新聞うずみ火 最新号

2021年3月号

  • 1面~2面 本紙に むのたけじ大賞(矢野宏)

    101歳で亡くなるまで反戦を訴え続けた不屈のジャーナリスト、むのたけじさんの精神を受け継ぐため創設された「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」の第3回大賞に、新聞うずみ火が選ばれた。2月17日、埼玉県庁で受賞作品発表が行われ、共同代表の一人でルポライターの鎌田慧さんが「むのさんと黒田清さんの精神を受け継ぎ、地方から中央の権力を監視し、批判する新聞うずみ火の存在をうれしく思う」と評価した。

    むのたけじ(本名・武野武治)さんは戦時中、朝日新聞の従軍記者として中国戦線などを取材した。1945年8月の終戦を期に、戦争の実態を伝えてこなかったことに責任を感じて退社。48年に出身の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊した。

    タブロイド判2㌻、1部3円で発行部数は2000部。むのさんは創刊号にこう記している。

    <自分の身を焼いてくらやみを照らす「たいまつ」。そのたいまつに我々のひとり、ひとりがなりたい、そのためにみんなの血となり肉となる新聞をつくりたい、これが本紙創刊の念願の一切である……>

    むのさんは78年に第780号をもって休刊するまでの30年間、健筆をふるった。

    晩年は埼玉県さいたま市に住む次男の武野大策さん宅に拠点を移し、2016年8に101歳で亡くなるまで文筆活動や講演などを通して反戦を訴え続けた。

    むのたけじ賞は、むのさんの精神を受け継ぎ、地域に根差し、民衆の声を伝える個人や団体を表彰するため、親交のあったルポライターの鎌田さんらが呼びかけ人になって一昨年から始まった。
    ……

  • 3面~5面 コロナ退院4日後に死亡(矢野宏、栗原佳子)

    新型コロナウィルスの新規感染者は減少傾向だが、大阪では高齢者施設のクラスターが多発。医療がひっ迫する中、施設に待機する陽性者も増えている。死者数も全国最悪の水準で推移しており、それを押し上げているのも重症化しやすい高齢者の存在。対策は打てなかったのか。母を亡くした娘はやりきれない思いを抱える。

    うずみ火読者のA子さんは大阪市内に住む60代前半。母と兄と3人、静かな暮らしは突然、コロナで暗転した。89歳の母が感染して亡くなったのだ。

    母は2019年に脳梗塞で倒れて以来、車いす生活。軽い失語症も残り、理学療法士、言語療法士、作業療法士のリハビリを受けながら、入浴介助を受けるため、デイサービスに通っていた。「お風呂の後、カラオケをしたりして。家では家族だけですし、皆さんと触れ合うのを楽しみにしていました」

    ところが、昨年11月下旬、施設から連絡が入った。「施設内でコロナの感染者が出ましたので、来ないようにしてください」。母は濃厚接触者に該当しなかったが、A子さんは施設にPCR検査を希望。12月1日、陽性と判明した。2日後の3日、市内のコロナ病棟に入院した。微熱と咳が少しで、軽症だった。

    A子さんも濃厚接触者になりPCR検査。陰性だったが、2週間の自宅待機を要請された。母親が大切にしていた詩集を差し入れしようとしたがかなわず、母に毎日メールを送り、励ました。

    入院から10日後、退院が決まったが、A子さんは自宅待機中。兄は陽性が判明し、9日からホテルで宿泊療養中だった。介護タクシーで帰宅した母はストレッチャーに弱々しく横たわっていた。「軽症だったはずなのに、なんで……」。看護師らの防護服が見慣れなかったのか、「怖かった」と何度もつぶやいた。

    特に驚いたのは母がひどく痩せていたこと。入院中、ほとんど食べられず、点滴で命をつないでいたという。A子さんが介助して食べさせようとしても受け付けない。頼りは訪問看護の点滴だった。「今から思えば味覚障害になっていたのかもしれません」

    それでもA子さんは回復を信じた。車いすに座らせようとも試みた。脳梗塞の後、リハビリで車いすに座れるようになり、めきめき元気になったからだ。しかし母は弱る一方。退院4日後の16日、容態が急変した。

    救急車を呼んだが、なかなか受け入れ先が見つからなかった。「陰性証明」が必要だという。軽症者や無症状者は発症から10日を過ぎると、感染させるウイルスが排出されなくなるといわれ、退院時のPCR検査も免除されている。それでも拒否する病院がある。母親は1時間後、市内の病院に受け入れが決まったが、その夜、息を引き取った。

    しかも死後のPCR検査で再び陽性の判定。A子さんは再び濃厚接触者となり、さらに2週間の自宅待機を余儀なくされた。兄は宿泊療養中で、2人とも火葬にも立ち会えなかった。

    「施設では面会もできないので、それだけでもよかったのかな。でもあっけないですね。大往生だと思っても、寂しさと後悔が募ります」。A子さんは母の思い出を語りながら仏壇の遺影を見つめた。

    母親の通った施設はクラスター化したが、A子さんは詳しくは知らない。問い合わせもためらわれる。
    「施設には本当によくしてもらいましたから。利用者が亡くなったと聞いたらどんなに辛いでしょうか。私自身が感染して無症状のまま母にうつした可能性もなくはないのですから。恨むのは自分です」

    母親が逝って2カ月。日常は戻らない。兄はコロナ後遺症で休職を余儀なくされている。その間にも大阪の死者は増え続ける一方だ。「知事さんがテレビで、『次の一手』『次の一手』とおっしゃっていました。では『前の一手』はどうなん? 国もそうですが、高齢者の何らかの対策をしようとしたのでしょうか」
    ……

  • 6面~7面 濃厚接触者としての2週間 身近に忍び寄るコロナ(矢野宏)

    新型コロナウイルス感染症が国内で初めて確認されて1年あまり。昨年11月ごろからの「第3波」の感染拡大に伴い、特に外出時にはマスクを着用し、帰宅すると手洗いとうがいを徹底してきた。外食も控えていたにもかかわらず、「その日」はやってきた。気持ちの上でどこか遠い存在だった新型コロナは、確実に私たちの身の回りに潜んでいた。 

    1月26日夕、妻からのメールが携帯電話に入った。

    「2人とも陽性でした。今、保健所から連絡があるのを待っています」

    私は兵庫県尼崎市内で妻(61)と長女(29)の3人暮らし。2日前に長女が発熱。妻も微熱やせき、頭痛などの症状が出た。朝、妻は「発熱等受診・相談センター」に連絡、市保健所から指定された病院でPCR検査を受けることになり、陽性がわかった。感染経路は不明だという。

    次のメールにはこうあった。

    「明日からホテル療養となります。あまり接していないけれど濃厚接触者になるので、PCR査や自宅待機について保健所から連絡があると思います」

    兵庫県では、医師が「必ずしも入院が必要な状態ではない」と判断した無症状者と軽症者を療養する宿泊施設を開設している。神戸市や姫路市、西宮市内のホテルなど1000室ほど。療養施設には看護師が交代で24時間常駐し、健康管理を行っている。療養者は外出禁止、面会も禁じられているため、1日3回の配食サービスがあるという。

    この時期、感染してもホテルなどの療養施設に入れない「自宅待機者」が急増していた。厚生労働省によると、1月20日時点で3万5394人。年末年始にかけて急増し、昨年12月23日の時点と比べて約4倍も増えていた。自宅で亡くなるケースもあり、家庭内感染のリスクも高い。

