り替え臨んだという。
     
    令和書籍は私学で1校が採択。別の私立中は「参考書」として指定した。公立での採択はなかったが、大阪の会の相可文代さんは「令和書籍社長の竹田恒泰氏は支持者に『国史』をまとめて購入して中学校に寄付させ、副読本として使用するよう構想している」と警鐘を鳴らした。
     
    大阪の各地や全国からの報告もあった。粘り強く育鵬社……

  • 20面 映画「いもうとの時間」 冤罪の理不尽と苦悩(栗原佳子) ※全文紹介

    64年前、三重県と奈良県にまたがる集落の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」。犯人とされた奥西勝さんは89歳で獄中死、実妹の岡美代子さん(95)が再審請求を引き継いでいる。「いもうとの時間」は東海テレビのドキュメンタリー番組の劇場版。長年、事件を取材してきた鎌田麗香監督が、美代子さんの余生に寄り添い、裁判の非道と冤罪の理不尽を描き出した。

    「名張毒ぶどう酒事件」は1961年3月28日に起きた。6日後、逮捕されたのは当時35歳の奥西勝さん。客観的証拠はなく自白のみ。津地裁は死刑の求刑に対し無罪判決を言い渡し、奥西さんは釈放された。
     
    しかし69年9月、名古屋高裁は一転、「自白は信用できる」として死刑判決を言い渡す。72年6月、最高裁は二審判決を支持、死刑が確定した。
     
    獄中から無実を訴え続けた奥西さんは2015年10月、病死。再審請求を引き継いだ美代子さんは弁護団を結成し、新証拠を出し続けるが、再審の扉は開かない。10度目の再審請求も棄却された。
     
    再審請求は配偶者、直系の親族、きょうだいしかできない。名張事件の場合、再審請求人は美代子さんが最後の一人。もしいなくなれば、事件は闇の彼方に消えてしまう。
     
    東海テレビは46年前から事件を取材、番組だけでなく劇場版としても題材としてきた。鎌田監督にとっては「ふたりの死刑囚」(16年)「眠る村」(19年)に続く3作目。美代子さんの残された時間を通して事件の全体像を描き、冤罪の理不尽さ、それによる当人や周囲の人々の長きにわたる苦悩をあぶりだした。
     
    関西では2月8日から大阪・第七藝術劇場、14日から京都シネマ、15日から元町映画館。詳しくは公式サイトで。

    1942年2月3日に発生し、朝鮮人労働者ら183人が犠牲となった山口県宇部市の長生炭鉱水没事故。昨年9月、独自に坑口を開け、遺骨発掘に向けて潜水調査に乗り出した地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が、2回目のクラウドファンディングを始めた(2月15日まで)。
     
    新たな課題として、潜水調査を続けるための坑道入り口の補強工事に400万円、遺骨のDNA鑑定・返還事業に200万円の計600万円が必要という。
     
    「ForGood」のクラウドファンディングページ、または「刻む会」の郵便振替口座(口座番号01590・7・32405。長生炭鉱の「水非常」を歴史に刻む会)から。郵便振替の場合、備考欄に「坑口カンパ」と明記。

  • 21面 経済ニュースの裏側「円安定着」 所得・法人税の優遇廃止を(羽世田鉱四郎) ※全文紹介

    2025年も円安が定着しそうです。1月6日の為替相場で対ドル156・21円。輸入製品に引っ張られて諸物価が高騰、特に食品が目立ちます。帝国データーバンクによれば、年始から4月にかけ、前年比6割増の6121品目で値上げが見込まれ、平均18%。現在の為替相場は、ファンダメンタルズ(国の経済状態)と金利差が変動要因とのことです。
     
    アベノミクス 当コラムを始めた頃は、安倍政権のアベノミクスでマイナス金利を導入した時期です。長期金利を低く抑え込むというYCC(イールドカーブ・コントロール)という。あきれた政策を展開しました。長期金利は、経済の実態に即し、市場に任せるのが本来の姿です。国債(国の借金)の過半を中央銀行(日銀)が引き受けるという、典型的な財政ファイナンスを繰り広げ、今日の日銀の惨状につながりました。
     
    さらに、リスク資産の株式まで大量に購入し、株高を演出してアベノミクスのお化粧まで施したのです。中央銀行の役割は物価対策ではなく、節度ある金融政策を展開し、インフレを抑制することにあります。アベノミクス以前は、長期国債の保有は極めて少なく、株式は保有していません。日銀の異常さは、世界の中央銀行の中で突出しています。
     