    ほどなく、尼崎市保健所感染症相談センターから電話がかかってきた。受話器の向こうでは何本もの電話が鳴り響いている。女性保健師から、濃厚接触者と判定されたことを告げられた。

    濃厚接触者とは、感染者と同居、あるいは長時間の接触(車内、航空機内などを含む)があった人や、マスクをせずに1㍍以内で15分以上会話した人などと定義されている。

    「少なくとも感染者と最後に接触してから14日間は不要不急の外出は避け、対面で人と会うことは避けてください。これは検査結果が陰性であったとしても守ってください。陰性だからといってウイルスに感染していないことにはなりません」

    帰宅後、2人の感染者と接触を避けて個室にこもった。だが、洗面所やトイレは一緒に使うしかない。漠然とした不安が付きまとった。

    翌27日夕、2人は迎えにきた白いワゴン車に乗り込み、西宮市内のホテルへ向かった。

    陽性が判明した場合、バスや電車、タクシーなどの公共交通機関を利用できなくなる。自家用車がない場合は、県が契約している介護タクシーで移送してくれる。防護服姿の運転手が印象的だった。

    私は見送ったあと、すべての窓やドアを開けて換気し、掃除と消毒を始めた。

    濃厚接触者もPCR検査の対象となる。保健所から指定された尼崎医療生協病院で検査を受けたのは28日午前のこと。

    濃厚接触者=感染者ではないが、公共交通機関の利用を禁じられている。感染者のように介護タクシーで運んでもらえないので、片道40分ほどかけて歩くほかなかった。

    検査室のある病棟は一般外来と分けられ、誰とも接触することなく入る。エレベーターを降りると、20歳代から70歳代と思われる男女7人ほどが検査の順番を待っていた。2人の看護師が検温や問診、血中濃度の測定などの業務を手際よくこなしている。

    診察室に通されると、医師が肺から雑音が聞こえないか聴診器をあて、首筋のリンパが張れていないか触診でチェックした後、向かいの検査室へ。鼻の奥に細い綿棒を入れて粘液を採取された。

    翌日、病院から連絡があった。結果は「陰性」だったが、ウイルスの潜伏期間が最長14日間ほどであることを考慮して、感染者と最後に会った日の翌日から2週間の健康観察が求められた。

    陰性だったことをメールで伝えると、「陰性で何よりです」との返信があっただけ。同室の娘にラインして容態を尋ねると、「私は大丈夫。お母さんはまだ微熱が続いているから、しんどいんやと思う」

    長女は熱も頭痛も収まっていたが、妻は37~38度台の微熱が続き、差し込むような頭痛に悩まされていた。ホテルに医師は不在で、治療を受けられない。体温と血中酸素濃度を自分で測って報告するほか、待機した看護師が1日2回、体調を電話などで聞き取る日々だったという。
    ……

  • 8面~9面 森氏の発言擁護 山下会長の義理堅さ(粟野仁雄)

    2月12日、東京・晴海の「トリトンスクエア」は驚くような数の報道陣だった。「東京オリンピック・パラリンピック委員会の森喜朗会長が辞任」の報で馳せ参じた。

    午後3時からの会合は代表撮影だけ許され、筆者や記者たちは控室でリモート映像を見るだけ。「女性の理事が入ると長くなる」と宣った森氏は長々と自分の功績を話し、「長い83年の歴史の中で本当に情けない」とした。途中「そういう(女性蔑視の)意図でものを言ったわけではないが、多少意図的な報道があったんだろう」とも語った。これが本音だろう。リモートでも見られたのはそれだけ。あとは「密談」が5時過ぎまで続いた。

    武藤敏郎事務総長による記者会見の直前、控室に川淵三郎・日本サッカー協会相談役が現れた。短時間の囲み取材だった。森氏から川淵氏への「密室禅譲」が批判され、後任会長を引き受けて「最後の大仕事」と張り切っていたが撤回した。自分のマスコミサービスが墓穴を掘ったことを淡々と話していた。筆者も質問しようとしたが「もうやめよっと」と出て行った。

    入れ替わるように現れたのは山下泰裕氏。日本オリンピック委員会(JOC)と全日本柔道連盟(全柔連)の会長だ。最初に質問を制して「発言は不適切で辞任は仕方ない」として話し出したが、大半は森氏の功績をたたえる内容だった。山下氏はこの騒動が持ち上がった当初、影が薄かったが、メディアに登場すると「(森発言を)止めようと思ったがタイミングを逸した」などの発言をしていた。

    筆者は素朴な疑問を持っていた。「止めなければいけないなどと本当に思ったのだろうか?」と。余談だが、筆者は一つ歳下の山下氏の柔道に憧れ、大学から柔道部に入ってしまったものの、団体戦にもほとんど出してもらえなかった。柔道には劣等感しかないが、今も全日本選手権や世界選手権などの取材に駆け付け、山下氏の会見などに接してきた。質問したこともあり、非常に誠実な人物だという印象だ。だが、今回は「嘘だろう」と感じたのだ。若い記者たちは驚いたようだったが、至近距離で単刀直入に質問した。再現しよう。

    筆者「森さんの発言が出た時のことですが、山下さんは『発言を止めようと思ったけどタイミングを逸した』というようにおっしゃっていますが、本当でしょうか。同じ世代で同じような教育を受けた僕なら思わないと思います。(周囲から小さな笑い声)。あとになってまずいなと思っての後付けだったのではないでしょうか?」

    山下会長「まず、前提として、先ほど申し上げたように女性参画について前向きで。そういう人となりを知ってるし、たぶん、応援のつもりで来たと思いました。女性の話になった時、長くなるぞ、覚悟しとけよ、と私に対してだったのかと思った。私の周囲のいろんな人が『あれ止められるのか。難しいよな』と言っていた。難しいよな、などと言っていた。私に対して言っているのかもしれません」

    筆者「これ以上しゃべるとまずいなとは思ったわけですか」

    山下氏「その話は、とは思いました」

    要領を得ないが、彼の混乱ぶりに「止めなければなんて思ったはずはない」と確信した。それ以上たたみかけなかったのは「内面の思い」でしかないからだ。筆者の突飛な質問にハラハラしていたであろう、囲み会見を仕切っていた事務局の男性にこっちから話しかけると「山下さんは女性に対してすごく気を配る人ですし、私は本当にそう(止めなくてはと)思ったと思いますよ」と話した。

    2013年、女性強化選手への暴力やパワハラをめぐって柔道界は大騒動になり、当時の上村春樹・全柔連会長は引責辞任した。騒動の真っただ中にいた山下氏は「女性差別」について筆者よりは敏感にはなっていただろうが。

    山下氏は素朴で裏のない人間である。それだけに周囲に支えられてきた。JOC会長になった時、「理事会を非公開にする」として批判されたが、山下氏が言い出したというより山下氏に恥をかかせまいとする周囲の「忖度」だと思った。正直言うと、相当「政治的に」ふるまわなくてはならないJOC会長職は山下氏には難しいと感じている。
    ……

  • 10面~11面 ヤマケンのどないなっとんねん 五輪理念より政治利用(山本健治)

    東日本大震災から10年を迎えようとしていた2月13日午後11時過ぎ、震度6強の地震が福島・宮城を襲い、負傷者が150人を超え、住宅被害は2000棟以上、常磐自動車道が通行止めになったり、東北新幹線が止まったりする事態になった。誰もが東日本大震災を思い出し、余震が今も続き、これから先も警戒しなければならないことを肝に銘じたのではないか。