    金利を上げられない日銀 日銀の財務諸表をみると、1998年度末79兆円(対名目GNP比15%)の資産が、2022年度末には735兆円(GNP対比131兆円)と9倍に膨張。長期国債は29兆円→576兆円、ETF(株式の集合体)も38兆円保有。金利の誘導目標は0・25%ですが、昨年9月末には国債評価損▲13・6兆円を計上し、前年の▲10・5兆円を上回りました。保有期間は6・4年です。参考までに、昨年12月20日時点での保有は570兆円。2年債24兆円、5年債97兆円、10年債261兆円、20年債125兆円、30年債47兆円、40年債9・9兆円、その他6兆円。 対応策 償還期限を待つ「満期待ち」もありますが、時間がかかりすぎます。民間から国債を買い取る「売りオペ」は、長期国債市場が混乱しますが、含み益のあるETFを吐き出しながら、保有を減らすべきでしょう。「原価だから大丈夫」という呑気な意見もありますが、市場は時価で評価します。日銀の債務超過の懸念は、日本が世界一の純資産を保有し、政治経済の安定などが幸いしているかと。
     
    世界にあふれるマネー 2016年時点で87・9兆㌦(1京円)と推定され、10年で7割増となり、GDP(国内生産)を16%上回っています。20年には120兆㌦が見込まれ、GDPは9兆㌦。行き場のないマネーは、株や債券、金など希少資源、不動産に向い、欧米や中国経済などの混乱を招いています。
     
    税制の是正と労働分配率の向上 日銀は先ごろ発表した「多角的レビュー」で、苦しい弁明に終始しています。根本の解決策は、税制の歪みを是正して増収を図ること、非正規雇用などで低減し続けた労働分配率の向上に尽きるかと。軽減し続けた法人税、所得税などの優遇措置を廃止し、元に戻しましょう。法人税収は4年連続で過去最高で、23年度は72兆円、今年度はさらに上回る見込みです。

  • 22面 会えてよかった 比嘉博さん②(上田康平) ※全文紹介

     普天間小・中・高に通い、普天間
     米軍基地を身近に見ながら育つ
     
    生まれ育ったのは復帰前の米軍統治下ですね−−−−
     
    普天間は当時、米軍人が闊歩していたんです。神宮近くの通りには米軍人が行くAサインバーがあり、軍人同士の争いもあった。
     
    今は行われていないが普天間飛行場ではパラシュート訓練も。比嘉さんは「とんでもない飛行場と思っていた」。1965年、読谷補助飛行場にパラシュートで投下されたトレ
    ーラーが民家に落下。10歳の少女が亡くなるという事件が起こっている。
     
    平穏でない時代で、ベトナム戦争の頃、68年11月19日未明、嘉手納基地を離陸しようとした戦略爆撃機B52が墜落して、爆発。高校2年生だった比嘉さんたちは校内で集会を開き、米軍司令部のあるキャンプ瑞慶覧(ずけらん)まで、先生方とデモをした。米軍による事件・事故もあり、政治的に不安定だった。
     
    平和への思いが強くなったのは、その時代を過ごしてきたからですか−−−−
     
    普天間に育って政治 意識が高まった。
     
    75年、県庁に採用になり、公害対策課の仕事に就いた「沖縄『平和の礎』
    はいかにして創られたか」(11頁)によると比嘉さんは専攻が化学とのこと、それで公害対策の仕事に、とたずねるとやはりそうだった−−−−
     
    本土と同じで当時は大気汚染がひ どかった。工場に集塵機能が無かったのである。煙突に登って煤煙測定もしたとのこと。悪臭、汚水による河川汚染もあった。
     
    86年、東大から沖縄大学に来られた宇井純さん。公害問題を被害者の立場に立って研究し、活動をされた方で、沖縄でも活動を展開。下水道は大規模な公共工事であったが、宇井さんは地域ごと、コミュニティごとの排水処理を提案されていた。住民が下水を自分ごととして考えるためにということで、自分たち職員も共感していたと比嘉さん。県庁によく陳情・提言に来られていた。
     