    東日本だけではなく、従来から発生の可能性が指摘されてきた首都直下型地震、相模トラフ地震、南海トラフ地震などプレートがせめぎあう太平洋沿岸地域、また津波が予想される瀬戸内海や大阪湾などでも改めて備えを強化する必要を感じただろう。

    復興庁のホームページを見ると、東日本大震災からの復旧・復興がめざましく進んでいるかのように書いているが、地震で破壊され、津波で押し流された爪痕は、そんな簡単に修復されてはいない。首相らの視察時にはサクラを集めて賑わっているかのように装うが、現実は予想以上に厳しい。福島・宮城・岩手3県の県民所得は、全国平均の9割でしかない。域内総支出の約40%は政府最終消費支出、公的資本形成であり、政府が復興事業などを行っているから経済が維持されている。

    経済成長率は全国平均より低く、人口も減少しており、高齢者の比率が高まっている。復興庁が自画自賛するような復興はまだまだである。これらの数字は数年前のもので、コロナ感染が問題化してから、世界経済・日本経済が落ち込んでいることを考えると、もっと厳しい状態になっていると見なければならない。復興予算や国土強靱化対策がみんなの暮らしからかけ離れ、中にはヤクザの資金源になっているかのように伝えられているが、そんな「利権」化しているようなことを即刻改めさせなければならない。

    新型コロナ感染対策予算で、GoToトラベルやイーツ、またデジタルやワーケーションなどと花々しく取り上げられている地方もあるが、とりわけ福島原発被災地はそんなものとは無縁である。もっと真剣、かつきめ細かく、被災したみんなを助ける施策が必要である。

    日経平均が3万円を超えたからといって大騒ぎしているが、外国人投資家が買い込んだ結果のマネーゲームが生んだ虚像であって、日本経済が回復したからではない。株価上昇をアベノミクスやスガノミクスの成果だなどと言うような連中がいるが、こんな現象にあおり立てられる明日は、バブル経済と同じで、間違いなく破綻する。

    さて、2月3日に開催された日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(いまとなっては前会長だが)が、「女性理事を選ぶというのは文科省がうるさく言うんでね。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。ラグビー協会、今までの倍、理事会に時間がかかる。女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんなが発言するんです」「組織委員会にも女性は7人くらいおられますが、みんなわきまえられて」などと発言した。芸能人コメンテーターが「前後の脈絡を考えると、必ずしも批判されているようなことにはならないのではないか」などと言っていたが、どう解釈しようが森発言は女性蔑視であることは明白である。

    翌4日に記者会見を開き、「謝罪し撤回する」と述べたが、記者とのヤリトリの中で開き直り、何も反省していないことは、よく知っている通りである。これについては森前会長だけが問題だっただけではない。こんなことをどべどべしゃべっているにもかかわらず制止せず、「それは間違っている」と指摘もせず、へらへら笑って聞いていた評議委員会全員も同罪である。

    私は安倍前首相や猪瀬・桝添・小池氏ら歴代の東京都知事が、五輪の理念や精神などを口にしつつも、実際のところは自らの政治的手柄を挙げることのために開催を利用しようとしているのを見て、こんな東京五輪は開催すべきではないと思ってきた。

    首相になる前も、なってからも、辞めてからも懲りることなく暴言や失言を繰り返してきた森氏を、政治力・交渉力・人脈の広さは「余人をもって代えがたい人物」として、2014年4月に五輪組織委員会のトップにかつぎ、「大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ事件」当時、官房長だったため監督責任を問われて更迭され、後に事務次官になったものの日銀総裁を拒否された武藤敏郎氏を「悲運の人」として事務総長に就かせたのをみて、これではダメだと思っていたが、案の定そうなった。
    ……

  • 12面~13面 世界で平和を考える 「アラブの春」から10年(西谷文和)

    もうすぐ3・11から10年になる。2月14日に福島へ取材に行こうとしたら、前日に大きな地震。政府は直後に「原発は大丈夫だ」と発表したが、後で小さく「使用済み核燃料プールの水が漏れました」。大丈夫と違うやないかい! テレビに向かって怒っていたが、今回は福島の話ではなくアラブのお話。そう、3・11から10年ということは「アラブの春」から10年ということでもあるのだ。

    2011年2月、私はアラブ首長国連邦のドバイで迷っていた。アフガンのビザは所得した。このままカブールに飛ぶか、それともエジプトのカイロに行くか。熟慮の末、「アフガンに入って、その後エジプトへ行く」ことにした。

    この時、カイロのタハリール広場では独裁者ムバラクの退陣を求めて、民衆が大規模なデモを繰り返していた。しかし、私の読みでは「ムバラクはまだ倒れない」。中東はイスラムの王様か、軍事クーデターで王様を倒した軍の将校の独裁かのどちらかである(ちなみにイラクもシリアも後者)。エジプトはナセル将軍がクーデターで政権をつかんで以来、中東では一番強固な軍事国家と言っても過言ではなかった。ナセルが死亡してサダトになり、サダトが暗殺されムバラクになっても、ずっと軍事独裁政権なのだ。そう簡単には倒れないだろう、という読みだった。

    カブールで零下10度の、雪の避難民キャンプ取材を終えて、ホテルに帰ってテレビのスイッチをひねった。「あっ、倒れてる」。2月11日、エジプトの民衆革命が成就し、ムバラク政権が終わった。「しまった、エジプトが先だった」。後悔してもしきれなかった。「歴史的瞬間」に現場に立てなかったのだ。

    その後もカブールでアルジャジーラを見ていたら、なんとエジプト革命が隣国リビアと、湾岸諸国のバーレーンに飛び火しているではないか。この時のリビアはまだカダフィ軍が優勢だったが、NATO軍が空爆を始めて、強力に「反カダフィ軍」を支援していた。豊富な石油収入を使って、カダフィは最新鋭の武器で戦っていたので、まだまだ倒れそうになかった。むしろ革命が成就しそうなのはバーレーンだった。首都マナマの真珠広場に集まった人々は丸腰で、平和的にデモをしていた。

    「よし、バーレーンに入ろう」。カブールでの取材を終えてドバイ経由でバーレーンへ飛んだ。真珠広場に直行。この時、広場はサウジアラビア軍の戦車に占拠され、民衆は蹴散らかされていた。バーレーンでは少数のスンニ派が、多数のシーア派を弾圧し支配するという構図。その支配者、スンニ派のハリーファ王に対してシーア派住民が立ち上がった、というわけだ。これまでもシーア派住民が一斉蜂起したことがあったが、大きなニュースにもならず、やがて弾圧されて蜂起はおしまい、だった。

    しかし、今回は違った。デモ隊はスマホを持っていたのだ。サウジ軍が実弾でデモの先頭に立つ若者を殺していく。すると横にいた若者がその映像を撮影。すぐにYOU TUBEにアップする。すると、それをアルジャジーラが中継するのだ。「無抵抗な民衆を独裁者が殺している!」。映像は瞬時に世界を駆け巡り、オバマ大統領でさえ「やり過ぎだ」と苦言を程するようになった。

    翌日も「殺されても進む」デモ隊の姿があった。サウジ軍はゴム弾と催涙ガスで抵抗した。しかし、圧倒的な人数の差。やがて……。デモ隊が勝利した! 人で膨れ上がる真珠広場の中心で私は興奮していた。日本で「労働組合が動員した、イヤイヤ行進するデモ」に慣れていた私だったが、あんなに気合の入ったデモは初体験。そして民衆とともに叫んだ。「これで独裁政治は終わりだ!」

    結果は無残なものだった。3月に入り、サウジが増派。人々は逮捕され、殺され、真珠広場は立ち入り禁止。この時、日本では3・11が起きて「アラブの春」は全く報道されなくなった。リビアのその後はNATOが猛烈な空爆を繰り返していた。私も激戦地ミスラタに入り、取材した。NATO軍の空爆でカダフィの戦車が破壊され、そこにはまだ死臭が漂っていた。多くのミサイル、銃弾が飛び交っていた。やがてカダフィが倒され、反カダフィ軍が勝利。この「リビア革命」は多数のメディアが報道した。
    ……

  • 14面~15面 フクシマ後の原子力 「核は犯罪」国政条約(高橋宏)

    東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が、女性に対する差別的な発言によって辞任に追い込まれた。森会長の発言が、国内はもちろんのこと、海外からも厳しい批判が寄せられたためだ。その批判は、単に発言の内容にとどまるものではない。発言の根源にある、未だに男女不平等が根強く残る日本社会そのものに対する批判であった。

    招致決定から今日までの経緯を振り返り、私たちはもういい加減に東京五輪の正体に気づくべきであろう。元々東京五輪は、東日本大地震・大津波から立ち直った日本をアピールすべく「復興五輪」と位置づけられていた。事故の収束とは程遠い福島第一原発について、安倍晋三前首相が「アンダーコントロール」と世界に強弁し、招致に至ったことを忘れてはならない。結果的に、復興に集中すべき様々な資源の多くが、東京五輪の準備に回され、被災地は置き去りにされた。

    そして、「復興五輪」はいつの間にか「人類が新型コロナに打ち勝った証」にすり替えられた。アスリートやボランティアの純粋な思いはないがしろにされ、もはや利権と政治的な思惑にまみれたイベントになってしまっている。このまま開催ありきで突き進めば、五輪憲章から最もかけ離れた大会として、歴史に刻まれるに違いない。差別発言を受けて、今度は女性を会長に据えることで問題解決を図ろうものなら、もはや日本は世界の笑い物となるだろう。

    日本国憲法の前文にうたわれる「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という崇高な理想と目的から、遠ざかる一方の日本……このままで良いのだろうか。そこで、前号で伝えた核兵器禁止条約の発効において、日本が参加・批准しないことが、男女不平等と並んでいかに国際社会で恥ずべき対応なのかを、改めて考えてみたい。

    核兵器禁止条約について、多くの人々は単に核兵器を禁止する条約と受け止めているかもしれない。全20条から成るこの条約について、少し詳しく見てみよう。第1条では禁止事項が挙げられているが、核兵器を開発、実験、生産、製造、占有、貯蔵することと共に、直接または間接に移譲すること、使用するという威嚇なども禁じている。

    また第6条では、核兵器の使用または実験における被害者の援助、ならびに破壊された環境の修復を義務づけている。さらに第12条では、全ての国による普遍的な参加を目標として、非締約国に加入を奨励することを求めている。

    何よりも、この条約が発効したことによって、核兵器に関わるいかなる行為も「犯罪」となった意味は大きい。どのような理由があろうと、核兵器を使用することはもちろん、保有や開発をする国、関係者は「犯罪者」となるわけだ。戦争がなくならない原因の一つに、武器の開発と売買によって利益を上げる者たちの存在があるように、核兵器をめぐってもまた、それによって利益を受ける者たちが確実にいる。そうした行為を犯罪として追及できる明確な根拠ができたのである。

    この条約において、主役となるべき国が日本であることは明白だ。人類史で初めて原爆の被害を受け、第五福竜丸に象徴されるように、度重なる核実験で被ばくを余儀なくされた日本こそ、この条約は悲願であったはずだ。そして、福島第一原発事故の悪戦苦闘は、そのまま核汚染被害者の救済と環境の修復に役立つことは間違いない。発効した条約を、さらに実効性あるものにしていくために、これだけの条件を兼ね備えている国は日本をおいて他にはないはずだ。
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  • 16面 大阪府市広域行政 乗っ取り画策条例案(栗原佳子)

    大阪市廃止・特別区設置の賛否を問う住民投票が否決されて3カ月半。市民を二分した「大阪都構想」の論争の場は議会に移る。市の広域行政を大阪府に一元化する条例案。「府による乗っ取りだ」「コロナ対策に集中を」など市民から批判の声が上がるが、条例案を「都構想」代案とする大阪維新の会は府・市議会の2月定例会に提出・成立させ新年度に施行というスケジュールを描く。

    昨年11月1日の住民投票から1週間足らず。松井市長(大阪維新の会前代表)、吉村洋文府知事(同代表)は「都構想は否決されたが、賛成の声を尊重するのも大事」などとして、条例によって府市の広域行政一元化を目指す方針を打ち出した。「都構想」と同様、消防、水道なども含めた広域行政の約430事務、2000億円規模の財源の移管を検討、条例案を2月議会に提案するとした。

    その「条例案」は2月17日、副首都推進局のHPで公開された。「一体的な行政運営を推進することを通じて府市の二重行政を解消」「大阪の成長及び発展を図ることにより副首都・大阪を確立」などと基本理念を掲げ、知事を本部長、市長を副本部長とする「副首都推進本部会議」を条例に明記した。本部長が会議を代表し、強い権限を持つ構造だ。施行日は4月1日。

    市から府へ移管する分野はまちづくりと成長戦略に特化。JR大阪駅北側の「うめきた2期」のような大規模再開発、「淀川左岸線延伸部」などの高速道路整備、鉄道整備など市の広域的な都市計画の権限を府に事務委託するという。

    だが、2度の住民投票で問われたのは大阪市の存廃で、「副首都」や「二重行政」などではない。「大都市地域特別区設置法」に基づく住民投票は投票率にかかわらず賛成が一票でも上回れば大阪市は廃止になる定め。結果は2度の反対多数。大阪市存続は民意で、法的拘束力を伴う。
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  • 17面 愛知県知事リコール運動 無効8割高まる疑念(矢野宏)

    愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動をめぐり、提出された署名の8割以上が無効とみられる不正が判明した。大量に民意が偽造されたのではないか。県の選挙管理委員会が地方自治法違反の疑いで刑事告発するなど、事態は深刻だ。

    リコール運動は、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が主導。2019年に開催された芸術祭「あいちトリエンナーレ」で展示された昭和天皇に関する映像作品などをめぐる大村知事の対応を問題視し、昨年6月に政治団体「愛知100万人リコールの会」を設立した。会長は高須氏、事務局長は日本維新の会愛知5区支部長として次の衆院選に出馬を予定している田中孝博氏。請求者代表は日本維新の会の山田豪・常滑市議だった。

    大阪府の吉村洋文知事もツイッターで「行政が税金であの『表現の不自由展』はさすがにおかしいですよね」「応援しています」とエールを送っており、大阪市の松井市長も「高須先生の愛知県民として信念を持った活動に敬意を表します」と激励していた。

    署名には、住所・氏名・生年月日に加え、押印もしくは指印が必要となる。大村知事の解職の賛否を問う住民投票を行うために必要な法定数は86万6000人だが、今回提出された署名は43万5000人分だった。

    県選管は2月1日、提出された署名のうち8割以上が無効署名で、このうち9割が同じ人が複数署名したとみられるほか、選挙人名簿に登録されていない受任者が署名集めをしていたケースもあったとする調査結果を発表した。

    リコールは地方自治法で定められた有権者の権利だが、署名を偽造すれば3年以下の懲役や50万円以下の罰金を受ける。
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  • 18面 フジ住宅訴訟控訴審 原告への個人攻撃続く(栗原佳子)