    公害規制がおよばない基地の中県内事業者の公害はその後、法整備などで改善されてきたけれど、しかし米軍基地のフェンスの中は規制がおよばない、指導ができない。
     
    地位協定でやりたい放題。規制できない。航空燃料が垂れ流され、過去に嘉手納で燃える井戸事件が起こった。最近では米軍基地の泡消火剤に由来するPFASの問題が明らかになっている。米軍機による爆音もひどかったが、裁判に嘉手納の住民が訴えたのは1982年、普天間は2002年である。
     
    大田昌秀知事のもとで仕事を比嘉さんは基地容認の保守県政が長く続く中、悶々とした時期を経て、その後、企画調整室にいたとき大田知事のもとで仕事をすることになった。

  • 23面 日本映画興亡史「千本組異聞」 逃げ切った黒幕・永田(三谷俊之) ※全文紹介

    林長二郎(長谷川一夫)の顔を切った実行犯、金成漢は捕まり、続いて教唆犯として京都の太秦警察署に検挙されたのが「千本組」笹井三左衛門の次男・笹井栄次郎と増田三郎だった。元来、千本組は他の博徒一家と異なり、季節労働者や日雇い労務者を束ね、消防や相撲興行、祭りの仕切りはもちろん、山陰線開通によって貨物輸送の中心となった二条駅の荷役、運送、人夫請負、北山杉の材木集荷、市電敷設や道路拡張の土木業など幅広い営みで、「かたぎやくざ」と呼ばれていた。
     
    栄次郎は長兄の静一や弟の末三郎と違って、正妻の子ではなかった。生い立ちもあってか、千本組の本業にはあまり関わらず、性向もいわばはぐれ者であった。鈴木晰也の著『ラッパと呼ばれた男』によれば、「笹井栄次郎は笹井の三兄弟のなかで最もアクの強い、ヤクザらしい性格」だったという。その栄次郎と親子の盃を交わしたのが増田三郎である。
     
    この3人の黒幕として警察が取り調べたのが新興キネマ京都撮影所長永田雅一だった。元は千本組組員であり、日活撮影所にも勤めていたから、栄次郎とはかねてから懇意だった。永田は教唆犯容疑者として連日追及された。しかし、頑として否認を続けた。3人は起訴されたが、永田だけは解放され、真相は闇の中に没した。この事件のいきさつを柏木隆法著『千本組始末記』はこう記している。
     
    「ある日、永田は白井・松竹副社長・京都撮影所長に呼ばれて祇園の愛人宅へ。用件は長二郎の引き留め工作だった。事件の捜査で、警察も時間をかけた追及をしたようだが、永田は頑として否定し続け、業を煮やした警察が『何か』の証拠を探してきて永田に突きつけ白状させたといわれるが、その証拠については裁判でもあきらか」にはならなかった。
     
    顔を切ったとされる剃刀も発見されず、物的証拠は何もないまま、裁判はわずか3回だけ。栄次郎が懲役1年、増田と金は2年で、永田は無罪判決となった。挙国一致が叫ばれだした時代にしても考えられない裁判だ。巷では白井が永田に1000円で依頼、栄次郎にやらせたといわれた。白井は現金を渡したことは認めたが、長二郎を引き戻すための軍資金だと主張した。永田は政財界や官界につながりが強く、無罪となったのもそれらの工作が功を奏したとも噂された。
     
    太平洋戦争開戦が迫ってきた昭和16年夏、情報局(前年に内閣情報局が拡大変更)は10社ある映画会社を2社に統合するとした。松竹と東宝に統括する構想だった。この業界側の対策委員長は永田。彼の政治性が発揮される。情報局に対して「純然たる民間映画会社である松竹と東宝と同時に、もう一つ情報局の影響が強い半官半民会社を持つべきだ」と強く進言。3社目として日活の制作部門と新興キネマ、大都映画が統合されて「大日本映画株式会社」が設立。日活太秦撮影所は「大映京都撮影所」に変更された。 

  • 24面 坂崎優子がつぶやく 兵庫県知事選とネット② ※全文紹介

    兵庫県知事選を振り返る2回目です。選挙後に様々な調査、分析が行われていますが、私が興味を持ったのは、鹿児島大学の大薗博記准教授のグループが行った調査です。
     
    それによると、兵庫県民は論理的思考力が高いほど「大手メディアが意図的に印象操作をした」「斎藤氏は被害者だ」と考える傾向が、弱いながらもみられたといいます。ちなみに全国では斎藤氏への評価と論理的思考の関連はあまり出なかったそうです(調査結果は投稿サイト「note」で公開)。
     