    ヘイトスピーチ(憎悪表現)を含む文書を繰り返し配布され精神的苦痛を受けたなどとして、在日コリアン3世の50代女性が「フジ住宅」(大阪府岸和田市)と会長に3300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審が1月28日、大阪高裁(清水響裁判長)で始まった。職場での「レイシャルハラスメント」(人種や民族、国籍などへの差別的な言動や嫌がらせ)被害を問う注目の裁判だ。 

    フジ住宅は東証一部上場の大手住宅メーカー。女性は2002年に非正規社員として入社した。

    昨年7月2日の大阪地裁堺支部判決は「社会的に許容できる限度を超えている」などとして同社と会長による違法行為を認定、計110万円の支払いを命じた。

    違法行為は次の3点だ。

    一つ目は、全従業員に人種民族差別的な文書などを大量に反復・継続的に配布した行為。「韓国籍や民族的出自を有する者にとって著しい侮蔑と感じ、名誉感情を害するもの」と指摘、「心の静穏を乱されることなく働くことができる労働者の人格的利益を侵害する恐れがある」とした。

    二つ目は、育鵬社の教科書が採択されるよう全従業員にアンケート提出等の運動に従事するよう動員した行為。「業務と関連しない政治活動であり、労働者の政治的な思想・信条の自由を侵害する差別的取り扱いを伴うもの」で、「原告の人格的利益を侵害している」とした。

    三つ目は提訴直後に「温情を仇で返すバカ者」などと女性を非難する従業員の感想文を大量に配布した行為。「社内で孤立化させる危険性が高く、裁判を受ける権利を抑圧するとともに職場で自由な人間関係を形成する自由や名誉感情を侵害した」と判断した。

    判決を不服として会社側は控訴、女性も、文書配布行為を「原告個人に対する差別的言動」と認めなかった点を不服として控訴していた。

    控訴審の初弁論で原告側は「『直接の差別』を認めないのは人種差別撤廃条約及びヘイトスピーチ解消法の趣旨に照らして不当。差別的言動にさらされること自体、人格的被害を受けている」などと主張。被告側は「表現の自由の問題だ」として争う姿勢を示した。
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  • 19面 ヨーロッパのコロナ事情 ワクチン争奪に切迫感(栗田路子)

    新型コロナウイルスの感染拡大に対して、各国のリーダーたちはどんな対策を打ち出し、どんな言葉を投げかけたのか。海外在住の日本人ジャーナリストによる「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)が話題となっている。英国やドイツなど7カ国のリーダーたちに共通するのは市民に向かって直接発信し続けたことだという。執筆者の一人で、ベルギー在住の栗田路子さんに欧州の現状、ワクチン事情もあわせて寄稿していただいた。

    欧米に遅れること2カ月、日本にもようやくほんのわずかなワクチンが到着した。すでに70カ国以上がワクチン接種レースを繰り広げ、イスラエルでは国民の80%以上、英国でも25%以上が2月20日現在すでに接種を終えている。

    欧州では、昨年秋から始まった第2波が4カ月に及ぶ厳しい感染抑止策でようやく収まりつつあるものの、変異種による第3波を何とか抑え込みながら、確保したワクチン接種を進めようと必死な状況だ。例えば、ベルギーでは今、感染者のうち、英国種が約40%、南ア種が5%とされる。

    欧州各国の施策は、日本とは比べようもなく厳しく、一部の国を除けば飲食店は休業でイベントは中止。スキー場はほぼどこの国も閉鎖。フランスでは午後6時以降の外出禁止令が続き、ベルギーではEU域外への旅行も禁止。欧州諸国では、そこそこ充実した毎月の保障が継続しているが、経済破綻は明らかで、大手の旅行・航空・鉄道会社などでも倒産がささやかれる。年内には2割以上の飲食店が姿を消すといわれる。

    そんな中、ワクチンナショナリズムやワクチン外交といった言葉が飛び交う。豊かな国が、大手製薬会社に先行投資し、優先的に必要以上のワクチンを買いあさる。パンデミックを終わらせるには、貧しい国も含め世界全体で集団免疫をつくるしかないのだが。

    EUは15億回分、米国は10億回分、英国は4億回分、日本は3億回分、一人当たり2~6回分も確保している計算になる。今年後半には、現在のファイザーなど3社に加え、他社のワクチンも完成し、増産体制も整うはずだが、感染と社会の疲弊があまりにもひどい国々は一刻を争っている。ワクチン懐疑派も多い日本からは想像しがたい切迫感が欧米にはある。

    一方、ロシアはスプートニクVで、中国はシノヴァックとシノファーマの2種類で、治験の最終過程を自国民への大量接種ですませ、今や露骨なワクチン外交を推し進める。アジア諸国、中東、アフリカ、南米などにせっせと提供し、世界の勢力図を塗り替えつつあるのだ。  (栗田路子)

    「コロナ対策 各国
    リーダーたちの通信簿」

    新型コロナウイルスが猛威を振るうなかで、世界のリーダーたちの素顔に迫った一冊。コロナ危機は人と人を引き離し社会を分断させたが、言葉の力で人と人を結びつけたリーダーもいた。あとがきで栗田さんはこう書いている。「誰かに用意してもらった原稿を棒読みしたり、標語のような文言をフリップにして語るリーダーはいなかった」

  • 20面 「痛くない死に方」「けったいな町医者」 「家で死ぬ」見つめる(栗原佳子)

    在宅医療に長年取り組む尼崎市の医師、長尾和宏さん(62)の著書を題材にした映画「痛くない死に方」が公開された。社会派のベテラン、高橋伴明監督(71)の終末期医療をテーマに、在宅医と患者と家族の物語を紡いだ。長尾さん本人に密着したドキュメンタリー「けったいな町医者」(毛利安孝監督)も公開中だ。誰しも訪れる人生の終末期をどう迎えるか、尊厳ある死とは何か、見るものに問いかける。 

    「痛くない死に方」の主人公は柄本佑さん演じる在宅医。担当した末期の肺がん患者の壮絶な死に直面、「あなたのような医者を選んだ自分が痛い」という遺族の言葉に打ちのめされる。なぜ患者は苦しみのまま死んだのか。主人公は先輩の医師を訪ね、在宅医のあるべき姿を模索していく。若き医師の成長を通じて在宅医療の光と影を照らし出される。奥田瑛二さん演じる先輩医師のモデルが長尾さん。医師として監修、作品にリアリティを与えた。

    高橋監督は65歳を迎えた頃から「死」を意識するようになったという。尊厳死や在宅医療に関心を広げるなか、長尾さんの著書も手にした。在宅医療のスペシャリストとして知られ、看取った患者は2500人。そのほぼ全てが穏やかな「平穏死」で、臨床経験を記した書籍も数多い。高橋監督は作品と同名の「痛くない死に方」と「痛い在宅医」を下敷きに脚本を練り上げた。

    物語前半の末期がん患者のエピソードは、父の「平穏死」を願い、地元の在宅医を頼った家族の実話がベース。在宅医療の問題点が集約された前半と対比させるかたちで、高橋監督は後半、同じ末期の肺がん患者を登場させた。宇崎竜童さん演じる全共闘世代の大工は、家族や主人公に看取られ、自宅で穏やかに逝く。

    「けったいな町医者」は長尾さんが主人公。「痛くない死に方」のチーフ助監督の毛利さんが監督した。「町医者」を自認する長尾さんは下町を駆け回り、24時間態勢で患者たちに寄り添う。2カ月間、追いかけ、尊厳に満ちた看取りの場にも立ち会った。撮影当初はDVDの特典映像を想定していたが、重厚な長編ドキュメンタリーとして世に送り出された。ナレーションは「痛くない死に方」の主人公、柄本さんが担当した。
    ……

  • 21面 経済ニュースの裏側 中国の動向(羽世田鉱四郎)

    1949年に建国。試行錯誤の末、78年から鄧小平が「改革と開放」政策を掲げ、深圳(シンセン)経済特区を中心に、外資投資の呼び込みを図る。首から下は資本主義体制で現在に至っています。

    地政学上の課題 「一帯一路」構想を掲げ、「陸のシルクロード」「海のシルクロード」の延伸を狙う。陸のシルクロードは中国(西安)と欧州(イタリア)を結ぶ鉄道網で、2018年には年間6000便の実績を数えました。海のシルクロードは外洋のない中国が南シナ海、インド洋、アラビア海、地中海を結んだ海上交通網。安全保障と不可欠なため、米国や東南アジア諸国とあつれきが生じています。また物流網だけでなく、海底ケーブルや宇宙のデジタル網も。世界のデータの95%は海底ケーブルを経由、インド太平洋地域の各国は中国企業による敷設を警戒。一方、中国の地球測位システム「北斗」は、衛星の数が35基を数え、精度は米国のGPSをしのぎます。米国のミサイル防衛(MD)システムの妨害・無力化が狙いで、宇宙の軍拡も顕著です。

    もう一つの課題は水資源。近年、ヒマラヤの氷河が急速に解けており、中国領のチベットを源流とするインダス河、ガンジス河、メコン河、長江など、30億人の水資源の争いが深刻化。洪水の多発から、近い将来は干ばつにも。中印衝突の根本原因です。

    産業構造 鉄鋼(世界の6割)、セメント、ガラス、アルミニウムなど素材産業は、自給自足を達成。また通信、銀行も含めて国有企業が中心です。原材料は、原油がイラン、天然ガスはロシアとカタール、鉄鉱石をブラジルから調達。食料は3割が輸入。大豆、豚肉、コメなど。重厚長大の産業が中心ですが、昨今は、マスク、防護服など医療産業の輸出も急増。ノートパソコン(世界の4割)やスマホなど、ハイテク産業の隆盛も目立ちますが、泣き所は半導体。技術的には、台湾積体電路製造(TSMC)、韓国のサムスン電子が双璧。キャッチアップが難しく4~5年遅れです。

    総監視社会 顔、指紋、DNAなど14億人のデータを蓄積。総背番号制度でIDを付与され、総監視社会です。
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  • 22面 会えてよかった 屋宜光徳さん(上田康平)

    1967年、教公二法阻止闘争

    教職員の教育の自由や政治活動を抑制するため米国民政府は親米保守政党に働きかけ、立法院で教公二法をつくらせようとした。

    そのため、この法律に反対する運動が教職員、労働組合、住民によって取り組まれ、デモ隊が連日、立法院を包囲したのである。

    屋宜さんは取材にあたった

    デモ隊は立法院の中にまで入り込み、議場を占有。これを阻止しようとした警官隊を逆にごぼう抜きにしていた。

    そう話してくださった屋宜さん。

    実は教員だった奥さんも「デモに参加していた」とのこと。「屋宜さんは」とたずねると、「立法院の担当で立法院の中で取材、一部始終を記事にした」

    議長は議会を閉会、 法案を審議未了にした

    このことは「米軍に衝撃をあたえたと思う。全教員の100%近くが参加した。それは保護者が支持しないとできないことだった」

    基地維持、施政権返還へ

    「そのあたりから米国は沖縄の施政権返還を考え始める。当時、米国は教職員給与100万ドルや台風復興資金などを援助していたが、徐々に日本政府に肩代わりさせ、日本政府援助が増えていった(67年から逆転)」

    「米国は施政権を返して、いかに基地維持するか」に変わっていった。

    一方、ベトナム戦争は地上戦闘、北爆でも終結の見通しが立たず、米軍の死傷者が増えるばかり。経済的な負担も大きくなり、ひいてはドル危機に。
    ……

  • 23面 落語でラララ 根問いもの 正しい知識は生きる力(さとう裕)

    落語には「根問いもの」と呼ばれる一群の噺がある。「根問い」とは、物事の根本に立ち戻って問い返すこと。古くは「根問い葉問い」という言葉もあり、これ「根掘り葉掘り」と同じ。
     
    「つる」という噺。
     
    物知りと評判の甚兵衛さん、喜六に鶴の名前の由来を聞かれて困った。「鶴は昔、首長鳥と言われてた」「ほな、首長鳥がなんで鶴になったんでっか」と問われ、「昔老人が浜辺に立っていたら、はるか唐土(もろこし)の方角から首長鳥のオスがツーと飛んできて松の木にポイッと止まった。後へさしてメスがルーと飛んできたのでツルや」と苦し紛れの答え。聞いた喜六、ええこと聞いたと他所で披露。「昔、老人が浜辺に立っていたら、はるか唐土の方角からオスがツーッと飛んできてルッと止まった。後からメスが……」「メスはどないしたんや」
    「黙って飛んできよったんや」

    この噺、元は「絵根問」という噺の後半部であったのを、先代の桂米團治が独立させたという。前半は屏風や掛け軸などの有名な絵柄「竹に虎」や「鯉の滝登り」等のうんちくを述べる。また、「色事根問」では、どうしたら異性にもてるのかを聞いた男、芸事が出来るともてる、お前は何か出来るかと聞かれ、「へえ、宇治のほうたる踊りなら」できると応えるが、実は友人の新築祝いで踊って大失態を演じていた。また、「商売根問」では、楽に金儲けする方法が述べられるのだが、当然落語だからみんな失敗譚ばかり。
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  • 24面 極私的 日本映画興亡史 活動写真事始め(三谷俊之)

    船の釜焚きをやりながらサンフランシスコに着いた横田永之助は、パシフィック・ビジネス・カレッジで商業を3年間学んで帰国。翌年の明治26年には、コロンブス世界大博覧会の京都府出品委員として再渡米する。博覧会に出品されたX線装置に目をつけ持ち帰り、見世物として大儲けする。興業師としての才覚はすでに芽生えていた。そして稲畑勝太郎から譲り受けたシネマトグラフを手がける。

    親類縁者を集めて1隊約10人の巡行隊を数隊編成。東京はもちろん、北海道、東北、北陸と全国を巡回した。わらじばきで荷車を引き、峠や悪路を越えていく。旅まわりの興行である。各地の祭礼などで曲芸や奇術、因果ものの見世物と同じように、芝居小屋やテント張りでの興行だ。

    稲畑勝太郎が忌避したことと同じく、行く先々で地元の顔役ややくざがからんできた。どこにいっても「寺銭を出せ」と脅され、嫌がらせはもとより、命の危険があることもしばしばだった。横田は「寝泊まりするときには観覧料のあがりを犬に番させ、始終5連発の拳銃を持って警戒した」(都築正昭『シネマがやってきた』より)とあり、「甚だしい時には生命を奪われようとした。しかし、剛毅な氏はそれぐらいの障害には屈せず、万難を排して健闘し巡業を続けた」(『日活の社史と現勢』)と記される。
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  • 25面 坂崎優子がつぶやく 権力者中心の仲良し会

    「女性の多い理事会の会議は時間がかかる」。森喜朗さんのこの女性蔑視発言について書いて出したら、会長を辞任することに。後任も二転三転で「東京オリンピックなんてやめてしまえ!」という気分で書き直しています。