    私も周りの反応から同じ感覚を持っていたので、分析結果に納得するところがありました。普段から論理的に物事を判断する人が、「メディアがきちんと情報を出さないから悪い」と力説していた上に「もうテレビや新聞は見ないことにした」とも話していたからです。
     
    ただ私は、この論理的思考力に「ネット情報に触れてきた時間が短い人」という条件も付け加えたいと感じています。今は年配者もユーチューブをよく見ています。動画配信を熟知している人物の「真実」とする話は人をひきつけます。ネット情報に触れる機会が少なかった人にとっては新たな情報源を得た気になります。
     
    今回の選挙では盛んに斉藤氏の問題を報じてきたメディアが、選挙に入って触れなくなった途端、ネットからセンセーショナルな情報が出ました。注目や関心を一気に集める条件が整っていたといえます。陰謀論に乗りやすいタイプでなくても、新たな情報に迷いが出てくるのも無理からぬことです。
     
    本来なら裏付けのある情報を伝え、誤りは正すのがメディアの役割のはずです。ところが知事選では、「選挙における公平」が報道しない言い訳となり、結果、有権者に必要な情報を伝えられずにメディア不信を加速させました。選挙報道のあり方を見直さない限り、メディアの信頼は回復しないでしょう。ちなみに前述の知人は「メディアはこちらの知りたいことに応えていない」と話していました。
     
    選挙に大きな影響を与え始めた偽情報とどう向き合うべきなのか。日本でもファクトチェック団体が選挙時に情報の検証を行っていますが、ファクトチェックには時間がかかる上、人員不足もあり対応しきれていません。また「誤り」と判定されたことが、伝わらないことも大きな課題です。既に誤りだとされている情報を拡散し続けている人に、SNSで「それはデマです」表示を繰り返すと、逆に反発が強くなったとの海外の調査結果もあります。
     
    デマに効果的な対策はないのが現実です。ただ今回の選挙を見て、年配の方には「混乱した時は一度ネットから離れ、あなたの持っている常識を信用してみては」と話すようにしています。斉藤知事の問題の始まりは一幹部職員の告発です。両者の力関係。告発することで負うリスク。この職員に得るものがあったかなど。出来事をシンプルに振り返ることも、情報過多の今は大事です。大人のネット教育がますます重要になってきました。
    (消費生活アドバイザー・フリーアナウンサー) 

  • 25面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)

    引き継いだ命
    どう生きるか

    愛知県 西田敦
     
    岐阜県の山間部で偶然目にした満州開拓慰霊塔。その隣に小さな石碑が寄り添うようにありました。「幼児童の碑」と書かれ、裏面には2~11歳の子ども8人の名前と「集団自決児童供養者」と刻まれています。幼い子らが自ら命を絶つのか、と不可解な気持ちで手を合わせました。
     
    新聞うずみ火1月号の「大兵庫開拓団」のトップ記事を、息もつかずに読みました。体験者のご子息が語り部のバトンを引き継いでいることに感銘。生産性の低い地域をターゲットに、移民のあっせんが繰り返された冷酷な施策。「自決」とありますが、小さな命にとどめを刺す残虐極まりない行為。「死んではいけない」と強く止めたのが現地住民だったこと。この言葉がなかったら、私たちが史実を知る機会は失われていたことでしょう。幼児童の碑の子どもたちも、同様の最期だったのだと想像します。
     
    学校教育では「満州」を一度も教わりませんでした。しかし「満州」という言葉に、身体が過剰に反応します。なぜなら亡き母も満州体験者で、時折その言葉を口にしていたためです。子どもの頃、藤原ていの「流れる星は生きている」を読み、初めて満州の意味を知りました。母の家族は戦争の積極的な加担者だったに違いない。そう思いながら少年期を過ごしました。もし、正しい歴史認識で戦争の成り立ちを教わる機会があれば、後ろめたい気持ちを持つ必要もなかったと思います。
     
    人生に選択肢はなく、生死が運に任されていた時代から80年。母が日本に戻ることがなかったら、私は存在していないという思いが、常に頭をよぎります。人それぞれの戦争体験を自分のこととして捉え、想像力を育むことが大切だと考えます。
     
    戦争と平和のはざまの時代をどう生き抜くか。いつも前向きな新聞うずみ火に感謝です。
     
    (国策として旧満州への入植を進めながら敗戦とともに知らぬ顔。27万人のうち8万人が亡くなったと言うのに謝罪も補償もなし。戦争だから仕方なかったとの言い訳を許してはいけませんよね)
    ……