    森さんは、「会議では自分の考えを述べるものという当たり前の感覚を持つ人たちが理事になっただけで、女性だからではない」ということをわかっていませんでした。裏を返せば、男性中心の話し合わない会議をずっと続けてきたということです。

    女性でも会議の常連となっていけば、その場に漂う空気を読んで集団に同化していくか、貫き続けてはじき飛ばされるかのどちらかになると思います。男女を問わず活発に意見を述べ続けることができないのが、この国の会議のスタンダードだからです。

    私は消費者関連の専門家集団、その全国組織に属しています。社会のためになる活動を行い女性も多い組織ですが、組織の運営側の委員はみな「和を尊び独自の意見を言わない人」で固められています。

    そこにかつて組織を変えようと何かと意見する男性が入ったことがありました。当然もめまくりました。結果、「勝手なことをする人」との烙印を押されて、担当業務を本人に説明することなく取り上げ、運営組織からも外されました。

    彼は「どこに行っても邪魔者扱いされる」と深く傷つきました。指摘の仕方がストレート過ぎて「そんな言い方しなくても」と思うことが多い人ですが、出される提案内容はどれもその通りで、耳を傾けることは組織としてもプラスになります。けれど排除されてしまったのです。

    私も近年一つの会議に出るようになりました。疑問点や意見があれば出すようにしています。ただし、言い方や内容は吟味し、簡単にスルーされないよう理論武装して臨みます。先日も「おかしいよね」ということを指摘しました。相手は「上が決めたことで」と逃げる一方。最後は「上に変えるよう伝えて下さい」とお願いして終わらせました。

    これまで運営委員の交代時期のたびに「委員になってもらえませんか」と誘われてきましたが、意見を述べるようになってからは、それがぴたっとなくなりました。私が入ると組織を思い通りに運営できなくなると思うからでしょう。

    日本の団体の多くが従順に従うことをよしとします。それがうまく運営できるコツだと信じています。また従順でいると、もっと上の地位を与えてもらえる可能性が広がります。〇〇委員という肩書を魅力的に思う人は一定層いて、その地位と引き替えに自分の意見を押し込んでいるかのようです。
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  • 26面~30面 読者からのお手紙&メール(文責・矢野宏)

    御幸森の児童ら
    疎開瀬での悲劇

    奈良市 西田敦

    日に焼け、痩せこけた男子児童たちの集合写真。猿沢池畔にある魚佐旅館の受付に、モノクロ写真が立てかけてありました。「戦争中、この旅館は学童疎開に使われていたのです。ここを訪れる旧友と連絡を取りたいと、大阪の男性が写真と連絡先を置いて行かれました」と説明する受付の女性。途中で声が詰まり、涙がポロポロとこぼれました。

    写真の持ち主に電話をすると、「会って話がしたい」とのことでした。東大阪市に住むAさんは昭和8年生まれ。疎開した当時は大阪市生野区の御幸森国民学校5年生でした。「とにかく空腹でな」。旅館で寝起きし、奈良公園を横切って鼓阪国民学校に通学。落ちている鹿せんべいを拾って食べたこと。猿沢池に泳ぐ鯉さえもおいしそうに見えたこと。密猟され、肉を剥ぎ取られた鹿が捨てられていたことなど、昨日のことのように語ります。空襲警報発令の最中、日の出旅館から出火し、同じように疎開していた児童2名が焼死したことも覚えておられました。1名は遺体が見つからず、先生と母親が探し続けていたそうです。

    「今の御幸森小学校はな、大きな船の形をしてるんや」。昔の面影はないけれど、唯一残っているものは体練優良校として大阪府より贈られた「校旗」だそうです。疎開の時も一緒だった校旗を見てほしいと宿題を出されました。

    御幸森小学校に電話で事情を伝え、訪問。校長室に入るや否や「見つかりましたよ。私たちも知りませんでした」と校長先生。旗には金のモールが施され、紀元2605年の文字が戦争の象徴のように見えました。Aさんの体験談を交えてしばらく雑談。その時、「御幸森小学校は統合されるのですよ」と聞かされました。運動場では子どもたちの賑やかな声。校旗に巡りあえた喜びと学校統合の悲しみを抱え、船の形をした校舎を後にしました。

    その後、魚佐旅館は廃業。慣れ親しんだものが次々と姿を消す現実は、社会の成り立ちを知る機会も失います。Aさんの体験は子どもの頃の小さな記憶の一つに過ぎません。しかしそれも歴史。過去を知ることは想像力を育み、大切にしたいという気持ちも芽生えます。ありがとう御幸森小学校。私が体験した不思議な出会いを文章にして残します。

    (奈良は観光の街ゆえ戦前から旅館が多く、大阪市の疎開児童を受け入れ先になっていました。御幸森の児童2人が焼死したのは1945年2月のこと。空襲から逃れるため、親元を離れて疎開した児童たちにも戦争の悲劇があったことを忘れてはいけませんね。西田さん、貴重な話をありがとうございました)
    ……

  • 28面 車イスから思う事 「くん」付けで泣いた頃(佐藤京子)

    小学校に入学してほどなくの忘れられない記憶がある。担任の女性教諭に代わり、男性の先生がやってきた。出席簿をめくり、男子から出欠をとっていき、女子の番になった時だ。当時、自分の姓は佐藤ではなく「○○」で、出席簿の順番では一番初めだった。「○○京子くん」と大きな声で呼ばれ、私は泣き出した。7歳だった自分にとって男の子は「くん」であり、女の子は「さん」がだった。「京子くん」と教頭先生の声が教室中に響き渡った瞬間、「わっ」と教室内からはやし声や笑い声が沸き起こった。男の子と間違われたと思った自分はショックを受けた。

    「なぜ、騒ぐのですか」。教頭先生は顔を真っ赤にして叫んだ。「女子のことを『くん』と言うのは、おかしいんだ」「○○京子はオトコオンナだ」と男子が騒ぎたてた。

    「静かにしなさい」との教頭先生の剣幕が、当時の小学1年生のパワーに勝った。教室は静かになり、泣いている自分に対し、先生は「男子のように元気良く返事をしてほしかったから、『くん』で呼んだ」との説明をしてくれた。

    にもかかわらず、次の女の子からは「さん」付けで出席を取り始めたことは忘れられない。つまり、唯一の「被害者」は自分だけだった。その後、「オトコオンナ」といじめられた。

    「女性がいる会議は長くなるから、イカン」。女性というものは云々と、時代をたくさん通り過ぎた、ご高齢の元総理大臣の話す姿が教頭先生と重なった。

    自分の思ったことは声に出さなければ伝わらないと、ズバズバと意見を言えるようになった私は腹を立てながら、「男とは」とか「女とは」という区別はナンセンス極まりないと考える。実際に、最近の学校の出席簿は男女混合で五十音順が多くなったという話を聞いたことがある。生まれた時代や教育を受けた時代によって、色々な考え方が正しいとして教えられてきたのだから、ある意味、元首相も気の毒な気もするが、第一線を張って仕事をするならば、やはり時代に添った思考への変換が必要ではなかったのではないだろうか。まぁ、一言余計に多いのが、この御仁の特徴とも言える。だが、言葉は言霊。深層に思っていることが表されてしまうのだろう。

  • 30面 編集後記(栗原佳子・矢野宏)