  • 26面 車イスから思う事 運転は初心に返れ(佐藤京子) ※全文紹介

    最近、交通事故のニュースをよく目にするようになった。特に高齢者による事故。連日のように報じられている。
     
    2024年の交通事故による死者数は2663人で、前年より15人少ない。全体の死者数が減少した一方で、65歳以上の高齢者の死者数は1513人と前年比で47人増えている(警察庁調べ)。自動車や自転車に乗っている時の死亡事故が増えているそうだ。
     
    確かに、運転していると、ハンドルを握っている高齢者らしき人を多く見かける。駐車場の数が少ないとか料金が高いとか、面倒くさくなることはあるが、自分の意思で自由に買い物もでき、運ぶのも楽である。ただ、病院の駐車場で精算している時、ちょっとした事故を目撃することがある。ブレーキペダルを踏んだだけで精算していれば注意散漫になり、事故につながるのだろう。
     
    それにしても、高齢者による事故で「アクセルとブレーキを踏み間違えた」とのケースが多いのには驚かされる。とっさにアクセルを踏み込んでしまうのは、ちょっと考えられない。第一、アクセルとブレーキの位置はまったく異なるのだ。それになぜ、アクセルを思いきり踏んでしまうのだろうか。思いきり踏めば、走っても止まってもいいことではない。
     
    かくいう自分も「自爆」(単独での事故)したばかり。結構な修理代を請求され、自分が悪いと考えるしかない。ただ、アクセルを踏み込んで事故になると当事者と被害者に分かれる。被害者の気持ちを考えると他人事にしてはいけない。運転をすることは自分の責任を持った気持ちと行いが必要である。
     
    自分は車の免許を返納する時期を大まかに決めている。70歳までは乗っていたいと思うが、父親は80歳で返納した。日々歩くより運転することが多かったが、車を運転して人を巻き込んだら一大事どころではないと、家族で話し合いようやく免許を返納させた経緯がある。
     
    運転する時には初心に返り、いつ、どんなときも焦って踏み間違えを起こさないように、急な行動を起こさないように意識を向けてから、エンジンをかけてほしいもの。と自身に言い聞かせている。
    (アテネパラリンピック銀メダリスト 佐藤京子)

  • 28面 絵本の扉「てん」(遠田博美) ※全文紹介

    表紙には赤い大きな点。これを描いたのは「ワシテ」という名の女の子。8~10歳でしょうか。聞きなれない名前は、旧約聖書に登場する王の命令に背き、追放された王妃から由来した名前です。
     
    ワシテはお絵描きの時間が終わったのに、椅子に貼りついています。紙は真っ白です。そう、何も描いていません。表情も不機嫌そう。先生がその紙をのぞき込んで言います。
     
    「あら! 吹雪の中の北極グマね」。なかなかウィットに富んだ一言だと思いませんか? しかし、ワシテは「やめてよ」「かけないだけ」とすげない返事。そんなワシテに先生はにっこりして、「なにか印を付けてみて。そしてどうなるかみてみるの」と続けます。
     
    彼女はマーカーをつかむと、紙に力いっぱい押し付けました。先生は思わず「ふむむむむ」とその紙をじっくり眺めます。そこには、ワシテの押し付けた小さな「点」があったのです。
     
    先生は静かに紙をワシテの前に置いてこう言いました。「さあサインして」。ワシテはちょっと考え、「いいわ、絵は描けなくても名前くらいサインできるもん」とサインをしました。
     
    次の週、図工の教室に入ってワシテはびっくり。彼女の描いた点が金の額縁に入って飾ってあるではありませんか。それを見て彼女は、なんと!「もっと良い点だって描ける」と言い出します。
     
    ワシテは絵具箱を開けて、次々と様々な点を描きまくります。小さな点ではなく大きな点もいろんな色で描きなぐります。点を描かないで点を作ることだってやってのけます。どうしたか? 想像してみてください。彼女の作品が何週間後には学校の展覧会に発表され、大評判になります。怒涛のような創作中のワシテの表情は、白紙を眼の前にしていた時と全く違います。
     
    その時、ワシテは彼女を見上げるちっちゃな男の子に気付きます。男の子は「おねえちゃんすごいね。ぼくにも描けるといいんだけど」と言います。「描けるわよ」とワシテ。彼は真っすぐな線が描けないと自信なさげです。そんな彼にワシテは紙を渡します。さて、震える手で線を描いた彼の作品を見て、彼女は何と言ったでしょう?
     
    作者のピーター・レイノルズは、イラストレーターとしても有名です。訳は谷川俊太郎さん。その生き生きした訳は読み手の心にしっかりと「てん」を描いてくれます。
     (元小学校教諭 遠田博美)  

  • 29面 編集後記(矢野宏) ※全文紹介

    阪神・淡路大震災の発生から30年を迎えた翌1月18日、目を疑う事件がネットニュースに流れた。兵庫県の斎藤元彦知事らが内部告発された問題を調査してきた県議会百条委のメンバーだった竹内英明・前県議の自殺である。「竹内氏は斎藤知事を陥れた黒幕の一人」とSNS(ネット交流サービス)で発信され、ネット上で誹謗中傷を受けていた。その張本人の「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏は動画投稿サイト「ユーチューブ」で「逮捕されるのが怖くて自ら命を絶った」などとデマ情報を発信。Ⅹ(旧ツイッター)でも同様の投稿をした▼さすがに、これは放置できないと判断したのか、20日には兵庫県警のトップが「全くの事実無根だ」と述べ、拡散されている情報を明確に否定した。これを受け、立花氏は「県警本部長が否定したので、私が言ったことは事実ではなかった」と投稿を削除したが、「動画投稿はやったもん勝ち」の世界。立花氏のデマ動画は再生回数を稼ぎ、収益を得ている▼米大統領に返り咲いたトランプ氏のXのフォロワー数は1億を超え、韓国では突然の戒厳令宣布で弾劾訴追案が可決された大統領が、ユーチューブの情報に影響を受けていた可能性が伝えられている。今、インターネットの世界では次々に過激な主張が登場しては拡散され、安易に信じてしまう人の心の動きが注目されている。自分は正しく、相手は間違っているのだから攻撃して当然と思う人が増えている。社会全体が貧しくなり、車にたとえれば、ハンドルの遊びのない世の中になってしまったようだ▼それでも現場を訪ね、愚直に訴えていくしかない。今年、新聞うずみ火は創刊20年。小さな小さな新聞ですが、今年もよろしくお願いします。(矢)

  • 30面 年賀状から一言(文責 矢野宏) ※全文紹介

    年賀状をありがとうございます。添えていただいた一言をご紹介させていただきます。

       大阪市 木村收
     今年は先行不透明な万博の年ですが、もしも先の「都構想」が否決されていなかったらと考えると、ぞっとします。今頃はちょうど大阪市がなくなっていたのですから。

       京都市 木下圏一
     裏金問題、金権腐敗の温床、企業・団体献金禁止こそ今年もするどく。

       大阪市 菊野健一
     今年で障害者施設「自律学舎しっぷ」は開所25年目を迎えます。「蝸牛の歩み」との言葉を忘れず、毎日コツコツとみんなと協力し前を向いて頑張り、充実した1年にしたいと思います。

      大阪市 山本健治
     昨年2月、とんでもない腹痛で、検査を受けたところ大腸がんということで、5月に手術、退院後に抗がん剤治療。うっとうしいものでしたが、81歳の誕生日(12月12日)の2日後ようやく終わりました。この間、退院3日後から30年続けている新大阪駅東口前の掃除をリハビリにつなげて続けています。何とか元に戻ってきましたが、副作用がうっとうしいです。内外ともに今年はとんでもない年になりそうですが、以前通り、叫び行動します。

       大阪府 友野幸子
     いつも新聞を読ませてもらって元気をもらっています。今年86歳、昭人も52歳になります。まだまだ頑張らねば。

      和歌山県 鳥居和民
     生まれ故郷に大阪から移り住んで早や6年目を迎えていますが、昨年1月に難病「進行性核上性麻痺」と診断されました。日常生活には変化はないのですが、月に2、3回は後ろに転びます。

      大阪市 交田節子
     今年は穏やかな年で、能登をはじめ、復興が進む年になりますように。これからも弱い立場の人たちに代わって声を上げ続けてくださいね。

       京都市 上原安治(京や酒店)
     今の政治を見ていると、与党も野党も想像力の乏しい幼稚なやりとりにウンザリ。情けない、悲しい。もっとしっかり視野広く思慮深く願いたいものです。