    「大阪都構想」住民投票告示を目前にしたある学習会。終了後の会場で、読者のMさんに話しかけられた。「むのたけじ賞」が募集中だという。もちろん、その名を冠した賞が創設されていることは知っていたが、自分たちと重ねて考えたこともなかったので、たぶん曖昧な返事をしたと思う。でも「うずみ火」というネーミングは、実はむのたけじさんの「たいまつ」をこっそり意識している。くすぶってはいるが、同じ火の仲間だ。まさかの知らせに、なかなか実感がわかなかったが、コロナで長らく足を運べずにいる沖縄や宮古・八重山からのメッセージや電話の温かさに触れるうち、急にこみ上げるものがあった。取材先でお世話になった人たち、この小さな月刊紙を手にとって下さる方たち、みんなでいただいた賞だと思う。もうひと踏ん張りします。これからもよろしくお願いします。Mさん、おおきに!  (栗)
     ▼どこか遠い存在だった新型コロナウイルスでしたが、「第3波」で家族2人が感染。私も同居人ということで濃厚接触者となり、2週間の自宅待機を余儀なくされました。2人は陽性判明の翌日にはホテルでの療養が決まり、保健所の対応に「ホテルにすら入れない『自宅待機者』が急増しているのに良かった」と胸をなでおろしたものです。ところが、2人は治療を受けることなく、10日で宿泊療養を解除されました。PCR検査もなし。その後、妻は後遺症に苦しんでいます。療養解除から2週間以上も経過しているというのに満足に食べることができず、今も病院での点滴を受けています。感染者の自宅療養やホテル療養は「治療放棄」。すでに医療は崩壊していると言っていいでしょう。さて、濃厚接触者としての自宅待機中、思いも寄らぬ朗報が飛び込んできました。新聞うずみ火が「第3回むのたけじ賞」の大賞に選ばれたのです。「新聞として地域的土着性と政治的全国性を持っている」との評価、ありがたいことです。黒田清さんの遺志を継いで毎月発行して15年余。黒田さんが生前、語っていた言葉をかみしめています。「いい新聞はいい読者が作るんやで」。早くコロナ感染が収まり、皆さんと語える日が来ますように。    (矢)

  • 31面 うもれ火日誌(文責・矢野宏)

    1月4日(月)
    矢野 仕事始めは午後、MBSラジオのスタジオでYouTube「ニュースなラヂオ動画班」収録。北口麻奈さん、上田崇順、福本晋吾の両アナウンサーと新年の大胆予想。ズバリ「菅政権は持たない」

    1月5日(火)
    矢野 午後、大阪市東成区の東成朝鮮会館で行われたパブリックビューイングで大阪朝鮮高級学校と桐蔭学園との全国高校ラグビー大会準決勝を観戦。試合終了後、中山茂さん、任宗孝(イム・ジョンヒョ)さんに話を聞く。

    1月7日(木)
    矢野 午後、大阪市中央区の「ピースおおさか」へ。山地英彦館長と事務局長の小川克則さんに空襲体験者の証言DVD制作について説明し、協力依頼。快諾してもらう。

    1月8日(金)
    矢野 夕方、お世話になっている永安武税理士事務所で、家賃支援給付金の申請方法について相談。
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

    1月10日(日)
    栗原 午前、解体が進む大阪市浪速区の「リバティおおさか」へ。ホール壁画の取り壊し開始を見守るリバティ応援団の人たちに話を聞く。

    1月11日(祝・月)
    矢野 夕方、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」出演。特集は、コロナ禍で業務がひっ迫している保健所の実態。「大阪府関係職員労働組合」委員長の小松康則さんに話を聞く。気になるニュースのコーナーで、吉村洋文知事と松井一郎大阪市長が中心となって進めている「行政一元化条例案」を取り上げ、「住民投票で否決された『大阪都構想』の条例化で、市民の民意を何だと思っているのでしょうか」

    1月13日(水)
    西谷 正午過ぎ、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DE・しょ!」出演。

    1月15日(金)
    矢野 午後、うずみ火ディレクター堀田明子とピースおおさかへ。学芸員の田中優生さんに館内を案内してもらう。
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

    1月17日(日)
    阪神・淡路大震災から26年。矢野は早朝、追悼式が行われる神戸市中央区の東遊園地へ。菅原市場、長田神社前商店街などを回る。夜、東灘区の加賀翠さん宅を訪ね、桜子ちゃんと幸夫さんの冥福を祈る。
    1月18日(月)
    矢野 午前、大阪市立御幸森小学校の平和学習へ。5年連続で6年生に「大阪大空襲を知っていますか」というタイトルで空襲被害者の思いを紹介しているが、3月に学校統合で最後の卒業生となる。午後、全国初のコロナ専門病院となった大阪市立十三市民病院の三田村将光事務部長に現状を聞く。

    1月21日(木)
    午後、工藤孝志さんと澤田和也さんが新聞うずみ火の折り込みチラシのセット作業。

    1月22日(金)
    夕方、新聞うずみ火2月号が届く。小泉雄一さん、樋口元義さん、多田一夫さん、大村和子さんらの手を借りて発送。郵便局の回収前に作業終了。ビールがおいしい。
    高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

    1月26日(火)
    矢野 大阪・中之島の大阪国際会議場で開かれた派遣元責任者講習会。夕方、家族から「(PCR検査で)2人とも陽性でした」とのメール。ほどなく、尼崎市保健所から電話が入り、濃厚接触者と判定されたため、2週間の自宅待機を要請される(家族2人はホテルでの宿泊療養)。

    1月27日(水)
    西谷 正午過ぎ、ラジオ関西「ばんばひろふみ・ラジオ・DE・しょ!」出演。

    1月28日(水)
    矢野 午前、市保健所から指定された尼崎医療生協病院で診察、PCR検査を受ける。 栗原 午前、大阪高裁へ。「フジ住宅」をめぐるヘイトハラスメント裁判の控訴審がスタート。報告集会を取材。

    1月29日(木)
    矢野 医療生協病院から「陰性でした」との連絡。

  • 32面 3月12日うずみ火講座、3月27日に西谷&矢野コラボ(文責・矢野宏)

    新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を受け、年明けから「うずみ火講座」の開催を見合わせていましたが、3月から再開します。

    東京電力福島第一原発事故の発生から3月11日で10年を迎えますが、約4万人がいまだに避難生活を強いられています。そんな被災者の訴えは「復興五輪」のかけ声に消され、日々の新たなニュースに隠れ、被災地に対する人々の関心は薄れているように見えます。 原発事故とはどういう意味を持つものだったのか、現状と課題は何か。改めて問う必要があるではないでしょうか。まずは知ることから始めませんか。

    講師は、大阪府熊取町にある京大複合原子力科学研究所(旧・京大原子炉実験所)研究員で、原発の危険性について指摘し続けてきた「熊取6人組」の一人、今中哲二さんです。

    なお、当日はYouTubeでのライブ配信を行います。希望される方は、新聞うずみ火のホームページをご覧ください。
    【日時】3月12日(金)午後6時~8時
    【会場】大阪市天王寺区上汐5丁目のクレオ大阪中央(06・6770・7200)のセミナーホール
    【交通】地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅から北東へ徒歩3分
    【資料代】読者1000円、一般1200円、学生・障害者700円



    新聞うずみ火と「路上のラジオ」が共催する学習講演会「テレビが報じない ここだけのコラボ」が3月27日(土)午後2時~大阪市中央区北浜東のエル・おおさかの南館ホール(地下鉄谷町線、京阪天満橋駅から西へ300㍍)で開講します。

    西谷さんが「馬毛島への自衛隊基地建設問題」や「アベスガ政治の危険性」などについて、矢野が維新政治と在阪メディアなどについて語ります。連絡先は「路上のラジオ」(06・6170・4757)まで。

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