       大阪市 浜野絹子
     昨年は暑さにぶっ飛ばされ、物価高に脅え、お米も心配しなくてはと次々生活課題に追い立てられました。何よりも当方にとっては世間のデジタル化の急変に戸惑うばかりです。身体も年齢もomukaeと競争とあってはますます忙しい感じです。元気な年になりますように。

         堺市 今井憲子
     今年の年賀状に「おめでとうなどと寿ぐ文字」を使いたくないです。世界のあちこちで火の手が上がっているのに、国連の力のなさにがっかりです。

      埼玉県 野沢栄一
     帝国陸軍に甲種合格、入隊した父は1年後、実家に「新兵が入って多少楽になった」旨の葉書を送った。中支戦線に投入されたのちソ連に抑留。現ウズベキスタンの首都タシケントで炭鉱掘り。ダモイ(帰還)、結婚、私が生まれた。苛烈体験封印のまま死去。大敗戦から80年。昭和も遠くになったのか。

       熊本県 遠山和親
     長い猛暑を何とかやり過ごした昨年11月、意を決して白内障の手術をしました。術後の眼に新鮮な光がさした瞬間、「これでこの俺もまだ生きられる」「もっと長生きしよう」と心の底から叫んだ(ように思います)

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    12月12日(木)
     矢野、栗原 朝、JR大阪駅から特急こうのとりで福知山、レンタカーで兵庫県豊岡市へ向かう。80年前、満蒙開拓団として旧高橋村から入植した山下幸雄さんに逃避行、集団自決などの体験談を聞き、長男の文生さんに「慰霊碑」に案内してもらう。夜、帰阪。
    12月13日(金)
     矢野 夜、ノンフィクション作家の松本創さん編集による「大阪・関西万博『失敗』の本質」刊行記念のトークイベントを取材。桃山学院大教授の吉弘憲介さんが「主催者側が打ち出した経済効果3兆円は実態とかけ離れている」とバッサリ。
    12月14日(土)
     午後、大阪市淀川区で2024年最後の「うずみ火講座」。兵庫県の斎藤元彦知事が失職に追い込まれる理由となった告発文書問題を追及している県議会百条委員会委員の丸尾牧県議を講師に招き、知事選で何が起きたのか語ってもらう。「知事を陥れた黒幕とのデマ動画が流され、選挙後も誹謗中傷が続いています」。夜、韓国料理店「セント」で丸尾さんを囲んで忘年会。
    ……

  • 32面 うずみ火講座「大阪万博『失敗』の本質」 ※全文紹介

    大阪・関西万博は開幕まで3カ月を切りました。パビリオンの建設やチケットの販売など、課題が山積しています。新年のスタートを飾る「うずみ火講座」は2月8日(土)、「大阪・関西万博『失敗』の本質」(ちくま新書)の編者でノンフィクション作家の松本創(はじむ)さんを講師に迎え、大阪市北区のPLP会館で開講します。
     
    元大阪日日新聞記者の木下功さんら4人の共著で出版した「大阪・関西万博『失敗』の本質」は、政治・建築・メディア・経済・都市の五つのテーマごとに大阪万博が抱える問題点を洗い出し、検証しています。

    【日時】2月8日(土)午後2時半~4時半 ※懇親会あり
    【会場】大阪市北区のPLP会館4階(JR環状線「天満駅」から南へ徒歩4分、地下鉄「扇町駅」から徒歩3分)
    【資料代】1200円(読者1000円)、オンライン視聴600円
     
    希望者にはいつでも視聴できるURLをお伝えします。

  • 32面 JCJ関西支部主催講演会 ※全文紹介

    日本ジャーナリスト会議(JCJ)関西支部が世界的建築家の山本理顕さんを講師に迎えた講演会「大阪・関西万博と人間の尊厳」は3月29日(土)、大阪市中央区のエル・おおさかで開催。新聞うずみ火が協賛します。
     
    山本さんは1945年生まれ。2001年に日本芸術院賞、24年にはプリツカー賞を受賞しました。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに4月13日から開かれる大阪・関西万博に対し、「命をテーマとしながら人間の尊厳を見失っている」と指摘しています。

    【日時】3月29日(土)午後1時半開場
    【会場】エル・おおさか本館6階大会議室(京阪・地下鉄谷町線「天満橋駅」から徒歩6分)
    【資料代】1000円

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